拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

細腕繁盛記&純ちゃんの応援歌

2024-05-07 07:08:54 | ドラマ

昨日の「ファミリーヒストリー」は高嶋政宏のルーツをたどる旅。お父上の高島忠夫を初めてテレビで見たのは「細腕繁盛記」だった。伊豆の旅館に嫁いだ新珠三千代演じる若女将を慕って大阪から追っかけてきた板長の役だった。若女将を「こいさん、こいさん」と呼んでいた。小学校高学年の私には意味が分からなかったが、とにかく板長が「こいさん」と言ったら若女将のことだということが分かれば十分だった。夫には富士真奈美が演じる妹がいて、とにかく意地悪な小姑でドラマの仇役だった。その富士真奈美がなんかのCMに登場し、ドラマそのままに度の強そうな眼鏡をかけているのだが、最後にちらっと眼鏡をはずして微笑むと美人だった。と思わせるCMの演出だった。ホントの私は美人でしょ?と言ってる風でもあった。

この「細腕繁盛記」だが、子どもの私も富士真奈美の小姑を苦々しく見ていたクチだが、今思い返すとだいぶ感想が異なる。彼女の立場で考えてみれば、これまで自分たちの流儀で旅館をやってきたのに、いきなり大阪から若女将が来て、しかも、その恋人っぽい板長までついてきて、旅館を彼らの欲しいままに変えてしまわれたら、小姑たちから見れば「乗っ取られた」と思って当然、いい顔ができるはずはない。しかも、これは今ウィキペディアで知ったことなのだが、兄(若女将の夫)は戦傷で男としての務めができなかったそうだ(当時知らなかったのは、まだ私がお子ちゃまだったからだろう)。そこに持ってきて、若女将とただならぬ関係にありそうな板長の存在。妹とすれば兄が、ひいては自分自身がバカにされたように感じたのかもしれない。ドラマの最後の方で、この小姑は権力争いに負けて家から出て行ってしまう。子どもの私は「あー、良かった」と思ったものだが(多くの視聴者もそう思っただろうが)、今思うと気の毒である。いたわりの言葉の一つや二つかけてあげたいところである。かように、人の評価は、その描かれ方によっていくらでも変わってくる(情報操作)。因みに、人が噂話が好きなのは、自分に都合のいい情報を広めて(情報操作)、敵を追い落とし自分が生き延びるためであり、DNAに刻まれた習性であるとチコちゃんが言っていた。「細腕繁盛記」を見ていた私などは、ドラマの作り手の情報操作(こいさんと板長は善、小姑一派は悪)にまんまと乗せられてしまったわけである。

後年知ったことだが、富士真奈美さんは静岡出身で、オペラ歌手になりたかったそうである。高島忠夫さんについては、「細腕繁盛記」の後は、私にはゴジラ映画でおなじみだった。息子さんの高嶋政宏さんを初めてテレビで見たのは朝ドラ「純ちゃんの応援歌」で、ヒロインの山口智子に「Will you marry me?」と言った台詞だけ覚えている。因みに、弟の高嶋政伸さんと山口智子さんの夫の唐沢寿明さんを初めて見たのもこのドラマだった。

え?毒舌のヴァイオリニストの高嶋ちさ子さんて高島兄弟のイトコだったの!知らなかった。

因みに「こいさん」は、大辞林によると、「こいとさん」の略で、関西で主家の一番下のお嬢さんを呼ぶ語だそうだ。すると、「こいとさん」の語源がしりたくなる。推測するに、小さい(小=こ)いとさんってこと?当たり。「いとさん」は「お嬢さん」を表すそうだ。


コロンボの声

2024-04-26 07:01:08 | ドラマ

昨日の母の写真を刑事コロンボが見つけたなら大得意で「いいですか?あなたのお母さんはたしかに琴を弾いたんです。あたしね、証拠を見つけたんです」とか言って私に見せつけたろう。刑事コロンボが流行ったのは私が高校生のときだってことは、通ってた高校にコロンボのようなレインコートを着た先生がいて「コロンボ」って仇名が付けられていたから間違いない。そのコロンボ先生はご自身でもまんざらでなかったようで、他校に転任する際の挨拶で「刑事コロンボも去り」と言って笑いをとっていた。そう、私の高校在学中にコロンボの放送が終了した。クラスメイトが「次の『警部マックロード』では視聴者も最初犯人が誰か分からないんだよ」と言っていたことを覚えている。因みに、そのコロンボ先生は、某女子学生から恋慕の情を寄せられていて、毎日当該女子学生がこしらえた弁当を食べさせられていた。転任はそのせいではないか?と半世紀ぶりに偶然某所で出会った同学年の同窓生と話し合ったものである。因みの因み、その女子学生は、いま、ある芸術分野で名を馳せている。

いったん終了した刑事コロンボは、10年以上経ってアメリカで製作が再開され、日本でも放送された。コロンボの髪もうっすら白くなっていたが、それよりもなによりも変わったのは日本語吹き替えの声。日本でコロンボが流行ったのは「うちのかみさん」に代表される小池朝雄の吹き替えの声と言い回しによるところが大きい。ところが、製作が中断した間に小池さんが亡くなったので石田太郎さんに変わったのだ。石田さんの声は小池さんの声よりも相当に太くて低い(私的には「大草原の小さな家」のガーベイの声がおなじみ)。それでも、石田太郎さんはよく小池さんの声・言い回しを再現した。

声優の交代と言えば、「ひょっこりひょうたん島」のドン・ガバチョ。藤村有広さんはドン・ガバチョの破天荒な性格にぴったりだった。島民に対してする「みなさ~ん」の呼びかけには力があった。だが、NHKが、一視聴者(放送当時は少年だった)のノートを基に「ひょっこり」をリメイクした際、ドン・ガバチョの声を担当していた藤村有広さんが亡くなっていたので他の方が引き継いだ。リメイクでは、私が望む「みなさ~ん」を聞くことはなかった。因みに、オリジナルの「ひょっこり」の最終回で映像がいきなり切り替わってなんと人形ではない人間のドン・ガバチョがポーズをつけながら歌っていた。私が藤村有広さんの実物を見たのはそれが初めて(でもしかすると最後)だった。

「コロンボ」に戻る。毎回、ゲストスターが登場して犯人を演じるのだが、その中には、「スタートレック」でミスター・スポックを演じたレナード・ニモイもいたし、その上官のカーク船長を演じたウィリアム・シャトナーもいた。が、吹き替えの声が「スタートレック」でなじんでいた声とは違っていて残念だった(シャトナーについては、放送権がNHKから民放に映ったときスタートレックのときの声優さんに戻ったそうだ)。

その「刑事コロンボ」を、例の古い録画の移行作業中に見返した。初回放送時(高校生の頃)は、犯人のトリックを見破るコロンボに喝采を送っていた。が、今回見方が変わった。犯人にシンパシーを感じることさえあった。原因はコロンボの遠回しの物言い。容疑者から事情を聞くときよく「ウチの甥っ子が」と言う。甥っ子はいいから何を言いたいの?聞きたいことをはっきり言ってちょうだい、と容疑者ならずとも言いたくなる。そもそも捜査手法があこぎ。犯人を罠にはめるのだが、ひどいのになると、真犯人をあぶりだすため、無実の息子を逮捕するなんてこともする(すぐ釈放すると言ったって、違法逮捕には違いない)。あるいは、「うちのかみさん」を死んだことにしてウソの葬式を挙げたりする。おとり捜査が発達しているアメリカだから許されるのだろうか。日本では、おとり捜査はアメリカ以上に問題視される。さらに、犯人を罠にはめて自供を引き出して逮捕する回もあったが、例えば日本国憲法では「何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない」とされている。アメリカでは違うのだろうか?日本国憲法の草案はアメリカ人が書いたものだけど。

とか言っても、「刑事コロンボ」は世界中でヒットした作品で、ドイツ人監督のヴィム・ヴェンダースが撮った「ベルリン 天使の詩」にもピーター・フォークは「コロンボを演じた俳優」として登場する。因みに、役所広司さんがトイレ清掃員を演じて賞を獲った「パーフェクトデイズ」はヴェンダースの監督作品である。