とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

「文楽公演」を国立劇場で鑑賞

2011-09-05 20:47:01 | 社会人大学


社会人大学の課外講座で、初めて「文楽」を鑑賞した。社会人大学では、普段縁がないような芸術鑑賞の機会があって刺激になる。今回は、国立劇場開場45周年記念として行われた。

第1部と第2部に分かれて公演があったが、時間の関係で第1部の三演目だけ鑑賞した。
<第一部>10時30分開演
  天下泰平 国土安穏 寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)
  伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)  御殿の段
  近頃河原の達引(ちかごろかわらのたてひき)  堀川猿廻しの段

文楽(ぶんらく)の定義は何だというと、本来操り人形浄瑠璃専門の劇場の名なのだそうだ。しかし、現在、文楽といえば一般に日本の伝統芸能である人形劇の人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)を指す代名詞的存在だという。人形浄瑠璃も文楽も同じ意味だったのだ。

さて、文楽を鑑賞して初めて知ったことだが、これも歌舞伎同様全て男性によって演じられる。演じ手は、三つの役に分かれる。太夫、三味線、人形遣いの「三業(さんぎょう)」で成り立つ三位一体の演芸なのである。

「太夫」
浄瑠璃を語る人である。1人で物語を語るのが基本で、情景描写から始まり多くの登場人物を語り分けるが、長い作品では途中で別の太夫と交代する。今回も長い話では、2名の太夫が交代して登場した。みんな有名な人間国宝の人たちだ。

「三味線 」
三味線を弾く人。大体一人だが、内容によっては二人とか多人数になることもある。こちらも交代がある。

「人形遣い」
昔は1つの人形を1人の人形遣いが操っていたが、現在では3人で操るのが普通である。主遣い(おもづかい)が首と右手、左遣いが左手、足遣いが脚を操作する。「頭」と呼ばれる主遣いの合図によって呼吸を合わせている。通常は黒衣姿で顔を見せないが、重要な場面では主遣いは顔をさらすこともある。今回は、全て主遣いは顔をさらしていた。こちらも人間国宝と呼ばれている人が何人もいるようだ。

さて、演目の内容だが最初の「寿式三番叟」は国土安穏、天下泰平の願い、そして「がんばろう日本」の祈りをこめた演目である。この演目は、特別な格式を持ち、祝賀には欠かせない祝儀曲なのだそうだ。めったに見られないものだそうだが、文楽初心者としては、太夫の声と三味線の音が、まるで心地良い子守唄として聞こえ眠たくて仕方なかった。みんなに聞いてみたら、かなりの人が眠たかったそうだ。

二番目の「伽羅先代萩 御殿の段」は、仙台伊達藩で起こった家督争い、いわゆる「伊達騒動」を題材にした作品で、乳母政岡(まさおか)が自らの子を犠牲にして、悪人一派から幼い主君鶴千代(つるちよ)を守るくだりである。我が子を目の前で殺されても気丈にも顔色ひとつ変えずに若君を守る政岡が、ひとりになってはじめて我が子の死を嘆くあたりが見所である。人形とはいえ、悲しげな動きが涙を誘う場面であった。

三番目は「近頃河原の達引 堀川猿廻しの段」で、お俊伝兵衛の心中の物語だ。堀川猿回しの段ではお俊の兄が二人の門出を祝って猿回しの芸を披露するが、このとき人形遣いは一人で二体の猿を遣う。死出の旅になるかもしれぬ悲しい別れの場面だが、可愛くて軽快に動くお猿さんが見所である。お猿さんが演じる祝言は、二人が少しでも長く生きてほしいという家族の願いが込められているというわけである。

三つの演目を見終わると午後2時半くらいになっていた。眠い場面もあったが、日本の古典芸能の格式ある様子ときめ細かい演出や人形の豪華絢爛な衣装等、日本の素晴らしい芸術を堪能させてもらった。