prisoner's BLOG

見た映画のメモと、ツイッターのスクラップで出来ています。

アカデミー賞

2005年02月28日 | 映画
WOWOWでアカデミー賞の授賞式の生中継を見る。
かなりの程度で、予想が当る。モーガン・フリーマンにケイト・ブランシェットは、実績十分だから当然。
裏方をステージの上に並ばせたり、プレゼンターを客席に立たせたりといった演出は、ライトが当るところと当らないところの差を縮めようしているよう。悪くない。

ジエイミー・フォックスは大本命だから当っても自慢にはならないが、ヒラリー・スワンクの受賞予想が当ったもので、これはだいたい予想通りかなと思っていたら、大詰めの監督、作品が「アビエイター」というこっちの予想を覆して「ミリオンダラー・ベイビー」。「ミスティック・リバー」に続く合わせ技一本といったところか。

質はまず間違いなく「アビエイター」より上だろうけれど、こちらのセンスだと受賞済みの人は外したくなるのだが、あっちの感覚だと去年の実績は過去のもの、関係ないということみたい。

イーストウッドの母親が出席しているのにびっくり。
考えてみると、今のイーストウッド、「乱」を撮った頃の黒澤明とほぼ同い年なのだ。

Scorseseの発音、どう聞いてもスコセージでスコセッシとは思えないのだが、また外れ。
名誉賞のシドニー・ルメットはニューヨーク派の先輩だが、あれだけの実績があって監督賞はとっていない。アメリカ国内でも東は東、西は西というか、溝はけっこう深いみたい。


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役にたたない機能追加

2005年02月28日 | Weblog
郵便局に振込みに行くと、おつりでわざわざ「2000円札ですが、よろしいでしょうか」と言われる。
一瞬、新札かと思ってなんでそんなこと聞くのだろう、と思って受け取った見なれない札を見て、ああコレは新しくはなってないのだなと今更ながら気付く。
それにしても、未だに2000円札使えないATM・自動販売機多いねえ。自然に消えてなくなるのを待っているみたいだ。

このgooのブログのアドバンス機能で試しにアクセス解析をしているのだが、翌日の9時を過ぎても結果がわからない。こんなのじゃ、しょうがないね。
ただのアクセスカウントとアクセス解析の数が合わないなんてことも、たびたびだし。


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「オペラ座の怪人」

2005年02月27日 | 映画
舞台版は見ていません。
音楽はいい曲はいいけれども、流しっぱなしだとダレるナンバーも出てくる。

怪人がヒロインを地下世界に誘う場面で燭台を握った人間の腕がずらっと壁から生えて案内するように動くのは、「美女と野獣」(ジャン・コクトー版)みたい。

装置・衣装が豪勢な割にイギリスのスタジオで撮ったせいか今一つ味付け不足。「パリ」って感じではないのだね。

また、というか、戸田奈津子せんせいの誤訳が指摘されてますねえ。
passion playは「情熱のプレイ」じゃなくて「受難劇」だとか。なんとかならんか。
(☆☆☆★)

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確定申告

2005年02月26日 | Weblog
確定申告用に領収書の類を整理していたら、おととしの源泉徴収票が出てくる。
問い合わせたら申告すればいくらかでも戻ってくるそうなので、しきりと仲間由紀恵のCMでやっているホームページによる申告をしようとしたら、CMとは違ってちっともうまくいかない。やっとプリントできそうになったと思ったら、今度はインク切れ。結局税務署まで行かないといけないみたい。ああメンどい。


画像は、「ウルトラセブン」幻の12話「遊星より愛をこめて」のスペル星人。


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「アレキサンダー」

2005年02月26日 | 映画
オリバー・ストーンって、ワルクチ言いながら権力(者)好きなのねえ。歴史劇でもやっていることは現代の社会派(風)の作品と一緒。
鷹のシンボリックな扱いなど、作者の方が天翔ているつもりみたいで、なんだか気恥ずかしい。

アレキサンダーがマザコン兼ファザコンでオカマみたい。色々なコンプレックスを詰め込んでその反動で世界を征服してまわりました、とでもいった陳腐な解釈を大袈裟に描いている。
兵を苦しめて暴走しているようにしか見えないかと思うと、ラストでいきなり偉人のように歌い上げ、上げたり下げたり忙しいこと。

戦闘シーンは大がかりだが整理不足でどっちがどっちだかわからない。
描写は血なまぐさく、馬や象まで血まみれになるなんて初めて見た。エンドタイトルで「この映画の製作で動物は傷つけられていません」という定番の断り書きがわざわざ枠で囲って示され、日本語字幕までついている。画面だけ見ていると本当に馬が槍で刺されているようにしか見えないものね。
(☆☆☆)


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追跡『第三の男』

2005年02月24日 | Weblog
第三の男

アイ・ヴィー・シー

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NHK-BS2にて「追跡『第三の男』」を見る。

もう60年近く前の作品だが、未だにこういう番組が作られるのだから驚き。
ウィーン全体で照明器具が四つしかなかったとか、トレバー・ハワードの役名キャロウェイが当時ウィーンを占領していたイギリス軍のギャロウェイ少将からとったものだとか、アパートの管理人をやっていたパウル・ヘルビガーが現地では人気スターで、ロケ地を借りるのにウェルズやコットンの名前を出してもダメだったのにヘルビガーの名前を使ったらどこも1発だったとか、セルズニックやキャロル・リードがアンフェタミンを使ってたとか(日本でも深夜・徹夜の撮影が続いたものでヒロポンを使う映画人は多かった)、オーソン・ウェルズが下水道に漬かる演技を嫌ったもので、そういうカットはみんな代役だとか、いろいろ面白いネタがいっぱい。

ふとんにくるまって文句ばかり言っている婆さん役の人の名前は、Hedwig Bleibtreu。どこか無気味な子供をやっていたヘルベルト・ハルビクが爺さんになって登場、ちゃんと面影があるから驚き。

題材といい、集まっている人材の出身地の幅広さといい、改めてこの映画の国際性を思う。
番組とすると映画のシーンを変にいじって挿入しているのは目障りな感じ。

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「パイラン ~『ラブ・レター』より」

2005年02月23日 | 映画
浅田次郎原作「ラブ・レター」を韓国を舞台に翻案している。日本では中井貴一主演で映画化されていて、未見だが、ここでのチェ・ミンシクほどみじめさに徹していたかどうか。
ついに二人が顔を合わせることがないとはいえ、女のイノセンスぶりといい、男がラスト近くで泣く姿といい「道」のジェルソミーナとザンパノみたいな人物設定。

韓国にとっても、中国人との偽装結婚というのはありうる話らしい。こっちはどうしてもごっちゃにして見てしまっていたが。
ラストはやや作り過ぎの印象。
(☆☆☆★)

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「ライフ・イズ・コメディ! ピーター・セラーズの愛し方」

2005年02月22日 | 映画
ジェフリー・ラッシュはピーター・セラーズにあまり似ていないが、素顔のセラーズは見ているこっちにはわからないし、もともと“素顔”のない男として描くのが狙いだから、それほど問題にはならない。

ラッシュがセラーズが演じたさまざまな顔をさらに演じていくと、まるで逃げ水のように“実像”が逃げていく。
しまいにはセラーズの両親など周囲の人間まで演じて、セラーズについてのコメントを発したりする。虚実皮膜ならぬ虚虚皮膜の間という感じで、これだけ凝って演じるのだったら、逆にラッシュその人までさらけ出してよかったのではないか。

私はクライマックスに置かれている「チャンス」being thereを映画化される前に原作(イエールジ・コジンスキー)を読んでいたが、映画化できるとはまったく思わなかった。生まれた時から一つの屋敷から出たことがなく、外界はテレビを通じてしか知らない男の役など誰がやるのかと思う。だから映画化されたのにも驚いたが、その出来映えにはもっと驚いた。
畢生の名演、というか、演技がまったく見えない演技です。

脱線するが、この男のモデルは作者のコジンスキー自身。金持ちの未亡人と結婚していた時期、テレビを見る以外何もしていなかった生活を元にしたという。
こういうウソみたいなホントってあるのだね。

さらに余談だが、セラーズはやらせドキュメンタリーの元祖であるところの「民族の祭典」ほかのレニ・リーフェンシュタールが批判の嵐を浴びていた時に擁護する立場をとったことがある。ウソが好きなのか。

全体とすると、表面的な印象。
一番人工的なストレンジラブ博士の役を借りて母親に思うところをぶちまけるシーンが、逆に一番本音が出ていたみたい。

ソフィア・ローレンやスタンリー・キューブリックがまるで似ていないのは、ちと興醒め。
(☆☆☆)

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「サスペクト・ゼロ」

2005年02月22日 | 映画
ジョン・ソールの「暗い森の少女」あたりと同様に、殺人者の犯行を見てしまう超能力者の苦悩と悲劇を描いているのだが、困るのはそれをまた超能力者の捜査官の眼を通して描いているので随分とまわりくどいものになっていて、ベン・キングスレーをもってしても十分に表現できたとはいえない。
テレパシーで見ている人間と見られている情景とのカットバックと普通のカットバックとの見分けがつきにくいので、誰がどこで何しているのかわかりにくい。ストーリーの都合上伏せているところがあるので、なおのこと。

クライマックスの荒野に音楽がちらっとインディアン調になるのは、呪術にでも使うのか石を螺旋状に並べてある真ん中に格闘した直後の二人がいるのを俯瞰で撮ったカット(全然石の並びが乱れていないのは変)からしても精神世界つながりだろうか。
(☆☆☆)

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「あやかしの壷」

2005年02月21日 | Weblog
門前仲町の門仲天井ホールにて「あやかしの壷」公演。
壷の中から出てきた妖怪(演じる七海明美が宣伝美術も担当)が太めでころころしていて女性客に「かわいいっ」とウケていた。あやかしというから幻想味やさもなければコメディ風かと思ったら、かなり湿気の強い作り。出演者が女性3人だけ。

開演前に使い捨てカイロ、終演後にピーナッツをもらう。

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「レイ Ray」

2005年02月20日 | 映画
なんといってもジェイミー・フォックスのレイ・チャールズが、似てるって段ではない。「ガンジー」のベン・キングスレー並み。
もともと物真似をやっていた人だというが、歌もピアノ演奏も盲目の表現も、それからさまざまなコンプレックスや人間的な弱点の描出に至るまで、よくもまあと思わせる演技。
他の候補を見ないでいうのもなんだが、この人がオスカー取りそうな気がする。

サクセス・ストーリーに絡めて身障者・人種差別や、女性関係や麻薬中毒、ビジネス上の裏切りや抜け駆け、あと音楽の映画的処理等などの要素をほぼ過不足なく揃えているが、プラスアルファの部分である母親へのコンプレックスが、クライマックスに置かれるにはやや魅力と独創性不足。

ちらっと写るだけの場面で水着を含めた衣装や車などいちいち時代色を出しているのは、贅沢な見もの。
(☆☆☆★★★)

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ウチとヨソ

2005年02月19日 | Weblog
日本アカデミー賞の発表があったらしい。授賞式の司会が関口宏という段階で見ないことにしているが、作品賞が「半落ち」というのに、相変わらず東映作品は組織票があるから強いなと思う。これまでの授賞歴を見ていればわかること。
他の結果を見ても、相変わらずどこかズレている。

そういえば、「誰も知らない」がアメリカのアカデミー賞外国語作品賞部門の日本代表になった時(結果、ノミネートされず)、是枝裕和監督が「外の作品」が代表になったのは79年の「泥の河」以来とおエライさんに聞かされて、「外」という意味がわからなかったという。つまり“大手”映画会社以外という意味。バカではないか。とっくの昔に製作は外部のプロダクションに任せて安全な配給だけに限っているのに。

話はとぶが、ライブドアのニッポン放送株取得について政財界から批判相次ぐという話にも、センスの古さを感じる。株を上場している以上、誰が買おうと文句を言えた立場ではないだろう。フジテレビ会長ほかが「金さえあれば何をしてもいいのか」って言ったというが、自分だって株を独占しようとしていたのに、よく言えると思う。
第一、「金さえあれば」とか「数字さえとれば」という“風潮”は今の政財界が作ったものではないのか。
独占体制にあぐらをかいて、それが当たり前だと驕っているから、たまに当たり前ではないと知らされると逆ギレしているとしか見えない。ガキっぽい。

放送事業者は外国企業の株を取得できないようにするという法案が提出されるとかいう。それを聞いて逆に今のマスコミの一枚岩を見ていると、逆に外国企業に身売りして「外の眼」が入ってきた方がいいと思った。

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「北の零年」

2005年02月19日 | 映画
吉永小百合の座長芝居みたい。
他の登場人物が時代の変化によって大きく変動する中、一人だけブレずに全体の要になっているが、その分単調。
ラストでは一同をバックに御挨拶みたいな正面切った決め台詞まである。もっとも芝居と違ってカメラのレンズが寄るとさすがに苦しい。

もっとも、その他大勢の変化がキャラクターのさまざまな面を見せるという具合に必ずしもうまくつながらず、場面によってバラバラ。バックグラウンドの書き込みと膨らみがあまりないからだろうか。
食うにも事欠く状況を今の日本人の肉体で表現するのは、まず無理。

よく考えると、一つの集落とその周辺の話なのだが、このくらいの規模の方が映画ではスケール感が出るみたい。でかくしすぎると書き割りみたいになってしまうので。
オープンセットや四季に渡るロケーション等、丁寧なスタッフの仕事ぶりが見もの。故・篠田昇キャメラマンの名前がなぜかエンド・タイトルに特に職能抜きで出るが、ときどきディフュージョンや色あいなど篠田調の画面が混じる。

西洋人(踊りからしてスコットランド人)(後註・実在の人物エドウィン・ダン)は英語を喋っていて、アイヌが日本語を喋るってなんだ、しかも豊川悦司が演じるっていうのはどうも、などと思っていると実はアイヌに触れるのは避けている。実際問題として今の日本のスタッフでアイヌの生活をリアルに描くのは不可能だから安全パイなのか知らないが、アイヌが前から住んでいるという視点が完全に抜けているあたり、アメリカの西部劇でいうなら60年代以前のセンス。「零」年って、それまで蝦夷地に人がいなかったみたい。
(☆☆☆)



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「呪怨 THE JUON」

2005年02月17日 | 映画
製作に加わった知人に聞いたところでは、アメリカ側の注文はポップコーン・ムービー、つまりアメリカのティーンがポップコーンを食べながらはしゃいで見るものを、ということだったらしい。
だからCGとか特殊メイクとかもっとガンガン使うかと思ったら、画面の質などとともに技術的な仕上げは良くなっているけれど、目覚ましい違いはない。
それとも、あっちの連中はこれ見てキャーキャー言うのかな。まあ、もともとストーリーはあってないようなもので、お化け屋敷でワッと脅かすような作りですからね。

場面場面がほとんどオリジナルと同じで、キャストだけ外人になっているものだから、なんだかパロディみたいに見える。
白塗りの男の子と四つん這い下着女も、お馴染みさんになっちゃってるから今更コワくない。
「13日の金曜日」のジェイソンみたいにアイドル化していくのだろうか。というか、もうなっている。日本でも、俊雄くん人形が売られてたりしてましたものね。

ピーター(ビル・プルマン)が伽椰子と関係あると新聞の同じ紙面を見ただけでわかるのは、なんで? 自殺したという以外に、なんか関係あると書いていた?
家の中で灯油まいて火をつけて火事にならない(らしい)って、なんで?
惨劇の原因を描いて理由付けしている割に、全体としてスジが通っていない。

不思議なことに、基本的には日本人スタッフによる日本の風景が、キャストが変わると“外人の眼から見た日本”じみて見える。
サラ・ミシェル・ゲラーがなぜかカップラーメンの蓋を破いて中を嗅いでから買うし(どういう意味? 商品を傷つけていいの? レジの店員は見過ごしたのか?)、石橋凌の刑事がなぜかいかにも日本人風にオジギをするし。

どうでもいいけど、元の惨劇が起きた「佐伯家」って佐伯日菜子からとったのではないか。
劇場版の「2」で「ホラー・クイーン」なんて表現出てきたし。

オープニングの設定を説明するタイトルの日本語字幕が、英語字幕でgrudgeなどだけ赤くなって消えるのに合わせて「呪い」という文字が赤く残るのは、気がきいている。
オリジナルでところどころに挟まっていた人物の名前だけ白い黒画面が、ただの黒画面になっているのだけれど、字がないと黒が締まらないのだね。
字、特に漢字はどこか怪しい感じがある。

なお、全米で日本人監督初のNo.1というのは、「ポケットモンスター」の湯山邦彦監督のはず。
(☆☆★★★)




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「アメリカン・ガン」

2005年02月17日 | 映画
ジェームズ・コバーンの遺作。
娘をピストル強盗に殺された老いた父親が、そのピストルの持ち主を追う過程にアメリカのさまざまな銃にまつわるシーンがちりばめられる。理不尽な暴力で肉親を失った遺族の苦悩を描いて、銃社会を批判しているわけだな、しかしコバーンが若い頃出征して戦場で戦友を誤射してしまうエピソードなどなんか余計だなあと思っていたら、それがラスト本筋と関係してくる。
だが、ネタばらしになるから書かないが、そのくっつけ方が作り過ぎで元の設定をブチ壊してしまっていて索然とさせられた。
もっぱらコバーンの渋さに支えられた一編。
(☆☆★★★)

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