拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

ヨーロッパの旅(ピアノ・リサイタル)

2022-02-28 13:20:18 | 音楽

「金澤亜希子さんと巡るヨーロッパの旅」と題されたピアノ・リサイタルを聴いてきた。世界中を旅する金澤さんが、訪れたあまたの国の中から7か国を選び、旅の思い出を語りつつ因んだ曲を弾く、というインテレサントな企画である。実際、インテレサントであった。その中で、私なりの感想(妄想)をいくつか。
スタートのイタリアのところで、「イタリア語のフェルマータは音楽用語だが、もともとバス停の意味。と言われているが、実際にイタリアでバス停の意味でのフェルマータを聞いたことがない」続いて、フェルマータを各国語でなんと言うかって話になって、雲行きが怪しくなったと思ったら案の定「ドイツ語では……イージマさんいる?あ、いた。ドイツ語でなんと言うの?」「分かりません」人前で先生に指名されて「分かりません」と答えたのは高校のとき以来である。遅ればせながら後から調べたのでここに解答します。「フェルマーテ」です!因みに、「バス停」ならすぐ分かった。「Haltestelle」である。
その「ドイツ」で金澤さんが選んだのはベートーヴェンの「ドイツのおどり」。この曲も「分かりません」でした。だから、その場でメロディーを覚えて後で詳細を探ろうという作戦を立てた。そのメロディーは(移動ドで)ドレ|ミレドシラソ|ファミレドシラ|ソ、ファ、レ、|ミー……って感じ。見つけた!「ドイツ舞曲集WoO8」の第9曲(「WoO」は作品番号がない曲に付けられた番号)。捜査が難航したのは原曲がオケの曲だったから。そのCDがウチにありました。ベートーヴェンが24歳のときの作品で、ウィーンで初演されている。
それから、ハンガリー。リスト音楽院出の金澤さんがこの国を抜かすはずはない。ハンガリーの言葉は常に文字の頭にアクセントがあるそうだ。その点はドイツ語と同じだが、(ドイツ語圏の)ウィーンの偉い先生はバルトークのアウフタクトを重視していたのに対し、ハンガリーの教授は第1拍目をガツーンと弾けと仰ったという。それで思い出した。ハンガリー人のショルティは、ウィーン・フィルを指揮するとき、棒を下ろしてもすぐに音が出てこない、自分は棒を下ろしたら即座にガツーンと出て欲しいんだ、と言ってたっけ。
この日のプログラムにはヨーロッパの地図が書いてあって、真ん中あたりの国の配置はどうにも複雑だが、ずっと地図とにらめっこをしてかなり理解できた気がする。渦中のウクライナの北にベラルーシがあることは知っていたが、南がルーマニアで、その南がブルガリアで、その南にギリシャがあるんだなぁ。だが、現在の国境線も過去何度も書き換えられたとか(金澤さん談)。そう言われてみれば、ドイツの南西部にフランスが出っ張った形で食い込んでいるのがアルザスで、いっときドイツ領だった。現在のこのあたりはライン川が国境になっている(もうちっと北にいくとライン川の西側もドイツ領になる)。もともとローマ人とゲルマン人はライン川を隔てて対峙していたんだっけ。国境の書き換えは東ヨーロッパにもあったそうで、現在のルーマニアの西半分はハンガリーだったそうな。それでか。フィッシャー・ディースカウの(最後の)奥さんのユリア・ヴァラディ(ソプラノ)について、私はルーマニア人だと思っているのだが、某さんはハンガリー人だと言い張る。この意見の相違はもしかして国境の変更に関係があるのだろうか。おおっ、今ググったらまさにそうであった。ヴァラディの生誕地は、産まれた当時はハンガリー領、今ではルーマニア領であった。
冒頭のイタリアの話に戻る。金澤さんは今回ご自身では触れられなかったが、私にとって、金澤さんとイタリアとくれば、レナータ・スコットである。なんと、金澤さんはこの大ソプラノの知己を得ているという。この一事で、私は金澤さんの背後に後光を見るのである。


これぞバロック(バスとトランペットの競演~シングイン・メサイア)

2022-02-26 20:18:06 | 音楽

「シングイン・メサイア」のことは聞いていたが、参加したのは今回が初めて。バリトンのN見さんの指揮のもと、ソリストは全員プロ、オケ部分はトランペットとティンパニが加わるほかは基本的にピアノ伴奏。客席にいるわれわれは聴衆であると同時に合唱パートを受け持つ(例年の合唱は、リードコーラスとこれに導かれる聴衆に二分されていたそうだが、今回は違ったようだ)。ソリストは皆、素晴らしかった。「プロのソロを聴くだけでも来る甲斐があるよ」と言っていた主宰者の宣伝文句は真実であった。だが、一番の功労者は指揮者はもちろんだが、ピアノを弾かれたY先生美女である。なにせ、トランペットとティンパニ以外のオケを一人で担当され、その正確な演奏で全体を最初から最後まで支えたのだから。一番、スリリングだったのは、第3部の「トランペット」。バスが歌うアリアだが、その実質は、バスとトランペットのコンチェルト。コンチェルトは「協奏曲」と書くが、ここでは「競奏曲」。歌とトランペットが交互に、装飾音を山ほどつけて張り合った。ルネサンス音楽とバロック音楽は一括りに「古楽」と言われるが、両者はまったくの別物。ルネサンス音楽は、ポリフォニー様式(各声部が独立し、それぞれが主役)でハーモニー重視だが、バロック期になると、「ソロ」と「コンチェルト」の時代になり、個性が光るようになる。今日の「トランペット」はそうしたコンチェルトの最たるもの、これぞ「バロック」という演奏であった(バッハとヘンデルはバロック期の最後を飾った巨匠だが、バロック期の扉を開けたのはモンテヴェルディである。こないだカーサ・クラシカで私が演奏したモンテヴェルディの「オルフェオ」の冒頭の派手派手なトランペット(クラリネットで代用)などは、ルネサンス期にはありえない、まさにバロックならではの音楽である)。で、歌はどうだったかと言うと、多くの方々はシングインの経験者で、メサイア命みたいな方々ばかり。なかなかの盛り上がりであった。ワタクシも大変楽しく歌わせていただいた。で、朝のブログに、アンコールは「ハレルヤ・コーラス」(をもう一回)かな?と書いたが大ハズレ。バッハのロ短調ミサ曲の終曲の「ドナ・ノービス・パーチェム」(私達に平和を与えたまえ)だった。時節を考えたうえでの指揮者の提案だという。私もなんだか感動してしまって、火事場の馬鹿声で歌ってしまった。ホントに昨日打ってもらったのはワクチンだったのだろうか。それとも感動が副反応を追いやったのだろうか。とにかく幸せな午後であった。主宰の皆様、本当にありがとうございました。


寝唄

2022-02-26 10:42:16 | 音楽

昨日は予定通り3回目のワクチンをうち、確定通り歌を歌って大酒を飲んだ。その席で「3回目はみんな副反応が出てる。すごい熱が出る」と脅かされる。さあ、どうだ。三度目の正直、今度こそは私も熱い火に身も心も焦がされるのであろうか(意味が違う)。で、今朝である。肩のうったところが痛いのはいつものこと。だが、額は氷のように冷たい(氷のような姫君の心……トゥーランドット)。副反応、今回も出ず、である。だが、うつとき「ちょっとチクッとしますよ」の「チクッ」は一番痛かった(前は、うたれたことが分からないほどだったのに)。接種会場は区のホール。往復40分チャリを漕いだら汗をかいた。ケメ子も食後にコタツに入らないで「重役椅子」でくつろいである。暖かくなったことを実感する。♪もうすぐはーーーーるですねぇ(キャンディーズ)。副反応は出なかったが、変な夢を見た。室内合唱団んときの仲間とどっかに泊まりにいって、旅館の部屋で雑魚寝をした(夢の中で寝た)。起きると(夢の中で起きると)誰かが「イージマさん、寝ながら歌ってましたよ」と言う。え?寝言は聞いたことがあるが、寝唄ってあるのだろうか。まあ、余計なことを寝言で言うよりましか。カッシオは寝言でデズデーモナの名前を口にして事件になった(ヴェルディの「オテロ」。もっとも、これはイァーゴの奸計だったが)。なーんて思ったところで目が覚めた(ホントに起きた)。さて。そんな具合に副反応は出なかったので、ミサイアを歌いに出かける。持ってくものはメサイアの楽譜と……そうそう、こういうイベントでは最後にハレルヤ・コーラスを歌おうってなることが多いからその楽譜も……私って馬鹿、ハレルヤ・コーラスはメサイアの中の曲だった(汗)


セラミック焼き網/ホームコンサート

2022-02-25 08:30:21 | 音楽

銀座の名店の粕漬けをいただいた。せっかくだから、美味しく焼けるというセラミック焼き網で焼こう。これは旨い!旨いっしみ!材料と焼き網の相乗効果だ。因みに、新しいパソコンは、「高い(値段も性能も)」と「国産」の相乗効果で素晴らしい仕事をしている。古いヤツは「安い」かつ「外国製」で使い物にならなかったが、どちらが主原因だったかは不明である(安い国産又は高い外国製を買っていれば比較ができたのだが)。ガスコンロの魚焼き器でもかなり美味しく焼けることは知っている(以前、クミンを効かせたトルコ風ハンバーグをよく焼いた)。だが、現在故障中。ガスコンロを取り替えようにもビルトインだからそこだけを取り替えることはできない。だから、キッチン(とついでに風呂場とトイレ)のリフォームを考えるのだが、田舎で、ホームコンサートができるような格安物件を買えれば引っ越したいという妄想が依然くすぶっていて、それが実現したらリフォームは無駄になってしまう。因みに、その「田舎」の候補は埼玉か千葉の奥地(茨城でもいい)。千葉と言えば、「鎌倉殿の12人」で、いよいよ上総広常が頼朝の見方についた。私は、頼朝は安房国(房総半島の先っぽの方)に上陸した後、東京湾沿いに進軍したと思っていたのだが、ドラマでは広常の拠点の近くに来たといい、その広常の拠点は太平洋に面した一宮だと言うから、思っていた進路とは違う。史実だろうか(広常が味方についたのは史実だが)。実は、田舎に行かなくても、都会の狭い社宅でホームコンサートもどきをしたことがある。40年くらい前、社宅に入ったばっかりの頃、お正月に後輩を呼んでわが家でモツレクを歌った(その中には、先日麹味噌合唱団で奇跡の遭遇をしたTs田夫妻の奥さん(I毛さん(旧姓))もいた。I毛さんは振り袖を着ていた)。当然、音は社宅中に鳴り響く。以後、先輩たちが白い目で見るようになり、私が会社を辞めたのはそのせいである(真っ赤なウソである。だが、先輩たちに注目されたのは事実である)。さらに、現在のわが家(マンションの一室)でも、コンサートこそはしないが、楽器に歌にと練習に励んでいる。一応、楽器には弱音器(ミュート)を付けたりしてご近所のご迷惑にならないように気を遣っていて、幸いこれまで苦情は来ていない。角部屋であるおかげであまり音がもれてないようにも思えるが、いや油断は禁物。私のカウンターテナーの発声練習の声(奇声)が他所に漏れているかもしれない。もし、苦情が来たら、すみません、困った娘がいまして、と言おう。


モデルナ/大酒の理/鞭打ち/パンダVSモナリザ

2022-02-24 09:31:46 | 音楽

ワクチンの3回目の接種券が来た。2回目をうってからぴったり6か月後である。早速、ネット予約の手続き。すると、なんと、2日後(今週中)に空きがある。意表をつく早さだ。3回目を躊躇している人が多いという噂は本当だったか。ワクチンの種類はモデルナ。1回目と2回目はファイザーだった。交互接種は逆に効果が増すという噂を聞いたことがあるし、モデルナは副反応が多いという都市伝説も聞くが、そもそも私は1回目も2回目もうったところが痛くなる以外まったく副反応が出ず、本当にワクチンが効いているのか不安になったほど。だからモデルナは大歓迎……のはずだったが、なんだか怖い。FBの友達でモデルナで発熱したってコメントを投稿している人が何人かいるのと、その空いてる日は午後A合唱団の練習があり、その後は大酒を飲む。「大酒」は「予定」ではない。「確定」である。平家物語を貫いているのは「勝者必衰の理(ことわり)」であるが、歌を歌った後の私を支配するのは「大酒の理」である。さらに、翌日は、まだ申し込んでいないが、メサイアを歌うイベントに参加しようかな~と考えている。そんなこんなで、一瞬接種の予約を躊躇した自分に驚いたのであるが、結局予約した。副反応+歌+大酒で死ぬことはないだろう、という判断である(メサイアへの躊躇は、もっぱら前日の大酒の影響を心配してのことである)。そのメサイアの中で、一昨日のカーサ・クラシカで私が歌った「He was despised」の中間部、弦が「バッシバッシバッシバッシ」と激しく付点で動く箇所は、イエスへのむち打ちを表している。1か月後に、ちょっとした本番があって、そこでこの曲を歌おうと思っていたが、このむち打ちを思うと生半可な覚悟で挑むわけにはいかない。「オルフェオ」に変えようかと思案している最中である。さて。昨夜のタケシの番組で、パンダが上野にやってきたときのことを話していた。そうか、1972年か。たしかダヴィンチのモナリザが上野に来たのも同時期。パンダVSモナリザの客取り合戦が話題になったが勝者はパンダだった。そのパンダが日本に来たのは、日中国交正常化を記念してのことだった。正常化を実現したのは時の田中角栄首相。その前にアメリカのニクソン大統領が中国との国交を正常化したことを追ってのことだった。当時の新聞に、日本の総理大臣(多分、佐藤栄作総理)が一生懸命日中間に溝を掘っているその頭越しにニクソンが飛行機で中国に向かう風刺漫画が載っていたのを覚えている。田中首相が中国に行ったのはその直後だった。交渉が暗礁にのりかけたとき、田中首相が居並ぶ役人たちに「君たちはいい学校を出てるんだからいい案を考えろ」と葉っぱをかけて座がなごんだという逸話がある。今太閤ならでは。そうやって中国と仲良しになったその裏で、日本は台湾との国交を断絶した。恋人を乗り換えたみたいで後味が悪かった(私が直接乗り換えたわけではないが、われわれを代表する日本政府がやったということは、われわれがやったと言えなくもない)。そこから年月が経ち、中国の脅威が言われ日米が台湾に肩入れしている現在、当時のことを思い出して、元彼又は元カノとよりを戻してるみたいで、なんだかなー、と思うワタクシである。


オルフェオ

2022-02-23 15:18:45 | 音楽

麹味噌合唱団で大学んときの室内合唱団の後輩であるTs田ご夫婦に遭遇したのだが、金澤亜希子さんがピアノを務めるカーサ・クラシカのセッションでは、H口氏が高校の吹奏楽部の後輩であられる。氏は私のようにへらへらしてなくて、フルート道を極めてらっしゃるからそれはそれは達者。ずっとついていく所存である。このセッションには、他に、某大学の合唱団の先輩後輩コンビがいらして、昨夜は椿姫のデュエットを、まさに恋人同士になりきって歌っておられた。ただし、実生活ではかなりのプレイボーイであられるらしい後輩テノール氏も先輩相手だと勝手が違うらしく、先輩ソプラノ氏の手を握るのを躊躇し、先輩から「なんで私があなたの手を握らなきゃいけないの?あなたでしょ?」と教育的指導を受けていた。で、私が歌い、演奏したのは、メサイアのアルトのアリア(He was despised)、モンテヴェルディのオルフェオの冒頭部分、そしてメンデルスゾーンのクラリネット・ソナタの第2楽章。オルフェオをやろうと思ったのは前日である。だいたい、私は本番近くまでぐずらぐずらしていて(♪おーらー、グーずらーだと(ソードー、ラーソミーレミ。歌:谷啓))、直前にあわてふためいてなんとか間に合わせるタイプ。この点、かなりイタリア人的である。だからというわけではないが、この曲はイタリア語がすべて。冒頭のトランペット(クラリネットで代用)が鳴り響くトッカータに続いて、「ムジカ」(音楽の精)が歌うモノローグは、流麗なメロディーがあるわけではない。この後の物語の概要を切々と語るように歌う。だから、前日にやろうと決めてからの1日は、イタリア語のテキストとにらめっこをしつつの特訓であった(以前、U会で歌ったことがあり、そのときの資料が役にたった)。結果は、火事場の馬鹿力というべきか、練習のときよりも流暢に口が回り、いい気持ちで歌い通すことができた。もちろん、金澤さんが完璧にピアノで合わせてくださったおかげである。因みに、歌詞の中に「私(音楽の精)は、リラに併せて歌う」というくだりがあり、舞台では歌手(普通はメゾ・ソプラノ。私はカウンターテナーで歌った)が手にしたリラを掲げたりするので、私も真似をして、手にしたヴァイオリン(歌の合間に弾いた)を掲げてみた。でも、控え目だったから気づかれなかったろうな。なので、ここに書いた次第である。


なぜ菜箸で食べちゃいけないの?(料理・食事の疑問集)

2022-02-22 09:10:48 | 日記

「あさイチ」で、「炊飯器の電源を入れ忘れたらどうしたらいいか」という話を今しているらしいが、私はその心配はないので、見ていない。ご飯は、圧力鍋で炊いているので。土鍋で炊くといい、とよく言うが、私は圧力鍋の方が好きだ。電気圧力鍋の通販で、圧力鍋はちょっと怖いですよね、と言って電気圧力鍋を薦めているが、どこが怖いのかまったく分からない。ということで、今回は、料理・食事についての疑問点特集。その1。菜箸と食事用の箸をなぜ分けるのか?菜箸をそのまま食事に使ってはいけないのか?菜箸だって、食事用の用途に十分使える思うのだが。菜箸は生肉を触るから?それなら、その後、炒めたり煮たりする間に殺菌されるから大丈夫と思うのだが。その2。多くのインスタント・ラーメンは、粉スープを火を止めた後に入れろ、と言っている。なぜ、煮てる最中に入れたらいけないのだろうか。その方が、すみずみまでよくスープが行き渡ると思うのだが。韓国系の辛いやつは、真っ赤な粉を最初から入れることになっている。因みに、私は、「辛ラーメン」がこんなに有名になる前から大久保の店先で見つけて食べてファンになり、ずっと贔屓にしていたのだが、最近、うーんと辛いものを食べるとお腹が痛くなるようになった。歳のせいだろうか。極めて残念である。その3。肉を喰らうときのことである。ナイフについたソースをなめたらあかん……って言う天童よしみの歌があった。天童よしみは、吉田よしみ時代に「いなかっぺ大将」の主題歌を歌っている。上沼恵美子は歌が上手でのど自慢荒しだったが、グランドチャンピオンは天童よしみにもっていかれたそうである……寄り道が長すぎて何の話だか分からなくなったので、仕切り直し。ナイフについたソースを舐めたらあかんのはなぜだろう、という疑問である。私は、マナーの問題だと思っていたが、「ナニワの金融道」に、金融屋のおっちゃんと美女が食事をしていて、ナイフを舐めるおっちゃんを見て美女が「あぶない」とつぶやいた。私は「みっともない」と思ったから意外であった。それ以来、どっちがホントの理由かが疑問だったところ、チコちゃんの「なぜ食事用ナイフの刃先は丸いか」の解説にヒントがあった。その昔、フランス人は、食卓で、戦闘用のナイフで肉を切って食べ、さらにそのナイフでシーシー(爪楊枝代わりにする歯の掃除)していた。ときの宰相のリシュリューはその様子が「みっともなかった」ので、ナイフの刃先を丸くして楊枝代わりにできないようにした、というのである。先の尖ったナイフでさえ楊枝代わりになったのだから、ナイフを舐めても危なくはない。実際、マナーの治外法権地域(=私のウチ)で、いくらナイフをぺろりんちょしても口を切ったことは一度もない。だから、ナイフを舐めちゃダメな理由はやはり「マナー違反」だった(と確信している)。マナー違反と言えばもう一つ。私の亡き父は、食事の際、「落ちたモノを拾って食べろ」と言っていた。しかも、そのことを、無限の宇宙の揺らぐことのない大真理であるかのように、威厳をもって(えばって)言っていた。この「教え」のアリかナシかを考えてみたい。まず「ナシ」の理由。もちろん「みっともない」。それに不衛生である。だが、「アリ」の理由も考えられる。まず、お百姓さんの作ったモノをありがたく残すことなく食べるべきだからという理由。さらにナシ説の「不衛生」という理由付けについては、小さいときから雑菌に慣らしておくと免疫がついて健康になるという反論が可能である(どっかのお医者さんがそう書いていた)。時代背景はどうだろうか。私の父は昔の人だったからそんなことを言ったんだろう、と思ってたら、漱石の「猫」の中に、落ちたモノを拾って食べる子供を「きたない」と評するくだりがあり愕然とした。明治時代においても、漱石にとっては、落ちたモノを拾って食べることは「きたない」ことであったのだ。父の育った田舎と漱石が住んだ東京では文化的に100年の差があったのだろうか。因みに、ナイフをぺろぺろすることが許される(奨励される)私んち(治外法権地域)でも、落ちたものを食べるのは御法度である。理由は、食卓以外はもはや免疫云々を超えた汚染地帯であるから。だから、洗濯機から物干しハンガーまでの移動中に洗濯かごから落下したものがあればそれは即洗い直しとなる。


五輪の音楽/「そだね」と「ソダシ」/後輩との邂逅

2022-02-21 09:00:22 | 音楽

閉会式の音楽は第九だった(北京五輪)。素直な音楽ファンの感想=すべての人が兄弟になるという歌詞は五輪にぴったり。テレビのコメンテーターが言いそうなこと=ドイツ音楽をもってきたのはバッハ会長におもねるため(反論=バッハ会長におもねるんだったらバッハの音楽を使ったはず。再反論=バッハの曲で閉会式にふさわしい曲なんてない。マタイ受難曲を鳴らしてどうする?再々反論=ミサ曲ロ短調の「Dona nobis pacem」なんかぴったり)。ひねくれた音楽ファン(私)が思ったこと=第九の歌詞って、友達ができない人は輪から出てけって言ってるんだよね、なんか冷たいよね、ベートーヴェンもそこんとこにdim.を付けてるから自覚があるんだよね、だから友達のいない人には「歓喜の歌」じゃなくて「哀しみの歌」だよね。ワリエア選手は閉会式の輪の中にいたんだろうか。そう言えば、前回大会で女子フィギュアの金メダルだったサギトワさんは、もう公式には滑ってないという(ハチ公(と同じ犬種の秋田犬で彼女に贈られた犬)は元気だろうか?)。なんとも回転の速い話である(回転が速いのはジャンプだけにしとけばいいのに)。逆に、そのオールドネームを聞いて懐かしかったのはカタリーナ・ヴィット。いまではフィギュア界のご意見番みたいな感じだが、この方は元東ドイツの選手で女王として君臨していた。ジャンプはせいぜい2回転くらいだったが芸術性で売っていて、台頭してきた伊東みどり選手のことを「東洋のゴムまり」と呼んだんだった(やっかみ?)。ところで、ロシアは今回国としての参加ではないから金メダルの表彰のときは国歌ではなくチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番が流れた。同じ作曲家のヴァイオリン協奏曲をフリーの音楽に使ったフィギュアの選手もいた。このヴァイオリン協奏曲は、作曲者がある高名なヴァイオリニストに献呈しようとしたら演奏不能とレッテルをおされてお蔵入りしかけたのだが、別のヴァイオリニストが弾いたら、次々と他の人も弾くようになった。同様に、長いこと誰もやらなかったフィギュアの高難度の技も、誰かが挑戦すると、次から次と他の人も挑戦するという。だから、羽生選手が挑戦した4回転半もすぐに誰かが飛ぶようになるだろう、とのことである。さて。午前中「そだねー」が響き渡るカーリングを応援した日の午後は、「ソダシ」の応援。ごついおじさんに混じって走った白毛の乙女が銅メダルに輝いたのは立派であった。そして、夜は麹味噌合唱団。ここで、邂逅があった。休憩中に「先輩」と呼ばわる声。振り向くと見知らぬロマンスグレーの姿。分からん。すると「Ts田です」と名乗られた。大学の室内合唱団で私が4年生のときの1年生である。えーっ!?なんで君がここにいるの?すると、奥さん(I毛さん(旧姓)))と一緒だという。なんでも、現在では千葉在住で、そこはY先生美女ご夫婦と地域が近く、そこで合唱界の重鎮になっているそうだ。その関係で、麹味噌にも来たそうだ。早くから名簿で私の名前を見つけていたが、アルトんとこにあったんで別人だと思ったそうだ。いやいや世間は狭いものである。で、昔話。私の一学年下のI氏の話が出たんで、私が「彼は、バス歌手だってね、学生のときはテナーだったのにね」と言うと、「イージマさんこそ、学生のときバスだったのになんでアルトなんですか」。これはやぶへびであった。しかも、I氏は1階級の移動であるが(テナー→バス)、私は2階級の昇進で(バス→テナー→アルト)、しかもジェンダーをまたいでいる。昔の知人に与えるインパクトはこちらの方が大きいかもしれない。練習会場には他にも共通の知り合いがいて、Y田美女もその一人。Y田美女に、彼とボクは同じ合唱団の先輩後輩だったんだよ、と言うと「Ts田さんが先輩?」。うふふ。ちょっとにんまりしたワタクシであった。


余計な一言

2022-02-20 08:46:57 | 日記

お友達から、ネットで「サイゼリヤでの初デートがありか?」が話題になっていると聞いたと思ったら、スガダイの競馬予想番組の雑談コーナーでもそのことが取り上げられ、スガダイは「なし」。ガストの方がよいそうだ(そっちか)。それに対し、司会進行の岡田大さんは断然サイゼ派。ワインのコスパがいい、もっぱらワインを飲みにいく、と言っていた。おお!同好の士!私もまったく同じである。よし、まだ見ぬ将来の恋人との初デートはサイゼリヤにしよう!(この宣言は、当ブログの名称が今のままである間だけ効力を有する)さて。数日前に、子供用の「ギリシャ神話」には、パリスが一方的にヘレンを夫の元から奪い去った、と書いてあった、と書いた。当時、わが家に悶着が起きなかったから、私が母に「おかーさん、パリスって悪い人だね。人の奥さんをさらっちゃうんだからね」という問いを発しなかったんだろうし、かりに発しても、それに対して母は「余計な一言」を言わなかったんだろう。その「余計な一言」とは、「ヘレンも喜んでパリスについて行ったんだよ」である。もしこの一言が発せられていれば私は「ええー?なんでだんなさんがいるのに他の人について行っちゃたの?」と聞くだろう。それに対して予想される母の応答と私の反応その1。「ヘレンは夫のことがきらいだったんだよ」「ええー?好きだから結婚したんじゃないの?」「飽きちゃったんだよ」。その2。「夫の稼ぎが少なかったんだよ」「ええー?うちと同じじゃん」実際、母はことあるごとに私に「ウチはビンボーなんだよ」と言っていた。だが、妹には言わなかった。その理由を後年聞くと「○子(妹)は女の子だから卑屈に育ってもらったら困るから」と言っていた。とんでもないジェンダー差別である。お陰様で、私は卑屈な男に育ち上がった。その3。「パリスとヘレンの○○○”の相性が良かったんだよ」「え?○○○”の相性ってなに?」「子供が知らなくていいこと」「ずるい、おかーさんから言い出したくせに」。母のこの態度が波紋をもたらす。翌日、学校に行って私は先生に「○○○”の相性ってなんですか?」と聞く。母は学校から呼び出しをくらう。しかし、これはましな方のシナリオである。もし私が、掃除の時間にクラスメイトに、トロイ戦争の原因は○○○”の相性にあったと講釈したらどうだ。その日、街中の家庭で親は子供から「○○○”の相性」について質問攻めに遭う。え?イージマくんがそんなこと言ったの?あのウチはどういう教育をしているのかしら。こうしてわが家はこの町にいられなくなり、トロイから退散するギリシャ軍のように逃げ出すはめになる。それもこれも「余計な一言」のせいである。言っちゃったからには納得するように説明をして口止めをすべきであった。因みに、「○○○”」とは「しょくじ」である(「しょ」は発音上一字である)。え?なんだと思った?いずれにせよ、私が母に「おかーさん、パリスって悪い人だね」と言った後はフィクションである。因みに、私のクラスメイトに正しい性の知識を授けたのは学校ではなく、掃除の時間中のワタクシである。これはノンフィクションである。私が知識を仕入れた元は、24巻の百科事典「ジャポニカ」である。今でいうネットサーフィンのように、次から次へとひきまくっていた。私の頭の中はジャポニカでできあがっていると言っても過言ではない。なにも、性の知識だけではない。音楽の知識の多くもジャポニカから得た。マリア・カラスが写真付きで載っていて、あまり自分の趣味じゃないな、と思った少年のワタクシであった。


売れないアプリ

2022-02-19 09:41:43 | 日記

私の毎朝起床後のルーティーンはこう。猫の水をとりかえ、加湿器に水をやり、自分自身はヤクルトを飲む(ヤクルト400をヤクルト1000に変えることを検討中)。今は、ベランダのプランターは休耕中だからそこへの水遣りは不要。あと、以前は起床後すぐパソコンの電源を入れていたが(起動に時間がかかるため)、新しいパソコンは瞬時に起ち上がるから電源オンはルーティンではなくなった。そして、猫にゴハンをあげ(毎回毎回ゴハン時になると鬼のように催促をするお嬢たち。しかし、これが人間を含めた動物の姿である。認知症になるとこれがなくなって終焉に向かう)、ようやく自分のゴハンの番だが、そのためにはまず前夜の洗い物を済ませなければならぬ。まったく、人間の数は一人なのになぜこうも洗い物がたまるのだろうか。

だが、いつ果てるとも知れぬ洗い物の山も、とりあえず端からやっつけていくと最後にはなくなる。

それが快感である。とってに穴があいているヘラや鍋をフックで吊り下げるようになってからより効率的になった。青の洞門も30年で開通したというが、わが炊事場洞窟はものの10分で開通だ(と言いつつ、シンクにはワインとビールのグラスが残っている。これは晩酌までになんとかすればいいので後回し)。で、朝食をとりながら朝ドラを見る。「キビノジョー」も岡山を意識した命名でしょうね。さて。法律関係のアプリを注文したときのことである。この手のアプリは買う人がほとんどいないということを実感した話。まず、業者のサイトで、注文しようとしてカード情報を入力すると、そこで「本人認証に失敗しました」とのエラー。3回やっても同じ。で、業者に電話をかけると、製品名を言っただけで名を名乗ってないのに「3回トライされましたね」。その日は、私以外にこのサイトから注文しようとした人はいないらしい。で、別のカードでトライするよう言われ試してみると成功。すると、最初のカードになにかトラブルがあるのか?で、カード会社に電話をすると、カードには何も問題はないのだが、そのサイトを利用する人がほとんどいないので、安全のためストップをかけたという。つくづく客のいないアプリである。それだけではない。注文したダウンロード版をダウンロードしようとすると、今度はパソコンがブロック。「ダウンロードする人がほとんどいない」という理由が表示された。業者のサイトには、そういう場合の対処方法が載っていて、ついでに「私どもは怪しくありません」(要約)とも書いてあった。そりゃそうだ。「私どもは怪しいです」と書くはずはない。言われなくても、この業者のアプリは何年も使ってるから、怪しくないことは分かっている。それでも、その方法に沿ってダウンロード・インストールを続けると場面場面で「安全ではありません」「怪しいです」「パソコンが壊れるかもしれません」等々の表示が出る。売れてないアプリは売る方も大変だが、買う方も一苦労である。


ベラルーシとジャルスキー

2022-02-18 09:35:17 | 言葉

安達祐実が演じるすみれの「きやぁあああああ」はよかった(「きゃあ」ではなく「きやあ」だったのがよかった)。下手な演技のふりが上手だった。そう言えば、安子(上白石萌音)もホントは英語が達者なのに下手なふりが上手だった。昨日、すみれとサカキバラがホテルで一夜を明かすのではないか、と下司の勘ぐりをしたせいで、誰かと同衾する夢を見た。だが、やり方が分からないうちに朝になってしまった。そもそも相手が誰かが不明である。昨夜、私の夢の中で私と同衾(未遂)した方、名乗り出てくださいまし!さて。西側諸国から厳しい目で見られがちなロシアであるが、その昔、日本の南極観測船宗谷が氷に閉じ込められたとき、救助にかけつけたのはソ連船である。宗谷を外洋まで導くと颯爽と去っていったそうだ。ということで、今回はロシアがらみのお名前ネタ二題。その1。問題のウクライナの北でロシアに接するのはベラルーシ(こちらはロシアと仲良し)。かつて日本で「白ロシア」と言われていた。なぜだろう。で、私が考えたことはこう。「ベラ」はイタリア語で「美しい」。「美しい」=「白」(無罪のことをシロと言ったり、勝つことを白星と言ったりすることからの連想)。そして「ルーシ」はいかにもロシアっぽい。しかし、この推論はおおはずれ、零点である。だいたい、スラブの国名の解釈にイタリア語をもってくること自体、禁じ手であった。「ルーシ」はロシアとは無関係で、あのあたりの地名。その「ルーシ」のうち西部が「ベラルーシ」と呼ばれていて、今日国名として残ったそうだ。ロシアがらみのお名前ネタその2は、カウンターテナーのフィリップ・ジャルスキーの名字について。ジャルスキーの先祖はロシア人で、おじいさんがフランスに移住する際、出身を聞かれて「はい、ロシア人です」(ヤー、ルスキー)と答えたのがジャルスキーという名字を名乗るきっかけだったという。「ルスキー」は「ロシア人」でこれは問題ない。問題は、「はい」がなぜ「ヤー」で、それがなぜ「ジャ」になったかである。フランス語では「ウイ」、ロシア語では「ダー」。だから、ジャルスキーは、「ウイルスキー」又は「ダールスキー」になっても不思議ではなかったのに、なぜか「ジャルスキー」。ここからは私の推論である。おじいさまはドイツ系又はドイツ語の学徒であった。ドイツ語では「はい」は「ヤー」(Ja)。おじいさまは、入国審査のとき係官からの質問に「ヤー、ルスキー」と答えたのはそのせい(なぜフランス入国時にドイツ語を話したかって?おじいさまの頭の中は、ロシア語以外はドイツ語しかなかったのかもしれない。ワタクシも、ドイツ語を一生懸命勉強してたときは、欧米人を見かけると片っ端からドイツ語で話しかけていた)。この「ヤー」(Ja)がフランス風に「ジャ」と発音され、今に至る。以上が私の推論である。「ベラルーシ」の解釈よりはいい線を言ってる気がする。いずれにせよ、ジャルスキーの先祖は、故郷のロシアでは全然違う名字を名乗っていたことはたしかである。これも不思議なことはない。「ゴッドファーザー」が「コルレオーネ」なのも、アメリカ入国の際、イタリアの故郷の名を申告してそれがそのまま名字になったのだった。


トロイ

2022-02-17 10:12:38 | 日記

安達祐実が演じる女優がサカキバラ君に「今夜、ホテルで台詞を読む」と言ったんで、おっ、その後「だから付き合って♥」がくるんだ!と色めきだった私は普通だろうか、病んでいるのだろうか?さて。映画「トロイ」をBSで見た。10年以上前の公開時に見て以来である。ブラピ演じるアキレスが主人公だが、ギリシャ軍の総大将はアガメムノン。アガメムノンと言えば、リヒャルト・シュトラウスのオペラ「エレクトラ」を思い出す。エレクトラは執拗に♪アガメームノン(ドソ♭ミーレド)、アガメームノン(ドソ♭ミーレド)、ファーター(ソードー)と亡き父を偲んで歌う。それほど娘に愛されたアガメムノンだが、映画では好色で狡猾な仇役。立場によって人の評価は正反対になるものである。「赤穂浪士」では憎まれ役の吉良上野介も領地では名君として慕われていた。それにしても、私はトロイ戦争について、ほぼ何も知らなかった。アガメムノンも、アキレスも、それから後述のウリッセもみんなトロイ戦争の英雄だったんなー。トロイ戦争については、小学生のとき読んだ子供用の「ギリシャ神話」で読んだきり(その次に見たのが映画「トロイ」だった)。その本をこないだ押入れから発掘したから読んでみよう。紙の色が茶色く変色してるところが年代を感じさせる(写真。それでも読めるんだから、アナログも捨てたものじゃない)。どれどれ。「パリスが、ヘレンをスパルタ王から奪い取ると、大急ぎで本国トロイにひきあげてしまった」これが戦争のきっかけになったというが、この書き方だとパリスがヘレンを無理矢理連れてったのであり、ヘレンは被害者のようだ。お子ちゃまの私は実際そのように感じたに違いない。だが、映画では、パリスとヘレンが夫の目を盗んで同衾。さらにWikiでは「ヘレネー(ヘレン)はパリスに魅了され、(中略)イーリオス(トロイ)までついていってしまった」とあり、ヘレンの方が積極的。まるでジークムントとジークリンデである。ま、しかし子供用ということで不倫の事実は伏せられたのだろう(教育的配慮?)。あれ?と思ったのは、英雄の一人として登場するユリシーズ(映画には出てこなかった)。だいたい、この本は、人名はすべて英語読み。「ミネルヴァ」も「ミナーヴァ」と表記している。そのユリシーズがトロイ戦争後に苦難の帰還を果たす話を読んでガッテンした(終わってしまったNHKの「ガッテン」を偲んでこの言葉を使い続ける)。そうか、ユリシーズ=ウリッセ!モンテヴェルディのオペラ「ウリッセの帰還」のお話であった。クライマックスで、ウリッセの留守宅で奥さんのペネロペに群がる求婚者を帰還したウリッセが矢で射貫くシーン、ルネ・ヤコプス指揮で見たオペラの舞台が印象的だった。あの沸き立つような音楽に乗せて、ウリッセが放った矢がゆくっりとゆっくりとストップモーションのように求婚者に向かっていったんだった。おまけの話その1。ロシアがウクライナとの国境から兵を引き揚げている映像を公開したが、西側の指導者たちは、「別の場所に集結している可能性がある」と言っている。トロイ戦争でも、海岸に木馬を置いて退散したように見せかけたギリシャ船団は別の場所に集結していた(西側指導者はそのことを思い出した?)。その2。「サンダーバード」のロンドンのエージェントであるペネロープの名前は、ウリッセの奥さんのペネロペから来ていたんだね。サンダーバードのペネロープの声の担当は、かつては黒柳徹子さん(執事に向かって「パーカー」と呼ぶ声が脳裏に浮かぶ)、最近の新作では満島ひかりさん。その最新作を劇場で見ようと思ったら、「特別上映」なので、シニア割引がないとな。♪馬鹿にしないでよー(山口百恵)。鑑賞は取りやめ。


貧乏人は麦を食え(ない)

2022-02-16 10:30:00 | 日記

パシュートで転倒した選手を見て、胸が痛くなった人は自身も辛い思いを経験した人。そういう人は、人の痛みが分かるものである。いくら善良でも経験のないことに同情はできない。例えば、マリー・アントワネットは、国民が食べるパンがないと聞いて「だったらお菓子を食べればいいのに」と言ったという。王妃様は、欠乏の経験をお持ちでなかったのだろう。だが、恋愛経験はおありだったようで、フェルゼンはベルばらだけの登場人物ではなく、実在の人物だそうだ……と書いたところでwikiを見たら、「パンがなければ……」はマリー・アントワネットの発言ではない、とある。困った。文章の構図が崩れてしまう。なら、別の話だ。高度経済成長期に、当時の池田勇人総理は、「貧乏人は麦を食え」と言ったという。こんな侮辱的発言をするあたり、自身が貧困を経験していな=社会の低層であえぐ国民の気持ちを分かってないことの現れ……と書こうとしてWikiを見たら、池田総理の発言は、正確には「所得に応じて、所得の少ない人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副つたほうへ持って行きたいというのが、私の念願であります」であり、それを新聞が「貧乏人は麦を食え」という大見出しで伝えたため、池田総理自身が「貧乏人は麦を食え」と言ったことになった、とある。困ったの二乗。論証のために用意した二人がそろって証人不適格。なら、これはどうだ。スーパーのレジ袋が有料化されて久しいが、これまでゴミ出しをレジ袋でやってた人(私を含む)は、レジで袋を買わなくてもゴミ出し用のビニール袋を買わなければいけないんだから同じなんじゃないの?このような政策を提案した人は、きっとゴミ出しの経験のない人に違いない。誰?シンジロー?兄のコータローは朝ドラ「カーネーション」でいい味を出していたが。さて、池田総理の発言(ではないという発言)に戻る。いまや麦は健康食品として人気。にもかかわらず値上がっている。反対に米価は低迷。だから、もし池田総理が今の総理なら新聞の見出しは「貧乏人は米を食え」となるはず。実際、ワタクシなどは、朝ラーメン(小麦)をやめて、ご飯に味噌汁のヤパーニッシュな朝に戻すことを検討している。貧乏人は、麦を食いたくても食えない、これが現実である。因みに、イワシの名前の由来は、昔、高貴でない人=卑しい人の食べる魚だったから、という説がある。しかし、イワシに含まれるなんとか酸は健康に大変良く、いまではお金持ちがこぞって食べる魚となっている。ワタクシは、アンチョビが好物でよくピザに載せるが、これは、カタクチイワシを発酵させたものである。貧乏自慢をするくせにアンチョビを買えるのかって?ウチの近所では一缶100円で売っているのだよ。


蕪と株

2022-02-15 10:06:39 | 日記

ヒロインの家の長男「桃太郎」の命名は、ヒロインが岡山出身だからか?そう、桃太郎伝説のゆかりの地の一つは岡山である。その朝ドラで、キョムゾー(松重豊)がヒロインの家(回転焼き屋)を訪れた。あのまま店内に入って回転焼きを食べて心中でグルメレポートをすれば「孤独のレストラン」だったのに。松重豊さんは、今回の脚本家がかつて書いた「ちりとてちん」のお父ちゃんだった。だいたい私は名バイプレーヤーを朝ドラで知る。遠藤憲一さんを知ったのは「てっぱん」のお父ちゃんで、ヒロイン(瀧本美織)の育ての親だった。生物学的な父(「ホントの父」という言い方はしない)は当初分からず、物語の後半になって、ヒロインの亡き母と関係があったって男が現れて、ヒロインの生まれた時期から自分が父親に違いないと言うのだが、時期が合ってるだけで父親が決まるなんてまるで民法の嫡出推定の世界である。「マンマミーア」では、マンマ(メリル・ストリープ)と同時期に関係があって、娘(アマンダ・セイフライド)の父親を名乗る男が三人現れた。だから、時期だけで自分の子に違いないと思うのは自惚れである。その朝ドラの後の「あさイチ」ではMCの華丸さんがコロナ感染。身近な人(テレビ画面で見ていて一方的にこちらがそう思ってるだけ)が感染したと聞くと身が引き締まる思い。代役のぐっさんは達者だが、朝ドラを見ていなくて朝ドラ受けができない点がジャンプ転倒並の減点である。そのあさイチで紹介していた股関節チェックを実践。うん、よく動く。全然大丈夫だよー♥(誰に対する何のためのアピールだか自分でも分かってない。とりあえずのアピールである)閑話休題。合唱の練習で訪れた千葉の某駅のホームに待合室が設けられた(写真。このあたりは雪がそうとう残っている)。寒波到来のこの時期、中はほっこりでまことにありがたい。透明で外から丸見えだが、トイレをするわけではないから問題ない(トイレも透明で外から丸見えのヤツがあるらしい)。そろそろ電車が来る時間になってぞろぞろ人が外に出て行ったが、電車が止まるのは真横である。停車してからで全然大丈夫。ぎりぎりまでねばった。その電車内の中吊りに、カブ(食べ物の蕪)の写真を大々的に載せてるヤツがあって、なにかと思ったら、その電鉄会社の株(株式)を買えという勧誘であった。駄洒落じゃん。それはいい。気になったのは宣伝文句の中の「配当がもらえます」。いいえ、配当は必ずもらえるワケではありません。一定の利益が出ないと配当してはいけないことになっている(会社法)。なんだかちっちゃい文字の補足がついてるからそこに書いてあるのか、と思ったら、補足は「直近の配当実績が1株25円だった」という内容。「無配の可能性もある」とは、私の見た限り、どこにも書いてない。あぶり出しをすれば出てくるのだろうか。このことを周知させないとはまことに遺憾である。塩漬けになった株(塩漬けになるくらいだから、持ってた期間中ほぼ無配)を10年以上抱えていたワタクシの心の叫びである。その塩漬け株は昨年処分した。一種の断捨離である(ずっと一緒だった株と別れて寂しいのも事実)。だが、食べる方のカブ(蕪)は相変わらず好きである。蕪と聞くとなんだかほっこりするのは、小学生のとき読んだ童話が蕪を育てる話で挿絵の蕪がなんとも美味しそうだったから。千枚漬けも美味しい。久しぶりに買うか。その千枚漬けをテーマにした朝ドラは「京、ふたり」である。


鮭とサーモン~大天使ミカエル

2022-02-14 10:12:59 | 音楽

白菜と豚肉の重ね煮を作る。普通、このレシピにはキャベツを使うのだが、こないだ買った一玉がまだ十分に残っていたので白菜を使用。白菜は、芯から食べるのがいいと後から聞いた。だったら、ちょっと割高だが1/4カットとかでも良かった。重ね煮でいつも不思議なのは、水をカップ1/2しか入れないのに、できあがると十分おつゆが出ている点である(写真)。食べ物と言えば、某選手が好きな食べ物を聞かれて「鮭やサーモン」と答えていた。この発言の意図として考えられることその1。鮭=サーモンと考えたうえで、大好きなので別の呼び名で繰り返した(同物異名)。その2。鮭は加熱用、サーモンは生食用と区別したうえで、どっちも好きなので両方言った。その3。深く考えずに思いついたものを口に出した。真相は不明である。同物異名と言えば、ドイツ語学校にキャロラインというアメリカ人がいて、みんなキャロラインと呼んでるのに、オランダ人のクラスメイトはわざわざ「カロリーネ」と自国語で呼んでいた。これって、超絶技巧のピアニスト・ユジャワンのことを「王(おう)さん」と呼ぶごとしである。逆に、元巨人の王選手は現役時代「ワンちゃん」と呼ばれていた。言葉の話題が続く。「エヒト」って馬についての会話。「エヒトってさ、ドイツ語で『ホント』って意味なんだよ」「ホント?」次も言葉の話。ニュースで、「男が男性を刺した」と言ってるのを聞いて、悪い雄は「男」で悪くない雄は「男性」なんだな、とガッテンした。そう言えば「ガッテン」(昔「ためしてガッテン」と言っていたテレビ番組)はこの春に終わるのだそうだ(番組名を変えた時点で先が見ていたのかもしれない)。「上沼恵美子のおしゃべりキッチン」も終わるそうだ。「新婚さんいらっしゃい」は、終わりはしないが文枝さんがMCを降りるそうだ(山瀬まみはどうするのだろう)。まさに「諸行無常」である。そんななか、「徹子の部屋」は継続。その徹子さんは、ゲストの子供時代の写真を見ると、きまって「かわいい、天使みたい」という。だが、私的には、天使といったら大天使ミカエルで、それは軍団の長で、そのイメージは「百億の昼と千億の夜」で描かれたウルトラマンみたく巨大な姿であって、およそ、「かわいい」と形容できるものではない(むしろ「怖い」である)。モツレクでも「ミヒャエル」には厳しい音楽が付けられている。音楽の話に移った。金曜、土曜とバスを歌って、特に土曜日のシュッツの会では仲間が醸し出す絶妙なハーモニーとシュッツのノリノリの音楽に乗せられて張り切りすぎて、日曜の朝は、前の日反省会をしていないというのに声がガラガラ。この日は二つの団体でアルトを歌うというのに絶望的。案の定、味噌煮込合唱団では不調で高音が出ず。逃げ出したい気分で次の麹味噌合唱団に向かう途中、時間がちょっと空いたのでみのり台(松戸市)のスーパーに立ち寄る。すると、小麦の強力粉が750gで99円!おおいに安い。強力粉はピザ作りに欠かせないのだが、小麦粉は4月からの値上げが囁かれている。買いだめはやめようと誓っていたのに思わず数袋購入。そういうワケで、麹味噌合唱団に現れた私のぱんぱんに膨らんだリュックの中身は小麦粉でありました。すると、なんと声が突然絶好調!小麦粉を安く買った喜びが喉に与えた影響か?まっこと声とは分からぬものである。