拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

第九のこと

2016-10-31 11:19:28 | 音楽
第九だって好きだ。初めて聴いたのは小学生のとき音楽室で聴いたレコードで、例の第四楽章のおどろおどろしいファンファーレを聴いて、あっ、CMでやってた曲だと思って興味を持ったのが最初だった。初めて小遣いで買ったレコードも第九だった。ためたお金が900円ちょっとで、千円盤(当時の廉価版)が買えなくて、そしたら「グロリアシリーズ」という900円の廉価版があって、その中の第九を買ったのだった(ベーム&ウィーンのシンフォニカの方)。因みに、当時わが家にレコードの再生機はなかった。だから買ったはいいが聴くことができず、もっぱらスコア(電車で伊勢佐木町のハマ楽器まで行って買った)を読んで、頭の中で再生していた。そんな大好きな第九だが、がなりたてる合唱は苦手。趣味のせいもあるだろう。これが大学でグリーとかソーコンとかに入ってたら別だったかもしれないが、入ったところはルネサンス&バロック専門の合唱団だった。それに、がなって音程がはちゃめちゃだと曲の真価だって伝わらない(作曲者と曲に気の毒)。第九がきらいという人が結構いるが(特に古楽愛好家の中に。私の出身大学では私の在学当時2年に一度全学が集まって第九を演奏していて、私んときは、チャンスは2年生と4年生のときだったが、2年生のときは先輩たちが「僕らには合わない」と言って参加を辞退してしまった。4年生のときはしっかり参加して「第九を歌った」という経験をかろうじて手に入れた。そのときの指揮者は炎のコバケンだった。長い括弧はここまで)、そういう雑な演奏がはびこってるせいもあると思う。その象徴は最後のプレストの直前、ソリストがゆったりと四重唱を聴かせる部分、まあ、音が決まらないことの多いこと(当ブログでも何度か記事にした)。音が高いせいもある。ソプラノは高いシを出して(ロ長調)、ファ♯に降りてニ長調で終わるのだが、多くの場合、無調音楽になる。それでも最近は古楽器の演奏家が第九をやるようになって状況は少し変わってきた。私は、なんでもかんでもピリオド演奏でちまちまやるのがいいとは思わないが、少なくともソロや合唱が透明な声で音程がばちっと決まるのは心地よい。さて、突然ですが、カラヤンの第九の見分け方(すぐ分かる)。第四楽章のファンファーレがとっても速く、切れ切れのトランペット(ラーーー、ララレレッ、ララレレッ、ララレレッ、ララレレレレレレレレレレレレレレッラッ)ばかりが目立つ。そして二回目のファンファーレ(弦が入る)が鳴って例のバリトン独唱が入るとこ、楽譜には休符があるのに、……ジャンッ「オ、フロー」といきなり入る。歌手が変わっても同じだからカラヤンの指示なのだろう。いつも不思議に思う。

愛の二重唱(1:43:15あたりから)

2016-10-30 11:38:04 | 音楽

10代の私にとって、愛の二重唱といえば、椿姫でもオテロでもボエームでもバタフライでもなく、フィデリオ(ベートーヴェン)だった。地下牢で危機一髪の夫を妻が助けた直後に二人で歌う二重唱。客観的にみれば器楽的だし、ごつごつしてる。アマデウス(映画)に出てくるイタリア人音楽家なら「これが愛の二重唱?」と鼻で笑うだろう。しかも、中間部でお互いの名前を呼び合うところなんざあまりにベタで赤面もの(韓流ドラマも真っ青)。モーツァルトのオペラに出てくる欺し合いをするカップルとはえらい違いだ。ベートーヴェンは、やはりというか、コシ・ファン・トゥッテの不道徳さには我慢がならなかったそうな。でも純朴な青年だった私にはこれがとてつもなく色っぽかった。色っぽい、色っぽいと騒いでた。そんなくらいだから当時はまったくもてなかった(って原因は他だろうに)。時代は移り、純朴さのかけらもないおじさん(自分で言うのはよい)になった今(もてなさ加減は変わらず)、モーツァルトはもちろん、古楽もロマン派も、ヴァーグナーもイタリアオペラもなんでも好んで聴くが、いまだにベートーヴェンは、そしてこのオペラは大の好物。リンクしたこの演奏こそ、10代のときの愛聴盤。ベーム(わ、若い)&ウィーン国立歌劇場の1944年の録音(戦火が激しくなる中、緊張の中での録音だったそうな)。二重唱は1:43:15あたりから。レオノーレはヒルデ・コネツニ。貧弱な録音が逆に迫力を生み出している。序曲レオノーレ第3番のすさまじいことといったら。

なんとかジペプチド

2016-10-30 11:24:20 | グルメ

胸肉大はやり。なんとかペプチドという疲労回復物質が多く含まれてるそうだ。付けると胸肉が柔らかくなるという粉のCMも流れてる。売場のどこに置いてあるかをチェックしたが、それがなくても圧力鍋で30分煮れば十分柔らかくなる。ということでトマト煮(トマト缶の残りの有効活用)。うーん、柔らかくはなったけどぱさぱさ感は残る。中に梅をはさんで焼いた時の方が旨かった。で、残ったスープはいつものように容器に入れて冷蔵庫。ところで、この日併せたパスタが不思議なほど香ばしい。煮てる間、芳香が漂う。トマト煮に入れたオレガノ?と思ったがパスタからだった。普通のデュラム・セモリナなんだけどどこが違うんだろう。

ベートーヴェンの戦争交響曲

2016-10-29 11:09:13 | 音楽
ベートーヴェンの「ウェリントンの勝利」(戦争交響曲)と聞くと、音楽ファンは口を揃えて「あー、あの駄作ね」としたり顔でいう。私はそういう評価に違和感。だって、ベートーヴェンは間違いなく偉大な作曲家じゃないですか。それにケチをつけるって、なんだかかなわない相手のあら探しをしてちょっと何か見つけると大仰に喧伝して自分と同じレベルに落として満足するといったゲスの根性のように思えてしまうのだ(ゲスといえば、ゲスのなんとかと付き合ったベッキーを必要以上に叩くのも似てるかも)。それに、そういう風に言ってる人が本当にそう思ってるのかも疑わしい(偉い人が言ってることをそのまま真似して言ってたりして)。じゃあ、私はどうかと聴かれると、以前聴いたときはちょっとつらかった。でも、いいところだってあるはずだ。じゃなきゃ、ベートーヴェンの生前第7交響曲と並ぶ人気作になるわけはない。で、あらためて聴く。ま、まずい……メロディーがただつながって出てくるだけで、ちょっとつらくなってきた。いやまて。聴き方がいけないのかも、われわれが普段ベートーヴェンに求めてしまうのは、ソナタ形式の中で主題を徹底的に展開して積み上げていく緊密な世界。でも、そればかりがベートーヴェンってわけではないはず。ジョン・ウィリアムズだってスターウォーズやスーパーマンだけではなく、すすり泣くような「シンドラーのリスト」や少年合唱用の「Exsultate justi」も書いている。ということで、色眼鏡をはずして無心で聴き直す。フランスの国歌が聞こえる。大砲が鳴る。ナポレオン軍の侵攻だな。あっ、イギリス国歌だ。反撃開始か。なんだか映画を見ているようだ。そうだ、これは情景音楽だったのだ。そう思って聴けばとっても面白い。なにも主題をこねくり回すのだけが偉いわけじゃないんだから。

残り物の利用

2016-10-29 10:58:24 | グルメ

数日前に記事にした失敗作(梅を包んだイワシのトマト煮)のスープがお皿にたくさん残った。猫に変身しても全部舐めきれる量ではない。こういうときはいつも容器に入れて後日使う。で、昨日、パスタソースにした。新たにベーコンとにんにくを炒めてそこに残り物スープを投入。でパスタに和える。旨い。梅とトマトが混ざった微妙な味が感じられる。最初からこの味だったらちっとも失敗作ではない。いや、いつもそうだが、数日おいた方が旨くなるのだ。2枚目の写真はおととい作ったピザ。その前の日に作った生地が半分残ってて(いつも2回分の生地を作る)、前の日にのっけたアンチョビはもうない。トッピングできるのものはベーコンくらいしかなかったのでそれを乗せる。十分だ。

骨付きモモ肉120円也

2016-10-28 10:44:18 | グルメ

1週間前もこの値段で売ってて、でも買わなかったらピアニストの先生に「なぜ買わないっ」と怒られたので(歌を下手に歌った時よりよっぽど怒られた)、今度こそと待ってたら来た。ハーブを塗り込んでコンべくション・オーブンでじっくり焼こう。で、とりあえず冷凍庫へ。

最近壊れた物

2016-10-28 10:16:26 | 日記

最近壊れた物。その1。急須。洗ってて手がすべってシンクに落としてとってがとれた(とってがとれーるー♪のティファールではない)。テープを巻いて使ってるが、中で「骨折」がひどくなってる模様。重力を恨む。って、落とした自分が悪いのに責任転嫁。でもニュートンのせいにしないだけまし。その2。電気シェーバー。不思議とわがやのシェーバーは充電池がすぐダメになる。直前まで使ってたヤツも早々にダメになり、電源コードをつなげて使っていたが、スイッチを入れても動かないことが多くなり、コードの差し込みを微妙にずらすことによってなんとか使っていたが、とうとううんともすんとも言わなくなった。で、近所にできたホームセンターに買いにいったら置いてあったのは一種類だけでやたらと小さい(写真2枚目)。値段は800円台。このくらいでよい。どうせすぐダメになるんだったら高いものは買えない。しかも、これ、乾電池を使うところがよい。わが家にはエネループ(充電池。もともとサンヨーの製品だったが、今はパナソニック・ブランドになっている。因みに「サンヨー・ブランド」がインドで復活したそうだ)がわんさとある。おっ、小さいが十分使える。この値段では上出来だ。その3。自転車のタイヤ。遠くを走っていたらパンク。iPadで近くの自転車屋を検索してそこに持ってく。そしたら、中のチューブだけではなく、外側のタイヤのゴム自体がぼろぼろになっていた。「随分使い込んだから」「そのようですね、十分使い切ったって感じです。本体もだいぶガタがきてます」。8年以上乗ってるうえに往復2時間とか平気で走っちゃうからな。で、タイヤ交換を奨められる。4000円っ?今4000円払っても本体にガタがきててじきに全とっかえだったら今新車を買った方がいいじゃん(頭の中で、必死に火野正平さんが乗ってるスポーツタイプのやつに乗り換える口実をさがしてる私)。そしたら「ガタがきてるといってもこれ(本体)はブリジストンで丈夫だからまだまだ使える」と。じゃあタイヤ交換にしとこう。このチャリを買った時、店主のおばさんが「国産車はものが違う。20年は使える」と言っていた。それは本当だったようだ。

発芽二日芽(パクチーちゃんたち)

2016-10-27 10:56:31 | 日記

昨日2,3個発芽したパクチーちゃんたち(複数)、一日経ったら仲間が増えてること!昨日今日と太陽が照って暖かいもんね。収穫はまだまだ先なんで、別の食材ネタ。昨晩はイワシの開いたのに梅を入れて楊枝でとめてトマト煮にした。失敗。梅とトマトがけんかして、梅の味がまったくしない。白ワインだけで煮ればよかった。それから、こないだ久しぶりに白いご飯を食べたのがきっかけで(テレビで「新米の季節」といってるのにも影響されて)、新米の無洗米を購入。同時にチーズも。ご飯にチーズ、私的には結構いける。

「ちょっきん、ちょっきん、ちょっきんなー」=「クリック、クリック、クリック」

2016-10-27 10:25:33 | 音楽
今日は天気がいいので洗濯を選択。ついでだ。洗濯機の前で来てるもの全部脱いで一緒に洗う。「♪たちまち私は丸裸」と口ずさむ。ん?これなんの歌だっけ?「♪調子をそろえてクリック、クリック、クリック」……床屋さんの歌だっけ?違った、思い出した。「♪たちまち羊は丸裸」、羊毛を刈る歌だった(元歌は南北戦争の歌なんだと)。床屋さんの歌もあったよなぁ。「♪床屋でごおざあるー、ちょっきん、ちょっきん、ちょっきんなー」、ほら、これは絶対床屋さんの歌だよ……むっ!?「♪カニがみせだし床屋でごおざあるー」って、床屋さんはカニだった(曲名は「あわて床屋」)。さて、二つの歌を比べてみると、「ちょっきん」の箇所に「クリック」がある。「ちょっきん」=「クリック」?「click」を辞書を引くと「かちっ」だって。たしかにハサミはかちかち言うが、髪をまとめて切るときは「じょっきん」って感じだよなぁ。

無常こそ世の常(改訂版)

2016-10-26 09:06:31 | 音楽
(このネタ=改訂版。初版は自己検閲でボツ)昔、Pという合唱団があった(Pでは分かるまい。Pで思い浮かぶ馬はプロレタリアト。ちっとも儲かりそうもない名前だがこないだのレースで勝った)。そこはソプラノがそろってビブラートのない透明な声で、それを聴くだけでも練習に行く価値があった。ところが、そのうちの一人が声楽レッスンを受けて声量が増したとたんパート全体のバランスが崩れて消し飛んだ。諸行無常を感じた。そのときから20年、それまで私はエデンの園(平日にやってる某団の某パート)にいた。しかし、Pのこともあるし、マルシャリンも独白したようにこの状況はいつかは変わる。そのことを覚悟していた。で、そのときがきた。しかし、無常こそ世の常(無常=常……変な方程式ではある)。新しい環境で新しい関係を構築していこう。私のモットー=歌っていけば必ず声は合う!ということで、悲劇の結末だった初版から一転、見事なハッピーエンドに仕立てた私はダ・ポンテはたまたピアーヴェか?(ダ・ポンテはフィガロの結婚の、ピアーヴェはリゴレットの台本作家。いずれも検閲を逃れるため当初の構想から大幅な改訂を余儀なくされた)。しかし、初版は最後を「Fremd bin ich eingezogen,Fremd zieh’ich wieder aus,」(冬の旅から)で締めたりしてなかなか詩的だった。こういうときのための裏ブログだったのに、あっちはもう1年近く更新してない。簡単にアクセスできてしまい、ちっとも裏になってないからだ。もうあっちは閉めて、ホントの裏ブログを作ろう。因みに、検閲と書いたが、私が自らに課した自己検閲は、最高裁判所がいうところの検閲ではない。最高裁判所がいう検閲とは、「発表前に禁止する」ことだが、今回の初版は、発表してしまって数時間は閲覧可能だったからだ。

せんせい

2016-10-25 15:52:20 | 音楽
久しぶりに森昌子の「せんせい」を聴いての雑感。慕い続けた人の名が「せんせい」?変なの。「先生」は職業名であって人名ではない。それとも先生の名字が「せん」で名前が「せい」?こないだのオリンピックに「丁寧」って選手が出てたけど。この歌詞の少し前の部分。「傘にかくれて桟橋で一人みつめて」ってなんだかこわい。ストーカーみたいだ。当時、ストーカーという言葉はなかったが。以上、「今の」私の雑感。森昌子がこの曲でデビューした当時(それが中三なら私も中三)、こんなことは微塵にも思わなかった(まだまっすぐな少年だった)。

腹筋VS便秘

2016-10-24 17:57:08 | 日記
CMで、咽からくる風邪によくきくと宣伝してる薬がある。イブプロフェンが効くのだという。まてよ、私がよく飲む銀のベンザ、咽風邪にとってもよく効くんだけど成分は同じか?同じだった。イブプロフェンが入ってた。この薬、咽痛が和らぐだけではなく、ほんわりした気分になってよいのだが、決まって便秘になる。「イブプロフェン 便秘」で検索したら出てくる、出てくる。これを飲んで便秘になるのはまさに「正しい(?)副作用」なのだそうだ。しかし、便秘を放っておくと直腸が水分をどんどん吸収して「石」になってしまう。早めに除去せねば。で、ベンザ(!)の上で、合唱で鍛えた腹筋を最大限に稼働する。しかし、テキ(封印された便意)もさるもの。簡単には攻略できぬ(大坂冬の陣の真田丸のごとし。因みに、この「テキ」は学生時代の友人の某君が奥さんのことを話すときの「テキ」と同じ用法。競馬の調教師を表す「テキ」は、調教師は元騎手が多く、その「騎手」を逆さから読んだのだそうだ)。しかしあきめるもんか。休憩をはさみつつ(大坂冬の陣と夏の陣の間にもインターバルがあった)、ありったけのエネルギーを腹筋に集める。目の前が真っ赤になる。頭の血管が切れたか。かまうものか。う~~~~~~ん……おぎゃーおぎゃー……実際、体中の血管が相当切れた感じ。この後、半日ほど脱力状態。

母<泥酔した私

2016-10-24 17:44:35 | 日記
母から「先月病院行くのをさぼったため薬が切れてしまったのでもらってきてくれ」と連絡が入る。本人が来なければ薬は処方できないというので母にそう言うと「足がつらい」。じゃあタクシーを呼べというと「呼び方が分からない」。これはトレーニングせにゃと思い、母んとこに行って私の見てる前でタクシーを呼ばせる。私が呼んでしまったらトレーニングにならないから。しかし、あまりトレーニングをきつくすると「お母さん(一人称)、頭変になっちゃった」と言い出すのでほどほどに。この「変になっちゃった」は、欧米のご婦人がパニクッて失神するのと同じ原理だと思う。フィガロの恋女房のスザンナも都合が悪くなると失神する(で、伯爵に胸を触られると起きる)。さて、そうやって病院に行ったら、先月ちゃんと来てて薬も処方されているとのこと。捨てちゃったか余分に飲んじゃったかのようだ。で、今度は間違わないようにと一包ごと日付を書いてくれた(親切!)。それにしても母ときたら、1分前のことは忘れるし、財布は落とすし……いやいや人のことを言ってられない。私も「お財布落としてた。言ったこと忘れて同じことしゃべってた」と言われた。母=泥酔した私……いや、母<泥酔した私かも。

「いい男さんいらっしゃ~い」

2016-10-23 10:59:21 | 日記
阿部寛さんがドラマの番宣のためトーク番組に出まくり。そう言えば、BSで再放送してる「ごちそうさん」の東出昌大さん、続く「べっぴんさん」の高良健吾さんと毎朝連続してでかい人を見る。阿部寛さんを最初にテレビで見たのは30年前、「笑っていいとも」の「いい男さんいらっしゃ~い」コーナーだった。動物番組を見てると雄たちは雌の前であの手この手を使って自分をでかく見せようとする。だからでかい人がもてるのは動物的に正しい、と観念する。ところで、聖書には「汝姦淫することなかれ」と書いてある(「いい男」の話からこの話に転換した理由は省略)。だが、ボッカチョのデカメロンで描かれる世界では、この決まりはあまり守られていない。でもイタリア人は(デカメロンの舞台はイタリア)、「神様ごめんなさい」で全部済ませられるという。もともと欧米の信者の方々は、日本の仏教徒と同じく、物心ついたときから信者なので全員が全員強い信仰心をもってるというわけではないのかも(そんななかでもドイツ人は真面目だから、神様ごめんなさいで免罪というわけにはいかず、そのもやもやを魔女狩りではらしたという説がある)。そこへいくと日本の信者は確信をもって信者になられてるからデカメロンの登場人物とは意識が違う。だから、私には「信者になるな」という。なったとしたら、それは宗教音楽の勉強のため、ということがありありで、そんなことで信者になられてたまるか、ということだ。人をだまくらかしてでも信者にとりこもうとする宗教があることを思えば、これは見上げた精神だ。で、私自身はどうかと言えば、佐保姐さんから「いーじまさんも奇跡をみるかもしれません」と言われてるので、奇跡を見たら改宗しようと思ってる。改宗って、じゃあ今なんかの教徒か、と聞かれれば、多分、私は父の墓のある田舎の寺の檀家になってると思う。父の墓に、私がこの墓を建てた、と彫ってあるから。でも、私はお墓を注文した覚えはない。彫らせたのは、「歌ってみろずら」の伯父さんだ(一つ前の記事参照)。刑法的に言えば、私の名前を勝手に使って「事実証明に関する文書」を作ったのだから、私文書偽造罪の構成要件に該当する(が、推定的承諾があったということで罪にはならない)。