prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「サイレン」

2008年03月30日 | 映画

最近、スピーカーを追加したので、その効果の確認のために見たようなもの。
音響効果にばかり気をとられていてストーリーそっちのけだったのが、かえってよかったみたい。

本当に人がいなくなって久しい廃墟の風景がちょっとドキュメントとして魅力あり。
(☆☆★★★)

2008年3月に読んだ本

2008年03月30日 | 
prisoner's books
2008年03月
アイテム数:13
被差別の食卓 (新潮新書)
上原 善広
03月15日{book['rank']
草の根の軍国主義
佐藤 忠男
03月15日{book['rank']
平義久オーケストラ作品集
ドゥニ・コーエン,フランス国立フィルハーモニー管弦楽団
03月21日{book['rank']
細川俊夫作品集 音宇宙(9)
細川俊夫,東京少年少女合唱隊
03月21日{book['rank']
日本焼肉物語
宮塚 利雄
03月29日{book['rank']
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「愛ふたたび」

2008年03月29日 | 映画
ルノー・ベルレー主演の日本映画ってところですでに相当恥ずかしい。マーク・レスター主演の日本映画っていうのもありましたね。
今でもCMなんかで外タレを変な具合に使っているのと相通じるセンス。

東京の街をベルレーが歩いていると、おフランスにいるのと違ってどうも格好良くないし、日本の都会は絵にならないなあ田舎の方が画になるなと思っていたら突然田園風景が写るのはいいのだけれど、そこにかぶさる主題歌がものすごい大ハズシ。よくこれだけズレた曲が作れたものだと感心するくらい。

市川崑は日本のモダンなセンス派の代表だけれど、モダン=「西洋的」ではないということね。
(☆☆★★★)

チベットの弾圧写真

2008年03月28日 | Weblog
四川省のアバ県というところのチベット人居住区で3月16日に起きた弾圧事件の写真だそうです。(グロ注意!)

Graphic photos of dead bodies from Kirti

なお、この情報は以下のサイトからの孫引きです。

チベット人の悲劇が北京オリンピックを変える――米紙の社説から



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「デッド・サイレンス」

2008年03月28日 | 映画
腹話術の人形の不気味さを軸にしたホラーだけれど、どう見ても人形が殺人を犯しているのでないとおかしいシチュイエーションで妙にもってまわって誰が殺しているのかわからないような描き方をしているものだから、人形ではなく生きている人間が殺しているのかと思わせる。
それは外れてはいないのだけれど(半分冗談みたいなケレンあり)、結局人形に命があったわけだし、人形と人間の区別を曖昧にしていて、現実性とオカルトの両方に足を置いてぐらぐらしているみたいで、なんだか落ち着かない。

人形のデザインなどの美術、色彩などの工夫によるゴチック・ホラー風の雰囲気の出し方はなかなかいい。
(☆☆☆)


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goo映画 - デッド・サイレンス

「アンジェラ」

2008年03月27日 | 映画

髭面の風采のあがらない自堕落な生活しているチビがモデルみたいな長身美女になぜか好かれる(内面が美しいから! だってさ)って、コレってリュック・ベッソンの自画像だよなあ。ただし違うのは美女(アンヌ・パリロー、ミラ・ジョヴォヴィッチなど)たちと現実には長続きはしていないところで、願望の混じったうぬぼれ鏡に写った自画像といったところ。だから展開調子よすぎ。いくら天使だからって、というよりご都合主義で天使に設定したみたい。
アート系風に白黒で作ってるけど、発想は俗悪。
(☆☆★★)

「タカダワタル的ゼロ」

2008年03月26日 | 映画
「吉祥寺発赤い電車」というのは高田渡23歳の時の記録映画の題名だそうだが、発見されたその断片が冒頭ちらっと見られる。また、本物の吉祥寺近辺を走る赤い電車こと中央線の実写映像があちこちに登場するのが一種のシャレになっている。

素材自体は前作とそれほど違うわけではないのだが、高田渡行き付けの焼き鳥屋“いせや”が家屋の老朽化に伴って閉店するところが入っているのが物悲しくて、映像には残っている当人の喪失感を代わりに表現しているよう。
羽化登仙というのか、飲みながらひょいとあの世に行ってしまった仙人みたい。ライブで見たけれど、本当に飲みながら寝てしまうのだから。


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「タカダワタル的ゼロ」公式サイト

goo映画 - タカダワタル的ゼロ

「THX-1138」

2008年03月25日 | 映画

ジョージ・ルーカスの長編第一作だけれど、初公開(71)の時は「見にきた人全員の顔を覚えられる」くらいの不入りだったという。それも不思議はない感じの、アートフィルム的な感触の一作。
余談だが、製作総指揮のフランシス・フォード・コッポラも「雨のなかの女」(69)が大コケして、まだ「ゴッドファーザー」を撮っていない不遇の時期。

パネル類やブラウン管映像の極端なクロースアップ、白を基調にしたグラフィック・デザイン的な画面構成、コラージュ風な音声の使い方など、実相寺昭雄の「ウルトラセブン 第四惑星の悪夢」や、その元ネタのゴダール「アルファヴィル」を思わせる。
クライマックスのチェイス・シーンは工事中の地下鉄で撮ったらしい。
やたらと登場人物が薬を飲むのは作られた時代のせいもあるだろうけれど、今見るとグラフィック以上に妙に生々しい。

共同脚本、サウンドデザインはウォルター・マーチ。コッポラの盟友でもあって「地獄の黙示録」でオスカーの音響賞を受賞、同作の「完全版」編集も担当し、監督作品「OZ」(プロデュースは「スター・ウォーズ」のゲイリー・カーツ)もある。

「明日への遺言」

2008年03月23日 | 映画
初めのうち、戦争の実写フィルムにナレーションがかぶさるNHKスペシャル的前振りが長めに続いたあと、一転して通常のキャラクター説明や家庭の描写をすっとばして、実際の裁判を正面きって再現した陳述のやりとりがずうっと続く。撮り方も中継をスイッチしているみたいで、慣れるまでちょっとうとうとしてきた。

もっとも、無味乾燥かというとそうでもなく、居ずまい正しく振舞っている中にアメリカ側の弁護人や検事との間に、仕事に誠実な人間同士の信頼感が自然に生まれてくるところに、まじめに法と正義を信じていた昔のアメリカ映画のような気持ちよさがある。ロバート・レッサーのツイードのスーツの柔らかい質感が人となりをよく出した。

監督の小泉堯史は晩年の黒澤明の助監督、というより身の回りの世話までした昔の書生みたいな人らしいが、だからというわけではないが、この撮り方ははっきり黒澤組のマルチカメラ方式に近い。
「夢」の「トンネル」で、死んだ兵隊たちをひたすら引き気味のアングルの切り替えだけで淡々と積み重ねていうち幽冥定かならぬ具合になってくるのを、井上ひさしは「映画が初めて能になった」と評したが、この映画にも膨大な量の死をバックにした一種の様式感と格調がある。

岡田資という人が最初から最期まで変わることのない「できあがった」人で、部下たちもひたすら慕い,共に学ぶというあたり、ちょっと「赤ひげ」みたい。

ちょっとひっかかったのは、中国の駅の構内で真っ黒にすすをかぶった幼児が泣き叫んでいる映像が出てきたことで、あれはカットされている前半で国民党だったかの工作員が幼児を運んできたちょうど「絵」になるところに置くところが写っている、典型的な「やらせ」映像なのだが。(後註・米誌「ライフ」の1937年10月4日号に掲載された、当時ハースト系通信社の上海支局長であった中国系アメリカ人・H・S・ワン(王小亭)が取った宣伝映画だそうです)
(☆☆☆★)


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「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」

2008年03月21日 | 映画

メルキアデスの死骸が三回も掘り返されては埋葬される、とか、時制が交錯して生きている時と死んでいる時とが代わるがわる出てくるあたり、ラテンアメリカ文学的な死生観というか、見かけの荒々しさとは裏腹にアメリカ側から見ると逆にインテリっぽい志向。
「野人であると同時にインテリでもある」というのは品田雄吉がペキンパーについて評した表現だが、監督・主演のトミー・リー・ジョーンズもそんなところがあるのではないか。

埋葬されるべき街が存在しない、というあたり寓話っぽいが、死骸の生々しさなどはまことにリアル。
(☆☆☆★)

「ラスト、コーション」

2008年03月20日 | 映画
上海や香港が日本の支配下にあった時代の話だが、支配者としての日本人が直接描かれることはほとんどなく(エンドタイトルを見ると、スタッフに日本人の名前がずいぶん混ざっているのだが)、活動家たちの不安と恐怖も、協力者のそれも漠とした存在そのものの不安のよう。
前半の若い活動家たちのお気楽な感じは、日本の60年代の反体制運動を思わせたりする。
「夫人」と名乗っているのでいざ関係した時に怪しまれないように仲間うちでセックスの練習をしておく、感情と行為とがバラバラの感じや、突然人を殺さなくてはいけなくなる恐怖感の描出が秀逸。

ヒロインと「漢奸」が最初に関係する時、女をうつぶせにして縛り動けなくしてから背後から行為に及ぶわけだが、これSM趣味というのではなくて、具体的な敵に対するというよりもっと漠とした内面からの不安からではないか。描写はすこぶる具体的だけれど、存在そのものの価値が危うくなっている形而上的不安がくっきり出ている。

トニー・レオンの執務室の壁に「自由 平等 博愛」と、いかにも日本経由らしいフランス革命のスローガンが漢字で書かれて貼ってあるのが皮肉。
(☆☆☆★★)


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「ノーカントリー」

2008年03月19日 | 映画
圧搾空気で牛の頭蓋骨にボルトを打ち込む道具を人間に使う、という発想は、「悪魔のいけにえ」のレザーフェイスが牛殺し用のハンマーで人をぶっ叩いて殺していたのが「進歩」したものみたい。
牛を殺す道具を人間に使う、という野蛮さと乾いたユーモア。

犬を撃つのをはっきり映像として描いているのは動物愛護全盛の今日び珍しい。川から上がって暴発しないよう拳銃をスライドさせて水をはじき出してから撃つ、という手順が細かい。
乾いた風景のロングショットのスタイリッシュな空間感覚、光の使い方、編集、音響の映画的な総合力が見もの。

ドアノブを圧搾空気で吹っ飛ばした後の丸くあいた穴から外の光が暗い室内にさしている映像は、コーエン兄弟のデビュー作「ブラッドシンプル」のクライマックスでも似たような映像が見られた。一種の原風景というか。

ハピエル・バルデムの殺し屋の、人に生きるか死ぬか決めさせているようで自分が決める、一種文学的なキャラクター造形。
(☆☆☆★★★)


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「ゆれる」

2008年03月16日 | 映画

ゆれる吊り橋の上で何があったのか、いくつかのイメージが具体的に出てくるが、どれが真実なのかははっきりさせる謎解きはしていない。
それらはどれもほぼオダギリジョーの主観に添っているもので、当人が兄の香川照之に持っている感情がかなり伏せられている上に、「信頼できない語り手」でもあるから、一人「羅生門」といった観になっていて、その差異をストーリー的にまとめようとしないで、題名通り「ゆれて」いるのが映画的に不定形でスリリングで面白い。

香川照之が、みじめったらしいのかふてぶてしいのか、なかなか傍から推し量れない煮ても焼いても食えない男を好演。

兄弟がそれぞれ地方にとどまったのか、東京に出て行ったのかといった立場の対立だけでなく、一方で「家」を継いだわけではない根無し草的なところは共通しているのが微妙だし、親の代でも家を出た伯父の蟹江敬三が弁護士を務めるというたくらみがまた効いている。

「SP」でブレイクする前のロングヘアーの真木よう子が見られる。
(☆☆☆★★★)

「映画に賭ける~脚本家・橋本忍~」

2008年03月15日 | 映画
「砂の器」の後半40分にわかるクライマックスが語りと演奏と芝居の三つを組み合わせる浄瑠璃の構造から来ている、というのにびっくり。
またその追い込み方を競輪の「マクリ」にたとえるなど、縦横無尽な発想。
「幻の湖」では縦横無尽が過ぎた感。
未映画化の「鉄砲とキリスト」も、大胆ともトンデモともつかない、他の誰にも書けないシナリオ。

「複眼の映像」で、黒澤作品は「用心棒」(これに橋本は参加していない)で近松から南北へと転調したと評したが、橋本当人に近松と南北が同居しているのではないか。

父親が忍の作品で二つ選んだのが「切腹」と映画化前の「砂の器」で、それでなんとか映画化にこぎつけなくてはと奔走して十年以上かかって自ら橋本プロを設立し映画化したという。
「砂の器」のやたら長い原作からつかみだした父と息子というモチーフに反応したのか。どういう父親だったのか知りたい気がする。


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