prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

5月31日のつぶやき

2020年05月31日 | Weblog

「港町」

2020年05月31日 | 映画
牛窓という小さな港町の、漁や網の手入れ、市場のセリ、魚をさばいてパックして一部は店頭に並べ一部は配達してまわる、といった生活が克明に写される。

あちこちで猫がまとわりつき、婆さまの一人が突然えんえんと自分のこととも他人のことともつかない、何に属するのか判然としない言葉を並べるクライマックスが唐突に来る。
初めからこういうものを撮ろうとするのではなく、今あるものをよく見てよく聞いているうちに思わぬものに遭遇してしまう、世界の違うフェーズに突き抜けてしまうスリル。

白黒にすると紛れもなく今の日本を撮っているのにもうひとつ抽象化された世界になる。年寄りばかり出てくるわけだがノスタルジックになるわけではまったくない。







「不良番長 口から出まかせ」

2020年05月30日 | 映画
出だしで梅宮辰夫以下のカポネ団が海の上に浮かんだ筏に乗っていて、見えてきた陸地をアメリカと一方的に思い込んで、上陸して遭遇した女たちをあくまでインディアン(とPC的に問題のある書きかたの方が感じが出る)だと一方的に思い込むナンセンスまでは好調なのだけれど、そのあと続く女遊びのセンスがちょっと昭和のおっさんたちの煮凝りみたいで、今見るとさすがにちょっと引く。

バイクなど今見ると古式豊かながら物量的にはずいぶん贅沢な真似をしている。



「緋牡丹博徒」

2020年05月29日 | 映画
山下耕作といえば、花を印象的に使うのがトレードマークみたいな監督だが、タイトルにすでに花の名前が入っているとあって、ことさらに花とその色の扱いには力が入っている。

タイトル文字が白の時はバックの牡丹が赤、文字が赤の時は牡丹が白という具合に交錯する。赤は一家を女の身で継がなくてはいけない立場の疑似家族の血の色であると共に人を殺す時の血でもある。その手を汚す仕事から周囲の男たちが庇うという構図になる。

ヤクザ映画といったら今風の言葉を使うホモソーシャリティ、つまりは徹底して女を排除した男の世界なのが通常なのだが、その中でいかにもたおやかなヒロインを端然と置いたのが異色でもあるし、その美しさを守るところに男たちの存在意義とナルシシズムを置く。

ヤクザ映画はさまざまな方向に発展したわけだが、ここで端正な様式美という方向で一つの達成をまず示し、加藤泰の「花札勝負」「お竜参上」で様式美と情念の極限にまで至ることになる。


5月28日のつぶやき

2020年05月28日 | Weblog

「アメリカの友人」

2020年05月28日 | 映画
ヴェンダース、ヘルツォーク、ファスビンダー、など今ではそれぞれ独立した地位を確立した監督たちだが、日本に紹介されたときは「ニュー・ジャーマン・シネマ」とひとくくりにされていた。
それだけに初見はアートフィルムという先入観で見たわけだけれど、今見るとれっきとした娯楽商業映画。

ロビー・ミュラー撮影の画がすごく格好いい。
原作は「太陽がいっぱい」とも連なるパトリシア・ハイスミスの才人リプレー氏ものの一つで、「太陽」ではアラン・ドロンがやっていたリプレーをデニス・ホッパーが演じる。
まるっきり違うが、もともと正体不明のキャラクターだからどちらでも成立する。

地下鉄やカメラ、額縁の工房など、機械類などのフェティッシュな描写、地下鉄の追跡劇の見事なタッチ。

ブルーノ・ガンツが亡くなった後ではなおさら、この端然と死と向きあう役が味わい深い。




5月27日のつぶやき

2020年05月27日 | Weblog

「窓・ベッドルームの女」

2020年05月27日 | 映画
社長夫人のシルビア(ユペール)が愛人関係にある建築家テリー(スティーブ・グッテンバーグ)の部屋の窓から赤毛の男が若い女性を襲う事件を目撃する。
不倫を隠すためシルビアに代わりテリーが警察に通報するが、面通しするとなると、当然実際には見てないのだから犯人を特定することはできない。
その場に面通しに呼ばれていたのが、同じ犯人に襲われたことがあって幸い難を逃れたエリザベス・マクガヴァン。

警察の捜査が勝手にエスカレートして逮捕された男の裁判になり、証言台に立つことになるがウォーレス・ショーンの弁護士の巧みな弁論の前に大恥をかく格好で敗退する。
そのため警察の疑いはグッテンバーグに向くことになる。
このあたりのストーリーの組み立ては秀逸。

裁判に真犯人がそっと見に来ているのがまた巧みな趣向で、また犯人と目されるようになったグッテンバーグをしかしマクガヴァンは疑おうとはしない。
面通しの時に顔を合わせているのに全く反応見せなかったから犯人ではないと思ったという理由付けが、ここから二人の仲が深まるという経緯の付け方と共に面白い。

グッテンバーグの立場がまずくなるとともにユペールとの仲が冷え、手のひらを返して上流夫人らしい冷徹な態度になる演技は流石。

映画化もされた松本清張の「黒い画集 証言」みたいな話でもあるが、自分の保身の為に嘘の証言をするのではなくて愛人巣を作っていいとこ主人公のお人好しなところでもある。

後に LA コンフィデンシャルを撮るカーティスハンソンの出世作。リメイクされるという発表があった。






「新仁義なき戦い 組長の首」

2020年05月26日 | 映画
山崎努が「天国と地獄」で演じた知能犯はシャブ中をシャブで操ったが、こちらでは自分がシャブ中役で出てくる楽屋落ち。

仁義なき戦いとはいっても広島の抗争と関係ないのはもちろん実は実録ものですらない。
鉄砲玉として使われたヤクザがムショに行って帰ってきたら居場所がないという映画とするとむしろオーソドックスと言うか古めかしいドラマ。

ただし陰惨な我慢劇の面はわりと薄くて菅原文太の主人公は結果としてだが、わりと上手に立ち回るのが違う。

後半のカーアクションは渡瀬恒彦が実際に運転していて、後の「暴走パニック 大激突」のような長くしつこいカーアクションが相当な迫力で続く。むしろこういう爽快なアクションをやりたかったのではないかと思わせる。

「仁義なき戦い」の本シリーズの方では成田三樹夫は曖昧に消えてしまうのだが(途中で足を洗ったということらしい)今回は割と出世主義的なヤクザをスマートに演じている。

川谷拓三が警官の役で出てくるのがこれまた楽屋オチ的なおかしさ。
ひし美ゆり子がやたらと色っぽい。





5月25日のつぶやき

2020年05月25日 | Weblog

「化石の森」

2020年05月25日 | 映画
オープニングの杉村春子が雪の村を出て行って列車に乗り東京へ向かうまでのタイトルシーンは、武満徹の音楽といい粟津潔のデザインといい、それ自体が独立したモダンな短編映画の趣があるが、本筋に入ると石原慎太郎原作らしく何やら小難しいことを理屈を並べてはいるけれども、煎じ詰めてみるとセックスと暴力ではないかっていう印象は免れない。

岸田森が頭をクリクリに剃り上げた元医者だと言う新興宗教の坊主役でワンシーンだけ現れ心にもない調子で救いを説くが、ここがもっともらしくも怪しげで結局一番面白い。

杉村春子が働いているラブホテルでのベッドが回転するだけでなくせりあがるのが面白い。のちに禁止されたはず。

岩下志麻の特別必要はかなり意味不明。

杉村春子が蒸気でしきりと喉を湿らせていると言った形の作り方から入った芝居が印象的。

ショーケンは曖昧なキャラクターを本来の持ち味の曖昧さとうまく一体感できず中途半端に終わった。

篠田正浩が講演で、どうしても映画化したくて映画化したのがこれだと言っていたが、どこにそんな少なくとも出来上がった作品からは判然としない。




「男はつらいよ 寅次郎恋歌」

2020年05月24日 | 映画

池内淳子が男の子連れというのは、やはり加藤泰「沓掛時次郎 遊侠一匹」のイメージからだろうか。何しろあれには渥美清が出ていたのだから。
やくざ志願のおっちょこちょいな百姓で、悪賢い親分に立てなくていい義理をたてて殺されてしまう役で、寅次郎以前の代表的名演。

志村喬が博の父親役で再登場、一作目の背景になっていた博との確執が書き込まれる。
順序が逆になった格好だが、どうやら博は母親が自分を殺して生きていたのを当然のようにしていた父親が許せないのがわかってきて、自由気ままに生きるか秩序立った生活を守るかというモチーフは寅次郎ととらやの人々とも重なる。

例によってラストで出ていく寅次郎にさくらがあたしの方が旅に出てお兄ちゃんに心配かけてやりたい、というところで改めてやくざな旅烏と足が地についたともいえるし縛られているともいえる生活者との二律背反が逆転して再現される。

志村が寅次郎に語るリンドウの花が咲いた家の一家団欒の話が寅次郎が軽薄にもそのまんま受け売りすると、次々とそのたびに意味合いが変わってくる脚本演出の見事さ。

さくらをマドンナと間違えるギャグは秀逸だけれど、意味深長でもある。

森川信はこれがおいちゃん役最後だが、実に渥美清と手が合う。

志村喬と寅次郎が連れだって買い物にいくところでSLが映る。山田洋次は本当にSLが好き。






「牙狼之介地獄斬り」

2020年05月23日 | 映画
西村晃が夏八木勲の父親的な役をやっていて、実際回想シーンでは父親の二役をやっていいるのだが、セコさふてぶてしさをないまぜてさすがにうまいもの。
当然、擬似的な父と息子の戦いのようでもある。

西村は両腕を横に翼のように張ったポーズで走ってくるのが十三人の刺客でやっていたのと同じではなのかと思わせる。

それにしても最近は浪人が主人公の時代劇ってのとんと見なくなった。まるや流れ者ヤクザの旅人って言うの場所がなくなっているせいもあるだろうしあてのない旅というイメージが今ではおよそつかみにくくなってることも大きいだろう。

登場人物が何かしら意味でみんな悪人あるいはエゴイストっていうのは五社英雄らしいアクの強さ。

前作最初っから血しぶきをドバドバ出してたもうだが今回は比較的抑えている。西村晃が人を刺す時に傘を前に盾代わりにして血しぶきが自分がビルのを防ぐって言わたいの非情な感じの出し方がうまい。

牙狼之助の助けていう漫画チックなぐらい凄んでいる名前の割に、主要人物で一番甘いくらい。ヒーローには違いないので、どうしてもそうなる。



5月21日のつぶやき

2020年05月22日 | Weblog

「クロール 凶暴領域」

2020年05月21日 | 映画
「ピラニア3D」のアジャ監督によるワニもの。

「ジョーズ」ほど本格的ではなく、アライサム製サメ映画ほど荒唐無稽ではない。
意外とがっちりした構成と父親と娘のドラマを持っているのだけれど、かえってB級っぽい愛嬌が薄れた感じもある。

ワニにモンスターとしてのキャラクター性が薄いので損している。何匹もいる設定で焦点がぼけた感もある。