prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「クラバート」

2007年01月31日 | 映画
オープニングで主人公のクラバートが仲間二人とキリスト生誕を祝いに来た東方の三博士に扮して家をまわり食べ物をもらうハロウィンみたいな遊びをするが、本筋に入ると「親方」のもとで水車小屋で十一人の仲間の子供たち(つまり全部で十二人)とこき使われる、してみると「親方」はキリストみたいな位置づけになるが、やっていることは逆。
魔法を使って子供を牛に変えて町の市場で売り、そのあと逃げてきた牛を子供に戻すというインチキで小金を儲けるのが「親方」のやり口なのだから。

放浪の自由を失う代わりに抑圧されながら日々のパンだけは得られる、という環境はまことに典型的に人間の生活を描いている。
人はパンのみにして生きる、というキリストの教えの逆の世界。

切り紙アニメの中に、水や煙などの実写が合成されるのがすこぶる刺激的。
「愛以上の魔法はない」という、気恥ずかしくなりそうな評言が生きて聞こえる不思議。
(☆☆☆★★)


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幻想の魔術師 カレル・ゼマン 「クラバート」 短編 「クリスマスの夢」- Amazon

「ラッキーナンバー7」

2007年01月29日 | 映画
カンサスシティ・シャッフルって言葉が一つのキーワードになっているように、一見して何を描いているのかわからないカットがばらばらに撒かれて、後で回収すると、あ、そういうことだったのと納得させる「手」になっているという次第。

物語上の伏線術というより、カード捌きそのものを御覧なさいといった作り。
ときどき説明的になってツーペア続きという感じになることもあるが。

セットが凝っていて、ターミナルの未来派的なデザイン、二人のボスの部屋のアール・デコ調の調度など、ずいぶんとスタイリッシュ。

それぞれの大物俳優にそれぞれ見せ場を用意しているのも周到。
(☆☆☆★)


「女は女である」

2007年01月28日 | 映画
なんか、しょっちゅう振り出しに戻るみたいな作りだな、と思った。
音楽が流れていい気持ちになりかけるとぶちっと断ち切られる。女と男の答えが出る性格ではない問いのえんえんたる繰り返し。ついでにこじつけて言えば、画面もしっょちゅう原色に還元される。

ゴダール作品は必ず見ているうちに寝てしまうのだが、だから以後見ないということにはならないのが不思議なところ。

アンナ・カリーナに惚れて撮っているのがありありとわかる。その点、後年のよそよそしさとはやや感触が異なる。
(☆☆☆)


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「岸辺のふたり」

2007年01月27日 | 映画
映像というのは、「待つ」姿を描くとモノをいうものらしい。

映像は現在進行形なので、まだ来ていない時、というのは決して描けないから想像に任せるしかない。
しかも画がもっぱら遠景で、しかも人物が半ば影に隠れて表情がわからない。というのが効果をあげた。

ただ、ラストで過ぎ去った時が一気にチャラになるのには、やや違和感を覚えた。
自分より年下になった父親(たぶん)に出会った方が、痛切な感じが出たように思うのだが。
(☆☆☆★)


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「万事快調」

2007年01月27日 | 映画
イブ・モンタンとジェーン・フォンダ主演によるジャン=リュック・ゴダール作品。
ということはいつものゴダール作品。ゴダールくらいずうっと「前衛的」でありつつ「いつもの」であり続けている人も珍しい。

見るほうも、画面の被写体をフランス国旗の赤・白・青に塗り分ける色彩処理、画面外から注釈をつけるようなナレーション、長い長い移動撮影に音楽がかぶさって気持ちよくなりかけるとぶち切る音の処理、などをまたやってる、と思いながら、いつもの「いつもの」とはちょっとづつズレている居心地悪さも感じ続けるという次第。

工場の建物のいくつも連なった部屋を透視図風にぶち抜いて横移動で捕らえた画面作りや、主役二人がカフェで話すのをストレートな会話を外してもっばらナレーションの注釈で描いた、異化効果式演出などは面白い。

ラストに出てくる呆れるほどバカでかい、やはりものすごく長い横移動で捕らえられるスーパーマーケットが、日本に進出しかけて撤退したカルフールであることが目を引く。製作当時から一種の資本主義の牙城みたいだったのだね。

今見ると、毛沢東思想(マオイズム)が一種の主義思想として理解されているのが変な感じ。アレは権力闘争のための方便でしょう、と突っ込みを入れたくなってしまう。
(☆☆☆)


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「地獄」(1999)

2007年01月26日 | 映画
キワモノ以外の何物でもないのだが、作られて十年近くなってくると宮崎勤やオウム真理教、林真須美といった当時はこんなことがありうるのかという感じだったネタが、今みたいに似たようなヒドい事件が日常茶飯的にほいほい起きるようになると、適度に熟成されてまろやか(?)に見えてくる。

若いほとんど素人のスタッフをコキ使って作ったらしいが、そのせいかかえって見世物小屋的なチープさが満載なのが見ものといえば見もの。まあ、普通に見ればヒドい安い映画ということになります。
よく見ると、幼女連続誘拐殺人や地下鉄サリン事件をリアルに再現したりといった形でどぎつい見せ場を作るのは避けている。それやるとぎりぎりながら商業ベースに乗るのがムリになるからか。代わりに脈絡なくヌードが出てくる。
そのあたり、逆にプロ(商売人)の仕事ではあるのです。

ラスト近く、突然丹波哲郎が登場してあろうことか地獄の鬼や牛頭馬頭までぶった斬って去っていくのは、「ポルノ時代劇・忘八武士道」の主人公・明日死能の再登場で、「直撃!地獄拳 大逆転」のラストで突如として「網走番外地」の牢名主こと嵐寛寿郎が登場するのと同じ趣向のアナーキーな楽屋オチ。「忘八…」の原作者の小池一夫に断ったんかいな。
(☆☆)


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「モンスター・ハウス」

2007年01月25日 | 映画
家が人を食べる、というアイデア一つなのだけれど、いきなり家全体がぱくっと人を食べてしまっているもので、およそ発展性がなくて退屈する。食べられたらどうなるとか、中がどうなっているのか、といった細かい工夫がすっとんでしまっているのだね。
家が人を食べるといったらむかーし大林宣彦の劇場用長編デビュー作に「HOUSE ハウス」ってあってあまり面白くなかった記憶があるけれど、あれくらいにもいってません。
今更CG技術じゃ驚かないし。
(☆☆★★)


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「遥かなる戦場」

2007年01月23日 | 映画
1968年 監督トニー・リチャードソン、出演デビッド・ヘミングス、トレバー・ハワード、ジョン・ギールグッド、ハリー・アンドリュース、バネッサ・レッドグレーブ 撮影デビッド・ワトキン 音楽ジョン・アディスン

最初見たのはずいぶん前のテレビの土曜午後の一時間半枠で、正味70分強の枠に131分の映画を詰め込んだものだから主演女優のバネッサ・レッドグレーブが冒頭に顔を出しただけであとまったく出てこないというおそろしく乱暴なカット版だったが、よくわからないなりに面白く見た。
全長版を見ても印象そのものは意外と変わらない。スジと関係ない騎兵の訓練風景などの基礎描写が多いせいもある。騎兵と馬の訓練をこれだけ細かく見せる映画も珍しい。

それからしばらくして黒澤明が絶賛しているのを知って、なんとなく嬉しくなった。
今見ると、隊列の後進の様式美や、クライマックスの騎兵の突撃と砲火を浴びて全滅するクライマックスの場面の撮り方が「影武者」によく似ている(「影武者」の方が後です、為念)。
イギリス軍はユニオン・ジャックをあしらった赤と青の華美な軍服で左から右に突撃し、ロシア軍は灰色で右から左に砲撃するという色分けと構成がきっちりしている。

ただし、日本の興行はパンテオン・ミラノ座系という戦艦クラスの劇場チェーンだったが、二週間で打ち切りという不入り。
黒澤が見ていた前の席で、ポスターがラブロマンス風だから間違えて来たらしいオバサン客が「つまらない」「何これ」とやたら騒ぐものだから、「うるせえっ」と怒ったという。

コケたというのも無理がないところがあって、とにかくここには感情移入できるキャラクターがまったくいない。軍上層部・上流階級の連中のバカで無責任で縄張り意識ばかり強いこと、大戦末期の大日本帝国の軍部そこのけなのはもちろん、デビッド・ヘミングスの一応まともに見える大尉も友人の妻とデキているし、その最期の突っ放し方はすごい。
こういう将軍とか参謀とかいったお偉方をとことんおちょくるのは一種イギリスのお家芸で、日本映画ではなかなかここまでいかず、変にもったいがついてしまう。

旧「ピンク・パンサー」シリーズのタイトルで有名なリチャード・ウィリアムズの政治風刺マンガを動かしたようなアニメーションがところどころに挟まれるのがすこぶる効果的で、実写でもお偉方は徹底してカリカチュア風に、一方コレラで兵隊がばたばた死ぬ場面などどきっとするくらい生々しいリアリズムで描かれていて、それでいて総体としてはまとまっている幅が、単なる物量スペクタクル以上のスケール感につながっている。
(☆☆☆★★)


「パプリカ」

2007年01月22日 | 映画
夢、というのは極度に個人的なものだから、人に夢の話をされてもおよそわからないのをわかるように媒介するツールが、ここに出てくるDCミニなのだが、他人のイメージを大勢で共有する、という意味で映画も同じような機能を持つ。

原作に比べて映画からの引用や刑事が自主映画を作っていた過去など、映画絡みの描写が増えたのもそのせいだろう。
その他、ネットに広告、孫悟空やピノキオなどの有名なお話など、さまざまなメディアが「現実」と「イメージ」=夢とをつなぐ装置として大幅に援用されているのが脚色の知恵の見せどころで、ポップアート的なセンスに作者の才能を見せる。

ヒロインのパプリカがいやに色っぽく描けている。
(☆☆☆★)


「怪談新耳袋 劇場版 幽霊マンション」

2007年01月21日 | 映画
このシリーズ、長編にするとがくーっとつまらなくなりますね。

もともと日常生活の中にふっと非現実的な飛躍が入ってくるところが怖いのだけれど、長くするのとそれを改めてヘタに論理的に組み立てなおして台無しになるみたい。
回想シーンだけ独立して見たら短編として怖いところもあるけれど、括弧に入ってしまっている感じになるので、これまた効果が上がらない。

劇場版だからまとまったストーリーを作らなくてはいけない、ってことないと思うのだが。
(☆☆★★)


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