prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

2008年10月に読んだ本

2008年10月31日 | Weblog
prisoner's books
2008年10月
アイテム数:5
アメリカ映画風雲録
芝山 幹郎
10月29日{book['rank']
反哲学入門
木田 元
10月29日{book['rank']
正義の正体
田中 森一,佐藤 優
10月29日{book['rank']
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「王の男」

2008年10月27日 | 映画

二人組の芸人の片割れが平たく言えばオカマ、という設定が、日本だと身障者の真似をしてみせたりする可咲(おかし)の芸や、出雲の阿国がオカマの真似をして踊ったのが歌舞伎の始まりだというのに通じる。画面には出てこないが盲人の真似を見せるという芸もしていたという設定だし、もともと芸能にある差別の構造をまともに扱っている勇気に感心する。

芸人と王との身分差だけのドラマと思ったら、王自身にも周囲の官僚構造にがんじがらめになっていて自由はなくて、妙に自分が風刺されているのに笑ってしまってから一種のツボを突かれたように一気に放蕩に走るあたり、ドラマの彫りが深い。
ファザコンにしてマザコン、男女両方相手に放蕩にふけり、残虐で、ときどき自分を笑うこともできる王の性格が面白く、芸人二人がともに芸人根性を見せるラストも感動的。

王の宮殿の内装など、「刺青一代」ばりの次々と縦の構図で開いていく何重にも重なっている襖の柄など、王がどれほど外部から隔てられているかを端的に見せるとともに、歌舞伎的奇想というか東洋的卑近美を感じさせる。
口上の韓国語の調子のよさ、リズムがいい。
(☆☆☆★★)


「ローマで起った奇妙な出来事」

2008年10月25日 | 映画
ローマで起った奇妙な出来事 - Amazon
リチャード・レスターといったらビートルズ映画で今のMTVの先駆みたいな音楽×映像処理をした演出家だけれど、うーん、時代の違いのせいか、リズムとかテンポがどうにもずれて感じられる。もっと昔の個人芸ミュージカルだと、そういうズレはあまり感じないのだが。バスター・キートンが敬意を持って迎えられている感じなのはいいけれど、全盛期みたいな芸を見せられるわけもないし。


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ローマで起った奇妙な出来事

「その土曜日、7時58分」

2008年10月20日 | 映画
フィリップ・シーモア・ホフマンとイーサン・ホークの兄弟では全然似ていない(どう見ても弟の方がいい男)のだが、それがドラマの内容にも関わってくるあたり、巧妙なもの。
貧乏人も金持ちもそれぞれに尻に火がついているあたり、まことにシリアスな状況。これが今のアメリカかと思わせる。

時制を交錯させながら、皮をむくように事件とともに人物と骨肉の争いを明らかにしていく展開が巧みで、最初被害者の可愛そうな遺族としか見えなかった老父役のアルバート・フィニーが次第に過去を暗示させる鬼神のような顔を見せるに至るラストは、すごく怖い。

内容のせいもあるが、シドニー・ルメットの演出は年齢を重ねて一段と苛烈になったよう。
これだけ俳優を使いこなせる監督、今のアメリカにどれくらいいるだろう。
(☆☆☆★★★)


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goo映画 - その土曜日、7時58分

「トウキョウソナタ」

2008年10月18日 | 映画
リストラされた父親が家族に言えなくて図書館で時間をつぶしたり、次男が給食費を使い込んで好きなピアノ教師の教室に通う、といった描写は、(これってあるある)とごくリアルなものと思わせて、特別に家族が秘密を持ったり、崩壊しているしるしとは思えなかった。
次男の担任教師が、おまえとは一年限りのつきあいだから互いに余計なことは言いっこなしにしようという距離感のとりかたも、むしろ好ましく思える。通常のホームドラマや学園ドラマの方が異常に関係が濃厚すぎるのだ。

就職活動している父親が担当者に「あなたは何ができますか」と言われて立ち往生してしまい「カラオケならできます」などと口走るあたり、山科けいすけのマンガ「C級さらりーまん講座」みたいだが、「部長ならできます」と言った元部長が実際にいたというのは割と有名な話(都市伝説かもしれないけれど)。
炊き出しの食事に並ぶ男たちが、スーツ姿かホームレスそのまんまの混在というあたり、どちらも制服みたい。

実際、どこでも通用するスキルというのはそんなにあるものではないし、要求される場がなくなったり、もっと安く使える人的資源が出てくれば締め出されるもので、次男に特別な能力がないと成り立たないラストは音楽の力もあってカタルシスは一応あるけれどちょっと首を傾げた。

舞台になる家の両隣がどっちも更地になっていて、しかもさっぱり工事が進んでいないあたりもありそうな光景。森鴎外いわく、「東京はいつも普請中」。

小泉今日子がおそらくスッピンでアップで撮られているのが貫禄。
(☆☆☆★★)


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トウキョウソナタ - goo 映画

「パコと魔法の絵本」

2008年10月16日 | 映画
ものすごいメイクやCGで厚塗りしているけれど、核になっているのはセンチメンタリズム。だから悪いというのではないけれど、ときどき乗り切れなくなる。
元の舞台も見てみたくなる。舞台だとそれほど色々意匠を凝らさなくても、絵本と現実(というのでもないが)の世界を行き来できるだろうから。
(☆☆☆★)


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goo映画 - パコと魔法の絵本

「おくりびと」

2008年10月13日 | 映画
石文に使われる石が大半、明らかに卵の形をしている。卵はたとえばクリスマスに食べられるフライドチキンにも、また田んぼで餌を漁っている白鳥の群れにもつながるだろう。火葬場の炎がぼっと点火されるカットが白鳥の群れが一斉に飛び立つカットにつながれる今どき珍しいような古典的モンタージュ表現が、あの世への旅立ちも生の一部と捕らえる死生観を端的に見せる。

山崎努が出ているせいもあるし、厳粛な葬式にちょっとオフビートな笑いやセックスが入ってくるあたりなど、「お葬式」をちょっと思わせる。
本木雅弘の納棺の所作が堂に入っている。まじめな顔をしている時の端正さと、ちょっと崩れた時に三の線に入る持ち味がひさびさに出た。

ちょっと不思議な感じがしたのは、広末涼子がウェブ・デザイナーという設定のはずなのに、山梨に引っ込むとあまり仕事している様子がないこと。山梨にいたってかなりの程度できる仕事ではないかと思えるのですが。しているという設定なのだろうか。
義母がやっていたスナックを復活させるのかと思ったら、そういうわけでもないし。
三角形のテーブルなど見ていると、かなり変わった母親だった気がする。チェロを教えたのは父親らしいが、教え続けたのは母親のはずで、欲をいえばどういう心境だったのかもっと暗示的にでも知りたかった。

山梨の風景が魅力的。建物のロケーションの選択にも才気が見られる。

不思議と故人に若い人が多い。その方が葬式でのドラマを見せやすいからでもあるだろうけれど、ふつうは亡くなるまで長い時間かかるのが大半だろう。ないものねだりではあるけれど、その長い生きていた時間がオミットされて、そこにあっただろうドラマがあまり見えなくなっているのは気になる。
死んだら終わり、ではないわけで、それまでがリセットされるわけではないから。

亡くなる父親役は誰だろうと思っていたら、峰岸徹。なんと、見てすぐ後に訃報を聞く。合掌。
(☆☆☆★★★)


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goo映画 - おくりびと

「真夜中のサバナ」

2008年10月10日 | 映画

二時間半は長すぎるよ。アメリカ南部の湿気っぽい雰囲気や、変なキャラクターたちの描写は一応見せるけれど、話自体がどうもパンチが効かない。イーストウッドでもハズレはあるってことで。
(☆☆☆)


「13/ザメッティ」

2008年10月07日 | 映画

思いつき倒れ。
大勢が輪になって隣に人間に弾丸を一発だけ詰めたリボルバー式拳銃を突きつけて、電燈がつくのを合図に引き金を引く、というロシアン・ルーレットを大々的にボリュームアップして見せ場にしているのかと予告編で見て期待して見たら、ルーレットが始まるまでに一時間半の上映時間の半分を費やすという運びの悪さ。

自分を撃つのではなく他人を撃つのだったら先走って撃つ奴が出てこないのはどういうわけだ、特に周囲が銃を突きつけているわけでもないのに、別に誰が何の為にこんな真似をさせているのかというルールの決め方が曖昧すぎ、貧乏人同士の毟り合いとマファア絡みかと思わせぶりに描いている程度、細かいところが雑すぎて途中から興味が失せる。
ラストもおよそ安直。

フランス映画も階層化があからさまになってからからか(もともと階層社会の本場みたいなものだが)殺伐してきて、そのくせあまり深みは感じさせない。
(☆☆★★★)


「ピアニスト」

2008年10月06日 | 映画

題名とは裏腹に、音楽の演奏自体が「見せ場」になるシーンがなく、ラストもなりそうでならない。シューベルトのピアノ三重奏を演奏するシーンでも、三人の演奏家のコミュニケーションではなくて、やり直し・断絶の表現になっているよう。
三島由紀夫の「音楽」だと音楽が聞こえないのを女性の不感症の象徴として扱っていたが、音楽みたいに人間の生命感そのものを表現する人が、その教育課程で最も親に抑圧を受けてきているというアイロニー。
音楽の教師にはなれても、ピアニストそのものにはなれなかったというのも、肝腎の音楽の歓びが欠けているからではないかと思わせる。

女性が自分の性器を傷つけるのを、セックスを拒否するしるしと生理の血をひっかける表現として扱ったのはベルイマンの「叫びとささやき」でもあったが、実際に要求されているわけではない分、こちらの心の鎧はさらに重い。
性=生そのものを罪悪視する感覚というのは、やはりキリスト教文化圏の産物か。

ブノワ・マジメルがいくら授業時間中とはいえ婦人用トイレにまでずかずか入っていく悪気のない非常識と奔放さが、イザベル・ユペールの異様な罪悪感に巻き込まれて利用され、それでもけろりと治ってユペールを元通り先生扱いしてしまうのがまた残酷だし、映画の作者の悪意を感じる。
母親役がすごく怖いと思ったら、久しぶりなのでわからなかったけれど往年の名女優アニー・ジラルド。納得。
(☆☆☆★★)


「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」

2008年10月04日 | 映画

パリ、といってもユダヤ人やアラブ人がごっちゃに住み、売春婦の立ちんぼうが大勢たむろしているような地域が舞台。何度も階段を通って外に出て行くのが、「底辺」の感じを出した。
その中で生きるユダヤ少年とアラブ人の老人の交流を描くのだが、細かい文化的背景などちょっと日本人にはわかりにくい感じ。

一時期まったく落魄していた観のあったオマー・シャリフが、歯の欠けた姿を逆に生かしてカムバック(セザール賞最優秀男優賞受賞)に成功したので有名。
[アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバゴ」で有名だが、もともとエジプト出身で、ロシア人やキューバ人、なんと日本映画「天国の大罪」で中国マフィアの役をやる(!)など、西欧から見た「周辺」の人間はいくらでも入れ替え可能といった(アンソニー・クインにも見られる)曖昧な人種的イコンとして扱われていたキャリアが、他の人種との「交流」に生かされているのを買われた印象。

貯金箱がフランスでもブタの形をしているのがわかる。なんでブタなのだろう。丸くてたくさん入るからか?
(☆☆☆★)


「パペットが見た夢~人形アニメのルーツをたどる~」

2008年10月02日 | 映画
NHKハイビジョンで五月に放映していたのをやっと見る。

無声映画時代の人形アニメ作家、ラディスラフ・スタレヴィッチの作品暦を、人形アニメのバッタが案内役になって、クレイ兄弟などの現役の人形アニメ作家や映画史家のインタビューを交えて追っていく。あと「カメラマンの復讐」(1912)など短編二つ。

本物の昆虫を訓練して撮ったのではないかとすら言われたリアルなデザインと動きの一方、虫が人間風に直立して動くのだからもちろんリアリズムではありえない。アニメートの技術とは別に、D・W・グリフィスの「国民の創生」が1915年の製作だから、それ以前のまだ映画的なカット割りを確立していない、舞台中継みたいな技法で撮られているのがリアリズムにつながっている気がするが、その分ちょっとかったるい。


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パペットが見た夢~人形アニメのルーツをたどる~