とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

今日は終戦記念日

2010-08-15 08:38:09 | 政治
先日、テレビで池上彰が終戦記念日と北方領土問題についての解説をやっていた。この人のニュース解説は判りやすい。週刊子供ニュース時代からニュース解説には定評があり、いまやテレビに引っ張りだこの人物だ。

さて、戦前、戦後あたりからの日本の歴史は、私の世代では学校でしっかり教えてもらってない。いい歳になっても、そのあたりの時代背景や経緯を良く知っている人は少ないだろう。今回、終戦記念日についての解説があったが、非常に勉強になった。

まず、終戦記念日の定義づけが国によって違うという事実があることを知った。
いくつか挙げてみると下記のような説がある。

1.1945年8月14日:日本政府が、ポツダム宣言の受諾を連合国各国に通告した日。
2.1945年8月15日:玉音放送(昭和天皇による終戦の詔書の朗読放送)により、日本の降伏が国民に公表された日。
3.1945年9月2日:日本政府が、ポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した日。
4.1952年4月28日:サンフランシスコ講和条約の発効により、国際法上、連合国各国(ソ連等共産主義諸国を除く。)と日本の戦争状態が終結した日。

日本では、1945年(昭和20年)ポツダム宣言を受諾し、8月15日の正午に昭和天皇の「堪ヘ難キヲ堪へ、忍ビ難キヲ忍ビ、以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」の詔勅がラジオで流れ、日本国民に日本の無条件降伏が知らされた日をもって、8月15日を終戦記念日として制定されている。

しかし、イギリスやアメリカ合衆国を初めとする連合国側では、9月2日を対日勝戦記念日として「V-Jデー」と呼び、国際的には、9月2日を終戦の日とする国が多いそうだ。

この終戦記念日の解釈の違いが、日本の北方領土問題に起因していたという話は、実に興味深い話だ。日本がポツダム宣言を受諾したのが、1945年8月14日だ。ポツダム宣言とはアメリカ合衆国、中華民国および英国の首脳が、1945年(昭和20年)7月26日に大日本帝国(日本)に対して発した、第二次世界大戦(大東亜戦争、太平洋戦争)に関し、「全日本軍の無条件降伏」等を求めた宣言である。日本が、受諾したのは戦争をやめますということである。ポツダム宣言の声明を発表したのは米国、英国と中華民国の3カ国であり、この時会談に加わっていたソ連は、日本に対して中立条約を結んでいたので宣言に加わっていない。しかし、ソ連は日本がポツダム宣言の受諾を決定した後、中立条約を一方的に破棄して1945年8月28日から9月5日にかけて北方領土に上陸し占領した。ソ連の言い分は、降伏文書に調印するまでは戦争状態が続いているというわけだ。長崎、広島への原爆投下と終戦で国の行方が見えなくなっているどさくさにまぎれて、ソ連が日本の領土を強引に奪おうとした意図が見えなくもない。下手をすれば、北海道までソ連に占領されていたかもしれないのだ。日本人としては、弱い立場でいる国に一方的に攻め込んでくるなんて理不尽としか思えない気分になった。ただ、同じようなことを日本の軍隊もやっていたのであろう。未だに、韓国や中国とも終戦についての決着はしっかり出来ていないのだ。北方領土問題は、過去に何度か進展の兆しはあったが、未だに未解決の問題である。日露平和条約が未だに結ばれていないのは、北方領土問題があるからで、日本とロシア間では正式に戦争が終結しているわけではないのである。

余談だが、戦争の呼び方についても国によって違いがあるそうだ。いろんな呼び方があって勉強になった。

「第2次世界大戦」ドイツ、イタリア、大日本帝国の三国同盟を中心とする枢軸国陣営とイギリス、フランス、アメリカ、ソ連、中華民国などの連合国陣営との間で戦われた、全世界的規模の戦争をいうが、主にヨーロッパでの戦争をさすことが多い。
「大東亜戦争」これは、もっぱら日本陸軍が考え出した呼び方である。東アジアを一つの地域とする大東亜新秩序建設を目的とする戦争を意味している。
「太平洋戦争」これは、連合国側のアメリカによって定着した名称である。主戦場が太平洋地域であったことに因むとされる。