prisoner's BLOG

見た映画のメモと、ツイッターのスクラップで出来ています。

「7 Stories」

2019年02月15日 | 舞台
俳優座演劇研究所30期生修了公演

作 モーリス・パニッチ
訳・指導・演出 田中壮太郎

ビルの7階の張り出しに一見して自殺志願とわかる男がに立っていて、その背後の窓それぞれの中の住人が入れ替わり立ち替わり顔を出しては男とやりとりするのだが、全員男を救おうとするでもなく揶揄するわけですらなく、ひたすら自分たちの事情から一歩も出ずに勝手なことを言い勝手なことをする。

それらのスケッチの中から人の生死の間に立っているという点では同じキャラクターが自然に現れ、芝居でないと不可能な飛躍を大詰めで見せる。
しかしこういう設定も舞台ならできるのだなと思わせる。

コメディかと思ったら、人生のスケッチと生きる意味あるいは無意味をかなりまじめに描いた芝居。
窓から顔を出したらひっこめたりする芝居が多いので、ときどきセリフが聞き取りにくくなるのは難。

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「チャリング・クロス街84番地」 劇団俳優座演劇研究所28・29期中間公演

2018年07月12日 | 舞台
実在したニューヨーク在住の女性作家ヘレン・ハンフと、ロンドンの古書店の店主フランク・P・ドエルとの手紙とのやりとりで構成されたエッセイの舞台化。

この二人は第二次大戦が終わってから20年以上にわたって膨大な量の手紙をやりとりし続けたのだが、生涯ついに一度も顔を合わせたことがないというのがドラマの肝になる。
そして本を通してそれこそ森羅万象にわたる話題がのぼる。固有名詞だけでも大変な量だし、引用の仕方がいちいち凝っていて、ストーリーらしいストーリーなどないが不思議と飽かせない。

舞台面を斜めに割って右手前はニューヨークのアパート、左奥は高めにしつられロンドンの古書店に見立てた装置で、二人がそれぞれ手紙の内容を読み上げていく情景が何十年にもわたってえんえんと続くのだが、ひとつの空間に同居しながら直接目を合わせたりは決してしないのが、直接会わなくても理解しあっているであろう(あるいは別に違っていても構わない)ニュアンスを出した。

アン・バンクロフトとアンソニー・ホプキンス主演で映画化していたが、こういうコトバのやりとりはやはり生の舞台の方が力が出るし、リアリズムに縛られない強味も出た。

ヘレンがだんだん歳をとっていくのを一人の女優がメイクを変えて演じていたのかと思っていたのだが、カーテンコールで似た感じの女優さんが三人並んだのに面食らった。三人一役だったらしい。わがガチャ目に呆れる。同じメガネをかけて背丈が同じくらいだとわかりにくいものです。
考えてみると研究生でずうっと出ずっぱりというのはないだろうということになる。

舞台の床に散らばっている本を始まる前にちょっと見てみると、洋書ばかりでなく日本語の古い演劇の指導書が混ざっていたりした。

[作]ヘレン・ハンフ
[訳]江藤 淳
[演出・指導]堀越大史
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「六本木フールズ」自己批判ショーの麻布十番勝負

2018年05月20日 | 舞台
チラシの文句を引用すると「1995年の旗揚げ以来コント一筋、長年にわたり茨木のコント演劇界を牽引し続けてきた自己批判ショー」公演。
自己批判なんて昔の新左翼みたいなコトバがくっついているけれど、ひたすら笑わせる以外のことはまったくやらない思い切りのよさ。

六本木ヒルズの映像に茨木・六本木、なんて字幕が出るのはちょっと「翔んで埼玉」みたいなギャグセンス。
公演会場の麻布区民センターは本当に六本木のすぐそば。

映像を大々的に使っていて、途切れなく生身の役者との連携がとれているのも手慣れた感でテンポアップに一役買っている。
「ウルトラマン」のタイトルバック風に出演者を紹介する映像など、わざわざ古くなったフィルム風に傷やちらつきが出るようにしてあるのが凝っている。

映画上映前の注意を映画「タンポポ」みたいにやくざ劇調にパロッた冒頭から、「七人の侍」ならぬ「七人の黒澤」、テレビ通販ネタからイナバ物置(人数がかなり多いので成り立つ)まで、ヴァラエティに富んだネタを取り揃えてぽんぽんテンポよく進む。上演時間が二時間ないのも疲れなくていい。

可愛い小さな子供ふたりを出してくるのも、なかなかズルい。
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「わが闇」 ケラリーノ・サンドロビッチ作  俳優座研究生27.28期修了公演

2018年03月17日 | 舞台
ケラリーノ・サンドロヴィッチというと前に映画を撮る時に相当に不快な思いをしたらしくて二度とああいう状態では仕事しない、ということを書いていたと思うが、この劇の中で父親と娘二代にわたる作家の父の方のドキュメンタリー映画を撮るのに、製作委員会が有名人のインタビューを入れろとか監督にあれこれおかしな口を挟んでくるので、ぐちゃぐちゃになってしまうっていうあたりはその反映かと思ったりした。

三人姉妹が主人公になってるチェーホフの「三人姉妹」みたいな話でもあるし、長女が作家で末娘がウディ・アレンの「インテリア」みたいでもある。
ソファーに階段、引き戸程度のシンプルなセットだけども、途中で黒子風に裏方が現れて回り舞台式に装置を動かして変化をつける。

「闇」なんてタイトルについているので、どんなおどろおどろしい話かというと、ソフトバンクの通信網はつながりにくい、なんて小ネタも入れて相当に笑わせる。
ガラケーが劇中で真っ二つにされるけれど、本物だろうか。

研究生とはいっても、でかぶつあり、太目あり、美人あり、コメディリリーフ用ありと多彩。

作:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
演出・指導:眞鍋卓𠻸

俳優座27期 2018修了公演 「わが闇」配役
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「ドレッサー」加藤健一事務所

2018年03月09日 | 舞台
作 ロナルド・ハーウッド
演出 鵜山仁

出演 加藤健一/加納幸和/一柳みる/西山水木/石橋徹郎/金子之男/岡﨑加奈

前に加藤健一は三國連太郎が座長を演じていた同じ「ドレッサー」のタイトルロールのノーマンをやっていたのを、今回は座長役。ドレッサーは花組芝居の加納幸和。

余談だけれどこの三國座長版公演、プログラムを見ると槍持って立っているだけの役の一人が豊川悦司だったりするのにびっくりする。当時在籍していた劇団三○○(さんじゅうまる)主催だった渡辺えり(当時えり子)が客演していたので、その関係だろう。

こういう具合に同じドラマで昔若い方の役をやっていた役者が年かさの役に移って再演する例というのはいくつかある。
映画版の「奇跡の人」でヘレン・ケラーをやっていたパティ・デュークが再映画化でサリバン先生役をやったり、「探偵スルース」で若い美容師役だったマイケル・ケインが再映画化では老推理作家をやったり、など。
いかにも優れた作品が受け継がれていく感じがする。

三國連太郎の座長はイメージとして傍若無人でわがままで手に負えない感じが強く、意外にも舞台初主演(というか、舞台他にやっているのだろうか、Wikipediaには出ていない)だったのである種の異人というか舞台からはみ出ていたが、今回の座長は何しろ加藤健一自身が座長なのだか脱線しながら全体の軸になっている。

身体の大きさもいかにもデカい三國の座長に加藤のドレッサーがまめまめしくくっついていた感じなのが、今回はドレッサーの加納の方が背が高いので劇中のリア王と道化さながらに道化の方がリードしているバランスになった。

昔の公演では座長が死んだ後ちょっとだれる感じなのが、今回のはドレッサーの悲哀がぴたりと決まった。

紗を使って舞台を舞台裏から透かして見る恰好にした演出はおもしろかったけれど、劇中劇のセリフにエコーがかかっていたのは何かもったいない。せっかくナマで見に(聞きに)来ているのだから、できるだけ生音を聞きたいのです。







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「花粉熱」俳優座演劇研究所27・28期中間発表会

2017年07月28日 | 舞台
大女優だったらしい母親を軸にして夫と息子と娘の四人家族の日常が常に芝居になっているような不思議な家に、さまざまな外部の人間がやってきてややこしく絡む。

平和な家庭を外部からやってきた闖入者がひっかきまわすという作劇はありがちだが、その逆で外部からやってきた方がひっかきまわされる。花に近寄って熱を出すから花粉熱という意味のタイトルだろうか。1925年に書かれた芝居としては今にゆうに通じる家族観。
向田邦子の「家族熱」はここからタイトルをとったのだろうか。
大女優の役を研究生がやるというのはちと苦しい気がする。

作 ノエル・カワード
訳 鳴海四郎
演出・指導 堀越大史



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フィガロの結婚 さいたまシティオペラ第24回公演

2016年09月19日 | 舞台
実はこのオペラを生で見るのは初めて。

時には一度に七人の人物が平行して別々に歌い、それぞれの歌がその時の感情や状況に合わせて千変万化に変化し、しかも全体としてのうねりとハーモニーを生み出しているのが生で聞くとよくわかって一驚する。モーツァルトの天才をいまさらながら思い知らされた。
日本語で演じるとはいってもみなセリフが聞き取れるわけではないが、

フィガロの両親が誰かわかるあたりのすごいようなご都合主義を通り越した展開に会場のあちこちから笑い声が起こった。
宝塚ばりの男装と女装の混交がおもしろく、プログラムにはこのオペラをジェンダーの角度から見る見方が紹介されていた。

お客の大半は年配女性、男は毎度のことながら数が少ない。休憩時間のトイレの行列の長さに何十倍かの差があって、大丈夫かと思ったがなんとかなったみたい。

ロビーで前回のオペラ公演「魔笛」のDVDが、二種類のキャストともに売られていた。

2016年度さいたまシティオペラ第24回公演 モーツァルト作曲「フィガロの結婚」
   山﨑岩男版訳詞上演

   指揮 新井義輝   演出 十川 稔

   会場 さいたま市文化センター大ホール

              
    2016年9月   18日(日)     19日(月祝)
            14:00開演    14:00開演

 アルマヴィーヴァ伯爵   杢子   淳 佐野 正一
     伯爵夫人 金見 美佳 谷原めぐみ
     フィガロ 山﨑 岩男 菅谷 公博
     スザンナ 山下 尚子 藤田美奈子
    ケルビーノ 堀 万里絵 平中 麻貴
  マルチェリーナ 田辺いづみ   栗田 真帆
     バルトロ 伊藤  純 小野 和彦
     バジリオ 吉田 伸昭 石川 隆彦
     クルチオ 石川 和樹  正部家喬久
アントニオ 織部 玲児 海下 智昭
バルバリーナ 飯田映理子   村山   舞
      花娘Ⅰ 京島 麗香 髙木 佑子
花娘Ⅱ 進藤 麻衣 横田 里菜

  合唱    
   さいたまシティオペラ合唱団  
   新・音楽集団「匠」

   オーケストラ
  チェンバー ミュージックハウス オーケストラ
チケット取扱い:さいたまシティオペラ事務局 

 主催 さいたまシティオペラ
 共催 (公財)さいたま市文化振興事業団
 協力 学校法人 尚美学園大学   
 助成 さいたま市 
            公益財団法人 朝日新聞文化財団
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「僕の東京日記」

2016年03月11日 | 舞台
70年代、独立を夢見て一室に転がり込んで来たはいいが母親がつきっきりで世話をやいてくるブルジョワのお坊ちゃんとか、水商売の間を行ったり来たりしている女優とか、ラーメン屋のおかもちに偽装したり爆弾を持ち込む新左翼とか、昼は公務員で夜はヒッピーといった連中が交錯する高円寺のアパートを舞台にした集団劇。

タイトルの「僕」というのは一応お坊ちゃんのことだろうが、中央線で一駅の阿佐ヶ谷から高円寺に越してきたというのがというのが自立というにはいかにも甘くて笑ってしまう。

新左翼が爆弾闘争している時期というので、もろに時代が出る。
ただ閉塞感とか体制ががっちりできあがっていて頭を押さえつけている感じというのは、このころから変わっていないのだなと思わせる。
若い俳優たちが直接に当時を知っているわけはないが、ある種直観的にわかるところもあるのではないか。体制に埋没するか否かというのが二者択一ではない視点で作られていて、それが苦さばかりでなくメランコリックな情感にもつながった。

唐十郎がのしてきた時期で新劇の女優が読み方がわからずとうじょうろうと呼んでカラじゅうろうだと訂正されたりするくらい没交渉で、そのくせアングラのエネルギーにはうたれたりしている。
未だに新劇代表の俳優座の研究生がそれをやるというのがおもしろいところでもあるし、体制に対する反体制という時期は過ぎている今となるとアングラさえノスタルジーの対象になりそう。

「僕の東京日記」劇団俳優座演劇研究所研究生 2・3年(25・26期)修了公演3月
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俳優座2015年度研究生1年公演『森は生きている』

2016年02月04日 | 舞台
この演目を1954年に日本で最初に上演したのは俳優座なのね。さらに林光が作曲したオペラ化はこんにゃく座で上演、とずいぶん伝統のある演目。それを俳優座研究生が演じるわけだ。

ちなみに1956年に木村荘十二監督・脚本で日本に翻案映画化されている。王女役が当時25歳の宮崎恭子。つまりのちの仲代達矢夫人。

オペラといっても大仰なものではなく、基本ピアノ一台にチェロなどを加えた小編成で、それを役者が生で自分で弾くのが魅力。
役者の出入りが舞台の袖からではなく客席の通路を多用して観客のすぐそばを行き来するようにしているのは親しみが増していい。

大きなシーツのような布を振ると吹雪を表したり、巻物みたいに張った布を持って周囲をぐるぐる回るのが季節の変化を表したりといった表現は舞台ならでは。

兵士をやっていた役者、裸になるとびしっとボディが引き締まっているのに感心。


【作】サムイル・マルシャーク
【演出・指導】森 一
【翻訳】湯浅芳子
【作詞・作曲】林 光

【舞台美術・舞台監督】村雲龍一
【照明】東京舞台照明
【衣裳】越村華子
【音楽指導】天野眞由美
【振付】戸塚 梨

【特別共催】Kissポート財団


俳優座2015年度研究生1年公演『森は生きている』



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カレーライフ ZEPPブルーシアター

2015年10月26日 | 舞台
五人の若者がそれぞれ自分のカレーライスを作ろうとして世界のあちこちを巡り悪戦苦闘しながら成長するストレートな青春もの。
実は劇場も出演者も全然知らないで誘われたので見に行った。東京での千秋楽でした。

日本、沖縄、アメリカのバーモント、インド、終戦直後の日本など場所がとぶのを衝立やスクリーンに投影される映像などを駆使して処理し、間にサックス演奏とダンスが入れてスピードアップしている。
カレーとはいろいろな場所の産物の混交そのものであり、ぐるっと巡って日本に戻ってくる日本の特産でもあるということだろう。

特に褐色の巨大な布を下げてインドの大地の感じを出した美術に感心。
裏から光を当ててシルエットでスパイスの精?が躍るのを見せたりする。

900人くらい入るかなり大きな劇場(ブルーマンの公演用に作られたものらしい)だが、女性客が大半。ロビーで出演者の写真が貼りだされて、売り切れも目立つ。イケメン多いものね。

終わって出た六本木の街はハロウィンで大騒ぎ。いつからこんな大がかりな祭りになったかと思うくらい。

出演者 :玉城裕規 滝口幸広 岡本玲 長濱慎 丸山敦史
     大口兼悟 内田亜希子 俊藤光利

原作 竹内 真
脚本 鈴木哲也
監修 深作健太
演出 松森望宏

主催・企画・製作 日本テレビ

カレーライフ 

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「家族の写真」

2010年11月02日 | 舞台
古風で快適なアパートの一室。
ターニャは年老いた母ソフィアと二人暮し。
体の具合が良くないソフィアは、自分が死ぬまでに
何とかターニャが結婚し、幸せになってほしいと願っている。
そんなある日、若い恋人の家と間違えた中年の男イーゴリが
バラの花束とシャンパンを持ってやって来る。
ターニャは思わずイーゴリに15分だけ部屋に居てほしいと頼む。
ソフィアはイーゴリをターニャが前に付き合っていた男だと思い
込み意気投合、「すぐに結婚式を挙げるように」と言い出し……。

ターニャがついた小さな嘘から、静かな生活は急展開。
おかしくてちょっとせつないとっておきのボードビル。


ナジェージダ・プトゥーシキナ
翻訳
大森雅子
演出
鵜山 仁
出演(配役順)
中村たつ、日下由美、石田圭祐、桂 ゆめ

血がつながらないまま、三代あるいは四代にわたる家族ができあがってしまう話。
オープニング、独身のまま四十台半ばを迎えた娘を心配する母親の心情がやたらリアルで、ロシアの話という感じはまったくしない。
回り舞台を巧みに使い、一つの室内の裏表を使い分けている。

咳がしばらく続いていたので、咳止めを買って服用してから行く。幸い効きました。前に同じ俳優座の「十二人の怒れる男」のまさにクライマックスで携帯鳴らした奴いたものなあ。怒るわけにもいかないし、ああいうの本当に困る。


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「ブラッド・ブラザーズ」

2009年08月24日 | 舞台
シアタークリエにて。昔の芸術座を新装した劇場だが、椅子の間が狭くて奥まで行くのに全員に立ってもらわなくてはならない。映画館の椅子の方がゆったりしているのはどんなものか。

柴田恭平や国広富之も主演していたというから、ずいぶん長いこと上演されてきた演目。今度見たのは、武田真二と岡田浩輝が主演。テレビで見てるよりいい。
右手に五人組のバンドがいて、さまざまな楽器をとっかえひっかえしながら演奏する。

貧しい女が双子を産むが、二人は育てられないので一人を子供のできない金持ちの家に渡す、双子はそれと知らないまま仲良く育つが、次第に貧しい方が追い詰められていって、という悲劇。知らないで育った双子は、それと知った時に死ぬという予告が前半でしていて、全体に説明役が随所に現れるのが運命劇的。
知らないで見ていたが、舞台はリバプールなのだね。ビートルズの出身地で有名な。


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