拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

ビタミンD/ホームベーカリーの買換えは夢と消え

2020-04-30 18:51:26 | 日記

ベランダ用に買ったリクライニングチェア、五千円しないからまがいものに違いないと自分で買ったくせに届く前からあきらめていたら、これが大当たり!

すわりごごち(ねごこち)抜群!ベランダには風が来るから、大型連休中に気温が25度を超えても快適な巣ごもり生活を送れそう。ビタミンDの摂取にも期待がもてる(ビタミンDは日光をあびないと体ん中で作られない)。久々に満足のいく買い物であった。買い物と言えば、ホームベーカリーで作ったピザ生地に黒いしまが入るようになったので、買換えを検討していることを書いた。今度は大手のにしよう。でも高い。中古はどうだ?おお!八千円のがある!でも、パスタ用の回転羽根が欠けている。それだけ売ってないかなぁ。売ってた!よし、これにしよう。この機種は酵母を後から自動で投入するので(そのときすごい音がするらしい)、ふっくら焼けるという。心は既にルンルン!ところが、ひらめかないでいいことが一つひらめいてしまった。今のヤツ、もしパンケース(材料を投入し、その中で生地ができ、焼き上がっていく容器)の代えが買えたらそれで間に合っちゃうんじゃないか?だけどさ、パンケースってほとんど本体じゃん。本体の代えなんてあるはずが……あった。2000円で売っていた。「黒いものが混じるようになったのでパンケースの代えを買ったら解決した」という書込もあった。よかった(よくなかった)、二代目を買わずに済んだ(二代目を買い損ねた)。早々に家電墓場(北側のベランダ)に投棄してあった初代を引き上げもとの位置にセッティング。引退命令は撤回、もうひとがんばりしてもらうんでごしごし磨いて差し上げた。おお、結構、きれいになるのぉ。

エール(ペーター・イェラー?)

2020-04-29 20:59:44 | 言葉

どこのうちの猫もそうだというから、猫のDNAには、人のパソコンのキーボード操作を邪魔するという指令が組み込まれているようだ。あんまり近寄るとヒゲしか写らない。

さて。WOWOWで「チャーリーとチョコレート工場」(Jデップ主演)の終わりの方をちらっと見てたら、エンドロールのBGMの歌で「cheerを送る」の部分の字幕が「エールを送る」になっていた。これこれ、こないだ「日本人のお名前」(NHK)で言ってたヤツだ。「エール」の元の「yell」の意味は「わめく」「叫ぶ」等々。あまりいいイメージではない。かろうじて「college yell」でようやく「(学生が)応援のために声をそろえる」の意味になるという。それに対し、「cheer」の意味は「歓呼」「応援」だから、「エールを送る」は本来「チアーを送る」がふさわしいく、「チア・ガール」の語法は合ってるということになる。因みに、「yell」の独訳は「schreien」。やっぱり!「schreien」もあまりいい意味ではないらしく、ペーター・シュライアー(Schreier)は、カール・ベームから「わめく人」って名前は歌手にむいてないねぇ、と言われたという。因みに「schreien」する人が「schreier」であるごとく、「yell」する人は「yeller」である。じゃあ、ペーター・シュライアーのように「yeller」も人名になるのかな、と思って「Mr.Yeller」でググったら出てきましたよ。すると、シュライアーがアメリカ人だったらペーター・イェラー?いや、英語だからピーター・イェラーだろう。ドイツにも「Schreier」がいてアメリカにも「Yeller」がいるんだったら日本にも「大声さん」がいるのだろうか。それこそ「日本人のお名前」に出てる先生だったら即答されるだろうが、ググって見たら、珍しい名字に関するサイトがあって、そこには「大声さん」の登録はないそうだ。あと「yellow」と「yell」の関係も気になる。キャーキャー言う声を「黄色い声」と言うが、まあこれは日本語の話だが、果たして「yellow」と「yell」に関連性があるのだろうか。疑問は果てないので「エール」に戻る。いまどき「エール」と言えば朝ドラ。最近は結構コミック路線。今日の放送では裕一と音の「接吻」現場を音の母親(薬師丸ひろ子)が見て、それで結婚を許した。今で言ったら「交尾」の現場を見て、といったところか(人間には尻尾はないが。いや、その痕跡はあるという)。いやいや、それだって太古の昔の話である。今だったら子供ができてやむなくってところだろうか。

ミニトマト開花(ホームベーカリーの買換思案中)

2020-04-28 20:44:37 | 日記

ベランダのミニトマトちゃんが花をつけた。ゴーヤなら雄花と雌花が別々だから人工授粉だが、ミニトマトちゃんは虫に任せておけばよいのだろう。まさか虫たちもステイホームということはないだろう。5月に収穫が始まりそうである。もともとピザに乗せるために始めたベランダ栽培だから、収穫までにホームベーカリーを調達せにゃ。実は、これまで使ってたやつが不調である。練り上がった生地にしましまの汚れが混じる。しっかり洗っている……にもかかわらずだ。どうやら、羽根を取り付ける回転軸のあたりから器械油がしみ出している模様。分解して徹底的に清掃……したがやはりだめ。そもそもこの器械は取説によると水洗い禁止である。じゃあ、汚れるのに任せるのか。ネットでの書込みを見る。同じことを言ってる人がいる。メーカーは、体に害はない、と言ってるそうだ。でもねー、パンを焼く場合は汚れが消えるようだが、私はピザの生地を作るんで汚れが目に付く。それをそのまま使うのはいくらなんでも薄気味悪い。ということで、5年以上がんばった初代には引退していただいて、二代目を調達することにした。候補は二つ。一つは初代と同じものでうーんと安い(でも評判はいい(が、私と同じ経験をした人はもう買うもんかと言っている))。もう一つはパナソニック製で、値段は3倍以上するが、こちらも評判は上々、なによりも丸洗いできるということだから生地に汚れがしみ出すなんてことはなさそう。パナにするか。でも、大枚はたいても所詮は家電。寿命は必ず来るしなー。安いフライパンみたいに安いやつを買って使い捨てでどんどん使い回すという手もある。という思案をこのところ毎夜しらふでしているワタクシである。因みに、パナソニックと言えば、サンヨーを買収した際、サンヨーの目玉商品だった「ゴパン」(米粒からパンを作れる)を引き継いで、今、「ゴパン」はパナソニック銘柄として売られているが(充電池のエネループも同様である)、こちらはさらに高くてさすがに手が出ない。市場に中古が出回っているが、中古ですらいいお値段である。

昔の地名を変えてはいけない(「水落」は水時計だった)

2020-04-27 22:14:21 | 言葉
「あさいち」で近江アナがウクレレを弾いた。なるほど、だからその前に進行をとちったんだ。パヴァロッティが日本でネモリーノ(愛の妙薬)を歌ったときもそうだった(ウクレレを弾いたのではない)。「オブリガート」(ありがとう)を「ありがーと」に替えて歌って日本の聴衆は大喜び。私も大喜びしながら(秀逸な替え歌である)、そうか!だから、パヴァロッティは直前にとちったんだ、と合点がいった。人間、慣れぬことをやろうとするととちるものである。その近江アナも数年前はタモリさんと一緒にブラブラ歩いていたブラタモリのロケ、さすごに時節柄延期だそうだ。ロケ時、そこそこの人数で歩くし、タモリさんだってめちゃめちゃお若いわけではない(私の13歳上!なんだ、めちゃめちゃお若くはないけれど、まだまだずーっとお若いじゃん)。すると、先々週の放送(奈良の飛鳥)が今のところ最後のロケだったのだな。そのときもタモリさんはいつものように冴えていた。奈良の飛鳥の「水落」という遺跡に「水時計」があったことが最近分かって、それまで誰も知らなかったその事実を「水落」という地名が密かに千年以上も伝えていたことに思いを寄せたタモリさんが「最近は簡単に地名を変えるけど、変えちゃいけないんだよ」とおっしゃった。至言である。その前の週は、飛鳥に近い斑鳩(法隆寺のあたり)。そうそう、グーグル・アースで「法隆寺」を検索したら、二箇所ヒットして、一つは我々が知ってる法隆寺。もう一箇所は、その近くの空き地。ここ、ブラタモリで紹介してましたねー。初代の法隆寺が建ってた場所ですよ。いいなぁ。ますます奈良をブラブラしたくなった。「ブラブラ」と打ってたら頭の中で井上陽水の「おげんきー?」が鳴り始めた。ブラタモリの主題歌である。ジュークボックスみたいな私の頭である(ジュークボックスって死語?)因みに、火野正平さんのチャリンコ旅も延期。走行中のチャリ5台の間隔は随分開いているが、ご飯時なんかはロケ班が「密接」するから自粛したのだろう。コロナ、早く収束しないかな。じゃなきゃ、奈良に行けないもんな。

ステイ・ホーム

2020-04-26 20:46:03 | 

こたつが出てる間の娘達のホームはこたつの中。左右の位置が決まってて、ときどきこたつの中でケメ子の「ふーっ」が聞こえるときは、ケメ子の定位置の右側にワサビが陣取ったときである。しかし、今日みたいに暖かいと、二人ともホームから出て、別のホーム(ケージ)に移る(渡り猫!)。と言っても、冬のオームと夏のホームの距離は1メートルもない。二つのホームは、いずれも私のホームの中にある。だから、私のホームを基準にすれば、娘らは都知事に言われなくても一年中ステイ・ホームである。ここからは、猫ではなく、私の話である。今日みたいに日中の気温が上がっても、このご時世、このホームから外に出られない。せめてベランダで日光浴をしつつキンドルで読書でもしようと思い、安い折りたたみ式のリクライニングチェアをポチった。経験上、この手の製品はちゃちいものが多いのだが、分かっていてもやはり安物に手を出す私は一生安物買いの銭失いである。

皿まみれ

2020-04-25 12:06:31 | 日記

グラスだけではなく、皿の多くもコンビニのおまけ。どういうやつがどのくらいあるのか自分でも把握できてない。この際だ。並べてみよう。するといくつかのグループ分けができた。まずはスヌーピー(写真1枚目)。へえ、こんなにあったのか。これまであまり目に付かなかったが、ギトギトしてなくていい感じ。よし、このあたりを上に置いてこれからは使おう。

次に、フランダースの犬とラスカル(写真2枚目の上段と中段)。大きさがちょうどよかったので、これまでの使用頻度は一番。特に上段の三枚は一番上に重ねてあったから毎日のように使っていたが、絵があまり好みではない。そう言えば、まだ箱から出してなかった「パスタ皿」があったので、この際だと思って出してみた。ミッキーマウスとくまのプーさん(下段)。おっ、これいいじゃん。これからは使おう。

そして大皿(3枚目の写真)。これはおまけなどではない。1時間チャリをこいでイケアまで行って買ったものである。ピザを乗せるのに使っている。このシンプル加減がいっときとても気にいっていた。だが、最近は、模様が付いてる方がいいかな?とか、ベートーヴェンの顔付きのやつが欲しくなったりもする。しかし、食器棚の三密は解消しなければいかん。今回お皿を並べたのはリストラのためである。増える話ばかりしてどうする。同じ絵柄のやつだとか、あまり好きでない絵柄のやつは長期休養に入ってもらおう。しかし、どこにしまえばいいんだろう。マンションには、「壁の向こうの秘密の空間」などない……結局、重ねる上下を入れ替えて並べるしかないか。捨てるなんてことはできません。特に絵皿はね。

三密な食器たち~布団山脈

2020-04-24 20:55:06 | 日記

皿やグラスの集まり具合は「三密」である。人の三密と同様、食器の三密もよくない。しかし、よくない理由は人の場合と異なる。つまり、取りにくいのだ。多くの皿は真上の可動棚をちょっとずらさないと取り出せない。だいたい、一人暮らしでこんなにたくさんの皿やグラスは不要。誰かを連れ込むにしたって(出た!妄想!)二個ずつあれば十分。これらの多くはコンビニのおまけである。例えば、中っくらいの大きさのワイングラスが5個あるが、それらは随分前のある年、コンビニがボジョレー・ヌーヴォーのおまけに付けてたやつである。つまり、グラス欲しさにヌーヴォーを5本買ったわけだ(これもまたバブルである)。今、ワインを飲むときは、大きなボルドー・グラスとブルゴーニュ・グラスで間に合っちゃうから、五人囃子の出番はない。大勢でのパーティーも無理である。我が家の玄関から居間にたどり着くためには「布団山脈」(煎餅布団ともいう)を乗り越えなければならぬ。相当な大股でなければまたぐのは無理(キングコングなら可能。♪おおきーなーやまーをひとまたぎ)。話がそれた。一人暮らしのくせに食器が多すぎるという話であった。「一人暮らし」と言えば、軽症ということで自宅待機中だった「独居男性」がコロナで亡くなった。同じ「独居男性」だけに他人事ではない。いや、正確に言うと、私は完全な一人暮らしではない。娘が二人いる(正確には「二人」ではない。だからと言って「二個体」と言ったら無粋である)。因みに、彼女らは、小池都知事が言いだす前から完全な「ステイ・ホーム」である。いずれにせよ、私が息苦しくなっても彼女らはそれを人に知らせることはできない。だから私は毎日ブログを書くのである(生きてるよーって)。

オーダー!

2020-04-23 21:50:01 | 言葉
知事が会見で言った「お避けいただきたい」はアルコール依存症の人なら「お酒いただきたい」に聞こえるかもな、と思った私はどうしたことか家ではまったく飲まなくて済んでいるからちゃんと「お避けいただきたい」と聞き取った。「聞こえるかもな」と思ったのは過去の記憶である(と言ってもお酒をやめたわけじゃないからね。外でならやまほど飲むからコロナが落ち着いたら皆さん付き合ってね)。さて、ワールドニュースを見ている。まず、ドイツ。マスクの義務化とか、ワクチンの臨床試験が始まったとか、復活祭のお休みはちっとも遊べなかったけど夏休みはどうなるんだ?とか、話題は日本と似通っている。でも数字は違う。感染者数は約15万人、死者数は約5千人。他の欧米諸国よりも死者数の割合が少なく、日本はドイツに見習えとの論調があるが、日本の死者数は1ケタ少ない。それでも、ドイツの数字で目を見張ったのは治癒した人の数。約10万人である。感染者の3分の2が治癒している計算である。これはすごいと思う。そして、イギリス。コロナ対策で国会にテレビ会議システムが導入され、議場はガラガラ。おかげで、議員席の形状がよく見える。へー、イギリスの議員席ってベンチみたい。与党席と野党席が向き合いつつだんだん高くなっている様が河岸段丘のようだ(ブラタモリのタモリさんならそう言いそう)。普段ならここに議員さんがひしめいてヤジの応酬をしているんだろうけど、今は静か。議長の「オーダー、オーダー」って声が議院内に響いていた。この「オーダー」(order)は「秩序」だから、「(秩序を保って)ご静粛に」ってことらしい。この議長さんの「オーダー」は名物なのだという。どういうわけか、ドイツで人気なのだという。そのドイツでは、議会で「静粛に」と言うとき何て言うんだろう。まっさきに私の頭に浮かんだのが「silentium」(シレンツィウム)。他に「ruhig」「leise」等々あるのに、なんでよりによってラテン語の「silentium」が浮かんだかというと、それは「マイスタージンガー」(ヴァーグナー)のせい。歌合戦の前に人々が「silentium」(静粛に)と言う。その厳格な感じがなんとなく議会に合ってる気がして。あと、コーヒー・カンタータ(バッハ)の出だしが「Schweigt stille, plaudert nicht」(静かに黙って!おしゃべりしないで)。こっちは日本の議会にふさわしいかな。日本の議員さんって人の発言を聴かないでヤジってばかりいるからね。議長さんも丁寧ぶって「ご静粛にお願いします」なんて言ってないで、「ほらそこ、おしゃべりしないで」とか言えばいい。それに対して「小学校かっ」ってヤジが飛んだらこれは結構気が利いている。なんでも、日本の若手議員は先輩議員からヤジを飛ばさないと怒られるそうだ。運動部もそうだよね。ベンチにいて声を出さないと先輩の鉄拳が飛ぶという。そうだ、日本の国会は体育会系だったのだ(とか言ったら、ホントの体育会系に失礼である)。因みに、イギリスと日本はともに議院内閣制。本家のイギリスも(本来は)ヤジがすごいというが、一応ヤジは発言と発言の合間に飛んでいる。最低限のルールを守っているし品もある。似て非なるものである。

佳作(ソナタ形式)

2020-04-22 17:59:43 | 音楽
「おめー、ホントにおれの子か?」。こう文字に起こすと昨日のブログの続きのようだが、朝ドラ「エール」でこの台詞が発せられた状況は全く違っていて、息子が作曲コンクールで入賞したことを真に喜ぶ父親の愛情が言わせた言葉であった(末尾に「♥」でも付ければ誤解されないかもしれない。そう、今では絵文字がたくさんあるからそうした誤解は減ったと思うが、電子メールが流行り始めたときはニュアンスが伝わらず、結構無用な諍いがあったと思う)。作曲コンクールといえば、私も中学のときに市(県ではなく市だったと思う)のコンクールに応募したことがある。「月とすっぽん」、大作曲家の話の次にもってくるような話ではないことは分かっているが、それでも「一寸の虫にも五分の魂」、見るだけの月よりも食えるスッポンの方がいいという理屈も通るかも知れぬ。ということで話を続ける。結果は「佳作」だった。実は音楽の先生がから「佳作だったよ」と言われたとき、私は「かさく」の意味が分からず、やった!と一応喜んだのだが、調べてるうちに「佳作」は「いまいち」であることが分かってきた。そして決定的に思い知らされたのは授賞式。入賞した生徒が県立音楽堂に呼ばれ、受賞作の演奏があると聞いたもんだから、え?私のって管弦楽曲なんだけど、それを演奏してくれるの?じゃ、オケがいるの?とか思ったら、舞台に呼ばれたのは数人だけ。結局、私を含めた何人か(佳作仲間)はずっと楽屋に押し込まれたまんまでなんのために県立音楽堂くんだりまで行ったんだか分かりゃしなかった。そこから「かさく」の三文字がトラウマになり、あまり触れたくない過去となっていたのだが、先ほどふと思った。「佳作」というから口惜しい。「入選」と言えば聞こえがいい。よし、これからは「入選した」と言おう。おおっ、半世紀ぶりにトラウマから抜け出せる!ウソはないし。でも一応チェックしとくかと思って、シャープ(マスクを買おうとしたがネットでつながらずじまい)の電子辞書に「佳作」と打ち込むと、「入選作ほどではないが、それに次ぐよい作品」と出てきた。えー、じゃあ「入選」って言ったらウソになっちゃうじゃん。ぬか喜びとはこのこと。トラウマからの脱出はトラウムとなった(Trauma=精神的外傷、Traum=夢)。まあしかし、よく考えてみれば佳作は上出来だった。とにかく突貫工事だった。音楽の先生が締め切り日を間違えていて、まだまだ時間があるとのんびり構えていたところに「イージマくんごめん、締め切り明日だった」と急に言われて、夜なべして仕上げようと思ったのだが、睡魔に勝てず寝落ち。目が覚めたらもう朝。ソナタ形式(序奏-提示部-展開部-再現部-コーダ)で書いていたのだが、その時点で書き終わっていたのは展開部まで。やむなく再現部を書く代わりにダルセーニョで提示部の頭に戻って、コーダに飛んで、そのコーダもジャパニーズボブテイルの尻尾のように短く無理矢理「ジャーン」で終わらせた。そんなまがいものに佳作をくれたんだからこれはもう感謝こそすれトラウマなどと言ってはバチがあたる。今ふと思った(ブログを書くことは脳みそに対するなかなかの刺激になる。いろんなことを思いつく)。もし、インチキをせずに再現部の直前で終わらせて曲名を「未完成」にしたらどうだったろう。いやいや即ボツでしたね。さて、そのソナタ形式の話である。そもそもなぜソナタ形式で書こうとしたか。それはあなた、ソナタ形式が、特にベートーヴェンの書くソナタ形式が大好きだからである。提示部で第1主題が奏でられた後、5度上がって、おっ、来るな、と思ったところで第2主題が現れる。ときどき、さらに5度上がって、おいおいどこまで行くの?と思わせておいて戻ってくることもある。そして、再現部。ここでは第1主題の後、提示部とは違った道を通って第2主題が第1主題と同じ調で現れる。その「違った道」を聞くのがまた醍醐味であり、「運命」や「田園」はこのあたりが絶妙である(だから私の「佳作品」が再現部で提示部の頭にダルセーニョしたということは……それは提示部=再現部を意味する……とんでもない蛮行だったわけだ)。いったいベートーヴェンは、いつからソナタ形式をモノにしたのだろう。作品1のピアノ三重奏曲で聞けるソナタ形式は既に熟練の技である。それどころか、ベートーヴェンが13歳の時に書いた選帝侯ソナタのそれだってもうできあがっている。ソナタ形式だけではない。最初期からすでに素晴らしい「変奏曲」「フーガ」を書いている。やはりベートーヴェンは偉い人である(お友達にはなりたくないタイプらしいが)。

ベランダで下着を干していたイタリアーナ(NHKの語学講座)

2020-04-21 21:42:53 | 言葉
左様に煩悩の塊の私だから、例えば子供をめぐる夫婦げんかで妻が夫に「この子を見てちょうだい」などと言ったら、その後に続く台詞は「よーく見てちょうだい。あなたに似てる?似てないでしょ?あたしがあなたの子供なんか産むと思った?うぬぼれるのもいい加減にして」が思い浮かぶ(私のことではない)。しかし、よーく考えれば「よーく見てちょうだい。あなたの子でしょ?かけがえのない自分の子なんだからもっと愛したらどうなの?」だってありうる。というか、こちらの方が普通なのかも知れない。普通でない方をまっさきに連想するあたりが私が煩悩の塊である所以であり、オペラ好きである所以である(後者の台詞ではオペラにならない)。気を取り直そう。多くの人がそうらしいが、「Zu Hause bleiben」(stay home)が叫ばれる今、私も語学をやり直そうと思ってNHKのテレビとラジオのドイツ語とイタリア語の講座を視聴している。正直、ドイツ語の初級講座は易しすぎて概ね退屈なのだがはっと思う瞬間もある。例えばラジオの初級編で、ネイティヴが「den」を「ディン」と発音するのを聞いて思わずにんまり。定冠詞の活用は普通は「デア、デス、デム、デン」と教わるが、学生んときの室内合唱団では先生の方針が舞台ドイツ語だったから「ディル、デス、ディム、ディン」。いまどき流行らない舞台ドイツ語であるが、ゆっくり発音するとやっぱり「ディ」なんだなと思ってうれしくなった。テレビ講座の生徒役は、昔「ちりとてちん」(朝ドラ)でA子を演じた女優さん。ドイツ語初心者ながら度胸が据わっていて臆さないところがいい(そうじゃなければ外国語は上達しない)。こないだの放送でも、ドイツのお店でA子が「Pils,bitte」(ピルスビールを下さい)と注文して店主が「Hefeweizen?」(ヴァイツェンビールですか?)と聞き返したの対し「OK」と言ってヴァイツェンを美味しそうに飲んでいた。いや、あれは店主の方がおかしい。いったい「ピルス・ビッテ」がなぜゆえに「ヘーフェヴァイツェン」に聞こえるのだろう。これに比べれば、勘定をしようとして「How much?」と訪ねた外国人客にハマチを握って出した日本の鮨屋の店主の方がよっぽど気が利いている。以上はドイツ語講座の話。これに対し、イタリア語講座は私には初級編がちょうどいい。そのテレビ講座で生徒役で出てる俳優さんの名前が小関裕太(こせきゆうた)。一瞬、新しい朝ドラのモデルの作曲家と同名?と思ったが、あちらは古関裕而(こせきゆうじ)だった。その裕太さんはA子以上に肝が据わっていて(しかもなかなか上手である)、シチリアロケで出会うイタリア人に片っ端から「Sono Giapponese」(私は日本人です)と声をかけている。声をかけられた方もさすがにイタリア人!いちいち「Sono Italiano(a)」(私はイタリア人です)と答えてくれるあたりは実に陽気である。そんななか、建物の二階のベランダで洗濯物を干していた若妻風のイタリアーナにやはり陽気に答えてもらった直後、裕太君と通訳氏が「今干してたの下着ですよね」とささやきあっている。それを聞いてただちに録画を巻き戻した私は語学を勉強しててもやはり煩悩の塊であった。ということで、煩悩に始まり煩悩で終わった今回の記事であった。輪廻とはこのこと(ウソ)。そう言えば、昨日、モックンが山寺でお坊さんの修行をする映画をBSでやってましたなー。

「お前は自分が誰の子だかまだ知らない」

2020-04-20 11:21:19 | 音楽

写真の紅顔の美少年は13歳のベートーヴェンである(写真はWikiから拝借した)。ミサソレの通唱会を主宰しているから、私がベートーヴェン・ファンだと言っても誰も驚かないだろうが、私自身は、そう称することは、放蕩息子が放蕩の末、家に戻ってきたはいいが、恥ずかしくて中に入れないような忸怩たる思いがある。10代の私は、好きな作曲家は?と聞かれれば迷わずベートーヴェンと答えていた。が、その後、多くの誘惑に乗り(誘惑に簡単に乗ってしまうのが私である)、あれも好き、これも好き、まるで和洋中のビュッフェで動けなくなるまで食べ尽くす感じ、そんななか、一番好きだったはずのベートーヴェンはほとんど聞かなくなっていた。だが、ここにきて、猛烈にベートーヴェン熱が蘇ってきた。ヴェーヌスベルクで酒池肉林にいたタンホイザーがエリーザベトを思い出したごとくである。ミサソレの通唱会を2回やったりヴァイオリン・ソナタを練習していることがきっかけであることは間違いない。因みに、家で酒を飲まずにベートーヴェンと楽器に夢中になっている私はまるで10代に戻ったようである。そんなときに世の中を覆った「Stay home」の風潮。そこで思いついた。うちにはベートーヴェンが作曲したほぼ全部の曲の録音がある。それをイチから聴いていこう。ということで、早速、作品1(Opus1)の三つのピアノ三重奏曲を聴く。おお、いい!かりにベートーヴェンがあまり有名ではない(有名な曲が有名すぎる)この三曲しか残さなかったとしても、音楽史にその名を燦然と残したことだろう。力強さの中に、チコちゃんが「ねえねえオカムラー」とすり寄っていくのと似た感じの人なつっこさがある(私はこれが大好き)。まてよ、「歌いまくる会」ではバッハのカンタータを年代順に歌っている。どうせベートーヴェンを全部聴くならこっちも年代順にしよう。となると、作品番号(Opus番号)が付いてない曲(今では、WoO番号やHess番号が付けられている)をどうしよう。例えば、「エリーゼのために」にはOpus番号は付いてない(WoO番号が付いている)。そうした名曲だってたくさんある。よし!WoO番号やHess番号も含めよう。リストを用意して早速開始。仕切り直しの第1曲(ホントのホントの第1曲)は、ベートーヴェンが12歳(誕生日前なら11歳)のときに書いた「ドレスラーの行進曲による9つの変奏曲」。すごい。モーツァルトは天才でベートーヴェンは努力の人のように言う人がいるが、12歳でこんな曲を書くベートーヴェンは間違いなく天才である。ドレスラーという音楽家は、そのメロディーを使ってベートーヴェン少年が曲を書いたということで現在まで名を残している。続いて、13歳(12歳)のときの作品群。まず三曲の「選帝侯ソナタ」。後年の曲に比べると終わりがあっさりしているが、十分に「ベートーヴェン」である。同じ年に書いたオルガンによるフーガはある意味大変な聞き物。ベートーヴェンはこの頃、ネーフェという先生についてオルガンをよく弾いていた。バッハの作品もよく弾いていたという。そうやって身についたフーガの技法が、晩年、大フーガやハンマークラヴィーア・ソナタで爆発する、この小品はその萌芽と思うと感慨深い。そして二つの歌曲である。その一つ「みどりごに」の歌詞の出だしは「Noch weißt du nicht,wes Kind du bist」(お前は自分が誰の子だかまだ知らない)。えーっ?「お前はお父さんの子じゃないんだよ」なんてこと子供に言っていいの?それより13歳(12歳)のベートーヴェン少年がよくこんな詩を選び、理解して曲を付けたものだ、ルートヴィヒ少年はそちらの方も早熟だったのか、とあんぐり開いた私の口がそっと閉まったのは数秒後に歌詞の続き「何年もせずに、私がお前の母だということが分かります」を聴いたとき。すみません、下司の勘ぐりとはこのこと。まったくもー、私の頭ってどんだけそっち系のことで埋め尽くされてることだか。やはり10代の頃に戻ってはいなかった。ヴェーヌスベルクでしみついた煩悩の層は厚い。因みに、アップした写真に今回のタイトルだと、写真の子が不義の子のようであるが、そういうことでないことはご案内の通りである。

ずるてん

2020-04-19 12:48:53 | 日記

鎮痛剤がなくなったので薬局の入ってるスーパー(いつもいく徒歩5分のとこではなく、チャリで10分程度のとこ)に行く。道すがら、地元のおいしいパン屋さんが営業しているか覗くと閉まってる。月曜定休を土日祝の休みに変えたそうだ。時節柄しかたがない。ところが張り紙の続きを読むと、その措置は5月途中まで。その後は2,3年閉店とある。えーっ?コロナのせいー?と思ったらそうではなく、店主さんが腰の手術をしてその経過が宜しくないので休むのだと。これは困ったことになった。私、ピザ職人になると決めた場合に適当な修業先が見つからなかったら、ここがいつも求人を出していたからここで修行するつもりだった(勝手に決めていた)。目算が狂った。それにしてもこのお店、私が今のところに越してきたときからあったから30年以上営業しているはずである。それでも閉店の時が来るんだなー。世は無常。因みに、ここのお店には関係ないが(もちろんこのお店が「おごっている」わけがないが)、「おごれるもの久しからず」という言葉があって、多くの人は平氏のことを思い浮かべるのだろうが、大化の改新で主筋がほろんだ蘇我氏にもあてはまる(平氏も蘇我氏も日本のためにいいことをたくさんやっているから、一方的な悪役に仕立てることには抵抗がある)。ところで、中大兄皇子らが蘇我氏を討った行為を「乙巳の変」(いっしのへん)と呼ぶことを私は昨夜のブラタモリで初めて知った。私が子供の頃はそんな呼び方はなかったと思うのだが。それはともかく、この時代のことは山岸凉子の漫画「日出処の天子」を読んでからえらく興味がある。ブラタモリを観て、また、ちょうどこないだ古墳の特集をやった番組を観て、現在なんにもない田園風景になっているこの地を歩いてみたくなった。そう言えば、NHKのテレビのドイツ語講座の舞台は「黒い森」(奈良から黒い森に話題が転じた理由は割愛)。こないだ黒い森の中のどっかの村の風景が映っていた。ザンクト・ペーターかもしれないし違うかもしれない。だが、やはりいいなぁと思った。でも、地元の人が「Das」を「デス」と発音してて、言葉が通じるか少し不安になった。麓のフライブルクなら大丈夫だが。話を戻す。目当てのスーパーに行くと、これまで買いたくて買えなかった二つのアイテム=マスクと強力粉を売っていた。よかよか!こうやってパニックで起きた品薄も解消していくのだろう。そのスーパーの前を流れる小川は、季節がくると桜で大層華やぎ写真を撮りまくるのだが、今年は桜の時期にここには来なかった。でも、緑もいいものである。

小川の中の飛び石に白い鳥と亀が写っている。彼らはコロナに感染するのだろうか。猫には感染すると言われている。因みに、「日出処の天子」を私より10こくらい下の女子は「ずるてん」と呼ぶそうだ。「ひずてん」ではなく「ずるてん」か。適当に縮めればいいというわけでもないらしい。その「ずるてん」の古本をネットで探しているのだが、なかなかのお値段でおいそれとは手が出ない。あっ、もしかして、アップした写真に強力粉が写ってるから、題名の「ずるてん」は「ぐるてん」の間違いだと思った人がいるかもしれない。

ミニトマトちゃん、いらっしゃ~い

2020-04-18 11:18:23 | 日記

植えたのはミニトマト。左側がキャロル、右側がイエロー・キャロル(備忘録。いや、「キャロル」さえ忘れなければ「イエロー……」は名前通り実が黄色いらしいから区別がつくだろう)。ベランダでの栽培は久しぶり。以前はゴーヤやホウレンソウを植えたり、勝手に生えた雑草を慈しんで育てたり(ブログで「雑草ちゃん」として紹介したらファンがついた)、やはり勝手に土中に居着いたカナブンの幼虫に思いを馳せたりしたが、マンションの外装工事で中断してからまったくの手つかず。完全な砂漠状態であった(砂漠で思い出すオペラその1。椿姫。ヴィオレッタが「パリという砂漠にsola abbandonata(一人捨てられ)」と歌う。その2。マノン・レスコー。マノンは「寂しい(砂漠のような)荒野にsola abbandonata(一人捨てられ)」と歌う。オペラは「sola abbandonata」が好きである。だから私も「駅から遠く離れた足立区の辺境にsolo abbandonato」と歌う。閑話休題(してもなお閑話))。その砂漠を掘り返して、(カナブンちゃんはそのかけらも見当たらない)新しい土を入れて、苗を植えて、百均で買った支柱を立てる。植えたのは昨日。今日は雨だからさぞかしトマトちゃんの喉も潤されたことだろう。ゴーヤを始めとしてこれまではタネをまいていたが、苗を植えたのは初めてである。収穫が待ち遠しい。目的はピザの具にすることだ。相変わらず、ほぼ毎晩ピザを焼いている。将来の夢はピザ職人である。夢と言っても小学生のとき将来指揮者になると言ったのと同程度の夢想であるが、それでも今から将来があることについては塵ほどの疑いも持ってない。以下は直近四夜の作品。


ガラス越しのキス

2020-04-17 10:56:36 | 日記
まるで「サラリーマンNEO」。今度の朝ドラ「エール」は作曲家の生涯を描く作品のはずなのだが、いやそうなのだろうが最近はコメディ色満載。堀内敬子が出てるからいっそう「NEO」っぽい。あまりにおばさんおばさんした役作りだから最初は分からなかったが声を聞いて堀内敬子だと分かった。私は声フェチである。その「エール」もコロナのせいでしばらく撮影中止だという。「新婚さんいらっしゃい」も無観客だから文枝さんが椅子からこけても誰も笑わない。それでも新婚さんは以前通りくっついて座ってる。そりゃそうだろう。家でくっついてるんだから(とは限らない?)。新婚さんが間隔を空けて座っていたらいかにも将来を暗示するようで縁起が悪いし。まあ運命共同体だからよいだろう。そうやって新婚さんがくっついてたらMCの文枝さんと山背さんもくっつかざるを得ない。このお二人は運命共同体ってわけではないし、最近のテレビの傾向にも反するがやむを得ないのだろう。そういうば、夕方の報道番組で、「人と会うのをがまんしろ」と言った解説委員に対して、「恋人同士が会ってはいけないのか」という質問があった。とっさの回答は「自分で考えろ」。もっともな回答だと思ったが、あまりにも冷たかったと反省したのか「付き合い始めたばかりなのか、付き合って長いのかによっても違う」とフォロー。ってことは、付き合い始めたばかりなら、今が「固め時」だから会ってもいいが、もう長い付き合いだったら少々会わなくても大丈夫だからがまんしろ、ということだと私は理解したのだが、よく考えたら逆もまた成り立つ。付き合い始めなら双方とも燃えたぎってるから多少会わなくても関係はゆるがない(どころか逆に会いたい気持ちが募りに募る)が、長くてマンネリだったらこれがきっかけで別れてしまうかも知れない(コロナ離婚)。件の解説委員がどっちの意味で言ったのかは不明である。そう言えば、今時の若い世代(私も十分若いが、私よりもっともっともーーーっと若い世代)は、ネットでヴァーチャルでアバターを使ってデータをするのだという(Iさんがイケメンの息子さんから聞いた情報)。へー!「アバター」って映画があって、本人はカプセルの中で寝てるのに身代わり(アバター)が動き回って先住民と恋をするとそれが本人の意識に反映されるって話だったが、そこまではいかないらしいが、それでもヴァーチャル世界でアバター同士がキスをすると本人もした気分になるのだろうか。そう言えば、大昔に「ガラス越しのキス」ってぇのがあった。これも言ってみればヴァーチャル・キスだが、今考えてみると相当ばっちい。それこそガラスにどんなウィルスが付着しているか分からないから特にこのご時世にあっては厳に控えるべきだろう。因みに「ばっちぃ、ばっちぃ」と歌うのはツェリーナである(オペラ「ドン・ジョヴァンニ」より)。

森の子ヤギも通風かい?

2020-04-16 09:17:08 | 音楽
「シャル・ウイ・ダンス?」と聞かれて「ウイ」と応えていたのはなぜだろう(朝ドラ「エール」)。「ウイ」と言えば「シェフ」。日本国内でもフレンチの厨房ではフランス語で会話をするんだとどっかのシェフが言っていた。するとイタリアンなら「Si、シェフ」、ドイツレストランなら「Ja、シェフ」、和食なら「Hey、大将」ってとこか。「はい、大将」だと怒られるだろうか。ばかやろー、はいなんて言うんじゃねーんだよって。普通「はい」と言えば「いいお返事ですね」と言われるところである。因みに「Hey」をドイツ語読みすると「はい」である。なーんて言ったら、ばかやろー、理屈こねるんじゃねーんだよって、怒られそうだ。因みに私、今の仕事を引退したらピザ職人に弟子入りしたいと夢想している(夢想しつつほぼ毎晩ピザを焼いている)。弟子入りしたら「Si、シェフ」と言うのだろうか。さて、「エール」のダンスシーンではバンドの中に当然ながらクラリネット奏者もいた。そうしたクラリネット吹きにとって許せない歌は「クラリネットをこわしちゃった」。いや、こわれることはある。しかし壊れ方がひどい。最初、ドとレとミの音が出なくなる。それがあっと言う間に「♪ドとレとミとファとソとラとシの音が出な」くなる。オクターブ全滅じゃんけ。長調で歌ってる場合ではない。すると出る音はピアノで言うところの黒鍵だけだ。黒鍵だけと言えば「猫ふんじゃった」。これもひどい歌である。猫ふんじゃったと明るく歌ってる場合ではない。「♪ねこふんずけちゃったらひっかいた」?当たり前である。猫に謝るべきだ。因みに、この曲は世界中に広まってるが、発祥国、作曲者とも不明、各国で異なる歌詞がついいてるそうで、だから猫が出てくる必然はないのだが、日本で作詞をした人が猫を選んだので「猫ふんじゃった」になったらしい。たしかに「♪いぬふんじゃった」ではぴんとこない。猫以外ならどの動物が語呂的によいだろう?いろいろ試す。「♪ヤギふんじゃった」は結構いけそうである。ヤギと言えば……めー、めー、もりのこやぎ、もりのこやぎ、こやぎあるけばあんよが痛い……おおっ、子ヤギも通風?親近感もりもり。しかし通風で痛かった大人ヤギ(私)のあんよはおかげさまでかなり回復。「病より癒えたる者の神への聖なる感謝の歌」はベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番の第3楽章である。