prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「パーフェクト・ドライバー 成功確率100%の女」

2023年01月31日 | 映画
「ザ・ドライバー」と「グロリア」と「レオン」ほかを足して何で割ったのか微妙だけれど、元ネタがバレるのを一向に気にする様子なし。

かなりごった煮が過ぎたのと邦題が内容とズレてるせいもあって、クライマックスがカーアクションではないのは肩透かし気味なのは残念。

レオンのゲイリー・オールドマンに当たる 悪徳刑事役のソン・セビョクが 原田泰造になんか似てる。





「アバター ウェイ・オブ・ウォーター」

2023年01月29日 | 映画
久しぶりに3 D 映画観たわけだけど前に比べると3 D メガネがすっぽりメガネとかぶさるような格好になっていてあまり邪魔にならないのは良かった。 水中の3 D 効果は非常に大きい。
悪役と善玉で同じ 青いキャラクターっていうのがあまり区別がつかない。

女性キャラクターも半裸なのだが乳房が乳首もよく見えない。あえて性的な部分を省いた気もする。

エンドタイトル見ていると、マットペインティングを使っているらしい。不思議はないが。
KABUKIなる職能あるいはアプリは何だろう。

鯨(ですよねえ)の扱いを含めてエコロジー的な内容で、それが最先端の映像テクノロジーで表現されているのが矛盾といえば矛盾。





「エンドロールのつづき」

2023年01月28日 | 映画
なんか作りがずいぶん雑に思えた。
監督の分身と思える主人公の少年は母親が作ったお弁当を持って学校に行かないで 映画館に入り浸ってるわけだけれども、よくバレないものだと思う。いくらインドでも(というと何だが)学校から連絡行かないのだろうか。
お弁当を映写技師にあげてしまうのだから(技師も職があるのだから食べるものに困っているとも思えないが)、さぞお腹空くだろうと思うが、そのあたりのフォローもなし。
母親が作る弁当のインド料理のアップは美味しそうに撮れてたけれど。

何より文字通りの映画泥棒、フィルム盗難を堂々とやっちゃっていいんだろうかと思う。 警察に捕まってしまうんだけど、れっきとした犯罪ですからね、当然といえば当然。他の観客にとっても迷惑きわまりないし、フィルムを埃だらけの環境で素手でいじくりまわすというのも、見ていて引いてしまった。

ものすごく汚い映画館が舞台なので相当に昔の、「ニューシネマパラダイス」くらいの時代みたいな気になっていたら、ラスト近くでフィルム上映が廃止になってデジタル上映になるのだから21世紀に入ってかららしいが、どうもよくわからない。

映画館に入り浸っているばかりでなく自然観察もしているらしく、そのあたり光の研究をしてみたいと終盤言い出すのと一応つながるのだが、そうなると上映されている映画の内容関係なくない?
上映されている映画は馴染みのないインド映画(というのは本当はなくて、州によって言葉も違うのだが)ばかりだが、スペクタクルの割に画面がスタンダードサイズオンリーおというのは映画館の設備の問題か。

原題のLast Film Showというのは、明らかにラリー・マクマーリー原作、ピーター・ボクダノヴィッチ監督の「ラスト・ショー」The Last Picture Showのもじり。
映写機が溶鉱炉で熔かされてスプーンになり、フィルムがやはり化学物質で溶かされてプラスチックの腕輪などになる。そういう再利用を丹念に撮ったのは初めて見た。

ラスト近く、トロッコで走る人物を横からのアップで背景とピン送りしながら撮っているカットなど、背景の廃墟やシンセサイザー音楽ともどもまるっきりタルコフスキー(冒頭で捧げられた五人の監督のうちの一人)の「ストーカー」の「ゾーン」に入っていく時の撮り方。





「モリコーネ 映画が恋した音楽家」

2023年01月27日 | 映画
武満徹が好きな外国の映画音楽家にモリコーネの名前を挙げていたのだが、いくつか共通するところがあると思う。
つまり楽器の音だけが音楽を成り立たせるわけではなく、沈黙も含めてあらゆる物音が音楽となりうるという発想で、それを理論化したジョン・ケージの影響を受けているということ。

現代音楽におけるケージの影響は大きく、あまりに方図もなく何でもありになり過ぎて一般人を逃がしてしまったわけだが、その中でモリコーネは現代音楽の書法の一方で親しみやすいメロディーをいともやすやすと量産してしまうのには驚嘆するしかない(余談だが、武満はぼくはやろうと思えばすごく甘ったるいメロディー書けるんですよと言っていたし、実際そうしていた)。

そのあらゆる音が音楽の一部として共存できたのは映画という物音やセリフ=人声と当然に共存する場にあったからとは言えるのではないか。
映画音楽というのが程度の低いものとして扱われたのに悩んだというのが理不尽としか言いようがない。もともと商業主義の上に成立しているからか。

モリコーネがアカデミー賞を名誉賞を獲った後、改めて作曲賞で受賞したのはポール・ニューマンがやはり名誉賞のあと主演男優賞を獲ったみたいで、だったらもう二,三回獲っていておかしくないだろうと思わせるのも一緒。
とはいえ、モリコーネは本気で賞をもらって感激して泣いたりしていて、天才にありがちな傲慢さや狷介さを感じない。
ただ、既成曲を監督が使いたがるのには抵抗を見せる。

大著「あの音を求めて モリコーネ、音楽・映画・人生を語る」で記述されている毎日の日課としていたストレッチとはどんなものか実際に見ることができてなるほどと納得できたのは映像の効用。
引用される映画の画質があまり良くないのが多いのは残念。




 


「フラッグ・デイ 父を想う日」

2023年01月26日 | 映画
ショーン⋅ペン としては 初の主演を兼ねた監督作であり、実の娘のディラン・ペンと役の上での父娘の共演作。

娘のナレーションで運んでいくスタイルや、家が燃えるところを丁寧に撮っていること、そして足を地につけないまま「成功」を夢見過ぎて犯罪に踏み込む父を麦畑などの自然の詩的な風景を交えて描くところなど、随所にテレンス・マリックの、特に初期作ばり。

タイトルにあるように父は星条旗にこだわっていて、アメリカという国が「成功」志向の上に成り立っていて、だから同時に失敗した者の死屍累々の上に成り立っているものでもあるものが見て取れる。

父ショーンは若い時は問題児だったもので、自分の姿を重ねているのは見て取れるけれど、実際の娘から見たらどうだったのか聞いてみたい。
ウソばかりついている父で、いもしない電話相手に向って芝居を続けているのを娘に見透かされるあたり、自己言及的。
それに対して、娘が父に関するところでウソをついたことで大学に入学をいったん拒否され、ホントのことを伝えなくてはいけないジャーナリストになるというのが面白い。





「マッドゴッド」

2023年01月25日 | 映画
美術出身の人が監督をやるとナラティブなストーリー展開より映画全体がひとつの絵になるような作りに接近するのかな、と思った。
ひとつひとつのカットが絵画的というより、映画の全体像としてひと固まりの印象としてごろっと投げ出される、というか。

技術的にはストップモーション・アニメーションに限ったわけではなく実写やCGも併用しているが、ここまで手がかかっていると、手をかけること自体が作者のフェティシズムというか快感になっているのではないかと思える。
キャラクター、あるいは映像世界全体が自発的に動いていると共に半ば動かされている、すべてを創造していると共に創造されたものが勝手に生きている
ような奇妙に混淆した感覚は、見ている方にとっても何か癖になる。





「街の野獣(1950)」

2023年01月24日 | 映画
今回、国立映画アーカイブで上映されたのは 日本で劇場公開された95分版より少し長い111分のプレ・リリース版。
わざわざどのシーンが追加あるよ変更されてるかのリストが配布されてるのはさすがに 研究機関の面目躍如。

これまでテレビでしか見ていなかったのだが、冒頭とラストに海に面した見張り場にいる二人の会話を置いて、その間に何事もなかったかのように言っているところは明らかにテレビ版にはなかった。

リチャード⋅ウィドマークの口八丁手八丁のようで結局は小悪党(作中のセリフでハスラーと言っていたよう)にすぎない男の 野心と悪あがきが しかし切実に描かれる。

作中、ショーアップされたプロレスを一切否定し 本格的なグレコローマンプロレスだけが 価値があると頑固に信じ続ける老レスラーのグレゴリウスの役を実際の往年の名レスラーのスタニスラウス・ズビスコが演じる。 この体の厚み自体が圧倒的な説得力があって、クライマックスのキャッチ・アズ・キャッチキャン式の格闘シーンは 地味な関節技の応酬なのだがすこぶる迫力がある。 決め技がベアハグっていうのは今まずやらないだろう。
ズビスコは映画「王者のためのアリア」の主人公のモデルでもある。

前に見た時はすごく技巧的な演出をしていたような気がしたが、改めて見ると安定したカットを的確に積み上げていくずいぶんがっちりした演出(ジュールス・ダッシン)でした。ラストの非情な切れ味などぞくぞくします。

登場人物の名前がグレゴリアスとかとネセロスといったギリシャ系のようなのが多い気がする。ダッシン夫人がギリシャ人のメリナ・メルクーリなのと別に関係はないだろうが。

タイトルがNight and The Cityであるように多くのシーンが夜間で、カメラを低く構えて天井を入れた圧迫的な構図がさりげなく多用されている。




「SHE SAID シー・セッド その名を暴け」

2023年01月23日 | 映画
性暴力の描写そのものの扱いは極めて慎重で、録音された声だけで表現するなど見世物的な直接な描写が無いのはもちろん レイプという言葉自体ほとんど使わず、唯一使うキャラクターが 誰であるかの選択に それが慎重に扱わなくてはならないことであることをはっきり示す。 
代わりにどれだけその時受けた傷が深く長く残るかが冒頭をはじめ簡潔に描かれる。

オンレコとオフレコとの 使い分けが極めて重要になっていて、証言者が名前を出すか出さないか、性暴力の被害が 声を奪われることという言葉に集約されるように 女性の意思や主張が言葉を無視されることに慣らされ、ひいては自分の存在自体が意味がないと思い込まされる悪質な構造(それには法制度も経済構造も含まれている)のが明確に描かれ、それは映画界に限ったものではない広い射程を持つ。

その名を暴けと言う 副題はかなり変なもので 被害者が名前を名乗ることができる までの苦悩と勇気のドラマであって、だから実名で告発した女性たち(有名女優だけでなくエンドタイトルで見るとherselfと出るのが複数いる)が当人役で主演すること自体に驚いたし感動もした。

証言者がウェールズなど随分遠くにいて、そこまで行って直接話を聞けとなると記者が即直行するあたり、ニューヨーク・タイムズってお金あるのねと思った。
電子化に上手くシフトしたらしい。

日本の場合、声を上げること自体に対するバッシングがひどいし、メディアに至っては権力と一体化して調査報道どころではない、映画化するにしても仮名が当たり前と彼我の違いはいちいち言うまでもないが、嘆いてないでこれから怒ること。

ふたりの女性記者たちの夫が小さな子供の世話をしているスケッチがごく当たり前の調子で入る、その自然な調子なのが逆にポイントなのだろう。いちいち夫を称揚することではない、当たり前にならないといけない。
ふたりを守る立場のデスクが黒人というのは事実に合わせたのかもしれないが、やはり重要。

この中で名前だけ出てくるグウィネス・パルトロウの元彼のブラッド・ピットの会社PLAN-Bが製作に加わっているのだが、昔ワインスタインがグウィネスにセクハラしたに対してちょっかいを出すなとピットが警告して、それで済んだかと思ったらもっと悪質化したという経緯がある。どういう心境で映画化に加わったか、悪趣味かもしれないが興味がある。

ローナン⋅ファローといった名前が注釈なしに出てくる。ウディ⋅アレンの同様の件も名前は出してないが暗示しているし、延長上にはトランプがいる。
映画「スキャンダル」で描かれたFOXのCEOのロジャー⋅エイムズを訴えた人気キャスターのグレッチェン⋅カールソンの名前も出てくる。

とにかく驚くのはことごとく人物がすべて実名で出てくること。名前を伏せることはあってもそれらしい仮名は使わない。
確かに仮名にすると著しくリアリティーと信憑性が欠ける。オフレコにすると弱くなる。名乗るのは大事。





「孔雀夫人」

2023年01月22日 | 映画
功成り名遂げたアメリカの実業家とその妻が第二の人生を楽しもうとヨーロッパに旅行するが、ずっと夫が忙しくしていた時には表に出なかったすれ違いや無理解が表面化してくるドラマ。1936年製作。

淀川長治・蓮實重彦・山田宏一の鼎談「映画千夜一夜」で淀川さんに他の二人に、え、見てないんですかといじられていたのだが、当時ビデオは出ていたから見られたと思うのだが。
一応VHSで見てはいたが、スクリーンで見たのはもちろん初めて。
公開当時淀川さんはユナイト映画の宣伝部員で芯から惚れ込んで宣伝したのだが、時代が時代(日中戦争になだれこんでいく時期だ)なのでまるで当たらず、文字通り悔し泣きに泣き崩れたと自伝に書いている。

歳の違いというのがかなり重要な要素になるのだが、夫役のウォルター・ヒューストン(ジョンの父親、鼻から口にかけて似ている)と妻役のフェイ・ベインダーはそれぞれ1883年と1893年生まれだから10歳違い、出演時の実年齢は53歳と43歳になる。
特にフェイの方はかなり若く見えるのだが、にもかかわらず軽薄にも再婚を望む没落貴族の末裔男の母親に厳しくあなたは貴族に必要な跡継ぎを産める歳かととがめられる。
ワンシーンしか出ないが、母親役のマリア・オースペンスカヤがすごい貫禄。

グレゴリー・ペック他がリメイクを希望していたが、それもわかるところがあって、あちこち今のジェンダー感覚からするとひっかかるところはある。
全編セット撮影と思しく(アカデミー美術賞 リチャード・デイ )、ヨーロッパの外景も第二班が撮ってきたっぽい。このあたりもリメイク欲をそそるか。

妻が家で奥さま連中と退屈な時間を過ごすしかなかったという設定は、女は経済力のある男と結婚するのが幸せという当時の価値観の上に成り立ったもので、だから昔のハリウッド映画はカップルの歳が親子ほど違うのが珍しくない。いまでも洋の東西を問わずそういう傾向はある。

元はシンクレア・ルイスの原作小説をシドニー・ハワードが脚色した舞台劇をさらにハワードが映画用に脚色した。
当時35歳(げっ)のウィリアム・ワイラーとしては得意の舞台的に集中したドラマで、画面の奥行を強調するいわゆる縦の構図はグレッグ・トーランドと組んだ時ほどあからさまではないがクライマックスの電話に出るか出ないかの電話を手前に置いた構図など効果的。

オープニング・タイトルで(昔の映画だからTHE ENDと出たらローリング・タイトルなしでさっと幕、気持ちいい)ワイラーの名前は最初の方で、トメに出るのはプロデューサーのサミュエル・ゴールドウィンの名前。

定年後のドラマを日本でやったら、夫はまず確実にこの映画のウォルターみたいにある程度泰然自若とはいかず、どうしていいのか持て余される話になってしまうだろう。
サム・ダズワース氏がそれだけの人物ということなのか、当時の男女感の反映なのか俄かには判定がつかない。




「明治侠客伝 三代目襲名」

2023年01月21日 | 映画
オープニングの真上からのアングルから捉えられた盃が交わされ太鼓が叩かれ神輿が出るまでの様式美からして圧倒的。
加藤泰独特の見事な構図美の連続の一方でずいぶんフォーカスが合わないボケ味を生かしている。
ローアングルが基本のせいか天井が作られている手のかかり方。

遠くに橋が見える川べりで女から鶴田浩二に桃を渡す愛情表現の情感。
その女の前で悪役とはいえ惨殺する姿を見せるむごさが痛切。

丹波哲郎のもっともらしい仲裁役がもうこれでもかというくらいもっともらしくて可笑しい。
藤山寛美のヤクザが拳銃をいやに手慣れた調子で扱ったりして目が笑っていない凄みを出しているのが意外。
悪役も全員、臭いといえば臭い芝居なんだけれど、シチュエーションと画作りの型ががちっとしているので浮かないでびしびし決まる。

鶴田浩二の関西弁がちょっと普通の(というのも難しいが)関西弁と違う柔らかい調子で、調べてみたら神戸出身でした。何が違うのか。




「ドリーム・ホース」

2023年01月20日 | 映画
ウェールズの冴えないおばさんおじさんたちがやはり冴えない馬を育てて一緒にトップに駆け上がる話。

前にジョン⋅ハート主演の「チャンピオンズ」というやはり実話ネタの競馬もの、それも障害レースを扱った映画があって、どうしても思い出してしまうが、かなりテイストは違っていて、ガンの告知を受けた騎手も馬も生きるか死ぬかだった「チャンピオンズ」に比べて、おばさんおじさんたちのぱっとしないなりに切実な生活実感がよく描けているのが大きな魅力。
ただ余計なことだが、競馬シーンの撮影に関しては「チャンピオンズ」の方が1984年とずいぶん前の映画にも関わらずだいぶ上だったと記憶する。

ドラマ「ホームランド」ではモグラ的テロリストをやっていたダミアン・ルイス (ジェームズ⋅ボンド役の候補だったという噂あり)が普通のおじさんになりきっている。競馬もので女性が主役というのが珍しいのだがトニ・コレット が「ヘレディタリー 継承」とはやはり別人。

映画の中でアイルランドはよく描かれるが、ウェールズがまた違うお国柄を見せる。ウェールズ国歌というのをこうも朗々と文字通り歌い上げたのは見たことがない。

ただ、ケガした馬は殺されるのかどうか自分では決められないのだな、とも思った。あくまで人間が決めているわけで、別にカネにも何もならないとりたてて美味い餌を与えられるわけでもないのにあんなに一生懸命走るって、馬というのは不思議な生き物だと思う。





「恋のいばら」

2023年01月19日 | 映画
少女マンガにありそうなタイトルなので、原作ものかと思ったらオリジナルらしい。
元カノと今カノがイケメンのクズ男 を巡って共闘したりまた反発したりといった微妙な力関係ぶりが面白い。

松本穂香と玉城ティナというおよそ対照的な女優二人を組み合わせた キャスティングがぴったりで、キャスティングから考えたのかと思うくらい。  

男の家のドアチェーンのくだりみたいに見ていておかしいなと思ったところが後で説明がつくという具合に、伏線とその回収を細かくやっていて細かすぎて少しせせこましなってるところすらある。 

ゾンビ映画の入場特典がビーフジャーキーというのに笑ってしまう。




「ナイト⋅タイド」

2023年01月18日 | 映画
1961年作。
水兵が恋仲になる遊園地で人魚の見せ物になっている美女が実は本当に人魚なのではないかといったニューロティックな妄想絡みの半幻想譚。

人魚のあからさまに作り物のコスチュームをつけているだけで今みたいに特殊効果でリアルに見せるわけではない。
もっぱら暗示的な描き方で通しているのがオリジナルの「キャット⋅ピープル」風ということになるか。
ただ撮影はそれほど凝っておらず美的には平均的。

遊園地の、特にメリーゴーランドのあたりや音楽の演奏シーンを丁寧に撮って雰囲気を出している。

デニス⋅ホッパーは1936年生まれだからこの時25歳ということになる。
後年の彼だったらあからさまに男を頭のおかしい設定にして妄想色を強くした描き方になったろうけれど、この時はいかにも若くて純情な感じ。
小柄で女優さん(リンダ⋅ローソン)とあまり背丈が変わらないのがわかる。



「とべない風船」

2023年01月17日 | 映画
東出昌大の家の前にいつも黄色い風船を浮かんでいるのだが(わざわざセリフで「幸福の黄色いハンカチ」みたいと言う、出しておく意味もだいたい同じ)ヤボを言うけれども 風船につめるヘリウムガスは少しずつ抜けて空気と入れ替わってしまうのでそんなに長いこと浮力を保ってやれるものではないんだけどな、と気になった。
と思ったらラストの方で複数風船を用意していたのがわかるのだけれど、ちょっと遅い。

東出の家庭の事情の説明を回想で処理するのはどうも平凡で ぱっとしない。
瀬戸内海の風景はきれい。小林薫が入院する病院の屋上がピンク色というのが何か印象的。

もらった魚を煮付けにするところとか 何かのピカタを作る料理の描写はあるんだけれど、何をどう料理しているのかというあたりが 具体性にやや欠ける。もうちょっと丁寧に描いたらずいぶん膨らみが出たと思うだが。

三浦透子と東出がいつも自然とつるむようになるのが仲間の若い者のやきもちを焼くのがコメディリリーフになってるんだけれどもあまり色模様にはならない。今の東出だと余計なことが気になりそうなのをスルーした感じ。





「非常宣言」

2023年01月16日 | 映画
オープニングの飛行機場のショットから 望遠レンズ を 多用して 人物を大勢びっしり端から端まで詰め込んだ構図が多い。ただ飛行機が普通に上昇していくカットでも重量感と空気感に満ちている。
黒澤明の画作りを思わせたりもするし、フレームが固定しないで微妙に揺らいでいたり焦点をフレーム内全部には合わさずボケ味も狙っているレンズ効果も多い。

飛行機が方向を 変えた ところで 窓から夕日の光がビームになってさしているカット が美しく効果的。

宣伝文句にはなっているけれどもそれぞれの人物の決断がどっちが正しくどっちが間違ってるか一概には言えず、しかしいずれにしてもその責任を取らなくてはいけないと言う 図式あるいは倫理観は一貫している。

生きるか死ぬかになると人間も国家レベルでもエゴイズムをむき出しにするのを遠慮なく描いている一方で、 状況は刻々と変わり常に誰かがエゴイズムを発揮できる(つまり有利な)側でいられるわけでもないのを描いている。
分断と言えば言えるが、それは流動的な関係でもありうる。
ラストも危機が去ってめでたしめでたしでは済まない微妙なニュアンスがある。

日本の自衛隊がこれだけはっきり軍隊としての威嚇機能を発揮するのを描いたのは初めてではないか。本来ムチャなのだが自然と揶揄的になってる感じ。日本語のセリフに字幕がついているのはどういうことだろう。

モチーフからいってもこれが韓国映画でなければいけない理由はなく、ちょっと前だったらアメリカで作られるのは当然だったタイプの 映画なのだがそれが当たり前のように韓国で実現している。

とはいえハリウッド製だったらありがちな犯人の動機を追及する過程で社会の病理を描こうとしたり、 製薬会社の 社会悪を描くといった社会的な色づけはあまり突っ込まないで、本気で絶望しなければいけなくなるあたり実感が 出ている。「007 ネバー・トゥ―・ダイ」の展開があったりするものね。

乗客たちが当然スマホでSNSを使っていて、当局が隠しておきたい情報までばんばん漏れてパニックになってしまうあたりいかにも今風。