prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「ゲアトルーズ」

2023年12月31日 | 映画
ドライヤーとしては「奇跡」同様に舞台劇が原作なのだが、映画化にあたって強いては場面を散らさないでいわゆる三一致の法則(場の一致、人物の一致、筋の一致)を守り、それで映画としての簡素さ、端正さを通している。

俳優はほぼ棒立ちで互いに顔を合わさずにセリフをやりとりし、カメラは簡素なパンと移動を含めた長回しで、一筆書きといった趣がある。





「ヒトラーのための虐殺会議」

2023年12月30日 | 映画
多くのユダヤ人の運命が、まったくの赤の他人により地理的にも意識の上でも遠いところで決められていくというコントラストが強烈。
ナチスのユダヤ人「処理」案が合理的なようで歪んでいる。土台無法なことをしようとしているのだから当然。

それにしてもイスラエルが現在パレスチナに対して行っている無法蛮行を思わずにいられず、後でどうするんだと思う。

冒頭から気に入らない相手を下座に置くというセコい真似をしている。
記録係?だけが唯一の女性で、それもひどく影が薄い。
それをあえてかどうか強調しないのも「存在しない」存在の描き方としてはニュートラルなもの。





「ウェンディ&ルーシー」

2023年12月29日 | 映画
終始ミシェル・ウィリアムズが着たきり雀で、キュロットというより半ズボンみたいな服装で通している(意味は同じだけれど、キュロットというほど可愛くない)。ナマ脚に余裕のなさがむき出しに出ている。
一見一応こざっぱりはしているのだが着替えはないと見える。
日本でも今や外観だけ見ていると貧困に陥っているのかどうかわからないというが、それに近い。

お話とすると、ボロのHONDA車に乗ってやってきたヒロインのウェンディがなつかれた犬のルーシーが目を離した隙に行方不明になって、見つけた時には壊れた車の修理に5000ドルとボラれるもので、一緒にはいられなくなるというシンプルなもの。
アメリカでは車をなくしたら1930年代の大不況時代のホーボーみたいに貨車にタダ乗りして回らないといけないらしい。

今どき公衆電話用のコインを警備員に借りようとして持ち合わせがなくて携帯を貸してもらったり、警察で指紋をとる機械がボロでまともに動かなかったり、ヒロインのみならず周辺がことごとくプア。




「ファースト・カウ」

2023年12月28日 | 映画
冒頭でかなり大きな船が川を上っていくので時代設定がどのあたりなのかわからなかったが、やがて19世紀の開拓期のアメリカに移ってくる。
ビーバーの毛皮や貝殻が物々交換で貨幣代わりになっていた頃の話で、雄鹿の毛皮buckがそのまま通貨ドルの意味になった例を連想した。
主役二人の会話にアメリカ以外も入ってくるところで、ロシアが版図を広げていく過程は毛皮を採りながら森に進出していく過程でもあったという話も連想した。

前半で野生のキノコを採るシーンがあって、毒キノコではなかろうなとひやひやした。ずいぶん死んだ例もあったのではないか。

ドーナツを作るミルクを絞る牛は金持ちの持ち物と、持つ者持たざる者の断絶があるわけで、金持ち役のトビー・ジョーンズはヒッチコックの役などもやっていたイギリス人くさい役者。
主役二人のうち一人は中国人で、中国人が大陸横断鉄道の建設に大勢従事したのは有名だけれど、先住民が屋敷にいたり、ディテールひとつひとつに大きな状況が自然に見えてくる。






「ウィッシュ」

2023年12月27日 | 映画
魔法使いが人々のwish=望み、願いを預かり、かなえようとしていたらしいのが次第に独占し我が物にしようとする。
少なくとも後半の魔法使い=王は人々の望み、欲望を「管理」する存在としてあるわけで、冒頭は昔話風に絵本で語り始めるのが終わりは腐敗して権力に酔い、あるべき座から脱線暴走してしまう。同じ本で始まり終わるのに、冒頭とラストがズレているのが異色。
夢の王国としてのディズニーアニメのモデルとして見てもいいし、民主主義のアナロジーにも見えてくる。

主題歌をまるまる予告編やテレビスポットで流していたのは、「アナと雪の女王」の手法の再現か。

併映のオリジナル短編映画「ワンス・アポン・ア・スタジオ -100年の思い出」では2Dと3Dのキャラクターが混在して違和感がないのだが、「ウィッシュ」のエンドタイトルではその100年間を飾ったキャラクターたちがバックを彩る。時系列外れたら、意味通じないか? それとも後になったら手直しするか?
なお、短編の吹き替えのタイトルに大塚周夫とか山田康夫といった故人が入っていたが、どう切り貼りしたのだろう(吹き替え版は劇場公開だけらしい)。

ヒロインの髪型はコーンロウなのかドレッドなのか、縮れていたのを直毛風にしたみたい。
そばかすが見えて、推定二十歳そこそこだろうけれど、祖父が100歳というのはディズニー100周年に合わせすぎたのか、歳が離れすぎてないか。





「ミカエル」

2023年12月26日 | 映画
サイレント映画で白黒だから一見派手ではないが、ずいぶん壮麗なセットだなと思った。芸術家(彫刻家)が主人公だからということもあるだろうが、背景とは裏腹におそらく通常ならばミューズとして扱われるだろうキャラクターに向けられる眼差しのリアルさ。

主演のベンヤミン・クリステンセンは監督でもあるという。「野いちご」で監督のヴィクトル・シューストレムを主演に起用したベルイマンみたい。




「屋根裏のラジャー」

2023年12月25日 | 映画
イマジナリーって、「シャイニング」みたいに子供が空想上の友だちを持つことなのだけれど、本体が意識を失って空想のはずのイマジナリーが独自に生きて活動するとなると、あれ?と思う。
忘れられると消えてしまうという枷はあるにせよ、どこまで行けば消えるのかよくわからない。

最高度のアニメーション技術を生かしたイメージの奔流は魅力的だけれども、制限がないというのも逆にタガがはめられたみたいで自由さが逆に足を引っ張ってしまう。

「はてしない物語」を映画化した「ネバーエンディングストーリー」みたいに、空想の大切さを説く映画化で空想を具体的なイメージにする段階でどこかに齟齬が出てしまうと思わざるを得ない。

イギリスを舞台にしているらしいのだが、あちこちに出てくる書き文字が日本語というのはディズニーアニメなどでわざわざ英語を日本語にしているみたいで違和感がある。

 - YouTubeミタい。




「死霊のはらわた ライジング」

2023年12月24日 | 映画
一作目で森の中で蔦が絡まって体の自由を奪ったのに対応してエレベーターの中でワイヤが絡まるというのが律儀というか。変なポーズになるのは笑かすつもりかな。
森が舞台だったオリジナルに対して、今回はマンションが舞台。

ドアの外を覗く魚眼レンズを通して人物が右往左往するシーンなどが微妙に可笑しい。

ドアを叩くのを真下から撮ったカットとか、エレベーターから血の奔流が噴き出すのは「シャイニング」だろう。
クライマックスで血をやたらと撒き散らすのはお約束。





「ティル」

2023年12月23日 | 映画
考えてみると、ティル事件の犯人たちはほとんど直接には描かれていない。
犯人に限ったことではなく、白人一般の差別意識と暴力性こそが問題であり、ヒロインに侮辱的な言動を働く保安官や誰がとばしたのかわからないヤジなど特定されない広がりのある背景を感じさせる。

ヒロインは息子に白人に応答する時はイエス、サーという具合にサーをつけろと教えたと法廷で証言し、自身白人の判事に対して実践する。
彼女は差別がひどいミシシッピとそれほどでもないシカゴの両方の生活を経験しているが、息子はシカゴだけという差が不幸につながった。

白人家庭ではテレビを見ているのが横移動して黒人家庭ではラジオになり、さらに移動するとヒロインの家ではテレビを見ているという具合につながれる。
ヒロインが比較的裕福なのがわかる。
 
惨殺された息子の遺体が物陰に隠れていたのがカメラが動くと視界に入ってきて、そのあまりの酷さに絶句する。その後遺体を見世物にしていると非難されるわけだが、このあたりの被害者加害者のすり替えぶりは今の日本でもおなじみなものだ。






「映画 窓ぎわのトットちゃん」

2023年12月22日 | 映画
「アンクル・トムの小屋」のタイトルで覚えた小説が「アンクル・トムズ・ケビン」になっていたのであれと思って調べたら、戦前に出版されたのは1927年と1933年で共に「トムズ・ケビン」でした。
アンクル・トムというと1954年の公民権運動以後では白人におべっかを使う黒人という意味になっているわけで、小児マヒと呼ばれたポリオの男の子に相当手荒く接すること共々,後になってみると無意識に差別的ともとれる扱いをしていることそのものは避けないで描くといったスタンスなのかと、やや戸惑いながら見ていた。

トットちゃんがパンダのぬいぐるみを持っていてエンドタイトルもそれで締めくくられるのだが、今みたいにパンダがポピュラーになったのは1972年の日中国交回復からで、この映画が始まる翌年の1941年に国民党のトップ蒋介石の妻・宋美齢がアメリカにメスのパンダ2頭を送るパンダ外交を展開し、日本の新聞に「珍獣でアメリカのご機嫌取り」という記事も残っているとのこと。
考証的には合わないことになるが、全体の考証の綿密さからしてわざとではないかという気もする。
当時の感覚と今の認識のずれを取り込んでいるというのか。

ずいぶん昭和15年頃の生活にしてはモダンで、パンを貼りつけるようにして焼くトースターなど初めて見た。

学校の隣が朝日新聞の販売店というのが、実名を使っていること共々目を引く。この映画自体の製作委員会にテレビ朝日は参加していたが、朝日新聞はしていない。

校長の小林先生が登場するシーンで、立ち上がった先生の頭が一瞬フレームから上にはみ出る。
トットちゃんの主観に合わせたカメラワークで、その後先生がトットちゃんの目線に降りてくる分、はっきりわかる。
炎上する学校を背にした先生の目の中に炎が燃えて、また作ると言うカットはちょっと狂気がかっていて怖い。

ガスマスクをかぶって遊ぶ子供たちのそばをスローモーションでくぐり抜けるトットちゃんと、片足になったり失明した元兵士と、そして骨壺を抱く母親とがカットバックされる。その前のシーンで「産婦人科」の看板が出ているのが強烈なコントラストを出す。





「枯れ葉」

2023年12月21日 | 映画
カウリスマキぶしと言おうか、淡々としてぶっきらぼうでいながら妙におかしみをにじませるタッチは健在。
前半のウクライナ侵攻みたいに社会的な危機を間接的にせよ描くのは珍しい。

女は肉体労働者、男はアルコール依存症とさむざむとした画面と設定で、ビデオや配信も見ないでもっぱら映画館で映画を見ている(テレビも出てきたかどうか)のは監督の趣味嗜好もあるのだろうけれど、貼られているポスターがゴダールの「軽蔑」「気狂いピエロ」デヴィッド・リーンの「逢引き」など古い名作揃い。フィンランドには、今どきああいうプログラム組む映画館あるのかな。

あんまりデジタルデバイスが出てこないので、いつの時代の設定だろうと思っていたら辛うじてスマートフォンが出てくる。

フィルムで撮影されたというが、上映はDCPにせよざらっとした質感は出ている。





「暴走車 ランナウェイ・カー」

2023年12月20日 | 映画
最近公開された「バッド・ディ・ドライブ」のオリジナル、2015年製作のスペイン映画。
自家用車の運転席のシートに爆弾が仕掛けられるという基本的な設定は当然同じだが、リメイクでは子供が兄と妹だったのが、このオリジナルでは姉と弟と逆になっている。

リメイクの方が細かいところでブラッシュアップされているのは確かで、スマートフォンの縦横な使いこなし方も、カネの受け渡しも、犯人の隠し方もひとひねり工夫されている。

こちらでは早い段階で子供がケガしてその後かなり父親が感情的になる。
妻との関係も良好。リメイクでは離婚寸前だった。
いろいろ複雑にしているにも関わらず、リメイクの上映時間は91分、こちらは101分。

韓国やドイツでもリメイクされているらしい。それだけセントラル・アイデアの単純明快さが魅力で、アレンジのしがいがあるということになる。




「エクソシスト 信じる者」

2023年12月19日 | 映画
「チューブラ・ベルズ」を随所に流したり、ある程度成長した女の子がおねしょしたり、極めつけはエレン・バーステインの登場と、「エクソシスト」第一作を完全に想起させるように作ってあるわけだが、道具立てを揃えるまでに手間取りすぎてなかなか怖くならない。

女の子がおねしょして父親が風呂に入れ、扉を閉めてしばらくして見に行くと風呂に黒い水が溜まっている、おかしいのは水が濁っていたらまず娘が溺れてないかバスタブに腕を突っ込んで確かめないか。
そうしないのは芝居のつけかたが不適切ということになる。

悪魔を祓われる女の子がふたり、背中合わせに縛られている図というのは珍しく、考えてみると二人いっぺんというのはいいのかと思う。仲良しか知らないが、別の人間ですからね。神父が日和りかけるというのもなんだかまわりくどい。






「怪物の木こり」

2023年12月18日 | 映画
サイコパスvs.連続殺人鬼という図式は、本来加害者側のサイコパスが被害者寄りになるという点で興味を引くが、脳にチップが埋め込まれて云々という作りものっぽい設定がジャマしてそういう対立がだんだんボヤけてくる。

殺し場も通りいっぺんで、およそ三池崇史にしてはパワー不足。
何より終盤、畳みかけなければいけないところでだらだら間延びした説明台詞が続くのにうんざりした。

マスクを被っているのは誰かという興味は、はぐらかしを含めて間断なくつながっている。





「市子」

2023年12月17日 | 映画
市子という女が失踪し、婚約者が過去を探っていくというのが大筋なのだが、画面の隅にかつてのサービスサイズの写真のプリントの隅に入っていたような時刻が入り、それが遡っていくことで場面自体が過去に戻っていくことが示される。
写真のプリントみたいな字体にしてあるのも、今ではそれ自体が失われたこと=広い意味の喪失感の表現を狙ったのではないか。

宮部みゆきの某作品みたいな話だが、必ずしもミステリの体裁はとっていない。
見ていて足元が揺らぐような感覚がある。