prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「ビニー/信じる男」

2017年07月31日 | 映画
ボクシングそのものも痛そうだが、折れた頚椎を固定するためにごつい鉄の器具をゴリゴリはめこみ、ちょっとぶつけても脳に響くような痛そうな感じがとび上がりそうなくらい。

このあたりの肉体的な苦痛を根性というより怒りで乗り越えるモチーフがスコセッシがプロデュースを買って出た所以かもしれない。

事故そのものでぶつかる瞬間をわずかに外しているのが今どき割と珍しい。

プロボクシングでブッキングを成立させる難しさとかトレーナーをずっと務めていた父親が退くドラマなども描き込めばきりがないが、そつなく織り込んでいる。

それにしてもデニーロの「レイジング・ブル」以来、俳優の肉体改造は今やデフォルトになったみたい。おそらく専門のトレーナーがいてコンスタントに仕事が入るのだろう。

1988年から90年にかけての話のせいか、携帯はないしパソコンはおそろしく厚みのあるブラウン管式。だから人里離れた所で起きた交通事故ですぐ救急車を呼べなかったりする。
(☆☆☆★★)

ビニー/信じる男 公式ホームページ

映画『ビニー/信じる男』 - シネマトゥデイ

ビニー/信じる男|映画情報のぴあ映画生活



本ホームページ

7月30日(日)のつぶやき

2017年07月31日 | Weblog

「カーズ/クロスロード」

2017年07月30日 | 映画
三作目にしていっぺんに年配向けになったもの。アニメというと若年層向けという印象が強いけれど、あるいは車、特にパワーとスピードを競うようなマシンは時代からずれてきているということかもしれない。電気自動車ではさまにならないものね、たぶん。

逆にCGアニメとはいっても自動車の走りの振動やコースのぶれまで表現しているのは今さらながら技術の進歩の速さに驚嘆する。
ちょっと前までCG製のカーチェイスなど見られたものではなかったのだが。

若さと勢いが衰えた男がどう身を処すのかというテーマと世代交代劇とフェミニズムとをうまく繋いでいるけれど、多少うまさに腐心しすぎている印象もあり。

カーズ/クロスロード 公式ホームページ

映画『カーズ/クロスロード』 - シネマトゥデイ

カーズ/クロスロード|映画情報のぴあ映画生活



本ホームページ

7月29日(土)のつぶやき

2017年07月30日 | Weblog

「センチュリアン」

2017年07月29日 | 映画
刑事ものというよりおまわりさんの映画。
原作のジョセフ・ウォンボーが現役の警官の時に書いた小説が原作とあって細部のリアリティが濃密。
かといって丸っきり辛気臭いリアリズム一辺倒かというとそうでもなくて、役者の芝居のメリハリとかきびきびした場面運びなど一種の映画くささがしっかり出ていて安心して見ていられる。

70年代からアメリカにはメキシコ系違法就労者がずいぶんいて、その足元を見て高い家賃をふっかけているあこぎな家主もいたのがわかる。

ジョージ・C・スコットのベテラン警官が引退して年金生活に入ったが(25年の勤務で年金をもらえるのだから、ずいぶん早い)、平安な生活に慣れることができないのかどうか、思わぬ行動に出るのを心理主義的な描写を完全に削ぎ落としているのが強い印象を残す。
主役はステイシー・キーチの若い警官の方なのだが、その妻ジェーン・アレクサンダーの心情の変化が唐突な感じのは似た狙いなのかどうか。

暴力描写が突発的で不意をつくのがそれほど血が出るわけでもないのにショッキング。
70年代の犯罪ものというとスコット・ウィルソンやエド・ローターが出ているという印象。




7月28日(金)のつぶやき

2017年07月29日 | Weblog

「花粉熱」俳優座演劇研究所27・28期中間発表会

2017年07月28日 | 舞台
大女優だったらしい母親を軸にして夫と息子と娘の四人家族の日常が常に芝居になっているような不思議な家に、さまざまな外部の人間がやってきてややこしく絡む。

平和な家庭を外部からやってきた闖入者がひっかきまわすという作劇はありがちだが、その逆で外部からやってきた方がひっかきまわされる。花に近寄って熱を出すから花粉熱という意味のタイトルだろうか。1925年に書かれた芝居としては今にゆうに通じる家族観。
向田邦子の「家族熱」はここからタイトルをとったのだろうか。
大女優の役を研究生がやるというのはちと苦しい気がする。

作 ノエル・カワード
訳 鳴海四郎
演出・指導 堀越大史



本ホームページ

7月27日(木)のつぶやき

2017年07月28日 | Weblog

「拳銃(コルト)は俺のパスポート」

2017年07月27日 | 映画
口笛をフューチャーした音楽がマカロニ・ウエスタンみたいだなと思ったら、「荒野の用心棒」の公開が1964年でこれは1967年の製作。もろに影響下と考えていいだろう。

クライマックスの埋め立て地のだだっ広くて何もなくて砂埃が舞っているあたりも西部劇の真似というか大人の西部劇ごっこという感じ。無国籍アクションと言われたらしい。

ちなみに「ルパン三世」の原作マンガの連載が始まったのがやはり1967年。「ゴルゴ13」が翌1968年。大藪春彦は1959年に「野獣死すべし」でデビューしている。

鈴木清順とたびたび組んだ峰重義の白黒撮影が素晴らしくて、荒唐無稽なりのリアリティを出すのに貢献している。

銃の描写でライフルの口径がどうとかショットガンというのはどんな銃かとか、初歩的といえばずいぶん初歩的なのだが、当時とすると一所懸命に銃の魅力を描くのに腐心したのだろう。しかしタイトルでコルトと言っている割に持っているのがベレッタだったりするのがゴ愛敬。

クライマックスの時限爆弾を手作りするあたりのアナログ丸出しな感じが今見るとなんともいえない味わい。
外国に高跳びするのに飛行機ではなくもっぱら船を使うのを考えているのも時代がかっている。



7月26日(水)のつぶやき

2017年07月27日 | Weblog

「日本列島」

2017年07月26日 | 映画
作られたのは沖縄返還前の1962年。米兵の謎の死から基地勤務の通訳(宇野重吉)が探偵役になってアメリカの陰謀があぶり出されるという構成。「沖縄も日本列島のうちだぞ」といったセリフが今だとかえって皮肉に聞こえる。
ただ通訳という設定のわりに全然英語を話さないというのはどんなものか。

正直、陰謀の内容そのものに関しては今となっては常識に属する。
偽札を作って各種の謀略に使うというのは今の北朝鮮みたい。

姫田真佐久の撮影が素晴らしく、喫茶店の窓の外で車が行き来してヘッドライトの光がぎらぎら光っているカットなど異様な圧迫感があるし、技術的にもどうやって処理しているのかと思わせる。

警察に新聞記者たちが群がって吊るし上げあたりは迫力あって、ガラの悪いブンヤという感じがするがお行儀よく発表ものを伝えるだけより健全に思える。

冒頭、虫が焼かれるタイトルバックはネズミが焼かれる「地の群れ」のタイトルバック同様、今ではパスしないだろう。




7月25日(火)のつぶやき

2017年07月26日 | Weblog

「FAKE」

2017年07月25日 | 映画
NHKに取り上げられ聴覚障害を持ちながら作曲する「奇跡の作曲家」として取り上げられもて囃された佐村河内守が週刊誌でゴーストライターの存在と聴覚障害を嘘と書き立てられていっぺんにバッシングの対象になり、しばらくしてから改めてその生活を撮ったドキュメンタリー。

豆乳をやたら大きなカップからぐびぐひ飲んだり、年がら年中ケーキを食べたりと佐村河内氏のキャラがまず濃い。傍らにいる犬のキャラクターがまたなんともいえず味がある。

放映後のインタビューで夫人がNHKの特集でもバッシング記事でもまったく取り上げていなかったと森達也監督が語っていたのだが、実際もっぱら手話を通じて外部とコミュニケーションしているのは夫人なのははっきりしているのだから、メディアが意識的にか無意識的にかオミットしているのははっきりしている。
実際こういつもぴったり一緒によりそっている人をないことにしてしまうというのは、報道の方も一種のFAKEなのだと受け手の方も心得ておく必要があるということだろう。

あと最近の聴覚障害者を扱ったドキュメンタリー「きらめく拍手の音」を見ていて思ったが、単純に健常者から聴覚を差し引いたのが聴覚障碍者というわけではなく、制限のある聴覚情報と手話の情報とを組み合わせたまた別の感覚世界を持っているのではないかという気がしていたが同じことが言えて、耳が聞こえないから音楽がわからないというのは単純すぎると思えた。

何より肝腎の作曲する場面を撮っただけで大きく世間的な価値判断の基準を変えた。
ただ、作曲した曲を売ってもいいという会社はないとのこと。

FAKE 公式ホームページ

FAKE|映画情報のぴあ映画生活

映画『FAKE』 - シネマトゥデイ



本ホームページ

7月24日(月)のつぶやき

2017年07月25日 | Weblog

「ジョン・ウィック:チャプター2」

2017年07月24日 | 映画
一作目は一応愛犬を殺されたからというほとんど口実みたいな動機がまだあったのだが、今回はアクションを駆動する動機あるいはきっかけがあってないようなもの。勝手に他の殺し屋がかかってくるのを撃退していたら引っ込みがつかなくなったみたい。
しかも世界にいるのは殺し屋だけみたいな世界観になっているものだから半ばゾンビもののシューティングゲームみたい。

ストーリーの発展性というのもどこかに行ってしまって、至近距離で組手を交えながらの銃撃戦という趣向は一段とエスカレートして見ごたえあるものの、いかになんでも荒唐無稽が過ぎやしないかと没入感にややブレーキがかかる。

クライマックスを美術館に設定し現代美術の体裁をとった鏡ばりの部屋での戦いという「燃えよドラゴン」か「上海から来た女」の再現を見せる。デジタル技術が発達したおかげで鏡にカメラを向けても後で消すことができるからより自由なアングルをとることができたと思しい。
(☆☆☆★)

ジョン・ウィック:チャプター2 公式ホームページ

ジョン・ウィック:チャプター2|映画情報のぴあ映画生活

映画『ジョン・ウィック:チャプター2』 - シネマトゥデイ



本ホームページ