拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

あなかま

2023-03-31 11:40:38 | 日記

今日の教訓=見切り品の野菜は買ってすぐに食べるべし。でなければすぐに溶けてどろどろになる。「猫は固体であり液体である」という仮説がイグノーベル賞をとったとCMが言ってるが、野菜はホントに液体になる。

「江戸川橋」は、江戸川にかかってるわけでもないのに、江戸川区でもないのに、そう呼ばれているのは奇っ怪である。その江戸川橋あたりの神田川は、以前は、小川(Bach又はBächlein)だなー、と思ってたが、

神田川の源流を見てきた今の目からすれば大河である。

また文章が長くなりそうな予感。長い文章の間に3文字をはさむとアクセントになると誰かが言ってたから、最初に思いついた3文字を書いてみよう。

おかま

因みに、高校の古文で習った中世言葉で唯一覚えているのは「あなかま」。「うるさい」という意味。そう言えば、現代語で「うるさい」を「かまびすしい」という。この「かま」は「あなかま」の「かま」である、というのが現在の私の理解である。「おかま」の「かま」とは関係がなさそうである。

朝ドラは今日が実質的な最終回であった。ヒロインがパイロットになる夢をあきらためときは、多くの人と同様、私も「なぜ?」と思いながら、ソニーの大賀元社長のことを思ったりもした。大賀氏は芸大で学んだバリトンの逸材であったが、オーディオにも詳しく、その縁で、声楽家ではなくソニーの社員の道を選び、社長に上り詰めた。カラヤンと大の仲良しで、カラヤンが亡くなった日もカラヤンと一緒だった。ソニーが開発したCDの収録時間は、当初の予定では1時間のはずが、カラヤンの第九を1枚に収めるため、1時間余りにしたものである。カラヤンと会話している様子を映像で見たことがあるが、本当に仲良さげで、カラヤンが「新しい車は瞬時に何キロ出る」と自慢すると、大賀氏は「え~、何キロ~」と大層驚いて見せる。ますますご機嫌なカラヤンであった。そんな大賀氏が、晩年、オーケストラの指揮をしたというニュースを見た。舞ちゃんも、今日の放送で、パイロット・デビューを果たした。夢がかないました、というお話であった。因みに、一度でもオーケストラの指揮をしたいと思ったら、総理大臣になるのも手である。羽田孜元首相がその例である(マイスタージンガーの前奏曲を振っていた)。落語家になるのも手である。小朝師匠がその例である(こうもり序曲を振っていた。どことなく棒の感じがカルロス・クライバーっぽかった)。

ちょっと前の放送に戻るが(朝ドラのこと)、スランプに陥ったヒロインの夫が「舞ちゃん、話がある」と切り出したとき、私の脳裏をかすめたのは「りこん」の3文字(漢字なら2文字)。朝ドラと言って侮るなかれ。かつて、同様の展開でヒロインが別れたことがある(「ふたりっこ」「半分、青い」)。だが、今作はほのぼの路線だから離婚はなさそう。実際、二人は別れることなく、夫は独りでパリに旅立った(このパターンもかつてあった。「あぐり」の2番目の夫(演:高嶋政伸)がそうだった)。だが、世帯を別々に構える、しかも一方が外国となると、普通は経済的に無理。夫はそんなに印税で儲けていたのだろうか。そのパリからいきなり帰ってきたのには舞ちゃんならずとも驚いた。「ちょっちゃん」の夫(演:世良公則)がシベリアから帰ってきたのが突然だったのは時代からして当然だが、令和の今なら事前に連絡くらいできたろうに。

昨夜、パレストリーナのミサを歌った後、久しぶりに中華ではなく5文字のお店に行き、もっと久しぶりにそこでデカンタの赤ではなく、瓶詰めのランブルスコを飲んだ。

グリーンピースに今では高価でなかなか手の出ない卵が丸々入っていて感動した。帰り道の夜空には月が光ってた。

このくらいを半月と言うのだろうか。


♪いざやー、いざやー(さ、いこう!)

2023-03-30 08:28:05 | 音楽

昨夜の記事に「『霞か雲か』の元はドイツの曲」というコメントをいただいた。へー、ありがとうございます!因みに、この曲っていうのは「かーすみーかーくーもおかー(♪ドーミソードーラードラソー)」と歌い始める曲。「霞か雲か」で連想するのはもう一曲あって、それは「さくらさくら」。曲の途中に「かーすーみーかー、くーもおかー(♪ラーシードーシー、ラーシラファー)」が出てくる。こちらは、Wikipediaによると「幕末、江戸で子供用の箏の手ほどき曲として作られたもの」だそうだ。

この日、もう一つ頭の中で鳴った曲が「なのはーなばたけえに」(♪ミミドーレミソソラソ)で始まる曲。これの曲名は「菜の花」と思いきや(え?誰も思わない?)「朧月夜」。そうか、「いりーひうすれー」の「いりひ」とは夕陽のことだろうから、時間帯は夕方。だからおぼろ月か。そうした風景を味わいたいと思ったのだが現地に着いたのが2時過ぎだったから、日はカンカンに照っていた(夕方天気がくずれたのだが)。因みに、さっきの2曲は日本らしい4拍子だが、「朧月夜」は3拍子である。そう言えば、以前、当ブログで「朧月夜」は弱起か?つまり「なの|はーなばた|けえに、い|りーひうす|れ……か?あるいは強拍始まりか?つまり「なのはーな|ばたけえに|いりーひ|うすれ……なのか?が話題になった。2年前の今頃である。そのときも書いたのだが、西洋の弱起の曲は、間違って1拍目だと思って歌っちゃうと途中で崩壊する(聞かせどころの強拍が2拍目になってしまう)。だが、「朧月夜」の場合は、弱起で歌っても1拍目から歌ってもそのまま最後まで無難に行ってしまうところが「偽弱起」の容疑がかかる所以である。

弱起の話が出たので、

先日、神田川沿いを探索した際、川底にショベルカーが入って泥さらをやっていて、その脇にあったジャッキである。ジャッキ違い!口直しに改めて菜の花の写真(昨夜アップしたのとは別(と言っても似たような構図である))

不思議なのは、菜の花の丈が「フィールド・オブ・ドリームズ」のトウモロコシ畑のように高いこと。私が子供の頃親しんでいた菜の花は、せいぜいこんな感じ。

桜堤から出たところに広がっていた「普通の」菜の花畑である。童謡「朧月夜」で歌われた「菜の花畑」はどっちなのだろうか。単に生育期間の違いであって、こっちも時間が経てばあっちのようになるのだろうか。

そう言えば、この歌の歌詞に「みわたすやまのは、かすみふかし」とある。本日の文脈から言えば、この場合の「かすみ」とは桜ということになる。ついでに、さっきの2曲の歌詞も見てみよう。「さくらさくら」に「やよいのそらは」とある。「やよい」、まさに3月、今の季節。因みに、競馬の「弥生賞」の頃は桜は咲いておらず、「桜花賞」の頃は、今年の場合は、であるが桜はもう散ってそうである。この歌のラストに「いざや、いざや」とある。これは「レッツ・ゴー」の意味らしい。つまりヌートバー選手が「さーーーー、いこうー」と言ったのと同じ意味である(ヌートバー選手の「がんばりまっさーーーーいこう!」を最初に聴いたとき「がんばりまっさ」「行こう」だと思った)。「霞か雲か」の歌詞も切れ目を探すのが難しい。「かすみか雲か はた雪か とばかり匂う」あるのだが、「とばかり」は「○○と、ばかり」の意味だろうが、ちゃんと教えてあげないと子供は理解できない。「とばかり」ってなぁに?となる。その前の「はた雪」も同様。この場合の「はた」は「or」の意味だと思うのだが、やはり「はたゆき」ってなぁに?となっても不思議はない。現に、子供でないはずのワタクシも、昨夜同様の疑問を持ったものである。


霞か雲か(幸手の桜)

2023-03-29 19:19:21 | 日記

幸手市の権現堂とやらには桜のほか菜の花畑の広がりも見事だと聞き及び、いつ行くの?桜が満開の今でしょう!レポートはプータローの私の使命、しかも、場所は埼玉の東のはずれとくればウチの方向(大きく言って)。ということで、休養日を返上し(遊んでばかりなのに、そこそこ疲れていて休養日の必要性を感じる今日この頃)、現地に向け出立。

おお!風呂入んで!今回撮りたかったのは「霞か雲か」の風情の桜である。すなわち、こんな感じのもあーっとした風景である。

われわれが住む銀河系も、近くで見れば個々の星々の光に圧倒されるのだろうが、辺境にある太陽圏から中心部を見るから雲の帯のような「天の川」になる(とか、言って、私はそれを肉眼で見てない)。桜も同じであり、遠くから眺めると、写真のように「霞か雲か」になるのである。この「もあーっ」とした風景をきれいだと思うようになったのは大人になってから。「日本人」になるにはある程度の成熟が必要のようである。

実は、今回ここに来たのは、桜よりも菜の花畑をみるためであった。菜の花畑の間を縫うように通路が設けられていて、そこに入ると、昔懐かしい「田舎の香り」につつまれる。この香りを嗅いだだけで、今日来てよかったと思う田舎育ちのワタクシであった。菜の花はかなり背丈があり、カップルがそこかしこでいちゃついて写真を撮っている。その光景を「よきことかな」と大目に見るワタクシにとっては、カップルよりも映画「フィールド・オブ・ドリームズ」みたいに菜の花の間から往年の大リーガー(の霊)が出てくることを想像したものである(こないだ、どっかのアナウンサーが、この映画の話をしていて「トウモロコシ畑からお化けが出てくる」と言っていたが、Q太郎じゃあるまいし、「お化け」と言っちゃったら変である。

すぐ側には中川が流れている。

この川をずっとくだって行けば私んちである。川と言えば決して裏切らないのが

鴨。たくさんいましたねー。途中、チューリップ畑もあったとさ。

チューリップで妙に郷愁を感じるのは、小学校のとき、球根から育てたせいだろう。

近くには農産品の直売場があった。どこででも買える野菜はいい。ここだけの珍しいモノは?と思ったら、「のらほう菜」と書いた紙があったのだが、

売り切れであった。帰り道で泳いでいた鯉のぼりは、きょうび、珍しいと言えるだろうか?

子供時代、広い庭のある家は鯉のぼりを泳がせ、庭がない家は兜(かぶと)を飾っていた。ウチはもちろん兜であった。

これは珍しいだろうか?駅の公衆電話。

おお!わざわざ「ご利用できます」と書いてある。単なる飾りの可能性もあったのだな。

この日2時間で歩きを切り上げ、綾瀬ではなく六町に向かう。栄養失調気味なので美味しいものを食べようとの魂胆である。ところが、第1候補のイタリアンが閉店していた。そこで第2候補の中華に行き、昨夜のリベンジとばかりキクラゲと卵と豚肉の炒め物を注文。

おおっ!さすがお店屋さん!卵がちゃんと認識できるくらいの量!だが、豚肉はほそーいのが何本かあるだけ。この点は昨夜の自家製に軍配がある。だが、ニンジンもタケノコも入ってるし、総合的にはやはりお店屋さんになかなわない、と思いましたで御座候。


栄養失調

2023-03-29 08:27:09 | グルメ

胸に刻んだこと=酔っ払って一人で電車に乗ったときは、絶対に座らない(じゃないと、とんでもない旅をすることになる)。

栗山JAPANの若いピッチャーたちは、足が震えたり、何も覚えてないくらい緊張していたという。それであの快投。緊張しながらも結果を残す。或る阿呆のアマチュア・ムジカーの演奏もかくありたいものである。

最近、野球の西武のCMらしきものがよくかかっている。「かずお」と言うのは松井稼頭央のことか。そのようだ。今シーンズから一軍監督を務めるらしい。たしかに、CMが言ってるとおり、走攻守揃った選手だった。西部の監督と言えば、大昔、広岡達郎監督の時代があった。「肉は体に悪い」という持論を持っていた。これに怒ったのは日本ハムファイターズである。なぜ怒ったのかの説明は不要だろう。

今回のWBCのジャパンチームを見て何が頼もしかったといって、昔みたいにちまちましてないこと。ピッチャーはのきなみ速い球を投げるし、打者も特大のホームランを打つ。こういう野球なら普段も見てみたいなぁ。

球が速いと言えば、その昔、例えば江川投手は、球速表示は130~140キロ台だが、当時の打者は「見えないくらい速かった」と言っている。王選手が現役だった頃、中日に小松辰雄ってピッチャーが現れて150キロを出すので評判になり、王選手を149キロのストレートで三振にきってとったとき、翌日「149キロ」がスポーツ紙面を踊ったものだ。王選手も「小松はいいね、一番速い」と言っていた。だが、最近のピッチャーの球速は150キロ台が当たり前。不思議なのは、150キロどころか160キロの球さえバッターがバットに当てること。球速表示が変わったのか、球の質なのか(江川のボールは浮き上がったと言われる)、打者の技術が向上したのか……は分からない。因みに、江川投手は、疲労で普通なら球速が落ちるはずの9回によく150キロを出していた。

広岡元監督は肉の悪口を言ったが、私は肉は大好きである。仲良くなったドイツ人のザビーネ先生を口説かなかったのは、先生がベジタリアンだったから。そんなワタクシだが、肉を食べてる割りには最近、栄養失調な感じがする。いかにも栄養が体を回ってない感じなのだ。一人で自炊すると、どうしても食品目が少なくなる。そのせいだろうか。今、電気が走ったように思いついた。原因は卵かもしれない。かつて1パック99円で売ってたときは1日に3個食べる日もあり、「私は卵で生きながらえている」と言っていた。だが、卵の価格が高騰したため、今はせいぜい1週間に1個か2個。体調不良はそのせいかもしれぬ。このことに気がついたのは今。昨夜はまだこのことに思いが至ってなかったのだが、やはり体が卵を欲していたのだろう、キクラゲと卵(と小松菜)と豚肉の炒め物を作った。

だが、卵をけちってるので、卵の姿は控え目(黄色いのはたいてい肉である)。本当なら、卵の海にキクラゲと肉が浮かんでる、そうしたものを作りたかった。


呼び捨て

2023-03-28 09:42:50 | 言葉

弾けるかな吹けるかな歌えるかな、と思った時点でアウト。できるからやる、んじゃなくて、やると決めたら弾いて吹いて歌う。栗山監督の語録をワタクシ用にアレンジした。最近、言いたくはないが、○○のせいか、以前ほど物事をぱぱっとできなくなりがっかりすることの多い私には励みになる。ある阿呆なアマチュア・ムジカーの無節操はこれからも続く模様である。

その昔「巨人の星」で妙に印象に残ってるのは、監督コーチ陣がざくっざくっと(砂を踏む音)選手に近づくシーン。その監督コーチがいかにも運動不足の体型をしていた。美味しいモノをたくさん食べているのだろう。そうした監督コーチの上意下達が当たり前の世界こそ「巨人の星」の世界であり、私が憧れた世界であった。だが、日本が敗戦とともに民主主義を学んでガラッと変わったように、私の世界観は人権の学習とともにガラッと変わり、「巨人の星」が体現していた封建社会に反感を持つようになった。刑務所のような特別な「権力関係」の中では、囚人等の人権を制約しても構わないという考え方があるが、そのような「特別関係」が監督と選手間にもあるように感じた。野球を見なくなったのはその頃からである。だが、栗山ジャパンにはまったく違った風が吹いていた。準決勝の最後のシーンで、1塁走者に進塁の合図をするのは三塁コーチャーの仕事なのに、それを差し置いて、選手全員がベンチを飛び出して「回れ回れ」と手を回すところなど、まさに全員が主役である。

その栗山ジャパンでは、選手をファーストネームで呼ぶのが常。「しょーへー」「ゆーへー」「むね」等々。そんな中でもショーへーは大人気で、今後生まれてくる子供の多くがショーへーになりそうである。だが、ダルビッシュ選手だけは「ダル」「ダルさん」。飛び抜けて年上だからだろうか。野球OBのムネリンだけはダルビッシュを「有くん」と呼んでいた。そうか、「有」はファーストネームなんだな、とあらためて。中継アナウンサーが「ダルビッシュ有」とフルネームで呼んでいたのも目(耳)を引いた。韓国の人は名字が同じ人が多いからフルネームで呼ぶと聞いたことがあるが、ダルビッシュは名字だけで十分区別がつくだろうに。因みに、競馬の騎手で下の名前付きで呼ばれる人は、同じ名字の騎手がいる場合である。

フルネームと言えば、斎藤工と山本耕史が会話をするCMで、互いが発言の最後に相手のフルネームを付け加えている。「なんとかかんとか斎藤工」「なんとかかんとか山本耕史」って具合。これは映画「シン・ウルトラマン」を連想させるのが狙いだろうが、欧米の映画の台詞には普通にあることである。随分長い台詞だな、と思っても、実は、その最後の方は相手の名前だったりする。これは字幕ではまず訳されない。字幕は字数が決まっているからね。

日本では、名字で呼ぶときは「さん」を付けて、ファーストネイムのときは呼び捨てと相場が決まっている。犯罪の容疑者だって、テレビ等では呼び捨てにせず、「容疑者」を付けている。昔は呼び捨てだった。容疑者だけではない。裁判所に資料の閲覧に行ったときも「いーじまっ」と職員に呼び捨てされた。思わず、無礼者っと返してやりたくなった。だが、さすがに当時からこの対応はまずいと裁判所も思ったらしく、次に行ったときは同じ職員だったが今度は「さん」が付いていた。それでも口調は呼び捨てのときと変わらなかった(口元に「さんづけ」することに対する屈辱感が漂っていた)。因みに、ドイツのニュースなどでは、同じ人をいろんな呼び方で言い表すのが常であり、前首相のメルケルさんのことも、「連邦首相」等々のほか「メルケル」と呼び捨てすることもある。日本の現首相を「キシダ」と呼び捨てするようなもので、日本では飲み屋ではありえても公の場では聞かない用法である(野党の人だって、「キシダさん」くらいは言うだろう)。

 

 


ソロ会の後、2回目のタクシー

2023-03-27 13:29:00 | 音楽

箱根山の登頂寸前。

登頂!

眼下には40年以上前、毎週土曜日、室内合唱団の練習に通った建物が見える。

そう、ここは新宿。山手線内で一番高い山は人工の山。山の陰になってるせいで日当たりの悪い村を明るくするため一人が山を削り始めたら、当初あざ笑っていた村人が1人また1人と協力し始め、ある日、日の出と同時に村が朝日に照らされたって童話があった。箱根山は人が土を盛ったんだから逆である。因みに、その童話を読んで、徐々に明るくなるんじゃないのかなー、ある日突然って変だなー、と無粋な感想を持ったあまのじゃくな少年のワタクシであった。

この日、このあたりに来たのは近くでU会の特別企画・ソロ会があったから。私は、オフマンの舟歌の二重唱と、シューベルトを2曲。1曲はセレナーデをクラリネットで吹き、もう1曲は「どこへ」をカウンターテナーで歌った。舟歌はお相手のおかげでうまくいくと思ってたし、うまくいったと思う。フランス語はどどど素人なので、せめて楽譜に逐語訳を書き込んだりしてやった感満載。それに対してシューベルトは、直前までドタバタした。2曲の調を近親調にしたくて最後までどの調にしようか悩んだし、「どこへ」はピアノの六連符に四拍子の歌を乗せるのが家ではうまくいかず不安だった。フタを開けたら、心配してたリズムは、そこはさすがの某子さん(ピアノ)。ばちーっと合わせてくれて冒頭から不安は払拭。もう一つ心配してた高音もなんなく出たが、直後息が切れて言葉の途中で息継ぎをするという痛恨の失投(メジャーなら見逃さずホームランを打たれる球)。修行は続く良い妻でも……ではなく、修行は続くよいつまでも、である(このパソコンはバカか?)。ま、こういうソロ会があると練習するからね。酔い……じゃなく良い機会です(打上げで酔いもしますが)。

その打上げは、某子さん以外は男性。しかも、全員独身であることが判明。ただし、私だけは一回結婚してる。ドイツ語で家族状況を言う場合、他のメンバーは「ledig」だが私は「geschieden」である。誇らしい紀文……蒲鉾かっ……気分である(自慢になるのだろうか)。打上げの料理はなかなかであった。

尾頭つき……へー、「おかしら」って「御頭」だと思ってたが、「尾頭」だったのか、教えてくれた点はパソコン様々……だったので、その頭を正面から撮りたいと(その独身の)みんなが思うからこのお皿はぐるぐる向きを変えられた。「お頭」様もさぞや目が回ったろう。

たんまり焼酎を飲んで、みんなと別れて1人東西線に乗って目がさめたら果てしなく千葉。今年2回目のタクシーと相成り申して御座候。


のりたま

2023-03-25 09:35:16 | グルメ

「もともと楽しいものだった。でも、やってるうちに楽しさを忘れていた。大事なのは楽しくやること」。今回のWBCで言われてることだが、野球に限らず他のこと(音楽とか)にもあてはまるだろう。

ふと思う。星飛雄馬は、野球を楽しんだことがあるのだろうか。オープニングの主題歌の間も「重いコンダラ」を引きずり、「明子姉ちゃん」がそれを木陰から涙を流して見守るような悲惨な家族である。父が子に「大リーグボール養成ギブス」を強制する行為は、今なら虐待そのもの。それにしても、父・一徹が、「飛雄馬よ、あれが巨人の星じゃ」と言って指さす星は、指さすくらいだから実在するのだろうが、何の星だろう?もしM78星雲だったら、それは巨人の星ではなく、ウルトラマンの故郷である。

当時「根性」と言っていたのはスポーツだけではない。「ど根性ガエル」のピョン吉も、主題歌で「こんじょう、こんじょう、どこんじょう」と言っていた。

かように星一徹の指導法は栗山監督とは正反対であり、偉そうな訓示をしょっちゅう垂れていた……が、自身の人間性はどうなのだろう。気に入らないことがあるとモノにあたる人で、漫画の第1話で、まだ全然月賦が残ってるテレビを酔った勢いでたたき壊していた。そう言えば、今回のWBCで、トラウトをうち取った大谷選手は、帽子を地面に叩きつけていたが、テレビと違って帽子は壊れないからよい(モノにあたる場合は、壊れないモノにあたるべきである)。

だが、星一徹は、子供の食にはお金を惜しまなかった。日雇いの仕事で特別な実入りがあると、それを一家の食費に充てていた。ということで、ワタクシの食の話である。ワタクシは、1パック99円で買ってたときは、栄養のほとんどを卵から摂取していたと言っても過言では無く、朝昼晩と一日3個食べていたこともある。だが、1パック300円くらいになって状況が変わった。もはや卵は高級品であり、滅多に口にすることがなくなった(あさイチで、「どこのご家庭にもある卵」と言っていて、嘘つけと思った(「嘘つけ」と言われたら「だからついてる」と言い返せばよい))。戦後すぐの頃はまさに卵は高級品。その時代に戻ったようである。

さればでござる。当時、たんぱく質不足の日本人の栄養補給のために考案された、商品名を言えないNHKが言うところの「ノリと卵のふりかけ」、すなわち「のりたま」こそ現代の救世主ではないか。ということで、早速スーパーに行ってのりたまを購入。

お代は99円也。おお、以前の卵の1パックと同じだ。ということは、この28gを10回に分けて使って、始めて99円の卵と同様の経済効果を得られることになる。ふりかけ過ぎには気をつけよう。

因みに、子供の頃辛酸を舐めた明子姉ちゃんは、花形満と結婚して社長夫人となり、日々、着物を着て過ごすようになった。着付けとかどうするんだろう、なんだか大変そう、と思ったワタクシである。

なお、「コンダラ」というものはありませんから。念のため(と書きつつググってみたら、なんと、既に言葉として定着している模様。「巨人の星」による誤解から広まった、ということである)。

 


決勝戦のオルガン

2023-03-24 09:21:36 | 音楽

ヌートバー選手が、試合前に組んだ円陣で、「サイコーっ」と叫んでいて、「最高」と言ってるんだと思ったら「さ、行こう!」だった。

ワイドショーで、長嶋一茂さんが、「栗山監督は選手ファーストだった。栗山監督以外の人に『ファースト』と言ってほしくない」と言っていたが、これはどこかの知事への当てこすりだろうか?

最年長のダルビッシュ投手は、決起大会を開いて若い選手をまとめあげたんだそうだ。焼肉屋だったそうだ。若い選手はものすごく食べるから支払いもすごかったそうだ。関係者が2000万円と言っていたが、この発言は受け狙いの出任せっぽかった。しかし、かりに2000万円が事実でも、ダルビッシュさんの何十億の年俸からすれば、年収500万円の人が5万円出すようなものだから全然アリである。若い選手が「ダルさん、大好き」と言ってたから、若い胃袋をがっちりつかんだのは確かである。いや、お金云々ではなく、今回、ダルビッシュさんは、自分の調整を二の次にして若い選手を指導していたらしい。長身のイケメンは性格が悪くなくてはならないのに(でなければバランスがとれない)、こんなにいい人なんて反則である。

決勝戦の最後のシーン、すなわち、大谷投手とトラウト選手の対戦のシーンで、球場のオルガンが厳かに♪レーと鳴った。これにファ♯とラが合わさってニ長調の和音になるのかと思ったらさにあらず、シ♭とファが合わさって変ロ長調!さらに、♪ミーと鳴って、これにソ♯とシが合わさってホ長調の和音になるのかと思ったらさにあらず、ドとソが合わさってハ長調!第3音が主導する三和音は、大谷選手のセーフティバントのように意表をつき、かつ、厳粛な雰囲気を演出しておりました。

選手・コーチはチャーター機で帰国。その機種はボーイング787だそうだ。カンニング竹山がテレビで言っていた。この人は、飛行機マニアだそうだ。野球ファンでもあるそうで、いろいろ語っていた。競馬ファンであることは前から知っている。結構、お坊ちゃまであらせられたらしく、ららら♪クラシックでヴァイオリンを弾いたこともあった。そう言えば、数日前の神田川の源流下りで新宿近くになるとやたらと飛行機が飛んで来たことは書いた。飛んでくるごとに写真を撮ったのだが、あらためて見てみたらみんな同じ機種。ボーイング787のようだ。

こないだアップしたのとは別の1枚で、角度が異なる。

 

 


バッハはお一人様の愉しみ!

2023-03-23 08:44:33 | 音楽

このところ、食べ物屋さんにはお一人様で入る。1人でも洋食んときはワイン1本、中華んときは紹興酒を1本頼むからそれなりに飲んでるが悪酔いしたことはない。注文した品が出てくるまでキンドルで読書する時間が至福の時である。♪Das Restaurant ist des Alleines Lust!(食べ物屋さんはお一人様の愉しみ!)なお、居酒屋にはいかない。あそこは、異性をくどいたり、くどくための下地を作ったりする場所である。私には必要のない場所である。

このところ、ウォーキングはお一人様でする。私の歩きは大股かつ高速。およそ散歩には程遠く、「そんなに急いでどこにいく」風、まさにドイツ人のWandernである。♪Das Wandern ist des Alleines Lust!(歩きはお一人様の愉しみ!)なお、世間様では、街でも山でも高齢の夫婦が連れ立ってちんたら歩いている。そういう夫婦を見て、今でこそこうやって仲よさそうにしているが、かつて夫か妻のどっちかが浮気をして修羅場だったんだろうな、と思うからちっともうらやましくないワタクシである。

ピアノは一人でできても、さすがにヴァイオリンやチェロは一人でできない、少なくてもピアノ伴奏が必要だろうって?いやいや、ここにもお一人様に心強い味方がいる。

バッハはヴァイオリンとチェロ用に無伴奏のパルティータや組曲を書いていて、その中のできそうなヤツを選んでそればっかり練習すれば十分愉しい。そう言えば、昔、クラリネットでもお一人様を試みて、写真の曲(無伴奏チェロ組曲)を移調して練習したことがある。♪Bach ist des Alleines Lust!(バッハはお一人様の愉しみ!)だが、ある程度できるようになったら、仕上げに人前で弾きたくなるかもしれない。スタジオを借りて一人で弾いて録画してYoutubeにあげるという手がある。グレン・グールド(ピアノ)やビートルズはある時期からライブを止めてスタジオにこもるようになった。だが、カルロス・クライバーはレコード録音を嫌っていた。カール・ベームもレコードより生の方がはるかによかった。

因みに、上記の「♪……」は、シューベルトの「美しい水車屋の娘」の♪Das Wandern ist des Müllers Lust(Wandernは粉屋の愉しみ)の替え歌である。「des Alleines」は「Der Alleine」(男のお一人様)の変化形であり、「Der Alleine」は「独り」を意味する形容詞「allein」を名詞化させたものであり、私の発明である。


シャンパン飲みたい

2023-03-22 13:26:04 | 日記

最後の大谷投手と相手打者の対決のとき、半世紀以上前の大鵬対玉乃島の一番を思い出した(ドキドキした、ということ)。それにしても、かつて日本人はプレッシャーに弱く、期待されてもここ一番で実力を発揮できなかったものだが、いつからか、大一番で見事に結果を残すようになった。人種が変わったのだろうか。

身長は間違いなく高くなった。その昔、王選手がプロ野球の魅力について「大男が投げて打つところ」と言っていたが、その王選手は177センチ。今からみれば「大男」と言うほどではない。現在の大谷選手やダルビッシュ選手こそ大男である。だが、そういう選手ばかりではない。吉田選手などは172センチだから、王選手の時代でも大きくない(私よりは大きいが)。それでも大活躍である。

特にピッチャーの多くが長身だし、スリムである。そんな長身から速球をポンポン投げ込むからテンポがいい。昔は投球の間の間合いが長く、将棋の長考のようだった。外国メディアから「スモウ・レスラーのよう」と言われたピッチャーもいた。

だが、速いからよい、というわけでもないらしく、日本は予選でチェコの投手の緩い球にてこずった。そう言えば、ヤクルトが初優勝したときヤクルトの選手が、相手ピッチャーがベロを出しながら投げる緩い球をなかなか打てず悔しかったと言っていた。ホントにベロを出したかどうは知らない(遅いボールでおちょくられたことを比喩的に言ったのかもしれない)。因みに、猫はときどきベロをしまい忘れるし、馬はときどきベロをべろんべろん出しながら走る。その軟投型投手は、若い頃は剛速球を投げていて、仇名は「悪太郎」。後に監督になった。「悪太郎」でも監督になるんだなー、と思ったものである。監督と言えば、今回の栗山監督は、選手が明るく溌剌としている反面、頬がこけちゃっていかにもお疲れ様だった。優勝後も、グラウンドで選手一人一人にねぎらいの言葉をかけていた(昔の監督と選手の関係とは大違い。昔は偉そうな監督が選手を叱りつけ、選手には悲壮感が漂っていた)。

今回のアメリカチームの3番打者は「ゴールドシュミット」。明らかにドイツ語由来の名前である。綴りも「Goldschmidt」でドイツ語そのもの。「金」「鍛冶」の意味で、ご先祖は金細工師だったのかもしれない。因みに、このお名前の人がアメリカに行くと「ゴールドスミス」になるのが普通だが、「gold」こそ「ゴルト」ではなく「ゴールド」と読ませてるが、下半分が「シュミット」のままである点が面白いと思った。なお、ジェリー・ゴールドスミスは、「スタートレック」の音楽を書いた作曲家である。

野球中継の間のCMで、大谷選手のことなのだろう、「二刀流が無理だと言われたことは数え切れないが、二刀流が無理だと思ったことはない」と言っていた。いい言葉だ。自分を信じることの大切さが表れていて感動した。別のCMでは、「時代」と「スマホ代」で韻を踏んでいて感動した。

勝つチームがあれば負けるチームがある。ライオンがヌーの狩りに成功すればライオンは笑うがヌーは泣く(表情筋がないから笑わないという噂もある)。ヌートバー選手が登場するときのヌーイングでアフリカのヌーの群れのことを思ったワタクシである。そう言えば、グラウンドでヌートバー選手がインタビューに応じてたとき傍らにご両親がいた。父母同伴のインタビューを見たのは初めてである。ヌートバー母は今や有名人である。

シャンパンかけに使ったのは本物のシャンパンなのだろうか(日本では、スパークリングワイン全般を「シャンペン」ということがあるが、本物のシャンパンとは、シャンパーニュ地方で決められた製法で作ったモノのみである)。本物のシャンパンは高価だから、それを飲まずに人にかけてしまうのはいかにももったいない……とか書いてたらシャンパンが飲みたくなった。もちろん本物を、である。とか言いながら、実際買う段になると、同じ製法で作ったスペインのCAVAでもいいや、となりそうなワタクシである。


野球盤

2023-03-21 14:24:28 | 言葉

絵に描いたような、まるで筋書きがあるかのような逆転サヨラナ劇。その瞬間、胸がバクバク。こういうとき血圧を測れば高いに違いない。計る。朝より20ポイント高い。逆に、血がかよってないなぁと思うときは低い。WBCの試合よりよっぽど予測可能なのが血圧である。以下、私なりの感想文。みなさんと喜びを共にするようなことは決して書かない。私は孤高の人である。

メキシコのレフトは上手かった。ホームランをもつかみ取った。普通ならそういうとき「取った」ってアピールをするものだが、どや顔での仁王立ち。だから、その瞬間ホームランだかアウトだか分からずはっきりしてよと思ったが(解説の大魔神も同じことを言っていた)、あれが、メキシコチームの決めポーズで(日本チームのペッパーミルポーズに相当する)、その「源流」が当該選手であったことに後から気づいた(ごめんね、すぐ分かってあげられなくて)。

中継のアナウンサーが「ゲッツー」と言うのを聞いて、半世紀以上ずーっと聞きかつ言い続けてきたこの和製日本語(多分)の正体に初めて気づいた気がする。すなわち、「get two」=「(同時に)二つアウトを取る」という意味だと思ったのだがどうだろう(主語がないのが気になるところ)。なお、守備位置の「ショート」については、だいぶ前、長嶋監督が「ショート」と言わずにいつも「ショート・ストップ」と言っていたので、なるほど、内野と外野の間にいて、外野に抜けそうな球を「短く」止めるから「ショート」なのだな、と勝手にガッテンしている。今日の試合でも、選手によって大きく守備位置が変わっていたが、考えてみれば、右打者のとき二三塁間にショートがいるなら左打者のときは一二塁間にショートがいるのが道理である。

一度調子が上がりかけていた神様(村上様)が再び不調のどん底。大事な場面で代打が送られると思ったら監督はそのまま打たせて見事蘇らせた。大した監督である(この点は、図らずも人々と共感できてしまうか?)。因みに、アナウンサーが「4番打者・村上」と言っていて、あれ?神様は今日は5番だけど?「普段4番を打っている」という意味なのか、「最高のバッター=4番打者」という形容詞として使ったのか、それとも単に間違ったのかは不明である。なお、ブログに書き間違えることについてこのアナウンサーの比ではないワタクシは、先日「WBC」を「MBC」と書いてしまったが、よく見てみたまえ!「W」をひっくり返すと「M」である。それが過ちの理由であるというのが私自身の見立てである。

てなことを思いながらテレビ中継を見てたらニュース速報。岸田さんがウクライナを電撃訪問するという。大事件なのに、WBCと重なっちゃってインパクトが下がってしまった……と思ったらそうでもないらしく、みんなが固唾を呑んで野球を見てる最中の速報だったから、よりインパクトが強まったというのがネット民の意見だそうだ。

多くのにわかファンが日本を応援している。私も最近野球をあまり見ないからにわかファンには違いないが、それでも、子供の頃は野球大好き少年で、ラジオで試合を聞きながら本屋さんで買ったスコアブックをつけてたし、誕生日兼クリスマスのプレゼントとして親にリクエストしたのは野球盤だった(「巨人の星」の影響で「消える魔球」のしかけが付く前である)。

おまけ。昨日の神田川源流下り旅の記事んとき載せなかった写真を二枚。生物の鳥と、

人工の鳥である。

生物の鳥は小鳥。恩田川にもいた。なんて鳥だろう?全般に青っぽくて、頭が黒くて顔が白い。人工の鳥は、新宿近くの上空に次から次へと現れた。羽田に着陸する便のルートになってるのだろうか。既報の通り、今回の旅は目的地の高田馬場の手前の東中野でリタイアしたから、次回は東中野から始めて隅田川との合流地点まで歩きたいと思っている(いったいなぜそれほどまでに歩くのかと聞かれれば(誰も聞かないけれども)、そこに道があるからさ、と答える)。


神田川の源流を下る

2023-03-20 18:17:42 | 日記

桜の開花から1週間。これからが見頃。しかも今週後半は天気が悪いという。なら今でしょう。どうせなら、花見企画にこれまで温めてきた企画=神田川の源流下りを合体させよう。ということで、スタートは井の頭公園。

まさに見頃だったが、これが旅の目的ではない。公園の端っこからこの池の水が漏れ出していて、それが神田川の源流である。

この後、しばらくは小川(Bach又はBächlein)の風情だが、

すぐに、規模は小さいながらも両岸をコンクリートで固めた「都会の川」の顔を見せるようになる(生まれたばかりのカマキリは、超ミニでもカマキリの形をしてるのと同じである)。

隣を走ってるのは京王井の頭線。しばらく、神田川はこの路線と旅を共にする。川岸にもところどころ桜が植えられていて、場所によっては既に見頃。

さらに、川であるから、おなじみの面々が勢揃い。日本はカモだらけ?と思うくらいカモはどこにもいるし、

サギだっている。

ピシャピシャすごい音がするからなんだと思ったら、浅瀬を鯉が登る音だった。

さて。このまま井の頭線と並行してると渋谷に行ってしまう。と思ったら、永福町のあたりで北に向きを変え、井の頭線と交叉。

ちょうど上り電車と下り電車がすれ違うところだった(同じ井の頭線なのに緑とオレンジで色違い。しかもさっきのは青だった。これは「レインボーカラー」と言って、井の頭線のウリらしい)。その後、しばらく行ったところで善福寺川と合流。

下流から上流を見た図。右が善福寺川で左が神田川である。予期しなかった合流シーンに高鳴るわが胸。この後、だんだん都会っぽくなっていき、目の前に副都心のビル群が見えてきた。

このまままっすぐ行くと都庁にぶつかるところだが、途中で再び北に進路を変え、向かう先は東中野。おー!合唱団の練習でよくいくところだ。実は、この時点で既に2万5000歩、時間にして4時間半歩いている。当初の目標は山手線にぶつかるところまで、すなわち、高田馬場まで行くことだったが、無理は禁物。大リーグだって球数制限がある。ということで、東中野から練習場に行く途中の神田川を渡る橋、そこを今回の目標に切り替え、到着。またもや目の前を電車が走る。

電車の色が違うのは、今度は路線の違いである。すなわち、総武線と中央線がすれ違ったのである。振り返って上流側を見ると、このあたりも見事な咲きぶり。

因みに、2週間前はこんなんだった。

よし!これで今年の花見はおしまい。今日もよく歩きましたとさ!井の頭公園その他一部を除き、人はまばら。寂しくて素敵な小旅でありました。

おまけ。途中で、橋を撤去する工事をやっていて、巨大な重機が目を引いた。

NHKで重機の特集をときどきしている。一定数の重機マニアが存在するらしい。私のお友達にはいるだろうか?


恋敵

2023-03-20 08:21:20 | 言葉

昨夜の「独り寂しく呑もう会」……独りだから「会」ではない……は綾瀬駅前。

この店の回鍋肉の隠し味は多分味噌だ。ところで、メニューには北京ダックを「鴨料理の頂点」と書いてある。え?ダック=あひるが鴨?オー、フロインデ!(おう、友よ!)そうであった。あひるとは家畜化したマガモなのだそうだ。え?友らはみんな知ってた?

店を出て、まだ北綾瀬行き電車が十分ある時間帯だったが、先日タクシーに乗った罪滅ぼし(?)に綾瀬から歩いた。これで歩数1万歩、消費カロリーは400キロカロリーである。

(佐賀の町で立派なお屋敷を構えていた)池田コーエモンさんには一回りも下の奥さんがいらっしゃった……ブラタモリで案内役を務めた方の解説である。タモリさんは、「なんで幕末の人の家庭のことを知ってるの?」と突っ込んでいたが、私は「一回りも」の「も」に突っ込みをいれたい。一回りといったら12歳。いまどき「歳の差」に入らない。「新婚さんいらっしゃい」だって、この程度ではお客さんはびっくりしない。まあ、カトちゃんとこみたいに31歳差となれば多少離れてると言えなくもないが。たしかに、鉄人28号に出てくる博士は敷島博士なんだよね、と言って話が通じないと寂しい気がするかもしれないが、だったらバッハの話をすればよい。バッハの時代からの時間を考えれば12年など「瞬時」(augenblicklich)である。ましてや、マショーのノートルダム・ミサからすれば12年は誤差の範囲である。

英語でも形容詞に「the」を付けると名詞になる。先日、ブログに書いたドイツ語の「Der Richtige」(相応しいお相手)も、それと同様の形容詞の名詞化である。もし、お相手が女性なら「Die Richtige」になる。因みに、「カラマーゾフの兄弟」をドイツ語訳で読んでいて、「Der Frühere」ってぇのが出てきた。形容詞「früh」(早い)の比較級の名詞化であり、その文脈においては、兄弟の一番上のドミートリーの恋人グルーシェンカが以前付き合っていた彼氏のこと。私が日本語に訳すなら「元彼」とするだろう。

外国語の書物を読んでると、分からない単語だらけ。いちいち辞書をひいてたら日が暮れる(夜読んでれば朝になる)。だから大事なのは想像力である。日本人は完璧主義者が多いから、ドイツ語学校の生徒の多くがドイツ人と会話をしててヒアリングができないと言って嘆いている。だが、日本人同志で日本語で話してたって意味がちゃんと通じてるとは限らない。こっちが真剣に心情を吐露したときに限って相手は聞いてない。特に、やかましい居酒屋だとそもそも話が聞こえない。かく言うワタクシも、飲むたんびに某氏に「どこにお住まい?」と聞いていたらしく、とうとうぶち切れた某氏に「イージマさん、これで7回目ですよ」と言われて、そのとき初めて彼の住所が長期記憶神経野に保存されたものである。話を戻す。だから、外国語の習得で大切なのは想像力だと思うのである。だが、そうすると、間違った解釈をしたため話がまったく分からなくなることもある。例えば、前記の「カラマーゾフの兄弟」で「Nebenbuhler」って言葉が出てきて、直訳すると「隣の」「恋人」という意味なのだが、こんな言葉習ったことない、いいや、読み飛ばしちまえ、どうせ1回きりでもう出てこないだろう、と思ったら何度もしつこく出てきて、これがキーワードになっていて、無視するわけにいかなくなり、辞書をひいてみると「恋敵」であった。なるほど、この小説においてはまさしく「キーワード」である。因みに、誰と誰とが恋敵かと言うと、前記の長男ドミートリーと父親のフョードル。おっ、もし、フョードルが息子に勝ってグルーシェンカと結ばれていれば歳の差は30歳くらいである(話がつながって嬉しくて免疫が出まくっているワタクシ)。

因みに、「恋敵」で思い出すのはオペラ「アイーダ」。王女アムネリスに「あなたは私の恋敵(リヴァーレ(ライヴァル))」と言われて、「受けて立ちましょう」と言った直後に「許して下さい」と懇願する変わり身の早いアイーダであった(会田さんのことではない)。


タクシーに乗ってしまった

2023-03-19 08:24:51 | 音楽

昨夜のブラタモリで、タモリさんがブラブラしたのは佐賀。これまでの私の佐賀のイメージは、芸人のハニワさんの自虐的な歌と、おしん(亭主の実家でおしんがひどい目に遭った)で作られていたが(あ、あと、有明海の干潟のむつごろうも)、街中を巡る水路は圧巻。明治維新当時は、日本一の軍事力を保有していたんだと。だから、薩長土肥の一翼だったわけで、その中で藩名がそのまま県名になったのは佐賀だけである(肥前藩は佐賀藩の別名である)。日本国内は岡山以西は行ったことのない私であるから、当然佐賀は未訪問。行ってみたい場所である(あと、母の故郷である和歌山も行ってみたい)。

佐賀は、「カノン砲」をいち早く取り入れた藩だという。「カノン砲」という名称は、同意反復であり、「オペラ作品」と言うに等しいと思ったが(「オペラ」はもともと「歌劇」の意味ではなく、「作品」の意味である)、調べてみると、当初は「カノン」に「加農」を当ててそう読んでいたのだが、それだと大砲だかなんだか分からないので「砲」をくっつけたそうだ。それよりも、輪唱のこともカノンというが、それとの関係が疑問である。ずどん、ずどんと繰り返し撃つところが輪唱と共通だから?とか思ったが、英語だと大砲が「cannon」で輪唱が「canon」。ドイツ語だと大砲が「Kanone」で輪唱は「Kanon」。しかも、前者は女性名詞で後者は男性名詞。たまたま日本でカタカナにすると同じだが、関係はなさそうである(というのが今朝時点での結論である)。

行ったことがない、と言えば「死ぬまでに一度行っておけ」と言われるイタリアのナポリも未体験。それどこではない。こないだテレビでサレルノのことを紹介していて、ナポリの近くだという。私は、ナポリは長靴の右側(東海岸)だとばかり思っていて、え?サレルノは西海岸でしょ?なんで近いの?伊豆半島の東海岸からバスで結構短時間で西海岸に渡れるみたいに、イタリア半島も結構細いの?とか思ったら、ナポリは西海岸であった。因みに、伊豆半島よりもっと狭い三浦半島を今度横須賀から山を越して逗子あたりまで歩くことを計画している。

そのサレルノは医学が盛んらしく、サレルノ養生訓というのが残っていて、健康を保つ三つの秘訣は「ワイン」「恋人」「入浴」なのだそうだ(ワタクシは、二つ目はいないし、三つ目も燃料代の高騰により控え目である。だから、残ったのはワインだけ。私に残された最後の友はワインである)。だが、この三つもやりすぎは禁物だそうだ(「恋人のやり過ぎ」とは「恋人との情事のやり過ぎによる肉体的疲労」であろうか、「愛憎関係のもつれによる精神的ストレス」だろうか)。何事も過ぎたるは及ばざるがごとし。実は、最近の私の一番の健康法であった「Wandern(ウォーキング)」も少々やりすぎの感があって、体重が4kg減。今週も、恩田川沿いを4万歩歩いた先週の疲労が今頃出てきてばてばて。だから、A合唱団の練習で、長く伸ばす二つの音の二つ目をさぼったら指導のピアニスト様が「あっ、二つ目の音が急に小さくなった」と仰って原因究明の捜索が始まりそうだったので早々に「私がやりました」と自首。すると「この後、ワインを飲んでエネルギーを補充するんだから、今はがんばって出せ!」とのご命令。がんばりまして、その後、予定通りエネルギーを補充し、いつものように綾瀬駅で乗り過ごして気がついたら隣駅の亀有。さあ、ここからでござる。綾瀬から歩けるくらいだから、亀有からだって十分歩いて帰れるはず。ところが、疲労困憊でもはや歩く体力は残っておらずタクシー乗り場に。あーあ、乗っちゃった。屈辱の「今年のタクシー初乗り」となってしまった一夜でありました。


時が経つのは早い

2023-03-18 14:51:05 | 音楽

小林聡美がCMで「おばあちゃん」と呼ばれていてびっくり。小林聡美がおばあちゃんだったら私などはひいおじいちゃんだ、と憤慨したが、ま、50代でも孫がいて孫から「おばあちゃん」と呼ばれるのならやむかたない。How time flies! 因みに、小林聡美が主演した「かもめ食堂」は、日本人女性が1人でフィンランドで食堂を開く話で、チコちゃんに怒られるくらいぼーっとしたテンポで私は好きである。

そう言えば、WBCのイタリアチームの監督はピアザ。大リーグで野茂投手の女房役だった人である(女房役=キャッチャー)。イタリア系なのは知っていた。そうか、それでイタリアの監督か!Die Zeit fliegt!(英語と違い、「How」に相当する「wie」はいらない)因みに、「ピアザ」は「Piazza」だからイタリアでの発音は「ピアッツァ」。「広場」の意味である。「Piazza」から一字をとれば「Pizza」。英語でもドイツ語でもピザの綴りは「Pizza」。ピザの本家イタリアの面目躍如である。

「時の経つのは早い」と言えば「時をかける少女」って映画があった……って何度も映像化されているが私が言うのは大林監督の映画である。原田知世がヒロインだった。原田知世が生まれたのはこの映画の原作本が世に出たのと同じ1967年。小林聡美は1965年生まれだから2人は同年代。だから、小林聡美がおばあちゃんなら原田知世も、ってことになる。Il tempo corre!

「時をかける少女」が高校生ならうまく話がつながったのだが、中学3年生だった。だが、無理矢理つなげよう。甲子園の高校野球の話である。開会式を見てたら、選手宣誓が、やたら怒鳴りまくって何を言ってんだかわかんなかった昔と違い、落ち着いて話していて、内容を相手に伝えようという気持ちが伝わった。時代は変わったものである……が、中には、入場行進のときやたらと手を高くあげる高校もあった。どこかで見たと思ったら、映画「うなぎ」での役所広司の歩き方である。服役時代の癖が抜けない、という設定だった。あと、北のかの国の軍隊の行進にも似てると思った。因みに、「経験者」がネットで話されていたのだが、刑務所では、お風呂は3日に1回だそうである。へー。ガス代の高騰で「娑婆」もあまり変わらない状況になってきている。場合によると、刑務所の方が待遇が良いかもしれない、だったらわざと罪を犯して刑務所に入ろうと思ってもそうは問屋は卸さない。例えば、あるお年寄りが刑務所に入ろうと思って、交番の近くで車上荒らしをやり、その足で交番に自首したっていう事件があった。だが、当該お年寄りは窃盗罪にはならなかった。なぜなら、窃盗罪が成立するためには「不法領得の意思」が必要であり、刑務所に入るために犯した場合はその意思がないからである(実話である)。だが、罪にはならなくても、民事で被害者から損害賠償を請求される可能性はある。なら、被害者が存在しない罪、と言うと、なかなかない。真夜中の人のいない公園で全裸になるくらいか。実際、それをやって公然わいせつ罪でとっつかまったアイドルがいた。当時の知事さんが、「まあ、裸になりたいときもあるよな」と言ったっけ。私は、この知事さんをまったく支持していなかったのだが、このときだけは、ちょっと見直したものである(因みに、当該知事さんは、アイドルを逮捕した警察を統括する立場であった)。