拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

ヴェルトライゼンデのアクセントの位置(祝!ダービー3着)

2020-05-31 17:08:50 | 言葉
無観客の東京競馬場に響いた平原綾香の国歌独唱。堂々としたものだった。ここで歌うのは緊張するのだろう、息が続かない歌手が多い。某大御所は1小節ごとにブレスをしていた。だが平原さんは「さざれ」と「いしの」をちゃんと一息で歌ってくれた(その後ちょっと息が切れたが)。「さざれ石」だから切るのはおかしいのである。そう、♪今日はダービーめでたいな(ラーラソドドー、レファミレド)……そのダービーでワタクシ、三連単的中! 1,2着の馬の予想は誰でもできる。えばりたいのは3着の馬を当てたことである。人気薄のヴェルトライゼンデが3着に入って大当たり! と言っても、ほんまもんの競馬ファンならやれ血統だ、やれ調教だとかで馬を選ぶが、私がこの馬の推す理由は馬名がドイツ語だから(Weltreisende)。「世界を旅する人」の意味である。実は、この馬のことは以前から記事にしたかったが機会がなかった。今回、いいタイミングで記事にできてうれしい。なんの話かと言うと、その馬名のアクセントの位置である。「ライゼンデ」のアクセントは「ライ」にある。しかし、ほとんの競馬関係者は「ゼン」にアクセントを置く。私は非常に歯がゆかったが仕方がない。元がドイツ語でも日本語の固有名詞になっちゃったわけで、そこでみんながライゼンデと言ってるんだったら一人で違うと言っても無意味である。ワーグナーを正しくはヴァーグナーだと主張するのと一緒である。まあいい。私一人でライゼンデと言い続けよう(ワーグナーのこともヴァーグナーと言い続けよう)。と言っても、ヴェルトライゼンデの話をする相手はいそうにない(と思ったら、お友達がやはり馬名で買って当てていた!)。ついでにもう一つ。「ライゼンデ」と「e」で終わらせるためには、定冠詞「デア」(der)を付けなければならない。でなければ「ライゼンダー」(er)である。だが馬名は9文字までと決まっていて、「ヴェルトライゼンデ」で既に9文字だから冠詞を付けるのは無理だ。かりに付けたら「デアヴェルトライゼンデ」となり、一層訳が分からないことになる。ヴェルトライゼンデについては気が済んだ。今日は他の競馬場でもエントシャイデンが一着になってドイツデーだった。ところで、上の方で♪今日はダービーめでたいな……と歌った曲をどれほどの方がご存じだろうか。「走れ、コータロー」という歌で、「日本のフォークグループ・ソルティー・シュガーの2作目のシングル。1970年7月5日発売。発売後、口コミでチャートの順位を伸ばし、最終的に100万枚近いヒットとな」った曲である(Wikiより)。この頃、馬齢の数え方が今と違っていて「天下のサラブレッド、四歳馬」と歌詞にあるが、今ではダービーに出走する馬は三歳馬である。私が高校生の頃聴いていた深夜放送は、このグループのメンバーである山本コウタロー氏の「コータロー・パック」だった。氏が「コータロー・パックは良いパック」と自画自賛する様が好きで、毎晩聴いていた。懐かしい、私にも深夜放送を聴いてた時代があったんだなー(氏は、今大学の先生をやられてるそうだ)。

野菜摂取量逓減の法則

2020-05-31 09:48:04 | 日記
快適な巣ごもり生活になるはずだった。仕事はもともとステイ・ホームだし、夕方、楽器の練習をして、夜は映画のDVDを見て……ところが、突如起きた痛風発作。そして、頭痛、腰痛、耳鳴り……これらが続いた期間は禁酒期間と符合。禁酒によってアルコールの毒が抜けたとたんに体中が戦国時代になった。まるでフセイン亡き後のイラクである。やはりある程度の毒は必要である。とか言って、飲む口実だったりして。だが、緊急事態宣言が解除された後、人々が新たな生活習慣を取り入れたのと同様、家呑みを再開した私も新たな晩酌スタイルに切り替えた。以前は、風呂上がりにビールをくくー、あとはワインを際限なしにだらだら飲んでいたのだが、今は、ほどよい量を呑んだ後に風呂。風呂から上がって水を飲む。この水が上手いのだ!さて。私は、大学で専攻したのは恥ずかしながら経済学。おおえばりで言うが、現在、何の役にも立ってない。だから経済学で覚えているものは何もない……いや、二つあった。一つは、「不況のときは貯金しちゃだめで、たくさん消費をしなければならない」という理論(ケインズ理論。講義で聞いて、へー、と思って、家に帰って父に話したら「そんな馬鹿なことがあるものか」と怒られた。つくづく非アカデミックな家庭であった)。もう一つは、「限界効用逓減の法則」。生産に必要な物資や労力を投入していくごとに効率が落ちる(追加一単位ごとの収量が逓減する)、という法則だったと思う。この法則を40年ぶりに思い出したきっかけは、最近、スーパーに毎日行かなくなったこと。すると、買ってきた野菜を数日もたさなければならない。そのために私があみだした方法は、毎日、残量の半分ずつ食べる、という方法。これだと、冷蔵庫の野菜が尽きることはない(腐るまで)。だが、日ごとに食べる量が減っていく。これすなわち「野菜摂取量逓減の法則」である。これを書きたかった。気が済んだところで、呑んでから風呂に入る話に戻る。これはこれで体に危ない。風呂場で心臓発作を起こす例は少なくないそうだ。私の場合、自宅でそうなったら悲惨である。しばらくは誰にも発見されない(異変を知らせるのはブログの更新が途絶えたことくらいである)。そうかと言って、(ここからは妄想・非現実の世界)それがアバンチュールの最中だったら悲惨なのはお相手である……と、妄想の世界に浸っていたら、いきなりケメ子が机の上の紅茶カップをひっくり返して私は現実の世界に引き戻された。まったくもー。父の悪口を書いたんで一つ感謝も述べておこう。私が大学時代、父は毎夜日刊ゲンダイを買って帰った。その中に宇能鴻一郎の官能小説があって、私はひそかに愛読していた。私の文章にときどきその影響が出る。それもこれも父のお陰である(感謝になってるか?)。宇能鴻一郎先生はいちどボジョレー・ヌーヴォーの試飲会でお見かけしたことがある。熱心にテイスティングをされていた。因みに、カラヤン嫌いで有名な音楽評論家は宇野功芳である。

悪魔奴、鬼奴(アリア名)

2020-05-30 16:01:33 | 音楽

ミラノ風カツレツにはトマトを和えるのが定番?テレビでイタリアンの片岡シェフがトマトを和えていたので真似してみた。そのほか、肉に包丁の背で格子状の筋を入れることも真似てみた。今でこそ、トマト(pomodoro)はイタリアンに欠かせないイメージだが、そもそもヨーロッパにトマトが入ってきたのはそんなに昔のことではない。同様に、うどんに油揚げが乗ってきつねうどんができあがったのも明治になってからだという。当初「こんこんさん」と言われていたのが、いつのまにか「きつねうどん」と言われるようになったのだという(チコちゃん情報)。さて。椿姫の原作でアルマンが嫉妬に狂う話を書いた次の日、朝ドラ(エール)で、裕一が嫉妬に狂っていた。今週は、私にとって「男が嫉妬に狂う週」であった。しばらく、椿姫の原作(ドイツ語版)とファウストを併読することとなろう。その今読んでるファウストは森鴎外が訳したもの。難しい。翻訳の翻訳がいる。「耳語」(じご)なんて言葉初めて知った。ひそひそ話のことだそうだ。それから「赤さん」。これは赤ちゃんのことだと推測がつくが、それでも奇っ怪である。「さん」が付くほど明治時代は赤ちゃんは偉かったのか?じゃ、いつから偉くなくなったんだ(「ちゃん」になったんだ)?「こんこんさん」が「きつねうどん」になったのと同じくらい疑問である。そもそも「ちゃん」は可愛いものにつく接尾語。ドイツ語の「chen」に相当する(「ちゃん」に相当するからと言って「チェン」と言ってはいけない。「ヒェン」である)。「ファウスト」に出てくるグレートヒェンの本名は「マルガレーテ」。その後半部分がちょこっと変化して「ヒェン」が付いて「グーレトヒェン」になるわけだ。「ひさこ」が「ちゃこちゃん」になるのと似ている。他に「ヒェン」と言えば「エンヒェン」(ヴェーバーの「魔弾の射手」の登場人物)。本名は「アンナ」あたりだろう。森鴎外はあんなに堅苦しい文章を書くくせにちゃんと留学先でドイツ人の彼女を作った。そちらの方は堅くなかったようだ。それに対して同時代の夏目漱石の文章はすらすら読めるが、漱石は留学先のイギリスになじめずノイローゼになったという。そんな具合だから彼女ができたという話も聞かない……人のことより自分のことを心配しろ、と天の声が聞こえた……空耳?タモリ倶楽部の空耳アワーのテーマ曲は「ソラミミ」(移動ド)であり、「ドレララ」(固定ド)である。森鴎外のファウストに戻る。ひんぱんに「名詞」+「奴」が出てくる。「ファウスト奴」「畜生奴」「悪魔奴」って具合。これはなんだ?「ふぁうすとやっこ」「ちくしょうやっこ」「おにやっこ」?鬼奴という女性の芸人はいるが。どうやらこれは「め」らしい。すると、リゴレットのアリアは「悪魔奴、鬼奴」ということになる!?

「運命」「BWV140」「ブーフーウー」はドミソ。「丘を越えて」「大地の歌」はミソラ。

2020-05-29 07:35:59 | 音楽

外出自粛要請が解除されたので、2か月ぶりにサイゼリヤに行く。さて、ワインをどうしょう。今の私なら250mlがいいところであるが、サイゼリヤが上場するずーっと前、まだメニューに「牛肉カルパッチョ」があった頃から「赤の500のデカンタ」と注文し続けたきた私である。いまさら「にひゃくごじゅー」などと口が回らない。ということで500を頼んだら効果はてきめん。帰りにスーパーに寄って買った豚肉を冷蔵庫に入れ忘れ、半日常温にさらしてしまった。1週間かけてちびちび消費するつもりだったがもはやそうはいかない。ということで、ピカタにして全部たいらげた(「ピカタ」というと「ムンディ」と言いたくなる)。思えば、鶏肉ピカタは私の最初の料理のレパートリーであった。さて、久しぶりに「運命」(ベートーヴェンの交響曲第5番)を聴く。第4楽章、♪ドーミーソー、ファッ、ミッ、レッ、ドッ、レッ、ドー……あらためてすごい。なんのてらいもなくドミソで曲を作っている。他に例があるだろうか。たくさんありそうだが、逆にシンプルすぎるせいかすぐには思いつかない。そうだ!バッハのBWV140で使ってるコラール(元曲はフィリップ・ニコライのコラール)が「ドーミーソー」だった(移動ド。以下同じ)。いろいろアレンジされたコラールが本来の姿で現れるのが終曲。出だしの歌詞は「Gloria」。やっぱりこの音型にはこういう歌詞がふさわしい。あとは?あった。♪ブーフーウー(ドーミーソー)、ブーフーウー(ドーミーソー)、さんびきのこっぶったっ……半世紀以上前の記憶が蘇る。ブーの声は大山のぶ代さんでウーの声は黒柳徹子さんである(この知識は後付けである)。他には?あれはどうだっけ。♪おーかーをー、こえーてーゆーこうよ……の「おーかーをー」って「ドーミーソー」じゃなかったっけ。なになに?古賀政男作曲で藤山一郎歌唱?だったらタイムリーじゃん。二人とも「エール」に出ている(役名は違うが)。しかし、違った。「ドーミーソー」じゃなくて「ミーソーラー」だった。「ミソラ」と言えば美空ひばりさん。そのドキュメンタリーで、「ミソラ」の音の並びは名曲に多いと言っていた。そう言えば、マーラーの「大地の歌」の終わりは「ミソラ」の連続である。「ドミソ」から離れるが、「丘を越えて」といえば、♪おかーをこーえー、ゆこーおよー(ソドーレミードー、ラドーラソー)って歌もあった(大体、「丘を越えて」の後には「行く」が続く。丘を越えたら断崖絶壁で滑落する、では歌詞にならない)。この曲の題名は「ピクニック」と言うんだそうだ(知らなかった)。イギリス又はアメリカの民謡に日本では萩原英一さんが詩を付けたんだそうだ。

馬頭刈山

2020-05-28 07:08:06 | 日記

外出自粛中に降って湧いた痛風発作。良くなってはぶり返しの連続で結局2か月続いた。徒歩5分の近所のスーパーに行くのもチャリ。つまりほとんど体を動かしてない。だからこのたびの奥多摩歩きはぶっつけ本番。調教無しでいきなりレースに臨む馬のごとしである(そんな馬はいないが)。目指すは馬頭刈山(まずかりやま)。標高は884m。筑波山よりちょっと低いくらいだが「ハイキングコース」とあるからきっとたいしてきつくないのだろう、病み上がり(?)にはちょうどいいだろうと思ってたら大違い。勾配がきつく、がっつり登山であった。しかし、痛風だった指は痛くない。ヒーフー言いながら(陸上部んときの名残で、運動するときはヒーフーと規則的に呼吸する癖がついている)、登頂成功。

さて、どうしよう。元来た道を引き返すのも芸が無い。隣の山は鶴脚山。標高は916m。おっ、あと32m登るだけじゃん。だったらそっちに行こう(一つ登頂したから気が大きくなっている)……と思ったのが運のつき。どんどん下り始めた。ってことは、その分また登るんだ(泣)。当たり前だ、どっちも山なんだから。で、こちらもヒーフー言いながら登頂成功。
実は苦難の道はここからだった。鶴脚山からバス通りに下りる道はほとんど道無き道。しかも、この日のどのコースよりも急勾配。下りだからヒーフーは言わないのだが、踏ん張りながら降りるため足への負担が半端でない。ようやく下山したときには足が棒(文字通り)になっていた。今下ってきた山を見上げるとまるで断崖絶壁。義経が馬で駆け下りた一ノ谷はこんなとこだったのかもしれない。

この日、山ですれ違ったのは一人!(三密は完全クリアー)。あと、下山の終盤、木の枝をはらってる人がいた。足が棒になったといっても痛風の指は全く大丈夫。治っていた!自信がついた。また登ろう。今回が「休み明け」だったから、次は「叩き2走目」である。
山は空気がきれい。日光も浴びてさぞや胎内でビタミンDが作られたことだろう。エリアによって聞こえる鳥のさえずりが違うのも面白い。馬頭狩山はウグイス。ここのウグイスは、ホホホホーホケキョと鳴く(前打音付き)。鶴脚山のあたりはカッカッと鳴く鳥。そして、苦難の下山中に聞こえてきたのは……なんだっけ、忘れた。でも違う鳥だった。
ホントだったら下山してすぐにバスが来るはずだったが、停留所で待ってると反対方向に向かうバスの運転手さんが、「平日でも休日ダイヤなのでなかなか来ません」と教えてくれる。じゃあってんで、停留所間を棒になった足でちんたら歩いてたら滝が見えた。

このへんは滝が多いらしい。そうこうするうちに終点まで行ったさっきのバスが引き返してきた。運転手さんが覚えていてくれて「ちゃんと教えられなくてすみません」とご親切。バスの車窓から覗く秋川渓谷が絶景でありました。

椿姫とイエスノー枕

2020-05-27 06:46:09 | 日記
私は、「椿姫」のオペラのタイトルとヒロインの名前、そして原作のタイトルが違うというところまで。しかし、Iさん(ご子息はイケメンの早大生。因みにKさんのご子息も早大卒で、Kさんからの申告はないが、きっとイケメンに違いない)は、原作を読んでおられた。なんと、「椿姫」は椿をコサージュとして付けているのだが、それは昔、新婚さんいらっしゃいの景品だったイエスノー枕と同様の機能を果たしていたというのだ。つまり椿の色でイエス・ノーが分かるわけ。ただでさえ「ノー」を喰らった日には心中穏やかでないところにもってきて、椿姫の場合はその理由が「今日はお客をとるから」とくれば、アルマン(商売を抜きにした椿姫の恋人)の心中いかばかりか。私は、常々、髪結いの亭主ならぬそう言った方々の亭主は焼き餅を焼かないのか、焼くことは焼くがぐっと我慢しているのかが気になっていた。Iさんのコメントを読んでいるうちに、いてもたってもいられなくなり、是非とも原作を読んでみたくなって即座にキンドルでダウンロード。例によってドイツ語版である(タダだから)。アンチョコ(日本語版)は有料なのでとりあえずアンチョコなしでがんばってみる。因みに、早々に白旗をあげてアンチョコを購入した「トムソーヤーの冒険」(ドイツ語版)は中断中。千人通唱会に備えて「ファウスト」を読んでいるからだが(こちらはもっぱらアンチョコで。ドイツ語版を読んでたら(5年先の)通唱会にも間に合わない)、こっちもとりあえず中断。わがキンドルは中断した読み物で溢れている。そのキンドルだが、最近は、タダでなくても、紙の古本なら1円で売っているものがあってもキンドルにダウンロードすることがある。断捨離がいっこうに進まない中、なるべく物を増やしたくないから。それから、新婚さんいらっしゃいのイエスノー枕について。以前は番組後半がペアマッチクイズ(神経衰弱みたいのもの)で、その景品の一つがイエスノー枕。お子様だった私(番組開始時、私は小学6年生)はこの枕の用途が分からなかった。この番組は50年も続いていてギネスにも載っているそうな。その期間ずっと忠実な視聴者であり続けた私がここにきて見なくなった。「のろけ話は他所でやって」の心境になってきたのである。いかなる心境の変化なのかは自分でも分からぬ。それから早大生について。「エール」の早大応援団長は九州の言葉を話す。なぜ九州出身者にしたのだろう。考えてみれば大隈重信は佐賀の人だし、「青春の門」の信介も筑豊出身である。とか言ったら「青春の門」の作者の五木寛之も、博学のタモリさんも福岡の人であった。そう言えば「青春の門」に出てくるカオル(1982年版の映画では桃井かおりが演じた)はインテリ娼婦だった。信介(早大生)とその先輩がカオルを慕っていてカオルの「仕事部屋」に入り浸っていたっけ。インテリでも学生を相手にするから椿姫のような「高級娼婦」とは雰囲気がだいぶ違う。しかも、信介の先輩ときたら金がないもんだからタダ(キンドルか?)で相手をしてもらったこともあった。「だいぶ違う」と書いたが、アルマンが椿姫を想う気持ちと信介たちがカオルを想う気持ちにもしかしたら共通点があるのかもしれない(椿姫の原作を読んでないし、映画の方はほとんど忘れた今となっては単なる想像であるが)。因みに、信介を「しんすけしゃん」と呼ぶ幼なじみ役は、1982年版では杉田かおる、1977年版では大竹しのぶだった。

二階堂ふみが歌った椿姫

2020-05-26 11:07:50 | 音楽
ようやくアベノマスクが来て、大喜びで替え歌(第2段)も作っていざ装着してみると噂通り小さい。安定しない。アベさんが国会で答弁中にしきりにマスクをいじっていて、そんなことをしたらダメなのにと思って見ていたが理由が分かった。大体、政府関係者でアベさん以外にアベノマスクを付けてる人を見たことがない。「アベノマスクのおかげで市中にマスクが行き渡るようになった」とあくまでも政策の有効性を訴える菅官房長官だって付けてるのは別のマスクである。マスクはぼちぼちそのへんのお店屋さんでも売るようになったからもう必要ない、過ちをあらたむるにしくはなし、やめたら?とも思うが、近所にお店がない地域だってある。そういう地域ではマスクの郵送は有意義なのかも。いや、そういう地域だったらマスクはいらないだろう。いやいや、そういう地域の人だって時には町に出ることもあるだろう、そのときに付けるマスクをどうするんだ……って具合に堂々巡り。いずれにせよ、もうちっと大きかったらなお良かった。これは私の確固たる意見である。もう一つ枕話。日曜日に歌の会がないもんだから夕方見てる笑点もとうとうリモート大喜利になった。リモートで自宅から、となると普段見られない顔が見れる。笑点の下ネタ担当の小遊三師匠も、実はインテリであり、卓球の名手であることは知っていたが(そう、だから下ネタを言う人をそうそう軽んじてはいけない)、昨日のリモートは奥様が映って師匠に何かをだかせている。何かと思ったら猫!小遊三師匠のお宅で猫を飼っていた事実を知り、ますます小遊三師匠のファンになったワタクシである。ということで本題(枕話その3といってもよい)。朝ドラ(エール)で、音大生役の数人がヴィオレッタのアリアを歌っていた。ライバル役は本物の声楽家だから上手なのは当然として、驚いたのはヒロインの二階堂ふみ。口元を注視しながら聴いたがずれてない。自分で歌っている!「花から花へ」の音が飛ぶ難しい箇所である。おみそれしました。因みにヒロインの役名は「音」。当ブログにいきなり「音」と書いても、朝ドラを見ていない人はワケが分からないだろう。「今日、音が歌を歌った」とか書いたら、何の音?と聞かれそうである。ヒロインの役名と言えば、「椿姫」のヒロインは「ヴィオレッタ」(Violetta)。「(紫色の)スミレ」である。「椿」ではない。そして、このオペラのタイトルは「La Traviata」(道を踏み外した女)。「椿姫」ではない。原作であるデュマのフランス語の戯曲が「La Dame aux camélias」(椿婦人)だったので、それが日本での同オペラのタイトルになったらしい。私の知る限り、世界中のどこかしこでも「ラ・トラヴィアータ」であり(原作の母国フランスもそう)、わざわざ原作のタイトルを持ってくる例は日本の他は知らない。なお、「道を踏み外した女」とはこのオペラでは高級娼婦、つまり貴族を相手にする教養あふれた娼婦のことである。日本語の「高級娼婦」はもっぱら外国語の訳語として用いられる言葉であり、あまり通用する言葉ではなさそうだからオペラの題名には不向きだろう。じゃあ「白拍子」は?白拍子が歴史上現れるのは平安から鎌倉時代。静御前がそうだった。私がこの言葉を最初に知ったのは、大河ドラマ「新・平家物語」。晩年、病気になった清盛(仲代達矢)が奥さんの時子に「元気になって、また白拍子でもおとりになって」と言われて苦笑いをするシーンが印象的であった。しかし「白拍子」は時代が合わないからオペラのタイトルにはもっと不向き。じゃあ、ヒロインの名前を使ったらどうだろう?「スミレ」。使える。それから、紫色に焦点をあてて「紫」。しかし、これでは朝ドラの「音」と一緒で、ぱっと聞いてなんのことか分からない。じゃあ「紫の上」にしたら……って、それでは源氏物語である。てなことをあれこれ考えて先人は「椿姫」に決めたのだろうか。

高校生が「紺碧の空」を歌ったワケ

2020-05-24 09:03:40 | 音楽
歌仲間のご夫婦がご結婚39年!心からお祝い申し上げます。ちょっと計算してみた。おおっ、私も結婚してから今年で39年だ!え?お前んとこは別れてるだろって?そこなのだ。例えば、今年はベートーヴェン生誕250年(コロナのおかげで台無しであるが)。だが、ベートーヴェンは250年生きたわけではない。56歳で亡くなっている。それでも生まれてから250年と言ってえばるんだったら、私だって、途中で解消したとはいえ籍を入れてから39年と言ってえばっていいはずである。明解な論理が通ってすっきりしたところで本題。2回公開を順延したネタをようやく今披露しよう。私の出身高校は早稲田大学の附属でもなんでもない。県立高校である。で、なぜ高校時代に「紺碧の空」を歌っていたかというと、こういうことである。通ってた高校は、体育祭用に生まれ月によって生徒を4つの組に分けていた。そして、各組が応援曲を持っていた。その応援曲は大学の応援曲のパクリだった。私は白組で、白組の応援歌は「紺碧の空」、とまあこういうわけで、高校時代から「紺碧の空」を歌い、縁あってそれが大学生んときに歌う応援歌につながったわけである。歌っただけではなく、吹奏楽部の仲間からユーフォニウム(チューバの小さいやつ)を借りて初めて吹いた曲も「紺碧の空」だった(ユーフォニウムを吹いたのは、そのときが最初で最後。この一事をもって、私が演奏できる楽器にユーフォニウムが加わることとなった)。あとの三つの組が何色だったかはよく覚えてない。「若き血」を応援歌にした組があったから、そこは紅組だったのではないかと推測する。さて。朝ドラ(エール)で裕一に「紺碧の空」を書かせたのはワセダの応援団長であるが、「応援団」を初めて身近に見たのは高校の入学式。そのイメージは最悪だった。式の途中でいきなり何人かの学ラン姿が乱入して壇上を占拠。刀を持ってればまるで大化の改新んときの乙巳の変、はたまた新撰組による池田屋討ち入りである。そして、なんだかんだとまくしあげた末に、「わかったかー。すいらんせーだったら返事をしろー」と恫喝。そして、新入生は毎日放課後クラスごとに応援部の指導のもとで応援歌の練習をすること、と勝手に決めて引き上げた。私はなんでこいつらに命令されなければいけないんだ、とたいそうむかついたものだ。今でいえば立派な(立派でない)パワハラである(そういう時代だった)。そうして、入学後、下手くそな応援部の指導(音程がなかった)のもとで応援歌の練習が始まったのだが、毎日彼らと接しているうちに、実は個々の団員は結構優しいいい人であることが分かってきた。「ごめんね。応援部のこと悪く思わないでね」とやたらに低姿勢な人もいた。その後、吹奏楽部と応援部が一致協力して野球部の応援をしたりするうちに一層応援部と仲良くなっていった。さて、冒頭に触れた体育祭のことである。何も「紺碧の空」を歌って応援していただけではない。各組対抗のリレーがあり、私は昔の名(横浜市の中学の陸上界では短距離選手として結構有名だった)でもって毎年白組の代表に選ばれていたのだが、日頃走ってないから実力は「昔の名前」にほど遠い。3年時にはスタミナ切れでトップだったのに全員に抜かれるという屈辱を味わった。やはり基礎トレーニングの継続は必要である(私だって分かっていた。だから、高校で吹奏楽部に入った後も、クラの練習後は恩田川のほとりをランニングして脚力を維持しようと思った。だが、1週間も続かなかった)。基礎トレーニングが大事であることは楽器も競馬も同じである。最近、FB友達でピアノのたしなみがある方々(次から次へと湧いてくる)が「ハノンの大事さ」で盛り上がっている。そうだろう、そうだろう。ヴァイオリンだってクラリネットだって基礎トレーニングが大事だと最近痛感している。そして、お馬さんも同じ(誰か「お馬鹿さん」と読み間違えたでしょ。私のブログだからって年がら年中馬鹿なわけではないからね(実は読み間違えたのは書き上げて見直しをしていた私自身である))。調教をゆるくやるとレースの途中でばてる。最初飛ばしすぎてもばてる。そういう馬を見ると、全員に抜かれた体育祭の記憶がまざまざと蘇る。私が競馬が好きなのは、馬を見ることで自らの人生を顧みられるからである。

嬰ト長調(お婿に行き損なった私)

2020-05-23 10:26:43 | 音楽
前回のクイズへの応募者はなし(予定を再度変更してお届けしてます。「高校生が紺碧の空を歌ったワケ」はこの後お送りします(ってNHKかっ))。お題は、次の替え歌の元曲はなーに?というものだった。
♪アベノマスク|ガキタヨ(キタキタ)|アベノマスク|ガキタヨー……
実は、正解者には密かにご褒美が用意されていた。私である。お婿としてである(正解者が男だったら私は透明人間になるはずであった)。トゥーランドットを得るためには問題に三度正解しなければならない。しかし、私を獲得するためにはたった一問。しかもインチキ有りである(正解と違う曲であっても無理矢理正解にする)。え?いらないって?だめ!正解者はご褒美を持って帰らなければならぬ(ペットショップで当初はまっとうな値が付いていたが、そのうちタダになり、さらにペットフードのおまけまでついたニャジラちゃんと目が合った人はニャジラちゃんを持ち帰らなければならないのと同じである)。逆に、トゥーランドットで挑戦者が3問正解した場合にどうしてもお嫁に行きたくないと思った姫が答をすり替えたら?と思うことがあるが、そこはちゃんとしていて、答は予め紙に書かれて厳重に保管されているからすり替えの心配はない(刑事コロンボの犯人は、そういう場合でもときどきすり替える)。ということで、どんな答でも正解になったわけだが、いちおう私が悦に入って歌ってた曲は次の曲である。
♪ソミレドレミ|ソミレド(レミレミ)|ソミソラミラ|ソミレドー……
ペールギュント(グリーグ)の第1曲である。「(レミレミ)」に「(キタキタ)」がぴたっと入ってご機嫌な私であった(一晩中、「(キタキタ)」と歌っていた)。もちろん多くの方が分かっていただろう。唯一「イイネ」を押して下さったK澤さんもお分かりになったのは間違いない。だが、隠れたご褒美(私の邪悪な魂胆)を見抜いてクイズへの応募をされなかったのである。ところで、この曲(元曲)は8小節目で長三度上に転調する(♯が4つ増える)。すると、原曲はホ長調(♯4つ)だから、♯が8個で嬰ト長調になる……が、「嬰ト長調」って普段聞かない。オクターブの音は7個だから♯が8個ってことはどれか1個(ここではファ)に2回♯がつくわけだが、調号にダブルシャープは付かないし(しらーと付けちゃったりして。あるいは、しらーとファに2回♯を付けちゃったりして)、この場合は、変イ長調(♭4個)と同じだから変イ長調ってことで間に合うからである。しかし、ペールギュントの件の部分は、作曲家は、あくまでも嬰ト長調のつもりであり、臨時記号は♯である(「♯レ♯シ♯ラ♯ソー」であって「♭ミド♭シ♭ラー」ではない)。深夜1時を25時と言うがごとしで、あり得ないが、あり得る、という話である(ここのところのクラリネットはロングトーンなので、A管からB♭管に持ち帰るまでもないし、そうした時間的余裕もない)。因みに、この後さらに短三度上に移調してロ長調になる。かりに、最初の転調と同じに長三度上に移調すると、さらに♯が4個増えて12個(ドレファソラにダブルシャープが付く)、だから嬰ロ長調!時刻で言えば、29時である。いや、この場合はハ長調と同じだから、さすがに「嬰ロ長調」という必要はない。ハ長調でよい。きたー、ひらけたーって感じである。だが作曲家はそうはしないで短三度上に移調して(♭を三つ付けて=♯を三つ減らして)ロ長調にすることを選んだ。そうすると、最初のホ長調に戻りやすい(あと♯を一つ減らせば元通りである)。以上、頭の体操でした。文字通り、すべて頭の中での作業。鍵盤は今使えない。88鍵の電子ピアノはキッチンに立てかけてあって油でベトベト。iPadの鍵盤ソフトは最近有料の追加アプリを入れなきゃ利用させてやんないという態度。そして、カシオのミニ鍵盤は接触不良である。

アナザーストーリー(「紺碧の空」と「ザ・グレイト」)

2020-05-22 10:09:51 | 音楽
「紺碧の空」完成!(朝ドラ「エール」)NHKの働き方改革(?)で土曜日に物語の進行はないこととなったから絶対今日完成することは分かっていた。やはり2番までとか聞くと当時が蘇って感慨無量である。あらためて聞くとワセダらしい。高い「ソ」(移動ド)が連続して出てくる。何も考えないで声をはりあげるにはうってつけである。そこへいくと、慶応の「若き血」はシック。作曲は、おおっ、堀内敬三ではないか!こうした傾向はそれぞれの校歌にも表れている。「都の西北」は「ド」ばっかり(「運命」のエンディングもまっさお)。「ド」以外は大半は「ミ」「ソ」でほぼ主和音である。そこへいくと、慶応の塾歌(校歌)はもっと複雑。慶応出身者でも「若き血」は歌えるが塾歌は歌えないという人がいるが、私は神宮で敵の校歌ながらいい曲だなぁ、と思って聴いているうちにほぼ覚えてしまった。そう、早慶戦には行きましたとも。早慶戦の学生応援席のチケットは簡単にはとれないのだが、サークルに入っていると組織的に手配するから手に入る(団員が練習を休んでかわりばんこにチケット購入の列に並ぶ)。あまりイベントに血がたぎらない面々が多かった室内合唱団もさすがに早慶戦となるとシンジケートを組んでがんばった。ドラマでは、小山田耕三(山田耕筰)が作曲した応援歌があったそうだが、それホント?神宮で歌った覚えがない。歌ったのは、校歌と「紺碧」と、それから「早稲田の栄光」。「早稲田の栄光」は芥川也寸志作曲で、この歌はシックで大好きだった(低音部が半音で動くところがゾクゾクした)。応援部のサイトをみると、他にもたくさん応援曲があるようだ。タモリさんが作詞したものもある。それを聞いたのは「笑っていいとも」のテレフォンショッキングに某女流作家がゲストで出たときのこと。少し前に同番組に出た黒柳徹子が番組の進行を無視してほぼ1時間しゃべり続けたのに対抗して番組ジャックを図った作家が、「あなたいい詩を書いてるじゃない」と言って紹介したのだった(この日こういうこともあった。この時期、タモリさんはカメラに映らないテーブル上で放送できない絵を書くのを日課にされていたが、作家が「あたしがもし今これをカメラの前にかざしたら」と脅したため、タモリさんはその紙を食べてしまった。だが、作家がカメラの前にかざしたのたら猥褻物陳列罪に問われるのは作家である)。ドラマの話に戻る。結局、裕一(古関裕而)が「紺碧」を仕上げることができたのは、ワセダの応援団長の説得のおかげということか。実は、私、裕一が「書けない。西洋音楽なら書ける」と言ったのを聞いて、あるストーリーを考えていた。裕一がシューベルトの「ザ・グレイト」(西洋音楽)を聞いて、で、インスピレーションが沸いて「紺碧」を仕上げる、というアナザー・ストーリーである。ドラマがこのストーリーを取り入れるわけはないが、それでも0.01%くらいはあるのではないか、と思って、今朝はその期待もあってわくわくしながら見たのだがやはりあるはずはなかった(こない馬はとことん来ない)。そりゃそうだ。「紺碧の空」の出だしは「ドーレミ、ソーラド」、「ザ・グレイト」のでだしは「ドーレミ、ラーシド」。似てるのはここだけ。速さも全然違う。これで似てるなんて言ってたら由紀さおりの「夜明けのスキャット」はサイモンとガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」とほぼ同じ曲である(それでも、「ザ・グレイト」を歌ってると、いつの間にか「紺碧の空」になる)。「都の西北」についてもフォローしておこう。大学の入学式のとき、合唱団が校歌を歌った。ユニゾンでドばっかだな、と思いながら聴いていたら、3番でいきなり4度上に転調し、しかもハーモニーが付いた。おおっ、と思った。究極のツンデレである。思わず「結婚して下さい」といいそうになった(ならない)。おろっ、もうこんな分量になってしまった。実は、「紺碧の空」は、ワセダの附属でもなんでもないのに高校時代から歌っていた話も書きたかったのだが、それは次回に回そう。ひとつだけおまけ。「室内合唱団の面々は血がたぎらない」と書いた。古楽を歌っているうちに精気を吸い取られるのだろうか。でも、そこは若者たちである。水面下でおおっぴらに言えないような恋愛沙汰が多数繰り広げられていた。私はそのあたりの情報通であった。墓場まで持って行きたくない、明日死ぬとなったらぜーんぶブログでばらしてやろう。

お先まっくら(オンライン手続は破綻するし、偉い人は賭けマージャンをするし)

2020-05-21 20:53:16 | 日記
アベノマスクがまだ来ない。♪あべーのまーすくーはまーだこーないー……と歌う気にもならない。いい施策だと評価してたのにあんまりである。その反面、オンラインで申請していた給付金については、区から近日中に振り込みますというメールが来た。おっ、足立区もやるではないか。だが、全国的にはこちらも散々なことになっている。オンライン申請の不備(入力ミス又はシステムの問題)が続出。オンラインでは申請してくれるな、と言い出す自治体もあるという。日本はデジタル大国になるのではなかったのか。そのために最近デジタル法を通したのではなかったのか。しかしお先まっくらである。日本は大丈夫か(でも、コロナの死亡者数が少ないのは厳然たる事実である。サンデージャポンで杉村太蔵氏がそのことを言って、私もそうだよなとブラウン管……ではなく液晶の前でうなずいてたら、Kという元官僚が「タイゾウくん、間違ってる」と上から目線で一刀両断。私も杉村太蔵氏に同意したもんだから一緒に怒られた気がした。でも、うまくやってるのは事実だと思うんだが)。因みに、私がオンラインで給付金の申請をしたときは、住所・氏名等はマイナンバーカードのデータをそのまま反映させた。「反映させるか」と聞いてきたから「Ja」……うそ、ドイツではないから「はい」をクリックしただけ。この手順でいけば、入力ミスってないはずなんだが。本題の前にもう一つ。定年延長問題の中心人物である検察の「偉い人」が賭けマージャンをやってたという報道には心底びっくり。みんなが自粛しているなかの三密のマージャンだったり、一緒に雀卓を囲んでいたのが政府寄りといわれるS新聞の記者のみならず、政府の天敵であるはずの(ってことは政府と近いと言われている当の「偉い人」の天敵であるはずの)A新聞の記者ってとこもつっこみどころではあるが、いや、そんなことはこの際どうでもいい、何がびっくりかって、賭けマージャンは刑法が定める「賭博罪」にあたる行為である。その行為を、よりによって賭博をした人を断罪する立場にある検察の「偉い人」がやったところが驚天動地の出来事なのだ、と私は思っている。ただし、賭博であっても、賭けたのが「一時の娯楽に供する物」であれば賭博罪にはならない。例えば、天ぷらそばを賭けた場合は、なるほど天ぷらそばはつるつると食べちゃえばおしまいだから「一時の娯楽に供する物」に当たり、賭博罪にはならない(そういう判例がある)。朝ドラの「ふたりっこ」で、香子が銀爺とよく天丼を賭けて将棋を指していた。天ぷらそばが良くて天丼がだめという理屈はないから、これもセーフだろう(だから、放送したのだろう)。でもお金はいかん、お金はぺろっと胃の中に入れるわけにいかない……と思うのだが、いま、刑法の偉い先生の本を見ている。「一時の娯楽に供する物」の例として、一般にはチョコレートや食事が例に出されるとある(ふむふむ。だから、天ぷらそばも天丼もセーフなのだよ。そろそろK澤さんから買ったハンガリーのチョコレートも底をつきつつある)。ん?金銭については、判例は多寡を問わずダメと言っているが、少額の賭けマージャンの構成要件該当性は否定されよう、と書いてらっしゃる。ちょっと意外である。あれま!今日の本題は「紺碧の空」の予定であったのに、枕ネタで相当の分量になってしまった。まあ、「紺碧の空」が完成するのは明日(の放送)である。明日書こう。

早慶戦

2020-05-20 22:14:25 | 日記
朝ドラ「エール」に見る早稲田大学の学生は見事にステレオタイプ。まず粗雑である。にもかかわらず、ミルクセーキが好き、ブラックのコーヒーは苦くて飲めない。そして「底抜けにバカ」である。おお!「底抜けにバカ」がなんと心地よく耳に響くことか。言われていることは合っている。私も在学中は喫茶店でミルクセーキではないがチョコレートパフェをたのんでいた(結構甘党だった)。コーヒーには砂糖を二杯入れていた。そのことは、高校のとき隣でクラリネットを吹いていて、たまに二人で喫茶店に入っていた某嬢がよく知っている。私は某嬢に気があって、某嬢も私に「今度手料理を食べさせて」などと気をもたせることを言っていたが、実は某嬢は私の親友に気があって、彼には「今度手料理を食べさせてあげる」と言っていたことが私と彼との友達同士の会話で露見した。片や「食べさせて」であり、片や「食べさせてあげる」である。そうか、こうやって態度を変えるのかー、と感心したし、こういうことはどこかで発覚するんだなー、と納得したものだった。このことを一度書いておきたかった。気が済んだ。因みに、「エール」に出てくるKOの学生はこれまたステレオタイプ。コーヒーはブラックである。しかしブラックくらいでえばられてはたまらない。私だって卒業後はコーヒーに砂糖を入れたことはない。完全なブラック党になったのはいつからだろう。ブラックと言えば、ゴジラにとって宿命のライバルがキングギドラであるごとく、鉄人28号の終生のライバルはブラックオックスである。ブラックオックスは黒い顔に三角の耳がついている。私は、黒猫をみるとブラックオックスを思い出さずにはいられない。「エール」に戻る。それでも「エール」のKOの学生はどこかおっちょこちょい風であるが、夕方再放送をしてる「ひよっこ」で、最近ミネ子と別れたKOの学生は、絵に描いたようなKOボーイである。実は1年前に結婚してました報道が出た近江アナが「KOの人もキザな人ばかりではない」とフォローしていたが、ミネ子と別れたKOボーイは正真正銘キザである。因みに、ワセダとKOの学生は、早慶戦で聞いているからそれぞれの応援歌をよく覚えていて、互いに相手の応援歌を替え歌にしてののしり合っているのだが、どっちがよりバカかというと、それを推測させるようなことが早慶戦で起きた。あるとき、ワセダの応援席にKOの学生が飛び入りでやってきて、芸を披露するという。それは、ヒトラーの演説をそっくり真似て演じるというものだった。見事なドイツ語だった。ワセダの学生からやんやの喝采を浴びてその彼が退場したあと、ワセダの学生がまけじと登壇。自分もできると言って発したのが「ダス・イスト・アイン・ガルテン」(これは庭です)。さすがに入学する大学を間違えたか、と思った瞬間であった。因みに、私が小学1年生のときの国語の教科書の1ページ目は「みえる、みえる」であり、2ページ目は「はるみさん、はい」だった。もう一つ因んだ話。ガルテンの彼は、室内合唱団の同期の女子(O子)の彼氏の友達であった。

私が知らなかった話(近江アナが早大応援部に入ってた話とか、メルケルさんがヴァーグナー・ファンだとか)

2020-05-20 09:55:51 | 音楽

昨夜はパエリア。サフランは高いので(容器の中にほんのちびっとしか入ってない)、けちって使ったらほとんど黄色にならない。それをカメラのフラッシュが補ってそこそこ黄色く写った。今週、朝ドラの「エール」では裕一(古関裕而)が早稲田大学応援部の依頼を受けて応援歌「紺碧の空」を生み出すべく苦しんでいる。その過程である事実が明らかになった。「エール」の後の「あさいち」で近江友里恵アナが、「『紺碧の空』が好きすぎて早稲田に入って、応援部に入った」過去をカミングアウトしたのだ。応援部と言っても、学ランを着て「ふぅれ~~」と怒号(エール=yell)を張り上げるのではなく、チアリーディングだったそうだが。へーえ。まったく知らなかった。まあ、情報なんてのはそんなものである。人に関する情報がちゃんと行き渡っているかというと決してそんなことはない。必要に応じて、ときには恣意的に取捨選択される。例えば、昨日も書いたが、某野党の党首の趣味はカラオケだって話は出回っているが、その方の名前と「メサイア」又は「ハレルヤ」を併せて検索しても何もヒットしない(でも、私はたしかにテレビでこの方が合唱団の一員としてハレルヤコーラスを歌っているのを見た)。それから、女優のTさん。Wikiには「特技はピアノ、ハープ演奏、テニス、スキューバダイビング。絵を描くのが好きで、プロ級の腕前を持つ」とあるが、競馬のケの字もない。この方のお名前に「競馬」を併せてぐぐってもヒットするのは爆笑問題の田中裕二さんとかで、この方は1ミリもヒットしない。しかし、私のイメージでは、この方は炎の馬券師である(因みに、私などは、競馬ファンであることを公言しているが、実は音楽仲間に隠れ競馬ファンが結構いる)。そして、ドイツのメルケル首相。昨日、音楽会場でセレブを見た話を書いたら、Iさん(ご子息はイケメンの現役早大生である。「イケメン」=「早大」というのは物質と反物質のような相反する概念であるが、実は存在する。Mさんのご亭主もイケメンの早大卒業生である)から、バイエルン(のオペラハウスですよね?)でメルケル首相を見たというコメントをいただいた。その際、お隣のドイツ人から「メルケルさんはヴァーグナー・ファン」という情報を仕入れられている。私はこれには超びっくり。私はメルケルさんファンで、結構、情報を集めているのだが、メルケルさんとくればサッカー・ファン、サッカー会場でドイツが得点すると両手を挙げて喜ぶ様はよく見るが、ヴァーグナー・ファンだってことは知らなかった。音楽ファンであってほしいと思って、それ系のキーワードで検索をしても出てこなかった(コール元首相は、バロック音楽ファンであることは知っていた)。驚いたのにはこういうワケもある。昔、ナチスがヴァーグナーの音楽を利用した経緯から、ドイツの知識人にはアンチ・ヴァーグナーが多い。特にマイスタージンガーを敬遠する人が多い(あんなに素晴らしいオペラなのにもったいない。最後の場面がいけないんだよな。ハンス・ザックスが「ドイツに対する驚異に立ち向かおう」なんて言うから。因みに、マイスタージンガーを敬遠する人は、決まって、「でも、『トリスタンとイゾルデ』は好き」と言う。あっちは「愛のドラマ」で政治色が薄いから。もちろん「愛」は「不倫愛」である。「もちろん」と書いたのは、筆者が私だからではなくてヴァーグナーのオペラだからである)。だから、戦後の首相は長らくバイロイト音楽祭(ヴァーグナーの聖地で行われるヴァーグナーのオペラのための音楽祭)には行かないのが慣習だった。それを破ったのがちょうど小泉さんが首相だったとき首相だったシュレーダーさんで、そのとき同行したのが小泉さんである。小泉さんがテレビのインタビューで「シュレーダーさん、バイロイト初めてなんだって」と無邪気に語っていたが、実は、ドイツでは大事件だったわけだ。メルケルさんは、日本で言えば今の政権与党みたいな保守党のメンバーだが、もともとはリベラルな人で学者である。だからヴァーグナー好きと言うのは意外だったのだ。でも、それは色眼鏡というものであった。競馬好きのオペラファンを怪訝そうに見る色眼鏡と同じであった。このことに憤慨する私自身が色眼鏡をかけていたことに大いに反省。そうか、「メルケル ヴァーグナー」でググったからいけなかった、「Merkel Wagner」でググって見た。おおっ、わんさとでてきた。ということは、メルケルさんがヴァーグナー・ファンという事実は、私が知らないだけで世界の常識であったわけだ。ということで、今回のタイトルを変更した次第(当初のタイトルは「人の知らない情報」だった)。そうすると、メルケルさんはサッカー好きのオペラファン、私は競馬好きのオペラファン。組合せはいくらでもある。

何も知らない/誰も知らない

2020-05-19 15:29:01 | 日記

よく人と議論をするとき相手を「何も知らない(分かってない)」と罵倒する人がいるが良い気持ちはしない。それに、じゃ、どこまで知ってたら知ってることになるの?って話になる。例えば今話題の検察官の定年延長についてAさんが(今回のABCは完全に登場順である)「検察は司法なんだから内閣が介入するのはおかしい」と言ったとする。するとBさんが来て「Aさんは何も分かってない。検察は行政。だから内閣が介入するのは当然だ」と言う。そこにCさんが来て「Bさんは何も分かってない。検察は行政だが準司法的性格を持つから内閣は介入を控えるべきだ」……こんな具合である。ヴァーグナーの「ニーベルングの指輪」についても以前ネットで面白い議論があった。Aさんが「ニーベルングではなくニーベルンクが正しい。ドイツ語のgは語尾にくるとクになるのだ」と言ったとする。するとBさんが来て「Aさんは何も分かってない。ngで終わる場合はングなのだ」という(普通にドイツ語を勉強した人はこれが終点)。そこにCさんが来て「Bさんは何も分かってない。中世においてはニーベルンgはニーベルンcだった。だからクが正しい」……こんな具合である(最後のCさんはいささか論点がずれた気がするが)。だから「何も知らない」などと言わない方がよい。「何も知らない」と言えば「だれも知らない」。是枝裕和監督が撮った映画である。母親が彼氏の元に走って4人の子供の育児を放棄した話。テイストは同監督が最近撮った「万引き家族」と似てる(子供はやはりコンビニで万引きをする)。母親代わりとなって弟や妹の世話をした長男役の柳楽優弥が史上最年少でカンヌの男優賞を獲った。是枝監督がYOUを母親役に選んだのは、いかにも子育てを放棄しそうなタイプに見えたからだという(あくまでもイメージの話。現実は息子さんを育て上げた)。ロケは中野区で行われたそうだ。ときどき写る川は神田川?と思ったら妙正寺川だった。惜しかった。神田川と風情が似ている。高田馬場あたりで神田川に合流するそうだ。この映画は、実話に基づいている。映画では、子供達のことを「だれも知らない」で終わるが、実話の方は「万引き家族」と同じで、警察の知るところとなり裁判沙汰になった。警察が踏み込んだとき、長男は栄養失調で、その原因はコンビニ弁当のようなジャンク・フードばかり食べていたからだというのだが、うん、コンビニ弁当はよく知らないが、近くのスーパーの弁当は肉又は魚とご飯だけ、野菜がほとんど入ってない。そういうのばかり食べてるとやはり栄養失調になるんだなー。お母さーん、ぼくはちゃんと自分で栄養のあるご飯を作って食べてるからねー(今呼びかけたのは、架空の母である。実の母は施設でボケている。コロナ騒ぎで面会禁止だから2か月会ってない。次に行ったとき、あなたどなた?と言われそうで心配である。因みに、当ブログにときどき書く「ボケ母ネタ」で勇気をもらっている、と言って下さった方がいた。御尊父様の介護をされてる方である)。写真は昨日の昼食。ご飯の形が、凍らせたヤツをチンしたものであることを表している(「チコちゃん」によるとレンジがチンと鳴るようしたのはシャープ。はっきり「シャープ」とは言ったわけではないが「目の付け所が……鋭い」と言っていた。最近のNHKは、と言うよりこの番組はなかなかチャレンジャーである)。味噌汁が黒っぽいのは八丁味噌を使ってるせいである。朝ドラの裕一は奥さんが作る八丁味噌の味噌汁が苦手のようだが、私は大好きだ。