拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

♪はなこ、はなこ、はなーこー

2022-03-31 22:36:33 | 音楽

音楽が素晴らしいことは百も承知だから悪かろうはずはない。それにしてもよかった。スピルバーグがリメイクした「ウェストサイド・ストーリー」である。正直、当初、主役の2人は私が思い浮かべていた雰囲気ではなかった。だが、見ているうちに、この映画が物語の根底に潜む移民や人種の問題をクローズアップしてる気がしてきて、それにぴったりの配役だと思うようになった。そんなキャストの中で、私が一番惚れたのはアニータ役のアリアナ・デボーズ。アカデミー賞の助演女優賞を獲ったのも頷ける。あんまり良かったもんだから、ほんとは風゜太郎らしくパンフレットは買わないつもりだったが買ってしまった。スピルバーグの映画の音楽の常連のジョン・ウィリアムズは流石に出番はないよなと思ってたら(作曲は、バーンスタイン)、エンドロールでその名前がちらっと見えて、どういう肩書きだったかを知りたかったこともパンフレット購買の理由である。そしたら2970円!シニア割引のチケットで2回半映画が見られる。しかも、ジョン・ウィリアムズが音楽アドバイザーだったことはネットで分かった。バーンスタインと言えば、オペラ歌手を集めてこの曲を録音したとき、トニー役のホセ・カレーラスをいびりまくってカレーラスがぶち切れて退席する様子がドキュメンタリーで見ることができる。だが、そこはプロ。次回、きっちり歌を決めてバーンスタインをうならせた。それから、サイボーグ009の仲間のサイボーグたちは世界中から集められた「訳あり」の男女だが、アメリカから連れてこられたのはその名も「ジェット」のヤンキー。片足を高く揚げて踊るシーンが漫画に描かれていたが、それがこの映画の旧作のパクリであることは後年知った。パクリと言えば、この物語は、シェークスピアの「ロミオとジュリエット」のオマージュであることはよく知られている。私は、本作を見ながら、あちらこちらでゼッフィレッリが監督した「ロミオとジュリエット」(オリビア・ハッセー主演)を思い出していた。それにしても、「縄張り争い」ほど無意味なものはない。どこかの大統領もこの映画を見ればよいと思った。これで、しばらく頭の中で「♪マリア、マリア、マリーアー」が流れそうである。そして、私も、ある日、突然、どこかの花子さんと運命の出会いをして、「♪はなこ、はなこ、はなーこー」と歌うのである。別に「花子さん」でなくてもよい。三文字だったら歌える。二文字でも大丈夫。キョムゾーが「ひなた」のことを「おひな」と呼ぶように「お」を付ければ三文字になる。


安子=アンコ=アニー説

2022-03-31 13:55:18 | 言葉

アニー・ヒラカワ=安子説の根拠の一つとして、誰かが、安子=アンコ=アニーという名前つながりを言っていた。なるほど、anko=anny! だが、先週末の予告編(結局見たんかい?はい、我慢できずに)では、そうでない印象を受けた。だが、予告編ほど当てにならないものはない。いずれにせよ、真相解明は目前である。明日のあさイチは、ひなたがゲスト。ぽろっと秘密をしゃべっちゃって、ごめんなさーいってことはないだろうか。以前、笑っていいともで、ある女優さんがテレフォンショッキングに出たとき、「友達への紹介電話」はやらせなしで突然かけているという建前なのに、事前に知らせてあるみたいなことをぺろっと言っちゃって、さらに「ごめんなさーい、あんなに言われてたのに」とダメをおしたことがあった。この人は嘘をつけないようだ。そう言えば、後年、この方の不倫報道が出たことがあった。そんな風だからバレたのだろう。閑話休題(次もいっそう閑話)。昨日、ラモス瑠偉が徹子の部屋に出て自堕落な生活をしてたら今の奥さんが現れたって話を書いた(私も自堕落な生活をして、恋人の出現を待つ、とも書いた)。その際、書きそびれたが、「自堕落な生活」のツケが回ってきてラモスさんが大病をされたのは再婚した後。リハビリを余儀なくされたそうな。そんなラモスさんに仕事面で救いの手を差し伸べたのがサッカーの元日本代表監督の岡田さん(と、エクザイルの誰とかさん)。ラモスさんは、岡田元監督らのことを「一番のテンテキ」というから、そうか、ラモスさんは、現役のとき、岡田さんと仲が悪かったのか、そう言えば、岡田監督が三浦カズ選手を代表からはすじたときラモスさん怒ってたもんな、と合点がいってたら、「テンテキ」は「天敵」はなく「点滴」のことだった。つまり、ラモスさんの回復にとって最高の良薬だった、という意味だった。日本語は難しい。そう言えば、大学のドイツ語の先生はドイツ人だったが日本語がペラペラ。だが、しきりに「テンジュー」と言ってる意味が分からなかったが、それは「天井」のことだった。


ダメンズ好きさん、いらっしゃ~い!

2022-03-30 21:05:37 | 日記

というわけで、「ウェストサイドストーリー」と「ドライブ・マイ・カー」を見ようと思って上映スケジュールを見ると、「ドライブ」の方は賞をとったから今後、上映回数が増えるようなのであわてることはない。それよりも、最寄りの亀有では「ウエスト……」が明日まで。こっちを優先しよう。で、ネットでチケットを買う。夜の9時台に終わるから、亀有にいくつかあるピッツェリアは間に合わない。駅からちょっと離れたサイゼリヤなら開いてる(電話で確認した)。よし、終わった後は、サイゼ飲みだ!こういう目論見を立てて劇場に行って発券。ここで、とんでもない事実が明らかになった。なんと、私が注文したチケットは明日のもの。意を決して30分ちゃりを漕いだのに無駄足であった。だが、塞翁が馬。この悲劇を喜劇に変えよう。まだ時間が早いから行けないと思ったピッツェリアが開いてる。ということで、亀有駅からちょっと行ったところにある場末のピッツェリアに行く。これはね、あなた!あなたと一緒に行く下調べだからね!で、注文したマルゲリータ・ピザはなかなかのヴォリューム。

だが、例によって赤ワインをボトル一本注文したから、ピザを平らげてもお酒がなみなみ残っている。そこで、ニョッキの揚げたやつを注文。小皿でちょびっと出てくるんだろう、と思っていたら、さすが下町、どっと来た。

なんとか全部平らげた。しかし、一人でボトル一本は多い。昨日のカーサ・クラシカでは、ボトル一本+デカンタまで頼んだが、某某美女が手伝ってくれたから楽勝で空になり、さらに二次会にまで繰り出したのだが、一人で無言で、ということになると、相当、肝臓に負担のくる量である。私の体は大丈夫だろうか。ここで思い出すのは数日前の徹子の部屋。元Jリーガーのラモスさんがゲストで、今65歳だそうで、へーえ、おじいさんになったねと思ったが、よく考えてみると私よりたった二つ上である。そのラモスさんは、数年前、奥様に先立たれ、哀しみのあまり、荒れて「馬鹿な生活」を送ってらしたところに、今の奥様が現れ立ち直ったそうだ。そうか、なまじしっかりした生活を送ってるとだめなんだ。よしっ、自堕落な生活は得意である。それに拍車をかけて「die Richtige」が罠にはまるのを待とう(「die Richtige」は形容詞が名詞化した例で、相応しい人(女性)の意味である。Rシュトラウスのオペラ「アラベラ」で、主人公が、いつか「der Richtige」(相応しい男性)あ現れるに違いないと歌う二重唱は圧巻である)。でも、今夜は現れないだろうから、帰途の桜並木の下を通るのは私一人である。

ちょっとアップで。


「喧嘩はすな。仲良うせい」

2022-03-30 11:32:31 | 音楽

まずは昨夜の話から。カーサ・クラシカのセッションだった。ピアノは金澤亜希子さん。金澤さんのセッションは、早く申し込まないとすぐ売り切れる。私は、1巡目にヴァイオリンでベートーヴェンとボッケリーニのメヌエットを、2巡目にクラリネットでモーツァルトのコンチェルトの一部を、3巡目にカウンターテナーでスタバトマーテル(ペルゴレージ)からアルトのアリア(と「独りボエーム」のさわり)を演った。ときどき、こうやって人前で演奏するのはとっても大事だと思う今日この頃。ヴァイオリンも、考えながら弾く自分がいたから、幾分、余裕も培われてきたのだろう。そして今朝のこと。ひなたからすれば、呼び出されて「結婚する」と言われれば、一瞬「あたしと?」と思うだろうが、相手はまさかのデイジー(朝ドラ)。元カノに結婚報告をするというのはアリかナシか。直後のあさイチのMC陣は「ナシ」の意見。でも、ひなたはさっぱりした感じだった。そう、ふっきれたとき、逆に、艶っぽい話が舞いこんでくるもの。私にも、そういう話が降ってこないかな。エプロンを広げて待ってるんだけど(グリム童話の中に、少女が広げたエプロンに、空から金貨が星のように降ってくる話がある)。その朝ドラ、今週は、キョムゾーの週のようだ。演じるのは「孤独のレストラン」の松重豊さん。私は、この俳優さんを、今回と同じ脚本家が書いた「ちりとてちん」のお父ちゃんで知った(同様に強面で売っている遠藤憲一さんは、「てっぱん」のお父ちゃんで知った)。「ちりとてちん」も名作の誉れが高く、名シーンが多かったが、中でも私が一番好きだったのは、ヒロインの友達と「アホぼん」(アホのぼんぼん)の結婚を許すかどうかの家族会議のシーン。焼きサバ店主の父親が、最後に「結婚を許す。ただし条件がある」と言う。どんな、条件だ?一同(及び全国の視聴者)が固唾を飲んで見守る中、父親が言ったのが「喧嘩はすな。仲良うせい」。そこには伏線があった。このドラマは落語のネタが満載で、その落語に喧嘩の仲裁が趣味の男が登場するネタがあるのだが、件の父親はその男を地で行くような人で、もめてる人を見ると焼きサバを差し出して「喧嘩はすな。仲良くせい」と言うのが常。その台詞が、緊迫の家族会議の大詰めで飛び出し大団円を迎える脚本には真に感動し、感嘆した。その日は朝のBSと地上波、昼の再放送、夜の再放送と合計4回見て、そのたびに、星飛雄馬のように泣いたものだ。デイジーの話に戻る。昔、「ドライビング・ミス・デイジー」という映画があった。「ドライブ・マイ・カー」をちょっと思い出す名前である。その「ドライブ・マイ・カー」も「ウェストサイド・ストーリー」もまだ見てない。楽器の練習を中断して、ちょいと見てくるか。


「女の怖さを見せてやる!」

2022-03-29 09:04:11 | 音楽

昨日は、サロン風のホールで、ロ短調ミサのクリステ・エレイソン(二重唱)と、モンテヴェルディの「オルフェオ」から「ムジカのプロローグ」(ソロ)を歌った。某子さんの弟子筋の「まとめ会」で、である。某子さんの関係だから、参加者の大半は、ものすごいオペラ声の持ち主。そんな中で、カウンターテナーは「色物」扱い(「色物」=寄席で、落語の合間にやる曲芸等)。いや、それでもいい。要は、他人の評価ではなく、自分との戦いである。能力以上に褒められて有頂天になってもいけないし、不当な低評価をいただいてやる気をなくすのも馬鹿げている(私が特に言いたいのは後者である)。そんな中、クリステ・エレイソンは、ご一緒していただいた某学者美女が素晴らしかったので引っ張られていい出来だったと思うし、オルフェオは、以前はただ単に歌っていたが、歌詞に沿って抑揚を付け、かつ、装飾音をまぶす実験がそこそこ効を奏したと思う。前記の某学者美女も、実は相当なオペラ声の持ち主で、ソロのアリアでは存分にそれが発揮された。そうしたオペラ色満載のプログラムの中で、私的に一番受けたのはオットー・ニコライの「ウィンザーの陽気な女房たち」の冒頭の女声二重唱。ファルスタッフから同じ内容のラブレターを受け取った二人の女房が、「あたし、あのデブからラブレターもらったの。あらあなたも?まあ、全く同じ内容じゃない!」と歌う歌である。3メートルの至近距離で、ものすごいオペラ声で「女の怖さを見せてやる!」と歌われた日には、怖いなんてもんじゃない。ごめんなさい、もう二度と女性をくどきません、勘弁してください、と心で叫んだ私であった。もし、今後私に似た人が女性をくどいていたら、それは影武者である。これこそ、今日、一番書きたかったことである……もといっ、一番書きたかったのは、「音楽は自分との戦い」である……あったはずである……


英語

2022-03-28 08:49:50 | 言葉

小麦が高騰してラーメンが食べられなくなる事態に備えて、朝ラーメンに代えて雑煮を食しているのだが、ラーメンに使う水はカップ二杯半、雑煮は一杯半。ラーメンで一杯多い分は、乾麺の微少な隙間に入り込んで麺を元の状態に戻すのに役立っているのであろう。「鎌倉殿の13人」で特筆すべきは義経の描き方。判官びいきという言葉があるくらい、これまで悲劇のヒーローとして扱われてきたが、史実では壇ノ浦の戦いでは「かこ」(船の漕ぎ手)を射るという禁じ手を使ったりしてかなり「危ない人」。今回のドラマはそこをよく描いている。初登場(だっけ)のシーンで、他人が射落とした獲物を横取りするためその他人をだまし討ちしたのには唖然とした。あと、このドラマでは、登場人物がみんなおしゃべりで一言多く、その余計な一言が思いもよらぬ事件を引き起こすあたりは極めて現代的である。もう一つドラマの話。「カムカム」で、英語を勉強したい人が増えれば、この朝ドラは、日本の更なる国際化に一役買ったことになるが、「第1外国語」がドイツ語である私にとっては、もはや手遅れである。例えば、ドラマに「My mamma and dad have gone to America」(母と父はアメリカに行った)という台詞があったが、聞き取れはするが、自分で一から言って見ろと言われたら、「My mamma and dad have to America gone」とか言いそうだ(ドイツ語の語順)。さらに、この文章の「have」は現在完了形の助動詞であり、ドイツ語の「haben」に当たるが、「haben」は、「私」が主語なら「habe」で、「母と父」のような複数なら「haben」。だから、英語の「have」も「haven」とか言っちゃいそうである。さらにさらに、ドイツ語でも「haben」は現在完了形の助動詞になるのだが、「場所の移動(と状態の変化)」のときは、Be動詞が助動詞になる。「アメリカに行く」は場所の移動だから、「have」じゃなくてBe動詞の「are」じゃないの?と一瞬思ったことを白状しよう。ところで、今日の放送で、「It is fate」と言っていた。「スターウォーズ」の「It is your destiny」とのニュアンスの違いはどうなのだろう。因みに、「It is your destiny」の「destiny」のドイツ語訳には「Bestimmung」と「Schicksal」があるって話はちょっと前に書いた。これらのニュアンスの違いを調べたいところであるが、これから発表会に備えて発声練習をしなければならないので、お預けとする。一つだけ。ベートーヴェンの「運命交響曲」の「運命」は、もっぱら「Schicksal」であり、「Bestimmung」を使うことはないようだ(と書いてから、ぐぐってみる(順番が逆)。うん、そのようだ)。


セカンド・オピニオン(楽器の話)

2022-03-27 09:51:24 | 音楽

まとまなフルートがやって来て、まともじゃなかった先住は押入の中の座敷牢で永遠の安息についた。だったら最初からまとめなヤツを買えばいいじゃん、なんでまともじゃないヤツ(格安物件)に手を出すんだ?と言われるが、言い訳はこう。当初、「ちゃんと」演奏しようとは思っていなかった。「一生に一度触りたい」が動機であった。だが、触ってみて、箸にも棒にもかからなきゃよいのだが、なまじ音が出ると上手くなりたくなる。まともな楽器が欲しくなる。そうした理由で座敷牢の住人(牢人)になったものには、フルートのほか、オーボエとA管クラリネットがあるのだが、実は、別の理由で牢人になったものもいる。まずは、ヴァイオリン。私が子供の頃、弾いていた楽器である。数年前にヴァイオリンを再開しようと思い、40年振りにケースを開けたときはまだ健在だった。子供貯金をおろして買ったくらいだから超安物だが、相当使い込んだから体になじんでいていい音も出ていた。ところが、この楽器が壊れてしまった。弦を止めるピンがとれただけだから修理は可能だが、修理費の方が高くつくから牢人になった。だから牢人の中では別格であり、「永久名誉牢名主」の肩書きが与えられている。実は、私の「本業」であるクラリネットのB♭管にも牢人がいる。もともと牢人だったのは高校のとき使っていたクランポン製だった。こちらは、ヴァイオリンと異なり、とてもじゃないがケース(パンドラの箱)を開ける勇気はなかった。開けたら真っ青になっているに違いない。そう心配したからである。だから、再開するにあたり、とりあえず、格安物件をポチってみた。すると、言われているほど悪くない。そこそこ音が出る。だが、リガチャー(リードを止める金具)だけがダメ。どうしよう。そうだ、昔の楽器からリガチャーだけを拝借しよう。古墳内の遺物を盗掘する気分でおそるおそるケースを開ける。おー、青くない!昔のままである(キャサリンの墓を暴いたヒースクリフが、生きてるときと変わらぬキャサリンの遺骸を見たときの気持ちもかくや?(嵐が丘))。で、キャサリンを吹いてみた。おー、鳴る!調整したらどうにかなるかもしれない。そこで、新大久保にある管楽器専門店に持って行ってオーバーホールを依頼すると、ボロすぎて……とは言わなかったが、古すぎて調整不能、新しいものを買え、いいものがあるって話に。だが、いったん家に帰り、クラリネット専門店の存在を知り、そこに持ってったら、「これはいい楽器だ。今は、昔のようないい木がとれない。これを調整して使うべきだ」とのこと。セカンド・オピニオンは重要である。言われたとおりに調整してもらい、キャサリンは目覚めたスリーンピング・ビューティとなり、格安君は試し吹きだけで牢人となった。まあ、この格安君もそうだが、格安だからみんながみんな悪いということではない。わが家で現役バリバリのC管のクラリネットも格安物件だが、これは大当たりである。だが、はずれの確率の方がはるかに多いということが身に染みたから、今後、格安物件には手を出さないつもりである。って、もう、触りたかった楽器はほとんど入手したから、手を出す機会もないだろうが(あっ、トロンボーンが残ってた)。だが、ヴァージョンアップはありうる。以前、酔っ払って銀座を歩いていて、思わず楽器店に入ってヴァイオリンのヴァージョンアップの相談をしたことがある。それ以来、懸案事項としていつも頭の片隅にある。それから、牢人たちも、もし他所のおうちで日の目を見ることを望むのなら、喜んで送り出そうと思ってる。


エローイ

2022-03-26 10:52:24 | 音楽

昨夜は、A合唱団で、これまで何か月かに渡って歌ってきた「マカベウスのユダ」の締めくくりとして合唱の部分だけ通して歌った(レパ会)。この曲は、表彰式に使われる曲が有名だが、ヘンデルだけあってメサイアによく似てる。メサイアは第2部の終わりにハレルヤ・コーラスが、第3部の終わりにアーメン・コーラスがあるが、こちらは、全曲の最後にハレルヤとアーメンを繰り返すハレルヤ・アーメン・コーラスがある。ステーキと寿司を同時に食卓に並べたよう。それにしても、背景を何も知らずに数か月間ただただ歌っていたので、最後くらいちょっと分かっとこうかと粗筋を見てから挑んだら、最初の合唱で「もういない」と嘆かれるだれかさんはユダヤの民の指導者で、その息子がシオン(ザイオン)で、マカベウスのユダはそのお兄さんということが判明(指導者の息子のお兄さんて言うなら、ユダも指導者の息子だと思うのだが、あえてそういう言い方をしてるってことは、父違いなのだろうか)。そうか、そうだったのか、やはりちゃんと勉強しなくてはダメ。これからは分かって歌うからね。え?もう、昨日で終わり?
締めくくりと言えば、今度、ピアノの某子さんの弟子筋のおさらい会で、モンテヴェルディの歌劇「オルフェオ」から「ムジカのプロローゴ」をカウンターテナーで歌うのだが、その歌詞に「エローイ」がある。これが今回の記事のタイトルだが、よーく、見てほしい(特にフェイスブックルのAIさんには)。「エローい♥」ではなく「エローイ」である。すなわちイタリア語の「エローエ(eroe)」の複数形で、「英雄」の意味である。その箇所の前後を併せて書くと「インクリティエローイサングエジェンティルデレージー」。もちろん、ホントは複数の単語から成っているのだが、イタリア語は前後がくっつくうえにここは早口で歌うのでこんな感じになる。一見、どこに「エローイ」があるのか分からないかも。周りの風景に溶け込むカメレオンのごとしである。その「エローイ」からは、容易にベートーヴェンの交響曲第3番「エロイカ(英雄)」が連想されるだろう。「eroico」は「英雄的な」という形容詞である。さあ、ここからが問題。「eroico」が「eroica」になっているのは、女性名詞にかかるからだが、その女性名詞はいったい何か?「sinfonia(交響曲)」こそその答えである。つまり、「エロイカ」とは、「英雄的交響曲」((una)sinfonia eroica)の「交響曲」が省略されたものであった。このように、いかなる疑問にも答えはあるものである。では、私がいまだに独身であることについても答えがあるのだろうか。ある、それは私がエローいからである……か?


修行

2022-03-25 08:44:36 | 音楽

ウチの冷蔵庫は、上から二段目ががらんどう。理由は、ピザ作りの順番にある。生地をのばして具をのせて、お風呂に入ってる間にピザメーカーを予熱して、風呂からあがってから焼くと、風呂上がりの美味しいビールとともに焼きたてのピザをいただけるのだが、風呂に入ってる間に具をのせた生地をそこらへんに置いておくと猫に食べられる。冷蔵庫はそれを避けるための避難所。そのために一段空けてあるのである。さて。ディズニー+でスターウォーズを観るのも、CDでモーツァルトのフルート協奏曲を聴くのも夜。すると、お酒が入ってるもんだから瞬時に寝る。だから、見たり聴いたりしたことにならない。なら、昼間すればいい。風゜太郎なんだから、日中は遊んでいていいはず。ところが、なんだか罪の意識があって遊べないのは、同年代のお友達がまだバリバリ仕事をしているせいだ。だが、彼らは、おハイソな生活を維持するためにお金が必要なのだ。私のように、贅沢が100g250円のステーキだったら、あるいはいまだ実現しない初デートがサイゼリヤだったら同じように働く必要はないはず。じゃ、遊ばなくて何をしてるかと言えば、楽器と歌の練習。遊びじゃん?いや、これらは修行であって遊びではござらん。なら、ディズニー+でスターウォーズをドイツ語で視聴するんだって、ドイツ語の修行じゃん?おお!いいことを聞いた。そうそう、修行であった。では、これも加えて、今後、いっそう修行に励む所存でござる(このあたり、キョムゾーが入ってる。その朝ドラ、今回は予告編は見いもうさん。先入観なしに最終週の来週、心を震わせて挑む所存でござる(と思ったら、最終週は再来週だって))。因みに、楽器の修行の内容でござるが、ビオロンとセロと一枚舌の葦笛は教則本。横笛と二枚舌の葦笛は「急がば回れ」でもっぱらロングトーン。そう、私は指が回るもんだからすぐ曲を吹きたくなるが、これはNG。まずはロングトーンで音を固め、教則本で指の基礎を固め、それから曲をやるのが王道であり、その通りやろうとすっかり改心したワタクシである。だが、ビオロンについては毎月カンタータの新曲の練習に忙殺されて教則本をやる暇がなかった。久しぶりに教則本を弾いてみたら、あらま!できるようになってる。カンタータを練習して教則本の腕が上がるというのは逆の感じがするが、もともとバッハの楽譜は教則本のようでもある。かの無伴奏チェロ組曲だって、長いことただの練習曲だと思われていた。その楽譜を本屋で偶然に手にして、世に広めた人こそカザルスである。そして、冷蔵庫(写真)の一段目に並んでるものこそセールのたびに買いだめた1パック99円の卵である。なお、ラッパについては、ジョーが吹かないから、拙者もあまり吹いてござらん。


元気になりたきゃ肉を食え!

2022-03-24 09:06:19 | 日記

美女と飲んでいて電車がなくなり、「It is your destiny」と言ってホテルに誘ったらあっさりタクシーで逃げられ「It is my destiny」と呟いて夜空を仰いだマサオ(マサシではない)。このような妄想で楽しんでいそうのワタクシだが、実はこのところ元気がない。歌の三連ちゃんの三日目の朝などは青息吐息。練習場には這うように向かう。すべてのくびきから解き放され、完全に自由になってルンルンのはずなのにこのていたらく。一つ思い当たるフシがある。最近、がっつり肉を食べてない。元気な高齢者はみんな肉好き(かつ酒好き)。どっかのお医者さんも、著書で肉食を薦めている。よし!回鍋肉の肉の量を増量しよう!以前、レバニラ炒めの食べ歩き宣言をしたが、あれはほどなく撤回。思いのほか、レバニラ炒めは中華屋のメニューになかったから。代わりに回鍋肉にしようかな、と思っている。my kitchenで作っても良い。わが家のレシピは、おろしニンニクのほか、豆板醤と甜麺醤と豆豉醤を使い、仕上げに醤油をかける。「上沼恵美子のおしゃべりクッキング(来週で終わる)」の真似である。

以前、お友達が、豆板醤は瓶とチューブのどっちがいいかってコメントをくださった。あのときは私もどちらがいいか言えなかったが、今でははっきり言える。チューブである。瓶だとスプーンですくわなければならないが、醤が三つあるとスプーンも三つ用意しなければならない。一つだと混ざってしまう。すると洗い物が増える。だからだ。だが、自家製回鍋肉を食してもまだ元気が出ない。やはり血の滴るステーキでないと。多いときは週に2回食べていた。好物の赤ワインに一番合うから。だが、いっとき100g200円を切ってた近所のスーパーでのステーキ肉の価格が最近は250円前後。コロナ禍による肉の高騰を実感する。そのせいで、とんとステーキを食べなくなった。だが、そんなんで気力をなくしてボケたら元も子もない。よし、奮発して食うぞ。しかも、焼き油はバターだ!

コロナ禍で牛乳が余ってるそうだが、だからバターが安くなるってことにはなってないようだ。とにかく久しぶりにまとまった量を食す。ところが、私らの感覚では高くても東京西部(お金持ちの生息地)の物価に比べればただみたいな肉である。スジが多い。そのため、飲み込もうと思ってもスジが歯にはさまって飲み下せず、喉の中程で停滞。なんども窒息しそうになりながらの晩餐であった。それでも、少しは元気になったようで、朝ドラでキョムゾーが言った「いつか来るかも知れない出番に備えて鍛錬を怠ってはならない」を胸に、ちょっとまともなフルートをポチった。そう言えば(朝ドラつながり)、ひなたが「アメリカは広い」の「広い」を「しろい」と言っていた。ひなたは関西人だが、川栄李奈さんは江戸っ子かい?今ググったら、神奈川県人だった(私も元は神奈川県人)。


語学講座の思い出

2022-03-23 09:07:26 | 日記

パスタを茹でるお湯に塩を入れるのは漠然と沸点の関係かと思ってたら味付けなんだって!なら、ゆで上がった麺に塩胡椒を振っていたが、塩は余分だったわけだ。因みに、イタリア人のジローラモさんがパスタを茹でるお湯に入れる塩の量が半端でない、と聞いたのはイタリア語講座だっけ?そう、ジローラモさんは、かつてNHKのイタリア語講座の常連だった。俳優の板谷由夏さんと組んだときもあって、「ユカ、ユカ」と呼んでいた。そのときの板谷由夏さんは子供子供していたが、今や熟女の香りが漂い、時間の流れを感じさせる。大体、NHKの語学講座は、日本人の先生と、日本人の学生役とネイティブスピーカーの組合せだが、あるシーズンのイタリア語講座ではジローラモさんを含めたイタリア人3人組で番組を進めていて、この三人の発音がバラバラ。「amici」(友達)は「アミーチ」と言うのが普通らしいが、ナポリ出身のジローラモさんは「チャオ!トゥッティ!アミーシ!」と発音していて、誰もとがめなかった。かようにNHKにあらざるようなゆるい雰囲気の番組であった。発音と言えば、どこの国の言葉であるかを問わず、日本人の先生はたいがい発音が下手だった(私が視聴していた大昔の話です。あしからず)。一番下手だと思ったのは、フランス語講座の先生。先生の発音とネイティブの発音がまるで別の言葉のよう。先生自身もいたたまれなくなったらしく、「私は発音が悪いんで」と言い訳をしていた。もちろん、一番見ていたのはドイツ語講座。今やってる朝ドラと同じ脚本家が本を書いた名作「ちりとてちん」でヒロインが何かと比較されてしまう美女を演じた役者さんが生徒役で出ていたのだが(これは近年の話)、その俳優さんが黒い森で名産のキルシュヴァッサー(アルコール度数が高い蒸留酒)を飲んでへべれけになった様はとっても可愛かった♥ 先日、泡盛をボトルで頼んでへべれけになった私のようだった。再び、大昔の話。ドイツ語講座の先生は、著名なドイツ文学者である某氏のような大物も務めていて、この方は歌がたいそうお得意。番組の中でその喉を披露された。この方は、シュヴァルコップフ(ソプラノ)のドキュメンタリーで、名ソプラノのエスコートをされたこともあって、シュヴァルコップフが「私に声量がなかったと言うがそんなことはない」と、いまだに悔しさ100倍のように言うと、すかさず「あなたのマルシャリンは素晴らしかった」とフォローしたのはさすがであった。因みに、外交官になった私の高校時代の友人の結婚式で仲人を務められたのだがこの先生ご夫妻である。多分、面識がなかったにもかかわらず、そのような有名人に仲人をやってもらえるということは、私の友人のステイタスの証でもある。そんなおハイソな彼の結婚式だから、私のような地べたを這いずる人間には招待状のしょの字も来なかった。一応、吹奏楽部では私が部長で、彼が副部長という親密な関係にあったんだけどな……大丈夫!噂によると、彼はどっかの国の大使をやってるらしいから、このブログは読んでない。って、語学講座の話がなんだかえらい方向に流れてしまった(当ブログは、筆者からして制御不能である)。


小豆はフォースなり

2022-03-22 09:04:56 | 言葉

「あずきの声を聴け、時計に頼るな」は、ルーク・スカイウォーカーのピンチに「フォースを信じろ、機械に頼るな」と言ったオビワンの台詞を彷彿とさせた。今朝の朝ドラ回顧その2。キョムゾーがひなたに言った「日々鍛錬し、いつ来るかも知れぬ機会に備えよ」を聴いて、最近、フルートとオーボエを吹く機会がからきしないが、それでもいつか来るかも知れない出番に備えて鍛錬を怠ってはならない、と心を新たにした(だが、ことトランペットに関しては、死ぬまでに人に披露する機会があるのだろうか)。その3。亡くなると言えば、ひなたのナレーションの「before she passed away」で松原智恵子演じる電気屋のおかみがナレ死。そっか、「pass away」=「死ぬ」なのね。因みに、ドイツ語にも「死ぬ」はたくさんあるが、その中で「ums Leben kommen」は、直訳すると、「生命の周りに来た」だが「死ぬ」の意味である。よく使われる言い回しである。その4。キョムゾーに「鍛錬」と言われて、ひなたはNHKの英語講座のダイアローグを暗記し、それを口に出していた。効果的だと思う。私も、ドイツ語会話の鍛錬として同じ方法をとった。いま、ぺらぺら口が回るのは、そのときの鍛錬の賜物である。その5。だが、あせってはいけない。ナレーションの最後に「Don't rush!(急ぐな) Take it easy!(気楽にやれ) Learn something new little by little!(新しいことをちょびっとずつ学べ) That's enough(それで十分)」はけだし名言である。だが、急ぐなと言うわりには、ひなたはいきなり上手になった(ホントは前から上手かったんだろうね)。ドラマの数分の間に何年も月日が流れたのである。その6(おまけ)。「play the piano」を聴いて、そう言えば、楽器の前には「the」を付けろ、と昔習ったことを思い出した。え?ドイツ語では定冠詞なんか付けたっけ。付けないよな。「Ich spiele das Klavier」なんて言わないよな。ちょっとどぎまぎして調べたりしてしまった。


ダースベイダーはオペラがお好き?

2022-03-21 16:51:23 | 言葉

勇おじさんが「里にけえることになった」と言っていた(朝ドラ)。私は「けえる」(帰る)という方言を聞くと、いつも「kehren」というドイツ語を思い出す。この言葉にも「帰る」という意味があるから。ついでに言うと、「買う」のドイツ語は「カウフェン」である(歌うときは「カオフェン」と発音したいものである)。ドイツ語ネタをもう一つ。ダースベイダーはいつも「オーパー、オーパー」と言っている。これは彼の呼吸音である。ベイダーはオビワンとの戦いで瀕死の重傷を負い、人工呼吸器なしでは生きられなくなった(スターウォーズ・エピソードⅢ、Ⅵ)。その呼吸器を通した息の音が「オーパー」なのだが、これはドイツ語では「オペラ」(Oper)である。例えば、35年前にウィーンで地下鉄に乗ったとき、駅の名前を淡々と告げるだけの車内アナウンスが、ただ一箇所、カールスプラッツだけは「カールスプラッツ、オーパー」と言っていた。ウィーン国立歌劇場へ行くときの昇降駅だからである。今もそう言ってるのだろうか。


クルーズ

2022-03-21 09:48:53 | 日記

なにも廃業することはなかったのに、とよく言われるが(仕事のこと)、看板を出してると会費がかかってくることを説明すると納得していただける。これからは、これまで毎年払っていたうん10万円が浮くことになるが、浮いた今年分は既にバスクラに化けた。来年は何に化けるのだろう。「辞める」と言えば、某通販の甲高い声の前社長の辞め際は潔かった。多くは、社長を辞めた後も院政をしいて、例えば「会長」とかになって影響力を維持するのだが、甲高い声の前社長さんは所有する株式もすべて譲渡して一切の役職から退いた。その前社長さんが、最近、その通販番組に「商品の感想を言う視聴者」として登場し、「これ、いいですよ!」と言っているので笑ってしまった。私も、U会を退いた後、最近、一参加者として参加することがある。これはなかなか気楽でよいもの。自分が主催していると、今日は何人来てくれるんだろうか、パートが揃うだろうか、などと気に病むものだ。そうした主宰者の気持ちが分かるだけに、足をつっこんでいるそこかしこをお休みするとき、大変申し訳ない気持ちになるが、体は一つ、それに、言いたきゃないが「寄る○波」と言う言葉もある。一番、困った日付の並びが、A合唱団の練習の翌日に味噌煮込合唱団の練習があること。多くの場合、後者の練習の直前の体調は「不良(馬場)」である(ウィルスが原因ではない)。因みに、涙を飲んで正式にリタイアした某男声合唱団のお兄様がたは本当にいい方ばっかりで、私が「プータローになって団費が払えないので辞めます」とお伝えすると、それはそれは心配してくださり、お兄様によっては仕事を紹介してやるくらいの勢いである。飲み会だけでも復活したいものである(プータローで団費が払えないのに飲み会には来るのか?)。某通販の話に戻る。もともと家電を売っていたこの通販が、日本一周のクルーズを売り出したのはコロナの前。へえー、こんなことも始めたんだ、と思っていたらコロナになって、運航は中止したらしい。そのクルーズを最近、再び売り出している。出航は今年の秋で、コロナがどうなっているか分からないので、1か月前までのキャンセルは無料だという。その中身が垂涎である。10日間で、日本全国の港と韓国の釜山を巡るのだが、イタリア船なので、24時間イタメシの食べ放題。おまけにアルコールも飲み放題(これは某通販の特典だという)。これで、窓側の部屋は一人30万円、窓のない部屋は20万円である。外の景色が見たきゃ甲板に出ればいいのだから、20万円の部屋で十分。10日間の食べ飲み放題だけを考えても元はとれるというもの。浮いた会費の来年分を前倒ししてこっちに使おうか。だが、部屋は二人部屋であり、現在、ご一緒する相手がいなくてこれが問題。10日間限りの事実婚のお相手を募集しようか。だが、結婚は、生涯連れ添うことが前提であるから、最初から「10日間限り」という期限を定めた結婚の約束は、公序良俗違反で無効になりそうである。因みに、「生涯連れ添う」はあくまでも「前提」だから、その後の「事情変更」により連れ添えなくなってもそれは致し方ない。これは、万人が認める真理である。


「練習は嘘をつかない」の反対解釈/魔が差してばかりの人生

2022-03-20 09:25:13 | 音楽

シュッツの会は、1パート一人か二人(ソプラノが二つに分かれた場合)。それでも、響きは芳醇そのもの。先に出たパートを他のパートが追い、その後をまた他のパートが追う。いつしか先頭のパートが最後尾につけている(ポリフォニー)。そうやっているうちに、いつしか音の大パノラマが構築されていく様は壮観。聖マルコ寺院の大聖堂を満たした音の伽藍もかくやと思わせる生涯学習館の小部屋であった。基本はアカペラ。ただし、おまけで「楽器と歌おうコーナー」を設けていて、楽器の伴奏でバッハのカンタータを歌う。で、昨夜の会で私が担当する通奏低音をチェロとバスクラリネットのどちらでやるか決められず、当ブログで意見募集をしたのだが、「こっちにしなさい。It is your destiny」と言ってくれるダースベイダーは現れず、家を出る30分前にようやくバスクラにしようと決めたのも束の間、結局、玄関を出るときにかかえていたのはチェロであった。理由は、雨降りの予報だったので、傘を持つために背中にしょえる方がいいと思ったのと(他に、ヴァイオリンと譜面を入れたバッグがあり、それらは胸に抱えたから、まるでポーターのようだったのはいつものこと)、ソプラノのソロにオーボエ(I美女)と私の通奏低音を併せる曲をずっとチェロで練習していて、手応えを感じていて、ミュートをはずして発表したかったから。結構上手くいって、選択は、この点は成功だった。あと、ヴァイオリンが32分音符のオンパレードで(えっとー、4分音符が8つに分割されるから4x8で32音符で合ってるよな)、相当の難曲だったので、事前にしっかり練習したら、これも案外上手くできた。いずれも、「練習は嘘をつかない」が実証された形である。だが、万々歳で終わらないのが私の人生。アルトのソロの曲は、通奏低音はI美女のピアノに任せて私は歌うつもりだった。だが、急に「魔が差して」、ほぼ初見で通奏低音をチェロでなぞろうとしたら、見事に完落ち!「練習は嘘をつかない」の反対解釈は、「練習しなければ上手くできない」であろうから、ここでもその格言が生きたカタチである。この日、何人かが楽器に参加してくださったが、Y先生美女はいつものようにトランペット・パートをクラリネットで吹かれ、クライマックスでプルプルプル~とトリル。歌舞伎役者が大見得を切るようであった。ところで、世の中には、何事においてもきちーっと準備をし、整っていなければ手を出さない堅実な方がたくさんいらっしゃる。だが、私の人生は、今回、初見の曲に手を出して完落ちしたように、魔が差すことの連続である(行き当たりばったりとも言う)。その枚挙に暇がないが、一つだけ挙げると、その昔、いよいよビデオデッキを買おうと思い、既にVHSがベータをシェアで圧倒していたからVHSを買うつもりで売り場に行ったら、そこで「魔が差して」、ベータを買ってしまった。しかも、ベータの旗振り役のソニー製ならまだしも、帰り道で手にしていたのはソニーではない某メーカー製。これは「間違い」である。「魔が差して」かつ「間違って」買ったその機械は不良品で(泣きっ面に蜂)、しょちゅう壊れる。もちろんただで直してはもらえるのだが、決して交換はしてくれなかった。まあ、しかし、その後VHSも世の中からなくなったから、結局、何を選択していても結果は同じだったのだな(なぜか安堵)。