とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2012姫街道マラニック

2012-12-23 23:15:30 | マラソン
一昨年の今頃、あだち。さんの呼びかけで姫街道をマラニックしたのだが、今年もやるという呼びかけがあり、多分今年最後のマラニックに行ってきた。今回は、5名の女性と10名の男性の計15名が集まった。

「姫街道」とは、東海道見附宿(静岡県磐田市)と御油宿(愛知県豊川市)を結ぶ東海道の脇街道であり、東海道新居関所の厳しい取締まりを嫌った女性が多く利用したためこの名があり全長60キロほどある。今回は、その全てではなく、浜松市有玉の自動車学校前駅から豊川稲荷を経て近くの温泉「コロナの湯」までの約45キロのコースを走る予定だ。まずは自動車学校前駅で集合写真を撮り8時30分にスタートする。


一昨年は、前日からの寒波で底冷えする天気であったが今回はそれほど寒くはなく天気は快晴だ。まずは、遠州鉄道の踏切を渡り西へ進み152号線を横断して、馬込川に架かる五枚橋を渡り、住宅街の細い路地の坂道を上がる。坂道を上りきった右手で、県道に合流する手前に「最古の道標」と書かれた石碑がある。「右 きが かなさし 左 庄内道」と刻まれていて姫街道では最古の道標である。


県道に再び合流してさらに西へ走り、国道257号の元追分の交差点に到着する。前方には、松並木が見える。松並木の道が、姫街道である。松の手前には遠州姫街道の行灯が置かれ、横の建物の壁には、姫街道を通った姫たちの様子が描かれている。


壁に描かれた文字を隠している彼は、何を意図しているのだろうか。察しがいい人にはすぐ判るだろう。


そして、しばらくは松並木沿いの道を進むことになる。


松並木の県道261号線をさらに進み、権七、大山、大谷橋を過ぎるとY字路となり左手のガードレールで遮断された細い道に入る。ここから261号線と分かれる。しばらく進むと六地蔵が祀られた場所にでる。この裏側に竹藪があり、昔、処刑場だったと言う。処刑された人の霊を慰めるために六地蔵が建てられたそうだ。


交差点から、700mのところで道が別れ右手へすすむ。しばらく行くと、大きなタンクが見えてくる。大きなタンクの側面には、姫様の絵が描かれており、タンクの脇の細い道を下っていく。


落ち葉の道を下る。この下り坂を長坂という。その後、県道261号に合流し、落合橋を渡り気賀の街中に入る。途中に気賀関所跡の標識があり、どこにあるか気になる。この場所から600m程離れた場所にある気賀関所は、文献をもとに再建されたもので本来あったものではない。


ノブたんさんの案内で、本当の気賀関所があった場所に行ってみる。細い路地を通り抜けた場所にひっそりと当時を思わせる古い建物があった。ただ、現存しているのは本番所(ほんばんしょ:通行する旅人や荷物を取り調べた建物)の一部のみで、『気賀関屋本番所』として浜松市指定文化財となっている。


そして、細江神社の奥手にある「犬くぐり」に立ち寄る。「犬くぐり」とは、気賀関所の取り締まりのため、付近の住人の通行に不便をきたしたため、領主が作った裏道である。道の途中にむしろ1枚をたらし、立って歩く人間は通れないが犬がくぐるのはさしつかえないという、法の抜け道だ。みんなで「犬くぐり」を通り抜けていく。


『姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館』前の旧山瀬家のコヤ(産屋)前で記念撮影する。コヤとは出産のために建てられた小屋のことで、昔の人々は出産を血のけがれと考え、産婦は母屋(おもや)と別棟に建てた『産屋(うぶや)』で生活をしていたという。細江では明治の初め頃までこのような風習が行われていたそうだ。




本来の姫街道に戻り、さらに西進する。一面のみかん畑を上り詰めた所の右手に尉ケ峰ハイキングコースの入口があり、「姫街道 清水みのる 尋ねようもない幾年月の中で姫街道は今も静かに息づいている。」と書かれた石碑がある。清水みのるは昭和初期~中期に活躍した浜松出身の作詞家だ。


左手には、浜名湖の素晴らしい景色が見える。この街道でも随一の景観のよい場所で小引佐と呼ばれている。


薬師如来像が安置されている薬師堂や石畳を抜けると、屋根のある休憩所に出る。その隣には、八畳ほどの平らな岩があり「姫岩」と呼ばれている。昔、姫様の行列がここで休み「お姫様、お駕寵からお降りくだされ」と駕龍からお姫様がお降りになると「まあ、よい景色」と言って、しばらく景色を眺めながら石畳の道を歩いたといわれる場所である。この上に座ると良いことが起こるとも言われており、女性陣もお姫様気分で岩の上で一休みだ。それにしても一番後ろにいる人は、ニューハーフぽいのはなぜだろう。


象もあまりの急坂に悲鳴をあげたという「象鳴き坂」を下り、「石投げ岩」に到着する。昔の旅人が、この岩に石を投げて旅の無事を祈ったという場所だ。みんな石を投げてマラニックの無事を祈った。


ミカン園を抜け、三ヶ日の町中に入りスーパーに立ち寄る。スーパーで食料を買い込み店内で昼食となった。スーパーでしばらく休憩をして本坂峠を目指す。緩い坂道を上ると本坂一里塚碑に着く。江戸からは72里目となる場所だ。その隣には、7体の馬頭観音像が安置されている。


さて、ここで33キロほどになっていたが、私は夕方5時から自治会の会合に出なくてはいけなくなってしまったので、みんなとは別れることになった。残念だが、地域の事にも協力しなくてはならない。来た道を戻り、天竜浜名湖鉄道の三ヶ日駅まで1キロほど走る。駅のトイレで汗になった服を着替えるとちょうど電車が入ってきた。


天竜浜名湖鉄道の佐久米駅で少し停車時間があり、ユリカモメへの餌付けを見る。サンタに扮したおじさんがユリカモメに餌を投げている。カメラマンが大勢集まっていた。電車内とホームにも降りて私も写真を撮った。ローカル線ならではの、のんびりした風景である。




天竜浜名湖鉄道と遠州鉄道を乗り継ぐと1時間ほどで家に着く。ちょうどいい時間であった。その後、自治会の会合にも無事間に合い何とか役目を果たすことができた。他のメンバーたちは、無事コロナの湯までゴールしたのだろうか。