prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「バーダー・マインホフ 理想の果てに」

2011年07月31日 | 映画
日本でも過激派の映画はいくらか作られているが、ここで描かれるドイツでの体制側の射殺をまったく辞さない弾圧の激しさからすると、ずいぶん情緒的に見える。

もっとも日本だってあさま山荘事件の映像を封印したり、死体を掘り出したのをいったん埋めてテレビに効果的に映るよう掘り返した、という噂があったりと、体制側がぬるいってことはなく、真綿で首を絞めるような手口が違うだけだろうが。

日本でいう団塊の世代の作り手たち(プロデューサー・脚本のベルント・アイヒンガーが1949年生、監督のウリ・エデルが1947年生)がまさに同時代人としての過激派を描く、というのは日本ではなかなか見られない。
弾圧される側があまり感情移入しやすいように描かれていないのが、作り手の覚悟が見られると思う。

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「ニーベルングの指環」

2011年07月29日 | 映画


ワーグナーの楽劇や1924年のフリッツ・ラング監督による二部作で有名なゲルマン神話だけれど、ああいうやたらとモノモノしい作りではなく、テレビ作品ということもあって、ごくとっつきやすい入門編。

ドラゴンが下顎を膜状に広げたりして完全にでっかいトカゲといった造形。ゴジラまでトカゲにしたものなあ。

監督のウリ・エデルは「ブルックリン最終出口」から気になっている人だが、ホームグラウンドはテレビで(「ツイン・ピークス」も何話か演出している)、プロデューサーのベルント・アイヒンガーと組むと「クリスチーネ・F」「バーダー・マインホフ 理想の果てに」みたいに重厚な作品を作るが、それ以外だとマドンナ主演の「BODY ボディ」みたいな鳥アタマ映画を作ってしまったりする。
これも監督がどうこう、という性格のものではない。

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「恐怖」

2011年07月28日 | 映画
「脳のなかの幽霊」という脳科学本のさきがけになった本があったが、ここでは「本物」の幽霊と、脳の中に投影された像としての幽霊とがかわるがわる交錯しながら現れてくるといった印象を受ける。

本物の幽霊というのも妙な言い方ではあるので、存在を証明できるものではないし、またすべては幻想や思い違いと解釈してところで存在を否定できるものでもない。「イメージ」が現実を侵食してくるのは「リング」のテレビ受像機から貞子が具現化して這い出てくるシーンに代表されるが、イメージ=現実といった主客二元論では幽霊は捉えられない。
不特定多数の間で存在が合意されているもの、とでもいったありようで、主に心霊写真の写り方を梃子に、なぜこう写っていると幽霊に見えるのか、という合意を探り幽霊の「リアリティ」を追求してきたのが、いわゆるJホラーの主導的な方法論だった。

脳のニューロンの一種に、自分の行動とまったく同じように他者の行動に対してシンクロして興奮状態になるミラーニューロンというのがあるのだが、ここでの発想の基本には、脳の中に投影された主観的な像として存在している世界とは別に、他者の存在と無意識にシンクロしている世界が脳の中に別に平行して存在している、といった世界観があるように思う。

ただ困るのは、どちらも映像化=対象化してしまうと、脳から外に出てしまうから、どこが違うのかわからなくなること。

確固したものと思われた拠って立っている「現実」が崩壊するのは恐怖を伴うだろうが、ここではあらかじめ三人称的な「現実」は無視されているので、恐怖は置いてけぼりをくうことになる。

眼高手低というのか、あまりに先に突っ走りすぎ、という観は否めない。
(☆☆★★★)

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「プリズナー NO.6 」

2011年07月27日 | 映画


このブログに「prisoner’s」とついているのは、パトリック・マクグーハン企画・製作総指揮・主演・一部監督脚本の1968年のテレビシリーズ「プリズナーNo.6」からとったもの。それだけブログ主にとっては思い入れのあるシリーズなのだけれど、これはそのリメーク。

それだけにおそるおそるという感じでTSUTAYAの100円デーに合わせて借りたのだが、それでちょうど良かった。

スパイ役で売った(初代ジェームズ・ボンド役の候補にも上がった)マクグーハンの冷徹で何考えているのかわからないパーソナリティに対してリメークのNo.6役のジム・カヴィーゼルはこれまで通りナイーヴさが先行する。
イアン・マッケランのNo.2に美男子の息子がいるのは、マッケランが同性愛者であることをカミングアウトしているのを知っていて見ると何やら意味深。

家族や恋人が(どこまで本物かわからないなりに)絡み、人間の番号化・記号化に対してかなり情緒的に対抗するのだけれど、オリジナルの人間の記号化の上に開き直った寓話的な大胆不敵、不羈奔放な作りの前には、いかにもひ弱。

オリジナルの「村」は島にあったのが、リメークでは砂漠の中にあって脱出不可能というのは、「そして誰もいなくなった」のピーター・コリンソン監督版が原作の島から砂漠を舞台に移したのを思わせたりする。出て行こうと思えば出て行けるのを出て行かない、という設定も今更さほど刺激的ではない。

オリジナルでは「島」は共産圏にあるのではないかという意見が多かったらしいが、北アフリカの保養所みたいな「村」は、また別の非欧米的な文化圏のニュアンスがある。

襟に沿って白い線が入ったジャケット(マクグーハンが製作当時住んでいた家の向かいのミル・ヒル・ハイスクールのスポーツ用ユニフォーム)や、前輪がやたら大きな自転車、シーンをしばしば締めくくるセリフbe seeing you(じゃ、また)といったオリジナルの細かいアイテムをところどころに出してくるのは、当然のマナーとはいえ少し嬉しくなる。

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プリズナーNO.6〈コレクターズボックス(6枚組)〉 [DVD]
製作総指揮・主演 パトリック・マクグーハン
東北新社

「127時間」

2011年07月26日 | 映画
ほとんど岩の間にはさまれた男一人だけで全編押し通すミニマムシネマ。
限られた人物と空間で、どれだけ映像と音のセンスでもたせられるか、挑戦しているみたい。監督に自信と実績がなければパスしなかっただろう。

さすがにイメージ・シーンや回想なども入るが、ビデオカメラや中国製(!)十徳ナイフや水筒の超クロースアップが、それぞれのモノを小道具というより肉体の延長とも見せる。

見ているこちらもある程度忍耐力を試されるが、タイトルで時間を区切ったため助かるのがあらかじめわかるので、苦痛ではない。
山場は凄惨だが良くも悪くもスタイリッシュに処理していて、具体的にどう切り離したのかはよくわからない。

自然相手のスポーツはやめられないというけれど、これだけの目にあいながらやめないのだから、よほど麻薬的な魅力があるのだろう。
(☆☆☆★★★)

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「戦慄迷宮」

2011年07月25日 | 映画
迷宮が出てくるまで30分、そこで登場人物たちが迷うまで45分かかる運びの悪さ。

もともと3Dで作られたのを2Dで見たわけだが、どのあたりが立体効果を出ているのかよくわからない画面構成が多い。

迷宮に閉じ込められてあちこち逃げ回る恐怖が眼目のはずだけれど、それが回想の中身という扱いで、ちょいちょい現在の警察の取調べがはさまってくるのがいちいち展開の腰を折る感じで、隙間風がびゅうびゅう吹き込んでくる。
(☆☆)

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「ハングオーバー!!史上最悪の二日酔い、国境を越える」

2011年07月24日 | 映画
基本的なパターンは一作目とまったく同じ。これだったらいくらでも作れそう。

下品なのはいいけれど、外国、特に東洋が舞台となるとアブナイ描写に微妙にひっかかる。東洋人だからって、指つめて平気っていうのはないでしょ。

下半身にモザイクがかかったりかからなかったりなのだが、ニューハーフだと修整かかるってことか? どういう基準と理屈なのか。
(☆☆☆)

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「BIUTIFUL ビューティフル」

2011年07月23日 | 映画
死者が生者と同じ次元に棲んでいるあたり、ラテンアメリカ文学風でもあり、死んだら消えてなくなるというニヒリズムはあらかじめ封印されている。
また黒澤明の「生きる」にインスパイアされたとはいえ、生きている間に何かしら有意義なことのために生きるのを目指す(ということは、そうでなければ生きている価値がないということになりかねない)という方向も封じている。

生きていく上の苦しみそのもの、というより苦しみが即ち生きることといった厳しさをハピエル・バルデムが体現している。
54歳で夭逝したクルド人監督ユルマズ・ギュネイの「苦しみにも千の顔がある。人間だけが苦しめる存在だから」という言葉を思い出す。

移民問題は日本でもあるはずなのを見えなくさせられているが、いずれイヤでも噴出するだろう。

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「大鹿村騒動記」

2011年07月21日 | 映画
周知のように7月19日に71歳で亡くなった原田芳雄の最後の出演作になったわけだが、歌舞伎の型を決める姿といい顔の色艶といい声の張りといい、とてもこんなに急に逝くとは思えず。
初めのうちこそ一種の感慨を持って見ていたが、すぐ映画に没入してあまり意識しなくなる。普通に見るのが故人に対する敬意と思う。

ずいぶん前にやった大井武蔵野館でのトークイベントで、2月29日生まれなのをサカナにして今年で14歳ですとか言っていた。それでいうなら17歳の少年のまま逝ったことになる。「タモリ倶楽部」の鉄ちゃんぶりなんか、そのまんまだったし。

大楠道代の認知症という設定が現実認識が曖昧になったり多義的になったりすることで、芝居や芸能の虚実皮膜に対応する格好で生かされている。

二週間というおそろしく短い撮影期間のため長まわしが多くなったそうだが、それがそれぞれ経験豊かな役者を生かした。

三国連太郎は88歳。17年上なのだから親といってもいいくらいだが、丈夫ですねえ。

松たか子が意外と、というのも変だが出番が多い。鄙には稀な美人といった感じで、裏を返すと割りと田舎っぽい。

訃報の翌日とあってかなりの入りなのはよかったが、前の席の男の髪の毛が立っていてスクリーンにかぶりそうなのと、隣の男が歯槽膿漏か何かで口臭が漂ってきたのはなんとかならんかと思いつつ見る。
(☆☆☆★★)

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原田芳雄さんが亡くなりました

2011年07月20日 | 映画
原田芳雄さんが亡くなりました。

今はなき大井武蔵野館で原田さんの初主演作「復讐の歌が聞こえる」が上映された時、立ち見していた自分のすぐそばを通って舞台挨拶のため壇上に上がっていくのを目と鼻の間で見ると、映画で見る印象ほど大きいわけではなかったのを思い出されます。

なぜそんなに大きな男のように思っていたのか考えてみると、篠田正浩監督「はなれ瞽女おりん」(小林薫の映画デビュー作)の「大男」が個人的に最初に見た役で、あまり語られない出演作ですが、その印象がまずあったのだと思います。

しかし、それだけではなくてやはり何本も見ていった出演作での俳優としての存在の大きさが重なっていたのでしょう。

「竜馬暗殺」で共演し、一時期真似ばかりしていたという松田優作の「ブラックレイン」が東京映画祭で初お目見えした時、舞台挨拶する予定だった優作が「体調を崩しましたので、挨拶は欠席させていただきます」とアナウンスされ、風邪でもこじらせたかと思っていたら、ロードショー中に訃報が流れて仰天してもう一回見に行ったことがありましたが、これも何かの因縁か、最後の主演作の上映中に訃報を聞くことになってしまいました。

月並みですが、ご冥福をお祈りします。

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「SUPER8/スーパーエイト」

2011年07月19日 | 映画
最重要な小道具である全体に突起が出たキューブは、たぶんレゴから発想したんでしょうね。

あ、あそこ「E.T」、ここは「LOST」、これは「ジュラシック・パーク」、あれは「クローバーフィールド」といった具合に、スピルバーグとエイブラハムズのそれぞれの過去の作品を思わせるシーンが満載で、しかも融けあっている。
8ミリ映画少年出身の体質の近い作者が組んで相乗効果を生んだ。感動、アクション、コメディ、ホラーと幅広く娯楽映画の要素がバランスよく詰め込まれている。

ゾンビのメイクをした女の子がゾンビ式ふらふら歩きで主人公の男の子に迫ってきて噛み付くところにキスするようなニュアンスを出すところの、グロ調の見かけにロマンチックなニュアンスを盛り込んだセンスに感心。

どこでメイクを習ったの、という女の子の質問に男の子はディック・スミスの本で覚えたと答える。
スミス、という人は超がつく大物メイクアップ・アーティストで、その技術を惜しみなく公開したことで有名。日本でも代々木アニメーション学院の特別講師(って肩書きだったっけ)をやってました。
脱線するが、「エクソシスト」のメイクを学院の学生を使って再現する公開講座を見たことあるけれど、よほど時間をかけてごたごた塗るのかと思ったら解説を交えて一時間四十分くらい。手数が少なくて見栄えのする殺陣師の如し。

感動的なクライマックスで集まった全員が空を見上げている中、一人だけマリファナやって寝ているアンちゃんがいるのは「ある戦慄」のラスト的点描。
(☆☆☆★★)

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「小川の辺」

2011年07月18日 | 映画
配役序列が二番目な割りに菊池凜子の出番が少なすぎ。
もっぱらセリフの中で描かれて、クライマックスに至る前に東山紀之と妹の菊池が一緒に出てくる場面はなかったのではないか。
彼らと東山の従者の勝地涼とのいきさつは子役を使った回想として描かれるから、それに対応するクライマックスの上位討ちのあとの三人のやりとりは、題名になっている川のほとり、という点からも対応関係は明白なのだが、出てくる役者が違うのだからニュアンスがいまひとつ出ない。

出番が少ない分、気を持たせた割にいざ出てきた時の膨らみや魅力に乏しい。

それに、夫と兄の斬り合いなど見せたくない、という勝地の配慮で菊池の留守中に乗り込むのだが、いくらふだん半刻は帰ってこないとはいえ、その日はどうなるかわからないのだから、菊池が帰ってこないように見張るなり仕掛けるなりしないのか、と気になった。

藤沢周平らしい日本的な風景、建築、風俗などはまことに丁寧に描かれていて、丁寧すぎて少しまだるっこく感じられるくらい。
(☆☆☆★)

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小川の辺 おがわのほとり - goo 映画

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NHKスペシャル「復活~山田洋次・SLを撮る~」

2011年07月17日 | 映画
山田洋次がSLの再生を追った初のテレビドキュメント。
寅さんが揶揄的に言った油にまみれた「労働者諸君」の姿がたっぷりと描かれる。

SLを全部解体して、部品を掃除して、ひびを修理し、また組み立てなおす。
東京タワーの建造記録で見られた、真っ赤に焼けたリベットをひとりが渡し、ひとりが受け取って穴にはめて固定し。反対側から叩いてつぶしてとめる、あるいは部品をわずかな隙間を通して組み立てる一連の作業のチームワークの美しさ。
日本の職人の腕と連帯感がSLとともによみがえったよう。

<音>がいい。SLというのは、生き物が呼吸しているようで、ささやいたり、咆哮したり、息をこらしたりする。

過去の技術者と現代の技術者が作業を通じて会話しているよう。

大陸で保存されていた「あじあ号」の保存されていた姿を見に行く。ひどく大きく背が高い動物のよう。
日本に戻ったとき、SLがトンネルを通ったり、鉄橋を渡ったりするのが、大地を爆走するSLしか見たことのない山田少年の目には絵本の中を走っているように見えた、というのが印象深い。

NHKスペシャル「復活~山田洋次・SLを撮る~」
チャンネル :総合
放送日 :2011年 7月16日(土)
放送時間 :午後9:00~午後10:15(75分)
ジャンル :ドキュメンタリー/教養>歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養>ドキュメンタリー全般
趣味/教育>旅・釣り・アウトドア
番組HP: http://www.nhk.or.jp/special/
再放送の予定をメールでお知らせします。(NHKネットクラブの無料会員登録が必要です。)


「男はつらいよ」などで日本人の魂を描いてきた映画監督、山田洋次さんが、あしかけ3年間にわたってSL「C6120」の修復・復活を記録した、初テレビドキュメンタリー

「男はつらいよ」などで日本人の姿を描いてきた映画監督・山田洋次さんが、足かけ3年間にわたってSL「C6120」の修復・復活を記録した初のテレビドキュメンタリー。戦後は日本の復興の象徴であった「SL」。SL復活のドラマと、それを取り巻く人々の奮闘や情熱を描くことで、東日本大震災で打撃を受け、将来への不安を抱える現代日本人へ向けて、力強い復活へのエールを届けたいという思いがこめられた番組。

山田洋次, 【語り】吉永小百合 音楽 冨田勲


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「さや侍」

2011年07月05日 | 映画
松本人志が「シネマ坊主」で、王様を笑わせなかったら死罪となる芸人を扱った韓国映画「王の男」について、あれで笑わせられるとは思えない、とお笑いのプロとして批判していたが(もっとも、あれは王が笑ってしまってから後のドラマの方が眼目だったけれど)、似たような設定の本作ではどうしたか、というと、定型化されたら笑えるわけがないので、正面からこうすれば笑えますといった「正解」を提示することはしていないし、それはまず誰にもムリだろう。

まったくの素人がおかしくない芸をやるのだから、そのおかしくなさを笑うか、変に懸命な姿に共感するか、といった色々混ざった反応がかえってくることになる。
笑いそのものより、その裏側に張り付いたペーソスとか情とかいったものが表に出て、普通の娯楽映画に近づけて、表現の定法を外すところは外しているけれど、全体としてはきれいにまとまっている。

しきりと娘が「恥ずかしい」というが、笑われるというより嗤われるのを嫌がっているのだろうが、見物に来た観衆はあからさまに主人公を嘲笑したりはしない。今のテレビのスタジオで笑っているお客みたいに初めから芸人に好意を持っている。そのあたり、あからさまに笑いや芸人に対する差別が描かれる「王の男」と比べて甘いといえば甘い。

刀がない、さやだけさした侍という設定は、「いい刀はさやに入っている」という「椿三十郎」の教えをひっくり返したみたい。

有楽町で見たのだが、画面がわずかに色のズレを起こしていた。デジタル上映とは表示されていなかったが、撮影の段階の問題か、フィルム化する時の問題か。夜の場面の提灯がばかに明るく写っていたりする。
(☆☆☆★)

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さや侍 [Blu-ray]
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よしもとアール・アンド・シー

「黒い神と白い悪魔」

2011年07月04日 | 映画
金持ちや神父が悪で、反逆者の山賊が善かというとそうでもなく、どうかするとタイトル通り、どっちがどっちだかわからなくなる。
聖ジョルジュ(ジョージ)に退治される者、ということでアントニオはドラゴンになぞらえているのだろう。ここでは反逆者の制圧に出かけるから体制側かというと、およそそういう感じではなく、限定された役割からどんどんはみだしてくる。白い悪魔、なのかどうかも曖昧になるくらい。あまりに混沌としていて理解に苦しむところも多い。

最近、イザベル・アジェンデの「精霊たちの家」を読んでいるのだが、空中浮遊とかいったオカルト的現象が平気で起きる世界がそのままチリの政変のリアルな描写に横滑りするあたりの振幅の広さと共通するものはあるのかもしれない。

ギターの弾き語りで場面がつむがれていく、フォークロア的な語り口。
背後にはブラジル(それから南米)の圧倒的な貧困と富裕層のコントラストがあるわけで、製作時の1964年とは比べものにならないくらい経済成長していても、貧困層がどの程度変わったのか疑問。
変わったのはライフルから「シティ・オブ・ゴッド」のようにサブマシンガンになったことかもしれない。

デジタル上映だったが、コントラストの強い画になると質感がとんでソラリゼーションみたいになるのは、やや不満。
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