prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「危情少女 嵐嵐」

2004年06月29日 | 映画
演出・展開がもったいぶりすぎていて退屈する。中国の新世代監督も映像にばかり凝ってオハナシを忘れる傾向があるよう。ホラーで宣伝しているけど、ちーっとも恐くない。試写のプレゼントで黄色い袋と開運の水晶(?)をくれる。
(☆☆★★)

「メダリオン」

2004年06月24日 | 映画
ジャッキー・チェンもずいぶんCGやワイヤーワークに頼るようになったなあ。前半では動いているのですけどね。ラストのNG集もアクションのやり直しではなく、台詞のとちりなのは残念。50歳では仕方ありませんけどね。カチンコには作品名を‘HIGHBINDER’と書いていた。しかし、CGの使い方も、人を不死身にするメダルというのは、アクションの緊張感を削ぐ気がするのですが。
(☆☆★★★)

「シルミド」

2004年06月19日 | 映画
俳優の名前をまったく意識しないで見た。特に、というと他のあまりに多くを切り捨てることになるが、訓練を受ける方より訓練する方の軍隊の隊長と副隊長が、役も演技も印象に残った。下手すると、「フルメタル・ジャケット」の鬼軍曹のリー・アーメイに当る、すでに自身が人間性を失った上官として描かれておかしくない役だ。
しかし、ここで非人間的なのは、もっと上だ。作戦中止の原因になった“中央情報部”の人事移動はまったく目に見える形で描かれず、役者の形をして現れる一番のエラブツは、「シルミド事件」の報告書にサインしない。

軍人が、というより組織としての軍隊自体が、上と下との板挟みになることになる。上官の命令は絶対という原理で動くはずの、というより動かなくてはいけない組織が、その成員を誰一人残さず、“政治的判断”の転換の論理的不統一に挟まれて軋みをあげることになる。

利用されたあげく捨てられ叛乱を起こす638部隊は、心情的にも論理的にもすっきりしている。東映ヤクザ映画によく例えられるゆえんだ。だが、正規の軍隊ではない638部隊だけでなくここでの練習隊もロジックの上では、犠牲になった可愛い弟分の仇をうつべく、悪い親分に殴り込みをかけなくてはいけない役に、あたってしまっている。単純なドラマのカタルシスからは、いい意味で濁ってしまっている、いわば高度な部分だ。

人情家と鬼と見えた二人の副官が、作戦の中止が決まってから逆転するあたり、人間性の複雑さでもあるとともに、“軍隊の論理”に従って、上は下に命令に従わさなくてはならないのを徹底していくと、上の政治的御都合主義を批判することにも通じてきて、鬼と見えた2曹が、部下に責任を持とうとする魅力ある人物で、人情家風はたまたま情けをかけられる立場でいられただけの、本質的に訓練兵たちを見下していた俗物であることが暴露される。

チョ2曹役(見ていて役名を覚えた)をハードにこなしているホ・ジュノが、今年の韓国最大の映画賞助演男優賞と聞いて納得。予め待ち構えて見るより多くのものを見られた気がする。

当方は連座制などという制度があったことも知らなかったのだから、ひどいもの。当時の韓国の政治情勢など、予備知識がないとなかなかわかりにくい。

ラストを含めて劇中計3回歌われるのは、原曲ドイツ民謡でアメリカの労働運動で歌われてから革命歌になったものだという。北朝鮮側の歌をわざわざ覚えて歌うというのも不思議な気がする。スパイ活動をするわけではないのだから。手榴弾のピンを抜いた時、外の部隊に向けて投げるのかと思うと自爆したのには、え、と思った。前半で自爆の教えをしているところを見ると、韓国側の権力者こそが敵ということか。
(☆☆☆★★★)

「下妻物語」

2004年06月18日 | 映画
予告だとものすごくわざとらしい映画みたいで二の足踏んでいたが、実物はわざとらしいなりにバランスがとれていて笑える。ラストの唐突な展開は?だが。衣装がこれだけモノを言っている日本映画は珍しい。場内は女性客ばかり。
エンドタイトルで実在の店や人物が出てくるけれどその宣伝を目的とするものではありませんと出るのがなんだか可笑しい。水野晴郎が「シベリア超特急」のTシャツを着て登場する。映画とは関係ないが、最近しきりと広告している民主党の岡田代表の実家がジャスコを経営しているのを思いだしては妙な気分になった。「貴族の城」という店が本当にあるというのだからビックリ。
(☆☆☆★★)

「21グラム」

2004年06月14日 | 映画
時制をバラバラにしてシャッフルさせる構成に初め当惑したが、交通事故の前後を筆頭にした“これから起こること”がわかっていてそれを待つ恐ろしい予感に満ちた場面や、同じ人物が死にそうになっているのと生きのびている場面の交錯や、何度も言う人間を変えて繰り返される「それでも人生は続く」といった台詞から、運命の皮肉とか、命はその人その場限りのものなのか、とかといった大真面目な問題を茶化す気にならず、あれこれ考えてしまった。この中で本当に命を落とす3人についてはその死が直接は描かれていないせいもある。

私は臓器移植のドナー登録をしているのだが、死んだ後は自分は消えてなくなると思っていて、他の人の身体の中で生き続けるということをあまり深く考えてなかったからだな、と思った。

同じショーン・ペン主演の「ミスティック・リバー」では、殺人に関わったペンが文字通り十字架を背負っていたが、ここではデル・トロが腕の十字架の刺青をナイフで傷つける。クリスチャンではない人間にはわかりにくい表現だけれど、表現している方もキリストに“頼っている”とはとても思えない。
俳優たちの演技は、ほとんどベルイマン作品のレベルにある。
(☆☆☆★★★)

「キューティーハニー」

2004年06月13日 | 映画
「日本映画は型なし。スキヤキみたいな映画が多いね。初めに肉を食わせておいて、これからどう盛り上がっていくのかと思うと、あとはシラタキと焼きドーフになってしまう」
というのは故伊丹十三の言だが、それがぴったりあてはまる。出だしの海ほたるのマンガよりもマンガらしいアクションに引き込まれて、意外とイケるかもと思ったらあとなんかシケてくる。徹底してバカっぽく作るっていうのも難しいのだろう。あと元のハニーのキャラは別にバカではないので、なんかひっかかる。

何もこういう映画でまともな芝居とかドラマとかテーマなんて要求しないけれど、それなりにたとえばハニー七変化を見せるファッションショー的な構成と演出は必要だと思う。

シスタージルの正体が木だとか、ハニーが夢の中で父親と会うとかいった場面、なんか「ラピュタ」や「ナウシカ」の匂いがする。気のせいか知らないが。
(☆☆★★)

「ストーカー」

2004年06月12日 | 映画
原題は‘ONE HOUR PHOTO’で、邦題はあまり当っていない。家族のいない孤独なDP屋がいつも幸せそうな写真を持ち込む家族の一員になる妄想を膨らませていく。ロビン・ウィリアムズがストーカー?と思ったが、疎外されている“いい人”という点ではいつもの役と通じるところがある。髪を脱色して縁なし眼鏡をかけていると、「マラソンマン」のローレンス・オリヴィエに似て見える。

色彩の統一などヴィジュアルは魅力あるが、オープニングですぐ話をばらしてしまっている構成と、ただでさえ壊れかけている“幸せな家庭”が壊れないで終わる、かといって再生したわけでもないという中途半端な展開は納得できない。
(☆☆☆)

「ビッグ・フィッシュ」

2004年06月12日 | 映画
マーク・トウェインあたりに通じるアメリカ的ホラ話の伝統に、父と息子の関係を重ね合わせたような作り。現実家の息子が父親のホラが現実の体験に根ざした根も葉もあるウソ八百であることを理解して、自分の方も夢想の世界を作っていく。今までのティム・バートンが夢想家は疎外されていた、あるいは疎外されているから夢想に走ったのが、ここでは夢想家は現実から生まれて現実にも祝福されている。だからか美術・撮影のセンスからダークなところが抜けてきている。

戦争が出て来て中国軍がにこりともしないでシャム双生児の慰問ショーを見ているあたりはいささか感覚的にひっかかった。宣伝に出さなかったわけだ。

ものすごい僻地の村に入っていくと、知恵おくれ風に頭の鉢が開いた男がバンジョーを抱えているが、ジョン・ブアマンの「脱出」にもああいうのが出て来た。何か元ネタがあるのか?
(☆☆☆★★)

「天国の本屋~恋火」

2004年06月11日 | 映画
まったく予備知識なしに見たもので、竹内結子が2役をやっていると知らず、筋をつかむまでやたら骨が折れた。知っていて見ても分かりにくいと思う。髪型やメイクくらいもっとメリハリつけて変えてよ(演技は、って?)。

いきなり草原の中の一本道をオート三輪が走っていて、変わった車だな、車線をまたいで走ってはいけないなと思っていると、玉山鉄二が洋館の屋根裏部屋みたいな所で起きる場面にとぶ。事故でも起こしたのかと思った。あの道が天国につながる道だとわかったのは、半分くらい過ぎてからだ。あと、先輩が天国から帰るところでも車線をまたいで走っているので、そういうルールかと思うと、玉山が帰るところではちゃんと左車線で走っている。どうなってるの。

ただでさえ人は死んでから天国で100歳まで過ごして生まれかわるとか、主人公が天国でバイトするとか、なんで設定がそうなっているのかいちいち考えなくてはならなくて、情感に浸るどころの騒ぎではなかった。
この監督の作品とすると音楽と生死のあわいを扱ったという点で「月とキャベツ」に近い性格だけれど、あれは登場人物が二人だけだった。ちょっと凝った作りになるとこうまでわかりにくくなるっていうのは、モンダイ。
(☆☆★)

「レディ・キラーズ」

2004年06月10日 | 映画
「マダムと泥棒」('55)のリメーク。舞台をロンドンからアメリカ南部に移したり、泥棒たちの人種が白人だけでなく白黒黄一通り揃ってたり、マダムが俄然パワフルになってたりといった違いはあるが、良くも悪くも劇のフォーマットが堅くて、全体に前作の取り澄ました雰囲気を壊しているが、相当いじってもつまらなくはならないがそれほど違った感じにもならない。マダム役のイルマ・P・ホールがカンヌで審査員特別賞受賞というのは、オリジナルのケイティ・ジョンソンとは別のマダム像を作ったからということか。あれが決定版という印象はあまり変わらないが。
(☆☆☆)

「深呼吸の必要」

2004年06月07日 | 映画
偶然きのう草刈りをやったもので(関係ないか)、作品の中心を占めるサトウキビをばっさばっさ切って行くシーンで鎌と斧を振り回しているのが、結構怖かった。ふざけて作業していたら確実にケガするだろう。

同じ監督の「草の上の仕事」だと、二人の草刈り男のぴりぴりしたような人間関係が、草刈りの怖さに響いて何か起きそう(で起こらない)スリルを醸し出していたが、ここでは今どきの内に籠っている若者たちが“傷つけあわない”でひたすら身体を動かし続けているのを見ているうちに、あるカタルシスを感じるようになる。広大なサトウキビ畑の風景や、役者が身体を張って動き続けているのを撮り続ける映画的描写の力というか。

あれだけ若い男女が集まってほとんど色恋沙汰にならないあたり、ドラマ的には淡彩に抑えている感じだけれど、それでもやや作り過ぎている印象になる。あれ以上薄くされたら、役者のしどころがなくなるだろうが。
ひと月以上野外作業するのに顔ばっか塗りたくっている女の子が紫外線を気にしている様子がなかったり、元医者がいきなり血液型が同じだからといって輸血するとかいったところはひっかかる。
沖縄を舞台にしてはいても、都会の映画という感じ。
(☆☆☆★)

「the EYE アイ」

2004年06月05日 | 映画
幽霊の出方が日本映画とよく似ている。真似したのか、アジア的センスか。ただ、幽霊が出るところでカメラの視点があっちこっちにとぶのがひっかかる。幽霊は客観的に存在するものではなくて、あくまでヒロインの視点から見えるものなのだから。

前半のただ幽霊が出て来て恐いというのを離れて後半ドナーの正体を追うあたりからやや理に落ちた感じになり恐さは薄れる。
ヒロインのアンジェリカ・リーはちょっと水野美紀似の美人(本所まなみ似という説も有力)。
(☆☆☆)

「ロスト・イン・トランスレーション」

2004年06月01日 | 映画
いい悪いを通り越して、いかん映画です。
日本の描写がトンデモならそれなりに嘲えたかしれませんけどね。スノッブな描写(ホテルのテレビで「甘い生活」を流している)をアメリカでやったら文句が来るのを日本でやればOKって調子。日本と日本人の描写のみならず、主役二人もてんでキャラクターとして描けていない。基本的に日本人という以上に人間をナメて描いている感じ。

渋谷で見たんだが、隣でへらへらなんか誇らしげに笑ってたガキがいてね。ホントにお前面白がってるのかと小一時間問いつめたくなった。
スカーレット・ヨハンソンは「真珠の耳飾りの少女」で注目したが、顔が全然違うのであれはかなりの程度メイクの産物かと思った。日本人に混じっても目立たないくらい小柄で可愛いとは思うが、芝居としてはこれによる得点はゼロ。
(☆)