prisoner's BLOG

見た映画のメモと、ツイッターのスクラップで出来ています。

「ウルトラヴァイオレット」

2006年06月30日 | 映画
この手の美女とアクションとCGが入り乱れる映画って、どれもますます現実離れしてきたみたい。
ミラ・ジョヴォビッチのアップでもぼうっとエアブラシ風の(デジタル?)処理がしている感じで、もともと人間離れしたスタイルとタイプなのに加えて、コスチュームもアクションの振り付けも、もうあれよあれよという感じ。

ストーリーも一応人間とウィルスに感染した「ファージ」とが入り乱れる趣向だが、だんだんどっちがどうなってるのかわからなくなってくる。両方悪者と忍者もどきの黒ずくめ軍団ばっかりなんだもの。
まあ、あれよあれよという感じで突っ走ってるのは、「現実」も一緒だが。

「リベリオン」の監督だというけど、あれに出てきた「ガンカタ」ってえ振り付けの延長にあるのだそう。要するに時代劇で何十人に一度にかかられてもぶった斬ってしまう殺陣を、銃とカンフーも織り交ぜてパワーアップしたようなものですな。
血がときどき思い出したようにしか流れないのも、一緒。
退屈はしないけれど、お約束以上のものは出てこない。
(☆☆☆)



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黒澤明vs.ハリウッド―『トラ・トラ・トラ!』その謎のすべて 田草川弘

2006年06月29日 | 
黒澤明vs.ハリウッド―『トラ・トラ・トラ!』その謎のすべて
田草川 弘
文藝春秋

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「クロサワVSハリウッド」とタイトルはなっているが、半ば主役はアメリカ側プロデューサーのエルモ・ウィリアムズとリチャード・ザナックの方だろう。
黒澤は途中から奇行に走ってしまうので、トラブル収拾に追われるプロデューサー側の苦心と誠実さが目立つ。

撮影現場でのさまざまなトラブルに関しては聞いていたが、それに対する日本側スタッフに(普段の黒澤組ではないとはいえ)監督に対するバックアップがまるでない、というより敵意を買っている状況の厳しさは想像していなかった。

黒澤の、というより日本側は、契約の確認・意思の疎通の杜撰さ、一人の人間が情報を握り締めてしまうことの弊害など、いかに30年前とはいえあまりにも不用意でビジネス的感覚に欠けるように見える。
どこからどう見ても、当時の黒澤の立場はアメリカ映画の下請けプロダクションの社長兼現場監督以外の何者でもなく、最終決定権はすべてアメリカ側にあることが契約で明記されているのだから。(余談だが、レター形式の契約書というのがあるのを、初めて知った)
そういう内容を社長に伝えない部下というのも、信じがたい存在だ。「悪い報告をしない部下を罰せよ」という箴言を思い出す。
黒澤は監督としての偉業とは別に、私企業の社長としてはあまりに甘い。信用してはいけない者の讒言に騙される「乱」の秀虎は、なるほど自画像かと思わせる。

それとこの労作が書かれたのは、アメリカ側に膨大な資料が残され、ウィリアムズらの証言が取れたことが大きい。
対して、多くの日本側関係者は多くの製作側スタッフが口を閉ざしたため事情が不透明になり、いたずらに傷を広げた。その後も証言が取れないまま鬼籍に入った人も多い。いかにも日本的な処理の仕方だった。

筆者はだからといって黒澤を個人攻撃しているわけではまったくない(ラストで明かされる筆者の立場を読むと、えっと思う)。
ただ、周到で平等な取材と視点、というジャーナリズムの原点に則った方法論をとったことが、適切な批判的な距離を置くことにつながり、簡単に埋められない日米の、黒澤とハリウッドの溝の悲劇を浮き彫りにしている。
「グッドナイト&グッドラック」の主人公エド・マローの研究者である筆者の面目躍如といったところ。

あと、具体的に検証されているのが、当時の映画界の日本のみならずアメリカでの経済的苦境で、「サウンド・オブ・ミュージック」が「風と共に去りぬ」を初めて抜くメガヒットを記録した年ですら、20世紀フォックスは赤字だったという。そこから来る焦りもボタンのかけ違いを大きくしたのがわかる。


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ヨハン・シュトラウス「こうもり」新国立劇場

2006年06月28日 | Weblog
オペラ・歌舞伎ファンだった叔父が亡くなり、形見みたいな形でもらったチケットで見に行った。
前から四列目のほぼ真ん中というすごい席。こういう機会でもなければ見られるものではない。

で、内容はすこぶる明るく、歌だけでなくアイゼンシュタイン役のヴォルフガング・ブレンデルの間抜けた貫禄、フロッシュ(蛙)役のハンス・クレマーの酔っ払い演技のコメディ・センスなど、芝居も楽しめる。
オルロフスキー公爵のエレナ・ツィトコーワがベルばらのオスカルばりに颯爽として美しい。

歌手はあちこちの国の混成なのだが、あちこちに日本語を織り交ぜて笑いをとっていた。
美術・衣装がアール・ヌーヴォー風。

あと驚いたのが、ほとんど一階席は全席埋まっていたこと。日本も贅沢になったもの。



作   曲: ヨハン・シュトラウスII世
原   作: アンリ・メイヤック/ルドヴィック・アレヴィ
台   本: カール・ハフナー/リシャルト・ジュネー

指   揮: ヨハネス・ヴィルトナー
演   出: ハインツ・ツェドニク

美術・衣裳: オラフ・ツォンベック
振   付: マリア・ルイーズ・ヤスカ
照   明: 立田 雄士
舞台監督:  大仁田 雅彦

合唱指揮: 三澤 洋史
合   唱:  新国立劇場合唱団
バ レ エ :  新国立劇場バレエ団
管 弦 楽:  東京フィルハーモニー交響楽団

主   催:  新国立劇場
キャスト
ガブリエル・フォン・アイゼンシュタイン:  ヴォルフガング・ブレンデル
ロザリンデ      :  ナンシー・グスタフソン
フランク        :  セルゲイ・レイフェルクス
オルロフスキー公爵:  エレナ・ツィトコーワ
アルフレード     :  水口 聡
ファルケ博士    :  ポール・アルミン・エーデルマン
アデーレ       :  中嶋 彰子
ブリント博士     :  高橋 淳
フロッシュ      :  ハンス・クレマー
イーダ        :  中村 恵理
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「グッドナイト&グッドラック」

2006年06月20日 | 映画
まず、敵役であるマッカーシーがもっぱら実写映像で描かれるのにびっくりした。ちらっと遺族から文句が出ないかと思ったくらい。
上院議員が委員会や聴聞会で発言した内容を公開するのに制限があっていいはずもないが、アメリカという国の記録と保存にかける徹底ぶりを改めて見せつけられた観。コレ、日本では「七人の侍」や「ゴジラ」が作られたのと同時期(1954頃)の話なんですよ。
東京裁判批判論が最近盛んだが(私も多分に批判的だが)、アメリカに記録そのものが残っていなかったら、批判すらできなかったはずなのだ。

マッカーシーの主張は軍の三分の一は共産主義者だの、エレノア・ルーズベルト元大統領夫人やトルーマン大統領もぐるだのといった、荒唐無稽に属するものだから、そのいいかげんさを突けば勝手に崩れた。人を攻撃する時の勇ましさに比して、受けにまわった時の憔悴しきったようすは、昨今の日本の政治報道でもよく見られる光景だ。
禿かけた頭といいゲジゲジ眉毛といい、何よりお粗末きわまる発言は、一流ライターがセリフを書いて役者ががっちり役作りしても、これだけそれらしくできたかどうか疑問なくらいの矮小な悪役ぶり。

しかし、一方で、これほどチャチでない相手に対しては、どうだったか。
マローも、「なぜ共産主義がいけないのか」とはついに言っていない。共産主義はいけないのだ、という前提は暗黙に認めているようで、言論の自由からすれば、主張そのものを封じること自体を批判しなくてはいけないところたが、実際問題としては当時ちょっとでも「アカ」をかばうような発言をしたら、地位を失っていただろう。
「大衆」の支持どころか、大衆こそが批判の先鋒に立っただろう。
だいたい、共産主義ってどういうものなのか、一般のアメリカ人にどの程度知られていたのか。また共産主義に傾いた人が、すべて今で言うテロリストにあたるような存在だったかどうか、といった検証はここにはない。

赤狩りというのは、占領下の日本(今でも実質占領下だが)でもあったことで、多分にマッカーシーがハリウッドを狙い撃ちにしたように、日本でも映画界で端的に赤狩りが行われた。黒澤明が一時東宝を離れて大映や松竹で仕事していたのも、そのせいだし、多くの独立プロが生まれて質的に日本映画を支えもした。
ロバート・デ・ニーロ主演で赤狩り当時のハリウッドを描いた「真実の瞬間」という映画があったが、日本で東宝争議(米軍が装甲車を出撃させ、「来なかったのは軍艦だけ」というくらいの大労働争議になった)が映画化されることなど、考えられるだろうか。

エド・マローの取材班は部分的にカラーフィルムさえ使っていて、回したフィルムと放映されるのと比は1対20。スポンサーはアルミ製品製造会社アルコア一社で、スポンサーが負担するのは製作費のうち四分の一程度で、あとはCBSが埋めた、というからテレビ会社としては作れば作るほど損する勘定になる。
スポンサーもテレビ局も、よく支えたといえる。

ニュースキャスター―エド・マローが報道した現代史と照らし合わせると、ここで描かれたエピソードは省略や時間的順序を入れ替えた以外は、ほとんど事実に忠実であることがわかる。ただ、映画での印象とするとマローを賞賛するためにあるような冒頭とラストのスピーチの場面が、実はCBSの上層部の態度を硬化させ、不仲へとつながっていくことがわかる。

コントラストの強い白黒画面なもので、字幕が画面の白い部分にかかると見えなくなってしまうものであっちこっちにさまようから、いささか見ずらい。白い文字に黒い縁をつける字幕というのがあったはずなのだが(「スーパーマン」のクリプトンの場面に使われた)。しょうがないので出来るだけ耳で聞き取ったが、発音は聞き取りやすいけれど話の内容が詰まっていて置いていかれぎみ。

現代だとテレビやキャスター自体が一種の権力と化している観があるので、単純に「反権力」ばかりを期待できない(単なる権力争いの一環になりかねない)が、もろに癒着されたらもっと困るのは確か。

余談ながら、CBSドキュメント(TBS系列水曜深夜1:55)は見ごたえあり。今のテレビで毎週欠かさず見ているのは珍しい。伝統ですかね。
(☆☆☆★★★)



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「婉という女」

2006年06月19日 | 映画
原作・大原富枝、脚本・鈴木尚之、監督・今井正、主演・岩下志麻の1971年作。

権力争いで負けた家老の家族全員を跡継ぎの男子が絶えるまで一家全員を閉門蟄居させるという処分のため、四歳の時から40年にわたって一つの屋敷から出たことのない、という特異な設定のヒロイン。
前半は閉門生活の描写、後半は閉門が解かれても世間で生きていくには自由を奪われていることに変わりない生活の描写と、いずれにせよ息が詰まる場面がずうっと続く。

製作意図としては戦後社会派監督代表の今井正らしく権力の横暴の糾弾にあるのかもしれないが、あんまりこれでもかこれでもかとマゾヒスティックな描写を重ねていくうち、表向きのテーマからはみ出たと思えるデカダンな部分がけっこう面白い。
閉じ込められているうちに近親相姦に走る兄や、ヒロインが非常に観念的に憧憬の対象の男を思い続けるが決して接触を許されなかったり、解放されても男と接触を許されないで悶々とし続けてほとんど内面が腐臭を放っているかのような状態になってくるあたり。
男たちが閉じ込められている間、勉強ばかりしているというのも、見ようによってはブキミ。
(☆☆☆★)



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「間宮兄弟」

2006年06月18日 | 映画
こういうストーリーがあるんだかないんだか、という作りの映画って、テイストが合わないとどうしようもない。
これはどうにも乗れずに困った例。どこが悪いってこともないのだが、どこが面白いんだかもわからなくて困った。

この兄弟、それほど変ですかね。特に興味をひくほどの特色もないし、常識に収まっているゆえの魅力というのも感じない。
森田芳光得意の日常から離れない範囲のデフォルメや画面全体のデザイン化があまりアクセントになっていなくて平板。

中島みゆきが母親役で出てきたのにびっくりした程度。
(☆☆★★★)



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「日本海大海戦 海ゆかば」

2006年06月18日 | 映画
長らくウヨク映画と思い込んで敬遠していた脚本・笠原和夫、監督・舛田利雄の戦争もの。

佐藤浩市が艦内で高利貸しをしているという嫌われ役で、あんまり若くて軽いのでびっくり。
上陸しても女を買わないというのは、守銭奴からなのかお稚児さん好みなのか、両方らしいがそれほど後者は突っ込んで描いていない。

主演の沖田浩之は、こんなのが男ばかりの世界にいたらたちまち奪い合いになるぞと思わせるが、三原順子(当時)の女郎としか関係しない。その女郎は男があくまで出撃するというと、男を殺して自分も死ぬと剃刀を振り回すという凄いキャラクターなのだが、熱演の割りに迫力は今ひとつ。

主人公を軍楽隊員にしたのが最大のアイデアで、出港する「三笠」を見送る別れの場面で「蛍の光」が流れたり、自殺した兵隊を音楽で送ったりする場面で情感が盛り上がる。
将校の食事の場面で軍楽隊がドボルザークの「新世界」を生で演奏する描写で、艦内の階級制を端的に見せた。上はパン食でフルコース、下は握り飯と沢庵だけというコントラスト。

軍楽隊員が戦闘で大砲の照準を微調整するのにどれくらい動かすか、命令された数値を小さな黒板に書いて走りまわり大声で振りまわる、という考証が面白い。

日本海海戦といったら日本の稀に見る圧勝なのだが、勝った方も血みどろなのを丹念に見せる。血糊が朱墨じみた色なのは困るが。
(☆☆☆★)



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「ダ・ヴィンチ・コード」

2006年06月17日 | 映画
あえて原作を読まず、テレビほかで氾濫している情報もできるだけ遮断して見た(それでもいくらかは漏れ聞こえてきたが)。

とにかく出だしからジャン・レノがトム・ハンクスとオドレイ・トトゥを追う、殺人修道士が二人をつけ狙う、二人が殺人事件の背後の巨大な謎を追う、さらに自分自身の過去を追う、という具合に何重もの追っかけを同時進行で展開するので、二時間半という長尺を飽きさせない。なんらかの進展のないシーンなどないのではないか。
膨大な量のぺダントリーを駆使して、大法螺をもっともらしく見せるハッタリも堂にいったもの。
キリスト教の歴史の絵解きも色々と映像処理に凝って見せる。
ただ危機を脱するところの工夫が今ひとつ。

中国で公開中止っていうのは、それだけカソリック権力が中国に食い込んでるってことか。共産主義は宗教を認めないハズだし、その逆も同じのハズだが、巨大で絶対的な権力同士が何やら駆け引きしているようで、気色悪し。

(権威化した)キリスト教というのは、過剰に父性原理的で、女性の扱いが不自然だとは前から思っていた。だから核心の「謎」にはけっこう乗れるところあり。
なんでキリストは処女懐胎で生まれなくてはならんのだ? 
聖母マリアは意外なくらい聖書では出番がなく、ピエタ像などは後でキリスト教以前からあった地母神信仰あたりから創作されたものだ、とか。
「最後の誘惑」でキリストがやはりマグダラのマリアと所帯を持つ幻想を描いたりした時も、やたら上映反対運動が起きたりした。そういう振る舞い自体、恫喝でわけのわからん理屈を守ろうとしているようにしか思えない。

修道士が死ぬ前“I am a ghost”と言うのを「私は幽霊だ」と訳していたが、修道士の言うことなのだから精霊(holy ghost)のことじゃないかなあ、とちょっと思った。いずれにせよ原語は英語ではないので、よくわからない。
(☆☆☆★)



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「スパイ」

2006年06月16日 | 映画
1957年、フランス。アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督。

はやらない精神病院の院長が、ある患者を入院させたら大金を払うという「イギリスの大佐」の依頼を受けてしまったら素性の知れない連中がぞろぞろやってきて病院を占拠してしまい…、という不条理な出だしは面白いのだけれど、その分具体性が乏しくて、その後の展開があまりぱっとせず、二時間はちとキツイ。

主人公が大金を平気で人前で見せびらかしたり、やたらと人がバックで鳥みたいに鈴なりになって主人公をじろじろ見ていたりする喜劇的なタッチは面白い。

両陣営、なんて設定が昔のものになった今でも、奇妙に不安で可笑しいタッチはあまり古くならない。
(☆☆☆)



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「IZO」

2006年06月16日 | 映画
人斬り以蔵こと岡田以蔵が死刑になった後怨霊になったのか何になったのか、やたらと現代をはじめ色々な時代に出没して会う奴会う奴ぶった斬ってまわるのだが、今みたいに権威が総崩れの時代に「権威」がかった奴斬ってもおよそ気がいかないのだね。
斬られてはまた蘇って人を切りまくるアナーキー崩れの平板な繰り返しで、「13日の金曜日」シリーズの総集編みたい。
文語調のセリフでしきりとコリクツをひねりまわすのがまた退屈。
(☆☆)



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「花よりもなほ」

2006年06月15日 | 映画
是枝監督の前作「誰も知らない」は現代のビンボー物語、本作は江戸時代のビンボー物語。
主舞台になる長屋の汚いこと汚いこと、平行四辺形に歪んだ調度や虫が湧きそうな畳、特に擦り切れかけて叩くとホコリが立つ衣装(黒澤和子)など、黒澤明の「どん底」を思わせて見ごたえあり。長屋が傾斜に立っていて、閉ざされた感じを強調しているあたりも似ているが、外とつながっているのが見えるのが違うところ。
ただ、カラーだと役者の顔色から栄養いいのがバレる。宮沢りえがいささか痩せてちょっと筋ばっているのが目立つのがリアルに見えたりするのが皮肉。身奇麗にはしているが、近寄ると着物が色あせているのがわかるあたり、手がかかっている。(どうでもいいけど、りえにはいくらか西洋人の血が混ざっているから30過ぎたら太るともっともらしいこと言ってた奴、いたな)

剣の強さや仇討ちにこだわる侍の見栄などにまったく価値を見出していないのは一つの見識だが、長屋の連中が主人公のニセの仇討ちで一儲け企むようなことを言っているのに、いざ役人の前で一芝居うつところではどこが金儲けと関係あるのかわからず、そのあと忠臣蔵の仇討ちのあと初めて金儲けに走るところを見せているのは、なんだかとんちんかん。
一芝居、と書いたが、実際は芝居としての組み立ては物足らず。嘘をまことと言いくるめるハッタリに乏しい。
(☆☆☆★)



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「明日の記憶」

2006年06月14日 | 映画
前半、渡辺謙の主人公がどんどん仕事ができなくなる過程の描写は緊迫感があるし、惜しまれながら会社を辞めるところで意外と暖かく送られる(辞めるから、には違いないが)場面はほろりとさせられるが、後半、家の中に閉じこもると状況とするとより深刻なのに接触する相手が妻だけになるので、どうしても描写とすると単調になる。

ボケ老人を扱った映画はこれまでも何本かあったが(「人間の約束」「花いちもんめ」「ふるさと」、ドキュメンタリーで「痴呆性老人の世界」)、若年性だとまだまだ寿命があるわけで、ラストからあともどうなるのか心配。

家中に注意書きを貼りまくるあたりは、「百年の孤独」みたい。
樋口可南子の若い時を演じる人が、全然体型が違うのはちょっと困る。
(☆☆☆★)



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「楳図かずお恐怖劇場 蟲たちの家」

2006年06月13日 | 映画
脚本 村井さだゆき 監督 黒沢清。
妻から見た暴力夫と、夫から見た自分の世界に閉じこもって「蟲」になってしまう妻が、各シーンで部分的にだぶりながら微妙に食い違って入れ子式に組み合わさっていて、どっちが妄想なのかわからずしかも不必要な曖昧さのない、すこぶる知能指数の高い作り。
登場人物四人とわずかなロケセットだけで十分見せる。

虫のCGはかなり微妙な出来で、白けかける寸前でシーンを切り替えるなどしてうまくフォローしている。
(☆☆☆★)



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「マクダレンの祈り」

2006年06月13日 | 映画
望まない子供を生んだ女性を集めて、ただ「不道徳」だという理由(レイプなのに)で、何の法的根拠もなしに修道院に監禁し続けていたという、おぞましい実話。
それもさほど昔のことではない。

もっとも現在でもアメリカではレイプによる妊娠でも堕胎するのを白眼視したり、不妊治療で出た余分な胚を処分するのも反対意見が多くて莫大な費用をかけて保存している(ES細胞がそこからとれるのに)、それ以前に人工中絶がいつも大統領選の争点になるといった具合に原理化したキリスト教の不寛容と非人間性というのは、はたから見てグロテスクなまでに抑圧的に思える。(「原理化」した、ですよ、念のため)

不寛容と抑圧の塊になったような修道院長の造形のすさまじさ。
内容といいタッチといい、ほとんどベルイマンを地でいっているよう。あれは必ずしも彼の個人的な表現ではなかったのだね。
(☆☆☆★★)

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「ジャケット」

2006年06月12日 | 映画
主人公が拘束服(ジャケット)をつけて暗い引き出しに押し込まれたら、未来に「来て」しまうのだが、それが物理的に肉体が移動したのか、意識だけが飛躍してきたのか、なんだかはっきりしない。あのジャケットが何か特別なものなのか、薬物のせいなのかも曖昧。

冒頭の湾岸戦争で頭部に負傷して記憶に障害が出ているので、よくあるように物語全体が混乱した意識の反映というのかと思うと、第三者の反応からしてそうでもないよう。

結局、オハナシに乗せていく腕に問題があるみたい。もったいぶりすぎ。
(☆☆★★★)



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