拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

茨城LOVE(霞ヶ浦のカタチ)

2024-05-04 07:01:01 | 風景

筑波山の山頂からは南東方向に霞ヶ浦が見える。

湖・池・沼好きの私(ただのため池にすらLOVEを感じる私)にはたまらない景色である。だが、霞ヶ浦を地図で見るとこんなカタチをしているのだが、

これがどうにも筑波山山頂から見た眺め(冒頭の写真)と符合しない。当然である。まず東西南北の方角が違う。筑波山山頂から霞ヶ浦は北西から南東を見るのに対し、地図は上が北である。さらに、俯角(下のほうを見おろすときの視線と水平方向とのなす角)が違う。筑波山山頂からはほぼ水平に見てるのに対し、地図は真上から見ている。

上図で、地図で霞ヶ浦を見た場合の角度(b)よりも、筑波山山頂から霞ヶ浦を見た場合の角度(a)の方が小さい。だから霞ヶ浦の奥行きは筑波山山頂からは圧縮されて見える。

だから山頂からの眺めと地図を符合させるには脳内での図柄の修正が必要だが、もとから優秀でないうえにアルコールに浸って機能不全を起こしている私の脳では修正がままならない。

そこで、脳内の作業はやめて、現実の作業をすることにした。まず、地図を、筑波山から見るのと同じ角度になるように回転させる。これで方角が一致する。

次に、その上下(奥行き)を縮める(俯角の違いを修正する)。すると、どうだ!筑波山から見たのと同じようなカタチになった。

すなわち、地図の上部の三角帽子も、下部の二本脚もぎゅーっと圧縮され、

左右に長いカタチ(上図の赤線の部分)になったのである。そんな中で、右側の脚の先端の屈折部分などは圧縮後も形が残り、逆に誇張されるのである。

あー、なんともすっきりした。早々にまた筑波山を登って、以上の検証結果を肉眼で確認しよう。それから、霞ヶ浦にも行こう。実は、霞ヶ浦はもっぱら筑波山から見てるだけで現地に行ったことがない。それにしても、筑波山といい、霞ヶ浦といい、大洗海岸といい、これらはみな茨城県である。この県が魅力度ランキングで最下位を争っているのが不思議。私にとってはパラダイスである。インパクトのある「最下位」をわざと狙っているのでは?との憶測すら抱いている茨城LOVEのワタクシである。なお、これは初歩的な知識であるが「茨城」は「いばらき」である。茨城を「いばらぎ」と言いながらその愛を語る資格はないのである(とか言いながら、ホントにそうだっけ?とググって確かめる愛の怪しいワタクシであった)。


見る角度その1(単線)

2024-04-21 08:38:35 | 風景

奥地の家から帰るとき(まだ引越前だから、奥地の家からは「帰る」)、電車の運転席に張り付いて前方を撮影。

駅では上下線に別れていて、複線を装っても(別に装ってないか)、すぐ先で単線になる(お里が知れる)。単線になってすぐのところに第1の踏切があり、その先に第2の踏切が見える。二つの踏切が近接してるように見えるけど、直線は、その端から反対側の端を眺めるとすぐそこにあるように見えるもの。この二つの踏切の間も300メートル近くある。

第1の踏切の先から線路の両側が高くなっていてそこにあるのは畑。こないだはその畑の脇を歩いて、崖下の線路を走る電車を見下ろしたのだった。

二つの踏切の間は線路が上り坂になっていて、畑と線路の高低差が徐々に解消していき、2番目の踏切のあたりで線路の高さが畑においつくカタチ。

これだとずいぶん狭い踏切に見えるけど、これは角度のせい。前回、この踏切を渡ったときの様子はこう。

まっこと角度によって見え方が違う。

因みに、私の郷里を走る電車は、私が成人する頃まで単線だった。単線に郷愁を感じるのはそのせいだろうか。