夜中に目が覚めると部屋がかなり冷えている。これだったら大丈夫と思いエアコンを切ると、途端に暑い。しかし、エアコンは運転当初に一番電力を消費する。切ってすぐつけるわけにはまいらん。今まで冬だった、この暑さは恵みの暑さだと自分に言い聞かせ、エアコン嫌いの猫を見習って朝までがんばった。それにしても暑い。先週4回目のワクチンを打ったあと、だらーっとしてしまったが、副反応ではなく暑さのせいだったと思う。エアコンがついててもついてなくてもこの時期は体調が崩れると言った人がいる。その通りだろう。
そんななか、発掘したカセットテープのコレクションは、私の新たな活力源である。半世紀ぶりにタイムカプセルを開ける気分。そんななか、聴くのが恐ろしいモノがいくつか出てきた。
その1。高校2年のときの吹奏楽部の定期演奏会(場所は県立音楽堂)で、私が指揮をしたベートーヴェンの「運命」(第2楽章を除く)。先輩達から酷評された演奏である。そこにはこういう事情があった(半世紀前の話だからなんでも書いちゃう。関係者は読んでないだろうし。読んでたらいつもの言い訳を言おう。「これは、遙か昔、別の銀河系のお話です」と)。この前年くらいまで、吹奏楽部では「院政」がしかれていた。すなわち、本来は「経営権」は2年生の執行部にあるはずなのだが、OBや上級生が実権を握り続けていて、選曲も練習もすべて彼らの意向に拠っていた。私達の学年は、それを潔しとせず、現役だけでやる演奏会をめざしたのである。当然、OBや上級生は面白くない。で、そうやって実現した定期演奏会の「運命」がさんざんだったから、ほれ見てみい、とばかり囂々たる非難が巻き起こり、「お前達は吹奏楽部の歴史に泥を塗った」とまで言われた。その演奏がテープに残っている。おそるおそる聴く。ふむ。標準的な演奏を念頭に聴くと「ひどい」演奏である。だが、「うーんとひどい」と思って聴くと、そこまでひどくない。細部に目をつぶれば、音楽の進行はなかなか見事である。自分でよく言うって?半世紀も前の自分はもはや別人格。過去の自分を目撃するマーティ(バック・トゥ・ザ・フューチャー)の気分である。
その2。大学の室内合唱団のクリスマスコンパの余興演奏で、私が披露したカウンターテナー。当時、女声パートは女の園。大奥も真っ青の男子禁制の世界だから、そこに男がもぐりこんで歌うなどあり得ない話だった。だから、私は合唱団でバス・パートを歌い、もっぱら、コンパの余興でカウンターテナーを歌って鬱憤を晴らしていた。その録音が出てきたのである。曲は、音を下げて歌ったバッハのカンタータ第78番の二重唱のソプラノ・パートと、クレメンス・ノン・パパの「羊飼いは言った」のソプラノ・パート。おお!Wie schön! 驚きである(自分でよく言うって?だから別人格だってば)。これを聴いて、なぜ、合唱団でアルト・パートを歌わせようってならなかったのだろう。それだけ女の園の壁は高かったか、あるいは、単なる「色物」と見られたのかもしれない。
因みに、この録音には、上記以外にも面白いものが目白押し。新旧楽譜係で歌った「Singet」の終曲ではI氏の声が聴けるし、一つ下の学年の「ハレルヤ・コーラス」では声自慢のバスの諸氏の咆哮が聴ける(いつの時代も声自慢の人は咆哮したがるものなのね)。合唱団随一の色男と目されていたM氏とB子のBWV140の二重唱では、私がオーボエ・パートをクラリネットで吹いている。そして、私達の学年で歌ったのはシュッツの「Ich danke」。この曲は、現在、シュッツの会でも歌っていて、断然、シュッツの会の歌の方が良い。半世紀近く前の私達はせかせかしている。そこはやはり重ねてきた年輪の差である。
因みに、「半世紀前に美しかった」のは声であり、容姿ではない(100万人に一人くらい勘違いする人がいるかもしれないので念のため)