prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「スティング2」

2008年09月30日 | 映画
劇場公開予定があったのだが、その前に上映していた「フラッシュダンス」が大ヒットしてロングランしたもので、押し出される格好で未公開になってしまった続編。

キャスティングはまったく一新していて、ポール・ニューマンの役がジャッキー・グリースンで、役名がヘンリー・ゴンドルフからファーゴ・ゴンドルフ、ロバート・レッドフォードの役がマック・デイビスで、役名がジョニー・フッカーからジェイク・フッカーという具合に役名も微妙にずれている。華やかさという点では比べるべくもありません。
その中でなぜかロバート・ショーのドイル・ロネガン親分は同じ役で、ただし演じるのはオリバー・リード。他、カール・マルデンやテリー・ガーなど。

スタッフも共通しているのは脚本のデビッド・S・ウォードだけ。
音楽は同じスコット・ジョブリン作曲(音楽監督・ラロ・シフリン)だが、前作では使っていなかった「ヘリオトロープ・ブーケ:スロー・ドラッグ・トゥー・ステップ」などが使われている。

余談だが、「詐欺師入門―騙しの天才たち その華麗なる手口」という「スティング」のネタ本と帯に刷り込んだ本があって、話半分くらいのつもりで読んだら、あの映画で使われていた詐欺のたいていの手口は実在のもので、さらに実在の大物コン・マンにチャールズ・ゴンドルフという人がいたの知って驚いた。ニューマンは「動く標的」で原作のリュー・アーチャーをルー・ハーパーに変えさせたようにイニシャルがHの役名にこだわるところがあったから、名前もヘンリーにしたのだろう。

もともと一作目のゴンドルフ役は当初のシナリオではニューマンみたいに格好いいキャラクターではなくて、デブでハゲだったというからグリースンの方が近いといえば近い。[ハスラー」でニューマンの敵役をやっていた間柄でもあり、当然のようにビリヤードの腕前を見せるシーンあり。
(☆☆☆)


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スティング2 @映画生活

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ポール・ニューマン逝去

2008年09月28日 | 映画
ポール・ニューマンについて、気のきいた追悼文が書けるけではないので、「大アンケートによる 男優ベスト150 文藝春秋編 文春文庫ビジュアル版」で読んだ覚えのある佐藤慶の文章を記憶から引用してみます。原典があれば正確に引用できるのですが、処分したもので。

…ぼくはポール・ニューマンが好きです。均整のとれたマスクも、デビュー以来ほぼ同じ体型を保っているのも、彼の強靭な意思の表れだと思っています。しかし、同じ役者の端くれとして最も好きなのは、彼の演技の質の高さです。

彼の演技の魅力を言い表すのは難しいのですが、一言で言うと「何もしない」良さだと思います。中身のない役者が何もしないとバカにしか見えないのですが、彼の場合は彼自身の知性と羞恥心が現れます…世阿弥のいうところの「秘するが花」を表しているのではないでしょうか。
云々。

佐藤慶とニューマンというのは意外な組み合わせに思えますが、とてもいい文章だと思うので、古本で読めたらお勧めです。インタビューを読むと、ニューマン自身は自分の昔の芝居を「演技しようとしすぎている」としきりと反省しているのですが。

新聞の訃報も当然いろいろ出たわけですが、なんだか「暴力脱獄」cool hand Lukeに触れたのが少ない気がします。


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「ダークナイト」

2008年09月27日 | 映画
すでに伝説となったような演技を見せるヒース・レジャーのジョーカーが、次々と警察や検察といった法と秩序の番人の先手をとって、秩序そのものを崩壊させて混乱=カオスに叩き込み、事実より情報と疑心暗鬼の方に踊らされる群集心理を煽る、その手口の巧妙で多彩なこと。あれよあれよという感じに二転三転する、その振り回し方自体がジョーカーの、また映画の手口になっている展開。

バットマンは「正義」の側に立っているようであくまで法と秩序の外に立っているので、混乱をもたらす側と目されてしまう。舞台はゴッサム・シティというより普通のアメリカの都市の感じ。
しかし、アウトサイダーだからこそ、混乱にとらわれずに外から「正義」を守護できる騎士になれるというラストに至るまでのロジックの積み上げが見事。

世界観やアクションなど、奇想天外のようで現実にありうる範囲を外さないリアリズムを通していて、それだけに「現実」が崩壊していくような感覚が生々しくて不気味。暗い、といえば、ティム・バートン版の「バットマン」の暗さは個人的なコンプレックスの上に立っていたのに対して、ここでは世界の方が崩壊に瀕している。日本ではそれほどでもなかったが、これがメガヒットする世の中に対応しているのだろう。

十年くらい前にはキレた悪役ばかりの印象だったゲイリー・オールドマンの実直な警察官役がはまっていて、こっちが地みたいに思えてしまう。どっちも芝居なのだろうけれど。

冒頭に「プリズンブレイク2、3」のマホーン捜査官ことウィリアム・フィクナーが出てくるが、ずいぶんな扱い。
マフィア役にジュリア・ロバーツの兄貴のエリック・ロバーツ。前はジュリア・ロバーツの方がエリックの妹と言われていたが。
(☆☆☆★★★)


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「牛泥棒」

2008年09月26日 | 映画

牛泥棒と疑われた三人組を町の人間が証拠もなしに集団ヒステリーからよってたかってリンチにかけて吊るしてしまった直後に、泥棒は別にいて捕まったのがわかるという、最近だったらイラク戦争勃発を彷彿とさせる何やら肌に粟を感じさせる話。
クリント・イーストウッドが若いときに見て強い印象を受けたというが、行き過ぎた自警思想の現れという点で「ダーティハリー」に自然に結びつく。
1943年製作で、エンドタイトルの後に映画館で戦時国債を売っているから買いましょうという呼びかけのタイトルがついている。日本で劇場公開されそびれたのも、戦争をはさんだ上、アメリカ・デモクラシーの暗部を扱っていたからだろう。

ヘンリー・フォンダが一応主演だが、街にたまたまやってきたよそ者という傍観者的な役で、吊るすかどうか多数決を取る時に反対にまわるが、結局は多数に押し切られる。まるで1957年に製作・主演した「十二人の怒れる男」の裏返しのよう。

上映時間は75分という短さで、牛は一頭も出てこないという舞台劇的ですらある構成。リンチ場面の吊るされた男たちのシルエットの見せ方など、簡素で効果的。
全編の締めに当たるリンチで殺された男の家族への手紙をフォンダが朗読する場面で、相棒の帽子のつばで顔が隠れたまま、というのが手紙の内容を映画全体のテーマとして強く打ち出す効果あり。
DVDの特典についているオリジナル予告編では、フォンダがラマー・トロッティの原作本を見せてすぐれたストーリーであることをアピールしている。

「怒りの葡萄」でフォンダの母親役をやっていたジェーン・ダウエルがリンチ側のイヤなババア役で出てくる。何やら「東京物語」の慈母役の東山千栄子が「風花」では嫁いびりの姑役で現れたようなイメージの落差(顔がちょっと似ている気がすることからの連想)。
メキシコ人役で英語がわからないふりをしているが実は十もの言葉を使えるとうそぶいて吊るされる男が、当時28歳のアンソニー・クイン。撃たれた脚から自分で銃弾をナイフでほじくり出すというふてぶてしいところを見せる。
原題The Ox-Bow Incident。
(☆☆☆★★)


「恋愛睡眠のすすめ」

2008年09月25日 | 映画

監督は「エターナル・サンシャイン」他、アメリカでの活動が目立っていたミシェル・ゴンドリーなのだが、オープニングでフランスのゴーモン社のロゴが出てきて、舞台はパリで出演者もフランス系の方が多いので、あれと思ったらフランス出身なのね。

そのせいかどうか、現実では引っ込み思案な主人公が夢の中では一転してドタバタ大暴れする趣向は、どちらかというとダニー・ケイの個人芸で見せるハリウッド映画「虹をつかむ男」あたりより、映画的な仕掛けの多彩さで見せるフランス映画「夜ごとの美女」に近い。

ロシア製アート・アニメーションばりのアニメやフェリーニばりのセロファンでできた海を含めて、夢の映像の趣向はずいぶん凝っていて、作者の(アート)映画ファンぶりとミュージックビデオ出身らしい凝りっぷりを見せる。
もっとも、画面作りがそれ自体自己目的化している感じで、主人公の願望なりコンプレックスなりをどう反映しているのかよくわからないので、だんだん飽きてくる。

パリの安いアパルトマンの、エレベーターがついていないで、いちいち階段を上り下りしなくてはならず、互いにどこに誰が住んでいるのかよくわからない環境が割とうまく設定に生かされている。
(☆☆☆)


「おろち」

2008年09月24日 | 映画
原作は読んでいたので、あのラストのままだと実写でこのキャスティングだと明らかにおかしなことになる、どうするのだろうと思っていたらそのままなので驚いた。強引な。

洋館のセットの作り物っぽさとキッチェ感は狙いだろうけれど、いきなり見せられるとちょっと引くところあり。DLP上映だったのだが、その分フィルム上映よりますますリアリズムから離れた感じ。

「何がジェーンに起こったか」調の姉妹の取っ組み合いを含めた骨肉の争いの迫力はなかなか。
美女が醜く変貌する様子を直接にはあまり見せないで、主に試写室で上映される木村佳乃のアップのフィルムが熱で融けるので暗示しているのは、映画的な工夫。

歳をとらず、百年に一度長い眠りについたりするおろちというかなりわかりにくいキャラクターを下手に変えずに通したのは大胆。あれは何なのか、いろいろ考えたくなる。

流しで歌われる「新宿鴉」なんて歌、もっともらしいけれどそんな曲あったっけと思うと映画オリジナル。
大阪万博のポスターがちらっと見えたりするが、時代色を出すというより、時代性そのものが嘘だと見せているよう。
(☆☆☆)


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「闇の子供たち」

2008年09月23日 | 映画
ラストで唐突に江口洋介扮する新聞記者の「隠された過去」が暗示的に浮かび上がってくるのだけれど、それまでの行動や性格づけにこれといった対応する伏線がないのでひどく唐突な印象を受ける。意外性でまとめる話ではないと思うのだが。
普通の新聞記者なら、ああいう動機がなくてもあまりにひどい社会問題に対してなんとかしたいとするだろうし、そうでないと困る。

宮崎あおい扮するNGOが「どうせ自分探しだろ」と新聞記者に揶揄されるところがあるが、そう言う記者にせよ基本的には部外者で、どちらも本当に日本とタイに横たわる、命の値段にまで多寡がつけられる貧富の差の構造的問題にどの程度コミットできるかは疑問で、そういう限界は映画自体にも当然あるのだが、欠点としてあげつらうことではないだろう。
ただ当事者であり、一方的な加害者とばかり決め付けられない、子供の心臓移植を望む鈴木砂羽と佐藤浩市の夫婦のドラマはもっと見たかった。

阪本順治監督の旧作「トカレフ」に、誘拐された子供の死体がゴミ袋に入れられて捨てられている場面があったが、今回ではエイズにかかった子供が自分の力でゴミ袋を破って外に出てくる。しかしその目に映るのは本来なら生命の象徴である太陽でなく、そのネガともいえる月(月の映像が冒頭から頻繁に挿入される)で、結局命を長らえることはできない。そこからラストの平和な川で遊ぶ子供たちの映像には願望交じりとはいえやや飛躍がある。

東南アジアでの小児買春については、宮崎勤事件の時から知識としては知っていることが多かったが、小児愛好者たちの醜悪さが映画自体にまで及んでいないのはありがたい。さすがに臓器売買までは画面に出していない。どの程度演じる子供たちがわかっているのか、わからせているのかは気になるが。

タイのバンコク映画祭での上映が中止になったというが、ある意味「靖国」が日本で上映が危ぶまれたのと似ているのかもしれない。外国人に自国の恥部を曝け出されるのは気分がいいものではないだろうが、中止というのは残念。
(☆☆☆★)


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「トランスアメリカ」

2008年09月21日 | 映画

性同一性障害で完全に女になる手術を控えたヒロイン(?)が、昔男として作ったまま知らないでいた成長した息子と再会してアメリカを一緒に旅するロードムービー。
主演が女優なのか男優なのか知らないで見て、男がやっていたらすごいと思ったが、さすがに女優(フェリシティ・ハフマン)でした。
俳優のウィリアム・H・メイシーがプロデュースもしているのか、と思ったら夫なのね。

両親がユダヤ教徒とキリスト教徒という組み合わせ、というのがどういう意味を持つのか、日本人としてはわかりにくいところ。何をやってあんなに金を持っているのだろう。
その他グラハム・グリーンがナヴァホだけでなく色々なアメリカ先住民の血がごっちゃになって、しかもカウボーイ・ハットをかぶっているという混交ぶりで、このごちゃ混ぜぶりがむしろアメリカではないかという感じ。

定石によく従った構成のシナリオだが、ラストのくくり方がちょっと物足りない。
(☆☆☆★)

「スター!」

2008年09月20日 | 映画

大ヒット作「サウンド・オブ・ミュージック」のジュリー・アンドリュース主演、ロバート・ワイズ監督のコンビを復活させての二匹目のドジョウを狙ったであろう映画なのだが、「サウンド…」が製作費800万ドルで初公開時の北米興収が7600万ドルなのに対して、これは製作費2000万ドルで興収400万ドルに満たないという大コケ。公開当時の評判もはなはだ芳しくないもので、期待しないで見たら、やはりあまり面白くなかった。

実在のミュージカル・スター、ガートルード・ローレンスの伝記映画なわけだが、当人を知っている世代の人には柳川の芸者みたいな粋な芸人のはすが「まあ、どうでしょう。女学校の先生みたいなガートルード・ローレンスですねえ」(淀川長治)ということになるし、知らない人間には中途半端にワガママな芸人出世物語にしか見えない。
出世する前のミュージックホールで客と喧嘩しながら歌い踊っているあたりは、家庭教師役に縛られていたジュリー・アンドリュースとしてはボーン・イン・トランク芸人の地を出せるところなのだが、ワイズという監督は音楽処理というか音楽編集処理はうまいけれど、根っからの映画育ちで舞台のテイストが出せないせいか、なんだかサマにならない。舞台だと一方方向からしか撮れないので、得意の映像分割の冴えが全然出せない。

後半、酒に溺れるのかとと思うとそれほどでもないあたりで切り上げてしまうし、さすがにショー場面に限らず豪勢なセットや衣装は見ものだけれど、脇の男優がみんな弱くて、ドラマらしいドラマにならない。
(☆☆☆)


「ジーザス・クライスト・スーパースター」

2008年09月19日 | 映画

製作時、過激なユダヤ人団体がノーマン・ジュイソンJewisonというユダヤ人じゃないのにユダヤ人みたいな名前の監督に作らせるのは、ユダヤ人に対する悪意を覆い隠そうとする陰謀だと騒いだらしいけれど、実際のイスラエルにロケしていて、機関銃のほかどう見ても本物の戦車や戦闘機が登場するあたり、なんだか妙に気味悪い感じもする。
もちろん、というべきかキリスト教団体からも強く批判されたらしい。
砂漠は一神教を生み、森林は多神教を生む、という言葉があるが、本当に草もろくに生えていない砂漠を捉えたダグラス・スローカムの撮影は見もの。

ユダがゲッセマネの園から走り去る時、まわりを羊が取り囲んでいる寓意。

完全にヒッピー風の衣装、何十倍ものズームの多用、ストップモーション、スローモーションの挟み込み方など今見ると70年代風の意匠が大いに取り入れられている。
アンドリュー・ロイド・ウェバーの後の作風を考えると、「ロック」・オペラと銘打って発表されたのはかなり当時の流行に合わせた気がする。


「フリックストーリー」

2008年09月17日 | 映画

主演スターでアラン・ドロンくらい犯罪者の役をよくやり、しかもサマになる役者もあまりいないと思うが、それが警官の側にまわったあたりで、デカも犯罪者も大して違わないという作りであることがわかる。事実、ドロンの同僚の刑事は平気で容疑者を拷問するし、拷問をたしなめるドロンも密告者・警察のイヌを仕立てるのにはためらわない。密告したために殺される奴も出てくるのだし。
以前、ドロンの秘書が謎の死をとげたいわゆるマルコビッチ事件の時、実際にドロンが警察でぎゅうぎゅう言わされた恨みが出ている気がする。

警察バッジの代わりに「POLICE」と書かれたメダルを見せるのが珍しい。「スーパー刑事」という設定なので、叙勲されたメダルなのだろうか。

冷酷非常な殺人鬼役のジャン=ルイ・トランティニャンが好演。つかまえた後、奇妙に仲がよくなるというのも説得力がある。
ドロンがタバコを吸いっぱなしというのも'75年の映画らしい。

ドライブ・インの小さなレストランでの捕り物が、ドロンの情婦が何の気なしに弾くピアノのエディット・ピアフのメロディが殺人鬼の心を一瞬解かす描写や、井戸みたいに手動で入れるガソリンスタンドなどフランス映画らしい世話物的感覚が入っていて面白い。
ずうっとドロンがトランティニャンに背を向けっぱなしでどう接近するのかという人物配置と動かし方、キッチンに出入りするドロンを追うカメラが自然に壁に並んだ包丁を捕らえるなど、演出もなかなか冴えている。

抗生物質が不足しているのを密告者を仕立てるのに利用したり、やたら組合運動が盛んな世相など、戦争が終わってまだ間もない雰囲気がところどころに出ている。
(☆☆☆★)


「天然コケッコー」

2008年09月15日 | 映画

小学校・中学校合わせて生徒が6人しかいない田舎の学校が舞台なのだけれど、こざっぱりして美的にはちらっと出てくる東京の風景よりずっと精練された感じ。東京の風景はおよそ美的でなくて、田園風景の方がどうしたって「絵」になるせいも大きい。
当然だけれど、テレビで放映している番組は日本中まあ同じだし。
ラストカットの時間の飛ばし方など感覚的にはかなり垢抜けていて、夏帆ほか役者も田舎くさくない。
最初の方に出てくる列車のシーンは、ちょっと「スタンド・バイ・ミー」みたい。
(☆☆☆★)


ヴィスコンティ

2008年09月13日 | 映画
1999年・RAI(イタリア放送協会)製作、カルロ・リッツァーニ演出。

「ベニスに死す」でタジオの母親役を演じたシルバーナ・マンガーノが、ヴィスコンティが14歳の時になくした自分の母親をイメージをあまりにあからさまに重ねてきたのにやや当惑したと語る。

「山猫」のスチル写真の中に、クラウディア・カルディナーレやピエロ・トージなどが入り込む、黒澤明の「夢」みたいな趣向あり。豪邸の18もの部屋に全部蝋燭のシャンデリアを含めた照明をつけてカメラをセットし、部屋から部屋にいくら人々が踊りながら移動してカメラのフレームを出ていっても、また次のカメラに入るようにしたという途方もなく大掛かりな撮影。

「揺れる大地」の撮影の途中で製作費が底をつくと、ヴィスコンティは家に戻って宝石類を換金して戻ってきて撮影を続けたとある。それであのプロレタリアートの大叙事詩を撮っているのだから、妙な感じ。

若いときのヴィスコンティが競馬馬を育てていた時の厩舎が改造されて今では人が住んでいるという。どういう厩舎だ。

舞台でハンス・ウェルナー・ヘンツェの音楽と組んだことがあるという。ちょっと意外な組み合わせ。


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「ハンコック」

2008年09月12日 | 映画
嫌われ者のスーパーヒーロー、という着想が気に入って見に行ったのだが、本当に嫌われ者なのは途中までで、後半は別の話をつなげたみたいになってしまうのがちょっと困る。

原案が出てから映画になるまで十年かかったというが、ヒーローの「孤独」をどう克服するのかという展開ではなくて、よく考えてみると結局孤独なままなのだから、どういう風にリライトしたのだろう。
普通に考えて、自分が理解されるのを拒絶している悪役を出して対立させるというのが、一番ありふれた作劇になると思うのだが。

特殊効果にジョン・「スター・ウォーズ」・ダイクストラ。「スパイダーマン2」以来、四年ぶりの仕事。
ジョン・ハンコックというのは、アメリカ独立宣言に最初に署名したマサチューセッツ州の初代知事の名前。スーパーヒーローっていうのはあくまでアメリカ的なものらしい。
監督は「キングダム」のピーター・バーグ。コメディ・タッチと妙にシリアスなところのブレンドはあまりうまくない。

ASS HOLE(ケツの穴)っていう罵倒語が一種の決め台詞になっているのだが、日本語訳が場面によっていちいち違うので、この語を聞くと怒るっていうのが伝わりにくい。訳は戸田奈津子。
(☆☆☆★)


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