拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

Er lebt noch!(ある男の記録)

2023-06-30 20:19:12 | 日記

Eines Morgens(ある朝),als er erwachte,ist sein Gesicht rot gefärbt worden. Blut? Ist er tot? Glücklicherweise(幸いなことに)(oder leider für Leute(あるいは、人々にとっては不幸なことに))lebt er noch. Das ist kein Blut sondern Rotwein.

Als er das Foto gesehen hat, wunderte er sich und sagte selbst,"Ist es unter meiner Nase so lang?"


いくわよ

2023-06-29 08:21:55 | 音楽

1月から始まった「どうする家康」も、4月から始まった「らんまん」も、今が折り返し地点。万太郎は妻を迎え、家康は正室を次回放送で失う(はず。悲喜こもごも)。その「どうする」のおかげで、尾張・三河の地理が少しは分かるようになった。知多半島の西側の伊勢湾の奥が尾張(名古屋)。知多半島と渥美半島の間が三河。その東が遠江(浜松)で、そこはもう駿河である。そうか、だから岡崎(三河)から浜松に移った家康は土地の人から「よそ者」扱いを受けたのだな。

ほかにも、最近、地理について、え?と驚いたことがいくつもある。え?福岡って有明海にも面してたの?え?京都って日本海にも面してたの?え?山形新幹線って日本海沿岸を走ってると思ったらほぼ本州の中央を走ってたの?等々。私が生まれ育った関東だって知らなかったことだらけ?え?箱根と丹沢の間に隙間があってそこを東名高速やJR線が走ってるの?等々。因みに、東京に「東久留米」という地名がある。九州の久留米(松田聖子の故郷)と関係があるのだろうか。たしかに、九州の久留米の東に位置するが、かなり遠い東である。

東京湾の埋立地だって、知らない間に開発が進んで、40年前、仕事であのあたりを車で移動していたときとは別の世界。そう言えば、リスト作りの合間に見入ってしまった「ゴジラ×メガギラス」でゴジラが暴れるのはお台場。だいたい、ゴジラに破壊される街は、製作当時スポットになっている場所である(横浜ベイエリアが脚光を浴びたときも、早速「ゴジラVSモスラ」の舞台となった)。さて、その「ゴジラ×メガギラス」、見てる間に邪な連想が次々とはいる。このときのゴジラの対戦相手の「メガギラス」はとんぼみたいな羽が生えていて空を飛ぶのだが、一箇所でホバリングしてたと思ったら瞬時に移動する様がハエか蚊。で、思い出したのが、北野武監督の信奉者でもこれだけはなかったことにしたい作品「みんな~やってるか!」。ダンカン演じる主人公(女性といたしたくて仕方がない)がハエ人間に変身する。そのハエ人間を思い出した。それから、ゴジラに立ち向かう田中美里演じるヒロインが出発のとき発する「いくわよ」。これを決め台詞にしている通販のレジェンド(男性)を思い出した。そんなこんなで感想はいまいち。特に音楽。大島ミチルの音楽はいいに決まってるのだが、なにせ、ゴジラと言えば伊福部昭、その音楽が頭に染みついてしまっている(ゴジラ登場時、一部その音楽が使われてはいるが)。その点、スターウォーズとジョン・ウィリアムズの関係と同様である。ダースベイダーが登場した際、ダースベイダーのテーマが流れなきゃ、そりゃ物足りないだろう。因みに、ベルリン・フィルも、ウィーン・フィルもジョン・ウィリアムズの音楽を特集したコンサートを開いている。その際、ダースベイダーのテーマを吹く金管セクションの面々の嬉しそうな顔といったらない。


ヴィシヴァンカ

2023-06-28 10:36:31 | 音楽

私がたまに近所の天然温泉に行くのはサウナに入るのも目的の一つである。で、サウナで汗をかき水風呂に入って休憩、これを3回繰り返す。なぜ3回か?自分でも不明だが、何事も「繰り返し=3回」と相場が決まっているように思える。例えば、

モンテヴェルディの歌劇「オルフェオ」の冒頭で、派手なファンファーレが3回演奏されるが、この脳天気なトッカータを3回も鳴らすのは、決してモンテヴェルディが脳天気だからではなく、当時、開演を告げる合図は3回繰り返す習わしであり、このトッカータは開演の合図にほかならなかったからである(このあたりの事情は、アーノンクールが指揮した映像によく表れている)。

同様に、バイロイト音楽祭の開演時、各演目のモティーフが金管アンサンブルによって3回繰り返して吹かれるが(年末のNHKのFM放送でこれを聴くことができる)、これも同様の理由による。

日本のことわざでも「二度あることは三度ある」と言う。

だが、例外もある。映画「郵便配達は○度ベルを鳴らす」の○には「3」ではなく「2」が入る。だが、映画の内容は情事の場面のほかは記憶がない。浮気の男女の示し合わせで「着いたよ」の合図としてベルを2回鳴らすのだろうか。録画があるから、見れば分かるが。

バイロイト音楽祭のことを書いたので、ヴァーグナー関連の話。ロシアで反乱を起こした「ワグネル」の名から当然ヴァーグナーを連想するのだが、ドイツのニュースが「ワグネル」の名はリヒャルト・ヴァーグナーからとられた、と言っていたからこの連想は間違っていなかった。日本にも「ワグネル」と称する音楽団体を擁する大学がある。日本のマスコミが、ロシアの件の民間部隊を「ワーグナー」「ヴァーグナー」と呼ばずに「ワグネル」と呼ぶのはロシア人がそう呼んでいるからだろう。因みに、ドイツの放送局は「ワグネル」を「ヴァーグナー・グルッペ」と呼んでいる。

ワグネルと言えば、今朝のあさイチでウクライナの一般の人の声が紹介されていた。日本の識者の中には、現地の惨状を見て「反抗はウクライナ国民が真に望むことなのか」と疑義をはさむ人がいるが、少なくとも、今朝登場したウクライナ人たちは「反抗は政府ではなく私たちの意思」と言っていた。いずれにせよ、早く戦争が終わることを望む。そしたら、是非、ウクライナに旅したい(今朝のウクライナ人たちも、来て来てと言っていた)。そして、広大な農場を見てみたい(映画「ひまわり」の監督も、ロケでウクライナのひまわり畑を見て、タイトルを「ひまわり」にしたそうだ。たしかに、「ひまわり」は映画の本題ではない)。そして、おみやげに刺繍の施された民族衣装(ヴィシヴァンカ)を買って帰りたい。因みに、ボルシチは、日本人もロシア人もロシア料理だと思ってるが、ウクライナ料理だと言う。


怪獣と株価

2023-06-27 15:19:14 | 日記

完了。DVD・ブルーレイ(放送を録画したもの。市販のパッケージは除く)のリスト作りが、である。結局、8000枚強。全部に通し番号をふることは早々に断念し、番号は容器単位で。その容器の全容がこれである。

容器と言ってもまちまち。段ボール箱、専用ラック、CD・DVDケース、果ては衣装ケース(写真右下の右端)まで。使えるものは何でも使って、である。移住したならば、そのときは、大きさのちょうどいい棚に小綺麗に並べるなり、統一した容器に入れるなりしようと思う。

こんなに撮りだめをするのは、生まれながらの性格ではなく、後発的に培われた習性であり、ウチが貧乏だった(と親に言い含められていた)ことが原因である。例えば、オペラの本場のヨーロッパでは、オペラは日常的に周りで上演されていたから、特に映像に残そうなどという気運は起こらなかった。しかし、日本はそうではない。だから、NHKがイタリア歌劇団を招聘したときは、全力でその公演記録を映像で残したのである。そのおかげで、デル・モナコとティト・ゴッビの黄金コンビによるオテロの映像をわれわれは今手にすることができる。同様に、私の実家には、しばらく音楽再生装置がなかった。FMを聴けるラジオもなかった(短波放送が入るラジオはあった。父は競馬中継を聞くためである)。ビデオなんてものは夢のまた夢。だから、音でも映像でも記録できるようになったら、それはもう夢中で録り溜めたのである。おかげで、不祥事によって今は画面に現れないアナウンサー(1人ではない)のかつての勇姿を見ることができる。

リスト作りをしながら内容を確認したいヤツは再生してチェック。そこで思わず見入っちゃうことも多々あった。怪獣映画では、平成ガメラシリーズがその例。そもそもゴジラにしてもガメラにしても当初は「おっかない」存在で「人類の敵」であった。それがだんだん角がとれてきて、敵怪獣との関係性で「敵の敵は味方」であることから「人類の見方」となり、子供に「ガメラー、がんばってー」などと応援されるまでに成り下がった。だから、私の父などに「くだらない」と揶揄されたのである。ゴジラ・シリーズも、ときどき「原点に戻る」と言っておっかないゴジラが再現するのだが、だんだん元に戻って(どっちが元かって話だが)優しくなる。ところが、平成ガメラ・シリーズでは、金子修介監督が徹底的にリアリティを追求した結果、相当大人向けになった。例えば、平成シリーズの第1作でガメラとギャオスが暴れたため、「兜町の証券取引所が閉鎖され、ダウ平均が下がり、円が暴落した」なんて話は昭和の作品では決して聞かれなかったものである。

因みに、東宝のゴジラ・シリーズで、ゴジラの最大の敵がキングギドラであるごとく、大映のガメラ・シリーズで、ガメラの最大の敵はギャオスである。さあ、問題、このギャオスと、「サンダ対ガイラ」のガイラと、「進撃の巨人」の共通点はなんでしょう?……(初稿ではここに正解が記載されていた)……

その平成ガメラを映画館で見た際、ガメラが高速でドキューンと飛び立った瞬間、隣で見ていたどっかのおじさんが「ぶふっ」と言った。あれは、うちの父みたいに怪獣モノをバカにして吹き出したのか、それともガメラの勇姿に感動して思わず鼻息を放射したのか、それは今でも謎である。


昆虫VSは虫類(ラドンにもがんばってほしい)

2023-06-26 22:18:14 | 日記

奥地の物件を買ったとしても、少なくとも5年以上は足立区民を続けるつもり。その間に、わが家のAV(だから「アダルトヴィデオ」ではなく「オーディオ・ヴィジュアル」だっちゅーの)のリストを完成させ、アナログ録音のデータ化を済ませよう。後者は、ようやく折り返し地点に来た。今後の進捗は、MDの再生機がどんだけがんばるかにかかっている。既に何台か「乗り潰し」ている。そんな中、案外、お歴々の中では最古の部類に入るソニーの「MDウォークマン」の健在ぶりが光っている。私は、あるとき家の中はソニー製品で埋まっていて、ほとんど全財産をソニー株にぶちこんだ程の「ソニーっ子」だったが、ソニー株がいっとき地べたを這った際、「ソニー株はもう上がらない」と言う「専門家」の戯言に乗って他の株に乗り換えて、さらに10年以上苦杯を舐めることになった。もし、ソニー株を持ち続けていたら、今頃「億万長者」(文字通り)であったところである。まあ、神様は、そうそう甘い人生はお与えにはならないのだろう。

それに対し、リスト作りは佳境に入っている。完成は目の前。だが、リスト作りには「分類」がつきもの。写真ファイルの分類にも随分おつむを使ったが、動画の分類もなかなか一筋縄ではいかない。例えば「海底軍艦」や「妖星ゴラス」。私はこれらを「怪獣映画」に分類した。怪獣のマンダや(前者)マグマ(後者)が登場するからである。だが、これらが登場するのは一瞬。「海底軍艦」は、海底に沈んだ後に高度な文明を築いたムウ帝国と旧日本軍がからんだ壮大なストーリーだし(私にせがまれてゴジラ映画を一緒に見に行った父が、ゴジラ映画については「いつもの子供だまし」と小馬鹿にしたのに対し、併映の「海底軍艦」については「全然違って見応えがあった」と珍しく評価していた)、妖星ゴラスは、彗星との衝突を避けるため南極に動力エンジンをしつらえて地球の軌道を浮かせて衝突を回避させるという切羽詰まったお話である。

そう。リスト作りの最後の段階で出てきたのが一連の怪獣映画。私にとって、オペラと並ぶ重要なジャンルである。で、ちょっと気づいたことなのだが、私の出生より前に登場し、ずっと主役であり続けたゴジラには常にライバルがいた。そのライバルたちがゴジラと並んでタイトルを飾るのだが、これは大きく三つに分類できる。最初の頃は「○○対ゴジラ」。次に「ゴジラVS○○」。さらには「ゴジラ×○○」である。そのライバルの中で、GⅠ級の猛者と言えば、モスラとキングギドラ。この二頭はゴジラと対決するのみならず、ゴジラのいないところでも、例えば、平成モスラシリーズにおいて直接対決している。勝つのは大抵モスラである。モスラは蛾(昆虫)。キングギドラはは虫類。虫がは虫類に勝てるのか?って話だが、いやいや、カマキリが小鳥を捕食する映像があるくらいだから十分ありうることである。

なお、私の一推しの怪獣はラドンだが、「ラドン対ゴジラ」「ゴジラVSラドン」といったタイトルの映画は作られてない。すなわち、ラドンは、いまいち主役になれてない。近年公開されたハリウッド版ゴジラでも、ラドンは他の怪獣の子分の扱いである。一皮むけて、番をはれるような怪獣になってもらいたい、というのが私の願いである。


チコちゃんには「叱られる」のであって「怒られる」のではない

2023-06-26 05:31:39 | 言葉

1年に二回稲を植えるのが二期作、夏に稲を植えて冬に麦を飢えるのが二毛作……と習った(私の記憶が正しければ)。で、言うならば、ウチのベランダのプランターのほうれん草(手前)は、現在、三期作(写真左=二期作の収穫前、中=収穫直後、右=三期作の種まき後。2,3日でもう芽吹きが見られる)。この調子でいくと五期作くらいになりそうである。なお、バジル(奥)は、晩秋まで植え替えなし。使うときは長く伸びてるやつのてっぺんをつまむ。それが「摘心」になって、一層繁茂する。

関東で「いる、いない」と言うのを関西では「いる、いてへん」と言うらしい。「へん」が否定を表すのか?いろいろ試す。「やる、やらへん」「行く、行かへん」……おお!なるほどね。ただし、大概、「へん」の直前の母音は「あ」なのだが、「いてへん」は「いたへん」にはならない。こういうフェイントがあるから、もし関西弁が標準語になって、外国人がこっちを勉強せなあかんくなったとしても、難しさは変わらへん、といったところか。

「チコちゃん」の正確な番組名は「怒られる」「叱られる」のどっちだっけ。この際、考えてみる。「怒る」は自動詞。自分で勝手に頭から湯気を立てることもある。ドイツ語の「sich ärgern」も何々について怒ると言う場合は前置詞「über」が必要。それに対し、「叱る」は他動詞。ドイツ語の「tadeln」も叱る相手を前置詞なしに直接目的語として言う。相手がいなければ叱れない。ってことは、チコちゃんの「叱る」だか「怒る」だかは「ぼーっと生きてる人」という目的語をとるから「叱られる」のはず。果たしてこれが正解であった。


はしご

2023-06-25 08:43:11 | 日記

この写真は、今回の小旅を象徴する図柄である。が、その話は後にするとして順繰りに。神田川は、これまで源流から東中野までと、高田馬場と江戸川橋の間を歩いた。間をつなげるべく、東中野から高田馬場間の踏破を計画。これまでに比べれば短い距離。たったの1万歩である。

ということで、万亀橋からスタート。ここは歌の会や練習に行くときいつも渡る橋だが、桜の季節以外にあまり写真に撮ったことはない。

ここから下流に向かうのだが、しばらくは北上。北方彼方に丘陵発見(建物の合間の緑)。

こうした高低が気になるところはブラタモリの影響である。あれ?途中で川がなくなった。さては暗渠だな。下落合駅近くを通過すると、ほら、出てきた。やっぱり暗渠だったんだ。

と思ったら大間違い。これは妙成寺川。さっき、暗渠だと思った地点で神田川は右折し、東に向きを変えていた。私は左岸を歩いていたので分からなかったのだ。ので、右折地点に戻り、再び神田川沿いを歩く……と思ったのだが、川の両岸に遊歩道が設けられているのはここらあたりまで。ここから高田馬場あたりまでは、川に接岸して建物が建ってるので、ちょっと離れた道を歩き、橋があるたんびに川と再会する戦法をとる(モハメド・アリの「蝶のように舞い、蜂のように刺す」戦法である)。

そうこうするうち、山手線の線路が見えてきた。

いよいよ高田馬場である。と思ったら、さかえ通り入り口(駅の反対側)が現れた。

おお!さかえ通りとくれば○龍!

室内合唱団時代に、練習帰りに毎回立ち寄って「顔」になっていた店。よっぽど入ろうか、と思ったが、実は、この日、別の懐かしいお店に行くのが目的。その後、気になってた中華にも行きたい。○龍は三次会候補である。

その今回の目的の「懐かしいお店」とは、30年前(大学卒業後10年経過)、高田馬場に頻繁に行く用事があり、そのとき決まってヴィーナー・シュニッツェルを注文していたお店である。最近ググったら、今もヴィーナー・シュニッツェルを出しているお店があるという。あのお店だろうか。その確認が今回の小旅の目的の一つである。で、入って注文。

おお!まさしくこれだ。お皿に岩塩が乗っているのも、ワインが小瓶なのも昔のまま。壁から突き出ているテーブルにも覚えがある。トイレが和式なのも、支払は現金のみなのも昔っぽい。予期しなかったのは、大盛りライスが付いていたこと。実は、この日は、私が普段滅多にしない「はしご」をするつもりだった。前記の通り、中華、そして○龍にも行きたい。大盛りライスでかなり胃はふくらんだが、初志貫徹。がんばるっ。ということで中華に行く。実は、この街には某合唱団の練習で毎週来ていて、別の中華に行っていたのだが、そこが大幅に値上げをしたので行かなくなっていた。そこよりもかなり安い。その分、複数で入ろうとすると待たなければならないようなのだが、この日はまだ5時くらいだし、お一人様なのですぐ入店できた。注文したのは定番=キクラゲと卵と豚肉炒め、それと餃子。

量は普通。味は庶民的(五文字のお店的)だった。さあ、もう一店、いよいよ40年前に通い詰めた○龍に……だが、既に胃袋の乗車率は200%。3店目は無理。そもそも私は「はしご」に慣れてない。○龍は先のお楽しみに残しておこう。とにかく食べて飲んだからこれをこなさなければならない。よし、早稲田通りを大学まで歩こう。そして、久しぶりに構内を散策しよう。しばらくは上り坂(下の左の写真。学生時代、こんな高低を意識して歩いたことはない。繰り返しになるが、ブラタモリの影響である。もし、子供の頃にブラタモリが放送されていたら私の人生は変わったかもしれない)。明治通りと交叉するあたりが坂上で(写真中)、そこからは下り坂になる(写真右)。

それでも大学の西門あたりはまだ丘の上。その先が谷になっていて(ビルの三階くらいの高低差がある)、そこに校舎が建っている。だから、丘の上からは大隈さんを見下ろすことになる。

そこに降りて行って、構内を歩いてたら見慣れぬ建物。

おお!これが噂の村上春樹ライブラリーか!こうした新しい建物がある反面、構外にあった学生会館(室内合唱団の部室があった)が見当たらない。当時からしてかなり古かったから取り壊されたのかもしれない。もちろん、大隈講堂は昔のまま。

その前の階段で、演劇サークルの人達が発声練習をしていた。歌仲間のMさんご夫妻も実は演劇畑でここで発声練習をしていたらしい(私とは時代が一回り違うが)。この大隈講堂が、結構、馴染みのない場所で、私がこの中に入ったことを記憶しているのは2回。一回は、キャンディーズもどきの女性3人のユニットの公演で、もう一つは三遊亭楽太郎(後の円楽)の落語会だった。

次回は、目白の日本女子大のあたりから谷を下って高田馬場に出るルートに挑もう(覚えているかしらん)。で、次こそは○龍に行かんとぞおもう。


幸福な家庭もそれぞれ/大声でくどく

2023-06-24 10:17:45 | 音楽

NHKの「カネオくん」のアシスタントMCの「そらちゃん」は番組スタート当初は小学生で今は高校生。このそらちゃんが毎回語る親御さんの「吝嗇ネタ」が楽しい。こないだの話は「朝ご飯で、テーブルにあった卵焼きを2切れ食べたら母親に『弟、妹の分をなんで食べちゃったの。今、卵高いんだから』と言われた」という。「卵が高い」に思わず頷く私。さらに、その日、学校でお弁当を開くと「明らかに卵焼きが一切れ分抜かれてて、あー、ウチはやっぱり厳しいなー」と思ったそうな。しっかりした経済観念!だが、そらちゃんは幸せそうである。トルストイは「アンナ・カレーニナ」の冒頭で、「幸福な家庭は似たり寄ったりだが不幸な家庭はそれぞれ」と書いているが、幸福な家庭だってそれぞれである。例えば、卵の値段に関係なく今でも卵を三つ使ってオムレツを作って幸せな家族もあれば、朝、弟妹の分を食べちゃった罰として弁当から1切れ抜かれても幸せな家族もある。不幸な家庭がそれぞれなのは仰せの通り。お金がなくて卵が食べられず不幸だと感じている家庭は容易に想像できるが、お金持ちはお金持ちで大変らしい。先日、お金持ちばかりが来てそうな高級スーパーのレジで、高いおべべを来たマダムが連れ相手に兄弟の悪口をぶちまけていた。相続でもめているらしい。不幸そうであった。

せちがない話はこのへんにして、久しぶりに音楽の話。私、フォルテで歌うブラームスやメンデルスゾーンよりアカペラで歌うパレストリーナの方が疲れる。疲れると言っても、それは背中の腰のあたり。歌ってる最中に息を吸うとバンっと膨らむあたりである。声帯(私はカウンターテナーなので仮声帯)は何時間歌ってもまったくダメージがない。その声帯が一発でダメになるのは飲み会である。なぜだろう。アルコールによる充血がいけないの?とか思ったが、最近、原因が見えてきた。どうやら、私は、飲み会ではよくしゃべるらしい。よく、飲み会の後で、「イージマさん、『いつもと同様』一番しゃべってたよ」と言われる。私は大人しくしているつもりだから極めて心外なのだが、複数の人がそう言うから真実なのだろう(不本意ながら)。え?知らなかった?知らなかった。「しゃべり」は声帯にとって最大の「敵」。それを人一倍やっていたら、これは喉がつぶれてもおかしくない。だから、歌を真剣にやろうと思ったら、黙っている自信のない飲み会に行ってはいけないのである。ただし、しゃべっても小声なら大丈夫だろうが、たいがい飲み会会場はやかましい。やかましい場所で会話を成立させようと思ったら勢い大声になる。ダメである。「愛の囁き」ならお酒があっても大丈夫?ダメである。私は、くどくときも大声である。回りに全部聞こえている。大声というか、よく通る声なのである(えへん!)。


最近の猫らのご飯事情

2023-06-23 09:19:10 | 

いっときケメ子が痩せてきて、大声を出すようになって、甲状腺に異常があるとそういう症状が出ると聞いて大層心配した。よっぽど動物病院に連れていこうかと思ったが、実は、ケメ子はかつてメタボな時期があり、このままでは成猫病になると思い、加えてケメ子には(猫によくある)吐き癖があって、それでご飯の量を減らしていた。痩せたのは単にそのせいかも。と思い、ご飯を増やすことにした。だが、ご飯を増やして吐いたのでは元も子もない。なので、1日二食だったのを3食にし(一回分は逆に少なくした)、かつ、ドライフードだけだったのを缶詰とドライを混ぜたものに変えた。その効果は爆発的。あっという間に体重が増え、かつ、大声を出さなくなった(ってことは、大声を出していたのは、ご飯が少ないと文句を言っていたのか)。と同時に、2ニャンの力関係に変化が生じた。これは、今朝のご飯風景である。矢印の方向に事が進んでいる。

まずは1枚目。各自が自分の位置で自分の器(うつわ)でご飯を食べている。これがデフォルトである。上がケメ子で下がワサビである。

2枚目。ケメ子が先に食べ終わる。これが大変化。ドライだけのときは先に食べ終わるのはワサビだった。しかも、必ず何粒が残して「ごちそうさま」をするのだった(「ごちそうさま」とは言わないけれど。因みに、朝ドラ「ごちそうさん」のヒロインは杏である)。今では、ケメ子の方が早い。さらに、ワサビも、残すことなく最後の最後まで平らげようという風情。それを横目で見るケメ子(不穏な空気が漂う)。

3枚目。ケメ子がワサビの器に首をつっこむ。以前、ケメ子の器に首をつっこんでいたのはワサビだった(ケメ子の体重が減った一因でもあると見ている)。これって、まるで、ライオンが倒した獲物を横取りするハイエナである。

4枚目。そしてケメ子が勝つ。ライオンVSハイエナの勝負も、多くの場合ハイエナが勝って横取りが成功するのと同じである。これも大変化。以前は、勝つのはワサビだった。だから、私がガードしてケメ子の食べる分を死守したのである。

そもそもワサビの方が骨格がしっかりしていて断然大きい。だから、ご飯戦場では、私はケメ子に肩入れしたのである。その結果、ワサビはケメ子の分を奪わくなった。だが、ご覧の通り、このところ、ケメ子の傍若無人(猫)が目立つようになった。この先、逆に、ワサビのためにガードをしなければならなくなるかも。だが、そうすることによってケメ子がいじけても困る。なかなかさじ加減のむづかしいところである。まあ、病気の心配はなくなったので、その点はホッとしている。とにかく、どっちにも健康でいてほしい。猫が健在でいる限り、私はここに住み続ける所存である。

よく、同じお皿に複数の猫が顔をつっこんで仲良く食べてる図柄を見る。アフリカの草原でも、倒した獲物に数頭のライオンが同時に食らいついている図柄を見る。なんで、ウチはそうならないんだろう?飼い主のがっついてるところが似てしまったのだろうか?「!」(「ブラタモリ」でタモリさんが何か思いついたとき画面に出るピックリマーク)まさに、今、書いてて思った。お皿が小さいから?大きいお皿なら仲良く雁首揃えて食べる?だけど、定位置で自分の容器で食べるというデフォルトは14年間ずっと変わらないできた。ここで変えるのもなぁ……


大和芋∈山芋

2023-06-22 15:46:35 | グルメ

京都の人に限らず関西の人が「婉曲的表現」(例:客に帰ってほしいとき「お茶をもう一杯召し上がりますか」等)を使うのは、人間関係が密で「察し」がつくからであり、関東の人間の言が直接的なのは、全国から人が集まって来ているため人間関係が希薄だから言わなきゃ分からないからだという(チコちゃん)。そうか、だから、ドイツの人も思ったことをはっきり言うんだ。なにせ、ドイツ人は「Wandern」(彷徨い、旅、山歩き等)が好き。グリム童話を読んでると、若者は、親方の元で一定程度修行を積むと決まって旅に出て、次の修業先を探す(この点、ライオンの雄と似ている)。シューベルトの「美しい水車屋の娘」の主人公もそのクチである。だから、街はよそ者であるふれていて、だから言い方が直接的になるのかもしれない。なお、「水車屋」の主人公が次の定住先(水車屋)を決めたのは、そこに可愛い女子がいたからである。さすらいのモチベーションが「異性」である点もライオンの雄と同様である。

私は料理は好きだが、人間は1人しかいないのに毎回毎回洗い物がたくさん出て、それを洗うたびに不経済なことをしている気分になる。いっそのこと、スーパーの半額弁当で暮らそうか、と思うこともあるが、スーパーの弁当は、ご飯と肉又は魚ばかり。野菜はお愛想程度。これでは脚気になる。

ただし、半額で買う価値があると思えるのは刺身。昨夜は、そうした刺身と卵焼き(これも半額)と、唯一料理した野菜炒め。刺身なら日本酒。わが家では、日本酒は白ワイン扱いだからレーマーグラスで飲む。

そうだ!長芋があったから、どうせならビンチョウマグロを山かけにしよう(写真右下)。だが、おろした長芋は大和芋などに比べるとかなり流動的。これで「山かけ」と言っていいのだろうか。よくなかった。「山かけ」の「山」は「山芋」の山。長芋は、分類的には山芋には含まれないらしい。大和芋ならOKである。かと言って、「山芋」の「ヤマ」=大和芋の「ヤマ」ではない。大和芋は山芋に含まれるが、山芋のグループには他の芋も含まれる。すなわち、数学的に言うと、大和芋は山芋の要素である(大和芋∈山芋)。

洗い物と言えば、こないだ、久しぶりに「流し」と言ってるのを聞いた。そうだよ、「シンク」は「流し」って言ってたんだよね。

話は逸れるが、昨日の記事のことなので。子供のとき見たアニメ「遊星仮面」について書いたので、懐かしくなってググってみた。大発見の数々。だいたい、ヒーロー物には「博士」が登場するが(鉄腕アトムのお茶の水博士、鉄人28号の敷島博士等)、遊星仮面に出てくる博士はソクラトンだった。これは「ソクラテス」と「プラトン」の合体名である(子供の頃は知る由もなかった)。さらに、粗筋を見ると相当にシリアス。「マスクとパンツで風邪ひいた」なーんて替え歌を歌っていた頃は、決して理解できなかったはずの深い内容である。残念ながら、わが家の録画リストの検索にはかからなかった(数はいても役立たず=「バラの騎士」のフォン・ファンニナル(ゾフィーの父)の家来ども)。


惑うのか、惑わすのか(惑星の話。パピイと遊星仮面も登場)

2023-06-21 09:36:06 | 日記

今の住居はいかにも手狭である。原因は本とAV。え?やらしい?君ね、AVと言っても「アダルト・ヴィデオ」ではなく「オーディオ・ヴィジュアル」のことなのだよ。つまり、CD、DVD、ブルーレイ、レコード、レーザーディスクの類いのこと。ま、しかし、両者は重なるところもある。アダルト・ヴィデオをA、オーディオ・ヴィジュアルをBとして両者の関係を数学的に言うと、「AはBの部分集合」である(A⊂B)。でそのAVと本が大量すぎて住居を圧迫しているのだ。広い家に移住したい理由の一つでもある。家の中に「図書室」と「AV室」を設けて、図書館にあるような書棚をしつらえてそこに並べ、読みたいとき見たいときにすぐ取り出せるようにしたいのである(なお、カセットテープはすべてデジタル化したし、MDのデータ化もようやく半分まで来て、移住までには完了してるだろうから陳列の対象からは除かれている)。

さて。昨日、20分歩いたところにある五文字のお店に行った帰り、西の空に金星が輝いていた。

肉眼では見えなかったが、撮った写真を見ると左上に火星が写ってるのはアプリの情報通りである。ところで、金星も火星も「惑星」だが、「planet」の訳については、東大が推す「惑星」のほか、京大が推す「遊星」も候補としてあったそうだ。結局、東大が勝ち「惑星」になったそうだが、この「惑」については、惑星が恒星の間をふらふらと行ったりして「惑っている」からという説と、これを見た人を「惑わす」からという説がある。前者なら「惑」は自動詞であり、後者なら他動詞である。昔の偉い学者先生はこのことを「惑えるは人か星か」と言って表現した(以上、チコちゃん情報)。本来、どっちなのだろう。と思って「planet」を調べたら、英語には最初から惑星の意味で入ってきてて、大元の語源はギリシャ語の「惑う人」なのだそうだ。答が出た。星が惑うのである。すなわち、自動詞である。

因みに、今回のタイトルは、当初は「AVはAVの部分集合」だった。だが、お利口なFBのAIが記事の内容を下ネタと判断するかもしれないので変更したのである。なお、FBのAIを「お利口」と書いたが、これは、京都の人が、やかましい子供について「元気なお子さんどすなー」と言うのと同様の婉曲表現である(AIにそのことがばれるだろうか)。

因んだ話その1。略語が同じと聞いて他に思い浮かぶのは「BPO」。ニュースでたまに聞くのは「放送倫理・番組向上機構」( Broadcasting Ethics & Program Improvement Organization)だが、私が真っ先に思うのは「ベルリン・フィルハーモニー・オーケストラ」(Berlin Philharmonic Orchestra)である。なお、ベルリン・フィルは、ドイツ語では「Berliner Philharmoniker」である。カラヤン&ベルリン・フィルを一度だけ生で聴いた。私のオーケストラ経験の中で最高の想い出である。ベルリン・フィルをまた聴いてみたい。

その2。「惑星」に破れた「遊星」で思い出すのは「遊星少年パピイ」。変身するとき「ピーーーー、パピイ!」と叫ぶ。それからもう一つは「遊星仮面」。その主題歌の「マスクとマントの正義の子」のくだりを私達は「マスクとパンツで風邪ひいた」に替えて歌っていた。


野蛮に育って健康になりました

2023-06-20 17:38:31 | 日記

馬名を見てたら「ビッグリボン」て馬がいてビックリポン。名前が間違ってる、朝ドラ「あさが来た」でヒロインがびっくりしたときに発してたのは「ビックリポン」)……と思ったが、よく考えたら「ビッグ・リボン」(大きなリボン)だから間違いではなかった。

電気とガスの最新の請求書が来た。相変わらず、使用量・料金のいずれも、前年同月比及び前月比でマイナス。ものすごい節約ぶり。だが、これは、サラリーマンの仕事の仕方としては宜しくない。なぜなら、今年こんなにがんばっちゃったら、来年はちょっと気を抜いただけで前年同月比又は前月比がプラスになるのは必定だからだ。前の年ものすごーくがんばったんだから今年は少々増えても大目に見てくれる……なんてことは、会社ではあり得ない(私が知ってる限り)。ノルマは常に前年・前月より高く設定され、達成できなければ人間としての扱いを受けない、それがサラリーマンである(私の知ってる限り。なお、私がサラリーマンをやっていたのは40年前である)。

40年前の話をしたんので、もう少し伸ばして半世紀前の話をしよう。昨日は、母のことを書いたので、今日は父のことである。その父は、食卓では「落ちた食べ物は拾って食べろ」と言っていた。しかも、これを言うときは、高層が弟子に永遠の真理を教示するときもかくやと思えるほど偉そうだった。だが、学校では「落ちたものは汚いから拾うな」と教えられる。私は、きっと父は「昔の人」だからこんなことを言うんだと考えた。ところが、漱石の「吾輩は猫である」を読むと、主人公の苦沙弥先生の娘が落ちたモノを拾って食べたのを見た「吾輩」が「汚い」と言っている。え?この小説の時代は明治である。父が育った時代より半世紀以上前。にもかかわらず漱石は落ちたモノを食べるのを汚いと言っている(猫の言葉を借りて)。ビッグリボンではなくビックリポンである。ってことは、時代は関係なさそう。育った家庭・地域のせいに違いない。つまり、手っ取り早く言えば、父が野蛮人だった、ということである。まあー、親に向かって!と言うなかれ。実は、この非難は感謝に変わりつつある。最近、お医者さんが言ってる仮説によると、あまりに清潔なところで育つと免疫がつかないし、アレルギーにもなる、というのである。そう言えば、漱石は、生涯胃弱で苦しんだ。これだ!漱石は、落ちたモノを拾って食べることを「汚い」と書いてるくらいだから清潔な環境で育ったのだろう。その結果が胃弱である。翻って、ワタクシは、父の尊い教えのもと、落ちたモノを拾って食べていた。その結果が「体内年齢49歳」の健康である。だから、私は父に感謝しなくてはならないのである。なお、だからといって、父が野蛮人だったか否かは別問題である。野蛮人に育てられたことが「結果として」子の健康につながったとしても、野蛮人は野蛮人である(狼少年が立派な人間になっても狼は狼である)。

編集後記。今回も、話の展開的には満足である……が、なんだか最近、自分でも、破れかぶれというか、人生を投げている感じの記事が続いている感がぬぐえない。ついでに追記しよう。母が妹には「ウチにはお金がない」とは言わなかったように、父も妹には「拾って喰え」とは言わなかったと思う(妹の名誉のために申し添える)。かように、同じ屋根の下で育っても、「育ちの違い」はあるのである(チェネレントラの実家を見れば分かることである)。


Also貧乏たらしく育ちました

2023-06-19 16:10:12 | 日記

♪読んではもらえーぬブーローグをー、暑さこらえて書いてーます……私が暑さをこらえてるのは光熱費節約のためだが、都はるみが寒さをこらえてセーターを編むのはなぜだろう。「!」(ブラタモリでタモリさんが何か思いついたときも画面に「!」が出る)「北の宿から」がリリースされたのは1975年。その前、1973年にオイルショックが起きている。当時の人々は暖房費を節約したのかもしれない。私も「当時の人々」に含まれるが、中学生だったから、そういう世事には疎かった。つうか、私の母の辞書には「節約」の文字はなかったらしい、ということを知ったのは最近である。母が入居している施設を訪ねて世間話をしてた際、私が1円でも安い食材を求めてスーパーをはしごすると言ったら目を丸くして、「お母さんなんか(一人称)、買い物はいつも一つのお店で全部済ませた」と言ってえばっている。さらに、これは妹から聞いた話なのだが、母は、買う卵を「ヨードラン光」と決めていたという。これにはめちゃびっくりである。なぜなら、私は実家にいる間、欲しいものをねだっても大概は「うちにはお金がない」と言って却下されていたからである(だから、ヴァイオリンは自分の「子供貯金」をおろして買った)。なのに、安い店を探さず、いつもヨードラン光を買っていたとはどういうことだ?私のおねだりを却下するための方便だったのか。いや待て。安い店を探さず、いつもヨードラン光を買ってたからお金がなかった、というのも筋が通る。整理するとこうだ。可能性は二つ。一つは、安い店を探さず、いつもヨードラン光を買っていたほど家にはお金があったが、私のためには使いたくなかったので「お金がない」とウソをついた。もう一つは、安い店を探さず、いつもヨードラン光を買っていたために家にお金がなくなった。いずれにせよ、前者なら「ウソ」が、後者なら「浪費」が非難されるべき点である。因みに、母は、妹には「うちにはお金がない」と言ったことがないそうだ。後でその理由を尋ねたら「そんなことを言って、女の子が貧乏たらしく育ったらよくないから」と言う。え?男の子なら貧乏たらしく育ってもいいってこと?許されざるジェンダー差別である。お陰様で、妹は、すくすく育ち(心のみならず身長も。「ヨードラン光のおかげで健康になった」と言って母に感謝の弁を述べている)、私は、Also貧乏たらしく育ったのであった。念のために言っておくが、上記の「also」は、英語の「オールソー」ではなく、ドイツ語の「アルゾー」である。すなわち、「しこうして」私は貧乏たらしく育った、と言いたいのである。

編集後記。ヨードラン光の件は前からあたためていたネタだが、なかなか公表のチャンスがなかった。「暑さこらえて書いてます」からそのネタにつながったのはまったくの偶然である。こういう偶然に私の心は奮い立ち、読んではもらえぬブログを暑さこらえて書くモチベーションになるのである。


練習時間って……

2023-06-18 17:18:50 | 音楽

チェロの先生と生徒の想定問答。「先生、バッハの無伴奏チェロ組曲を弾きたいんです」「背伸びをしないで、地道に練習曲を弾きなさい」「でも、バッハの無伴奏チェロ組曲は、昔は単なる練習曲だと思われてたんですよね。その楽譜を偶然楽譜屋の店先で見つけたカザルスが弾いてから有名になったんでしょ?カザルスが弾いたらなんで練習曲じゃなくなるんですか?」「名曲だってことにみんなが気づいたんだよ」「だったら、名曲である練習曲でいいじゃないですか。なんでボクが練習曲として弾いちゃいけないんですか」「お前はそういう屁理屈ばかり言う。そんなことじゃ上達せんぞっ」。こういう反応をする先生(親)は昭和時代にたくさんいた。昭和の先生(親)は論理を嫌う。「理屈」=「屁理屈」なのである。

その練習の話である。大昔は、楽器でもスポーツでも練習はすればするほどよい=練習はウソをつかないと言われてきた。だが、その後、話が変わってきて、たくさんやればよいというものではない、例えば、マラソンの瀬古選手などは、練習のしすぎで本番のオリンピックで力を出せなかった、合理的な練習が必要、日本人がメジャーに行ってびっくりするのはその練習時間の短さである、なんて話をたくさん聞くようになった。温泉だって、浸かりすぎたら体に毒で、せいぜい15分でよいそうだ(だから、湯治客はやることがないので、旅先で恋をするのである)。もともと練習嫌いの私などは、そういう話に思いっきり飛びついて、さぼる口実にしてきた。

だが、直近において、考えが変わってきた。ヴァイオリンの天才少女のHIMARI嬢は、できないところがあれば「千回」でも弾くと言っている。メジャーリーガーが練習をしないと言ってもそれは合同練習の話で、個々では筋トレ等に励んでいるそうで、大谷選手なども、一日12時間睡眠をとるのだが、残りの12時間はすべて野球なのだそうだ。そういう話を聞き、だいぶ反省し、一応音楽を趣味にしてるんだったら、もちっと真面目にやろう、ちゃんと練習をしよう、たくさん練習をしよう、と思う今日この頃である。

と言っても、クラリネットをあまり吹きすぎると、歯がぐらぐらしてくるし、唇や楽器を支えている右手親指が痛くなったりして、明らかに休んだ方がよい時間帯が出てくる。そういうときにヴァイオリンやチェロの練習をすれば時間の有効活用になる(ヴァイオリンとチェロは「副科」……いや、そもそも「本科」は歌なんだから、クラリネットだって「副科」だ)。ブログを書いてもいい。というわけで、この文章を書いている今は、クラリネットの練習の合間である。そろそろ練習を再開するか、いや、もうじき笑点が始まる。再開はその後にしよう。

因みに、1億総大谷ファンの様相を呈している日本であるが、なかには野球にさほど興味のない人もいて、あるタレントがテレビで、「食事中も野球の話ばかりだったらつまんないんじゃないか」などという国民全員を敵に回すような(ある意味勇気のある)発言をしていた。因みに、ワタクシなどは、人と飲みにいってするのは、女優HのW不倫の話等のゴシップ系が中心で(お友達のゴシップも大好きである)、初めて飲み屋で私にあった人などは、私が音楽ファンだとは思わないだろう。私自身、私って音楽ファン?といぶかしく思う今日この頃である。


ドラマならいいんだね

2023-06-17 18:40:00 | 日記

私の住居が入ってるマンションと南側の道路の間には、以前は家が建っていた。例えば、その道を町の神輿が練り歩く様子などは、間の家の屋根越しに見ていたものだ。

ところが、その道路が拡張されることになり、周辺の家々は次々と取り壊された。間の家も取り壊されて空き地は駐車場になり、わがマンションは当該道路と駐車場をはさんで直接接することとなった。

その結果、自動車やバイクの走る音がかつての何倍も大きくなり、テレビの音が聞こえなくなった。そう言えば、取り壊された家の屋根にはよく猫がいたが、

あの猫らはどこに行ったのだろうか(これらの写真をひょいと取り出せるのも、写真ファイルの整理をしたからである)。

話は変わる。ある男性シェフの話である。と書くと、おっ、女優HのW不倫の相手だろう、私の記事だし、と思われるかもしれないがそうではない。フレンチの谷昇さんのことである(谷さんはダンディな方で声が渋くて、この方がHの相手でもおかしくないところだが、Hのお相手は、どうせ細身のイケメン(志尊淳みたいな)だろうという想像に反し、見た目はなかなかのワイルド系である。その意味で、希望をいだいた男子もいるようである)。その谷さんが娘さんと二人で料理番組に登場。娘さんと言っても息子さんの配偶者で、ってことは義理の娘さんだが、その方が、谷真海さん(旧姓:佐藤さん)。パラトライアスロンの選手で、パラリンピックの日本代表で、なかなか活躍されてる方である。つまり、息子さんを「かすがい」として一流シェフと一流アスリートがつながったわけだ。因みに、真海さんと女優H(とついでにワタクシも)は同じ西北大学(仮称)出身である。Hが西北大学を受けるって言うんで西北大学を受験した人が増えたらしい(少なくとも競馬の予想家のスガダイがそうらしいから、1人は増えた)。なお、当該大学を「西北大学」と呼ぶのはかつての朝ドラ「半分、青い」にならってのこと。中国にはホントの「西北大学」があるが、もちろんその大学のことではない。因みに「半分、青い」に出てた志尊淳が、今朝ドラではタケオを演じている。今朝ドラにはHも出ていたが、今回のことが明るみになったのはHの出演シーンが終わった後だったから、NHKの関係者は安堵しているかもしれない。なお、タケオとくっつくものと私が予想している綾を演じている佐久間由衣は、朝ドラ「ひよっこ」で時子を演じていた。そう言えば、時子は綾野剛と結婚したんだよな。綾野剛も名作の誉れ高い朝ドラ「カーネーション」では糸子(尾野真千子)と不倫したんだった。このときの綾野剛には多くの人がキュンキュンしていた。ドラマなら不倫もいいってわけね。念のために言うと、「時子&綾野剛」は現実であり、「糸子&綾野剛」は虚偽(ドラマ)である。かように虚実入り組んだ今回は、久しぶりに私の趣味が全開となった回でありました。