拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

半世紀前のカウンターテナーは美しかった件

2022-07-31 11:27:58 | 音楽

夜中に目が覚めると部屋がかなり冷えている。これだったら大丈夫と思いエアコンを切ると、途端に暑い。しかし、エアコンは運転当初に一番電力を消費する。切ってすぐつけるわけにはまいらん。今まで冬だった、この暑さは恵みの暑さだと自分に言い聞かせ、エアコン嫌いの猫を見習って朝までがんばった。それにしても暑い。先週4回目のワクチンを打ったあと、だらーっとしてしまったが、副反応ではなく暑さのせいだったと思う。エアコンがついててもついてなくてもこの時期は体調が崩れると言った人がいる。その通りだろう。

そんななか、発掘したカセットテープのコレクションは、私の新たな活力源である。半世紀ぶりにタイムカプセルを開ける気分。そんななか、聴くのが恐ろしいモノがいくつか出てきた。

その1。高校2年のときの吹奏楽部の定期演奏会(場所は県立音楽堂)で、私が指揮をしたベートーヴェンの「運命」(第2楽章を除く)。先輩達から酷評された演奏である。そこにはこういう事情があった(半世紀前の話だからなんでも書いちゃう。関係者は読んでないだろうし。読んでたらいつもの言い訳を言おう。「これは、遙か昔、別の銀河系のお話です」と)。この前年くらいまで、吹奏楽部では「院政」がしかれていた。すなわち、本来は「経営権」は2年生の執行部にあるはずなのだが、OBや上級生が実権を握り続けていて、選曲も練習もすべて彼らの意向に拠っていた。私達の学年は、それを潔しとせず、現役だけでやる演奏会をめざしたのである。当然、OBや上級生は面白くない。で、そうやって実現した定期演奏会の「運命」がさんざんだったから、ほれ見てみい、とばかり囂々たる非難が巻き起こり、「お前達は吹奏楽部の歴史に泥を塗った」とまで言われた。その演奏がテープに残っている。おそるおそる聴く。ふむ。標準的な演奏を念頭に聴くと「ひどい」演奏である。だが、「うーんとひどい」と思って聴くと、そこまでひどくない。細部に目をつぶれば、音楽の進行はなかなか見事である。自分でよく言うって?半世紀も前の自分はもはや別人格。過去の自分を目撃するマーティ(バック・トゥ・ザ・フューチャー)の気分である。

その2。大学の室内合唱団のクリスマスコンパの余興演奏で、私が披露したカウンターテナー。当時、女声パートは女の園。大奥も真っ青の男子禁制の世界だから、そこに男がもぐりこんで歌うなどあり得ない話だった。だから、私は合唱団でバス・パートを歌い、もっぱら、コンパの余興でカウンターテナーを歌って鬱憤を晴らしていた。その録音が出てきたのである。曲は、音を下げて歌ったバッハのカンタータ第78番の二重唱のソプラノ・パートと、クレメンス・ノン・パパの「羊飼いは言った」のソプラノ・パート。おお!Wie schön! 驚きである(自分でよく言うって?だから別人格だってば)。これを聴いて、なぜ、合唱団でアルト・パートを歌わせようってならなかったのだろう。それだけ女の園の壁は高かったか、あるいは、単なる「色物」と見られたのかもしれない。

因みに、この録音には、上記以外にも面白いものが目白押し。新旧楽譜係で歌った「Singet」の終曲ではI氏の声が聴けるし、一つ下の学年の「ハレルヤ・コーラス」では声自慢のバスの諸氏の咆哮が聴ける(いつの時代も声自慢の人は咆哮したがるものなのね)。合唱団随一の色男と目されていたM氏とB子のBWV140の二重唱では、私がオーボエ・パートをクラリネットで吹いている。そして、私達の学年で歌ったのはシュッツの「Ich danke」。この曲は、現在、シュッツの会でも歌っていて、断然、シュッツの会の歌の方が良い。半世紀近く前の私達はせかせかしている。そこはやはり重ねてきた年輪の差である。

因みに、「半世紀前に美しかった」のは声であり、容姿ではない(100万人に一人くらい勘違いする人がいるかもしれないので念のため)


カセットテープ

2022-07-30 10:08:48 | 音楽

サトルは暢子に「完全に」振られたという(朝ドラ)。そんなに「完全」だったっけ。振り方もいろいろ。「ごめんなさい」「私たちは友達だから」。もう少し厳しくなると「あり得ない」。因みに、「バラの騎士」でゾフィーがオックス男爵を振ったときは、オクタヴィアンが代弁して「彼女はあなたがきらいです」(Die Fräulein mag Ihn nicht)と露骨な言い方(「Ihn」は本来は「彼を」だがここでは「あなた」の意味。日本語でも課長さんとかが男性の部下に「かれしー」とか言うが(言わない?私の上司は言っていた)、それと同様の言い回しである)。因みに、暢子が和彦母宅に持って行った風呂敷に包んだ容器を見て、一瞬、中に義経の首が入っていると思ってしまったのは、頭の中がだいぶ「鎌倉殿」仕様になっているからである。もちろん、中身は弁当である。

ということで本題。MD移行作戦続行中に、今度は某大なカセットテープのコレクションが現れた。高校時代の吹奏楽部の演奏記録などが含まれていて、資料的価値はあなどれない。その吹奏楽部の演奏を半世紀ぶりに聴いてみた。まず、私が高一のときの演奏会の録音。私はクラリネットを始めたばかりなのにバス・クラリネットのソロをずいぶん吹かせてもらった。その一つが「木挽き歌」のエンディング。トゥッティでジャーンと鳴った後、ただ一人残ってテーマを吹く。おおっ、ちゃんと吹いている。半世紀前の自分に拍手を送ろう。だが、当時の会場の拍手はまばら。きっとこの後、どーんと来るんだよ(バイロイトの拍手はそんな感じ)、と思ったら来ない。そもそも聴衆の数がまばらである。今思えば、一人立ち上がってオベーションを受けるところであるが、吹奏楽部が全体主義的だったのか、指揮者が気が利かなかったのか、そういうことは一切なかった。

続いて、翌年の文化祭の演奏の録音、私は、今度はB♭管のクラリネット(普通のクラリネット)でソロを吹いている(ローエングリンの第3幕の前奏曲と「新世界」の第4楽章)。当時、私に対する批評は「音はきれいだが小さい」。聞いてみるとまさにその通り。四六時中吹いていた当時よりも、今の方がよっぽど大きな音が出る。過去のトラウマが頭にあり、今でもときどき「新世界」のソロを吹いては、「今はこんなに鳴ってるんだけどなー」と思う。長年の歌で鍛えた腹筋の賜物だろうか。だが、逆に、クラリネット(に限らず管楽器全般)を吹いた後は、声の出がいい。相乗効果なのかもしれない(ただし、指の回りは高校生当時の方が上。あの頃はホントにクルクルとよく指が回った)。

そうやって出てきたカセットテープは500個くらいあるが、そのデジタル化は急ぐ必要はない。カセットからデジタルへの変換器どころか、ラジカセですらまだ現役で製造されている。しかも、あのS社(次から次へと魅力的な新製品を発明しては歴史的遺物にしてきたS社。この会社の株を売らないで持ってれば今頃億万長者だった。そうしたもろもろの意味での愛憎が積もっているS社)が作っているのは驚きである。


小さいことはいいことだ!

2022-07-29 11:54:58 | グルメ

アメリカが更なる利上げをしたので韓国もそれに追従。これが世界の各国の普通の姿である。唯一、日本だけが低金利を維持し、円安が進んだ。思えば逆のときもそうだった。リーマンショックの後、各国が大規模な財政出動をする中、唯一、日本だけが渋ちんを維持し、円高が進んだ。だが、日本国民は「逆張り」(みんなが買って値上がりする中で敢えて売る、又は、みんなが売って値下がりする中敢えて買う)が好きだという。そんな国民性が中央銀行に現れていても不思議はあるまい。なーんてことを言うと日本銀行の偉い人に「われわれは上級国民である。お前らのような庶民と一緒にするな」と言われそう。当該「偉い人」が黒塗りの車で送り迎えをされている様子をテレビで見る。彼らは、スーパーなどには行かないのだろう。ましてや1パック99円のタマゴを買うための行列に並んだりはしなのだろう。そのスーパーで、最後の砦となっているのが見切り品コーナー。かなりくたびれてはいるが、ぎりぎり腐ってはなさそうな食材が安い。そのコーナーで山芋を買ってきた。普段、あまり使わない食材である。どう料理しようか。よし、ふわとろオムレツにしよう。タマゴ(セールのたびに買ってたから冷蔵庫の一段がタマゴだらけ)と混ぜてフライパン(小)で焼く。

餃子を焼くときなどは28センチのフライパンを使うが、今回使ったのは16センチ。「小さいことはいいことだ!」である(CMで「大きいことはいいことだ」と言っていたのは、作曲家の山本直純氏と高見山大五郎関である)。出来上がりは、なんとなくパンケーキの風情。

だが、これは副菜。昨夜のメインはこないだの残りで作ったゴーヤーチャンプルー。

案の定、満腹中枢が「もう無理」と言い出したのを聞かなかったことにして平らげたから、途中から苦行であった。

なお、私が考えるようなことは他の人も考えるから、最近、見切り品コーナーに人だかり。そうなると、インフレの波がこのコーナーにも押し寄せてくるのは、需要と供給のバランス理論からは当然である。


副反応/競馬中継/トマトの肉詰め

2022-07-28 09:02:25 | グルメ

というわけで、4回目のワクチンを打ったのだが、例によって熱とかは出ないのだが、打った左腕の痛みがこれまでよりもきつい。ワクチンが効いている印だと思って喜んでいる。だが、左手は、チェロやヴァイオリンの弦を抑える手であり、クラリネットの上半分のキーを抑える手である。これらの練習は、昨日は控えたし、今日も控えるつもりである。

和彦母には息子の結婚に口だしする権限はないが、あのニーニーの様子を見たら反対したくなる気持ちも分かる(朝ドラ)。しかも、ニーニーは、競馬で当てて妹への祝儀にしようと思ったそうだが、本物の競馬ファンとは思えない。本物の競馬ファンなら賭けたレースは固唾を飲んで視聴するはず。だが、ニーニーはご馳走をほうばりながらだった。実況中継のアナウンサーも緊迫感がなく、まるでカルガモの親子の行進を実況しているよう。昔、亡き父が、NHKの競馬中継を「たるい」と言っていたことを思い出した。そうかと言って、民放の競馬中継がいいとも言えない。かつて、もう終わったと見られていたオグリキャップがラストランの有馬記念で有終の美を飾ったときの「オグリキャップです。スーパーホースです」が名実況と言われているが、声がひしゃげちゃって聞いてられない。声帯の能力を超えて大きな声を出そうとした結果だと見受けられる。リスグラシューのラストランの実況もひどかった。ダミ声で「勝ったのは、リスグラシュ↓ウ↓ウ↓ウ↓ウウウ……」とどんどん下がっていって、最後だけ「↑ウッ」と上げていた。ごーしちごーを読んでるんじゃないんだから。競馬中継のアナウンサーには、正しい発声とイントネーションで的確にレースを盛り上げていただきたい。因みに、今回の朝ドラの製作サイドは、ニーニーを寅さんになぞらえているフシがある。馬鹿にしてはいけない。寅さんは、ニーニーのように詐欺をはたらいたりはしなかった(露店の口上は得意だったけれど)。なお、森林に罠をしかけることは動物に対する、海や川で釣りをすることは魚に対する欺罔行為であるが、相手が人間でないから詐欺罪は成立しない。

昨夜は、あさイチで教えてもらってレシピで「トマトの肉詰め」。半年ぶりに安くタマネギを買えたことにより実現した。まずは、トマトをくりぬいて挽肉とタマネギを混ぜたタネを詰める。

切り口を下にして焼き、


途中でひっくり返し、くりぬいたトマトの中身を加える。

フタをして、蒸し焼きにして出来上がり。

これはたしかに美味である。ただ、なんだかんだいって長生きしたいから品数を多くしたら、

あっという間に満腹中枢が「お腹いっぱい」の判断。そうなった後、食べ続けることは、一種の苦行である。


毒味/数字の4/豆腐の水抜き

2022-07-27 08:34:23 | 音楽

暢子が和彦の母親の胃袋をつかもうと毎朝弁当を作って届けている。しかし、和彦母側から見て、かつ、「鎌倉殿」の世界観に立てば、これは大層危険な行為である。なぜなら、和彦母は、暢子にとって目の上のたんこぶ。これを排除しようとして弁当に毒を潜ませるかもしれない。だから、お手伝いさんが代わりに食べているのは毒味である。

さて。昨日の数字当てクイズの答合わせをしよう。

「縄目」とは「キリストは死の縄目につながれたり」(Christ lag in Todesbanden)。バッハのカンタータ第4番のタイトル(冒頭歌詞)である。バッハの最初期のカンタータの一つで、レチタティーヴォはない。私はこの曲が大好きである。特に、ソプラノとアルトの二重唱!いつもパート全員で歌っているが、文字通り二重唱で歌ったっていい。ソロのレパートリーに入れよう。

「ギリシャの乙女」とはベートーヴェンの交響曲第4番。両隣の3番と5番が巨大で強烈ななか、こじんまりと優しいので「北欧の巨人に挟まれたギリシャの乙女」と評されている。だが、フライブルクのドイツ語学校のクラスメイトのギリシャの乙女は強烈だった。寮でも毎夜彼女の部屋からは怒号がとんでいたが、夜半になるとぴったり止んだ。彼女のルームメイトは男性だった(男女同部屋はないはずなのに、どういういきさつでそうなったのか知る由もない)。

「ロマンティック」とはブルックナーの交響曲第4番のニックネームである(ひねりはない)。合唱友達にとっては、ブルックナーと言えば、テ・デウムをはじめとする合唱作品の方がなじみがあるだろうか。

「♪シーソー」はブラームスの交響曲第4番の冒頭の第1ヴァイオリンのメロディー(音名)である。ちょっと前、某合唱団のアフター会でこの「シーソー」をカウンターテナーで歌っていたら、それがきっかけとなって別のテーブルの一団と話をするようになり、なんと彼らからオーパス・ワン(銘醸ワイン)のグラスの差し入れがあった。

「新たな希望」とは、「スターウォーズ」の第1作の副題(A new hope)である。第1作であるがエピソード4。すべてはこの作品から始まった。これがなければ、この半世紀の文化はかなり別の様相を呈していただろう。

ということで、正解は「4」。昨日、4回目のワクチン接種をしたことに因んだ出題であった。ボツにしたヒントには「首都圏で『巨人の星』を放送していたチャンネル」「『死に神』と仇名されたサイボーグ」があった。

接種会場からの帰り道、普段寄らないスーパーでタマネギが4個100円で売られていた。タマネギの高値はピークアウトしたのかしらん(コロナの第7派は、まだまだピークアウトしていない模様)。大喜びでタマネギを買ったついでに、安くもないゴーヤーも買ってしまい、昨夜は、今年初のゴーヤーチャンプルー。

ゴーヤーチャンプルーの存在を知ったのは「ちゅらさん」を見て。そのときから夏になると作っているが、一番のネックは豆腐。水抜きをしてなんとか堅くしているが沖縄豆腐のようにはいかない。


数字当てクイズ

2022-07-26 20:47:53 | 音楽

今日、私の身に起きた事柄に関するある数字を当てるクイズ。以下、ヒントです。
①縄目、②ギリシャの乙女、③ロマンティック、④♪シーソー、⑤新たな希望
ヒント。①~⑤は年代順。②~④は交響曲。⑤は映画。正解の数字は1桁。あー、もう答をいっちゃたようなもの……


結納か持参金か

2022-07-26 09:14:39 | 日記

「お嬢さんとの結婚をお許しください」
「お断りします。あなた無職でしょ?それでいて、け、け……言うのも汚らわしい(注:この人は『競馬』と言いたい)、そんなものにうつつを抜かしているんでしょ?それから、お宅の内外で裏声で奇声を発してるというじゃありませんか。しかも、それをボケたお父様の仕業にされているとか(注:男の父親は随分前に他界している)。そんな方に、だーいじに育てたウチの娘をやるわけにはまいりませんっ。だいたい、あなた、お仕事がないんだから結納金だってご用意できませんでしょう?」

ほら化けの皮がはがれた。上品そうなことを言っていても、結局はお金が大事な人なのである。「ウチの娘をやる」だけでも娘をモノ扱いしていてけしからんが、さらに結納金をもってこいとなれば、これは売買である。え?上記は誰と誰の会話だって?今朝の朝ドラに触発されて考えた想像会話である。因みに、婚姻にまつわるお金と言えば、「結納」と「持参金」。日本では、男方が女方に結納金を払うのが原則だが、裕福な女が貧乏な男に嫁ぐ場合は女が持参金を「持参」したという。以上をふまえると、上記の母親への反論は次のようになる。

「お母さん……」
「あなたにお母さんと呼ばれる筋合いはござんせん」
「○○子さん、よく言ってくださいました。仰るとおり私は無職。ですので、そちら様から持参金をいただくのが筋でございます。ウィキペディアにもそのように書いてございます(iPadを開いて見せる)。ですので、あらためてお願いします。お嬢さんとの結婚をお許しください。そして、持参金をください!」

こうなるとコントである。さすがに、こういうことを言うほど私はバカではない……いや、会話の主は架空の人物だから私ってことではないが、モデルは私かもしれない?

因みに、歌劇「バラの騎士」では、オックス男爵はゾフィーとの婚約に際し、ゾフィー側が結納金を納めることを要求する。オックスが貧乏貴族でゾフィーが裕福な成り上がり貴族の娘であっても、あくまでも結納金は夫が妻に払うものだと公証人が必死に説得を試みるがオックスは頑として聞かない。そう言えば、当ブログのタイトルは、長いこと「バロン・オックスのなんとか」だった。


カンタータをたくさん歌った夏の夜

2022-07-25 08:49:46 | 音楽

「お母さん、暢子さんをボクにください」(朝ドラ)。この発言は様々な点で憲法違反である。「ください」はまるでモノ扱い。「下さい」の字をあてるとまるで払下げである。「人は個人として尊重される」と定めた憲法13条に違反する。さらに、憲法24条は、婚姻は両性の合意のみによって成立すると定める。民法改正により成年年齢が引き下げられたことによって「未成年者の婚姻」の概念がなくなり、民法的にも親の同意を必要とする場面がなくなった。「ください」を許可を求める意に解するなら、直接的には民法違反であり、間接的には憲法24条にも違反する。さらにさらに、千歩譲って、日本の習俗として「ください」を容認するとしても、だったら暢子も和彦の親に「和彦くんをください」と言うべきである。でなければ平等原則を謳った憲法14条に違反する。私は、今後、「お嬢さんをください」などと言うつもりはない。再婚できないのはそのせいである(理由は別という噂も)。

さて。昨日、カテドラルの複勝を買ったのは、学生時代に入っていた室内合唱団の定期演奏会が東京カテドラルで行われていたからである。カデナの複勝を買ったのは、私が女性好きだからである(騎手はニュー・ヒロインの今村聖奈騎手)。両馬のワイドを買ったのは、カツカレーを食べたいのと同じ心理(好きなモノをダブルで楽しむ)。おまけにベステンダンクの複勝を買ったのは馬名がドイツ語だから(「ありがとう」の最上級の意味)。このうち、当たったのはカテドラルの複勝のみ(馬券が当たってベステンダンク!とは行かなかった)。それでも、他の馬券がはずれたのを補い、トータルで、ミラノ風ドリアと赤ワインのデカンタを頼めるくらいの利益が出た。

だが、夜向かったのはサイゼリヤではなく、バッハのカンタータ5曲(全曲もあれば抜粋もあり)とヴィヴァルディのグローリアをぶっつけで歌うスポット的な会。お誘いいただいて、曲の中にBWV4が含まれていたので、尻尾を振って歌いに行った。知った顔がいくつかあったが、知らない方も「カウンターなんですね」と声をかけてくださる。この5年で、合唱団におけるカウンターテナーの認知度もずいぶん上がったものだ。とっても楽しく歌うことができた。誘ってくださった皆さん、ご一緒したくださった皆さん、ありがとうございました。

夜、心地よい疲労感の中、最寄りの駅近くのパン屋で買った半額になったパンをワインのお供にしつつ、録画してあった「鎌倉殿の13人」を見る。頼家補佐の13人が決まり、「13人」のお話(13人が血で血を洗う消耗戦を繰り広げる)はここからが正念場である。梶原景時(ちくり魔)は早速昨日失脚した。


兵どもが夢の跡

2022-07-24 08:16:20 | 音楽

昨夜のシュッツの会での出で立ち。例によってのポーター姿。チェロを背負い、ヴァイオリンを抱え、バッグには楽譜と譜面台のほかクラリネットが入ってるから、この日持参した楽器は三つ。だが、それよりもこの写真で披露したかったのは腰のポーチ。新兵器である。バッグのポケットから財布がこぼれ落ちる「事件」がこの1年で二回あったのでそれへの対処なのだが、このくらいの荷物を抱えていても財布やパスモを簡単に取り出せるという「副産物」がえらく気に入っている。

そのシュッツの会である。昨夜、新曲を一曲用意したのだが、あっという間に歌えてしまった。普通の合唱団なら、この練習で半年は稼げるところである。精魂こめて作った料理を育ち盛りの子供にぺろっと平らげられた気分。いや、うれしい悲鳴である。この調子でいくと、レパートリーが加速度的に増えて、私が夢に描く「とってだし」(シュッツの宗教的合唱曲集全29曲のうち、その日の気分で歌う曲を決める)ができるようになるかもしれない。

会では2時間アカペラで歌って、その「おまけ」として楽器付きでバッハのカンタータを歌う。大荷物はそのためである。こちらも、1か月かけて精魂こめて(?)準備した成果を1回きりの演奏の中で出す。一期一会とはこのことである。だが、バッハ大先生は、この一期一会の作業を毎週行っていた。

「おまけ」と書いたが、将来、本編の中で楽器を演奏する日が来るかも知れない、ではなくて、きっと来る。例えば、ブクステフーデのメンブラなどは絶対やりたいと思っている。かつてもこの会でやったことがあり、そのときは口三味線だったが、今度やるときは「ホント」の楽器付きである。

例によって、中華で反省会をして、私としては飲んだ量が「ほどほど」だったせいで(乾杯の生ジョッキのほか、7人で赤ワインのボトル3本)、乗り過ごすこともなく(もし、乗り過ごしたら、千代田線と常磐線で帰途が別々になったメンバーと松戸を過ぎたあたりで合流するところであった)、無事に帰宅した。つうか、こんだけの大荷物を抱えていれば、逆に神経がはりつめていて、乗り過ごすなんてことはない。

今朝の玄関の風景は、いつもと同様の「兵どもが夢の跡」であるが、そこにポーチが加わっている点が新しいところである。

あらためて、文章と写真を振り返ってみて思った。私は人に自慢できるものがあるとすれば、それは歌でも楽器でもない。力持ちであることである。


グルベローヴァのルーチョ・シッラ

2022-07-23 08:32:21 | 音楽

楽器や歌を練習してると、前回より下手になっていることがしばしばある。なんで前回弾けた(吹けた)パーッセージで指がもつれるんだ、なんで前回出た音が出ないんだ。練習をすればするほど下手になるなんて立つ瀬がない。とか思ってると、その次の練習でひょいとできたりする。チャートで表すと、激しい上下のでこぼこ。まるで、激動期の株式相場である。だが、考えてみると、かの羽生結弦選手だって4回転半を飛べたり飛べなかったりする。一度飛べればあとずっとということにならない。バランスだとかタイミングがその時々で微妙にずれるのだろう。その修正が大事なのだろう。

かのグルベローヴァも、あのくらいの人でも本番前はコレペティの先生のところで入念にチェックをしていた。

そのグルベローヴァのお宝録音が出てきた。MD移行作戦中のことである。曲は、モーツァルトのオペラ「ルーチョ・シッラ」。モーツァルトが16歳のときの作品で、まだバロック・オペラを引きずっている時代で、プリマ歌手に与えられるアリアはそれはそれは華やか。16分音符のメリスマの連続である。ドラマの深みだとかなんだとか言ってる人は聴かなくてよい。グルベローヴァの超絶技巧を味わいたい人には最高のデザートである。しかも、共演者がものすごい。ペーラー・シュライアーにバルトリ!さらに、ドーン・アプショーとかも出ている。1989年のウィーンでのライブである。

MD移行作戦にあたっては、MDをUSBメモリーに変換できる器械(二台態勢)がいつ壊れるか分からないので、優先順位を付けている。CDで売っているようなヤツは後回し。海外の放送局のライブ録音、特に今回の「ルーチョ・シッラ」のようなヤツは「飛び級」扱いである。

因みに、同オペラのグルベローヴァの役名はジューリア(「ルーチョ・シッラ」は男名であり、シュライアーの役名である。だから今回のタイトルの「グルベローヴァのルーチョ・シッラ」は誤解を与えるかもしれない)。そのジューリアの派手派手アリアは、メリスマも聞き所だが、まるで関ヶ原の戦いにおける薩摩軍のようなモーツァルトの「正面突破」な音楽もすがすがしい。例えば、その出だしは(移動ド)、♪ドー、ミーファ、ソ、ソーソ、ラソファミファソラシドー……って具合。なんとなく、後年の「後宮からの誘拐」のコンスタンツェのアリアに似ている。そのアリアを歌うグルベローヴァも聞き物であった。

「バロック・オペラを引きずっている」と書いた。バロック・オペラでは、歌手が超絶技巧を披露する。そうした風潮に改革をもたらし、ドラマ性を強めようとしたのがグルックである。「オルフェオとエウリディーチェ」が有名。おー、またオルフェオか。本当によくオペラになる題材である。


一人夫婦箸(ジョイナーの脚)

2022-07-22 21:23:53 | 日記

チコちゃんで今「江戸川のせせらぎ」と歌ってる部分は、当初は「江戸川の生ゴミ」だった。あざといとNHKを非難することはできない。当ブログも、アップして30分で表現を穏健なモノに差し替えるのはしょっちゅうである。

日中にアップした記事に「ショウジョウバエ」のことを書いたら、「ショウジョウバエ」から「メンデル」を連想し、「メンデル」から「ヘンデル」を連想したお友達がコメントを下さった。では、私もその後を引き受けよう。「ヘンデル」から連想する人=「ヘンゼル」(グレーテルの兄)。「メンデル」から連想する人=「メンデルスゾーン」。まてよ。「メンデルスゾーン」がいるなら「ヘンデルスゾーン」もいるはず。いたいた!ググってヒットしたHändelssohnさんはポップミュージシャンである。

脚本家の藤本さんが朝ドラのために書いた「ちりとてちん」と「カムカムエヴリバディ」の両方とも名作の誉れが高い。私はどっちも大好きだったが特に「ちりとてちん」の影響はすさまじく、落語のCD、DVDは某大の量を所有しているし、若狭塗り箸の夫婦箸も購入した。その夫婦箸なのだが、将来に備えて購入したモノなのだが、使われるのは専ら夫用。さすがにゴシゴシ貝殻を塗り込んでるからほとんど無傷だが先端の部分だけ禿げてきた。いかん。これでは、新品のままの妻用のモノとの差が広がる一方。ということで、最近は、妻用のモノを使うことが多い。そのせいである。今夜、お食事の際、ふと見ると、夫用のモノと妻用のモノを一本ずつ使っている。

え?わざとしてるんだろ、あざといって?君たちは私のことをかいかぶっている。私はそんなにモノを考える人間ではない。だからこそ、今回の出来事は私に大受けであった。なにやら「ジョイナーの脚」のようでもある。


ショウジョウバエ

2022-07-22 08:33:39 | 音楽

朝からどうでもいいカップルの接吻シーンを見せられ食傷気味(朝ドラ)。どうせ、来週になったら親が出てきて「結婚を許しません」とか言うんでしょ?で、「許していただくまで諦めません」とか言うんでしょ?どうせなら、「許さない」と言われたらどっかのCMみたいに「じゃ、いいですー」と言ってほかをあたった方が気が利いてる。因みに、私の場合は両親ともJenseits(黄泉の国)の住人だから「許しません」と言う人はいない。

黄泉の国と言えば、MD移行作業で「オルフェオ」(モンテヴェルディ)を聴いて思ったのだが、夫が死んだ妻を迎えに死者の国に行くという点はイザナギ・イザナミと同じである。「妻を見ちゃった」ために悲劇が訪れる点も同じである。だが、その「見ちゃった」が異なる。オルフェオは、冥界の長・プルートーとの約束を破り、地上に行き着く前に振り返って妻(エウリディーチェ)を見たため、連れ帰ることがかなわなくなった。それに対し、イザナギは、腐敗してウジにたかられる妻(イザナミ)を見たため、「見たなぁ~」と怒る妻を振り切り地上に逃げ帰った。

因んだ話その1。映画「コープス・ブライド」に出てくる「骸骨の花嫁」(題名のまま)の頭蓋骨にもウジが一匹生息しているが、このウジはなかなかチャーミングである。それよりも、最初は怖かった「花嫁」だが、だんだん「なんていい人(死人)なんだろう」と思うようになり、エンディングで花婿を生きてる女性に託して無数の蝶々になるシーンは呼吸ができなくなるくらい泣いたシーンであった。

その2。オッフェンバックのオペレッタ「天国と地獄」は、原題が「地獄のオルフェ」と言うくらいだから、やはりオルフェ(オルフェオ)とウリディス(エウリディーチェ)の物語なのだが、前提がだいぶ違っていて、この夫婦は既に倦怠期。それぞれが浮気をしている。ウリディスが毒蛇にかまれたのはかような状況においてであった。地獄に行ったら行ったで、ウリディスはハエに化けた神々の長ジュピテルに口説かれる。

上記の因んだ話2題を結びつけているのは、「その1」のウジと「その2」のハエである。言うまでもないが、タマゴのおやじはピーヨコちゃんであるごとく、ウジのおやじはハエである。因みの因み、夏になるとショウジョウバエが増えて困る。生ゴミはなるべくためずに早く捨てるべきである。生ゴミを貯めるヤツなんかいるかって?ゴミ捨てに使うビニール袋を惜しめばゴミ出しの回数が減る。結果、生ゴミが貯まり、ショウジョウバエが増えるのである。おー、今回のネタはショウジョウバエに行き着いた。書き手の予期しなかった展開である(しかし、オペラが2作品登場するから、ジャンルはあくまでも「音楽」である)。


鉄子

2022-07-21 20:51:37 | 音楽

胸肉は栄養があるうえ安価。こないだのイワシ1パック100円には及ばないが、1パック131円は十分価値のある安さである。

冷蔵庫にあるモノをなるべく使おう。イワシの梅ポン酢用に買った梅干しがなかなか減らないからここで活用。叩いた胸肉で梅と大葉をはさみ、パン粉をまぶして焼く。パン粉も、消費期限をとっくに過ぎたヤツを今夜使い切った。火を通すんだから消費期限なんか関係ない(良い子は真似をしたはいけない。あくまでも自己責任である)。

今宵使用したフライパンは鉄のフライパン(愛称=鉄子(徹子ではない))。くっつくと厄介な料理(卵料理、餃子、お好み焼き)以外は鉄子を使う(野菜炒めは鉄の中華鍋(=小鉄)を使う)。最近の人々の不調は鉄分不足のせいかもしれないそうだ。鉄製のモノで調理することにより、幾分か鉄を摂れるという。こんなことを気にしてるんだから、健康診断に行かないくせにやはり長生きしたいと思ってるらしいワタクシである。

なかなか上手く焼けた。

これも、鉄子に十分油をなじませているからである。私がボケたかどうかの見極めは、フライパンを洗うときに分かると思う。フッ素樹脂加工のモノは洗剤をしみ込ませたスポンジで洗うが、鉄子と小鉄はたわしを使う。洗剤は厳禁である。洗剤を使うと、これまで長いことかけてなじませた油のコーティングが一瞬で剥がれるからである。だが、それこそ、ボケる前に、一瞬の気の緩みでやっちまいそうなのが怖い。


あげたモノは帰ってきません

2022-07-21 09:22:12 | 音楽

ソースは「おたふく」の焼きそばソース。広島のソースと言えば「おたふく」である。マヨネーズは、いっとき敬遠していたが、おフランスでは各家ごとのレシピがある、日本のメーカー品は美味しいと聴いて、なんだバカにしたもんじゃないじゃんと思って「堂々と」使うようになった。

某さんから「トリスタンとイゾルデ」ってどんなオペラ?と聞かれたので、一言端的に「不倫のオペラ」とお答えしたら、「イージマさんの好きなヤツ」と仰る。あわてて「妄想の世界で、です」と申し上げたが、「私の好きなオペラのジャンル」という意味で、私が不倫好きってことじゃないんだからあわてて言い繕う必要はなかった。

そう言えば、昨日聴いた「港町ブルース」で、あなたにあげた夜を返せと言っているが、あげたってことは贈与であって所有権は受贈者に移っている。しかも、かりにこの男女が(どっちが男でどっちが女かはこの場合不問)不倫の関係であって贈与契約が公序良俗違反で無効であったとしても、民法で言うところの「不法原因給付」にあたるから取り返すことはできない。

因みに、進行中のMD移行作業で、オペラアワーの「タンホイザー」の録音が出てきて、その解説で後藤美代子アナが「タンホイザーはエリーザベトとの清い愛があったにもかかわらず官能の愛をもとめてヴェーヌスの許へ」と言っている。「清い愛」と「官能の愛」の違いはなに?前者はプラトニックってこと?エリーザベトに婚前交渉を迫ったら「結婚までは清い関係で」と断られて欲求不満に陥ったタンホイザーがヴェーヌスベルクに向かった、ということか。

逆に、カルメンは婚前の関係だったからホセからエスカミーリョに乗り換えても「不倫ではない。文句を言われる筋合いはない」と開き直ったのだろう(カルメンは、結婚してても乗り換えそうだが)。MD移行作業で出てきたホセ・カレーラスの「花の歌」(「カルメン」の中のアリア)は絶品であった。


函館の栗毛

2022-07-20 18:05:22 | 音楽

ケメ子の手とワサビの足が宙を泳いでいる。さしづめ、空中庭園である。

テレビをつけたら森進一が演歌を歌ってる。演歌は聞かないから、とチャンネルを変えようとしたら、「みぃなと~、みなーと、はこーだてー」という歌詞が耳に入った(港町ブルース)。函館か!こないだ函館記念が催された場所だ!と思ったら興味が沸いてその後も聴いてみた。小学校の頃、歌番組で何度も聴いた曲だが、歌詞をこんなに注意して聴くのは初めてである。2番は「みやこ、かみいし、けせんぬま」。ほーっ、ずっと北海道じゃないのか。南下するわけね。いや良かった。因みに「だました男の味がする」の男は、騙した方だろうか、騙された方だろうか。

森進一の次は、民謡歌手。「わーらぁにぃまみれてよ」うんうん、それで?「そだてたくーりぃげぇー」おおっ!栗毛!オルフェーブルの毛色!わらにまみれたのは馬だったのか!こちらも俄然興味が沸いて真面目に全部聞いてみた。手塩に育てた馬が町に売られていくので達者でな、と言う歌だった。いい歌だった。競馬界でも、最近、セレクトセール(若い馬の競市)が行われたところである。因みに、この歌を聴いて、「おやつはカール」を思い出したんだけど、あっちは別の歌だった。どっちも三橋美智也さんが歌ってたんで混同したんだった。