prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「トランスジェンダーとハリウッド: 過去、現在、そして」

2021年07月31日 | 映画
見ていてずいぶん居心地が悪くなった。今まで気にしないで、あるいは笑ってみていた「オカマ」系の映画のシーンがトランス当事者にとってはひどく侮辱的だったり屈辱的だったりしたことが当事者たちの口で語られるもので、いかにわかっていなかったか(自分ではそれほど差別意識があるとは思っていないので)知らされてかなり凹んだ。

昔の「アンクル・トムの小屋」が黒人奴隷問題の摘発の書として書かれたが、公民権運動から後では「アンクル・トム」というと白人におべっかを使う黒人という意味の蔑称になったような、差別に批判的なようで実は本質的には差別者のことを理解していない、好意的なようで誤解しているか理解不足なまま自分の“好意”の酔っていることがあるのを改めて知らせる。

いかにわかったつもりでわかっていなかったか。
そして本当に“わかる”などということがあるのかという疑問もあるが、そこに開き直るわけにはいかないだろう。




「ライトハウス」

2021年07月30日 | 映画
オープニングから意識的にほぼ左右対称の構図を多用しているのだが、対称が少し破れているのがほとんど正方形のフレームだと二人の主演俳優の背丈の違い他で目立つ。

コントラストの強い白黒画面は表現主義から、孤島の話としてもベルイマンの「ペルソナ」「狼の時刻」まで思わせて、つまり二人の内面が溶け合う、あるいはアルターエゴのような妄想か強迫観念の映像化の面を持つ。

ウィレム·デフォーがシェイクスピアかと思うような音吐朗々な台詞術を披露して、ロバート·パティンソンが前半もっぱら奴隷のように酷使されるのを後半逆転していくのは若いし身体も大きいのも生かしてドラマの基本になる。

悪夢的な音響が秀逸。
半ば凶器のような19世紀の機械のでかくてごつくて生々しい質感や終盤の妄想的な展開と共に「イレイザーヘッド」を連想させる。





「ファイナル·プラン」

2021年07月29日 | 映画
原題はHoner Thief=正直な泥棒。

リーアム·ニーソン扮する爆発物処理の元海兵隊員がその技術を生かして金庫破りを重ねてきたが、ある女性と知り合い愛し合うようになって心を入れ換えて足を洗うべくFBIに扱いが軽い刑務所に入るのを条件に自首しようとするが、担当のFBI捜査員が隠されていた証拠のカネに目がくらんで、というところから話が転がっていく。

銃撃戦や爆発、カーチェイスといったアクションの見せ場もあるがどちらかというとストーリーの運びとキャラクターの書き込みで見せる小品。

FBI職員で一番偉いのが「ターミネーター2」の液体金属ことロバート·パトリックなのにはちょっと驚いた。
その次がテレビシリーズ「バーン·ノーティス」や「J.エドガー」のロバート·ケネディ、「JBL」のジョン·F·ケネディ役のジェフリー·ドノヴァン。
離婚で分けられないのは家と犬なので家は元妻に渡して自分は犬をとっていつも連れているという味付けをしているのが小品的な良さ。

FBI内部で横領した職員とそれを疑うのと、横領を後悔しているのと立場が別々になって三すくみ状態みたいになるあたりも工夫している。

ニーソンの主演作とあっていつもの無双ぶりを期待するとやや肩透かしを食うが、小味なよさはある。





「ROMA ローマ 完成までの道」

2021年07月28日 | 映画
「Roma」のメイキング。白黒の本編に対して、こちらは当然ながらカラー。
カラーで見ると同じ場所でもずいぶん雑然とした印象になる。冒頭の床を水を流して洗うあたり、なんだか汚い水なのがわかる。

アルフォンソ・キュアロンが子供たちや素人の医者や看護師(死産の場面に出てきたのは本物の医者や看護師)に丁寧に説明して同時に意見に耳を傾けて演出しているのがわかる。

キュアロンが横移動撮影は客観的な視点を保つため、パンを多用したのは動きを多くするためとカメラワークについても明確に説明している。

キュアロンの自伝的な作品ではあっても主人公は先住民のお手伝いさんにしているバランス感覚を改めて感じる。






おもしろ画像

2021年07月23日 | Weblog

「るろうに剣心 最終章 The Beginning」

2021年07月22日 | 映画
完結編の前編であるfinalよりはアクションの見せ場が少なめ。というか、あれの繰り返しみたいになったら屋上屋を重ねるようでげっぷが出たかもしれない。

前編では出番が少なかった有村架純が前面に出て、しっとりした場面が多くなったわけだが、すでに悲劇的な結末を迎えるのはわかっているわけで、少し丁寧すぎてくどい感じはある。

さんざん人を斬った人間がこれから斬らないでいられるかというのは難しいモチーフで、ラストに置くとまだ続きがあるのではないかと思わせる可能性があるのを、これも結末を前に持ってくることで説得力を持たせようとしたともとれる。

しかし日本映画のアクション描写も資本、人材の厚み、チームワーク、本気でアクションに賭ける主役級の俳優(の興業力)と駒が揃ってずいぶんレベルアップした。




「ザ・ファブル 殺さない殺し屋」

2021年07月21日 | 映画
ややぎくしゃくしたところがあった一作目より大分こなれて安定してきた。
殺しを封印した殺し屋の話となるとちょっとつきまとう隔靴掻痒感を冒頭の過去の殺しをやっていた頃の殺しを描いているところから始めて解消している。
良くも悪くもあまり深刻にはならないマンガチックなのが身上で、そのマンガでしか描けないような動きを生の肉体でアレンジしてやってみせるのが凄い。

工事用の足場を生かしたアクションで盛大に大勢転落していてまことに盛大な眺めだけれど(スタントの人員が揃ったのが目を見張らさせる成果)、あれで死者出ていないのだろうかと思った。
落下で済ませるのが描写としてはボカしたところなのだろう。

車椅子の少女が立てるかどうかのベタな話はもうちょっとスマートに処理できなかったかとは思う。日本映画としては特にくどくはないが。

アクションシーンの動きの付け方、カット割りなど一作目より一段と進化してはいるのだけれど、欲をいうと救出の瞬間が短すぎたり長すぎたりしたのはもう少しキメて欲しかったところ。




「恐怖に襲われた街」

2021年07月20日 | 映画
製作時期('75)からして「ダーティハリー」や「フレンチ・コネクション」の影響は歴然。上の言うことを聞かない直情決行型の刑事(相棒のシャルル・デネがハリーの相棒に顔が似ているのが御愛嬌)のキャラクターに、暴走する列車を生かしたアクションと。

とはいえ、ジャン=ポール・ベルモンドの身体を張ったアクションが何と言っても見ものだし、こういう部分はおよそ古くならない。
チャップリン、キートンやジャッキー・チェンなど危険なシーンを自分でやるアクションスターは他にもいるが、身軽でスポーティな彼らと比べるとベルモンドはかなり大柄で体格がいいので重さが感じられてまた違うスリルが出る。

上半身裸になってみせるシーンを見るとがっちりしたいい体格だけれど、今の男性スターみたいにムキムキの筋肉がついているわけではない。

傾斜のきつい屋根の上でずりずりっと滑り落ちるあたり、「ルパン三世 カリオストロの城」みたいで、実写の分重みがある。

演出的には義眼の殺し屋の描き方が凝っていて殺し屋の主観で画面半分くらいが義眼のアップで占められていたり、しきりと鏡に写して見せたりしている。

マネキンが林立している倉庫でのアクションはキューブリックの「非情の罠」にもあったが、影響があるのかどうかわからない。これが作られた75年にはすでにキューブリックは巨匠の域に入っていたからどこかで見ていて参考にしてもおかしくはないのだが。




「アナザー・カントリー」

2021年07月19日 | 映画
若い頃のルパート⋅エヴェレットとコリン⋅ファースほか英国美男が大挙出演してほとんど少女マンガかと思うような絵面だが、内容は重い。

後にスパイとして亡命する男の若き日グラマー⋅スクールでの生活を描くわけだが、伝統と格式といえば聞こえはいいが、理不尽な抑圧と先輩後輩に名を借りた身分制度の息苦しさが暗い画面に滲み出ている。
これがもっとファンタジックかつ造反有理的になったら「IF もしも…」の世界だが、これはあくまでリアルで重い。

若い者は同性愛か共産主義者だと思われているといったセリフがあるが、そういったマイノリティだから抑圧に敏感なのか、抑圧されているから孤立して少数派になるのか。




「ラスト・ディール 美術商と名前を失くした肖像」

2021年07月18日 | 映画
老いた画商が一目見て気に入った署名が入っていないある肖像画の売買にまつわる駆け引きの話でもあるが、それ以上にかなり偏屈に不器用に生きてきたであろう画商の娘と孫との関係が修復され祝福されるのを、肖像画のモチーフとなぜ署名が入っていなかったか(ロシアイコンに署名が入っていないようなもの)によって象徴したストーリーと受けとるべきなのだろう。

絵画の商業的な価値というのはひどく曖昧なところがあるから投機的にもなるのだが、ストーリーが向かうのはむしろそういう商業性とは逆方向みたい。

思いきって陰影の深い撮影が見事。




「スタントウーマン ハリウッドの知られざるヒーローたち」

2021年07月17日 | 映画
何度も米アカデミー賞でスタント部門の賞を作ろうという話が浮上しても未だに作られていない。
もともとスタントはスターではない他人がやっていることがあまり目立っては困るから、業界としてはあまり注目されてほしくないという事情があるわけだが、ただでさえそういう差別があるところに女性差別が加わるのがスタントウーマンの世界ということになる。

ただここに出てくるスタントウーマンたちは基本的に実にタフで明るい。というよりタフでなかったら生きてこられなかっただろう。
女同士で仲良くだべっている感じと共に、ケガした場合の実に深刻な話が交錯する。

得意分野、たとえば炎をかぶるなどのスタントの技を持つことが売れる=生き残るために必要なのもプロの世界ならでは。

代わりにスタントを演じるスターたちと並んだ写真がいくつも重ねられるところがあるが、スタントマンとは別のスタンドイン(立ち位置や照明を決めるためにスターの代わりにカメラの前に立つ代役)の存在も見てみたい気がした。けっこう似ているのです。

女性スタントの歴史がほとんど映画創世記からあるのがわかる。




「唐人街探偵 東京MISSION」

2021年07月16日 | 映画
シリーズもので三作目が日本が舞台なので日本でも劇場公開されることになったらしい。
一作ごとにロケ地を変えてるみたいで、次はロンドンになるであろうことが予告される。

日本側出演者も妻夫木聡、長澤まさみ、三浦友和、浅野忠信、六平直政と豪華で、それぞれちゃんとした役と芝居場は用意しています。妻夫木聡などこういうバカみたいに派手なコスチュームと役というのは日本ではあまりやらないのではないか。
吹替版で見たのだが、日本の俳優のセリフは当人が吹替えているので違和感はなかった。
トニー⋅ジャーがタイ人役の主役の一人で出ている。

渋谷の交差点はオープンセットで撮られているが日本映画「サイレントトーキョー」とNetflix「今際の国のアリス」との合同で足利競馬場跡に建設したものだという。なおやはりNetflixの「全裸監督2」でも使われていると思しい。

その他新宿、秋葉原はじめあちこちでロケされているが、もっぱらキッチュな日本イメージにまとめられる。もちろんセットは輪をかけてけったいな日本像を提出してくるので、木製の銭湯に刺青いれたヤクザが何十人も入っているって、かつてのトンデモ映画「リトルトーキョー殺人課」をパワーアップしたみたい。
ただ普通の日本を知っていてイメージを優先させた感じではある。

ストーリー構成も演出も相当に雑で、返還前の香港映画時代だったらデタラメなパワーを楽しんだろうけれど、中国製という意識が絡むとどうもひっかかる。

40年以上も前の某大ヒット日本映画の主題歌が流れたのには驚いた。

カネかかっている割にアクションシーンが意外と弱体。香港映画ではないからカンフーは売りではないのかもしれないが、代わりになるようなアクションがあるわけでもない。クライマックスもアクションではないし。




「ウルフウォーカー」

2021年07月15日 | 映画
アニメの画で一番魅力的なのは最初に鉛筆で描いた原画で、トレースして線を整えて輪郭の中を色を塗るとどんどんつまらなくなる、という意味のことを言う人は高畑勲をはじめとして多い。

封切り日までに完成できないで未彩色だったり鉛筆描きのままだったのと未完成の画のまま出してしまった「ガンドレス」で、不手際を詫びて配給側が完成品のビデオを後で配ると申し出たら封切った未完成品の方が欲しいなんて意見が出たらしいが、ありそうな話。

高畑勲は自ら手描きの線の魅力を生かした(のでとんでもない手間と費用を要した)「かぐや姫の物語」を監督したわけだが、この「ウルフウォーカー」も手描きのかすれや不明瞭なゆらぎを大幅に取り入れている。

狼と人間が同居している世界というのはいかにもアイルランドらしい世界観だし、アニメで描くのにふさわしくもある。




「スーパーノヴァ」

2021年07月14日 | 映画
認知症が発症してから後はカット。本当に大変になるところ、愛していても相手が自分を忘れてしまう状態は出てこないというのは、それを描いたら別のドラマになるからとはいえ、甘いといえば甘い。

ゲイ同士のカップルというのがドラマ上で特別扱いされていないのはともかく、周囲の人間たちもまるで気にしていないのはちょっと進み過ぎてはいないかという気がした。

エンドタイトルを見たら、コリン・ファースが本当にエルガーの曲をピアノで弾いているのがわかる。驚くことではないかもしれないが、役者というのは何でもできないといけないのだなと思う。



「1秒先の彼女」

2021年07月13日 | 映画
ものすごいせっかちな女の子といつもモタモタしている男の子の話、だとは予告編でわかっていたが、こういう展開を見せるとはあまり予想できなかった。
広い意味で時間ものSFファンタジーでもある。

ヒロインのリー・ペイユーは初めのうち真っ赤に日焼けした顔で出てきたりでかなりコミカルに作っているのだが、終盤には端正な美人に見えてくる。
まったく動かないという演出もそれを狙ってのことだろうか。

最初ベタなラブコメかと思わせてキャラクターの比重があれあれと言う間に変わってきて、最終的にはきっちり泣けるように落とし込むあたり、上手いもの。

チェン・ユーシュン監督は「熱帯魚」でも見せた唐突に日常に手作り感のあるファンタジーが出没する技法を見せる。