拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

都内の旅その1

2020-09-29 11:08:00 | 旅行


朝、竹芝を出港。


高速ジェット船が立ち寄った伊豆大島では下船せず。


当初の目的地だった利島は、岸壁に近づけず欠航。


迫力のあるこの島は、しかし無人島らしい。


新島もなかなかのインパクト。ここでも下船せず。


イロジカケで始まりイロジカケで終わった今日の記事に私は満足

2020-09-28 15:45:55 | 音楽
「イロゴトシ」のお母さんは「イロジカケ」である(ホントである)。その他、最近気になった馬名と言えば「ナイママ」。え?勝た「ないまま」?そんな意味で名前をつけるはずはない(実際何勝かしている)。なんでもお釈迦様の言葉なのだそうだ。「あるがまま」「ないがまま」という意味の「ナイママ」だそうだ。であるから「アルママ」という馬も当然いる。その他、音楽ファンとしては「ムジカ」「シンフォニー」ってあたりに惹かれるが、あれ?と思ったのが「なんとかアダージョ」。アダージョ(ゆっくり)は馬名としてどうなのだろう。ゆっくり走られたら困るだろうに。「プレスト」「アレグロ」なら分かるが。「アレグレット」だってだめだ。他の馬がしのぎを削ってがんばってる最後方で、8分の6でスキップをしているイメージだ(馬主さんもそのへんは分かっていて、「プレスト」「アレグロ」が付く馬は多い。だが、「アレグレット」「アダージョ」もたまにいる)。あと、「ステイフーリッシュ」って馬名にも注目した。直訳すると、「バカであり続けろ」。かのスティーブ・ジョブズの言葉だそうだ。「バカであり続けろ」を縮めて「常にバカたれ」、もっと縮めて「バカタレ」ともなると、単なる悪口。因みに、わが子に変に知恵がつくと戦争に行かされちゃうと思った母親が教育をしなかったので、バカのまま大きくなったのが「パルシファル」(ヴァーグナーの最後のオペラのタイトル・ロール)。このパルシファルがいきなりお利口になる瞬間がある。それはクンドリー(あるときは聖女、あるときは男を堕落させる魔女)のイロジカケでキスをした瞬間であった。その瞬間、悪魔クリングゾルから聖槍を取り戻すという聖なる任務を自覚し、実行し、聖杯の守護者になる……という神がかったお話である。ということで、イロジカケで始まりイロジカケで終わった収まりのよい今日の記事に私は満足である。

白井でカマキリを見て、歌を歌って、帰宅したら馬券が当たっていた日曜日

2020-09-27 21:19:31 | 音楽

白井で、Y先生ご夫妻がアカペラでマドリガル(その他のルネサンス期の合唱曲)を歌う合唱団をやっているからこないかとお誘いをいただいた。「アカペラでマドリガル」はおおいにそそる。私が主催するシュッツを歌う会が休眠状態だから大好きなアカペラをほとんど歌えてないし、カウンターテナーで歌う機会も最近はほとんどない(現在の私は、通唱会でも歌いまくる会でもほぼ楽器奏者である)。実は、ウチから白井までは言うほど遠くない。我が家は東京都と言ってもほとんど千葉県だし埼玉県である。地震速報は「千葉県北西部」の情報が一番ぴったりくる。だもんだから、神戸新聞杯の馬券をネットで予約してからいそいそと出かけていった。アルトを歌いにである。例によって、ソプラノ、アルトのお姉様たちは、カウンターテナーという種族を見るのが初めてのご様子。「声変わりしなかったの?」「だけど、しゃべる声は普通(の男)なのね」等々。しかし、某麹味噌合唱団に初めて行ったときのガラパゴス・オオトカゲを見るような、刺すような視線とは違い、どのお姉様もとってもフレンドリー。おなじ珍獣でも、ガラパゴス・オオトカゲと言うよりはパンダを見るような、好意的な視線で見ていただいた。多分、Y先生ご夫妻が事前に「今日、珍獣が来るけどかみついたりしないから安心するように」とか言って下さっていたのだろう。いや、とーっても、気持ち良く歌えました。写真は、練習会場に入る前の道で見つけたカマキリ。生で観たのは久しぶりである。で、練習後、寄り道もせずに帰宅して、すぐ録画してあった神戸新聞杯を見る。コントレイルとヴェルトライゼンデのワイドが当たり!だが、三連単(一着、二着、三着をきっちり当てる馬券)は惜しかった。一着コントレイル、二着ヴェルトライゼンデ(ドイツ語の名前が気に入っている)、ここまではよいのだが、三着がはずれた。買っていたのはイロゴトシ。18頭立ての18番人気の馬だが、名前に惹かれて(私も残りの人生は色事師になれるようがんばろうと思って)買ったが、最低人気は最低人気である。結局、何着だい?おおっ、14着!人気順より4着も早かったじゃん。がんばった、がんばった(しかし、こういう馬券を「惜しい」と言ってはいけない。1着2着までを当てた人はごまんといるはずだから)。

皇帝と船大工/ゴアゴンゴン

2020-09-26 10:05:51 | 音楽
いきなりですが曲当てクイズ。ファゴットで、三連符で♪ソラシドーミソー、ミ|ファーミレーファー |ソシドレーミファー、レ|ミーファミーソー……この曲は何でしょう?大ヒント=ある番組のエンディング近くで使われる音楽(その他、以下の文中に重要なヒントあり)。さて、チコちゃんで、ロシアの皇帝が身分を隠してオランダで船大工をしていたという話を聞いてあらびっくり。いや、何がびっくりかって、そういうオペラがあって(ロルツィング作曲の「皇帝と船大工」(Zar und Zimmermann)、私はこのオペラが大好きなのだが(好きになったきっかけ=ルチア・ポップが出てる映像を見たから)、皇帝(ピョートル大帝)=船大工が史実だっとは知らなかった。このオペラの終幕で、市長が合唱団に稽古をつけるシーンがあるのだが、合唱団の音が高かったり低かったり、市長が口三味線で歌った伴奏を歌と勘違いして歌ったりとか、抱腹絶倒である。日本ではちっとも知られてないが、私が大好きなドイツのオペラは、この曲と、オットー・ニコライ作曲の「ウィンザーの陽気な女房たち」(序曲だけは有名)。この「……女房たち」の映像こそ、私が、トゥルデリーゼ・ビジン・シュミットを知ったきっかけなのだが、ビジン・シュミットの話はまたいずれ(次回かも知れないし、忘れた頃かも知れない)。因みに、昔、ドイツワインの試飲会で、勉強したてのドイツ語を試したくて、試飲ワインのサーヴィスをしていたドイツ人女性をつかまえて、無理矢理オペラの話をしかけたことがあって、で、私が「オットー・ニコライが好きだ」と言ったら、件の独女は「そんなドイツ人はいない。それはロシア人に違いない」とのたまった。かのシューベルトだって、われわれがシューベルトと聞くと、ああ、あの作曲家のシューベルトと思うが、案外欧米の人だと「どのシューベルト?」ってことになる。ベートーヴェンだって、真っ先に犬を連想する人が少なくないだろう。そういえば、アメリカの副大統領にゴアさんて人がいて、その後、大統領候補になったのだが大統領選で敗れた後、環境問題に取り組んで名を上げた……までは知っていたが、ノーベル平和賞をもらったことは知らなかった。その偉いゴアさんの名前を聞いて、私が真っ先に思い浮かべるのは、マグマ大使の敵である宇宙の帝王=真実は怪獣ゴアゴンゴンである「ゴア」である(ゴアさんには悪いが仕方がない。なにしろ、この世に生を受けて最初に知った「ゴア」がゴアゴンゴンだったのだから)。あっ、冒頭のクイズの答、もう分かったでしょ?ある番組のエンディング近くの曲だからね。分かった人はコメントしてね!

二重否定/刺身の方が良かった

2020-09-25 16:11:52 | 言葉

今朝のアサイチで、「There ain't no other way」の「ain't」はなんでしょう?って問題が出た。「is not」かな?と思ったが、そうすると、「not+no」で二重否定になり、「他の道がないはずはない」=「他の道がある」になってしまう。しかし、元の歌の歌詞の意味は「他に道はない」だ。解答者も同様の疑問を持ったようで「でもnoがあるからなぁ」とかぶつぶつ言っている。すると、それを聞いた出題者が「noとかはあまり考えない方がいいかもしれない」と言いだした。じゃあ、やっぱ「is not」だ。これが正解。出題者は、「二重否定の怪」については触れなかった。まあ、言葉なんてね、「一点の曇りもない科学的実証」にさらされてできてるわけじゃないから、こういうこともあるんだろう。話は変わる。アサイチの時間帯に月曜日だっけ、休日なのでアサイチがお休みで料理研究家が創作料理を披露していて。生カツオを豚肉の薄切りで巻いてパン粉をつけて焼いたのが旨そうだったので早速真似したのだが。うーん……カツオだけ刺身にして食べた方がよかった。

池袋の深夜喫茶で聞いた沢田研二の「TOKIO」

2020-09-24 21:25:02 | 音楽
最初にどうでもいい話を。ライザップCMの使用前と使用後について。私は、使用前の方が良かったのにと思うことがよくある。さて。「日本人のおなまえ」の今夜の放送は昔の歌謡曲の曲名を特集していて、そのうちの一つが沢田研二の「Tokio」。思い出がありますとも、私が大学生のときだった、夜中、電車がなくなって帰れなくなって(今も40年前と変わらないことをやっている)、池袋の深夜喫茶に入って始発を待ってたら、延々とこの曲が流れていた。その意味で思い出の曲である。いつ発売の曲?1980年!なるほど、私が大学4年の年だ(ウィーン国立歌劇場が来て、ベーム指揮、ポップ、プライで伝説の「フィガロの結婚」を演奏した年である)。今も、最終の山手線が池袋止まりで夜の池袋に放り出されることがしばしばあるが、当時、住んでいた場所は今よりはるかに遠かったからどこかで夜明かしをするのは必然であった。映画館でもよく夜明かしをした。覚えているのは、松田優作が出てたやつと(多分、アレなのだが、いまいち記憶が曖昧)、シュワルツェネッガーの「バトルランナー」、そしてスピルバーグの「太陽の帝国」。後者の音楽はジョン・ウィリアムズ。エンドロールで延々と流れる少年合唱による聖歌をその夜3回は聞いたと思う(名曲である)。今は、映画館は入れ替え制が普通になったから、昔のように夜明かしのために使うことはできないのだろう。今の人はサイバーカフェとかに行くのだろうが、そこらへんの文化がまだ身に染みていない昭和の私である。冒頭の話に戻る。「日本人のお名前」が話題にした曲に、「山口くんちのツトムくん」があった。今、あらためて歌詞を聴くと、いくら遊びに誘っても「あとで」ばかり。これって、うつ病じゃない?当時はそんなことを思いもしなかったが。で、曲を作った人の話を聞くと、小さいときお母さんを亡くした悲しい思い出によって作られた曲なのだと言う。うつ病ではなかったが、楽しいばかりの曲でないことは合っていた。「Tokio」に戻るが、作詞をした糸井重里は、フランスの空港で「Tokio」の文字を目にしたというが、ドイツ語でも「東京」はもともと「Tokio」である……が、英語に席巻されている今、ドイツで「Tokyo」の綴りを見ることも多くなったのは寂しい限りである。

にわかに変わったフェイスブックのご機嫌(復旧・再度、にわかに変わったフェイスブックのご機嫌)

2020-09-23 06:41:57 | 日記
にわかにフェイスブックのご機嫌が変わった。ブログに表示されるフェイスブックへのシェアボタンを押してもシェアできなくなったのみならず、昨日までシェアさせてきた記事がフェイスブック上から消えてしまった。このサイトのURLをフェイスブックに貼り付ければフェイスブックの読者にこれからもここの記事を読んでもらえるのだが、シェア先でいただいていたイイネやコメントがすべて消えてしまった。イイネやコメントを下さった皆様にはフェイスブックに成り代わってお詫び申し上げます(フェイスブックに成り代わってお詫びをしたんだから、フェイスブックは私にお詫びをするのが筋である(求償債務の履行))。これまでも、フェイスブックで自分の記事が読めなくなったことはあったが、部分的一時的だった。今回のようなことは初めて。朝からいろいろ設定をいじってみたが、もうやめた。フェイスブックのきまぐれに付き合っていられない。URL貼り付け作戦でいく。なお、リゴレット(ヴェルディ)で、第2幕の冒頭でマントヴァ公爵が歌うアリアは、途中で気分ががらっと変わる。その様子を家来達(合唱)が、「にわかに変わった殿のご機嫌」(堀内敬三訳)と歌うのだが、私はそこが大好きである。と書いたらあなた、いきなりフェイスブック復旧。消失していたシェアがコメントと共に復活した。再度、にわかに変わったフェイスブックのご機嫌、である。

三姉妹そろい踏み(C管クラリネットが来た)

2020-09-22 12:10:29 | 音楽

長女はベー子。御年45歳。次女はアー子。御年1歳。随分歳の離れた姉妹である。そこにこのたびツェー子が来て三姉妹となった。しかし、ツェー子の歳は謎である。我が家に養女に来る前に他所のお宅で過ごしているので、もしかすると4,5歳かもしれない。だが、姉さんたちよりずっと小柄である。声も高い。実は、ツェー子は、姉さん達のような名門の出ではない。一応、素性は知れているのだが(その点、アー子の前にいたアー子もどきよりもまし。アー子もどきの出自はまったく不明であった)、聞いたことのない家である。まあ、そこは親(私)も同じである。で、ツェー子に何をしてもらうのかというと、主に歌いまくる会のバッハ担当である。オーボエやC管トランペットをクラで吹くとき、移調譜を作らなくてよいようにウチに来てもらったのである。いや、もっとキーキー言うのかと思ったら、なかなかいい声である(ここがいい、とも言う(といいながら自分の腕をたたく私))。当初、思ったよりも小さくて指が絡まり気味であったが数分で慣れた。うん、使える。フリマで格安で購入したのだが(人買いかっ)、いい買い物であった。さあ、これから姉さん達の分まで働いてもらうからねー!働かなきゃ食わせないよっ(いや、シンデレラんとこと違って、姉さん達にも存分に働いてもらわにゃ困る我が家である。因みに、なぜ三兄弟でなくて、三姉妹なのかというと、クラリネットはドイツ語で女性名詞だからである)。

「音楽」で複勝的中!(モンテヴェルディのおかげ)

2020-09-20 15:59:23 | 音楽
モンテヴェルディの「オルフェオ」は、冒頭に脳天気なファンファーレがあるが、これは、劇の一部というよりも、これからオペラが始まりますよー、という合図である。バイロイトの祝祭劇場でオペラの前に奏されるファンファーレ同様、3回繰り返される。だから、オペラの真の始まりは、「ムジカ」(音楽)のモノローグだ(擬人化された「音楽」が前口上的に歌う)。パートはメゾ・ソプラノで、ポネル演出の映像では(指揮はアーノンクール)、トゥルデリーゼ・ビジン・シュミットが歌っている(ミドルネームは私の命名である。あまたいるオペラ歌手の中で、私が一番見目麗しいと思うのはシュミットである。シュミットについてはいずれ独立した記事を書こう)。その冒頭の「ムジカ」を今度の歌まくる会のソロ・コーナーで、カウンターテナーで、ヴァイオリンの弾き語りで歌うつもりである。だからというわけではないが、やはり馬名に惹かれて14番人気のムジカの複勝(3着までに来る馬を当てる馬券)を買ったら二着に来た!モンテヴェルディのおかげ(?)である。これで今夜のサ○○○ヤ代が出る!(はずれても行くくせに)

「ひどい別れ方をした人の合唱団」の入団基準

2020-09-20 14:41:39 | 音楽
「ひどい別れ方をした人の合唱団」を作ろうって話で以前もりあがった。このたび、入団基準を考えてみた。大きく、法定入団基準(その事由の一つがあれば当然に入団資格が認められる)と裁量入団基準(内容によって入団が認められることがある)に分けられる。まず法定入団基準第1号=裁判離婚であること。協議なんてなまやさしい。調停離婚もいまどき普通である。裁判離婚ではじめて「大変だったねー」と同情される。第2号=血をみたこと。包丁によろうが金属バットによろうがまさかりによろうが(金太郎か)、原因は問わない。相手を刺した場合であると、「死んでやる」と相手を脅かして自分を刺した場合であるとを問わない。第3号=警察沙汰になったこと。夫婦げんかが激しくて近所に110番された場合であると、路上で口論の末妻が近くを通りかかった人に「この人暴漢です」とウソを言って通報された場合であるとを問わない。以上の三つはそのうち一つを満たせば当然基準をクリアーするから、協議離婚でも血を見たのであればOKである。逆に、相手を刺して、警察に捕まって、それが原因で裁判離婚が認められた場合は、一連の行為が三つの基準すべてに該当することになるが、あくまでもその一人の入団が認められるにすぎない(三人分だから他に二人連れてこようったってダメである)。以上に対して、裁量入団基準は、これは、自らの別れ話をみんなに話して過半数のフダ(何のフダ?)が上がれば入団が認められるというものである。「とーっても好きだったのに別れることになって、たくさん泣きました」くらいではダメである(大竹しのぶばりに演じれば話は別だが)。「相手に暴言を浴びせられ、殴打され、髪を引っ張られ、頭から水をかけられ、靴を便所に投げ込まれ、出刃包丁を振り回された」程度でようやくフダが上がるかもしれない。仮に、振り回された出刃包丁がかすって出血したのなら法定基準に該当するから入団OKである。こうした基準を満たして団員になった人が集まって歌えば、それはそれは鬼気迫る音楽となるだろう。なお、裁量基準の例に挙げた「相手に暴言を浴びせられ……」は、実際、過去の離婚訴訟に表れた事例である。この事件では、奥さんがそこまで暴れた原因は、亭主にあるとして(亭主がよそに女の人を作ったのが原因だった)、亭主からの離婚請求は認められなかった(有責配偶者からの離婚請求)。しかし、その後判例が変更され、今では、一定の要件のもとで有責配偶者からの離婚請求も認められる余地がある。当団も同じであり、有責配偶者の入団請求も認められる余地がある。

カンさんとクダさん

2020-09-19 08:44:02 | 言葉
漢字で書くと間違えるから人名はカタカナで書くことにしていたのだが、昨日のネタ=カンさんとスガさんの話は同じ漢字でありながら……がミソであったから漢字で書かないわけにはいかなかった。そしたら早速間違えた。ただ、間違っているよ、と言われたとき、カンさんとスガさんで違う字を書いちゃったか、それではネタ自体が成り立たないと暗澹たる気分になったのだが、どっちも同じ字で間違えたと分かって一安心(安心するなっ)。「管」と書いてしまったのだ。これは私が管楽器奏者であることからくる間違いである(とってつけた言い訳である)。これではカンさんはそのままだが、スガさんがクダさんになってしまう。因みに、「菅」(すが)とは、「すげ」(植物)と同義なのだと。なるほど、だからくさかんむりか。

まともなドロボー~敗者復活~普通選挙~密室の恋と行為の順番

2020-09-18 09:10:54 | 日記
今週の「コロンボ」に出てきたドロボーが「俺たちみたいなまともなドロボー」と言っていた。ドロボーに「まともな」ドロボーと「まともじゃない」ドロボーがあるのか?と思うが、そこは彼らにも自負があるようで、まともなドロボーは人殺しはしないそうだ(吹き替えの声は、「大草原」のエドワーズおじさん)。そういえば、「リゴレット」(ヴェルディ)に出てくる殺し屋のスパラフチレはドロボーとは逆の自負を持っていて「オレはドロボーじゃない」から依頼者を裏切らないと言っている。それぞれの世界の仁義があるようである。さて。アベ政権の功罪についてはいろいろ言われているが、一つだけ、政治を抜きにして、人生につまづいた人々に夢を与えたな、と思ったのは、アベさんが一度失敗しながら再起したこと。「逆転人生」は最近のキーワードである。スキャンダルにまみれて落選した元議員さん達もそのキャラクターを活かしてテレビに出てたりする。「ちーがーうーだーろー」「ぼこっ」の元議員さんも最近テレビで見るようになった(テーブルの上に資料を山ほど並べていて、なるほど、仕事はきっちりする人なんだな、ということがうかがえた)。今野党の面々も、そうした点は後塵を拝したいと思っているのでは?枝野さんだっていつも「一度失敗したから次はうまくやる」と言っている。そういやー、管さんも今回復活したじゃん!違った。菅(かん)じゃなくて菅(すが)だった。いや、私は分かってて書いているのだが、中国の人の中にははまじに誤解をする人がいるらしい。そのスガさんを選出した自民党の総裁選だが、国会議員以外の党員にも投票させるかどうかもめた際、某評論家が、「党員は4000円の党会費を払ってるんだから俺たちにも投票させろと言っている」と言っていた。え?4000円払えば総理大臣(になる人)を選べる?それはおかしい。日本国憲法は普通選挙を保障している。普通選挙とは財産、納税額等々による差を設けない選挙である。党の総裁選挙は公務員の選挙ではないと言うかもしれないが、結果的に、自民党の総裁が総理大臣になるのだから同じである。結局、党員には投票権は与えられなかったが。私は、訳知り顔の評論家だとかMCが、4000円払った人に投票させないのは気の毒だみたいに言っていることに非常に違和感を覚えたものである。ふむ。この話で今回を締めるのはわがブログの色に合わない。違う話で締めよう。「密室の恋」と「密室の行為」は、どちらが先に来るべきか。多くの方々は、そりゃ決まってる、恋があって行為だ、と言うだろう。しかし、逆もまた真である。あっちの相性を見定めたうえで恋が発展することだっておおいにありうる……なーんて、政治の話で終わっといた方が良かったかな。

ズーガ総理はself-made/♪かええってきたぞー×2、みーんしゅーとーおー(違う)

2020-09-17 09:23:34 | 音楽
ドイツのニュースを見ていたら、スガ総理のことを「ズーガ」と呼んでいた。いいねー、ドイツ語なんだからそうこなくっちゃ。そのズーガ総理のことを「self-made」と紹介。ドイツ語っぽいと喜ばせておいて早速英語かよ(最近のドイツ語圏は、英語に席巻されまくっている)。それはともかく、それって「たたき上げ」のこと?当たり。英語の例文で、「自分自身で成功した」ってときに「self-made」を使うらしい。じゃあ、これをそのまま「selbst-gemacht」ってドイツ語にしたら?「自家製」という意味で使うことがあっても「たたき上げ」にはならないようだ。だから英語だったのか。その「self-made」のズーガさんを総裁に選んだ自民党の党大会は、国会の指名選挙よりも面白かった。投票箱を運ぶ二人の若い事務局員の動きがシンクロでスタイリッシュ。投票箱を空にした後、何も入っていませんとみせる様が「種も仕掛けもございません」と言ってるようで、まるで手品師のよう。動きの節目節目に深々と「礼」。日本的だなぁ。日本のニュースのMCとドイツのニュースのMCで違うところはなんと言っても「礼」の有無である。あと、日本では不自然なほどMC間で距離をとってるが(3メートルくらい空いてる?)、ドイツではせいぜい1.5メートルくらい。「形」(見かけ)を重視する日本に対して、不合理なことはしないドイツがよく現れている。因みに、日本は、感染者数、死者数といった数字においてはドイツより優秀なのに、日本はだめでドイツを見習えと言う。心配性の国の面目躍如である。さて、対する野党である。合流新党の名前が「民主党」だったら、♪かええってきたぞー(ドミソーソソソソー)、かええってきたぞー(レファラーララララー)、みーんしゅーとーおー(ソーソラーシードー)と歌ってあげようと思ったが決まった党名は「立憲民主党」。枝野さんは、「一度失敗しているから次はうまくやれる」とよく言う。自分自身でも忸怩たる思いがあるのかね。だから「昔の名前」に戻るのがいやなのかな?とかんぐっている私である。そういやぁ「帰ってきたウルトラマン」の名前はなんだ?ウルトラマン?と思ったら、ウルトラマン・ジャックと言うんだそうだ。「ジャック」がくっつくのか。「民主党」に「立憲」が付くのと同じだな(違うか)。編集後記。「帰ってきたウルトラマン」の替え歌を歌ったことで、今回のジャンルは音楽になるのであった。

♪シーラケフォーゲル、とーんでゆーけ、みなみのそおらーに、エーレントゥ、エーレントゥ/密室の恋

2020-09-16 08:51:50 | 音楽
前回のブログ記事にコメント(架空)が寄せられた。読まれて困るドイツ語の心境吐露をなぜわざわざするのか、最初から書かなければいいじゃん、という批判である。反論する。じゃあ、君は、酔っ払うとなぜ人目を気にしつつ路上で裸になるのか。おまわりさんの目が怖いならそもそも脱がなければいいじゃないか。どうだ!すると再反論がきた(架空)。私は脱がない。それを言ったらおしまいである。ほら、議論が終わってしまった。因みに、公然と裸になると公然わいせつ罪に問われる。そう、人間の裸は、法曹関係者の間ではわいせつ物扱いである。なんだか、人間そのものがバカにされている感じがしないでもない。「公然」とは「不特定多数人が認識しうる状態」である。すると、美女が、不特定多数の人に覗かれてるかもしれないと思いながら自宅で裸になると、「未必の故意」による公然わいせつ罪が成立しそうである(理論的には)。じゃ、美女じゃなくておじさんだったらどうか言うと、誰も好き好んで覗かないだろうから、最初から議論の対象外だ。さて、昨日のブログでは「elend」(エーレントゥ=惨め)がキーワードであった。歌いまくる会の次回のお題のBWV75のタイトル(冒頭の歌詞)にもこの言葉(の名詞形)が出てくる。「惨め」と言えばこの曲。♪しーらけどーり、とーんでゆーけ、みなみのそおらーへ、みじめ、みじめ……おおっ、哀愁漂う名歌である。独訳しよう。Schirake-Vogel,flieg heim nach dem Südlichen Himmel,elend,elend……おお、いいね!「みじめ、みじめ」が「elend,elend」になっているところがミソである。因みにその読みであるが、「エーレントゥ」と書くことには忸怩たる思いである。この「エ」は長母音だから「イ」に近い「エ」である。私が主催するシュッツを歌う会の資料だったら「エ(イ)」と表記するところだ。そのシュッツを歌う会は開店休業。場所はとれるようになったがパートがそろわない。歌いまくる会は多少パートが不足してもピアノで補ってもらえるが、アカペラのシュッツではそうはいかない。もともと、シュッツ(に限らぬドイツ・バロック)を、最近廃れつつある舞台ドイツ語で歌うのが設立の趣旨であった。ドイツ語の発音を正確にやれば、それだけで音楽ができる、そのことを実証するための会であった。そうした崇高な目的を持って作った会だった。今まさに思い出した。バロックへの回帰……直近の私の心情である。面白いもので、歌いまくる会のソロ・コーナーで、最近、超立派なオペラ声で歌われるオペラを聴いていたら、猛烈にカウンター・テナーでバロックを歌いたくなった。こういう世界だってあるんだぞ、という主張である。シュッツを歌う会も復活させたい。パートさえ揃えばできるんだが誰かいない?因んだ話その1。「しーらけどーり」が歌われたのは、「見頃、食べ頃、笑い頃」って番組で、キャンディーズがレギュラーで出てた。電線音頭が登場したのもこの番組である。その2。「flieg heim」は、ヴァーグナーの「指輪」の大詰めにブリュンヒルデがヴォータンの使いである二羽のカラスに投げかける言葉である。その3。「未必の故意」を「密室の恋」に置き換えると俄然淫靡である。

田舎に着いたときの惨めな気分の目覚め(新田園ヘ短調。別名=お皿を割ったときの惨めな気分の目覚め)

2020-09-15 10:42:28 | 音楽

いろいろやっていると、むかっぱらがたつこととかがたくさんある。10年前なら、もうやめたっ、となるところだが、どうせ、またやりたくなるに決まっているので(A合唱団は、そういう感じの出戻りである)、必死にがまんしている。きーっとなるのはせいぜい一晩である。その一晩の「きーっ」であとあと後悔するのがいやなので(そのあたりを少しは学習した)、なんとか踏みとどまっている。逆に言えば、一晩持ちこたえられればなんとかなる。そのためのツールでなにかいいものはないだろうか。サンドバッグがあればいいが、ない。お皿を割るのはもったいないし、翌朝、破片を拾うときほど惨めな気分になることはない。気持ちを吐き出せばいいが、人に知られるのもみっともない。そうだ、ブログにドイツ語で書けばいい、めんどくさがって人は読まないだろう、翌朝、すっきりしたところで削除しよう、と思って実践。あー、すっきりした。そして未明に削除しようと思ってサイトをあけてみたら、あらま、少なからぬ人が「イイネ」を押している。ちょっとさー、普段、読まないか読んでも読まないふりをするくせになんでこんなときだけしっかり読んでイイネを押すのさ。ということで、ドイツ語作戦も使えないことが明らかになった。いいツールを依然捜索中である。因みに、夜中にお皿を割って、翌朝、割れたお皿を見たときの気分を「田園」の表題風に表せば、「Erwachen elender Gefühle ber der Bemerkung der zerbrochenen Teller」(割れたお皿を見たときの惨めな気分の目覚め)てな感じか。そうだ!以前、田園を短調にした楽譜を作ってあったんだった。タイトルは「田舎に着いたときの惨めな気分の目覚め」。今日のテーマにうってつけ。早速再生動画をYoutubeにアップしてブログにリンク。いい記事ができた。瓢箪から駒。音楽と裏腹、気分は最高!