写真①:歌川広重が『京都名所之内 淀川』で描いた名所画・「三十石船とくらわんか舟」(枚方市立「枚方宿鍵屋資料館」パンフレットから)
〈大阪・町歩きスポット〉 8
:「枚方宿」②・「三十石船」と「くらわんか舟」
江戸時代、枚方は徳川御三家の紀州公も宿泊した街道の宿場町でした。江戸幕府は、豊臣秀吉が淀川左岸に築いた堤防(文禄堤)上の道を「東海道」の延長部として整備し、伏見・淀・枚方・守口の4宿を置き、一般には京街道・大坂街道などと呼ばれています。
枚方宿は、街道に沿って流れる淀川の川港でもありました。枚方市立「枚方宿鍵屋資料館」には、歌川広重・画「三十石船とくらわんか舟」=写真①=や、「くらわんか舟」の実寸摸型が展示されていました。大阪から京都・伏見まで人や荷をのせて淀川を行き来する旅客船の「三十石船」と、その乗客に「酒くらわんか 餅くらわんか」と、「乱暴な言葉で酒や餅、ごんぼ汁などの軽食を売りつけた煮売茶船・「くらわんか舟」は、淀川の名物でした。淀川の水難救助や水上警護、幕府・朝廷の公用を務める役船としての役割も持ち、売り子の面白おかしいやり取りは、下り伏見―大坂間でも約6時間を要した長い船旅に退屈した旅人から、大変親しまれたという。
福津市東古小路の「波折神社」拝殿には、この「三十石船」と、その手前に寄り添う小さな「くらわんか舟」を描いた奉納絵馬・「三十石船図」(天保10年奉納 絵師氏名不記載)=写真②=が掲示されています。2008年に『津屋崎の絵馬』を発行した旧「津屋崎郷土史会」の方から、「くらわんか舟」を描いた絵馬は淀川一帯の神社にも奉納されていないと聞いていたので、興味深く広重の画を観ました。
写真②:波折神社に奉納されている絵馬・「三十石船図」=吉村青春著『津屋崎学』(Obunest刊)から
枚方市立「枚方宿鍵屋資料館」からは、北西を流れる淀川に架かる「枚方大橋」が見えます=写真③=。明治時代になると、淀川には和船の「三十石船」に替わって蒸気船が就航しますが、明治43年の京阪電車開通で運輸は次第に鉄道に移っていきました。
写真③:枚方市立「枚方宿鍵屋資料館」から見える淀川に架かる「枚方大橋」
=枚方市堤町10で、2011年8月19日午後2時30分撮影
「枚方宿鍵屋資料館」には、楠葉村(現枚方市)から備前嶋町(現大阪市中央区京橋)までの京街道を描いた江戸後期・享和3年(1803年)作の「京街道図巻」(複製)も展示されていました。
写真④:枚方市立「枚方宿鍵屋資料館」と淀川の位置図(NPO法人枚方文化観光協会の「枚方宿マップ」から)
(「枚方宿」終わり)