とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

映画「ALWAYS 三丁目の夕日'64」

2012-01-21 19:53:36 | 映画



「ALWAYS 三丁目の夕日'64」が今日から公開になった。どうしてもすぐに見たかった映画なので、朝一でランニングしてから12時過ぎの上映に間に合うよう急いで映画館に向かった。天気も悪く映画館に来る人が多いのではないかと慌てて入場したが、それほど混んでいる状況ではなくすんなり見ることができた。まずは、あらすじを紹介しておく。

あらすじ - ALWAYS 三丁目の夕日'64(goo映画より)

昭和39年(1964年)。オリンピック開催を控えた東京は、ビルや高速道路の建築ラッシュとなり、熱気に満ち溢れていた。そんな中、東京下町の夕日町三丁目では、5年前と変わらず、個性豊かな住民たちが元気に暮らしていた。小説家の茶川竜之介(吉岡秀隆)は、ヒロミ(小雪)と結婚し、高校生になった古行淳之介(須賀健太)と3人で仲良く生活している。茶川商店の一角は改装され、ヒロミがおかみを務める居酒屋「新山藤」となった。ヒロミは身重で、もうすぐ家族が一人増える様子。だが茶川は「冒険少年ブック」の看板作家として連載を続けているが、新人小説家の作品に人気を奪われつつあった。編集者の富岡(大森南朋)から「もっと新しい雰囲気で」と言われ、茶川はますますスランプに陥っていく。一方、鈴木則文(堤真一)とその妻・トモエ(薬師丸ひろ子)、一人息子の一平(小清水一揮)、住み込みで働く星野六子(堀北真希)が暮らす鈴木オートは、順調に事業を拡大し、店構えも立派になった。六子にも後輩の従業員ができ、厳しく指導をする姿はすっかり一人前。彼女無しでは鈴木オートの仕事は回らないほどであった。そんな六子は、毎朝おめかしをして家を出て行く。それは、通勤途中の医者・菊池孝太郎(森山未來)とすれ違い、朝の挨拶をかわすためだった。六子のほのかな恋心を温かく見守るのは、大田キン(もたいまさこ)。そして小児科医・宅間史郎(三浦友和)は、今日も町の人のために診療を続けている。そんな折、茶川が隠していた、とある電報をヒロミが見つけてしまう……。


三作目となった「ALWAYS」シリーズだが、今回は東京タワー完成後の昭和39年で、オリンピックに浮き立つ日本を背景に物語が進んでいく。冒頭は、子供のころはやったゴム動力で飛ぶ模型飛行機が東京の街中を飛んで東京タワーの上空までいくという設定だ。この時代の東京の町並みと、東京タワーの全景が3Dで圧倒的に迫ってくる。CGとはいえ、本当にリアルな映像に驚きだ。今春にはスカイツリーが開業するとはいえ、東京の風景には東京タワーがよく似合う。東京タワーの真上からの映像は、まるで自分が空の上にいるようにも感じるほど臨場感があった。

さて、今回のお話も、毎度おなじみのキャストが勢ぞろいしており安心して見ることができる。まるで懐かしい友達に会ったような気分でみられるのがシリーズ物の強みだ。そして、子役の少年たちの成長ぶりや、六ちゃんが少女から大人になってきたのを改めて実感できた。作品中では、この時代の流行を巧みに取り入れ、我々の世代にはニヤッとさせるエピソードが満載である。鈴木オートの長男・一平は、加山雄三に憧れてギターをかき鳴らす。ベンチャーズのエレキサウンドもこのころ流行っていたのを思い出した。赤塚不二夫の「おそまつくん」もこの頃はやっていたなあ。子供たちの「シェー」のまねをして薬師丸ひろ子が「シェー」をしたのは笑える。コーラの自販機がでていたが、ビン入りで自販機に栓抜きがついていたのも時代を感じる。まだ自販機が珍しいせいか店員が自販機の前で番をしているのも笑える。そして、テレビは白黒からカラーへと変わりだした時期だ。オリンピックはやはり白黒よりカラーがいいとばかりに、カラーテレビがある家に近所の人が集まったのも、そうだったなあと納得だ。

さて、今回のメインのエピソードは二つある。一つは鈴木オートの従業員である六ちゃんの成長ぶりだ。六ちゃんの恋の行方とその結末は、ハラハラさせられる。もちろん「ALWAYS」シリーズでは、ハッピーエンドで終わるはずと判っていても最後までどうなることかと心配だった。父親がわりの鈴木社長が、六ちゃんの恋を知って激怒するあたりは、半端じゃない。髪の毛が逆立ち、まるでモンスターのように怒る。恋人の菊池は悪い男で六ちゃんは騙されているのではないかと、映画を見ながら自分も心配してしまっていたが、ドラマの伏線が最後にうまく繋がり、二人は無事結婚する。六ちゃんが、鈴木夫婦にする結婚式前のお約束の挨拶は、泣かされる。それにしても六ちゃんの花嫁姿はきれいだったなあ。

もう一つは、淳之介の成長だ。第1作では、幼い少年だった淳之介が、東大進学を狙う受験生になっているなんて年月の経つのは早い。しかし、淳之介は茶川を慕い小説家になる夢を捨てられずにいたのだ。親子でもない茶川と淳之介が実の親子以上に、親を思う気持ち、子供を思う気持ちを熱烈に演じていた。あまり詳しく書くとネタバレになってしまうが、茶川には子供が生まれ、淳之介は茶川から巣立ちしていく様子が描かれている。このエピソードには、涙なくして見ることはできない。3D用のメガネの下で何度も涙を拭ったことだろう。

シリーズ最高傑作と前評判も高いようだ。2時間半近くもある長い映画だが、その長さを感じることがないほど映画の世界に入り込んでいた。最後にキャストの名前が出てきても、席を立つのが名残惜しくて最後の最後まで見てしまった。昭和テイスト満載の映画だが、懐かしさだけでなく、人情味あふれるストーリーは健在である。まだまだ続編が見たいシリーズだ。

「みろんパン」早速買ってみた

2012-01-20 20:51:41 | いろいろ
浜松市特産の「三ケ日みかん」のピューレを使った商品「みろんパン」を、浜松工業高校手芸調理部の生徒とコンビニエンスストアのサークルKサンクスが共同開発したという記事が、数日前新聞に出ていた。地元高校の女生徒が開発したパンという事で、気になっていた。今日近くのサンクスに寄ったところ、パンコーナーにたくさん置かれていたので早速買ってみた。

県立高校の生徒がコンビニと共同開発するのは初めてで、1月17日から2月13日までの静岡県内の342店舗での限定発売になるそうだ。値段は1個126円(税込み)で、結構売れているらしい。サークルKサンクスでは、好評なら定番商品にしたいと話している。

まず、パッケージはミカンのへたをあしらったチェック柄のデザインとなっており、上のほうにはサークルKサンクスのロゴと浜工の校章があり、静岡県立浜松工業高等学校共同開発と書かれている。そして、左端にはベストを着た女子高生が描かれている。いかにも女子高生らしい可愛いデザインのパッケージである。


さて、実際のパンはどんなものかというと、パン生地に特産の三ケ日ミカンの果汁を使用し表面はオレンジ色。中にホイップクリームと三ケ日ミカンのジャムを閉じ込め、甘さと酸味をバランスよく楽しめる味にしたということだ。「みろんパン」というネーミングは「ミカンをイメージしたメロンパンふうの菓子パン」というコンセプトからだそうだ。




実際に食べてみた感想だが、表面はメロンパンぽいザラザラ感があるが、割ってみるとみかんの香りがふわーっとしてきて、クリームとみかんジャムがいい感じで混ざり合っている。パン生地にもミカン果汁が使われているようで、みかんの香りを最後まで楽しめる。個人的には、クリームとジャムがもっと入っていてもいいなと思うが、適度な量のバランスがいいのかもしれない。女子高生が作った「みろんパン」、定番商品として大いに売れてほしいものだ。

全豪テニス「錦織&クルム伊達」のペア楽しみ

2012-01-19 18:59:50 | スポーツ
テニスの4大大会の一つである全豪オープンに、男子世界ランク26位の錦織圭と、41歳のクルム伊達公子が19歳差ペアを組んで混合ダブルスに初参戦することが決まったそうだ。日本人選手が4大大会で上位になった例としては、杉山愛がダブルスで優勝したとか、全仏の混合で平木理化がインド選手と組んで優勝したことがある。シングルスでは、なかなか日本人は厳しいが、ダブルスでは意外とチャンスがあるようだ。

それにしても、今回のこの組み合わせは、なかなか面白い。錦織圭は、最近の若手テニスプレーヤーでは期待の選手だし、クルム伊達公子も30代後半にして現役復帰と油に乗っている選手である。錦織とクルム伊達は主催者推薦での出場を申請し、18日に出場が認められたそうだ。混合ダブルスは20日から始まり、2人は初戦で昨年の全米混合準優勝のヒセラ・ドゥルコ、エドゥアルド・シュワンクのアルゼンチン組と対戦する。

今夏のロンドンオリンピックでは混合ダブルスが五輪種目に復帰するそうで、このペアの全豪オープン出場は五輪を見据えた予行演習にもなる。今回の出場で、二人の息がピッタリ合って上位に入ることが出来れば、ロンドンオリンピックでの活躍も大いに期待できるかもしれない。20日からの試合が楽しみである。

大型クルーズ船座礁事故は人災

2012-01-18 23:20:17 | ニュース


昨日のテレビニュースのトップ映像は、大型クルーズ船が横倒しになった映像だった。巨大なビルほどもある船が真横になっているのを見て、極めてショッキングだった。

事故を起こしたのは、イタリアのコスタ・コンコルディア号で、イタリア北部ジェノバに本社があるコスタ・クロチエレ社が運航する豪華客船(11万4500t、全長約290m)である。約1500の船室、5つのレストラン、4つのプール、13のバーなどを備えており、一つの町が出来るほどの大型客船だ。同船は、13日午後7時頃、乗客約3200人、乗員約1000人を乗せ、地中海周遊のため、伊中部チビタベッキアを出港し、北部サボナに向かった。同9時半頃、中部ジリオ島の約150m沖で暗礁に衝突。船体は徐々に傾き始め、船体は14日未明には横倒しになったという。

原因は、いろいろ伝わってきた報道によると、わざわざ危険な航路を選び、避難誘導よりも自身の脱出を優先させたフランチェスコ・スケッティーノ船長による悪質な「人災」の疑いが濃厚だという。この船は、本来の航路を外れ、料理長の故郷である町の夜景を見せる為にわざわざ危険な航路をとったらしい。このような大型クルーズ船には、座礁を防ぐために、いろんな安全装置がついているはずで浅瀬の位置とか暗礁の位置などもしっかり海図に記載されているという。船長は、それらの安全装置を無視または解除してマニュアルで航行していたのではないかと専門家の解説があった。いくら、技術が進歩していても、それを使う人間が正しく使わなければ意味がない。数千人の命を預かる船長が、こんな危険極まりない操船をしていたことは真に恐ろしい。しかも、我先に逃げ出していたというから始末に負えないお話だ。

ただ、船長の責任は重いものといえるが、他の乗員は何をしていたのだろうか。船長の命令は絶対だったのだろうか。副船長とか航海士とか航路について、異議を唱える人間がいなかったのだろうか。その辺りが、すごく気になったニュースであった。死亡者も数十名にも上るようだし、行方不明者もまだまだたくさんいるようだ。何時かは、こんな豪華客船に乗って世界を旅してみたいという夢もあったが、こんな事故を起こすような船には絶対乗りたくないものだ。

今朝は、1年ぶりの大雪?に

2012-01-17 19:45:06 | 呟き
今日1月17日は、「阪神・淡路大震災」が起きて17年目に当る日だ。しかし、我が家では1年前の今日、大雪で怪我人が出た日でもある。

雪の少ない我が家周辺では、地面や車の屋根に白く雪が積もるだけで大騒ぎとなり、珍しい積雪に大喜びしたり、事故が続発したりして、大ニュースとなる。今朝の積雪は、1年前ほど酷くはなかったが、久しぶりに見た銀世界にちょっぴりワクワクした朝であった。

これは、我が家の前の畑と車に屋根に積もった様子。それほど大した量ではない。


会社に向かった時の様子。少し標高が高いので、畑は真っ白だ。


しかし、雪はすぐに雨に変わり、10時過ぎには空は晴れてきた。銀世界もあっという間に終わった一日だった。

2012丹沢登山 2日目

2012-01-16 21:52:58 | 山登り
朝食は6時からだと聞いていたので、5時に起きるつもりでいた。ところが、あまりにも布団が暖かくて、つい寝過ごしてしまった。時計を見たら、5時40分くらいだった。窓から外を見ると、鎌倉方面の夜景がきれいに見えていた。その後、あわてて身支度をしていたら、おかみさんが回ってきた。発電機の故障のため朝食30分遅れますとの連絡だった。不幸中の幸いというところだ。

6時半から朝食を済ませ、山頂の景色がどうなっているか見に行ってみると、西の方向に富士山がしっかり見えていた。ただ、残念ながら太陽が雲に隠れ、紅富士にはなっていない。


再び小屋に戻り、荷物を整理して出発することにした。小屋前の温度計を見ると-8℃くらいになっている。小屋のおかみさんと一緒に写真を撮って「みやま山荘」を後にした。


東の空を見ると、太陽が大分上がってきていたが雲間から光が差し込んでいる程度で薄曇りの天気であった。


もう一度、丹沢山頂で富士山をバックに記念写真を撮る。青空がバックだったら最高にいいのだが、今回はそこまでは望めない。


さて、これから蛭ヶ岳を目指しての稜線歩きが始まる。ずっと、富士山を目の前にしながら歩く絶好のコースである。前日は、富士山がまったく見えなかったので、曇り空とはいえ富士山が、くっきり見えているだけで嬉しい。下方に見えるダム湖は、凍っているように見える。


見通しがよい笹原の気持ちよい尾根歩きが続く。




あずまやのある休憩所からは、相模湾と湘南の海岸線がくっきり見えていた。ちょうど江ノ島あたりに陽が当ってキラキラ輝いていた。


山の斜面では、鹿の群れが走り回っている。


ほどなく、不動ノ峰に到着する。4年前は、ここまで来て引き返したのを思い出した。この先は、初めて歩く道となる。


あいかわらず、富士山が前方に見えていて飽きることがない。目を凝らせば、南アルプスの山並みも見えていた。




その先に進むと、蛭ヶ岳の山頂と小屋が見えてきた。


蛭ヶ岳の手前の下りを歩いていくと、ヘルメットを被った人たちが数人いた。彼らは、登山道の整備工事をしている作業員だった。こんな寒い時期に、登山者のために安全な道を整備してくれているようで、お礼を言いながら工事現場を通過した。


蛭ヶ岳に行くまでは、いくつのアップダウンがあるが、最後の下りが一番の難所である。その下りの最高部には、大きな岩が立ち並び、なかなかの絶景ポイントである。




絶景ポイントでの写真を撮り終えると、急なガレ場を下る。積雪があるとかなり怖い場所だ。そして、最後の登り坂を上がると蛭ヶ岳山荘である。


蛭ヶ岳山荘前が、蛭ヶ岳山頂1673mである。丹沢山塊の最高峰であり、神奈川県でも最高峰の山だ。広い山頂は360°の大展望であるが、いつの間にか、雲に隠れて富士山の影も形もない。晴れていたら、素晴らしい場所である。


蛭ヶ岳からは、姫次方面に向かう。登山道には、まだまだ雪が残っている。


姫次の休憩所から蛭ヶ岳を見ると、上部には雲が懸かり始めていた。


八丁坂ノ頭、黍殻避難小屋を経て東野バス停方面に下っていく。かなり急坂をグングン下り林道に出た。


沢の水が、面白いように凍っている。


東野バス停まであと2キロ地点で、やっと携帯の電波が届いた。バス停があるといっても、一日2本程度しかないバス路線なので、当てには出来ない。バス停まで、タクシーに迎えに来てもらうため電話をしたのである。電話したのは、地元のF交通である。20分ほどでバス停に来てもらえるなら、すぐ配車できるというので、ほぼギリギリで間に合う時間だったが、最後は駆け足でバス停まで急いだ。


バス停の前には、既にタクシーが待っていた。バス停がすぐわからず、焦ってしまったが、無事タクシーが来てくれていたのでホッとした。


タクシーで、中央線の藤野駅まで送ってもらう。藤野駅からは、高尾駅、八王子駅、町田駅、渋沢駅とJRと小田急線を乗り継いだ。渋沢駅からは、大倉行きのバスに乗る。この日の午後は、タクシー、電車、バスと交通機関をフルに使っての移動だった。大倉に戻って、マイカーを回収し帰宅の途についた。丹沢縦走は、マイカーで行った場合、非常に不便なルートなので計画を躊躇していたが、計画してみれば何とかなるものである。これで、4年前の宿題をやっと片付けることができた。

今回の参考コースタイム
[1日目]
大倉7:00-黒竜ノ滝8:15-二俣8:40-西山林道終点9:05-鍋割山荘10:35-鍋焼うどんを食べる-鍋割山11:15-塔ノ岳12:35-竜ヶ馬場13:25-丹沢山13:50
[2日目]
丹沢山7:05-不動ノ峰7:55-蛭ヶ岳8:50-姫次10:20-東野バス停13:05=藤野駅13:30=高尾駅=八王子駅=町田駅=渋沢駅15:30=大倉16:00

2012丹沢登山 1日目

2012-01-15 22:41:46 | 山登り
土曜、日曜と神奈川県の丹沢山に登ってきた。日本百名山の一つであり、2008年1月に登って以来2度目の登山となった。丹沢山(1567m)という山があるが、百名山でいう丹沢山は蛭ケ岳(1673m)や塔ノ岳(1491m)等を含んだ丹沢山塊全体を指す。前回は、吹雪のため蛭ケ岳を目前にして丹沢山に引き返していたので、今回は、蛭ケ岳を含めて丹沢の主要な山々を南から北へ縦走することにした。

今回も、余裕を持って金曜日の夜出発した。夜11時くらいに、東名の鮎沢PAに車を止め車中泊をする。回りは、大型トラックばかり止まっており、エンジンかけっぱなしで排ガス臭かった。我々は、環境のためエンジンは切って寝袋に包まって寝た。翌朝、5時過ぎに起きてPAの食堂で朝食を済ませ、大井松田ICから丹沢の登山口である大倉まで向かった。大倉登山口には、24時間営業のコインパーキングがある。一日最大で800円と良心的な値段だ。


駐車場の目の前には、バス停があり我々が車から出た頃、始発のバスが到着し大勢の登山者を吐き出していた。バス停前には、トイレやレストハウスが完備されており、登山者の登山基地となっている。レストハウスの前から、丹沢へと出発する。


民家の裏道のような細い道を抜けると、ネットで塞がれた場所に出た。鹿避けのネットのようである。ネットを手で掻き揚げ、奥に入っていく。


西山林道に入り、しばらくすると丹沢大山国定公園の看板がある。


大倉から約1時間で表丹沢県民の森の看板がある。この看板から左に下っていくと「黒竜ノ滝」があるようなので、寄り道して見に行った。片道5分の寄り道である。どんな滝かと期待して行ったが、それほど大した滝ではなかった。


再び、林道に戻り先を急ぐ。


林道の左手には、旧登山訓練所の建物が見える。現在は、閉鎖されているようだ。


ほどなく、二俣に着く。ここから鍋割山稜である。看板のナンバーは0番だ。


二俣という事で、左手の鍋割山方向に進む。鍋割山へは、勘七沢を渡って、そのまま林道を進む。山ガールぽっい女性二人連れも先に進んだ。


西山林道終点には、ペットボトルがたくさん置いてある。これは、鍋割山山頂にある鍋割山荘で置いた水入りペットボトルである。山小屋で貴重な水を登山者のボランティアで運んで欲しいという趣旨のようである。我々も、満杯のザックに無理やり1Lのペットボトルを詰め込んで運ぶことにした。水1Lといえば1kgである。この重みは、なかなかあった。


本格的な登山道となり、山道を上っていく。道は、かなり整備されており、きれいな木道になっている道が多い。


鍋割山稜8を通過する。山頂は、11という事らしいので大分気が楽になってきた。


ガスが出てきて、日が射さなくなってきた。道にも雪がちらほら見えてきた。


ほどなく、鍋割山荘に到着する。水のペットボトルもここまでだ。


鍋割山荘名物の鍋焼きうどんを頂く。千円だが、登山者はほぼ全員鍋焼きうどんを注文していた。寒くなってきたので、具たくさんの鍋焼きうどんは体が温まる。汁も美味しく一滴も残さず全部平らげた。


まずは、鍋割山山頂1272mで記念写真を撮る。


木々の霧氷が見事である。




雪道を滑らないよう、慎重に下りる。


尊仏山荘に到着する。大倉尾根からの登山者とも合流する地点であり、大勢の登山者が広場で休憩していた。天気が良ければ、相模湾、富士山など素晴らしい展望の場所だが、生憎天気予報が外れ、丹沢の山の中は、ガスで展望が利かなくっていた。


尊仏山荘前が、塔ノ岳山頂1491mである。


塔ノ岳から、さらに先へ進む。


竜ヶ馬場を通過する。丹沢山まであと0.9kmである。


ほどなく、「日本百名山・丹沢山1567m」の看板前に到着する。


山頂のすぐ前に、この日の宿である「みやま山荘」がある。


みやま山荘は2004年に建替えたようで、きれいな山小屋だ。夕食は、以前泊まった時と同じメニューで焼肉だった。


今回は、2階の寝床はほぼ満室だったが、一人一枚の布団は確保でき、我々のパーティはカーテン付きの個室をあてがわれた。布団は新しく、ホッカホカでぐっすり眠ることができた。

2012丹沢登山 2日目に続く。



冬の土作り

2012-01-13 19:08:39 | 
畑をいじるようになって、初めて冬を越す。まだまだ初心者で、判らないことばかりだが新聞に冬の土作りについて記事が載っていた。

今の時期は、ダイコンとかブロッコリ等を植えてあるが、畑のごく僅かな部分だけを使っており、ほとんど空き地状態である。もったいないので何か植えておいたらいいのかなと思っていたが、この時期は、畑を休ませておくために必要な期間でもあるようだ。

既に昨年末に、耕運機で全体を耕してあり、葉や草も取除いてまっさらな状態となっている。この結果、地中の病原菌や害虫、雑草の種子が地表に出てくるので、冬の厳しい寒さで退治できるというわけである。そして、霜が降りたりして土の塊がほぐされ、排水性と通気性のいい土に変わるそうだ。なるほど、既にその状態になっていたので、このままで良かったのだと納得した。

あとは、石灰を蒔いて土の酸度調節をしておくのがいいという。多くの植物は、PH6前後の弱酸性がいいので、石灰蒔きは重要である。もちろん石灰も蒔いてあり、冬の土作りは万全であった。暇な時に、もう一度耕運機で全体を耕してみるつもりだ。そうすることで、春先から夏にかけて、いい品質の作物が出来そうな予感がしてきた。

佐鳴湖の夕日

2012-01-12 22:26:52 | いろいろ
今日は役所に行く用事ができて、午後から会社を休んだ。
用事は、3時前には済んだ。
そのまま家に帰るのはもったいないので、久しぶりに、佐鳴湖まで走りに行くことにした。

佐鳴湖は、全国ワーストワンの汚染で有名になった湖であるが、
最近は、浄化が進められ、湖はかなりきれいになっているようだ。
野鳥が多く、浜松市民の憩いの公園として休日、平日を問わず多くの市民が散歩やジョギングを楽しんでいる。

佐鳴湖に着いたのは午後3時過ぎだった。さっそくランニングウェアに着替え、湖の周りを走り始めた。
佐鳴湖は一周すると6キロある。まず一周して元の場所に戻った。普通なら、もう一周同じコースを走るのだが
同じ景色を見るのもつまらないので、二週目は逆周りで回ることにした。
同じコースでも、見る方向が違えば新鮮である。

逆周りで、元に戻った頃、夕日が沈みだした。
あまりにもきれいな夕日だったので、カメラを持って、いいアングルの場所まで走った。
遠くの山が、うっすらと赤みを射してきていた。


そして、夕日をと見てみると、湖にオレンジ色の筋を描きながら地平線へと沈んでいった。






今日は、寒い一日だったが、こんな日ほど夕日がきれいに見えるものだ。