拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

実物の寅さん

2016-04-30 18:54:56 | 日記
NHKが一生懸命黒柳徹子さんの半生を描くドラマを宣伝している。だけど今回が初めてじゃないぞ。昔、斉藤由貴さんが黒柳さん役を演じたドラマもあった。そのときのエピソードで覚えてるのは、新聞の求人欄の「細面」(委細面談)を「細面」(ほそおもて)と勘違いしてNHKの試験を受けに行った、というもの。さて、今回、渥美清役が登場するっていうんで興味を持っている。なんでも、お二人は、初めのうちは、山の手のお嬢様と浅草の芸人ということで、互いに反目してたそうだが、そのうち仲良くなって、ロマンスの噂も出たそうだ(徹子の部屋でのお二人の談)。渥美さんが晩年体調が悪くてやっとの思いで寅さんを撮ってたときも黒柳さんが激励に現れると、スタッフが「渥美さんもあんなに笑うことがあるんですね」と言うくらい元気になったそうだ。そのお二人を生で見たのは、まず黒柳さんは、池袋芸術劇場のあの長いエスカレーターの昇りと下りですれ違ったとき。タマネギ頭ではなく、さらさら風のショートカットだった。渥美清さんはそれよりずーっと前。私が柴又に住んでたとき、高砂駅(柴又駅への乗換駅)の階段を昇っていたら、上の方から誰かが降りてきて、その回りに人垣ができている。すれ違うときに見たら渥美清さんと山田洋次監督だった。笑顔はまったくなく、きっと口を閉じたまま、渥美さんは、顔におしろい(みたいの)を塗ってる感じだった。粛々と階段を下るその姿は厳かで、シリアスな映画のワンシーンのようだった。

二台ピアノによるヴァルキューレ

2016-04-30 06:30:15 | 音楽
二台ピアノ+ティンパニによるヴァルキューレ(ヴァーグナー)を聴きにいった。二台ピアノのうち一台を某合唱団でお世話になっている先生が弾かれるので。この曲(に限らずヴァーグナー全般に言えることだが)のオケ・パートは素晴らしい。オケの演奏会で、歌抜きで演奏されるほど。それが二台ピアノだとどうなるか興味津々。で、聴いた感想=二台ピアノのコンチェルトのよう。一方が第1ヴァイオリンなら他方は第二。一方がホルンなら他方はトロンボーンといった具合。堪能しました。ところで、もう一人の方はヴォーカル・スコアを譜めくり付きで弾いてたのに対し、おらが団の先生は総譜を見て他方が弾かない音をチョイスして弾く。しかも譜めくりはご自身で。その大変そうなこと。今めくったと思ったら数秒後にまためくるの繰り返し(総譜だから)。それでいて、あの快演。神業だ。で、歌の方は?私はこの曲は第1幕の愛の二重唱(不倫愛の二重唱(おっ、この表現気に入った))が好きなのだが、この日はフリッカとブリュンヒルデがよかったので第2幕と第3幕が楽しめた。フリッカは、発語も完璧で熟達の歌手という感じ。でも、高音フェチの私にとってこの日注目したのはブリュンヒルデ。最初登場したときは、ほ、ほそっ、大丈夫?しかも、ハイヒールでこけそうになり、大丈夫?って感じだったが、いや全くおみそれしました。多くのブリュンヒルデは「ホヨトホー」の最後の高音が上がりきらずにぶら下がるのだが、この日のブリュンヒルデは決してそんなことはない。よく通るきれいな高音をホールに響かせていた。ヒルデガルト・ベーレンスのようなリリックなブリュンヒルデだった。ということで、大いに楽しんだGW初日でありました。

語順の変化の意味(シュッツのUnser keiner)

2016-04-29 10:14:15 | 音楽
ドイツ語は、語順に結構がっしりしたルールがあるのだが、歌詞となると、音が優先するためルール無視の語順にしばしばお目にかかる。で、どーせいつものルール無視だろう、とたかをくくって失敗をしたのが今回。シュッツを歌う会でとりあげる「Unser keiner lebet ihm selber」の資料を作っていて、私の下手な訳よりもインテリ揃いの会員にはより有用だろうと思って英語の逐語訳を付けたのだが、大いなるヘマをしてしまった。「Leben wir,so leben wir dem Herren」のところ、二回「leben wir」が出てくる。同じ意味だろう、でも一つ目の語順が変だな~。主語と動詞がひっくり返ってる(因みに、二つ目の方は「so」があるから、この語順で合ってる)。でも、どうせいつもの「ルール無視」だろう。ということで訳を割愛(「カッツ・アイっ」~コント番組「ライフ」より……この括弧忘れてちょうだい)。ところが、佐保姐さんが送って下さった全体の英訳(If we live, we live for the Lord)を見て、はっと思った。一度目は英語でいう「if節」だったのだ。だから語順が変わっていたのだ。つまり、「われわれが生きるとすれば」(これがカンマの前)、「主のために生きる」となるのであって、前半のカッツアイ(また言った(気にいってるので))などとんでもないことであった。安易に「どうせいつものルール無視」と思ったのがいけなかった。英訳も、iPadに入っていたのに確認しなかった。大いに朝から反省したのであった。

コパチンスカヤ、ハイフェッツの再来!?

2016-04-29 06:48:11 | 音楽
(承前)クルレンツィス、続いて聴いたのはチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。これがまた速い。そんなスピードだとヴァイオリン・ソロが弾けないじゃん……い、いや、弾けてる。ソロを弾いてるのはパトリツィア・コパチンスカヤ。すごい超絶技巧だ。この曲をこんな速いテンポで聴いたのはハイフェッツ以来だ。10代で最初に買ったこの曲のレコードがハイフェッツ。比べるものがないから、テンポはこれが普通だと思って、それよりもキーキーしててあんまりきれいな音じゃないな、というのが当時の感想。その後、「超絶技巧」の看板をひっさげた演奏をいくつも聴いたが、それこそ晩年のベームのコシのようで(のったりくったり)、そっか、ハイフェッツってすごかったんだ、と分かったのであった。で、コパチンスカヤ、技巧だけではない、その変幻自在の表現力には舌をまく。あまりビブラートをかけないところはハイフェッツと似てるが、音はこちらの方がずっときれいだと思う(ハイフェッツも実演で聴いたら違ったのかなぁ。因みに、コパチンスカヤのCDが出だした頃、評論家は「こすりつけるような音」だと言って、高い評価を下さなかったそうだ。評論家は相変わらずだ)、いや、もう、すっかりクルレンツィスからコパチンスカヤに興味が移って、その後、ベートーヴェンの協奏曲(カデンツァは自身の編曲。コパチンスカヤは作曲家でもある)や、クロイツェル・ソナタを聴く。おおっ、数え切れないくらい聴きこんだこれらの曲が超新鮮。恐るべし、コパチンスカヤ、ついていきます(ご亭主とお子さんがいるそうだが)。

兎と亀(新旧コシのテンポ)

2016-04-28 10:06:56 | 音楽
続いてクルレンツィスのコシ(コシ(ジ)・ファン・トゥッテ)を聴く。フィガロに輪をかけた挑戦的な演奏。序曲の、あの人をくったような細かいパッセージの超速ぶりは比類ない。このスピード感がリニアモーターカーなら、晩年のベームのテンポののろさは荷を引くろばだ。でも、それもなかなか味わい深い。ベームのコシの映像は映画仕立て。序曲では、ウィーンフィルの面々もかつらをかぶっておとぎの世界風の中で、ベームが相変わらずのいかめしい顔つきでいつものびっくり人形風にタクトを振る仕草は一見の価値あり。この映像をドイツ文化センターで初めてみたとき(映画上映会だった)、おばさま数人連れが「あらベームよ、すごいわね」と大はしゃぎ。ベームに興奮するのはなかなかの通でいらっしゃるんだろうが、上映中のおしゃべりには甚だ閉口した。因みに、この映像の出演者=ヤノヴィッツ、ルートヴィヒ、アルバ、プライ、ミリャコヴィチ、ベリーのオールスター・キャスト。

クルレンツィスのフィガロの結婚(ファニー・アントネルー)

2016-04-27 16:27:13 | 音楽
(承前)で、そのクルレンツィスのフィガロの結婚なんだけど、最初の数秒聴いて私はノックダウン。すごい。ピリオド楽器を使っているのだが、いわゆるピリオド奏法ではない。アクセントの強いその演奏は精気にあふれている。合間にポロロンと古いピアノみたいな音が入る。通奏低音がフォルテピアノなのだ。これがまたいい。ダイナミクスが登場人物の喜怒哀楽をよく表現する。奨めてくれた近藤さん(仮名)に感謝します。さて、歌手陣だが、CDの販売元の解説では「ジモーネ・ケルメス以下……」という書き方をしていて、コンテッサを歌ったケルメスをイチ押しのようだが、私が強烈に気に入ったのはスザンナを歌ったファニー・アントネルー。最初に聴いたとき、声がルチア・ポップに似ててびっくり。歌い方もデリケートで神経が行き届いていて、終幕のアリア(これに付いてるレチタティーヴォが大好き)なんかたっぷり聴かせる。きっと、ポップのような東欧系のブロンドなんだろうな、と思ったら、ギリシャ人で、見た目もいかにもギリシャ人って感じ。いやしかし、ギリシャ人歌手の印象が変わりましたがな。

クルレンツィス聴くべし(と言われた私)

2016-04-27 12:05:35 | 音楽
昨日のブログで、一点訂正。性格の悪いスザンナがマルチェリーナ(この後、義母になる)に「お歳お歳お歳お歳」と集中攻撃を加えた、と書いた。だが、そこんとこをあらためて歌ってみたら「お歳お歳お歳」だった(「お歳」が一個少なかった)。3個を4個にしてしまうあたり、私も農耕民族だ。この誤りについてどなたからも指摘を受けなかった。その理由を考えてみる。1.気がついたが、言うのも面倒臭い。2.そんな些細なことどうでもいい。3.そもそも興味がない。う~ん、どの理由であったとしても少し悲しい。さて、フィガロと言えば。最近、近藤さん(仮名)から、「いーじまくん、クルレンツィスって知ってる?え~~~?知らないの~?」。近藤さんの目に侮蔑の光が灯る。苦沙弥先生をからかった迷亭君の目に浮かんだ光(吾輩は猫である)もこんな光だったのかもしれない。いや最近、新しどころ聴いてないからなぁ(バイロイトに出てくる演奏家はおさえてるんだけど。だから、ベルリン・フィルの新シェフにペトエンコが決まったときも全然驚かなかった)。いつまでもカラヤン、ベームではいかんだろ。近藤さんは「クルレンツィスを聴くべし」と仰る。アップル・ミュージックで聴けるようだ。で、フィガロの結婚を聴いたんだけど、字数がいっぱいになったんで、感想は次回以降に。

お・み・くじ

2016-04-26 17:02:08 | 言葉
ふと「おみくじ」とつぶやいて思ったこと。これ、「みくじ」に「お」が付いたんだよな。「みくじ」って、「くじ」に「み」が付いたんだよな。ってことは「御御籤」?二重に尊敬してどうすんだ(御神籤と書くこともあるようだが)。他にないかな?あった。「おみこし」も、「お」+「み」+「こし」だ(これも、御御輿と御神輿があるようだ)。二重と言えば、昨日の「鶴瓶の家族に乾杯」でテレビに映った標識に「Dangoza Dori Ave.」と書いてあった。「Dori」と「Ave.」じゃダブリだ。その通りがあるのが「谷根千」(谷中・根津・千駄木周辺。猫がたくさんいるらしい=そそる)。歩いたのは鶴瓶さんと織田信長の子孫であられる元フィギュア・スケーター。その声はとっても高い。信長も「声ははなはだ高かった」と言われる(当時の宣教師の報告)。テナーだったんだね。

年(歳)が決めて(大地VS秋野=スザンナVSマルチェリーナ)

2016-04-26 10:50:27 | 音楽
新しい朝ドラでの大地真央さん(演じる青柳商店の女将)と秋野暢子さん(演じる森田屋の女将)の皮肉合戦を見て、「フィガロの結婚」のスザンナとマルチェリーナの二重唱を思い出した。にこにこしながら相手を褒めるように見せて実はけなしてるところがおんなじ。決めてが「年」(歳)であるところも。だが、長いのがいいか悪いかは逆。朝ドラの方は、創業以来の年数が長い方がえばってるが、「フィガロ」では、「お歳」(L'eta!)はスザンナがマルチェリーナを打ち負かす決め台詞。この台詞で敵がひるんだと見たスザンナは「お歳お歳お歳お歳」と弱みにつけこむ集中攻撃(あまり性格がいいとは思えない)。でも、マルチェリーナはがっかりすることはない。熟女好きだっているんだから(家康は、熟女、後家、人妻が好きだった)、年数比べで思い出した。大分昔、国連の会議でアメリカと中国の代表がやりあうシーンがあった。中国は「4000年の歴史」を誇示。それに対しアメリカは、「200年の民主主義国家の歴史」を自慢。そう、憲法で勉強するのだが、ヨーロッパの哲学者がはぐくんでいった人権思想が最初に花開いたのはアメリカだったのだ。パウェルさん(当時のアメリカの国務長官)が言ったのはそのことだった。編集後記:今回も、フィガロの結婚ネタが一部混じったので、カテゴリーは音楽。

100円でシュッツを歌う会

2016-04-25 12:12:17 | 音楽
大学に入って最初に入ったのは大学オケ(ワ○○ケ)だった。ところが入団後の全体のオリエンテーリングで、先輩たちがおっしゃることは「楽器はいくら以上のものでなければダメ」等々のお金がかかる話ばかり。ここはブルジョワの巣窟だった(W大にブルジョワは合わないはずなのに)。隙間をボンドG17で埋め合わせたボロ楽器をひっさげた私はいたたまれなくなって即リタイア。失意のうちにキャンパスをうろついてて目に入ったのが某合唱団の団員募集のビラ。山ほどある合唱団のうち、グリーだのソーコンだのといった有名どころではない聞いたことのない合唱団だったが「バッハのモテットの2番」に惹かれて入団したのが運の尽き。以来、片足を古楽につっこんで今に至る。その合唱団、私が入れたくらいだから団費はたいしたことはなかったと思うが、最近、わが後輩たちはやたらメジャーになり、古楽好きの口上にも上るようになった。海外公演もしてるんだと。え?その費用は?う~ん、今私が学生だったらとても無理だ。そんなあなたにお奨めなのが(通販か?)、100円でシュッツを歌う会(注)。団員(特に男声)募集中! 注:正式名称は「シュッツを歌う会」です。団費は毎回場所代を参加者数で割った額であり、常に100円とは限りません(って、なんだこの注は?やはり通販か?)。

「主よ、人の望みの喜びよ」って歌詞ある?(BWV147)

2016-04-24 11:01:29 | 音楽
BWV104の話の続きは今月のカンタータの会が終わった後にするとして、今日はBWV147の話。コラールは「主よ、人の望みの喜びよ」で有名だが……まてよ、第1曲は、「心と口と行いと生活」(直訳。以下全部直訳)だし、有名なコラールは二箇所で出てくるが、1番目は「イエスを持てて幸せ」、2番目(終曲)は「イエスは私の喜びであり続ける」。「喜び」つながりで終曲かな?そのようだ。Wikiによると、終曲の英語訳が「Jesus,Joy of Man's Desiring」で、この日本語訳が「主よ……」なのだそうだ。まったくもう、もとがドイツ語なのにわざわざ英語から訳すなよ(とか言うが、私が歌詞として読む聖書はドイツ語だが、これだってヘブライ語を訳したものだ。)。さて、某合唱団で、2か月の練習の末、内輪の本番でこの曲を歌った。これは私にとって記念すべき会だった。カウンターテナーでアルトを歌ったのだが、実戦(?)で初めてEを出したのだ。合唱の中で「どさくさ紛れ」。練習ではFも出てたから、えいやっとばかりに。さすがに、パートソロではEは遠慮した。いつもならDがやっとこさだからEなんてはなっから歌う気はないのだが、この日はドーレーと上がっていって余裕があったから一瞬Eもいったろか、と頭をよぎった。が、パートソロでは目立つので(どさくさ紛れという訳にはいかない)直前に回避。こういうところで気にせず歌い倒す面の皮があったら人生楽しいだろうなー、と思う。

ABBA(父)

2016-04-23 11:27:42 | 音楽
カンタータの会の次の曲目はBWV104。その歌詞を眺めてたら「ABBA」の文字が。「父」という意味で、イエスが神様のことをこう呼んだのだという。あれ?ヴォーカル・グループの「ABBA」ってそういう意味?違うらしい。4人のイニシャルをつなぎ合わせて「ABBA」にしたそうだ。キリスト教徒のかたたちは、「アバの曲がね」とか言うとき、一瞬でも神様を連想するんだろうか。しかし、音が同じだからと言うなら刑事コロンボが「うちのかみさんがね」というたびに神様を連想することになる。映画「マンマ・ミーア」は「ABBA」(父ではない方)の曲満載。メリル・ストリープは歌も上手い(オペラの勉強をしたそうだ)。エンドロールでアマンダ・セイフリッドが歌う「Thank you for the music」は最高。編集後記:いつものように話がとんだ。バッハから始まって、言葉、聖書、ポップス、テレビドラマ、映画。こういう場合、カテゴリーは音楽(音楽ネタがちょっとでも混じれば「音楽」)。