prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

東芝解体 電機メーカーが消える日  大西康之

2017年08月31日 | 
かつての日本の製造業の「強さ」というのは、東電と電電公社という他の会社を選べない独占企業、実質的な「税金」を取り立てる国策企業に各種製造業がぶら下がっていたという構造にあった。そしてその「強さ」がアメリカが日本を反共の砦とする都合上、技術援助には甘くしていた上に成り立っていたのであり、冷戦の終結とともにそういった甘えは許されなくなり、またリーマンショック、電力や通信の自由化といった流れで一気に強味が弱点にひっくり返るに至った。

日本が勝っていた時に驕りと技術力信仰に陥って、作ったものは売らなくてはいけないという両輪の片方を忘れて新興国の市場開拓をおざなりにして韓国や中国に先を越された。また通産省、今の経済産業省が日本企業をまとめて外国勢に対抗しようとして介入しすぎ、結果競争力をそいでしまった。

あと成功の上にあぐらをかいて社内の権力闘争に明け暮れ、プライドから対応がことごとく後手後手にまわった。といった調子に、まことに厳しい現状分析が続く。参考にしたのが日本軍の第二次大戦での敗北の原因を分析した名著「失敗の本質―日本軍の組織論的研究」というのもうなずける。

ややとってつけたように明るい見通しも付け加えられるが、それはいわゆる「日本」企業としてのこれまでの在り方を全面的に振り捨てることでしかありえない。正直、当然だと思うし、いまさら親方日の丸にしがみついていたら沈むだけだろう。

気になるのは、本の中では特に強調していないが、重電メーカーが新しい市場として軍事産業に進出する傾向があちこちで見られることだ。成長産業らしい産業を結局育成できないままでいる現在、バカみたいに高価な軍事産業は「日本がアメリカから軍事的に独立するため」という理屈をつけてでも押し進める可能性は十分あるだろう。産業というより金食い虫だが。




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8月30日(水)のつぶやき

2017年08月31日 | Weblog

「アンダーワールド ブラッド・ウォーズ 」

2017年08月30日 | 映画
シリーズ五作目、といってもあちらのシリーズものは間がかなり空くのでどんな話だったのかかなり忘れてしまうのが困ったところ。

ケイト・ベッキンセールが2003年の第一作から14年経って顔もスタイルも変わっていないのがホントにヴァンパイアみたい。デジタル化粧しているのかもしれませんが。
娘を探す話が一応軸になっている割りにうまくストーリー全体に絡んでこないのは困ります。

画面が暗いのはこのシリーズの通弊とはいえ、今回は一段と暗くて見ずらい。アクション・シーンの様式美も今ひとつ。
(☆☆☆)

アンダーワールド ブラッド・ウォーズ 公式ホームページ

映画『アンダーワールド ブラッド・ウォーズ』 - シネマトゥデイ

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8月29日(火)のつぶやき

2017年08月30日 | Weblog

「東京喰種 トーキョーグール」

2017年08月29日 | 映画
「デビルマン」みたいに人間と人間ならざるものとの間の存在になってしまった男のアンビバレンツを巡るドラマなのかなと思っていたら、人間の方の描写がひどく手薄で喰種と喰種の亜種との闘いにしか見えない。

極端に言うとふつうの人間が出ている感じがしない。敵役が外観からいっても性格からいっても、どこが喰種と違うのだろうと思ってしまう。

原作は初めの方を読むと人間の食べ物を主人公がひどく不味く感じるようになって人間とは別のものになってしまったのを知るといった描写がおもしろいのだが、人間とまだつながった細かい描写が抜けるとさんざんやられた末キレて大暴れするといったいじめられっ子の逆ギレみたいな展開になる。喰種になった自分自身と戦う話と一応考えられるのかもしれないが、そこにいくまでの人間性・キャラクターが通りいっぺんだからあまり効かない。

最初にCGの触手が出てきたところで、このCGにずうっとつき合わされたらキツいなあと思ったらその通りになってしまった。
(☆☆★★★)

東京喰種 トーキョーグール 公式ホームページ

映画『東京喰種 トーキョーグール』 - シネマトゥデイ

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8月28日(月)のつぶやき

2017年08月29日 | Weblog

「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」

2017年08月28日 | 映画
学校の校舎の形自体が円筒形をしていて、さらに階段も螺旋形というのが花火が丸いのか平べったいのかといった論争?に対応しているのだろうか、ずいぶん変わった格好でアニメのオリジナルだろう。

ドラマ版はずいぶん前に見たっきりで正直ほとんど忘れているので比較は難しいけれど、ヒロインが持っている球が灯台のランプの反射鏡に視覚的にだぶったり、パラレルワールド?に迷いこむと空に同心円の紋様が表れていたりといった表現は、アニメの独自のものっぽい。

ヒロインが男の子より背が高いというのは割と新鮮。原点のドラマの観月ありさに合わせたとのだろうか。

打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか? 公式ホームページ

映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』 - シネマトゥデイ

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8月27日(日)のつぶやき

2017年08月28日 | Weblog

「君の膵臓をたべたい」

2017年08月27日 | 映画
恋愛ものなのかと思ったら必ずしもそうではなくて、人と関わること全般を拒否する青年とその拒絶を破って侵入してくる少女の話で、男女の関係になることを、ちょっとおかしなくらい避けている。
ふつう若くて可愛い女性と豪華なホテルの一室のベッドで一緒に寝て何もしないってツッコミ入れたくもなるが、一方で別に気にしなくてもいいのではないかとも思える。
それだけ深い人間関係を持つのに抵抗を感じるのが珍しくなくなっているのかもしれない。あるいはもともと抵抗がある人間はいたのを表明しやすくなっている。

本筋の方の時代設定が2005年で、全員スマホではなくガラケーを使っている。これ割と重要で、スマホを使っていたら誰とも関わりを持たずに過ごせるし、過ごしていてもおかしくないので、モチーフ自体成り立ちにくいだろう。

原作は未読だけれど、現代のシーン映画の創作だという。
ひとつには主役の高校生のカップルだけだと知名度のあるキャスティングが難しいので、やや歳をくった小栗旬や北川景子といった有名な人を出す関係もあるのだろう。

主人公の男が人との関わりを避けている人、という設定の割にかなりヘンテコな行動をとるヒロインにしっかりつきあっているではないか、という気もする。
いわゆるコミュ障のようでそうではない、というかコミュ障というのもむしろ他人との距離感の取り方に敏感で相手によってはいいのではないかと思わせる。

クライマックスが恋愛の成就でも失恋でもなくて、男女が友だちになることというのが今っぽい(のかな?)。

北川景子の結婚相手というのが誰なのか伏せておいて一瞬にわからせる手が冴えている。
原作読まないとな。
(☆☆☆★)

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8月26日(土)のつぶやき

2017年08月27日 | Weblog

8月25日(金)のつぶやき

2017年08月26日 | Weblog

荒木経惟 センチメンタルな旅 1971-2017

2017年08月25日 | 写真
もともと私写真と称して私家版として出版されながら評価を高め、去年復刻された写真集「センチメンタルな旅」を展覧会として改めて見るとストーリー性がずいぶん辿りやすくなった。

人が写っていない、しかし人間が生きている証の垢みたいなものがこびりついた物や街を捉えた無数の写真が、まとまった写真の続きものでないと表現できない、写っていないものの存在を感じさせる。

陽子夫人が亡くなる直前の食事の写真が驚くほど美味しくなさそう。白黒のはもちろん、カラーでも何か異物感が強い。

亡くなった後、空ばかり撮っていて、そこに手で着色しているのがなんともいえない喪失感とそれを埋めようとする感じが出ていた。

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8月24日(木)のつぶやき

2017年08月25日 | Weblog

エクスパンデッド・シネマ再考 東京都写真美術館

2017年08月24日 | アート
エクスパンテッド・シネマというのは通常の上映方法をとらない映画、複数のスクリーンを使ったり特殊な仕掛けをしたりしているシネマのこととされているけれど、ここで上映されているのは実質60年代後半から70年頃にかけて展開した初期の実験映画、アンダーグラウンド映画、略してアングラとだいたい重なる。今、アングラというのはまあ死語だろうが。

飯村隆彦、松本俊夫、金坂健二、真鍋博、など著名な実験映像作家の、それも色々特殊な仕掛けが必要だったりして簡単には上映できない映像作品を見られるのは公共の美術館ならではのこと。

昔のフィルムなので当然鮮明さを欠くのだが、かえってそれが再現不可能性、一回性というもともと当時の芸術運動の持っていた反古典芸術性を記せずして体現しているようでもある。

新宿のかなり騒然とした空気、ただサラリーマンが大勢通路を行き来しているだけでも何か熱気のようなものが映りこんでいる。なるほど当局は「これ」を殺したのかという感。

前衛は時代が経っても前衛であり続けている。

松本俊夫×湯浅譲二が万博のせんい館のために作った「アコ」の記録―といっても、これは360°上映だからごく一部を切り取って記録するしかないのだが―など貴重なものだし、このコンビの湯浅の音楽だけでもソフト化できないものかと思ったりした。

映像作品だけでなく、当時の評論誌などがずらりと展示され、作品と批評が一体化した、というか作品そのものが多分に批評的であり、批評がそのまま作品であって、ヒラエルキーが無化した時代の空気を伝える。



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エクスパンデッド・シネマ再考 東京都写真美術館

8月23日(水)のつぶやき

2017年08月24日 | Weblog