prisoner's BLOG

見た映画のメモと、ツイッターのスクラップで出来ています。

「ラストレター」

2020年01月26日 | 映画
メールどころかLINEその他でいくらでも手軽に連絡のやりとりができるこの時代に手書きの手紙で文通するという古式豊かな趣向。

クラシックでロマンチックなムードがあるのはもちろんだが、メールなどがもっぱらスマホなどのガジェットに縛られ宛先の相手とピンポイントでやりとりされるのに比べ、手紙だとそれ自体が独立したモノだから、部外者が手にしたり目にしたり余地が多くなる。
そしてこの映画では本来の受け手ではない人の手を介するところを積極的に多くして描いている。

スマホはもちろん登場するのだが、それが使えなくなるようにする段取り、それから福山雅治が本来の初恋の相手だとその妹の松たか子を同窓会で間違えるまでの設定に脚本が知恵を絞っている。

手紙と共に本、それも全集が本棚に収まっている様子がしきりと画面に写る。
学校の図書室はもちろん、お寺の本棚にも全集本が横になっている。福山の自伝的な作品である小説の単行本といい、これまたクラシックな手触りを見せるし、「Love Letter」の図書館と「失われた時を求めて」の使い方を思わせる。
おしなべて当人同士の手を離れて残された言葉に託された、いなくなった人間に対する思いといったものを丹念に炙り出している作り。

仙台ロケの緑の中の川や城、寺といった美しい風景の一方でシャッター通りの中の寂れたアパートや飲み屋も撮っていて、しかも中山美穂や豊川悦司が登場するのにびっくり。
かつての岩井俊二映画のキャストを失われた時の浸食を経た姿として出してきている。





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1月25日のつぶやき

2020年01月26日 | Weblog


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「リチャード・ジュエル」

2020年01月25日 | 映画
作中テレビで実際のリチャード・ジュエルのインタビュー映像を流しているのに驚いた。
実話ネタの映画のラストでモデルになった人の実写映像が流れるというのは普通だが、作中で役者が演じているのと平行して流してしまうというのは珍しい。
イーストウッドとすると「15時17分、パリ行き」でモデルの人物を当人に演じさせるなんて真似したのだから、もう融通無碍だろう。

オリヴィア・ワイルド扮する特ダネ狙いジャーナリストのキャシー・スクラッグスの描き方が、アメリカでは色仕掛けでネタを取ってなどいないと批判されているというが(キャシーがジュエル同様亡くなっているのがまた話をややこしくした)、実名で描く割にキャラクターとしてかなり手薄な感じではある。時間的にジュエルが脅迫電話をかけられないとか裏をとっていないというのはお粗末すぎでホントかいと思う。
それに基本はFBIの見込み捜査のミスとリークで、悪気がなくても結果は似たようなものではなかったか。
ちなみにFBIのエージェントは仮名になっているというが、逆にすべきところではないか。
映画のラストで登場人物たちのその後が字幕で出るが、キャシーについては触れていないのも不可解(事件の5年後に亡くなっている)。

ジュエル家のしきりとドアがノックされて人が出入りし中でやりとりされる、その芝居の捌き方がさすがにスムース。

太っちょのお人よしのノロマみたいな調子で通してきて(それでも弁護士を呼ぶのは忘れないのがアメリカか)大詰めでFBIに反撃するところで真っ直ぐ相手を見すくめる計算が立っている。

主に1996年の話なのだが、初めの方ではもっぱら固定電話を使っているのが、途中から携帯電話を使うようになる。特に説明していないがいつでも弁護士に電話できるようにだろう。取り入れるのはこの当時としては早かった方となる。

ドラマとすると法の執行官として生きるのを望んだ男がその最高峰であるべきFBIに嵌められて、しかし法と権威には忠実でい続けるという構図になる。見放すのかと思っていたので、ちょっと意外。

むちっとした制服姿の肖像画が水野晴郎みたい。




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1月24日のつぶやき

2020年01月25日 | Weblog













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「ホイットニー オールウェイズ・ラヴ・ユー」

2020年01月24日 | 映画
前半の輝くばかりの才能の輝きと栄光と後半の零落と疲弊のコントラストが凄くて、見ていて粛然とさせられる。

ホイットニーがアメリカ国家「星条旗よ永遠なれ」を歌うところで、あれは戦争の歌だ、アメリカという国は外国と同じくらい黒人に暴力をふるってきたとがインタビューで語るのが重い。

麻薬をやっていた洗面所付近の汚ならしさがひどい。

身内が金に寄ってきて離れられなくなるあたりは、金自体が麻薬みたいなものかと思わせる。




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1月23日のつぶやき

2020年01月24日 | Weblog











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「フィッシャーマンズ・ソング コーンウォールから愛をこめて」

2020年01月23日 | 映画
伴奏もないような人声だけの合唱が魅力的。
漁師たちが素朴というばかりでなく格好よく(全員サングラスをかけて横一列になって歩く「タランティーノの映画に出るのか」などと言われるシーンあり)それなりにお洒落でしたたかでもある。
逆に漁師としての労働をもっと描き込んだ方が厚みが出たのではないかと思う。

実話ものとはいえ、これといったひねりはなく、良くも悪くもほぼ予想通りに話が進む。

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1月22日のつぶやき

2020年01月23日 | Weblog
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「ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋」

2020年01月22日 | 映画
俗な言い方をすると逆玉というのか、シャーリーズ・セロンのおそろしく長身の美人で有能で恰好いい(楽屋裏では過労でヨレヨレになっていたりするが)国務長官が大統領を目指すのにスピーチライターとして雇った太めでむさいジャーナリストが恋仲になるという組み合わせの妙で見せるコメディ。
正直、そんなことあるのかとちょっとづつひっかかるところはある。

大統領を目指す人が薬でハイになったり変装してとはいえ公衆の面前で踊りまくったりいくらなんでも無茶ではないかと思うが、トランプ以後では逆になんでもありになるのかもしれない。
現職の大統領が俳優というのはレーガン、何よりそのバックになる資本家の赤っ面ぶりがトランプそのまんま。大統領ではなく国際独占資本こそが支配者なのだということなのだろう。

共和党支持の黒人が出てきたり、細かいところで型を外そうと試みている感じ。




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1月21日のつぶやき

2020年01月22日 | Weblog







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「チェルノブイリ」

2020年01月21日 | 海外ドラマ
旧ソ連の話だが、首をすくめたくなるくらいいちいち日本にも思い当たる。

事故など起きないという根拠のない思い込み、建前が独り歩きして正当な批判が通らなくなる組織の硬直、技術力への過信。
目の前の経済性にとらわれかえって途方もなく高いものについてしまう本末転倒。
上層部の無責任に対して、現場の作業員たちの踏ん張りと犠牲。

ドラマとすると、事故の対処にあたる科学者と共産党中堅幹部とのバディものとして、最終的に生命の重みに対しては政治的権威だの見栄などは屁みたいなものだと実感させる。
初め傲慢だった党幹部が自分を含む命に対する感覚を取り戻すのを一匹の尺取り虫に見せる眼差しにこめる脚本と演出と演技の見事さ。

ソ連からロシアに変わっても地元では作れないであろうドラマで、外国からの目や批判というのは必要なのだと思わせる。
多量の放射線を浴びた作業員の体が見るも無残に溶解していくのを真っ向から見せるところで、前に日本で臨界事故を起こした時の作業員の実際の写真(テレビや新聞では取り上げず、週刊誌にしか載らなかった)を思い起こさずにはいられなかった。自分を含め、どうしてあれを等閑視できたのか。

ひるがえって考えると日本はある意味、もっと悪質かもしれない。
直接の検閲がなくてもメディアが“自主的”に事実上官製になり、オリンピックのバカ騒ぎで原発事故を上っ面だけ糊塗しようとしているのだから。

映画フクシマ50の公開が控えているが、原作者からして不安は大きい。

HBO製作、Amazon prime経由のスターチャンネルにて。
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1月20日のつぶやき

2020年01月21日 | Weblog


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「テッド・バンディ」

2020年01月20日 | 映画
肝腎の、というべきテッド・バンディの残虐な犯行そのものについてはほとんど描写として表に出していない。
だからあくまでしれっとして俺は無実だといい続けるのバンディに同調してしまう二人の女の視点に接近して見ることになる。

正確な意味なのかどうかわからないが、物証を並べられても平然として同じウソを繰り返せるサイコパスぶりを見ていて、こういう人間(特に政治家)、こういうのに騙される人間いるぞと思う。

バンディの暴力の対象になった女性たちとそうならなかった女性との間にどんな違いがあったのだろうかというと、事実上ただの気まぐれ以上のものはなかっただろう。
本質的に相手に共感することがなく、暴力か甘い言葉かの違いはあっても女を支配すること自体が本質的な体質になっている男の空虚さをザック・エフロンが自分の好感度を逆手にとってよく出した。

どうやってバンディの支配から逃れるかのドラマをリリー・コリンズが、逃れないかのドラマをカヤ・スコデラーリオ(このいかにも70年代風の扮装)を分担している構造。
人間のおぞましさが後退している感もあるし、逆なセンセーショナルな作りを避けたくてこうしたのかもしれない。




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1月19日のつぶやき

2020年01月20日 | Weblog
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「2つ目の窓」

2020年01月19日 | 映画
主演吉永淳とあるけれど、この当時の芸名で、現在は本名の阿部純子で「海を駆ける」「孤狼の血」から「サローキンが見た桜」と出演作が続いています。

「海を駆ける」で好意を寄せる男の子太賀につれないのがアイドル的な可愛いらしさとは違った感じで注目したのだけれど、この6年前の2014年の出演作ではまだ素材を河瀨直美監督に生かされて芝居らしい芝居をしないで奄美大島の自然、特に壮大な海の風景に男の子と共に生き物そのものになつたように溶け込んでいる。

映像そのものエロスは感じ取れる一方、正直いうとストーリー的な起伏や葛藤は薄くて、気持ちいい分相当に眠くて参った。


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