prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」(東京都現代美術館)

2020年12月07日 | アート
あ、これもあれも石岡瑛子の仕事かと何度も思った。
たとえば、山本海苔店の缶のデザイン。
レニ・リーフェンシュタールの「ヌバ」展のポスター。
「地獄の黙示録」のポスターもだが、赤一色でまとめられたエレノア・コッポラによるメイキング本「ノーツ」のブックデザイン。

有名な一連のPARCOの広告、ドミニク・サンダの起用を提案したのは石岡らしい。
映画の素材をまったく使わないヴィスコンティの「イノセント」のポスターの大胆さ。

余談だがチャン・イーモウ演出の北京五輪の開会式用の衣裳展では、背景に開会式の映像が投影されていたが、それが完全にイーモウ映画の映像になっていた。当たり前だが撮影監督出身の演出家としてはカメラワークも演出していたのだろう。

数々の映画での衣裳ももちろん展示されていたが、基本単色にくっきりとしたシルエットなものが多い。
キャラクターに従属する衣裳というよりは、俳優と一体となってオブジェとして主張する意匠といった印象。

マイルス・デイビスのTUTUの没スケッチがいくつも並べられていたのは興味深かった。
前でLPがくるくる回転して音が出ていたが(増幅したものなのか、別に出しているのか)、レーベルももちろんデザインされている。

「MISHIMA」で使われた二つに割れるようになっている金閣寺のミニチュア(といっても見上げるばかりの大きさだが)が展示されていて、表面は木の生地を使って割れた内側が金色であることがわかる。
金閣寺の“美”は表面的に見てわかるものではなく、内側に胎内回帰的にこもって観念として浸るものなのを端的に表現したものと思える。

どう考えてもPARCO文化全盛の頃は生まれてもいなかったような若い客が多い。「MISHIMA」の展示もそうだったが、石岡のインタビュー映像を取り囲んで熱心に見ている。

近くの深川資料館通りに古本屋が二軒もあるとは奇特な話。もっとも古本ばかりでなく、石岡瑛子の評伝「TIMELESS 石岡瑛子とその時代」(河尻亨一著)も置いてある。
小さい方で荻昌弘の「歴史はグルメ」を購う。もう図書館で借りて何度か読んだ本だが、今後手に入るかどうかわからないので。




 

「ハマスホイとデンマーク絵画」展 東京都美術館

2020年02月12日 | アート
開催予定を知ってから一年、楽しみにしていたハマスホイ展(初めに知った時はハンマースホイ表記なのをよりデンマーク語発音に近いものにしての開催)に行ってきました。

彼に先立つ19世紀デンマーク絵画がまず展示され、森などを描く緻密なマチエールの一方で、印象派の影響も認められる点描技法、首都コペンハーゲンから遠く離れた地の海や漁師たちといったモチーフに対する一種のロマンチズムなどが印象づけられる。

北欧という先入観からは意外なくらい明るく柔らかい光が描かれているが、明るすぎず落ち着いた感じ。
人を後ろ姿で描くのは他の画家もかなりやっている。

しばしば誰もいない、いても後ろ姿であることが多い、多くのものが省かれたようで何かの気配、予感といったものが、静謐なタッチとは裏腹にざわめいている。
実物を見たすぐ後で複製を見るとこのざわめき大きく後退しているのかわかる。

祝日だったがむやみと混みすぎず落ち着いて見られた。



ゴードン・マッタ・クラーク展

2018年09月17日 | アート
















最近の美術展は撮影OKの場合が増えているが、この展覧会ではさらにインスタグラムでゴードン・マッタ・クラーク的な日常の風景を撮影・投稿したうちからピックアップして展示するという試みもしていた。

「しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス」

2018年03月15日 | アート
まるでおもちゃの箱みたいな家の佇まいや自然光を生かした画作り、雪が降って積もるのを時間をかけて撮っているのが魅力的。
家全体が建っていた場所とノバスコシア美術館の屋内の両方に再現とレプリカが展示されているとのこと。屋内展示できるくらいの大きさなのだな、実際。

自動車は走っているけれど、家の中で電気はまったく使っていない、ただし海岸の道を通るところで電柱や電線は見えるので電気を使っている家はある、といったところから一体いつ頃の話だろうと思った。

後で調べたところではモード・ルイスは1903年生まれ、結婚したのは38年、絵が売れだしてテレビに取り上げられたのが65年(リチャード・ニクソン副大統領が買う、というセリフがあるが、アイゼンハワー大統領の下で副大統領を務めたのは53年から61年にかけて)、亡くなったのは70年。
しかしその間、暮らしぶりがまるで変わらない。シンプルライフそのもので、絵のいい意味での子供っぽさと見合っている。

イーサン・ホークの夫が無骨で乱暴で、しかし愛情はもっているという具合に安直に描かないでほぼ終始ぶすっとした調子で通しているのがいい。
サリー・ホーキンスがリュウマチの症状は少し作りすぎではないかと思ったが、実際の映像ではもっと重症みたい。

モードについては実はまるで知らなかった(日本に紹介されたのは2004年も大橋巨泉が買って)ので、カナダ大使館でモード・ルイス展をやっていたので見に行ったのだが(さすがに大使館だけあって、手荷物検査がありましたぞ)、不思議な気がしたのはモードの作品そのものではなく映画用のプロップが展示されていたこと。
そこにある物に描けるだけのスペースがあれば描いてしまうという感じ。

本来関係ないが、図書室に行くとノーマン・マクラレンの七枚組DVDなんて置いてあるのにひっくり返る。図書室とはいっても貸出はしてくれないだろうし、うーむ。
(☆☆☆★★★)

「しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス」 公式ホームページ

「しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス」 - 映画.com



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「ガーディアンズ」

2018年01月28日 | アート
ロシア版アメリカンコミック映画、という形容矛盾みたいな映画。
単独のヒーローものではなくて、それぞれが冷戦時代の研究の結果で超能力を持つようになったメンバーが「Xメン」みたいにチームで戦う趣向なのだけれど、一人が完全に熊になってしまうのには笑った。

見せ場の作り方も型にはまっている割にいちいちテイストが違っていて、大手チェーンではないコンビニに入ってしまったような感じ。

アメリカではロシア人というと熊のイメージでレーガン時代に流行ったイワン・コロフとかニキタ・コロフといったロシア人と称する(実はカナダ人だったりする)プロレスラーとか「ランボー3」に出てきたロシア兵とかもベア・ハッグを得意技にしていたわけだけれど、自分から外部から見たイメージに合わせているのだから、日本での忍者ものみたいな感じなのだろうか。

宣伝では3億ルーブルの超大作、という煽りだけれど、為替を見てみると6億円弱ということになる。うーん、超大作なのかなあ。それでこれだけのCGばりばりの画面作れるのだから、経費安いのかも。

キャラクターも役者も微妙に泥臭い。相手がいくら強いといっても一人に大勢でかかるというのはあまり恰好よく見えない。
(☆☆★★★)

ガーディアンズ 公式ホームページ

ガーディアンズ - 映画.com



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生誕100年 ユージン・スミス写真展

2017年12月05日 | アート
第二次大戦のサイパンや沖縄の戦闘から逃れている一般人の写真がいくつもあったが、タイトルが日本訳で「日本人」になっているのが原語では「Civilian=一般人」になっていた。
なんで気になったかというと、特にサイパンでは現地人の可能性もあるから。

ベトナム戦争の凄惨な戦場写真に比べると、凄惨さより、兵士が水筒から水を飲んでいたり手当を受けていたりといった周辺的な場にカメラを向けている印象。

工場のしばしば働いている人の顔が見えない、場合によっては人が写っていない写真でも、そこにいる人の厳然たる存在感を感じさせる。

医者や助産婦といった生命と直接向き合う仕事を捉えた一連の写真が表わすてらいのない仕事と生命に対する敬意。

雑誌「ライフ」で名声を得た一方で、編集方針とも妥協せずしばしば衝突したことが順を追って紹介されている。

シュヴァイツァーを捉えた一連の写真が並ぶのを見て、彼がアフリカで医療活動に従事したヒューマニストには違いない一方で黒人を一段下の存在として見ていたことも否定できないわけで、その点で今の国境なき医師団などは彼のことをどう思っているのだろうと思った。

水俣の写真で、ひとつひとつ写っている患者の名前がタイトルに出ているようの「患者」という包括的な捉え方ではなく、それぞれ違う人間であることを忘れていない。

生誕100年 ユージン・スミス写真展 公式ホームページ



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運慶展

2017年11月12日 | アート
ミケランジェロと並べたくなる筋骨隆々の造形美、ダイナミックな力感に満ちた表現にびっくり。これはもう、実物見てみないとわからない。

展覧会のいいところで像の後ろにまわって見ることができて、そうすると背中の僧帽筋、お尻の大臀筋という筋肉の名前が自然に浮かんでくるくらいみっしりと筋肉が盛り上がっているのがわかる。
衣が柔らかく流れているように見える表現も後ろにまわった方がよく見える。

お釈迦さまみたいに普通だったら温和な表情を浮かべている像でも、水晶を入れた玉目の表現ばかりでなく目つきの作りからもう眼光炯炯としていて悪を睨んで追い払いそうな勢い。

一方で人間である僧たちの顔つきがまたリアルで、このあたりも自然とルネッサンスを思い起こさせる。人間主義といいますか。

鹿や仔犬のリアルでいて可愛らしい像も珍しい。このあたりは息子の湛慶あたりの作らしい。

二時半頃についたら40分待ちだというので、げーっとなったが列が整然と進んでいくので、苛立つほどのことはなかった。

運慶展 公式ホームページ



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「裸のジャングル」

2017年11月08日 | アート
1800年頃、アフリカに象牙狩りに出かけた白人たちが現地の部族に本来渡すべき貢物を渡さず、傲慢そのものの態度で象を狩りまくった報いで惨殺され、唯一まともに彼らのルールを守るよう主張した主人公コーネル・ワイルド(製作・監督・ノンクレジットながら一部音楽も兼ねる)だけ逃げきれば助かる人間狩りの対象となる。

人間狩りというといかにも野蛮なようだが、おもしろいのは追っていく複数の原住民の戦士たちがどちらに逃げたのか意見が分かれて理屈っぽく対立したりする一方で、追われる白人の方がひたすら逃げ延び生き延びるという目的ひとつに行動原理を絞り込んだ結果、白人の方が野性的で、原住民たちの方が組織と社会と理屈に縛られているように見えてくること。

とにかく追っかけが始まったらセリフはほとんどなくなり、単純明快きわまるプロットにどうやって逃げるか生き延びるかといった細かい知恵を散りばめていくという映画の作り方のひとつの王道を貫いているのが立派。
あと人の走りというのは、実に映画的だなと改めて思った。
「アポカリプト」の原点という説が有力だが、遜色ない迫力。

登場人物にはまったく名前がなく、コーネル・ワイルド扮する主人公もA Manとしかクレジットされない。また、追ってくる戦士たちがエンドタイトルでThe Purchaseとひとくりながらひとりひとりキャストの名前と共にクレジットされる。
全体とすると昔の「秘境」の「土人」のイメージなのだか、昔の映画(1965製作)ということもあって意外と今でいうポリティカル・コレクトネスに通じるセンスを感じる。

文明と未開の対立というより原住民と白人という「部族」の違いはあっても「戦士」としてのルールとプライドを尊重した戦いといったニュアンスが特にラストでくっきり出ているのが爽快。

ワイルドはハンガリー生まれのユダヤ人(出生名コルネール・ラヨシュ・ヴァイス)ということもあるかもしれない。
髭面にしているとすごいマッチョということもあってヒュー・ジャックマンみたいでもあるが、もともと1936年のベルリンオリンピックにフェンシングアメリカ代表として出場しているのだから本格的なスポーツマンなのだな。

元ネタとするとやはり1800年頃にアメリカ先住民のブラックフット族がやったことで、それを資金や機材の問題で南アフリカで撮ることになった(それに加えてジンバブエとボツワナでもロケした)とのこと。

象狩りの場面はストックフィルムを使用しているのだが、本当に象を撃ち殺しているのを見せられるとぎょっとする。
初めてA Manが手に入れる食料というのがヘビで(それまで飲まず食わずでよくあれだけ走れたと思うが)、ヘビを裂いてかぶりつくのは「カプリコン1」にあったなと思った。
(☆☆☆★★★)




「ダンケルク」

2017年10月03日 | アート
ダンケルクのビーチと、イギリスから吸収に向かう民間の船と、戦闘機の三つのパートが紹介される時に「一週間」「一日」「一時間」とタイトルが出る。

三つのパートが一つの時間軸で絡み合うのではなく、時針と分針と秒針がそれぞれ独自に動きながら絡んだり追い抜いたりするような構造はクリストファー・ノーランの初期作品である「メメント」から「インセプション」に至る共通したものであることがわかる。

実話をもとにして実物主義で撮影されたといっても、時間構造が直線的なそれではなく円環的それも同心円状ということで、生か死かの二分法ではなくその間の宙ぶらりんな死んだと思ったらまだ生きている感覚を出した。
体感的な映画には違いないけれど、「プライベート・ライアン」式の生々しさより知的な印象が勝っている。

空中戦で眼下に見える海の広がりと質感はこれが実物主義とフィルム撮影で狙ったものかと思わせる。上映はデジタルだったが。

ドイツ軍の姿をほとんど描かないのと、もともと撤退戦なもので戦って勝つカタルシスを狙わず、無事に円滑に逃げ延びるのに焦点を合わせているのに、司馬遼太郎の作品でしばしば出てくる最も難しいのは戦いながら逃げ伸びる撤退戦(実例としては浅井長政に寝返られて逃げる織田信長軍の殿のしんがりをつとめた秀吉と家康)という話を思い出したりした。
ここで逃げて無事でいられたからこの後の反撃も可能になったのだなと思わせる。
(☆☆☆★★)

ダンケルク 公式ホームページ

映画『ダンケルク』 - シネマトゥデイ

ダンケルク|映画情報のぴあ映画生活



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アルチンボルド展

2017年09月02日 | アート
会場の初めのところに、入場者の顔をアルチンボルド風に加工して表示するソフトのデモというのをやっていて、やってみたかったけれど行列がいかんせん長いのでパス。

まず典型的なアルチンボルドの作品を一枚見せておいて、いきなりオーソドックスな自画像につなぐのにびっくり。さらに父親の肖像画が続き、ダ・ヴィンチの素描も連なったりしてアルチンボルドが奇想以前にすごい描写力の持ち主であることを示す。

生まれ故郷のミラノからウィーンに渡り、ハプスブルグ家のフェルディナンド一世に仕えるようになってから有名な寄せ絵を描くようになるわけだが、その背後にハプスブルグ家の帝国主義から来る世界中の文物を収集して分類研究する博物学の発達があることが解説される。

当時とすると南米から渡って来て間もないナスやキュウリの類も寄せ絵の素材に使われていたりして、荒唐無稽に見える画風も世界を四元素や四季といった分類法によってあまねく絡めとろうとするハプスブルグ家の権威高揚のためという面があることも示され、ハプスブルグ家の面々の肖像画も並ぶ。

さらに他の作家による寄せ絵も並び、その中に皿に描かれた男根を組み合わせた顔というのがあって、女性客が三人ぐるりと取り囲んでいたのがなかなかおかしかった。

本を組み合わせた司書の肖像、ボトル類を組み合わせたソムリエの肖像など、マンガチックというか風刺的な作品がほぼ締めくくりに置かれる。

流れのはっきりした、わかりやすい構成の展示だったと思う。

instagram アルチンボルド展グッズ

アルチンボルド展 公式サイト



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エクスパンデッド・シネマ再考 東京都写真美術館

2017年08月24日 | アート
エクスパンテッド・シネマというのは通常の上映方法をとらない映画、複数のスクリーンを使ったり特殊な仕掛けをしたりしているシネマのこととされているけれど、ここで上映されているのは実質60年代後半から70年頃にかけて展開した初期の実験映画、アンダーグラウンド映画、略してアングラとだいたい重なる。今、アングラというのはまあ死語だろうが。

飯村隆彦、松本俊夫、金坂健二、真鍋博、など著名な実験映像作家の、それも色々特殊な仕掛けが必要だったりして簡単には上映できない映像作品を見られるのは公共の美術館ならではのこと。

昔のフィルムなので当然鮮明さを欠くのだが、かえってそれが再現不可能性、一回性というもともと当時の芸術運動の持っていた反古典芸術性を記せずして体現しているようでもある。

新宿のかなり騒然とした空気、ただサラリーマンが大勢通路を行き来しているだけでも何か熱気のようなものが映りこんでいる。なるほど当局は「これ」を殺したのかという感。

前衛は時代が経っても前衛であり続けている。

松本俊夫×湯浅譲二が万博のせんい館のために作った「アコ」の記録―といっても、これは360°上映だからごく一部を切り取って記録するしかないのだが―など貴重なものだし、このコンビの湯浅の音楽だけでもソフト化できないものかと思ったりした。

映像作品だけでなく、当時の評論誌などがずらりと展示され、作品と批評が一体化した、というか作品そのものが多分に批評的であり、批評がそのまま作品であって、ヒラエルキーが無化した時代の空気を伝える。



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エクスパンデッド・シネマ再考 東京都写真美術館