prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「ドラムライン」

2006年04月30日 | 映画
なんといっても、演奏シーンのリズムが快感。

マーチング・バンドというのはもともと軍楽から始まったものらしく、しきりと規律が強調され、そこから主人公が自己中心的な性格と卓越した才能からはみ出てしまうところが、アメリカ映画らしい自由と秩序をどう両立するかのドラマになる。

喧嘩友達式にソロの座を奪った先輩と簡単に仲直りしてしまうあたり、展開は割と型どおり。ただ、通常の喧嘩ではなく演奏による闘いだから、暴力沙汰にはならないのが音楽の良いところ。
演奏をすぐ譜面に起こせるソフトなんてあるのね。

秩序側のキャラクターも全部黒人というのが、時代というか、もともとやはりリズム感のいいのを集めるとそうなるのか。
ニック・キャノンは口をとんがらかした感じが山本太郎似。
(☆☆☆★)



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「クライング・フィスト」

2006年04月27日 | 映画
若いのと中年のと二人の男をずうっと等分に平行して追っていき、それぞれが背負っている人生の重みや家族の絆をよく知った上で、ラストのボクシング新人戦へと雪崩れ込む。
普通のボクシング・ドラマだったら試合の結果がつまりドラマの結論になるわけだが、両方合わせたらどっちかが勝てばどっちかが負けるのには変わりなく、つまりは人生という“闘い”だけが残るかのよう。

チェ・ミンシクが日本の歌舞伎町に出没していた「殴られ屋」晴留屋明がモデルの役をやると聞いて以来、最も見たい映画だったが、期待にたがわぬ出来。若手のリュ・スンボムがこれまた勝るとも劣らぬ魂のこもった演技。
実際の殴られ屋は本当に殴られていたわけではなく、打ち返しはしないがボクシングのテクニックでかわして客が殴ることができたら殴れるというものだった。そうでなかったら身がもたない、というか、そうしていても身がもたなかったが。

二つの人生を追うのに、カメラワークや色彩の使い方など相当にスタイリッシュに凝ってシーンごとのタッチを変えている。
ラストの試合など、第一ラウンドはカメラをリングの外にずっと置き、第二ラウンドは手持ちカメラがリングに入って二人と一諸に踊るようにえんえんと切れ目なく追っていく、という調子。
それにしても、ほとんど一ラウンドずうっと切れ目なしに戦い続けたのではないかと思うほど二人の役者がカットを割らずえんえんと打ち合い続けるのは、驚異。
(☆☆☆★★★)



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「子ぎつねヘレン」

2006年04月26日 | 映画
よく子ぎつねに演技させている。苦しんだり倒れたりぐったりしたりといった演技もあるので、どうやったのか、不思議なくらい。

子供と動物が揃ったら最強みたいなはずだが、ヘレンに対する子供の関係が、ヘレンが聾唖のために子供に対する大人のようになっている(ヘレン・ケラーに対するサリバン先生に喩えられたりする)ので、そうなると子供が一方的にヘレンのことを自分だけわかったつもりになっているのがいささか一人合点に見える。「子供らしい」思い込みに終始してしまうわけにいかないはずの話だからだ。

実際ヘレンの病状は思い通りにはいかないのに、それを学んだり理解しようとしている様子があまりなく、とにかくわかっているのは自分だけという態度なのはどんなものだろうか。
「他の」命に対しては、つまるところどうしようもない、という畏れが薄い感じがする。ヘレンが幸せであって欲しいと願うのはいいけれど、それは本当は決してわからないことなのに。

前半、変なメルヘン調のシーンがCGを交えて入ってくるのが、ひどく違和感がある。なんのつもりだろう。

子供が母親の留守中、その許可も得ずに赤の他人の獣医のところに住んでいるのに、警察が知っていてまるで無頓着というのはひっかかった。後半にも入って獣医と母親が元同級生というのがわかるが、それを警察や母親が知っていたわけではない。そんなのは、早いうちにきちんと設定しておくことだろう。なぜあんなに設定を知らせるのを遅らせたのか、理解に苦しむ。
(☆☆★★★)



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「ブロークバック・マウンテン」

2006年04月24日 | 映画
身も蓋もなく言ってしまえば、カウボーイというのは臨時雇いの季節労働者なのだね。なんかロマンチックなイメージがあったけれど、屈辱的な条件でも雇い主には逆らえない。

たとえばゴールド・ラッシュに沸くカリフォルニアに集まってきた一攫千金狙いたち相手の歩く食料として供給されたのがテキサス育ちの牛で、それを東西に伸びる鉄道の中継点まで運ぶ、というのがカウボーイ。つまり、バックにあるのは金欲で、アメリカ式の貪欲な資本主義は、カウボーイを搾取して生まれたと言えるかも(それから、鉄道を建設した中国人労働者)。

前半、雲がすこぶる印象的に陰影をもって捉えられている。空は青く、西部劇の空に近いが、追うのは牛ではなく羊というのが、どこかビンボくさい(羊で性欲処理するなんてこともあるものね)。
ゆっくりしたテンポで、アメリカのちょっとバカバカしいほどの広さ、空漠さというのが実感される。

日本だったら、山の中でももう少し鳥や虫が鳴いていると思うのだが、この山で出るのは羊を襲う猛獣どもで、寒さとともに人を徹底して獰猛にはねつける。ラストに出てくる“ブロークバック・マウンテン”が写真のそれ、というのは山という自然物そのものに愛着があるわけではないのだろう。

人間というのは、関係を作らなくてはいられない動物なのだな、と思った。
食べて寝て子孫を残してという生き物としての欲望以外の根本的な欲望で、性欲はその重要な要素だがすべてではない。
しかし、そうやって集まって社会ができると、その社会からはみでる欲望を認めなくなっていくジレンマ。

義理の息子を金持ちの義父がまるで無視しているあたり、金のない人間は人間扱いされていない感じ。
この金持ちそっくりの孫が、これまた驚くほど可愛くない、歯並びの悪いガキ。

これくらい食べ物がまずそうな映画も珍しい。豆ばっかり食べてる山の中といい、小型の電動ノコみたいな機械でバカでかいローストチキンを削っているあたり、「飲食男女」(「恋人たちの食卓」)のアン・リーの豪勢を極めた料理演出のポジに対するネガの如し。
登場人物全員がピックアップトラックを運転しているみたい。日本の自動車メーカーの盲点みたいになっている、大荷物をしょって歩く姿を自動車にしたみたいな車だ。

脚本のラリー・マクマートリーが原作を書いていた現代の西部劇「ラスト・ショー」のタッチと似ている。道具立ては西部劇でいて、気分はほとんど柳沢きみお。

西部劇をニューシネマ風にリアリズムで見直すというのとは違い、苛烈な世界をともかくも生き延びていくのになぜ西部劇という夢を見ずにいられなかったか、という切迫した衝動を掴んでいるよう。
(☆☆☆★★★)



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「タイフーン TYPHOON」

2006年04月22日 | 映画
チャン・ドンゴンとイ・ジョンジェの二人の男の徹底した対決の迫力に圧倒される。それも敵ながらあっぱれというか、対立しなくてはいけないが互いに相手を認めているという関係で、記憶はあいまいだが、「この世の中は腐ってるな。お前と俺、二人言葉が通じるのに殺しあわねばならんとは」などなど決め台詞をがんがん出してくるのも近頃では嬉しくなる。
韓国くらい徹底して男くさい映画を作れる国も珍しい(そういうのはあまり日本ではウケないみたいだが)。

脱北者の亡命を認めるかどうかに始まって、東南アジアに出没する海賊とロシアの核廃棄物、アメリカ(と日本)の戦略などが無理なく絡み合うストーリー作りと、タイからロシアにまで至るロケーションのスケールが大きい。
脇役の男たちにも印象的な面構えのを揃えている。台風シーンなど、よく役者が溺れ死ななかったと思わせるくらい。人を刺した刃物がぼきっと折れる生々しさなど、ヒッチコックの「引き裂かれたカーテン」以上。

銃の扱いとともに、兵士として死ぬ覚悟を完全に肯定的に描いているのはさすが徴兵制の国と思わせる。核廃棄物の扱いといい、日本であんな描き方をしたら、何と言われるかわからない。

ラスト、よく考えて見ると核廃棄物の処理があれでいいのかとか、回想シーンを改めて出してくるのはくどい感じもするのは、ちょっと残念。
(☆☆☆★★★)



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なんか怖い

2006年04月15日 | Weblog



「この窓を切り裂いた者がいます」「指紋をとられています」「刃物を持ち歩くことは犯罪です」
などと書かれてあります。本当にそうなのか、妄想なのか。ちなみに同じ家の木戸は異様にぼろぼろで開かないような状態です。



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