写真①:「豊村酒造」店舗北側にある2基の荒神碑(左は「津屋崎千軒民俗館・『藍の家』」)
=福津市津屋崎横町で、2011年7月29日撮影
〈津屋崎千軒・町歩きスポット〉 47
:横町の荒神碑
福津市津屋崎横町にある明治7年(1874年)創業の「豊村酒造」。江戸時代から栄え、〈津屋崎千軒〉と呼ばれた古い町並みの面影を今に伝える老舗です。その店舗入り口の北側に、石祠の荒神碑が2基並んでいます=写真①=。
ご神体は自然石で、同酒造寄りの1基は石扉で閉じられています=写真②=。旧津屋崎町(現福津市)が平成10年に発行した町史民俗調査報告書『津屋崎の民俗(第四集) 北の一、北の二、新町・天神町・東町』(同町史編集委員会編集)によると、昔は、7月28日の祭日に横町の人たちが集まり、神職による祭典とお座が行われていました。ダシができて山笠のような人形を飾り、出店もあって夜は明りが灯ってきれいだったという。今は、「豊村酒造」が祭られています。
写真②:2基の荒神碑(右の1基は石扉で閉じられている)
=福津市津屋崎横町で、2011年7月29日撮影
ただし、町史民俗調査報告書ではこの荒神碑を「路傍の神仏 庚申様」と表記し、ただし書きで〈明治生まれの人の中には、ここはコウシンサマ(庚申様)ではなくて、オコウジンサマ(お荒神様)であるという人もいる〉としています。竃(かまど)の神様の荒神碑というわけです。
さらに、〈庚申様祭り〉の見出しを取り、〈横町(組)で7月28日年1回行う。庚申様の掛軸とお膳類を持ち回り、当番は家回りでする。出席は各戸一人、男が多かった。お座(夕御飯)はニワトリ飯、吸物、ヌタエ、タクアン。後には魚のチリになった。尾頭付き魚とできた料理を供える。神職による祭典がある〉と説明。〈幟を立ててダシができる。昔は出店もあったという。まるで横町の氏神様の祭日とでもいうように盛大に行われた〉と記述しています。
この賑わいぶりからみると、身を慎む庚申信仰の〈庚申様祭り〉の域を超えているようです。平成8年に旧津屋崎町が発行した『津屋崎町史 資料編下巻(一)』(同町史編さん委員会編集)では「第5表 路傍の神仏」で新町地区の横町にある「荒神碑」として掲載しており、私もこの見解に与します。
「横町の荒神碑」位置図