幼い女の子が失踪する場面そのものはスキップしてあって、というより気がついたらいなくなっているという描き方は昔だったら神隠しとでも呼ばれただろう。
捜査や発見といった手順に進展があるようには描かれず、えんえんたる徒労感で埋め尽くされる。だからといってやめるわけにもあきらめるわけにもいかず、ちょっと賽の河原の石積みかシーシュポスの神話のようでもある。
石原さとみ・青木崇高夫妻が悪意のあるネット書き込みの主を特定して訴えるようになったのが、多少の(しかも本質的ではない)進展としてあるくらい。
無責任な悪意はほとんど空気のようにどこにでもある。見るこちらにとっても無関係ではない。
ローカルテレビ局の地味な、成果をあげられないタイプの仕事をしている社員を後目にキー局に栄転する後輩のスポットライトの当たり方を見ていて、なるほどキー局で華やかに見える場所にいるのはこういう要領のいい奴かと改めて思う。
かといって局員とかドンくさい女子社員とかが手柄をあげて見返すといった展開にはならない。
事実を伝えることが至上命令(上司はそれを言い訳にしている感もある)であるテレビ局員と、両親とくに母親とのでは違いは温度差あるいは距離感でしかないのではないかとも思える。
その違いを指摘されても、どうしようもないのが現実でもある。
精神疾患の過去があっていかにも怪しげに見えてしまう風体の母親の弟(森優作)がドジにもとんちんかんにふるまってますます怪しげに見えてしまうドツボのはまり方。