prisoner's BLOG

見た映画のメモと、ツイッターのスクラップで出来ています。

「ジョジョ・ラビット」

2020年01月29日 | 映画
ヒトラーが主人公の少年のイマジナリー・フレンドになるというワンアイデアが核になるのかと思ったら、それは出だしに集中していて後半はヒトラーの影は次第に薄くなる。

孤独で不器用な少年がヒトラーを心の支えにするというのはありそうでもあるが、このアイデアに溺れず、母親や、母親を介してまったく対極にある存在であるユダヤ人の少女に接していくうちに、空想の産物であるグロテスクでも滑稽でもあるユダヤ人の絵が開陳されるところで、実質とイメージの捻れが現れると共に、友人としての愛嬌のあるヒトラー像は自然とフェイドアウトすることになる。

もともとヒトラーはカリスマといえるような人物ではなく、矮小な人格だからこそ弱くてしかも自分の弱さを認めない人間たちがより集まり祭り上げたのだと考えていたが、作者はその矮小さから目を離さず、ふさわしい処遇をしたといえる。
監督のタイカ・ワイティティ 自身がヒトラーを演じたことで、出演者が監督のコントロールを脱するアナロジーとも見える。

窓が人の目のように見える家のカットをいくつか放り込んでくるのも、モノとイメージとの混淆の変奏のようでもある。

靴の紐を結ぶ動作に自立を象徴させた脚本演出、足の先だけで切った芝居で押し通す大胆さ。

キャリアの長短に関わらず演者たちの演技はそれぞれ見事。



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1月28日のつぶやき

2020年01月29日 | Weblog












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「ダウントン・アビー」

2020年01月28日 | 映画
冒頭で人物紹介が行われるのだが、伯爵ではなく伯爵夫人から紹介するのにあれと思った。
いつの間にか当主は完全に長女のメアリーになっているし、テレビシリーズの冒頭で限嗣相続制により男系だけに相続権があったのがウソのよう。

貴族社会と使用人社会とを同時に平行して同じウェイトで描くのがこのドラマのユニークなところだが、当然ながら時代が下るにつれこういう画然とした身分制にほころびが見えてくる。

そうなるともともと運転手だった被差別民であるアイルランド人のトムが両方の身分をつなぐ架け橋のような存在になってきて、国王や王女に対する働きかけにすらつながってくる。
おしなべてここでの使用人たちは共和制による身分の平等化よりは国王の権威を素直に受け入れている。
トムが共和制に賛成しながらも法を破ってまで身分制をひっくり返すのには反対する良くも悪くも穏健なスタンスが全体に通じている。

皮肉なもので、対立するのは上と下の階級の間ではなく、国王の使用人たちがダウントンの使用人たちに対しやたらと威張り散らし出番を奪ってしまう無礼による使用人同士の間で、そうなんだよなあ、下々の間の争いが先行するのだよなあと嘆息させ納得させる。

下僕出身のトーマスがもっともらしい顔で執事をつとめているかと思うとたちまち国王の使用人たちと復帰したカーソンの間に挟まって押し出されてしまうのが笑わせる。
久し振りにゲイである本来の性的嗜好を表に出せて嬉しそう。

多彩な人物を平行しながら捌くほとんどテレビシリーズのスペシャル版と違わない作りで、シリーズを全然知らない人がいきなり見たらキツいのではないか。もともと美術や衣装、撮影の素晴らしさからして大画面に移すにしても大きく変更するまでもなかったと思しい。
なんだかまだ続きを作ろうと思えば作れる感じ。

大画面で見ると、特に女優さんたちの体格の良さ、しっかりした骨格が目につく。豪華で、しかも肌を出すところが多い衣装のせいか。



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1月27日のつぶやき

2020年01月28日 | Weblog












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「サーミの血」

2020年01月27日 | 映画
北欧の少数民族サーミの少女が受ける差別が描かれる。

教師がおためごかしの好意じみた態度で差別の押し付けるところなど、いかにも教師こそがやりそうないやらしさ。
同級生によるあからさまな暴力ばかりでなく、一見冗談めかしたようないじめも同様。

サーミの血を守ろうとするのと多数に同化しようとするのと姉妹に振り分けているのだが、どちらも幸福とは言えない。

主演のレーネ=セシリア・スパルロクの堅いまなざしが自然の清冽な美しさと共に強い印象を残す。

昔の日本映画には内田吐夢監督・高倉健主演の「森と湖のまつり」など今見れば不十分ながらアイヌを描いた映画があったが、現代また作らなくてはいけないだろう。



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1月26日のつぶやき

2020年01月27日 | Weblog
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「ラストレター」

2020年01月26日 | 映画
メールどころかLINEその他でいくらでも手軽に連絡のやりとりができるこの時代に手書きの手紙で文通するという古式豊かな趣向。

クラシックでロマンチックなムードがあるのはもちろんだが、メールなどがもっぱらスマホなどのガジェットに縛られ宛先の相手とピンポイントでやりとりされるのに比べ、手紙だとそれ自体が独立したモノだから、部外者が手にしたり目にしたり余地が多くなる。
そしてこの映画では本来の受け手ではない人の手を介するところを積極的に多くして描いている。

スマホはもちろん登場するのだが、それが使えなくなるようにする段取り、それから福山雅治が本来の初恋の相手だとその妹の松たか子を同窓会で間違えるまでの設定に脚本が知恵を絞っている。

手紙と共に本、それも全集が本棚に収まっている様子がしきりと画面に写る。
学校の図書室はもちろん、お寺の本棚にも全集本が横になっている。福山の自伝的な作品である小説の単行本といい、これまたクラシックな手触りを見せるし、「Love Letter」の図書館と「失われた時を求めて」の使い方を思わせる。
おしなべて当人同士の手を離れて残された言葉に託された、いなくなった人間に対する思いといったものを丹念に炙り出している作り。

仙台ロケの緑の中の川や城、寺といった美しい風景の一方でシャッター通りの中の寂れたアパートや飲み屋も撮っていて、しかも中山美穂や豊川悦司が登場するのにびっくり。
かつての岩井俊二映画のキャストを失われた時の浸食を経た姿として出してきている。





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1月25日のつぶやき

2020年01月26日 | Weblog


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「リチャード・ジュエル」

2020年01月25日 | 映画
作中テレビで実際のリチャード・ジュエルのインタビュー映像を流しているのに驚いた。
実話ネタの映画のラストでモデルになった人の実写映像が流れるというのは普通だが、作中で役者が演じているのと平行して流してしまうというのは珍しい。
イーストウッドとすると「15時17分、パリ行き」でモデルの人物を当人に演じさせるなんて真似したのだから、もう融通無碍だろう。

オリヴィア・ワイルド扮する特ダネ狙いジャーナリストのキャシー・スクラッグスの描き方が、アメリカでは色仕掛けでネタを取ってなどいないと批判されているというが(キャシーがジュエル同様亡くなっているのがまた話をややこしくした)、実名で描く割にキャラクターとしてかなり手薄な感じではある。時間的にジュエルが脅迫電話をかけられないとか裏をとっていないというのはお粗末すぎでホントかいと思う。
それに基本はFBIの見込み捜査のミスとリークで、悪気がなくても結果は似たようなものではなかったか。
ちなみにFBIのエージェントは仮名になっているというが、逆にすべきところではないか。
映画のラストで登場人物たちのその後が字幕で出るが、キャシーについては触れていないのも不可解(事件の5年後に亡くなっている)。

ジュエル家のしきりとドアがノックされて人が出入りし中でやりとりされる、その芝居の捌き方がさすがにスムース。

太っちょのお人よしのノロマみたいな調子で通してきて(それでも弁護士を呼ぶのは忘れないのがアメリカか)大詰めでFBIに反撃するところで真っ直ぐ相手を見すくめる計算が立っている。

主に1996年の話なのだが、初めの方ではもっぱら固定電話を使っているのが、途中から携帯電話を使うようになる。特に説明していないがいつでも弁護士に電話できるようにだろう。取り入れるのはこの当時としては早かった方となる。

ドラマとすると法の執行官として生きるのを望んだ男がその最高峰であるべきFBIに嵌められて、しかし法と権威には忠実でい続けるという構図になる。見放すのかと思っていたので、ちょっと意外。

むちっとした制服姿の肖像画が水野晴郎みたい。




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1月24日のつぶやき

2020年01月25日 | Weblog













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「ホイットニー オールウェイズ・ラヴ・ユー」

2020年01月24日 | 映画
前半の輝くばかりの才能の輝きと栄光と後半の零落と疲弊のコントラストが凄くて、見ていて粛然とさせられる。

ホイットニーがアメリカ国家「星条旗よ永遠なれ」を歌うところで、あれは戦争の歌だ、アメリカという国は外国と同じくらい黒人に暴力をふるってきたとがインタビューで語るのが重い。

麻薬をやっていた洗面所付近の汚ならしさがひどい。

身内が金に寄ってきて離れられなくなるあたりは、金自体が麻薬みたいなものかと思わせる。




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1月23日のつぶやき

2020年01月24日 | Weblog











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「フィッシャーマンズ・ソング コーンウォールから愛をこめて」

2020年01月23日 | 映画
伴奏もないような人声だけの合唱が魅力的。
漁師たちが素朴というばかりでなく格好よく(全員サングラスをかけて横一列になって歩く「タランティーノの映画に出るのか」などと言われるシーンあり)それなりにお洒落でしたたかでもある。
逆に漁師としての労働をもっと描き込んだ方が厚みが出たのではないかと思う。

実話ものとはいえ、これといったひねりはなく、良くも悪くもほぼ予想通りに話が進む。

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1月22日のつぶやき

2020年01月23日 | Weblog
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「ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋」

2020年01月22日 | 映画
俗な言い方をすると逆玉というのか、シャーリーズ・セロンのおそろしく長身の美人で有能で恰好いい(楽屋裏では過労でヨレヨレになっていたりするが)国務長官が大統領を目指すのにスピーチライターとして雇った太めでむさいジャーナリストが恋仲になるという組み合わせの妙で見せるコメディ。
正直、そんなことあるのかとちょっとづつひっかかるところはある。

大統領を目指す人が薬でハイになったり変装してとはいえ公衆の面前で踊りまくったりいくらなんでも無茶ではないかと思うが、トランプ以後では逆になんでもありになるのかもしれない。
現職の大統領が俳優というのはレーガン、何よりそのバックになる資本家の赤っ面ぶりがトランプそのまんま。大統領ではなく国際独占資本こそが支配者なのだということなのだろう。

共和党支持の黒人が出てきたり、細かいところで型を外そうと試みている感じ。




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