今日の教訓=見切り品の野菜は買ってすぐに食べるべし。でなければすぐに溶けてどろどろになる。「猫は固体であり液体である」という仮説がイグノーベル賞をとったとCMが言ってるが、野菜はホントに液体になる。
「江戸川橋」は、江戸川にかかってるわけでもないのに、江戸川区でもないのに、そう呼ばれているのは奇っ怪である。その江戸川橋あたりの神田川は、以前は、小川(Bach又はBächlein)だなー、と思ってたが、
神田川の源流を見てきた今の目からすれば大河である。
また文章が長くなりそうな予感。長い文章の間に3文字をはさむとアクセントになると誰かが言ってたから、最初に思いついた3文字を書いてみよう。
おかま
因みに、高校の古文で習った中世言葉で唯一覚えているのは「あなかま」。「うるさい」という意味。そう言えば、現代語で「うるさい」を「かまびすしい」という。この「かま」は「あなかま」の「かま」である、というのが現在の私の理解である。「おかま」の「かま」とは関係がなさそうである。
朝ドラは今日が実質的な最終回であった。ヒロインがパイロットになる夢をあきらためときは、多くの人と同様、私も「なぜ?」と思いながら、ソニーの大賀元社長のことを思ったりもした。大賀氏は芸大で学んだバリトンの逸材であったが、オーディオにも詳しく、その縁で、声楽家ではなくソニーの社員の道を選び、社長に上り詰めた。カラヤンと大の仲良しで、カラヤンが亡くなった日もカラヤンと一緒だった。ソニーが開発したCDの収録時間は、当初の予定では1時間のはずが、カラヤンの第九を1枚に収めるため、1時間余りにしたものである。カラヤンと会話している様子を映像で見たことがあるが、本当に仲良さげで、カラヤンが「新しい車は瞬時に何キロ出る」と自慢すると、大賀氏は「え~、何キロ~」と大層驚いて見せる。ますますご機嫌なカラヤンであった。そんな大賀氏が、晩年、オーケストラの指揮をしたというニュースを見た。舞ちゃんも、今日の放送で、パイロット・デビューを果たした。夢がかないました、というお話であった。因みに、一度でもオーケストラの指揮をしたいと思ったら、総理大臣になるのも手である。羽田孜元首相がその例である(マイスタージンガーの前奏曲を振っていた)。落語家になるのも手である。小朝師匠がその例である(こうもり序曲を振っていた。どことなく棒の感じがカルロス・クライバーっぽかった)。
ちょっと前の放送に戻るが(朝ドラのこと)、スランプに陥ったヒロインの夫が「舞ちゃん、話がある」と切り出したとき、私の脳裏をかすめたのは「りこん」の3文字(漢字なら2文字)。朝ドラと言って侮るなかれ。かつて、同様の展開でヒロインが別れたことがある(「ふたりっこ」「半分、青い」)。だが、今作はほのぼの路線だから離婚はなさそう。実際、二人は別れることなく、夫は独りでパリに旅立った(このパターンもかつてあった。「あぐり」の2番目の夫(演:高嶋政伸)がそうだった)。だが、世帯を別々に構える、しかも一方が外国となると、普通は経済的に無理。夫はそんなに印税で儲けていたのだろうか。そのパリからいきなり帰ってきたのには舞ちゃんならずとも驚いた。「ちょっちゃん」の夫(演:世良公則)がシベリアから帰ってきたのが突然だったのは時代からして当然だが、令和の今なら事前に連絡くらいできたろうに。
昨夜、パレストリーナのミサを歌った後、久しぶりに中華ではなく5文字のお店に行き、もっと久しぶりにそこでデカンタの赤ではなく、瓶詰めのランブルスコを飲んだ。
グリーンピースに今では高価でなかなか手の出ない卵が丸々入っていて感動した。帰り道の夜空には月が光ってた。
このくらいを半月と言うのだろうか。