prisoner's BLOG

見た映画のメモと、ツイッターのスクラップで出来ています。

「バルトの楽園」

2006年07月30日 | 映画
収容所のセットもだけれど、民家の再現に感心する。

日本軍人というと、バターン死の行進だのといった捕虜の非人道的な扱いの印象が強いのに反論しているみたいな映画。

日本人俳優の体格が立派なのが多くて、ドイツ人に負けていない。

ベートーベンの「第九」といったら、CDの収録時間の上限がこれに合わせたと言われるくらいかなり長い曲。それを映画のクライマックスに持ってくるとなると、相当にはしょらなくてはならなくなる。
従って、クライマックスはいささか中途半端な印象になるのが、こまったところ。
(☆☆☆)



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「女地獄 森は濡れた」

2006年07月29日 | 映画
1973年5月に公開数日で打ち切られたといういわくつきの日活ロマンポルノ。
原作はマルキ・ド・サドの「新ジュスティーヌ」で、昭和初めごろの日本に翻案してある。監督・脚本 神代辰巳、撮影 前田米造。

女主人殺しの罪で追われていた女中が、親切(?)な金持ち女に拾われてやってきた屋敷で、サディスティックな快楽の為にとことんいたぶられる。ハナシはあってないようなもので、えんえんとSM(というよりSばっか)シーンが続くのだが、画面修正が当時のままで今の目で見るとそれほど驚かない。
日本映画で、それもロマンポルノではどうも金持ちの屋敷に見えないのが困る。
屋敷の主人が山谷初男で、「胎児が密漁するとき」での役名が丸木戸定夫というのだから、一種の楽屋落ち。

流行歌の使い方がうまく、クライマックスに黒澤明の「生きる」で使われた「ゴンドラの歌」が流れるのがパロディ的な効果を出している。
(☆☆★★★)



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「穏やかな生活」

2006年07月28日 | 映画
「太陽」公開前に、ちょっとソクーロフのおさらいを始める。

築130年の日本家屋の畳の目のひとつひとつ、そこに一人暮らししている婆さんの質素な食事や針仕事などを、それこそ舐めるようにというか、ほとんど手でなでまわしているように撮っている、。
ラスト近くのお辞儀の姿勢の美しさに惚れ惚れしたら、監督も同じらしく、また見せるといった調子。

時間が流れるのが遅い、というのとも違って、横板にトリモチというか、べたっとへばりついて流れようともしない。ぐらっと眠くなるというか、意識がマヒしかけて回復すると、目の前が突然開けたような気になったりする。


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「カーズ」

2006年07月27日 | 映画
ポール・ニューマンが元チャンピオンのドック・ハドソンDoc Hudson役で声の出演をしているのが一つの要。

主人公の名前がライトニング・マックイーンMcQueenなのだから、とうぜん、スピート狂であり、ニューマン同様本物のレーサーでもあったスティープ・マックイーンを思わせ、「タワーリング・インフェルノ」以来、「傷だらけの栄光」以来三度目の共演(?)とも見える。
Doc Hudsonという名前はまた、ニューマンとは同い年(1925年生まれ)のロック・ハドソンRock Hudson(Roc Hudsonと表記されたこともある)も思わせる。
マックイーンが迷い込んだアメリカの田舎町のそばの、高速道路を通っていたら見逃していただろうモニュメント・バレーは、アメリカとアメリカ映画の原風景。
最近のCG技術はもちろんすごいのだけれど、古いもの、自分の身についたものを大事にする感覚で作られている。

勝つこと、金儲けすること一辺倒への批判がテーマになっているわけだけれど、それは一方でピクサーが興行的にも作品的にも勝って来ているから言えること。皮肉でなしに。

ボディの写りこみや、レースで地面から砂埃や小石が巻き上げられるところまで、おそろしく丹念に作りこんでいる。
レース場の観客(?)の大俯瞰のヴォリュームのすごさ。

マックイーンはレーシングカーだからヘッドライトがついていない、つまり一人では道を照らし出せないというのが自然に寓意になっている。ライトを眼にするのではなく、フロントガラスに眼を作って動かしたキャラクター・デザインが表情豊か。

麦刈り機に襲われる場面は、なにやら「ブラック・エース」調。
(☆☆☆★★)



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らせん階段

2006年07月26日 | Weblog
右下の板きれが打ち付けてある部分がドアになっていて、階段下のスペースに続いています。何を入れているのでしょう。


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「いつか読書する日」

2006年07月25日 | 映画
田中裕子と岸辺一徳のラブストーリーが一方で町の女性文筆家が書く小説としても語られる。不思議とこういう話法にすると、悲劇的な展開が予感されるし、その通りになる。
田中がベッドに「カラマーゾフの兄弟」を持ち込んでいる場面もあるし、二人が親同士の逢引を見てしまうのは本屋という設定。
しかし、読書そのものが直接描かれているわけではない。しかしこの題名で、なぜか違和感はない。
読書という言葉が、内省性や、日常をもう一つ大きく包むような沈殿して情念というか、パッションとつながっているよう。

リアリズムと省略のともにメリハリがきいて、シーンとシーンの<間>がものを言っている。
その中に、ボケが入ってきている学者の「カレー小僧」の妄想など、ちょっと今村昌平みたいな幻想味が入る。

子供をほったらかしにしている親から離して保護するかどうか判定するチャートがあって、複数の人間がイエスかノーかで答えて処分を決める情景など、岸辺が勤める役所の地方行政の細かいところを具体的に描きこんでいるのが面白い。

坂の多い街を田中が昇って牛乳を配達していく情景で、人生の大変さを自然に眼で見せる。
(☆☆☆★★)



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「インサイド・マン」

2006年07月24日 | 映画
インド音楽「チャイヤチャイヤ」に乗せたオープニングが好調、一気に乗せられる。スパイク・リーはここでは作家性よりストーリー・テリングを優先させているが、音楽センスは健在。

メイン・キャスト以外の脇役もいちいち一枚タイトルであらゆる人種を網羅した顔と名前を見せていくエンド・タイトルで、改めてアメリカの役者の層の厚さを見せる。

犯罪そのものの手口の計算はよく考えたもの。ただ、バックにある社会派的な部分はややとってつけたようで、クリストファー・プラマーの貫禄をもっていてもあまり厚みを感じない。
ユダヤ人のラビ(アメリカ英語だとラバイって発音するのね)は出てきても、ユダヤ人がらみの視点は入ってこないからだろう。本来、犯人がネタを仕入れたあたりにあったのかもしれないが、そのあたり曖昧。
あと、犯人がカメラに語りかける導入部のつかみはOKだが、その映像が誰かに送りつけられるのかと思った。

むしろ人質全員が犯人と同じ格好をさせられたもので解放されたとたん手当たり次第に逮捕されるあたりに9.11以後のイヤな雰囲気が出た。

犯罪ものにありがちな陳腐なドンパチをイメージカットで処理する皮肉。
(☆☆☆★)



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「さよならCOLOR」

2006年07月23日 | 映画
正直、こういう医者にかかったらヤだろうなあ、と思う。
節制は悪いわ、職業に私的感情を持ち込みまくって病院のルールを破るわ、いくら熱心でもかえって迷惑な感じで、これに生死を握られたらどうしようかと思う。
意地の悪い見方ではありますが、間違ってはいないはず。

劇中見ている「瀕死の白鳥」のバレエは、アンナ・パブロワのだろうか。
手作りのランプのデザインや、突然UFOが現れたりするセンスはいいのだが。
原田知世が未だに可憐な感じ。

回想場面の高校生のキャストが、中年になってからと似ていないのが困る。
(☆☆★★★)




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「孔雀夫人」

2006年07月22日 | 映画
1936年、ウィリアム・ワイラー監督作。
成功した実業家夫婦が引退し、悠々自適のつもりでヨーロッパ旅行に出たところ、ヨーロッパの貧乏貴族にちやほやされた妻が浮かれて遊びまわり、夫婦の間にひびが入っていく。
故・淀川長治氏が宣伝を担当したが日本ではコケてしまい、本当にくやし泣きしたという点でも伝説的になっている映画。

ちょっと驚くのは、夫役のウォルター・ヒューストンの実年齢が52歳、妻役のルース・チャタートンのが43歳だということ。いかに財産があるとはいえ、日本の感覚では引退する歳ではない。欧米だと財産ができたら引退するっていうのが割と一般的というが、それにしても遊びたくならない方がフシギみたいなもの。
妻がヨーロッパの名家の老婦人に、あなたは息子と結婚するには歳をとりすぎてますと言われるのが、異様に迫力がある一方、そんなハズあるかとも思う。言い返せない息子がいかにもダラシないのだが。
今の感覚だと、妻が遊び歩くことにマヒしてしまってそれほど批判的な気分にならないのだが、どこまでが時代の産物なのか、こっちが判っていないだけか、なかなか判別しがたいところがあり。

53年に同じチャタートンが同じ役を演じたテレビ版リメークの他、多くのリメーク希望者がおり、晩年のグレゴリー・ペックも脚本を書いていたという。
アメリカとヨーロッパとの相克、夫婦の絆が浮かれているうちに壊れていくあたりのモチーフと、完璧と思える演出(ワイラー、なんと35歳)に魅かれて、ということか。
終盤の電話を手前に置いたパンフォーカスの使い方、どたばた出入りする船の乗客の出入りをバックでさばきながら、一瞬で決めるクライマックス、ラストのヨットの帆のちょっと舞台のカーテンのような効果。

写真は、「黒蘭の女」「偽りの花園」で主演したベティ・デイヴィスと一緒のワイラー。



孔雀夫人(1936) - goo 映画
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「ある子供」

2006年07月21日 | 映画
子供、というのは売られる子供というより、売るほうのガキなのね。
日本にもいくらもいる感じ。

途中から女の子が徹底して男に冷たく当たるのがリアル。それで通すのかと思った。
それにしても、子供を買う奴(五千ユーロだって)ってどういう奴なのだろう。そちらの方もブキミ。

音楽を使わず、断ち切るようなフェイド・アウトを多用した演出は単純な感情移入を許さないが、ブレッソンみたいに徹底して厳しいわけではない。
良くも悪くも、少し甘い。
(☆☆☆★)



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強引な便乗

2006年07月18日 | Weblog
イタリアがワールドカップで優勝したから、というリクツなんでしょうが。
意味がしばらくわからなかったぞ。

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これは自殺ではない

2006年07月17日 | Weblog
なぜ靴を揃えていたのか。
ちなみに、この下に人が飛び降りた形跡はありません。


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「ポセイドン」

2006年07月15日 | 映画
オープニング・タイトルでアーウィン・アレン(オリジナルの製作者)・プロダクションといくつも出るプロダクションに混ざって出るのにびっくり。アレンはとっくの昔に亡くなっているのにね。

スタントマンが65人。CG全盛の現在、こう多いのは珍しい。水と火がらみのシーンが多いせいか。
使われている宝石提供に、ミキモトの名があった。

キャラクター設定はオリジナルとまるで別。やたら違っていて、しかも良くなったところが一つもない。身も蓋もない死に方をするところが多く、しかもそれにこだわりもしないのだね。

オリジナルだとリーダーのジーン・ハックマンの役はモーセでもありキリストでもあり、全体に「出エジプト記」の雰囲気が強いが、今回は誰がリーダーなのかすら曖昧。
子供がクリスマス・ツリーを昇るシーンに「天使の羽が見えましたか」と言ったのは淀川長治だが、ここではツリーすら出てこず、新年を迎えるカウントダウンが災厄が来るのにだぶるといった趣向もどこかに行ってしまった。
まことに索然たるリメイク。

船が転覆するシーンで、船の中のプールの水がこぼれるのがなんだか可笑しい。
(☆☆★★★)



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「バッドランズ」

2006年07月14日 | 映画
70年代に作られたアメリカ映画で十本の指に入ると「タイム」誌に選ばれたうちで唯一日本で劇場公開されなかった作品(某配給会社のサイトで公開予定に入っていたことあるが)。
「地獄の黙示録」が公開されて間もなくテレビ放映された時、マーティン・シーン主演つながりで「地獄の逃避行」という題になったのが定着してしまっているが、中身は「地獄」といったおどろおどろしさの対極にあるといっていい。

連続殺人犯と彼と一緒に逃げる少女の逃避行であるにもかかわらず、ナット・キング・コールやエリック・サティの「グノシェンヌ」を木琴に編曲した音楽などで、ほとんどおとぎの国の話か、マーク・トウェインの少年冒険譚のようなニュアンスが出ている。

これがデビュー作の監督のテレンス・マリックはこの後リチャード・ギアの初主演作「天国の日々」を撮った後25年の沈黙に入り、「シン・レッド・ライン」で復活、最近でも「ニュー・ワールド」を撮っているが、スタイルはこの時すでに完成している。

地上のドラマを追うより、ふっと天上の世界を眺めてしまうような、一種超越的な、あるいはアニミズム的な視点、ほとんど異様なくらいの風景美へのこだわり。その一方で暴力にみちみちた地上からも、距離をとりながらじっと目を離さない批評的なスタイル。
ナレーション、特に若い、というよりイノセントな女性のそれの多用。

「ニュー・ワールド」では文明論にまで至るノセンスの喪失というモチーフは、アメリカ文学の重要な伝統につながっているよう。
(☆☆☆★★★)

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「着信アリFinal」

2006年07月13日 | 映画
韓国に修学旅行に行った同級生たちに、一人行かないで部屋に閉じこもっている堀北真希が呪いを送っていくという設定から、綾辻行人ばりの趣向になるのかと思ったらアタリ。

ただし、その呪いを送っている情景が現実のものと見せて実は、という謎解きのもって行きかたがきちんと整理されておらず、ほとんど支離滅裂。
本来だったら、はじめ携帯に送られる画像の中だけで掘北の姿を見せていって、それを発信している実際の部屋に踏み込んだらどうなっているか、という具合に誰かの視点を通じて順を追って描いていかないと、どういうことなのかわかりゃしない。余計に頭を使うから、生理的に怖がっているヒマがない。
マーケットの事情からか韓国と合作になっていて主な舞台が韓国なので、呪われた側が日本にある堀北の部屋に踏み込むといった描写ができなくなっているせいもある。

また、呪いの主が堀北なのか、その分身か何かなのかもよくわからん。呪う役を振るわけにいかないからという事務所の事情ではないかと邪推したくなる。
黒木メイサの彼氏がなぜか聾唖者で手話で会話するのだが、それがどこかのシーンで声が届かないところから手話で意思を伝えるといった具合に生かされるわけでもない。
あと、彼の携帯のアドレス、黒木以外の誰か知ってたの?

携帯に来た呪いのメールを転送したら死なない、というせっかくの設定も生かされたとはいえない。ババの押し付け合いみたいにメールを転送しあったり、送られた奴が怒って自分に転送した奴を死ぬ前にぶち殺したりと、いくらも膨らませようがあるはずだが。

殺し方の工夫も不足。いじめを仲間をつつき殺すニワトリに喩えているのだから、よってたかってリンチして殺す場面がないというのは、むしろ変。悪意というか、意地の悪さが不足しています。
(☆☆★★)



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