prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

2008年8月に読んだ本

2008年08月31日 | 映画
prisoner's books
2008年08月
アイテム数:16
映画、出前します
河崎 義祐
08月10日{book['rank']
コラムの花道―2007傑作選
TBSラジオ ストリーム,小西 克哉,松本 ともこ,吉田 豪,町山 智浩,勝谷 誠彦,辛酸 なめ子,石原 壮一郎,阿曽山 大噴火
08月15日{book['rank']
小津ごのみ
中野 翠
08月22日{book['rank']
芦原英幸伝 我が父、その魂
芦原 英典,小島 一志
08月23日{book['rank']
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没後10年 黒澤明特集 脚本家・橋本忍が語る黒澤明~“七人の侍”誕生の軌跡~

2008年08月29日 | 映画
基本的には「複眼の映像 私と黒澤明」で描かれている内容とほぼ一緒なのだが、「七人の侍」の油絵でいうなら初に描かれて後に隠された下絵にあたる「侍の一日」の後半の盛り上がりを橋本忍当人の語りで、まるで目に見えるようにありありと語られるのを聞けたのが大きな収穫。

それにしても、十年以上入退院を繰り返していたとは思えない90歳にしてメリハリの利いた口調に驚く。

シナリオを共作して、それで誰の書いたものを選ぶのか、というところで「生きる」「七人の侍」では小国英雄が自分では決して書かずにジャッジ役に徹した、リーダーの言うことだからと黒澤を含めたライターがそれに従った、といういうあたり、何やら溝口健二が決して自分では書かず、ひたすら書き手を絞りあげたのとちょっと似ている。小国が黒澤より6歳年上だから成り立ったとも言えるけれど、ジャッジ役が黒澤に移ったあたりからややバランスが崩れてきたようにも思える。

ちなみに、橋本忍は黒澤より8歳年下。
「乱」をプロデュースした原正人氏は、共同作業できるのは年の差十歳まで、と語っていたけれど、常識的にもそれくらいだろうと思う。


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「放射能X」

2008年08月28日 | 映画

オープニングの構成が「空の大怪獣・ラドン」で焼きなおされているので有名な映画。ただし、巨大な虫だけでなく、さらにそれを餌にしているラドンを見せて比較することで巨大感を出しているのは日本製のオリジナルな工夫。
他にもアリの習性を生かしているあたりは「ガメラ2 レギオン襲来」、壊れた人形を抱えた少女や女王アリの巣を焼き払うあたりは「エイリアン2」と、ずいぶん影響は大きい。

美人昆虫学者のジョアン・ウェルドンが飛行機から降りてくる時、わざわざハイヒールを履いた脚だけ見せてから紹介するのがいかにもなお色気サービスぶりで可笑しい。砂漠歩くのにハイヒール履いてくることないと思うのだが。
女王アリの飛行シーンなどは当時の技術では映像化できなかったとみえ、セリフで描写するのでちょっとダレる。

アリの鳴き声が割とセミの鳴き声に似ていて、西洋人は虫の鳴き声を美しいと感じないというウソっぽい俗説が頭をかすめたが、この場合美しい声だから怖い、という気がする。

作られたのは1954年、つまり「ゴジラ」と同じ年。「ゴジラ」そのものは「原子怪獣現わる」(1953)を参考にしているわけだが、たとえば当局が事件を隠し通そうとして、精神病院に入れられている目撃者を隔離したまま秘密を守ろうとするのを特に批判的でなく描いているのは、やはり原爆を落として保有している側の感覚。
(☆☆☆★)


「バリー・リンドン」

2008年08月27日 | 映画

12インチの旧式のブラウン管テレビで、つまりこの映画史上最高の映像美を誇る映画を見る条件としてはあまり良くない条件で見たのだが、その割りに面白さが不思議なくらい減衰しなかった。

映像と音楽のすばらしさだけで持っている映画、というわけでもないと思う。話法も、この記事「スタンリー・キューブリック監督の右腕として25年仕事をしてきたレオン・ヴィタリ」で語られているようにまずシーンと演技をカメラワークに先行させているか、というか。

バリーと決闘して負けて借金を「払います」とバカに素直に言う貴族をやっているのは、スティーブン・バーコフ。「ランボー・怒りの脱出」のロシア将校なんてやってたけれど、舞台演出家としてカフカの「変身」なんて日本公演やってました。

ライアン・オニールのその後については、こちらのポッドキャストの後半でどうぞ。

「ゴッドファーザー PartIII」

2008年08月24日 | 映画

公開当時からマイケル・コルレオーネの娘役ソフィア・コッポラの芝居の評判は悪かったけれど、監督として才女気取りの作品を発表するようになったもので、ますます見ていてひっかかる。

クライマックスの「カヴァレリーア・ルスティカーナ」(田舎の騎士道、という意味)の舞台上の女が黒いケープを頭からかぶるのだが、舞台が終わって娘が殺された後、タリア・シャイアが同じようにケープを頭からかぶる。冒頭の叙勲式でマイケルは二級騎士の称号を受けるのだが、舞台と現実とを微妙に意味を重ねているのはわかるが、どういう意味かまでは勉強不足でわからない。

ロバート・デュバルのトム・ヘイゲンが抜けているのはやはり苦しい。当初のストーリーだとトムが殺されて、いやでもまた裏世界に戻っていかざるを得なくなるという予定だった(やたらと色んなプランがあったので、そのひとつに過ぎないが)らしいけれど、死んだ設定にはなっているのね。



「崖の上のポニョ」

2008年08月23日 | 映画
オープニング、普通に海の上に浮かんでいる型の船が海の中にいて、しかも海の泡が水の中に空気があるのか空気の中にぷよぷよした水の塊があるのか、どっちとも見える画を見て、こりゃ水の中と外とがはっきり分かれていない世界を描こうとしているのか、と思う。
このあたり、一見して近いモチーフの「ファインディング・ニモ」とはっきり違うところ。

水の外の世界の描写を見ても、道や建物などフリーハンドの線で描いているせいか、特に自動車が走るカットでパースが微妙に狂っているのがわかる。あと、水の線が普段でも異様に高い。あと、海水でいきていたポニョが淡水にいきなり入れられても平気でいる。つまり論理的というかロゴス的な整合性とは別な法則、というか世界像で成り立っている。

視覚的な意味での遠近法だけでなく、人間と人間以外、海と陸、生と死といった要素が順序立てて遠近法的に(つまり人間中心的に)配列されているのではなく、互いに入れ子になって混ざっているよう。

それが一気に炸裂するのが嵐の描写から後で、陸上の世界だった道路や建物の上で泳いでいる魚がやたらと奇妙な形をしているののが多いこと、深海や大昔の海までが混ざりこんでいるかと思わせる。

ポニョが人魚から人面魚、それから人間の姿を行き来するのがその典型ということになる。人面魚といっても、鳥のような足をしているあたり、爬虫類の感じも混ざっているし、「ハウルの動く城」の城も鳥の足をつけていたな、と思わせる。あれはロシアの魔女のバーバ・ヤーガの住む小屋から取ったのかと思ったが。

こういう幽明定かならない世界は、年をとってぱっと飛躍する時に割りと見られる。世評にしきりと年寄り扱いして排撃しようとする向きがまま見られるあたり、かつての黒澤明の扱いと同じ。そういうのは言う側の根拠のない若さ自慢、というより傲慢と未成熟しか実は語っていないのだが。

エンド・タイトル、宮崎駿の名前は大勢のスタッフの中に混ざって特に目立たないように現れる。「マジック・アワー」の三谷幸喜もそうだが、イヤでも宣伝の中心になる人はそうやってバランスをとりたがるみたい。
(☆☆☆★★)


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「夕凪の街 桜の国」

2008年08月22日 | 映画

被爆者一世と二世の親子の話を交錯させ、シーンによっては過去と現在の人物が同じ画面に収まる、昔だったら「野いちご」あたりのアートフィルムでないと使わなかったかなり高度な表現を使っているのだが、まったく難しい感じなしにこなれている。過去を色を抜いた画調にして、田中麗奈に鮮やかなオレンジ色のジャケットを着せているコントラストを強調して色彩設計が効果的。

原爆の惨禍が直接死んだ人たちだけでなく、生き続けている人間さらにはその子孫にまで累を及ぼすのをぱっと見てわかる画にしている。
ただないものねだりをすると、これ原爆の何たるかを知らないインテリではないアメリカ人が見て何らかの感慨持つだろうか。

「TOKKO -特攻-」

2008年08月15日 | 映画


日系アメリカ人の監督リサ・モリモトが元特攻隊員たちとアメリカ側の兵士たちの証言を中心にして構成したドキュメンタリー。

証言自体は貴重なものだけれど、笠原和夫「昭和の劇」で語られている出撃に出る前夜の特攻隊員が一秒たりともムダにはできないという感じでじいっと蝋燭の炎を囲んで見つめ続けていたとか、希望するか熱望するかの選択肢しかなくて断るなどありえなかったとか、特攻に出たら二階級特進になって両親がもらえる遺族年金が増える(その背後にある日本の貧しさ!)とかいったビビッドに突っ込んだところが割りと少なく、NHKスペシャルあたりとそれほど印象が変わらない。

BBCだったかで作られた日本の右翼のドキュメンタリーで、右翼の構成員のかなりの割合が天皇制のもとで差別されているはずの在日や部落民であることをはっきり指摘したものがあったというが、そういう外国人(日系だが)だから描ける日本像といったものはそれほど感じなかった。







「鏡心」

2008年08月11日 | 映画

3Dサウンド版っていっても、話半分の売り物だろうと思って見て(聞いて)凄いのでびっくり。音の使い方だけに限ったらタルコフスキー・クラス(題名からして、タルコフスキーの「鏡」を意識しているのではないか)。
特別高級なシステムで聞いているわけではないのだが、特典映像でむしろコンパクトな家庭用システムの方がホールよりいい音声を出せるかもしれないとミキシング担当者が語っていた。

同じ特典映像で、基本的にはMacのG5で普通に使えるソフトしか使っておらず、特別なソフトは使っていない(実はハリウッドだって同じものを使っている)とはいえ、センスとコツというものは当然ものをいう。確かに比べて聞いてみると、明らかに違うのだから、不思議なもの。
カメラは35万円、スタッフは5人と、完全に自主制作スタイルなのに、映像と音響のクオリティはここまでできるものかと思う。もともと自主映画出身の石井聰互としたら、原点に帰ったとも言える。

もっとも、映画そのものはあまり感心しない。風景撮っている時はいいのに、人間が出てくるとがたっと緊張が緩む。
(☆☆☆)


オリンピック開会式

2008年08月09日 | 映画
張芸謀はリーフェンシュタールになったなあ、と思った。褒めてんじゃありませんよ、念のため。
国民党の兵士の息子で「黒五類」だった男が「出世」したもの。文革で下放されていたので映画大学に願書を出した時はすでに27歳、当時は年齢制限にひっかかるはずが、それまで撮りためていた写真を見せて合格したというのが表向き、実は当時の奥さんが理事の親戚だったのです、と中国人の映画関係者に聞いたことがある。

かつて、撮影監督として陳凱歌と組んで(今、完全に両者は派閥化しているらしいが)「大閲兵」('85)を撮ったのは何だったのかな、と思う。当時からマッスの撮り方を荻昌弘にリーフェンシュタールに喩えられたりしていたのだが。
同作で共産党大会のパレードの行進のためたった54歩を行進するのに中国を縦断するほどの距離を訓練で歩く、そのムダぶりを描いていたのだが、その何千、何万倍かのエネルギーが今回注がれたことだろう。バカみたい、と過去の作品に言われそうだ。

子供の使い方が臭いのに辟易する。中国の発明のうち、火薬が入ってないのは何でだろう。花火がその代わり、というわけか。


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「クライマーズ・ハイ」

2008年08月08日 | 映画
劇中言及されるカーク・ダグラス主演の新聞記者の映画というのは、当然ビリー・ワイルダー監督の「地獄の英雄」(51)のことだろう。ただし出世のためにつかんだネタを勝手にどんどん大げさに仕立てていく記者で、主人公とは正反対。

「大統領の陰謀」のワシントン・ポストほど大がかりでなくても新聞社内のセットがよくできていて、縦横にカメラが動き回り、どこを写してもびっちり役者が芝居している画面の密度が見もの。
新聞記者たちが、いざとなると上役にも食ってかかり、上役も見込みがありそうなネタを持って来ると行きがかりを捨てて応対する。部分的にだが日本的でない会社組織のあり方が描かれている。

堤真一の擬似的な父親役である新聞社長の山崎努のもとを離れるまでの過去のドラマと、現在疎遠になっている実の息子と山登りでハイになっている状態で(息子の姿を見せないまま)メッセージを授受するのが交錯する構成で、若干頭でくっつけている印象。
(☆☆☆★)

クライマーズ・ハイ - goo映画

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「ダーティハリー」

2008年08月06日 | 映画


冒頭、水着で泳いでいる若い女が撃たれるところから始まるので暑い季節かと思うと、ハリーはジャケットの下にベストを着込んでいる。シーンが進むとベストは脱ぐようになるが、サンフランシスコが舞台のせいか、なんか季節がよくわからない。
ジャケットに肘当てをつけているのは、お気に入りの服からだろうか。「3」で、地面にジャケット姿で腹ばいになるよう命じられて、気にいってる服だとか言ってゴネるシーンとかありましたしね。

「さそり」がパラシュート部隊で使う靴を履いているのは、監督のドン・シーゲルが意識的にやったとインタビューで答えた唯一の性格描写だが、他にも部屋にW・C・フィールズのポスターが貼ってあったり、入るバーの名がRoaring Twenties(米国の狂騒の1920年代)だったりと、妙に回顧主義的。あと、ベルトのバックルが蜘蛛の巣みたいな変てこなでデザインだが、何なのだろう。

ハリーの相棒のメキシコ系のチコ・ゴンザレスの奥さんが金髪の白人美人。大学で社会学の学位と教師の免状を取っているという設定だから、秀才なのでしょうね。少し大げさだが、トロフィー・ワイフというのか。

「モロッコへの道」

2008年08月03日 | 映画
楽屋オチ、というか、ものものしい言葉を使うとメタフィクションを日本に持ち込んだ映画ということになるらしく、当時(42年製作・47年日本公開)見た小林信彦には大ショックだったらしい。「パラマウントとは五年契約だから役を下ろしたりしない」とか「われわれの行く手にはドロシー・ラムーアが待っている」とか、登場人物が自分たちが「映画の中の存在」であることを知っているわけね。ウディ・アレンがこれを見て映画を志したとか、「イシュタール」なんて模作が作られたりもしている。
が、それだけに今見ると印象は薄い。先日亡くなった赤塚不二夫の方がよほど過激なギャグを連発していた。
(☆☆☆)


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「ガンダーラ」

2008年08月02日 | 映画

未来世界ガンダーラが改造された人間に襲撃を受け、旅立った勇者がその正体を突き止めて、という話なのだが、あまりストーリーラインがはっきりしないし、勇者という割に大したことしないし、絵もあまり動いていない。改造人間の奇怪なデザインは一応見もの。もっとも諸星大二郎あたりを読んでいると、さほど驚きはしない。
(☆☆★★★)

「ベルヴィル・ランデブー」

2008年08月01日 | 映画

オープニング、スウィングを演奏するジャンゴ・ラインハルトが似顔で出てくるのでうれしくなるが、そのすぐ後にフレッド・アステアが出てきて、なぜかそのタップ・シューズが怪物化してアステアを食べてしまうというのに引いてしまう。意味がよくわからんし、ギャグのつもりだとしても、ずいぶん悪趣味。

キャラクターデザインや背景画などのセンスは面白いけれど、なかなか話が見えてこない構成といい、あまり意味があるとも思えないグロ趣味が出てきたりで、不必要にスゴんでいる印象。
(☆☆☆)