とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

高野山への道「1日目」

2015-05-20 23:55:06 | 観光
お遍路で満願となった後、続けて高野山まで足を延ばしたかったのだが、5月21日まで「高野山開創1200年」の期間であり、宿坊がほとんど満室となっていて全然取れなかった。それでも、なんとか高野山宿坊教会で探してもらった結果、5月19日に泊まれる宿坊があったということで、その日が来るまで待っていた。

高野山に行くにしても、ただ行くだけでは面白くない。やはり、お遍路の続きという事で、歩きを主体にコースを考えた。四国からそのまま行くのはちょっと無理があるので、高野山への表参道である「高野山町石道」で行くことにした。このコースは、南海高野線の九度山駅から高野山壇上伽藍までの約24キロを歩く祈りの道である。世界遺産にも登録され、道はしっかりしている。

まず、1日目は、午後から家を出発して、九度山駅近くの道の駅「柿の郷くどやま」まで行く。道の駅に着いたのは午後6時前で、まだ明るくさすがに車中泊するには早すぎる。夕食も取りたいので、近くにある日帰り温泉を探す。スマホで検索した結果、かつらぎ温泉「八風の湯」がヒットする。道の駅からは10キロほど離れているが、それほど遠くはないので早速行ってみる。

源泉は「化石海水」と呼ばれる古代の海水が、天然温泉になったというもので、結構いい泉質だった。入浴料と食事がセットという格安プランがあり、タオル、湯浴み着も付き、きれいな施設で休養できた。午後9時近くまで温泉でのんびりして、再び道の駅に戻る。

道の駅に着くころから、ポツポツ雨が降り出していた。翌日の天気予報は、午前中まで雨となっていて、仕方がないなと思いつつ、早々に車の中で寝袋にくるまった。

高野山への道「2日目」前半に続く。

2015横山岳:後半

2015-05-18 09:21:33 | 山登り
8:40。山頂間近になったころ、木々の隙間から展望が開けた。市街地がうっすらと見え、その先には琵琶湖があるものと想像できた。


花期が終わり頃のようだが、イカリソウを見つける。


8:56。「ガンバレ!頂上まで100m」の看板が出てきた。もうちょっとで頂上だ。


9時を少し回ったころ、頂上に到着する。頂上には、まだ誰もおらず我々で一人占めだ。さっそくビールを出してカンパイの準備をしていた。いつの間にかイノさんがいなくなり、何処に行ったのだろうと待っていたら、残雪を一握り集めて持ってきてくれた。持ち寄ったビールを雪で冷やそうというナイスな気配りだった。


9:10。早速冷えたビールでカンパイだ。


約1時間ほど、山頂で早い昼食をとり、のんびり景色を楽しむ。そのころには、大分登山者が集まってきていた。山頂にあるプレハブ小屋の屋根に上がると、頂上の様子を俯瞰できる。


10:09。3人で頂上記念写真を撮ってもらい、下山コースへと向かう。


下山は、東尾根コースにする。しばらく進むと雪渓があった。イノさんは、ここから雪を持ってきてくれたらしい。


太陽は、すでに頭の上に来ていた。いい天気となり、暑くなってきたが、尾根を渡る風は涼しく心地よい。


鮮やかなピンク色のアケボノツツジの花も、まだ残っていた。




爽やかな風を感じながら、軽快に森を下って行く。


尾根から、景色を遠望すると琵琶湖の手前に小さな湖が見えた。あれは、何という湖だろうかと気になって望遠で覗くと、見覚えのある景色だった。それは、4月にウルトラマラソンで沿岸を走った余呉湖だったのだ。懐かしく、しばらく景色を楽しんだ。


少し登ると、もう一つのピークがある。


10:30。双耳峰である横山岳のもう一つのピーク東峰に到着する。高い木がなく、北陸の山々が一望に見渡せる。


東峰の近くで見つけたタムシバ。これも終わりに近いが、1本だけ花が残っていた。


原生林の森をぐんぐん下って行く。


イワウチワの群落も途中にあった。


後半もかなりきつい下りが続く。




急な下り坂も終わりに近づき、東尾根コース登山口入口が見えてきた。


11:39。東尾根コース登山口に到着する。


林道に出ると、「夜這いの水」という湧き水があり、冷たい水で手や顔を洗う。


駐車場までは、まだ2キロほどあり、しばらく林道歩きだ。


軽トラの荷台に乗って下山していく人たちもいる。楽ちんでいいものだ。


12:07。山開きゲートに無事到着する。


山開き会場は、テントが設営され売店も出ていた。


テント下で休憩をすると、地元の関係者たちから、山開きの御神酒だと地酒「七本槍」を振る舞われた。この辺りでは、有名なお酒だ。私は、まだ車の運転があるので少し口を付けた程度に済ます。


我々が下山したのは、12時過ぎたくらいだったので、まだまだ多くの登山者が山に入っていたようだ。駐車場は、朝とは打って変わって満車状態で、沿道にも多くの車が止まっていた。やはり、山は朝早くから行くのがいい。

その後、木之元IC近くの日帰り温泉「北近江の湯」に寄ってから帰路につく。その後も順調に車を走らせ、浜松には17時過ぎに帰宅。琵琶湖周辺は、結構近いものだと改めて思った。初参加のminoさんも大いに楽しんでくれ、山が大好きになったようだ。

2015横山岳:前半

2015-05-17 21:23:52 | 山登り
3月、4月はお休みしていた私の企画する登山ツアーを再開した。今回の山は、滋賀県の横山岳(1132m)だ。関西百名山の一つであり、花の山と知られ多くのハイカーが訪れる山だという。今回は、イノさんと初参加のminoさんが来てくれた。

昨夜は、琵琶湖沿岸の道の駅で仮眠し、今朝6時過ぎに横山岳登山口の一つ白谷登山口の駐車場に入る。奥の方に1台止まっていたが、それ以外は止っている車もなく、我々の車だけだった。


実は、今日5月17日は「第44回 横山岳山開き」の当日だったのだ。ただ、開始時間が8時くらいのようだったので、山開きを待つことなく登りはじめることにした。


6:15。標高262mの山開き用ゲートから歩き始める。横山岳への登山コースは、いくつかあるが、今回は一番ハードでスリルもあって面白い白谷本流コースで行くことにした。


しばらくは、広い林道を歩く。


6:29。ここから、本格的な登山道に入る。山頂までのほとんどを沢伝いに直登するコースだ。


タニウツギの花がいたるところで見られ、今日一番の見頃の花だった。




6:35。いきなり沢を渡る。工事用の足場板を渡しただけの滑りやすい橋だ。


沢に並行して道が続いていく。


さらに渡渉が続く。前日雨が降ったせいか、水量が多い。石から滑り落ちないように慎重に進む。




渡渉を無事クリアしても、谷筋のきつい登りが続く。


山の斜面には、タニウツギの花がいたるところで咲いていた。


小さい滝がいくつもあり、マイナスイオンを浴び続けながら登っていく。


6:54。一旦林道に突き当り、ガードレールを乗り越えて進む。決して横着をしている訳ではなく、正規のルートとしてガードレールを乗り越えて進むようになっているのだ。




岩がゴロゴロしている沢筋になり、相変わらずきつい登りが続く。


小さな滝が、相変わらずいたるところで見られる。


またしても渡渉があった。何度沢を渡った事だろう。木の枝は滑りやすく、さらに慎重を要する。


7:08。ほどなく、このコースでは有名な「経ノ滝」に到着する。落差15mほどで3段ほどに分かれ、滝つぼのすぐ近くまで立ち寄ることが出来る。


岩壁の下には、ヒメレンゲの群落が見られた。山地の谷川岸などの水の流れる岩場に多く咲く花らしい。


登山道沿いには、多くの高山植物が咲き乱れ、花の多い山だという事がわかる。イノさんもデジカメで花の写真を撮りまくりだ。


これは、イチリンソウ。


シャクも群落をなしていた。


上を見ると、大分空が近づいてきた。


7:45。もう一つの有名な滝「五銚子ノ滝」に到着する。落差40mほどで、5段ほどに分かれた見事な滝だ。


今度は、下の方を振り返って見ると、はるか下に集落がぼんやり見えていた。いつの間にか、相当高度を稼いでいたようだ。


8:01。新緑と空の青さだけが、一際目立ってきた。山頂にかなり近づいてきたようだ、


2015横山岳:後半に続く。

久々に竜ヶ岩洞に入る

2015-05-16 18:00:15 | 観光
先日、遠方からお客さんが見えたので、浜松周辺の観光地を少し回った。なかでも、鍾乳洞に興味があるということで、久々に引佐町の竜ヶ岩洞(りゅうがしどう)に出かけることになった。

竜ヶ岩洞は、浜松市北区引佐町にある鍾乳洞で、1981年に地主の戸田貞雄氏の許可を得た洞窟愛好家2名が発見した。竜ヶ岩洞は、標高359.1m(三国一)の竜ヶ石山にあり、洞窟を形成する石灰岩は2億5千万年前に生成された秩父古生層と呼ばれる地層で形成されている。総延長1046mのうち、400mが一般公開されている東海地方最大規模の鍾乳洞だ。公開された初期の頃入ったことはあるが、今回は本当に久しぶりで結構面白かった。

洞窟の入り口では、竜がお出迎えだ。


中に入っていくと、最初に「黄金柱」と呼ばれる石筍が見られる。この辺りは石灰岩の地層で、中を流れる水が岩を侵食して洞窟が形成される。天井から滴り落ちる水が、空気と触れた際、水分が蒸発して残った炭酸カルシウムがつらら石や石筍を作り上げているという訳だ。


「猿ヶ石」。鍾乳洞の見どころのネーミングって、命名者の感性で面白いネーミングになることが多い。どれが猿に見えるのだろうか?


「亀の小滝」。下のほうにある鍾乳石が、亀の形に見える。


「三体羅漢」。小さな石筍ができつつある。これだけでも、何千万年もかかっているのだろう。


「竜の爪」。竜ヶ岩洞だから、竜にまつわるものがないとね。


この鐘を鳴らして、登竜門に入っていく。太っている人は、登竜門をくぐれないかも。


「喜びの窓」。当初、洞窟は行き止まりと思われていたが、昭和56年10月、2人の洞窟探検家が手彫りでこの難所を抜け出し、その後「黄金の大滝」などの発見をした。この抜け出た時の感激を記念して、この空間を「喜びの窓」と名付けたそうだ。


「ワニの岩」。いかにも、ワニが口を開けているようだ。


「びょうぶ岩」。狭い空間を通り抜けていく。


「天女の鏡」。上にある看板が鏡文字になっていて、水面に映った文字を読むことが出来る。


「黄金の大滝」。洞窟の天上から勢いよく落ちる大滝。滝の落差は約30mで、地底の滝としては日本で最大級の規模だという。この滝は、本当に凄い。竜ヶ岩洞では、一番の見どころである。ここを見つけた探検家たちの感動した気持ちが、判るような気がする。通路に屋根はついているが、かなり濡れるので注意したほうがいい。




「竜の腹」。たしかに、竜のお腹の下を通っているようだ。


「三段空滝」。三段になった鍾乳石。


「水神様」。泉のほとりに立ち、神様のようだ。


「鳳凰の間」。まるで鳳凰が羽を広げ舞い上がる姿のような鍾乳石。混んでいる時は、順番待ちとなる場所で、ここも見逃してはならない。


「姫かんざし」。純粋な石灰だけなので、白く透き通った美しい柱になったそうだ。


「知の七福神」。七福神だというが、七人がどこまでなのか良く分からない。


洞窟を出ると、洞窟資料館がある。日本で初めて「洞窟」をテーマにした資料館ということで、探検時の様子などが展示されている。探検隊の人は、こんなふうに洞窟に入っていったんだ。


お土産屋も見て、外に出ると、「顔ハメ大賞」に輝く!日本一の顔ハメという看板を見つける。何が面白いかと思って見に行ってみる。


顔ハメというのは、観光地に行くと必ずあるキャラクターの顔を切り取った看板だ。穴から顔を出すと、キャラクターになりきれる。竜ヶ岩洞は、こんな顔ハメだった。たしかに、面白すぎる。


久々に寄った竜ヶ岩洞だったが、昔の事は忘れてしまっていたので、地元ながら新鮮な感動を得ることが出来た。

般若心経を学ぶ 第3回

2015-05-15 06:50:19 | お遍路
さんぜしょぶつ  えはんにゃはらみつたこ  とくあのくたらさんみゃくさんぼだい
三世諸仏      依般若波羅蜜多故      得阿耨多羅三藐三菩提
訳:過去・現在・未来にわたる”正しく目覚めたものたち”は知恵を完成することによって、この上なき悟りを得るのである。
(阿耨多羅はこれ以上ない、三藐は正しい、三菩提は悟りを表す)

こち  はんにゃはらみった  ぜだいじんしゅ
故知   般若波羅蜜多     是大神呪
訳:したがって次のように知るがよい。知恵の完成こそが、偉大な真言であり、
(“呪”とは、呪いというのではなく、真言という意味で、仏のまことの言葉を指す)

ぜだいみょうしゅ  ぜむじょうしゅ  ぜむとうどうしゅ
是大明呪       是無上呪      是無等等呪
訳:悟りのための真言であり、この上なき真言であり、比較するものがない真言なのである。
(是大神呪から是無等等呪までの四つの真言は、次にあげる真言を褒め称えているのである)

のうじょいっさいく  しんじつふこ
能除一切苦      真実不虚
訳:これこそが、あらゆる苦しみを除き、真実そのものであって虚妄ではないのである、と。

こせつはんにゃはらみつたしゅ  そくせつしゅわつ
故説般若波羅蜜多呪        即説呪曰
訳:そこで最後に、知恵の完成の真言を述べよう。すなわち次のような真言である。

ぎゃていぎゃてい  はらぎゃてい  はらそうぎゃてい  ぼうじ  そわか
羯帝羯帝       波羅羯帝     波羅僧羯帝     菩提   僧莎訶
訳:あえて訳すと、“往き往きて、彼岸に往き、完全に彼岸に到達した者こそ、悟りそのものである。めでたし。”と考えられる。
(この部分は、秘蔵真言分といって、尊重され、わざと訳さないで原語のまま読むことになっているそうだ。したがって音として覚えたほうがいいだろう)

はんにゃしんぎょう
般若心経  
訳:知恵の完成についてのもっとも肝要なものを説ける経典。

これで、終わりである。文献によっては、違う解釈のものもあると思うが、何となくわかったような気分にはなった。これから、お遍路に行きたい方は、事前に意味を知ってから行くと、唱えやすいのではないだろうか。

般若心経を学ぶ 第2回

2015-05-14 07:08:59 | お遍路
しゃりし  ぜしょほうくうそう
舎利子   是諸法空想
訳:舎利子よ、この世の中のあらゆる存在や現象には、実体がない、という性質があるから、


ふしょうふめつ  ふくふじょう  ふぞうふげん
不生不滅     不垢不浄    不増不減
訳:もともと、生じたということもなく、滅したというともなく、よごれたものでもなく、浄らかなものでもなく、増えることもなく、減ることもないのである。

ぜこくうちゅうむしき  むじゅそうぎょうしき
是故空中無色      無受想行識
訳:したがって、実体がないということの中には、形あるものはなく、感覚も念想も意志も知識もないし、

むげんにびぜつしんに  むしきしょうこうみそくほう
無限耳鼻舌身意      無色声香味触法
訳:眼・耳・鼻・舌・身体・心といった感覚器官もないし、形・音・香・味・触覚・心の対象、といったそれぞれの器官に対する対象もないし、

むげんかいないしむいしきかい  むむみょう
無限界乃至無意識界        無無明
訳:それらを受けとめる、眼識から意識までのあらゆる分野もないのである。さらに、悟りに対する無知もない。
(人間は、生まれた時から持っている心は無明である。無明とは、すなわち明るくない、闇であり、無知、愚かであるということ)

やくむむみょうじん  ないしむろうし  やくむろうしじん
亦無無明尽       乃至無老死    亦無老死尽
訳:無知がなくなることもない、ということからはじまって、ついには老と死もなく、老と死がなくなることもないことになる。

むくしゅうめつどう  むちやくむとく  いむしょとくこ
無苦集滅道      無知亦無得    以無所得故
訳:苦しみも、その原因も、それをなくすことも、そしてその方法もない。知ることもなければ、得ることもない。

ぼだいさった  えはんにゃはらみった
菩提薩垂    依般若波羅蜜多
訳:菩薩は、彼岸に至る知恵を実践している。
(菩薩とは、菩提薩垂を省略したもので、仏になるための努力をしている者という意味だ)

こしんむけいげ  むけいげこむうくふ
故心無圭礙     無圭礙故無有恐怖
訳:かくて心には何のさまたげもなく、さまたげがないから恐れがなく、

おんりいっさいてんどうむそう  くきょうねはん
遠離一切転倒夢想         究境涅槃
訳:あらゆる誤った考え方から遠く離れているので、永遠にしずかな境地に安住しているのである。
(転倒とは、ものごとを正しくみないで逆さに見る事。夢想も幻を見る事。遠離で、そういった事から一切遠ざかりなさいと言っている)

般若心経を学ぶ 第3回に続く

般若心経を学ぶ 第1回

2015-05-13 07:42:24 | お遍路
お遍路に行っていたときは、訳も分からず唱えていた般若心経だが、満願になったところで改めて意味を勉強してみたので、その結果をこれから3回にわたって、私なりに解釈した内容で紹介したい。

般若心経とは、仏様(お釈迦様)が説いた教えである。ただ、仏様は書物には残しておらず、弟子たちには言葉でのみつたえている。その後、弟子たちが書物に残したものを、中国の玄奘三蔵が漢字に訳し、我々が良く知るお経となった。内容は、仏様の教えを観音菩薩が仏様に代わって、仏様の弟子である舎利子に説くというスタイルになっている。

参考文献:寂聴 般若心経/瀬戸内寂聴、般若心経に学ぶ/花山勝友、現代語訳 般若心経/玄侑宗久 等

ぶっせつ・まかはんにゃはらみつたしんぎょう
仏説・摩訶般若波羅蜜多心経 
訳:仏様が説いた「彼岸に渡るための偉大な知恵の一番大切なお経」
(彼岸とは、悩みも苦しみもない涅槃の世界)

かんじざいぼさつ  ぎょうじんはんにゃはらみったじ
観自在菩薩      行深般若波羅蜜多時
訳:観音菩薩が、彼岸に渡る偉大な知恵を身につける修行をしていた時に、

しょうけんごうんかいくう  どいっさいくやく
照見五蘊皆空         度一切苦厄
訳:人間の心身を構成している五つの要素がいずれも本質的なものではないと見極めて、すべての苦しみから救われたのである。
(五つの要素とは、色、受、想、行、識。色とは、肉体とか物質の事で形があるもの。受とは、見たり聞いたり嗅いだり味わったり痛いと感じる事。想は、知覚の事で寒い時に暖房で暖かくなって気持ちいいと感じる事等。行は、意思の作用の事で、相手が自分を好いてくれると嬉しくなり、嫌われると腹が立って憎むという念。識は、認識することで、色、受、想、行が揃って初めて認識できる。)

しゃりし  しきふいくう  くうふいしき
舎利子   色不異空   空不異色
訳:舎利子よ、形あるものは実体がないことと同じことであり、実体がないからこそ一時的な形あるものとして存在するものである

しきそくぜくう  くうそくぜしき
色即是空     空即是色  
訳:したがって、形あるものはそのままで実体なきものであり、実体がないことがそのまま形あるものとなっているのだ。
(色即是空は、色不異空と同じ意味で、違う言葉に代えて言っているだけだ。空即是色も同様である。すべての物事は、ないと思えばないし、あると思えばあるのである。心が認めたかどうかでどうにでもなるという意味と解釈する。)

じゅそうぎょうしき  やくぶにょぜ
受想行識        亦復如是
訳:残りの心の四つの働きの場合も、まったく同じことなのである。
(以後、色不異空、空不異色、色即是空、空即是色の“色”の代わりに、受、想、行、識が入った言葉になるところなのだが、同じ言葉を並べたくないので、亦復如是で逃げているという事だ)

般若心経を学ぶ 第2回に続く

田中陽希さん、次は「日本二百名山ひと筆書き」へ

2015-05-12 08:06:54 | 山登り


昨年、日本百名山ひと筆書きを達成した田中陽希さんが次に選んだのは、日本二百名山の未踏の山100座を人力のみで走破するひと筆書きチャレンジだという。
日本百名山に劣らぬ、過酷で壮大な旅になることは間違いない。
今回は、北海道から九州に南下するらしく、ゴールは12月くらいになりそうだ。
私が登った日本二百名山を数えたら、まだまだ30座にも満たない。
当然、BSプレミアムで放送するだろうから、今後の彼の旅を通じて、二百名山の魅力を知ってみたいと思う。
田中陽希さん、本当に“ただもの”ではない。

【概要】
全行程:日本二百名山(2014年未踏の100山)
歩行距離:お よそ8,000km(現在調整中)
日程:約7か月(現在調整中)
出発日:2015年 5月下旬(予定)
出発地:北海道 宗谷岬
最終到達地:鹿児島県 佐多岬
移動手段:陸上・徒歩 海上・シーカヤック

2015北海道ジャーニー・マラニック続編:7日目

2015-05-11 06:47:07 | 観光
いよいよ最終日になった。もうこれで帰るのかと思うと名残惜しい気もする。最終日の朝も5時過ぎには目が覚めた。美瑛の丘を散歩でもしようと早起きしたのだが、分宿で別の宿に泊まったグループが、車でドライブに出かけたという情報が入る。行き先が、美瑛の「青い池」というので、それならこっちのグル―プも行こうと他のメンバーも誘って朝のドライブに出かけた。

「青い池」は、以前自分のブログで紹介したことがあったのだが、その近くに来ていたことを全く認識していなかったので、俄然見たくなったのだ。宿から22キロくらいだったが、車なら楽に行って来られる。ワクワクしながら車に乗って現地到着を待った。池が、青く見えるのは、十勝岳中腹を源とする硫黄沢川からアルミニウムを含んだ水としらひげの滝の麓を流れる美瑛川の水が混ざると目に見えないコロイドが生成されるためと言われているが、見る角度や四季によって様々な表情を見せるという。


5:55。「青い池」の駐車場に到着し、遊歩道を進んでいく。誰もいないと思っていたが、結構観光客が朝早くから来ていた。


どれだけ青いのか楽しみにして池を見に行く。しかし、実際見てみるとそれほど青くはなかった。深緑で濁っているような感じだ。季節とか時間帯によって色が変わるかもしれないが、この日の色は、想像していたのとは違い拍子はずれだった。






むしろ、池の近くを流れる川と、雪を被った十勝岳の景色のほうが気になった。


「青い池」から、再び美瑛の丘に戻り、前日見ることが出来なかった撮影ポイントを回っていく。6:37。まず、「親子の木」に寄る。特に何という事もない木だが、大きい木2本の間に小さい木1本が立っているので「親子の木」と呼んでいるらしい。


説明板がなかったが、とりあえず写真を撮っておく。


周りも見渡しても、他にそれらしい木はないので、間違いない。


前方のほうにも、絵になりそうな風景が広がっている。


6:47。「セブンスターの木」に寄る。カシワの木だが、この呼び名は1976年にタバコ「セブンスター」のパッケージに掲載された事に由来しているというが、どこを調べてもそのパッケージが見つからなかった。しかも、葉っぱがついていなくて、パンフレットで見た様子とは違っていた。もう少し暖かくならないと、葉が出てこないのだろう。




7:02。「マイルドセブンの丘」に寄る。ここは、1978年にこの丘でタバコのマイルドセブンのポスターが撮影された事からこの名前が付いたそうだ。




その後、ペンション「ポテトの丘」に戻る。前日の夕食時、オーナーから聞いた話では、去年の6月~10月にかけて映画「愛を積むひと」の撮影がこの周辺で行われ、このペンションも風景の一部の中に映っているかもしれないとの事だった。ロケ地となった赤い屋根の家は、ペンションの近くで、スタッフが何度もペンションに立ち寄ったともいう。公開は、今年の6月になるらしく、是非見てみたいものだ。




9時過ぎ、別の宿に泊まったメンバーも集合し、帰路についた。千歳空港で解散となり、各自自分の家に帰っていった。

5月1日から7日までの1週間だったが、長いようであっという間に過ぎてしまった北海道の旅だった。観光名所は盛りだくさん、ランもいいとこどりで楽しく走れ、食事も美味しかった。何より天気が良い日が続いたことが最高だった。企画してくれたヒロボーさんには、感謝で一杯だ。また、同行したメンバーとも楽しく7日間を過ごすことが出来、生涯の思い出に残る旅となった。参加した皆さん、おつかれさまでした。そして、ありがとうございました。

2015北海道ジャーニー・マラニック続編:6日目富良野~美瑛編

2015-05-10 09:30:20 | マラソン
10:26。富良野に到着する。コンビニの駐車場で車を降り、富良野小学校の校庭に移動する。この辺りが、北海道のへそ(中心)になるという。


10:29。校庭にある北海道中心標の前で、スタート前の記念撮影だ。富良野市は北緯43度20分、東経142度20分に位置し、北海道の中心部ですと説明にあった。しかし、前日では新得町が中心だという話もあり、何で違うのかと調べてみた。新得町と富良野市との違いは、北方領土を面積に含めた場合が新得町で、北海道本島だけの場合が富良野市になるようだ。


富良野小学校から、山を見ながら走り出す。


沿道には、芝桜を一面に植えている家が数多く、目を楽しませてくれる。


こちらはラベンダーだが、まだ花が咲いていないのが残念だ。


富良野岳、十勝岳、美瑛岳等の十勝連峰を眺めながらどんどん走っていく。


赤レンガのサイロと芝桜のコントラストもいい。


国道を離れ、パノラマロード江花に入っていく。




富良野から美瑛に向かう道は、まさに雄大な北海道を象徴する風景が続いている。




緑に波打つ草原の丘と空しか見えない。


この広い畑には何が植えられるのだろうか?十勝連峰と広大な丘陵がいつまでも目を楽しませてくれる。




湿地には、ミズバショウの花が咲き始めていた。


1本ポツンと立っている「クリスマスツリーの木」。


15時。美瑛に入ってきたところで「新田農園」の作業場に立ち寄る。毎年、トランスエゾのエイドをやってくれているそうで、突然押しかけた我々マラニックのメンバーも歓迎を受けた。立ち寄った時は、アスパラガスの選別作業を行っていた。


大将から、冷たいお茶や、採れたてのアスパラガスの炒め物を振る舞ってもらう。塩味のアスパラガスが美味しくあっという間にみんなで平らげてしまった。




農園の大将たちと一緒に、立ち寄ったメンバーで記念写真を撮って先に進む。


15:36。距離にして31キロくらいになり、美瑛駅まではあと数キロだ。


赤い屋根の家と芝桜の庭がメルヘンチックで、美瑛の風景によく似あう。


16:07。美瑛駅に到着する。ここで約35キロになった。


当初は、美瑛駅がゴールだったが、宿が美瑛のパッチワークの丘にあるので、丘の景色を見ながらさらに宿まで走っていくことにした。パッチワークの丘には、有名な撮影ポイントがたくさんある。どうしても見に行きたかったのが、この「ケンとメリーの木」である。日産スカイラインのテレビCMに使われ、歌も大ヒットした伝説の撮影ポイントだ。




この場所に来ると、Buzz の「ケンとメリー ~愛と風のように~」のフレーズが頭に何度も浮かんできていた。




「ケンとメリーの木」から、さらに2キロほど走る。


17:11。今回のツアーの最後の宿であるペンション「ポテトの丘」に到着する。距離にして41キロほどを走っていた。また、ランの最終日として、一番の思い出に残る素晴らしいコースにもなった。


夕食は、初めての洋食となり、ワインや20年物の古酒を頂いたりして最後の夜を楽しんだ。


参考:この日のコースマップ


2015北海道ジャーニー・マラニック続編:7日目に続く。