この写真は、今回の小旅を象徴する図柄である。が、その話は後にするとして順繰りに。神田川は、これまで源流から東中野までと、高田馬場と江戸川橋の間を歩いた。間をつなげるべく、東中野から高田馬場間の踏破を計画。これまでに比べれば短い距離。たったの1万歩である。
ということで、万亀橋からスタート。ここは歌の会や練習に行くときいつも渡る橋だが、桜の季節以外にあまり写真に撮ったことはない。
ここから下流に向かうのだが、しばらくは北上。北方彼方に丘陵発見(建物の合間の緑)。
こうした高低が気になるところはブラタモリの影響である。あれ?途中で川がなくなった。さては暗渠だな。下落合駅近くを通過すると、ほら、出てきた。やっぱり暗渠だったんだ。
と思ったら大間違い。これは妙成寺川。さっき、暗渠だと思った地点で神田川は右折し、東に向きを変えていた。私は左岸を歩いていたので分からなかったのだ。ので、右折地点に戻り、再び神田川沿いを歩く……と思ったのだが、川の両岸に遊歩道が設けられているのはここらあたりまで。ここから高田馬場あたりまでは、川に接岸して建物が建ってるので、ちょっと離れた道を歩き、橋があるたんびに川と再会する戦法をとる(モハメド・アリの「蝶のように舞い、蜂のように刺す」戦法である)。
そうこうするうち、山手線の線路が見えてきた。
いよいよ高田馬場である。と思ったら、さかえ通り入り口(駅の反対側)が現れた。
おお!さかえ通りとくれば○龍!
室内合唱団時代に、練習帰りに毎回立ち寄って「顔」になっていた店。よっぽど入ろうか、と思ったが、実は、この日、別の懐かしいお店に行くのが目的。その後、気になってた中華にも行きたい。○龍は三次会候補である。
その今回の目的の「懐かしいお店」とは、30年前(大学卒業後10年経過)、高田馬場に頻繁に行く用事があり、そのとき決まってヴィーナー・シュニッツェルを注文していたお店である。最近ググったら、今もヴィーナー・シュニッツェルを出しているお店があるという。あのお店だろうか。その確認が今回の小旅の目的の一つである。で、入って注文。
おお!まさしくこれだ。お皿に岩塩が乗っているのも、ワインが小瓶なのも昔のまま。壁から突き出ているテーブルにも覚えがある。トイレが和式なのも、支払は現金のみなのも昔っぽい。予期しなかったのは、大盛りライスが付いていたこと。実は、この日は、私が普段滅多にしない「はしご」をするつもりだった。前記の通り、中華、そして○龍にも行きたい。大盛りライスでかなり胃はふくらんだが、初志貫徹。がんばるっ。ということで中華に行く。実は、この街には某合唱団の練習で毎週来ていて、別の中華に行っていたのだが、そこが大幅に値上げをしたので行かなくなっていた。そこよりもかなり安い。その分、複数で入ろうとすると待たなければならないようなのだが、この日はまだ5時くらいだし、お一人様なのですぐ入店できた。注文したのは定番=キクラゲと卵と豚肉炒め、それと餃子。
量は普通。味は庶民的(五文字のお店的)だった。さあ、もう一店、いよいよ40年前に通い詰めた○龍に……だが、既に胃袋の乗車率は200%。3店目は無理。そもそも私は「はしご」に慣れてない。○龍は先のお楽しみに残しておこう。とにかく食べて飲んだからこれをこなさなければならない。よし、早稲田通りを大学まで歩こう。そして、久しぶりに構内を散策しよう。しばらくは上り坂(下の左の写真。学生時代、こんな高低を意識して歩いたことはない。繰り返しになるが、ブラタモリの影響である。もし、子供の頃にブラタモリが放送されていたら私の人生は変わったかもしれない)。明治通りと交叉するあたりが坂上で(写真中)、そこからは下り坂になる(写真右)。
それでも大学の西門あたりはまだ丘の上。その先が谷になっていて(ビルの三階くらいの高低差がある)、そこに校舎が建っている。だから、丘の上からは大隈さんを見下ろすことになる。
そこに降りて行って、構内を歩いてたら見慣れぬ建物。
おお!これが噂の村上春樹ライブラリーか!こうした新しい建物がある反面、構外にあった学生会館(室内合唱団の部室があった)が見当たらない。当時からしてかなり古かったから取り壊されたのかもしれない。もちろん、大隈講堂は昔のまま。
その前の階段で、演劇サークルの人達が発声練習をしていた。歌仲間のMさんご夫妻も実は演劇畑でここで発声練習をしていたらしい(私とは時代が一回り違うが)。この大隈講堂が、結構、馴染みのない場所で、私がこの中に入ったことを記憶しているのは2回。一回は、キャンディーズもどきの女性3人のユニットの公演で、もう一つは三遊亭楽太郎(後の円楽)の落語会だった。
次回は、目白の日本女子大のあたりから谷を下って高田馬場に出るルートに挑もう(覚えているかしらん)。で、次こそは○龍に行かんとぞおもう。