prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「THE GUILTY ギルティ」(Netfix版リメイク)

2022年01月31日 | 映画
同タイトルのデンマーク映画のハリウッド版リメイク。
最初から最後まで室内に閉じこもったオリジナルに対して、冒頭とラストに外景が入るが、それ以外の構成と展開はほぼ忠実。
変えているところは少ないのだが、ただその少ないところで決定的にハリウッド映画になる。

セットも大がかり モニターに火事が映っていたりするので、閉塞感はやや薄い。
極端なアップの連続で攻めるオリジナルに対して、やや引いたサイズが多い。
コロナ禍でアントワン・フークア 監督はリモートで演出したらしい。

ジェイク·ギレンホール主演となると、「ナイトクローラー」のエキセントリックな目付きが蘇り、閉じこもったまま街中をめぐっている感じになる。




「スティルウォーター」

2022年01月30日 | 映画
妹を救おうとする兄の話であると同時に、そのために協力を求める女性とその娘との関係も維持しなくてはいけない、自分の家族だけをエゴイスティックに考えていてはいけなくなる過程を丹念に描く。
それでも一瞬の油断から娘を持つ母親には許されないことをしてしまうのが厳しい。
マット·デイモンが体型といい腕の刺青といいブルーカラーになりきっている。

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「スティルウォーター」 - 公式サイト

「スティルウォーター」 - 映画.com

 - IMDb

「シルクロード.com 史上最大の闇サイト」

2022年01月29日 | 映画
無制限な自由をふりかざして麻薬から仮想通貨からなんでも流通させた闇Amazonとでもいうべきサイトを主宰する若者と、それを摘発する素行が悪くてIT技術に疎い中年男のドラマ、なのだが、このキャラクターの対立が意外と単純ではない。

IT音痴ということになっているのだが、初めのうちこそパソコンが使えず癇癪を起こすもののブラックベリーは不自由なく操るし、心理戦ではハッカーに通じるであろうセンスを見せたりする。ただし家庭はまるで顧みないし、明らかに捜査方法も行き過ぎ。

ついには直接会う場面すら用意する。こうなると敵味方であるとともに鏡像関係にあるようにもなりそうだが、犯人側からなのかはみ出し捜査官側からなのか、どういうスタンスで見ればいいのかちょっと困る。





「ハウス・オブ・グッチ」

2022年01月28日 | 映画
実物はセレブであるはずのレディー・ガガが非セレブからのし上がっていく感じを全身で出しているのが面白い。「アリー スター誕生」も役としては近いものがあった。

マクベス夫人ではなくてマクベスなのね。ちゃんと魔女までいる。
シェイクスピアの格調と物々しさと俗っぽさが揃っている。

グッチ家自身はニセモノに無頓着というのが面白い。カネは十分すぎるくらいあるから鷹揚なのか、一族自体がニセモノ臭さを放っているせいか。
「ゲティ家の身代金」もだが、金持ちのケチっぷりがよく出た。

ジャレド·レトの特殊メイクによる化けっぷりが凄くて、かといって真に迫るというよりはニセモノ・作り物っぽいから魅力的。

ファッションにせよ食事のシーンにせよいかにも贅沢な一方でどこか泥臭いのが「ゴッドファーザー」っぽい。





「ザ·ミスフイッツ」

2022年01月27日 | 映画
即、午後のロードショー行きという感じの一編。

レニー·ハーリンといったら「ダイ·ハード2」「クリフハンガー」といった大味アクション大作の監督だが、このところテレビで撮ったり中国資本で撮ったりと正直迷走気味で、今回ハデな見せ場といえば砂漠を車とバイクが暴走するシーンくらい。大作感がずいぶん後退した。

ピアース·ブロスナンをリーダーとする強盗団が、アブダビの刑務所の金庫に保管されている金の延べ棒(なんでまたそんなところに)を盗もうとするケイパーものの典型なわけだが、グループのメンバーの性格づけもキャスティングも弱体なのは否めない。
彩り以上にならないのだったら、もちっと普通に美女出せませんかね。

黒人のニック・キャノンや東洋(韓国)系のマイク・アンジェロ、ジェイミー・チャンといった具合に多様性に配慮したキャスティングだけれど、それが特に効いているわけではない。
キャノンの役名がリンゴ・スターからとってリンゴというのもあまりぴりっとしない。

刑務所に金を隠すって、脱出が難しい所だから潜入も難しいという理屈なのか知らないが意味がよくわからない。
監視カメラをごまかすのに映像を録画してループさせるというのはいい加減使い古されている手だし、囚人看守構わず毒を盛って大勢がゲーゲーいう中に潜入脱出するというのも絵面が汚くていけない。

ブロスナンは製作総指揮を兼ねているけれど主役なのか脇なのか微妙、ティム·ロスはお小遣い稼ぎみたい。

「パワー·オブ·ザ・ドッグ」

2022年01月26日 | 映画
西部劇というマチズモの権化みたいな世界を、ホモソーシャルとホモセクシュアルとがごっちゃになっている独特の性的な歪みから描くのが「ピアノ・レッスン」「イン・ザ・カット」のジェーン・カンピオンらしいところ。

女性から見た男の世界、それもカンバーバッチのようなBL的なホームズや同性愛者のアラン・チューリングを演じてきた単純なマッチョから遠い人を髭面にしてやらせるところが面白い。
イエール大学卒という設定で(カンバーバッチ自身、ハーロウ校という超一流校の出身)随所にインテリらしさを匂わす一方で野蛮なところはやたらと野蛮。むしろインテリの方がバンカラなところを振りかざすのは今でも通じる。

先住民の習慣だったタバコのまわしのみをしているシーンからBL的なムードの映像に馬の毛並みの一種セクシュアルな映像につなぐセンス。
白人から見た野蛮な前近代からもっと野蛮な資本主義を一気に貫いて見せるかのよう。







「アナザーラウンド」

2022年01月25日 | 映画
血中アルコール濃度が0.5%の時は一番パフォーマンスが上がるという怪しげな説に従ってマッツ·ミケルセンとその仲間が飲みだすのだが、そういう具合にコントロールできないのがアルコールなのだし、変な言い訳しながら飲むのが依存症なのではないか。
ムリなのはわかりきっているもので、土台の設定からしてなんだか納得いかない。

冒頭の若者たちのバカ飲みからしてタガが外れた感じで、およそアルコールのコントロールができたためしがない身からするとナニやってるのだか基本的なところで理解に苦しむ。

ラストのマッツ·ミケルセンの長い手足を振り回す踊りは爽快ではあります。





「クライ・マッチョ」

2022年01月24日 | 映画
先日の「マークスマン」に輪をかけて、淡白なのにびっくり。イーストウッドがリーアム·ニーソンより20以上歳上の分だけ枯れた感じ。

走る車を追う空撮に続いて車のドアが開いてイーストウッドの長い脚がぬっと出るオープニングは「ガントレット」を引用したみたいでもあるが、イーストウッド作品で一番あからさまに大がかりな物量作戦を展開した「ガントレット」とはあまりに対照的に、銃撃戦やカーチェイスといった派手なアクションはまったくない。
ほとんど黒澤明における「まあだだよ」の境地です。

イーストウッドは自分で脚本書くわけでもないのに、ずっと演じるキャラクターに一貫性と発展がある。
マッチョなヒーローの典型的アイコンそのものになりきっていて、しかもそれを客観視している。

マッチョという名のチキン(臆病者)というほとんどダジャレのようなネーミングでもっともらしく見せてしまう。
技というより存在そのものという感じ。





「マークスマン」

2022年01月23日 | 映画
監督はイーストウッドの助監督や製作を担当してきて、「人生の特等席」で監督デビューしたロバート・ローレンツ 。
モーテルのテレビでイーストウッド主演の「奴らを高く吊るせ!」が放映されている。

リーアム·ニーソン主演作は似たり寄ったりのようで実は結構一本づつ趣向が違っている。
ニーソンはここではメデシンカルテルに追われてメキシコから国境を越えてきた少年を守る羽目になる。元海兵隊員という設定を生かして射撃の腕を魅せるところもあるが、多勢に無勢とあって逃げ回っているのが基本。
追ってくる相手ももともと少年と同じ境遇で、悪者をブチ殺す快感はなくはないが、罪を償わせる方が優先している。

歳のせいもあってか、だんだん無双ぶりを省略するようになっている。それが悪いわけではなくて、自然な流れに思える。





「少年の君」

2022年01月22日 | 映画
中国社会の激烈な受験競争といじめと、格差を超えた恋愛というずいぶんと欲張った内容。
チンピラと優等生の女の子の組み合わせって、日本のマンガかと思うような話。

受験の描写は日本に似ていてそれ以上にファナティック。日本だと経済的に余裕がないと受験勉強もできないという状態になりつつあるというが、これ少し昔の話だが、中国はどうなのか。

後半の展開が迷走気味で、「白夜行」みたいな傍からはわからない男の犠牲の上に成り立った女の(世間的な)成功という図に収まるのかと思ったら、そのあとあまりいい意味でなく二転三転する。
昔のハリウッド映画みたいに一種の勧善懲悪というか犯罪が罰せられないとまずいという倫理規定みたいなものがあるのか。

中国ではどれくらいの罪に対して刑罰がどれくらいなのかよくわからないのだが、人が死んでいるのにあれくらいで済むものなのかと不思議に思う。
情緒的なシーンが実にこってりしていて、初めはいいのだが、だんだんもたれてくる。

ラストのとってつけた感がなかなかすごい。いじめ問題に共産党政府はこれこのの通り対応しておりますというわけだが、だったらウイグルやチベットはいじめというレベルじゃねえだろと突っ込み入れたくなる。





「トゥルーノース」

2022年01月21日 | 映画
True Northというから真実の北朝鮮という意味かと思ったら、「真北」「真に重要な目標」という意味もあるのだという。
地獄のような北朝鮮収容所にあっても失われない人間性のこと、と解釈していいだろう。フランクルの「夜と霧」の現代版というか。

悲惨な収容者の姿を見て思わずさらっと十字を切るのを見とがめて収容所の中でもさらに過酷な区域に移送されるという、宗教に対する徹底した弾圧。チュチェ(主体)思想自体がカルトだから他の宗教(=カルトとは言えないが)は許さないということだろう。

全編フリーアプリで作られたCG製だという。特別な機材がなくてもここまでできるものかと思う。
独特の体重がないみたいな感じや、適度に作り物っぽいところが、リアルに描いたら正視に耐えないような悲惨な状況を見ていられる範囲に落とし込んだ。

日本とインドネシアの合作というのが面白い。中国や韓国は手を出さないだろうし、英語で作られてるのはアメリカはじめ全世界的に見せる意識だろう。





「キングスマン ファーストエージェント」

2022年01月20日 | 映画
時代を第一次大戦頃に遡ってエピソード0式の作り方にしている。
画の作り方にこれまで同様スタイリッシュなセンスは出たけれど、ソンムの戦い(「1917」「突撃」などでも描かれた)な実在の戦闘が背景になっているせいか、タッチが意外なくらいシリアスに傾くところがある。
クライマックスの剣劇の背景で戦争のフィルムが上映されているし、フィルムは他でも重要な小道具になる。

ラスプーチンやマタハリ、ウィルソン大統領といった微妙な有名人を出してくる。レーニンまで出てくる。エンドタイトルの途中でまたもう一人大物が出てくるが、シリーズの続きで再登場ということあるのだろうか。

ラスプーチンが毒を盛られても平気なだけでなく、本当に病を治す能力を持っているあたり、何でもあり状態。
実在の人物にしてマンガ以上のキャラクター、というか、もっといけるくらい。





「新聞記者」(Netflxドラマ版)

2022年01月19日 | 映画
「私や妻が関係していたということになれば、それはもう私は、それは間違いなく総理大臣も国会議員も辞めるということははっきり申し上げておきたい」という安倍晋三発言がそっくりそのまま出てくるのには驚いた(ただし、発言者の顔は出てこない)。
これが官僚の作文をはみ出た、言わなくてもいいのを不用意に格好つけて言ってしまった発言であることがはっきりわかり、それを糊塗するために公文書を改竄せざるを得なくなる筋道が明快。

そしてもともと公務員としての誇りと責任感を持った中堅公務員にしわ寄せが来て、公僕として最もやってはいけないことを強いられる苦悩はこれまでも報道から容易に想像されたことだが、生身の俳優(吉岡秀隆)によって表現されると重さと手応えが違う。
伝えられた元ネタをなぞることが即ドラマとしての軸になっている。

映画版で、現実に起こったことをあえてそのまま表面的になぞる、リアリズムというよりはポップアート的な方法をとっているのに比べるとかなりドラマにおとしこんでいる。
かつての「コミック雑誌なんていらない!」が時事ネタだらけでロス疑惑の三浦和義当人を出して(サッカーのカズではないですよ)楽屋オチをやらかして、それでも外国で受けたらしいが、これはどう受け止められるか。

やや疑問に思ったのは、米倉涼子の記者が官房長官の記者会見で執拗に質問を繰り返すところで、あれだと質問を一人占めしているように見える。
また、他の記者クラブ所属の男性記者が政権となあなあの馴れ合いの質問しかしないというのもわかりにくい。見ている方の“ご存知”に頼っている感もある。
これは世界配信なのだから、もっと日本の記者クラブの特異性を強調しておく必要があったのではないか。
記者クラブとの関係だけでひとつのドラマが作れそう。

米倉涼子だったらもっとヒロイックに描けるだろうところを、途中からはかなり憔悴した感じに作っている。
“原案”のイメージは映画版同様に注意深く離しているように思える。

検察のはっきり勝つ見込みのない時のやる気のなさよ。

国会の場面は基本的にテレビを通して描かれ、たまに直接描かれるとなると「お答えを控えさせていただきます」の連呼。
「記憶にございません」以来の日本の伝統芸みたいなものだが、このあたりの法的欠陥も分析してほしかった。なぜあんなのがまかり通るのか、屁理屈がわかるだけでも違う。

五輪絡みでメディアのトップを飴と鞭でまとめたとユースケ・サンタマリアが語るのが不快にしてリアル。懶惰と強権に染まった組織人役は「踊る大捜査線」の腐敗版みたい。

大学生がまるで新聞を読まない、というのはかなりの程度そうなのだろうけれど、それが社会に目を向けるようになっていくドラマは図式的な感は免れない。しかし大学生に限らなければ日本社会全体のひとつの通奏低音になる。

世界同時配信なわけだが、予備知識のない外国人がいきなりこれを見てどう映るか興味がある。
政治腐敗そのものとしてはありふれているのだが、特殊性としてメディアや司法が特に独裁制に縛られなくても忖度で自主規制していることが目立つ。

ずいぶん前(竹下・金丸時代)だったが、外国人記者が政治腐敗はどこの国にでもある、日本の特殊なところは同じ腐敗が何度でも繰り返されることだ、と語っていた。
つまり、メディアや司法、学者といった本来ならば腐敗の浄化機構であるべき存在が政権のお友達化して実質機能せず、しかもそれが最近とみに酷くなっている。
現実にはこれに若者の浄化機能不全が加わるわけだが、さすがにこれはドラマだから浄化の必要性と可能性は手放さない。
何よりこれは現在進行形の話だ。

後半、綾野剛の官僚までトカゲの尻尾として切られる。
切る側の顔として佐野史郎らが並ぶが、一番悪い奴らは顔を出さない。

昔の山本薩夫の社会派娯楽映画だったら、そういう巨悪に新劇の重鎮たちをキャスティングしてそっくりショー兼欲にまみれた連中のこってりした芝居で楽しませただろうが、今だと実物のワルたちが権力あるくせに巨悪というには矮小で、せいぜいアメリカ本店のご機嫌をうかがう中間管理職の支店長心得程度の貫目しかないせいか、顔を出さない昔からあるひとつのルーティン表現が、大物と呼ばれる政治家そのものが顔を失っている状態をはからずも写し出した。

当然ながらこれはドラマであり、現実に似てはいるがそのものではない。というか、現実そのものを映像が表現するなどありえない。
画にせよ音にせよすこぶるスタイリッシュであり、かつての日本映画にありがちな泥臭いリアリズムからは遠い。ただ新しいリアリズムを生み出しているかというと疑問なしとしない。

にも関わらず、虚構と現実とを混同しているといった非難が誰を相手にしているのかわからないままばらまかれている。
作品そのものを見ず、気に入らない相手を叩くためのダシとしか見ない言説はおなじみとはいえ、やはり貧しい。

現実の浄化機構が機能していない中のこのドラマの存在は、それ自体が現実に刺さったトゲみたいなものになる。表現としてどこまで自立しているか、むしろ自立させないでいるのが表現になっているようなところがある。

アメリカ映画で実話ネタは多いが、良くも悪くも完全にハリウッド的娯楽商品の骨法の素材として使われるのに対して、これはやはり良くも悪くもそこまで座りがよくない。

Netflixは利用者に直接課金することで豊富な資金とスポンサーに囚われない表現を確保したわけだが、似たことが新聞ないしメディア全般でできないか。
小規模にはやっていることだが、個々人単位だとやはりカバーできる範囲は限られる。

ツイッターは明らかに本物のツイッター画面が出てくるのに、新聞社その他は仮名というのは中途半端。




「狂った一頁」

2022年01月18日 | 映画
一度散逸したと思われた大正時代の映画が発見されて、いつでも配信で見られるのだから、凄い時代になったもの。

精神病院(その頃は脳病院と呼ばれていたのでは)を舞台なのだが、鉄格子が視覚的には要になっているのが直接影響を受けた「カリガリ博士」の表現主義的な異様な効果。
二重露光をすごく多用しているのだが、オプティカルでやっているのか、カメラ内合成なのか、いずれにせよ良く上がっている。
とびきり前衛的な音楽がつけられているのが、妙に合っている。

「リング」の呪いのビデオが90分続くみたいな只事でない異様さがある。
本当に古いフィルムであること、技術が比較にならないくらい進んだ今だと逆にこういう手触りの画面を作れないだろう。
また、出てくる人たちの顔つきが今とまったく違う。能面をつけるとそれまで興奮状態だった患者たちがおとなしくなるシーンがあるのだが、生のマスクがそれ自体モノとしての厚みがある。

また、おどろおどろしい一方かと思うと、夫婦の関係を描くあたりになるとしっとりした情緒が漂うのがまた面白い。監督の衣笠貞之助はもともと新派の女形ということもあるだろう。




「忠烈図」

2022年01月17日 | 映画
1975年作。武侠映画の古典であると共に、振り付けられた殺陣と編集で立ち回りを作っていく方法の原典でもある。
しかし、特にカットの組み立てがきっちりあらかじめ計算されていて明らかに通常のカンフー映画のめぐるましさとは一線を画している。

故金銓(キン·フー)監督の、京劇の立ち回りから始めて、あらかじめワンカットごとに絵コンテを描いて振り付けていく方法は、何度も飛び蹴りを重ねていくあたり、仮面ライダーを思わせたりする。

キン·フーが俳優学校から育ててきたという徐楓(シュー・フォン)がすこぶる美人で立ち回りも上手くて魅力的。毛皮の帽子みたいなのを被っているのは苗(ミャオ)族の出身ということらしい。

倭冦の頭領博多津をサモ·ハンが面妖な白塗りで演じているのが可笑しくて堪らない。日本語のセリフがいちいち変なのが、今となってはご愛嬌。
ジャッキー・チェンが出ているらしいのだが、よくわからなかった。

立ち回りで相手のこちらで姿をふっと消したと思うより早くあちら側に現れるといったカットは、吹き替えを使っているのではないか。
最近の「ラストナイト·イン·ソーホー」のダンスシーンで使われていたテクニックに近いのでは。