拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

初見を絶つためサイゼリヤに行く

2017-12-31 08:59:22 | 音楽
私は若い頃初見で歌うのが大得意だった。合唱団で新曲の楽譜が配られてその場で歌うスリルがたまらなかった(初見演奏の醍醐味)。その後本番までちっとも進歩がないので初日が一番楽しいとうそぶいていた(若気の至り)。時が経ち、目も頭も悪くなって、初見だとときたま○ちるようになった(私は某国家資格の受験指導をしているので「○ちる」は禁句)。信じたくなかったがこれは厳然たる事実。プライドよりちゃんと歌う方が大切と思い、事前に楽譜を見るようになったらあなた、本番(みんなで集まる日のこと)が格段に楽しくなった。クリオラのエヴァンゲリストだってA合唱団では毎回初見だったが(A合唱団の方、すみません)、さすがに通唱会のためには事前によーく楽譜を読んだらおおっと思うところがたくさんあった。楽譜を読み込めば読み込むほど歌詞の意味も和声の動きも理解が深まるのは当然。それをやってこなかった私はおいしい料理を味わって食べないで早食い競争にうつつを抜かしていたがごとし。もったいないことをした。しかしそうがっかりすることはない。もったいないことをしてきたのは歌に限らず人生全般。「過ちを改むるにしくはなし」。これからはカンタータ一曲歌い終わったらすぐ次回のやつをプリントアウトしよう。あっ、思い出した。私はサイゼリヤでないと楽譜を読む気にならないのだった。だったらもっとサイゼリヤに行けばよい(サイゼリヤに行く口実のようでもある)。よし、今日の大晦日の過ごし方は決まった。午後、BWV150の楽譜を持ってサイゼリヤに行こう。私に会いたい方はサイゼリヤにいるからね(ってそんな人はいないか)。BWV150は、「バッハもソロも歌いまくる会」の次回の曲(次回からいよいよ年代順になる)。そう、今年は、鈴木架哉子先生にその気になってもらったおかげでこの会を作れたのが一大事件であった。シュッツを歌う会ではルカ受難曲も始まる。ということで、みなさん、いろいろお世話になりました。よいお年をお過ごし下さいまし!

色物エヴァンゲリストとは私のこと(クリオラの通唱会)

2017-12-30 09:03:45 | 音楽

昨日はクリスマス・オラトリオの通唱会。私にとって今年の歌い納めであった。特筆すべきはオケの充実ぶり。第1曲の冒頭、ティンパニの強打とトランペットの咆哮が否応にも気分をもり立てる。歌いまくって堪能した4時間半であった。事務方のみなさんには毎回感謝の念にたえないのだが、特に今回は私の打ち上げへの参加・不参加が二転三転したのにもご親切に対応していただき、まるでエヴァンゲリストが歌うエンゲルのようであった。因みに、私が担当した部分では、エンゲルは冒頭に飛び去ってしまい、後は羊飼いたちのお話。そう、通唱会もあっちこちに顔を出しているうちにだんだんずうずうしくなって、今回は第3部のエヴァンゲリストを担当させてもらった。他の部のエヴァゲリステンはそうそうたる顔ぶれ。その中で、カウンター・テナーのエヴァンゲリストは「色物」であったが、寄席だって落語の合間に色物(曲芸等)が入る。だからいいかな、と思って。写真は行きの電車の中から撮った富士山。実は、西荻窪で降りなければいけないのに、何も考えずに乗った中央線が快速より速いやつで三鷹まで連れていかれてしまった。だが、吉祥寺を過ぎたあたりから富士山が見えだしたのにはびっくり。よいこともあるもんだ。

青カビ君

2017-12-29 08:36:31 | 日記
昔からの疑問。青カビって食べたら体に毒なのだろうか?疑問の発端は子供の頃読んだ科学雑誌の中のマンガ。ある子供がお腹をこわし、擬人化された「青カビ君」が犯人とされたが取り調べが進んでいくと真犯人が別にいるらしいことが分かってきて、それは「白カビ君」だった。さらに、手塚治虫の「火の鳥」ん中の古代日本が舞台になった回で、医者が病人に青カビを飲ませて治癒させた話が出てくる。ペニシリンは青カビからとれるっていうし。ブルーチーズは美味しいし(赤ワインとの相性が抜群)。そういやぁ、カマンベールは白カビだがあれも抜群に美味い。前記の「白カビ君」とは別の白カビなのだろうか?私が育った家では、化膿したときの特効薬はペニシリン軟膏だった。だが、あるときから薬局でみなくなった。「ペニシリン軟膏を塗った」というと時代が分かるという。ちなみに、私は子供の頃、カビとコケが頭の中でごっちゃになっていた。コケをコケにしてコケに悪いことをした。今では分かってますよ。コケって観賞用にもなり、栽培してる人もたくさんいるってことを。

臆面もないモーツァルトのスケール(大好き)

2017-12-28 08:58:50 | 音楽
映画「アマデウス」で私が大好きなシーン=サリエリに発声の稽古をつけてもらってる歌手が♪シードレミファソラシシシシドーと歌ったと思ったら、次の瞬間、そのドーが「後宮から誘拐」の「拷問のアリア」の長く伸ばすハイCになってるってとこ。この後、オケがドミソっ(出た!)と弾くところから怒濤の攻撃が始まり、最後は映画で「打ち上げ花火のよう」と形容されたスケールの嵐。♪ドシラソラシドレ|ミレドシドレミファ|ラソファミファソラシ|ドシラソラソファミ|ファミレドレドシラ|シドレミファソラシ……この倍は続くんだけど苦情が出そうだからここまで。こんな臆面もないスケールを堂々と書けるのってモーツァルトくらい?モーツァルトには「ドミソ」も多いし。まるで関ヶ原の戦いで敵陣の中央を突破して逃げ延びた島津勢のようだ。モーツァルトのスケールと言えば、K545の第1楽章に♪ラーシドレミファソラソファミレドシラ|ソーラシドレミファソファミレドシラソ|ファーソラシドレミファミレドシラソファ|ミーファソラシドレミレドシラソファミ……って箇所があって、私は子供の頃、これを音名で歌うのを特技にしていて、自分ではかなりいい線いってると思ってたのだが回りは変人を見る目で冷たかった。「拷問のアリア」に戻る。私は、このアリアはグルベローヴァの声で頭にインプットされていて、いつでも頭の中でグルベローヴァで聴くことができる。だからCDはいらない。前記のハイCをピアニシモで伸ばすグルベローヴァのすごいこと。SM合唱団にいた頃、新年会(ぼちぼちそういう季節ですね)でみんなにこれを聴かせて感動を分かち合おうと思ってビデオを持って行って少し前から再生してもらったら肝心なところでみんながおしゃべりをしている。ちょっと、ここを聴かなきゃだめだよ、ってんでまた少し前に戻して再生してもらったらまたハイCのところでおしゃべりをしている。グルベローヴァよりおしゃべりの方が楽しいのかよー、と悲しくなった私であった。

BWV140とK545と運命とドボ8に共通なこと

2017-12-27 09:12:37 | 音楽
BWV140のコラール=ドーミーソー、ソ、ソーソーラーーソー。K545=ドーミソシードレド。運命の第4楽章=ドーミーソー、ファ、ミ、レ、ド、レ、ドー。ドボ8のテーマ=ドッミッソー、ソ、ソッファソラッファッファッミファソッミ……ということでドミソ(移動ド)つながりでした。ドミソの後に、アフフタクトで一息ついてるのが多いですねー。文部省唱歌にはどうなのだろう。ドレミより音の幅が大きいから歌いにくいかもしれない。でも、山田耕筰の「この道」は「あ~あ~」でいきなりオクターブ飛ぶよな。でも童謡なんだって(動揺しちゃうよねなんてことは決して書かない)。

ボンカレー

2017-12-27 08:32:11 | 音楽
昨日はドレミで始まる歌でリンク先のFBでおおいにもりあがったのだが、私がソドレ♭ミで始まる例として出した五木の子守歌は実は最初から五木の子守歌として頭に浮かんだのではない。その昔、「おどまぼんぎり……ぼんじゃなきゃ食わんぞ(かあちゃんがいないから食わなきゃしょうがないなー)、ぼんははよ出来てはよ食える」というCMがあって、そのCMが頭に浮かんだのだ。で、これホントはなんの曲なんだろうと思い「おどまぼんぎり」でぐぐったら五木の子守歌であることは分かったのだ。ところで、そのCMの方だが、内容から言うとボンカレーだと思うのだが、どうも確信が持てない。ボンカレーのCMと言えば松山容子さんと品川隆二さんだが歌ってるのが三木のり平さん(吉永小百合の初キスの相手)である気がして三木のり平さんだとお茶漬けになっちゃうからだ。ぐぐってもなかなか情報は出ず。あきらめるものか(ほかのことにエネルギーを使えばいいのに)。分かった!やっぱりボンカレーだ。品川隆二さんが歌っていたのだ。因みに、ボンカレーの「ボン」は「盆」でも「坊」でもなく、フランス語の「bon」(良い)だそうだ。だったら、正しくは「ボ(ン)カヘ」とンを鼻に抜けて発音するのだろうか。もー。「ドミソ」で始まる曲の話を書こうと思ったのに、枕話でいっぱいになってしまった。

ドレミで始まる歌

2017-12-26 18:56:06 | 音楽
グレゴリオ聖歌の「Hodie Christus natus est」(今日キリストがお生まれになった)を聴いていて、出だし(オディイエ(移動ド=ドレミミ))がなんかの曲と似てるとか言うと、「ドレミ」で始まる曲なんか星の数ほどあると言われそうだが、それはそうなのだが、この聖歌の感じ、繰り返す感じがなんかとよく似てる……(移動ド)ドドレーミー、ドドレミファファ……そうだっ、チャイコフスキーの「1812年」だ。この序曲の冒頭の「ドドレミ……」はもともとなんかの聖歌なのだろうか?はたしてそうであった。正教会の聖歌「神よ汝の民を救い」だそうだ。では、この聖歌とグレゴリオ聖歌との関係は?だめだ、ロシア語はダーとニエットとスパシーバとピロシキしか知らない。ここまでにしておこう。映画「八つ墓村」で渥美清扮する金田一耕助も事件について過去の因果を調べていたが途中で「もうやめました」。さて、星の数ほどありそうな「ドレミ」で始まる曲だが、実際、どんなのがあったろう?そう思って思い出してみると、思いのほか浮かんで来ない。「ドレミの歌」、「チューリップ」(咲いた咲いた)、シューベルトの「ザ・グレイト」、「紺碧の空」(ザ・グレイトをぱくったとの噂あり)。あんとなんかあったっけ。ドレミ……ドレミ……ドレミーレド、ドレミレドレー(チャルメラ)。

バッハが一箇所「dein」と書いちゃったから……(BWV140)

2017-12-26 08:46:29 | 音楽
(承前)BWV140の「sein」か「dein」かの話の続き。なんでもバッハの自筆譜ではほとんど「sein」だが一箇所だけ「dein」があるそうだ。これだ。「sein」だと意味的に変だと思ってた人がこれに飛びついたわけだ。だが、最近の新全集は原典主義。だから「sein」に変えたようだ。でも、新全集が出た後も、意味を重視する演奏家は「dein」でやってるという。ガーディナーもそのクチ。面白い。ガーディナーは、ベートーヴェンの交響曲については改訂版が発表される前から改訂版の内容で演奏したというのにバッハについては逆。それにしてもバッハも罪作り。一箇所「dein」にしちゃったから後世に論争の種を作ってしまった。でもなー。一箇所だけって普通は間違いなんじゃないのって思っちゃう。因みに、私が昨夜見た手書き楽譜はバルトって人の写本(時期はバッハ死後の1755年)。くまなく見たが全部「sein」だった(まったくご苦労さんな話だ。私が)。さて、次に歌いまくる会で歌うのはBWV150。ぼちぼちBWV140の話はうちどめにしよう(とか言ってまた書いたりして)。

"dein"又は"sein"(BWV140)

2017-12-25 18:12:31 | 音楽
バッハのカンタータは版によって歌詞が微妙に違う。こないだ歌いまくる会で歌ったBWV140もその例外ではない。あの魅力的なソプラノ(Seele=霊)とバス(イエス)の二重唱で、まず霊が「Mein Freund ist mein.」(私の恋人(イエス)は私のもの)と歌い、それに対してイエスが「Und ich bin……」(そして私は)と返すのだが、ある版ではこれに続くのが「dein」(あなたのもの)。これはすこぶる分かりやすい。「私の恋人は私のもの」「そして私はあなたのもの」で双方の言ってることが一致している。ところが別の版ではこの「dein」が「sein」(彼のもの)になっている。これを普通に訳すと「私の恋人は私のもの」「そして私は彼のもの」となるのだが、すると「彼」って「誰」って話になる(偶然韻をふむこととなった)。お相手の霊ってことはない。霊(Seele)は女性名詞だから「sein」にはならない。私は、ぱっと見たとき「彼」は父なる神のことだと思ったのだが、ところが「sein」でありながら「dein」と同様「あなたのもの」と訳しているものがある。それも考えられないことはない。日本語でも、その昔、きざな人が目の前の人に対して「かれしー」と呼びかけたことがあった(私の上司の課長がそうだった)。日本の課長さんだけではない。Rシュトラウスのバラの騎士でもマルシャリンがオクタヴィアンに「Er」(彼)で呼びかけるシーンがある。そういう用法なのだろうか(案外、「あー、あの訳ね。あれ間違い。「dein」んときのをそのまま残しちゃっててさー」なんて話かも知れない)。で、歌いまくる会ではどっちで歌ったかというと、この会のモットーは「人の歌にケチは付けない」。各人の自主性を尊重する。だから好きな方でってことにした。すると、自分が歌ってるのと違う歌詞が聞こえてきて、そうすると、あっ、ここ版によって歌詞が違うんだ、って分かるじゃない。それも一興だと思って。因みに、私の楽譜は「dein」だったけど、みんなが「sein」って歌ってるんで、忖度(!)して途中から「sein」に変えました。

ビックリシタナモー

2017-12-25 10:54:34 | 
合唱仲間が美味しそうなフランケン・ワイン(ドイツのフランケン地方の白ワインで丸い瓶に入っている)の写真をアップしてたんで、私も久しぶりに飲みたくなって、ネットで値段を見ようと思ってググったら「フランケンシュタイン」がヒットしたんで、普通に考えれば改造人間のことなのは明白なのに頭ん中がワインでいっぱいだからフランケン地方のビュルツブルガー・シュタイン(ワイン名)のことだと思ってクリックしてしまった私であった。さて。体が大きすぎるとドタバタする走りになりがちだが、巨体にバランスの良さが加わるとこれはもう鬼に金棒だというのは昨日有馬記念で勝ったキタサンブラックについての評だがこのことはウサイン・ボルトのような人間にもあてはまる。いまやオーナーの北島三郎さんよりも有名かもしれないキタサンブラック(北島さんが自分でおっしゃっていた)が多くの日本人の期待通り勝ってNHKの7時のニュースでも大きく尺をさいて報道してご同慶のいたり。だが、みんなが勝つと思ってる馬が最初から先頭に立ってあぶなげなく1着でゴールインでドラマはなかったなぁ(将来を嘱望されながらG1を一回も勝てなかったルージュバック(とにかく顔が可愛い牝馬)が奇跡の優勝をとげればそれこそ大ドラマだった)。それより私が今注目しているのは「ビックリシタナモー」(これ馬名です)。これまで随分走ってきたけどまったく泣かず飛ばず。ところが、現在JRA唯一の女性騎手の藤田菜々子騎手が乗ったら相当格下のレースではあるがまさかの一位。それこそびっくりしなぁ、もー。次のレースでも同じ藤田騎手で惜しい二着。藤田菜々子騎手はいい!二十歳を過ぎて大人っぽくなったし、でも化粧っ気なんがまったくないし。ずっと応援するからいつかはG1をとって下さいね。

歳をごまかしたせい

2017-12-24 22:48:35 | 日記
昨日が誕生日だったわけだが、もう1年たつと映画を常に1100円で見られるようになる。このことを午前中にアップしたスターウォーズ観劇記に書くつもりだったのになぜ書き忘れたんだろう。そうだ!あそこでは私は47歳だったからだ。

ピアノで奏でるレイア姫のテーマ

2017-12-24 12:49:41 | 音楽

昨日はグルベローヴァの誕生日(ってことは私の誕生日)。グルベローヴァは71歳になられた(ってことは私は47歳になった(35歳って言わないだけまし(23歳って言わないだけもっとまし))。お祝いのメッセージを下さった皆さん、本当にありがとうございました)。前日のアルコールが抜けるのを待って、午後からスターウォーズの新作を見に行く(前から自分へのプレゼントとして決めていた)。スクリーンに映る「music by John Williams」で胸がいっぱい。最近は、テーマはジョン・ウィリアムズだが本編は別の人ってことが多いがスターウォーズはそういうわけにはいかない。絶対、ジョン・ウィリアムズでなきゃ。まるでヴァーグナーのオペラのように本編中に鳴り響くライト・モティーフ。特に、今回は、ルークとレイアの兄妹が重要な役回りだからこの二人のモティーフがいたるところで鳴る。ダース・ベイダーは当然もういないが、誰かがその名を口にするとあのモティーフが鳴る。まるで第1作(エピソード4)のようだ。考えてみたら、第1作でルークとレイアを演じた役者が40年経って同じ役の40年後を演じている。こんなことはめったにない。そのレイアを演じたキャリー・フィッシャーは本作撮影後に亡くなった。最後のエンドロールで、管弦楽による壮大な交響詩がなり響くなか、一瞬、ピアノソロになって、それがレイアのテーマ。キャリー・フィッシャーへのメモリアルだった。さて、映画の内容だが、旧3部作(最初の3作。エピソード4~6)を思わせるシーンがたくさんある。あっ、同じだ、と思わせておいて、意表をつくどんでん返し。とにかく、スターウォーズも残るは1作。どんな結末が待っているのだろう。スターウォーズと共にあった人生であった……という台詞は次回にとっておこう。追記。本編が終わった後も、満員の観客の中で席を立ったのは数人のみ。みんなエンドロールの音楽に聴き入っていた。スターウォーズ愛にあふれた観客であった。