prisoner's BLOG

見た映画のメモと、ツイッターのスクラップで出来ています。

「惡の華」

2019年10月15日 | 映画
原作は初めの方を読んでストップしていて、この内容を実写でやられたら正視に耐えないかと思っていたら、逆に生身の肉体を持った役者がやることで思春期の生理的な生々しさが自然なものになって抵抗感が薄れた。

原作でもモティーフにしているルドンの画の目玉をCGで動かして空に浮かべたりしているのだが、そうなるとルドンをもとにした水木しげるの妖怪ベアードみたいに見えてくる。
自分はみんなとは違うという意識とそれでも周囲と調子を合わせてしまう齟齬を半ば自分から離れた外から見ている自意識を「目」として形にしたものといっていいだろう。

興味本位のSM劇にせず、この自意識過剰は実は主人公だけが囚われていて他の人間は無関係でいられているのかというとそうではないのがわかってくる一種の成長ドラマとして成立させている。

玉城ティナの「クソムシ」連発はショッキングだけれど、何度も繰り返されるうちに、日本語には罵倒や侮蔑のヴォキャブラリーが乏しいという説を思い出して、ちょっと残念にも思った。

先日の「HELLO WORLD」も文庫本を読むことに自分は特別感を持つキャラクターが主人公だったのが偶然の一致にせよ面白いが、実は昔からあったことだが、スマホ時代になるとなおさら効果的だろう。




コメント

「蜜蜂と遠雷」

2019年10月14日 | 映画
原作は未読だが四人の天才たちの話なのは宣伝その他で知っていて、どう複数のキャラクターたちのバランスをとってまとめていくのかと思っていたら、松岡茉優の幼児期のシーンから入るので、この人を一応軸にするのだなと思うとその通りになる。

ただし、それが単純に「勝ち抜いて」いく話であるより、音楽によって他人とつながっていく(連弾のシーンが典型)こと、天才はたとえ世界に自分一人しかいなくなってもピアノがあればピアノを弾くだろうと作中で語られるような孤絶した存在であるとともにやはりそれは現実にはありえないことで、才能(ギフト)は天才に恵まれるものであるとともに他者に音楽の歓びを贈与するものでもあるのを示す。

ピアノのコンペの話とするとタイトルがそのものずばり「コンペティション」というリチャード・ドレイファス、エイミー・アーヴィング主演、ジョエル・オリアンスキー(イーストウッドの「バード」の脚本の作者)監督脚本の映画があったが、実はその結末のつけ方が似ている。年齢制限が絡むのも一緒。ちなみに演奏シーンで徹底的に役者が演奏の指の動きを動きに関してはフルショットで長時間にわたって見せきるという形でショーアップしていたのがアメリカ映画式。
真似や影響ということではなく、才能の多寡の差というのはこういうものなのだろうと思わせる。

役者がどこまでピアノの演奏を再現できるのかと思って見ていたら、全員弾いているのを顔と入れ込みで撮っているカットを用意しているのは立派。
ただ一人ではなく四人もいるのでかえって一部だけ撮って後は吹替であろうことが見当がつきやすい。

演奏される課題曲がプロコフィエフとかバルトークみたいにいかにもポピュラーなクラシックから、やや現代的なとっつきにくいかもしれない曲になっているのが、日本の観客と音楽シーンの成熟ということかもしれない。

最初から音楽をがんがん鳴らすのかと思うと、初めにゴールドベルク変奏曲などいかにもな名曲を流すだけで一次予選は音楽なしで第二次予選になってからカデンツァを比較する曲の導入部がちょっとドビュッシーみたいだと思ったら、そのドビュッシーの「月の光」がもろに出てきて、これが先述の連弾のきっかけになる。この音楽の使い方の計算は相当周到なもの。

エンドタイトルで監督(兼脚本・編集)の名が他のメインスタッフと同じ並びと大きさで流れていくのにちょっと驚く。
ところどころに入る黒馬をはじめとするイメージカットはどうもしっくりこない。



コメント

「ジョン・ウィック パラベラム」

2019年10月13日 | 映画
馬が出てくるところで、今のアメリカ映画だったら動物愛護団体がうるさいから悪者であっても馬は撃たないだろうと思ったら案の定だったが、考えてみると「駅馬車」の昔から悪者であっても馬は撃たないのだな。
実際、馬の横腹に隠れたまま走らせるなんて、西部劇そのままではないか。

時々妙な響きの聞き覚えのあるセリフが出てくると思ったら日本語だったりする。してみると、ロシア語のセリフもロシア語ネイティブには相当ヘンに聞こえるのではないか。

もうアクションのてんこ盛り状態はどこまで行くのか、明らかに次も作るから見当がつかない。



コメント

「宮本から君へ」

2019年10月12日 | 映画
画面が「美しく」ない。
少しふらついているフレーミングや鮮やかさを避け、かといっていかにも色を殺してますといったほどではない色彩などおよそ画面を美的にしようとしていない(今のカメラだとどうかすると放っておいても綺麗に映ってしまう)で、しかもストーリーというか描かれる出来事がものすごく不快で、しかもやり返すカタルシスで解消しないように腐心している。

なかなかやり返さないし、いかにも準備不足・知恵不足だし、どうせならもって徹底的にやった方がよくないかと思ってしまうくらい。
脇の人物がまた全部いちいちどこかしら神経を逆なでする。

正直いうと不快すぎて見ていて先に映画自体に対する気持ちが覚めたし、やり返しても補える範囲を超えているのだが、やり返すのを誰が望んだのか、勝手に誰かのためにと押し付けないで自分のためだという点を絶対に外さない。

反感を買うのを承知の確信犯というか、見るものをわざと不快にするのがある程度目的になっている気がする。

いまどき大胆だなと思ったのは、金魚が死ぬのを映したところ。定番の「動物は傷つけたり殺したりしてません」表示がエンドタイトルになかった気がするけれど、動物愛護団体からクレーム来なかったのかな。

そういえば、あまりに堂々とピエール瀧が出ているもので、かえって何とも思わなくなった。

「宮本から君へ」 - 公式ホームページ

「宮本から君へ」 - 映画.com

コメント

「ハミングバード・プロジェクト 0.001秒の男たち」

2019年10月11日 | 映画
オンライン取引でコンマ以下何桁秒の差で莫大な収益を得られかどうかの差ができて、そのためにもともとそういう投資ができるだけの資金がある者がますます取引で有利になって利益をあげるという話は前に聞いていた。

そのために大陸を横断する距離の通信網を敷設する大工事をするというのはドン・キホーテ的な壮大さと滑稽さを併せ持つ話になるとこの映画の作者側は踏んで作ったのだろうけれど、こっちとしては金持ちともっと金持ちのケンカとしか見えず、もっと大金持ちの方の鼻を明かすシーンはあるにせよなんだか乗れない。

ただの電話回線を使ってシステムに侵入させるという半分アナログな手口が(わかりにくいが)ちょっと興味をひく。





コメント

「ホテル・ムンバイ」

2019年10月10日 | 映画

えんえんとテロリストに自動小銃で狙われ続ける恐怖が非常によく出ている。音響効果もすさまじいし、いったん射撃が途切れてもまた始まる繰り返しが精神を消耗させる。

予告編だとホテルの従業員の勇気と奉仕精神を称える感動作みたいだけれど、実作では撃たれて命を落としたらおしまいという身も蓋もなさが先に立つ。

テロリストのリーダーが無線で指示を出し続けるだけで、自分は安全な場所にいて神がどうしたとか勝手なことを言い続けるのが腹立たしい。

姿をまったく映さないのはどうかするとキャラクターの象徴化・抽象化に向かうのだが、ここでは卑劣さの方がくっきりと目に見えるように描き出されている。





コメント

「HELLO WORLD」

2019年10月09日 | 映画
よくある恋物語かと思うと本格的なハードSFに寄ってくるのにびっくり。

この世界は実は実在せず脳内に、あるいは(「マトリックス」ばりに)データの集積といった抽象にすぎないのではないかといった存在が揺らぐ思春期に抱きがちな疑いを片手に、同時期におそらく根っこは同じ恋愛衝動を片手に握って結び付けている。

主人公の本棚にグレッグ・イーガンがセリフに出てくるだけでなくその著書の早川文庫版がフィリップ・K・ディックのそれと共にずらっと並んでいるのが描かれ、さらにエンドタイトルでわざわざ書名を列挙してあるという念の入れよう。

スマートフォンを当然に使いこなす世界であるにも関わらず、男女とも紙の本の読書家の高校生という設定は珍しい。ある種世界から浮いた感じと自意識の強さ、それから時間の積み重ねに対する敏感さといった性格の表現として成功している。

ヒロインが最初から可愛いのではなく、およそとっつきにくい感じからだんだん構えが解けていき、主人公から見た姿だけ描くのでなくヒロインの方のエモーションが噴出するに至るプロセスがどきどきさせて恋愛ものとしても成功。

京都という 古都としての土地柄を時間の連なりと積み重ねに生かしたのと、日本的な 狐の面を 本来の頭の位置から下にずらしたタイムパトロール(ざっくり言うとそうなると思う)の異様なデザインが秀逸。
後半の斬新な画と音のつるべ打ちは圧巻。



コメント

「リバース」

2019年10月08日 | 映画

原題はretroactive(さかのぼる、遡及)。1997年作。

ジェームズ(ジム)・ベルーシ以外知っている役者は出ていない、というだけでなくキャストが「トラック運転手」役を含めて全部で11人。
タイムスリップの研究所で研究員が一人しかいないという冒頭から見るからに低予算なので気軽に見ていたら意外と面白く見られた。

女刑事カイリー・トラヴィスが田舎道で自動車事故を起こし、通りかかった暴力亭主ベルーシといつも虐待されているうちに感覚がマヒしている妻シャノン・ウィリーの夫婦の車に拾われる。
そこからベルーシの暴力がエスカレートして妻を銃で撃ち殺し、女刑事が逃げ込んだ先がタイムスリップの研究所でそこから手違いで20分前に送り返されてしまって夫婦の車に拾われた直後に戻る。

女刑事はなんとか「これから起きる」殺人を止めようとするのだが、それが裏目に出てパトロール警官など行きずりの人たちを巻き込んでしまい、また研究所に逃げ込んで過去に戻ってを繰り返すうちにどんどん死体が増えていくあたりがブラックで可笑しく、脚本がそんなに緻密ではないがツボを押さえている。

タイムスリップものの常道でラストでは一番いい状態になるのだけれど、これが暴力亭主と被虐待妻にとっては一番という案がちょっとすごい。

銃撃戦やカーアクション、爆発などはアメリカ映画らしく手抜きなくやってます。
登場人物の大半が当たり前のように銃を持っているのもアメリカらしい。


コメント

「ヘルボーイ」

2019年10月07日 | 映画
もとのヘルボーイのキャラクター設定自体あまりよくわかっていなかったのだが、改めて描き直されて腑に落ちた印象。

ミラ・ジョヴォヴィッチが悪役にまわったけれど、こちらも似合う。
クリーチヤーたちのグロテスクなデザインや流血ゴア描写など相当にどぎつい。
クリーチヤーデザイン は 大いに凝っているのだけれども ギレルモ・デルトロ 版みたいに映画の中で美的にはまるといったことはあまりない。良くも悪くも平明。

テレビシリーズ「ハワイ5-0」のレギュラーをギャラの折り合いがつかず降板したダニエル・デイ・キムが顔にすごい傷痕をつけたメイクで登場、なんかこちらでレギュラーになりそう。

魔女バーバ・ヤーガの二本の鶏の脚で支えられた家が出てきた時、あ、ハウルの動く城と思ったが、もちろん順番が逆でバーバ・ヤーガの方が先。古くからロシアに伝わる魔女で、ムソルグスキーの「展覧会の絵」にも出てくる。


コメント

「プライベート・ウォー」

2019年10月06日 | 映画
PCのctrl+alt+deleteを知らないなどヒロインが結構デジタル機器の操作が苦手なところをあちこちで描いている。
うがって見ると、ネット上を行き交う「情報」よりはあくまで発言できないでいる生の人間の顔と声を伝えることを重視している姿と思え、だからネットでリアルタイムで戦地の現況を伝えながら命を落とすというアイロニカルな構成をとっているようにも思える。

隻眼に眼帯という姿は海賊みたいで、同じロバート・リチャードソン撮影の「サルバドル」で描かれた実在のゴンゾ(ならずもの)ジャーナリスト、リチャード・ボイルみたいなキャラクターかと思ったら真逆。
あまりに悲惨な出来事を見聞きし自分も危険な目にあってきているので相当に精神的ダメージを負っているのは確かだが、そこで自閉的に戦争中毒的な酔いに向かうより現地の人たち=他者の声を聞き伝えることで結果的に精神的バランスをとっているようにも思える。

戦場シーンの人物にぴたっとついていくやたらスムースな前進移動撮影と音響効果は「フルメタル・ジャケット」を思わせる。




コメント

「ライリー・ノース 復讐の女神」

2019年10月05日 | 映画

「狼よさらば」を代表とするヴィジランテ(自警主義)ものの新しい一作。女性が復讐するというのはジョディ・フォスター主演の「ブレイブ・ワン」というのがあったし、必ずしも前例がないわけではない。

この映画の新味とすると、冒頭でいきなり復讐シーンから始めて、それから回想で事情を語っていく形式をとっていることで、とにかく初めからやたら強いという設定らしてどうやって犯罪組織を相手にできるくらい強くなれたかという理由づけはあまり気にせずとにかく強いのだという設定で押しきっていること。

これはこれで美女のアクションを見せるという本来の目的からすれば割りきっているとも言える。もともと荒唐無稽さや法的モラル的な乱暴さに対する批判は免れないジャンルなのだし。

ラスボスが髪型含めて「コマンドー」のバーノン・ウェルズみたい。

あとヒロインがスラムに身を隠しスラムの住人に邦題通り女神扱いされるという趣向もある。「狼よさらば」の頃は中産階級層が厚かったから市民社会が喝采するという感じだったが、今では社会の底が抜けたのを反映している感

コメント

「存在のない子供たち」

2019年10月04日 | 映画
主演のゼイン・アル・ラフィーア少年(役名も同じゼイン)の演技というか存在そのものが圧巻。世話をすることになる一歳の赤ちゃんとの共演ぶりも驚異という他ない。

子供、それも男の子が幼児を世話をする図がすでに意表を突き、女性監督の目が光るところでもあるだろう。

たかが身分証がないくらいで、と日本にいると思ってしまうが、考えてみると日本にも戸籍を持たずそれで多大な社会的不利益を蒙っている人はいくらもいるのを思い出した。

本質が存在に先行するなんて言葉があるが、本質とも言えないレッテルが中身より先行するというのはいかにも今の世界を典型的に表す。
なんとレッテル「だけ」で物事を、人間を判断していることか。

監督のナディーン・ラバキーは女優でもあって、弁護士役で出演もしているが、少年があなたたち(いい身分の人間)には僕のことはわからないと作中の裁判で言われるのは実際に言われたことでもあるだろうし、この映画を作るにあたっての自戒でもあるだろう。
その自戒は同時に観客には跳ね返ってくるものでもあるだろう。
コメント

「ボブ&キャロル&テッド&アリス」

2019年10月03日 | 映画
1970作年。昔の言葉で言うとスワッピングという奴で、二組のカップルがパートナーを交換する、当時とすると性の解放とか自由といった新しい風俗みたいな捉えられ方をしていたらしいが、今見るとむしろ本当に愛しているのかとかセックスにしてもどうあるのが正しいのかとか、答を求めてじたばたしているアメリカ人の変なマジメさの方が目立つ。裏返しのピューリタリズムというか。

こういうしつっこさというのはやはり西洋産という感じで、2004年の「クローサー」なんかも似た感じだった(そして日本ではまず不評だった)のを思い出した。

CSの番組ではタランティーノが解説に出ていたが、この人がもともと役者で、四角関係みたいにややこしい関係を演じるのは役者とするとやりがいがあるのを知っているのではないかと思った。役者がやりたくなるような役をシナリオで書けるというのが大きな武器なわけだし。


コメント

「アイネクライネナハトムジーク」

2019年10月02日 | 映画
10年の時代の変化を主にテレビがブラウン管式から薄型、携帯がガラケーからスマホといった典型的な形で表している。ホントにこの通りなのだろうかという気もするが、わかりやすい。

ちょうど貫地谷しほりその人が結婚したというニュースが流れた後で見たのが妙に効果的。余談だが、週刊文春だかで当分結婚はなさそうであると書かれた直後。
と思ったら、多部未華子も結婚。こういうこともあるのだな。

オープニングで仙台駅前の交差点の上にかかった大がかりな歩道橋とそこで行きかう人々を見せるのが、伊坂幸太郎原作の人々の交錯ぶりを象徴しているようで、映画としても人と人との出会いというのが偶然と決定的なものとの間の揺れ動きのようなものがよく出た。

そこでいつも歌っている路上アーティストがしまいに10年変わらないと何かファンタジックなものに見えてくる。



コメント

「見えない目撃者」

2019年09月30日 | 映画
韓国映画のリメークだそうだが、作りは「らせん階段」「見えない恐怖」「暗くなるまで待って」といった昔からある盲人が狙われる古典的スリラーの系譜上の作品といった趣がある。

伏線の張り方と丹念な回収、ヒロインが肉体的ハンデと共に精神的なトラウマの克服というドラマをきっちり組み立てているのも最近珍しいウェルメイドな作り。

主演の吉岡里帆が眼が見えない人を演じるのに目をつぶったり視線を固定したりいった具合にことさら記号的に強調せず、まったく見えないわけではなく物の輪郭くらいはわかる設定もあって、それほど見えている人と違わない演じ方をしていて、それだけ感情表現も枠がはめられないでいる。

それが犯人に追われるところで階段を駆け下りるのに足元を見ないのに感心した。何でもないようにやっているけれど、相当に危険だし難しいだろう。
ここぞもいうところで目が見えない設定を生かすメリハリがついた。

犯人が正体がバレる前から堂々と画面に映っているだろうに観客の目にはとまらないようにして、バレてから急に浮き立って見えてくるあたりもうまくできている。

盲導犬が実におとなしくいるのかいないのかわからないくらいで、エンドタイトルに「実際の盲導犬はしないこともしています」云々と出ているが、本当だと吠えもしないということか。

犯人に追われるところでスマートフォンを使って遠くにいる通話中の健常者に周囲の様子を見せながら逃げ道を教えてもらうというのは今風のガジェットを生かすいい工夫。これまたエンドタイトルで「列車の中でスマートフォンを持って歩くのは禁止されています」云々の字幕がご丁寧にも出るのに苦笑する。

ロケ地が先日同じ東映系で見た「影に抱かれて眠れ」と一部かぶっていた。


コメント