prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「羅小黒戦記(ロシャオヘイセンキ) ぼくが選ぶ未来」

2020年11月30日 | 映画
中国のシリーズものアニメの劇場版という割に絵柄も動きのつけ方も日本のアニメと似ていて、輪郭線がフラットだったりするが、日本製といってもあまり見分けはつかないのではないか。
アクションシーンもCGの取り入れ方も堂に入ったもの。ただ「見慣れた」アニメに近いというのはないものねだりではあるが物足りない気もする。

元のシリーズものは見ていないので、日本のシリーズものアニメの劇場版をいきなり見るのと同様に基本的な設定がよくわからないが、エコロジーっぽいテーマも出てくるのも宮崎アニメの遠縁みたい(中国製だからといっていちいち揶揄するにも及ぶまい)で、割りと常識的な線に従っているので、丸っきり当惑することはない。
キャラクターが小さく可愛いのから人間型、巨大で狂暴な感じと変化するのも日本のアニメっぽい。

ラストの竜宮城みたいな場所が理想境みたいに扱われたら興ざめだなと思ったらそうはならずほっとする。





「THE CROSSING 香港と大陸をまたぐ少女」

2020年11月29日 | 映画
深圳に住み香港の学校に行き来する16歳の女の子が、深圳では禁制になっているiPhoneを運んで小遣い稼ぎをするのだが、それがどの程度犯罪性があるのか、危険なのかどうか中国の事情をよく知らない者にはつかみづらい。
それ以前に深圳と香港が隣接しているのはなんとなく知っていたが、イメージがあまりなかった。
列車に乗り込む際の検問など、違う国のようでもある(それを中国共産党は同化していっているわけだが)。

山の上から香港の街を見下ろす風景とごちゃごちゃした迷路のような下町のコントラスト、行き来する列車の中で窓に映った女の子の姿などのイメージが多くのものを物語る。

パックしたiphoneをテープでつないで鎧みたいにして服の下の肌に貼り付ける姿というのは、「ミッドナイトエクスプレス」ハシシ密輸の図みたい。
メタファーとしての意味もあるのかもしれない。




11月28日のつぶやき

2020年11月28日 | Weblog

「ばるぼら」

2020年11月28日 | 映画
初めのうち稲垣吾郎の人気作家がワープロで執筆していたのが途中から万年筆を使うようになったり(左利きなのがはっきりわかる)、音楽聞くのにLPを使ったりと時代設定をわざと曖昧にしてある感じ。
音楽が若松孝二の「十三人連続暴行魔」の阿部薫みたいなフリージャズ調なのも時代色なのかも。

原作のばるぼらのイメージにしてからが、60年代末から70年にかけてのフーテンのそれ(フーテンの寅が登場したのもその頃)なのを取り込んだのだろう。

撮影がクリストファー・ドイルと蔡高比(コービー・ツォイ)だが、(前者しか名前が出ていないサイトがあるのはどうかと思う、有名人偏重ではないか)、外国人の目を取り込みたかったのか。
新宿の風景のうち歌舞伎町の猥雑さと過剰に整理された西口を混淆させた。

二階堂ふみが誰かと思うような汚な作りの中にミューズの輝きとエロスを見せる。
稲垣吾郎の居心地悪そうな人気者ぶりも板についている。
渡辺えりがそのまんまでマンガを体現している。
女優さんたちがそれぞれ違うタイプながらセクシーで危ない。

原作がMangaであることメインタイトルとエンドタイトルで繰り返し表記している。

前半、主人公に絡む女たちが次々と奇怪な形でばるぼらに破壊される大胆なイメージの飛躍が怖くて面白いが、途中でばるぼら一人が相手になるとやや煮詰まった感じになってダレる。

英語表記だとばるぼらはBarbaraという普通の名前になる。

しかし、手塚真もそろそろ父親が亡くなった歳に近づいているのだな。死の匂いが後半強くなるのはそのせいかと思うのは考えすぎか。






「泣く子はいねぇが」

2020年11月27日 | 映画
親になる準備がまるで出来てないまま娘が生まれてしまった大人コドモの男が、幼い子供を脅すと共に悪い大人にならないよう祈るための神さまナマハゲに扮する、というのが皮肉。というか、ナマハゲの性格をドラマに落とし込む発想から作られたのだろう
それが酔ったあげく素裸になってテレビカメラの前でうろうろするのを生中継されるという醜態を演じ、離婚されて娘とも別れるというのが冒頭。

出てきた東京ではうんと年下の少女にあろうことか童貞呼ばわりされ、帰ってきた故郷にも当然のように居場所はない。

で、このどうしようもない男が何らかの形で成長するのか、居場所を見つけるのか、という「いい話」になるのかというと、まったくそうはならない。
だいたい、受けいられるほど故郷の景気も良くない。

別れた奥さんのところに行くが再婚するとあっさり言われ、娘の幼稚園のお遊戯会に行くがどうも誰が自分の娘かも(当然ながら)わからないみたい。

柳葉敏郎のナマハゲ保存会の世話役に、おまえが醜態をさらしたおかげですごい量の抗議が来てナマハゲの行事もストップせざるを得なくなったと怒られるが、あまりちゃんと謝らない。

ラストでナマハゲに扮してまた元妻んちに押しかけるわけだが、自分が元妻だったらこの男は家に入れないなあと思った。
というか、入れてはいけない。甘やかしてはいれません。

正直、こう成長も進歩もない男を二時間弱見るのって、結構苦痛です。
徹底してダメなところを描き切って突き抜けるというか、ダメ男をダメなりに描いて魅力的に見せるという手もあるわけだが、そういう風にいっているとは思えない。

風力発電の羽がずらっと並んだ風景が日本ではちょっと珍しく男鹿ではずいぶん風力発電をしているのだなと思った。




「バニシング」

2020年11月26日 | 映画
邦題はバニシング=失踪で、冒頭のタイトルで孤島で灯台守をしている三人の男が姿を消したという物々しく示されるところからどうやって失踪したのかという興味が湧いてくるわけだが、原題はKeepers=(この場合)灯台守と、そのまんま。

で、内容の方も金欲絡みによる仲間割れというありふれたもので、あまりにそのまんますぎてひねりがきかない。
男ばかりでしんねりむっつりしっぱなしというのも気勢が上がらない。




「ホテルローヤル」

2020年11月25日 | 映画
今は廃墟になっているラブホテル「ホテルローヤル」に車で乗り付けた若いモデルとカメラマンが侵入し、そこで撮影している合間にかつてのホテルの従業員やホテルの建物がフラッシュバック式に再生するあたりはちょっとホラー調で、そこから時間が遡って昔のホテルを舞台にした本筋が展開する。

軸になっているのはホテルの若い二代目支配人の波瑠で、その両親や訪れる客や大人のオモチャを納入するメーカーの営業松山ケンイチなどが絡むわけだが、全体とすると緩いオムニバスみたいで、冒頭に出たモデルとカメラマンは以後まったく出てこない。

ラストで波瑠が車で去るのが冒頭と対になるのかと思ったら、その後、両親の若い頃(背景に「魔女の宅急便」や「その男、凶暴につき」の看板が見えるから1989年ということになる)の話がとってつけたように長々と展開するのがすごい蛇足感で、物理的な時間はさほど長くはないのだろうが、いささか焦れた。

ホテルや客たちの猥雑感(というほどでもない)の中の波瑠のしゅっとした透明感は魅力的で、無言のシーンが多いが、世界のなかで居心地悪い感じをよく出した。
作中で絵を描いているのは当人の趣味でもあるらしいが、役のキャラクター自体が白いままではいられないが汚れはしないといった現れになっている感じ。




「おらおらでひとりいぐも」

2020年11月24日 | 映画
さまざまなアートフィルムの技法をマイルドに使いこなしている。
ヒロインの若いときや幼い時の姿と現在の年取った姿とが同じ場面で共存するベルイマン(あるいはその師アルフ・シューベルイ)ばりの技法や、ヒロインの寂しさを人間の姿にして勝手にしゃべるというのは直接には「インサイド・ヘッド」や「脳内ポイズンベリー」ばりだけれど、ヒロインの過去の思い出につながってくるとフェリーニ、あるいはそれに日本の田舎風味を加えた寺山修司風でもある。
昔だったら高尚な技法だったろうが、映像慣れした今の観客にはなんでもなくなっているということだろう。

タイトルで「ひとりいぐも」とあるようにヒロインが基本ずうっとひとりきりというのは、さまざまなキャラクターとぶつかり合うという一般のドラマの作り方はできない、というか封じているわけで、その一方でおらおらというのはおらが複数いて対話しているのを図にしているようで、タイトルを絵解きしたみたいな作りともいえる。

ラストをどうするのか、いくら老人を主人公にしているからといって、死なせて終わりというのは安直だし、まだ元気だし、この作りではむしろやってはいけないことだろう、と思っていたら、いろいろな要素がまとまらずになかなかぴたっとした終わり方を探しあぐねたようで何度も終わりそうで終わらないのにちょっと冗長感を覚えた。

田中裕子が髪の毛は真っ白なのに顔の肌はつやつやしているのがなんだか現実感がなくてこういう作りに合っていた。実年齢いくつだと思ったら65歳。老人といいきるには、いまどきちょっと足りない。

蒼井優は割と昔の日本が似合う、あるいはそう思われているみたい。
先日の「スパイの妻」では敵役の東出昌大と夫婦役というのは、なんだかおかしい。





「端縫いのクニマス」 スタジオQ  

2020年11月23日 | 舞台

よそから来た作家にあこがれて駆け落ちのように一緒に出奔するが結局流産して別れる女性の話はチェーホフの「かもめ」、二度と手に入らない見事な木材を使った屋敷を新興の政治家と開発業者に奪われる元有力者とその周辺の話は「桜の園」をそれぞれ翻案したわけだが、翻案という感じもしないくらいはまっていて、改めてチェーホフの小さなドラマの普遍性を知らせる。

かつては実在した魚クニマス(国鱒)を象徴的に扱い、彦三頭巾で顔を隠し端縫いのた西馬音内盆踊り(別名亡者踊り)を幻想的に生かす。「かもめ」のニーナにあたる、都会生活にあこがれて故郷から出ていく楡名がモダンダンスを踊るのが対照的。


テレビドラマに出ていた俳優が原発反対のデモに出たら役を降ろされたというのがありそうで気持ち悪い。

以下、ホームページより転載

<キャスト>

内田里美 加藤大騎 堀越健次 村山竜平 室岡佑哉 岩畑里沙 岩本巧 田中結 神山一郎 井吹俊信 大林ちえり 池田将 井吹俊信 高田大輝 西馬音内盆踊り手たち


照明:桜庭明子 音楽・音響:小森広翔 美術:高橋佑太朗

ダンス指導:社団法人中川三郎ダンススタジオ 協力:村山竜平(演劇団周)

宣材デザイン:橋本すみれ 西馬音内盆踊り指導:吉田幸子

<なぜ今チエホフなのか?>

チエホフが「かもめ」「桜の園」などを立て続けに書いた1890年代は、腐敗した貴族や中央官僚が倒されて労働階級が支配者になるロシア革命前夜、人々は希望と共に不安と絶望に晒されていた。今の日本はコロナによって、政治家や中央官僚の腐敗が見えてきて、人々は先が見えない不安に晒されている。


『端縫いのクニマス』はチエホフの時代と変わらない不安で生き難いコロナの現代を「かもめ」に習って、自分の欲望に忠実に、泣きながら生きる4人の女性と8人の男たち…きっと、あなた自身の物語である。

脚本・演出の石黒健治は写真集「広島HIROSHIMA NOW」で、市民の視点で原爆を投下された広島の日常を描き、「青春1968」では新しい時代を作ろうとする若いスターたちを撮った。同時に今村昌平監督「人間蒸発」の撮影担当、「サキエル氏のパスポート」の執筆刊行など、人間のドラマを学んできた。

プロデュースの高畠久は、そんな石黒健治監督で映画「無力の王」をプロデュース、1970年、唐十郎、緑魔子主演で劇画の映画化の先駆けになった「銭ゲバ」のプロデュースと脚本、ショーケンと水谷豊の存在を確立した「傷だらけの天使」の脚本など、こぼれ落ちた人間たちの視点で社会を描こうと試みてきた。その2人が組んで演劇にチャレンジする。






「ビューティフルドリーマー」

2020年11月22日 | 映画
アニメ映画「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」の実写版リメイク。
原作クレジットにアニメの脚本監督の押井守の名前はあるけれど、「うる星」そのものの原作者である髙橋留美子の名前はないし、うる星のキャラクターの名前も別のものになっている。
ただしサクラ先生の話し方など完全にアニメを踏襲しているわけで、まったく「うる星」を知らない人が見たらどう見えるのかと思う。

元は高校の文化祭の前日が無限に繰り返されるという時間ループものなのだが、発掘されたそういう内容の昔書かれた「原作」を今の美大の映画研究会のメンバーが映画化しようとするという話。

映画化しようとすると、何かしら事故や障害が起きて映画されないでいたといういわくつきの原作なのだが、さて実際に映画化しようとすると各種のドジや失敗はあるものの、これといって祟りか何かあるわけではなく、時間ループするわけでもない。
アニメ版の友引高校には巨大な時計台があって埴谷雄高の「死霊(しれい)」の時が淀む象徴の時計の引用ではないかなどと言われたものだが、↓のミニチュアでもわかるように、今回は時計台はなし。

アニメ版にあった夢を操るキャラクター夢邪鬼や町全体が巨大な亀に乗っている古代インドの世界観みたいなイメージ、といった奇想は影をひそめて、映画作りのささやかな祝祭感を実際の若い出演者を集めて出しているわけで、本広克之監督とすると「幕があがる」の映画版みたい。

実物大プロップの戦車が出てきたのは押井守の趣味かと思わせて笑わせる。






11月21日のつぶやき

2020年11月21日 | Weblog

「シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!」

2020年11月21日 | 映画
フランス演劇史上最も人気のある芝居「シラノ・ド・ベルジュラック」の初演にこぎつけるまでを描くバックステージもの。

作り方するとかなりストレートなもので、芝居がモチーフだからといって虚実を交錯させたり新解釈を持ち出したりすることはなく、さまざまな困難と挫折を乗り越えていくうちに俳優と裏方問わない仲間意識が産まれ、それが観客にまで広がっていくのを描く。
終わりの方で舞台の修道院が実景のそれになったりはするが、正直あまり意味はない。

エンドタイトルに本物の劇作家エドマン・ロスタンの肖像が出てきて1868~1918と出る、つまり50歳で死んでいるわけで早死にだなと思ったら調べると死因はスペイン風邪だという。うーむ。

当時の有名人でサラ・ベルナールが出て来るのは当然として、チェーホフが出て来るのは時代からいっておかしくはないが(チェーホフはロスタンの8つ年上)本当かいなと思わせる。





「エクストリーム・ジョブ」

2020年11月20日 | 映画
刑事たちが張込みの都合でフライドチキン屋を開いたらこれが流行ってしまう、という話は「踊る大捜査線」でもあったな、と思う。あれを真似したのかもしれないし、さらに遡った元ネタがあるのかもしれない。

とはいえ、出だしとラストのアクションシーンの迫力とそれをコメディとして外すメリハリは楽しいし、テレビが取材にきて(張込みのじゃまになるので)断ると偉そうに俺の番組の視聴率は高いんだぞと威張るあたり、どこも一緒だなと笑わせる。

中盤が散漫になるのは、フライドチキンの店の経営の方の話を展開しきれなかった(本筋の張り込みと思わぬところでクロスするのかと思ったら、そこまでいききらない)からだろう。

柔道が得意な刑事が、一発で病院送りになりそうな背負い投げをヤクザに何度も路上で食わせるところがあるのが韓国でも柔道やるのかと(当たり前だが)思わせた。

さんざんドジを踏んでいたような五人組がクライマックスで思い切り格好いいところを見せるのと、それをイヤな敵役かと思わせたキャラクターに解説させるのが爽快。