prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「ミッシング」

2024年05月31日 | 映画
幼い女の子が失踪する場面そのものはスキップしてあって、というより気がついたらいなくなっているという描き方は昔だったら神隠しとでも呼ばれただろう。

捜査や発見といった手順に進展があるようには描かれず、えんえんたる徒労感で埋め尽くされる。だからといってやめるわけにもあきらめるわけにもいかず、ちょっと賽の河原の石積みかシーシュポスの神話のようでもある。

石原さとみ・青木崇高夫妻が悪意のあるネット書き込みの主を特定して訴えるようになったのが、多少の(しかも本質的ではない)進展としてあるくらい。

無責任な悪意はほとんど空気のようにどこにでもある。見るこちらにとっても無関係ではない。

ローカルテレビ局の地味な、成果をあげられないタイプの仕事をしている社員を後目にキー局に栄転する後輩のスポットライトの当たり方を見ていて、なるほどキー局で華やかに見える場所にいるのはこういう要領のいい奴かと改めて思う。
かといって局員とかドンくさい女子社員とかが手柄をあげて見返すといった展開にはならない。

事実を伝えることが至上命令(上司はそれを言い訳にしている感もある)であるテレビ局員と、両親とくに母親とのでは違いは温度差あるいは距離感でしかないのではないかとも思える。
その違いを指摘されても、どうしようもないのが現実でもある。

精神疾患の過去があっていかにも怪しげに見えてしまう風体の母親の弟(森優作)がドジにもとんちんかんにふるまってますます怪しげに見えてしまうドツボのはまり方。





「ありふれた教室」

2024年05月30日 | 映画
子供たちの学校新聞のあり方が大人の新聞そのまんまなのが皮肉でもあるし、逆に大人のジャーナリズムとはいっても子供っぽい攻撃性や意地の悪さ、揚げ足とりが裏にあるのは否定できないだろう。

これが日本だったらどうなのか、一概には言えないが、あれほど理屈はこねないのではないか。ドイツらしいというべきか。
子供たちを叫ばせて感情を発散させたかと思ったらまた蒸し返すのがしつこい。

盗難事件が多発しているとはいえ、盗み撮りするというのは日本だったらやり方の方に非難の矛先が向かうのではないか。

疑われる男の子が明らかに色が浅黒いのと、主人公の女教師がノヴァクという姓からもわかる通りルーマニア系という設定なのがことを複雑にしている。

ルービックキューブのように上手くはまらない出来事がカチャカチャと揃えばいいのにという願望がラストで出ている。
時あたかもルービックキューブのすべての面を揃えるまでの時間の世界最短記録が出たというニュースがあったばかりなのが皮肉なタイミング。





「猿の惑星 キングダム」

2024年05月29日 | 映画
猿(字幕ではエイプと訳していた)ではない人間の出番が途中からで、Netflixの「ウィッチャー」に出ている他はキャリアの浅いフレイヤ・アーランという22歳の女優さんが演っているのだがあまり馴染みはなく、顔がわかるのはウィリアム・H・メイシーだけ。
猿の世界へのブリッジ役の人間の役者(かつてはチャールトン・ヘストンとかが演っていた)を配さないで作られたのは、ほぼ初めてではないか。

乏しい知識を動員してここはモーションキャプチャーを使っているのだろうけれど光が当たっているように見せるのはやはり光の効果をデジタルで作っているのだろうなとか、水に濡れるところはどう画像処理しているのかと考えだすと面倒になって投げ出す繰り返し。エイプスーツを使った方が楽ではないかと思うカットもある(使ってないとは限らないが)。
何も考えずに見ていられればいいのだが、考えないというのも難しい。

チンパンジーとオランウータンとゴリラが別々の部族として生きているという設定。一番の最初の「猿の惑星」では混ざっていた。

猿(ゴリラ)が人間を狩るシーンの音楽は、明らかに第一作のジェリー・ゴールドスミスのパーカッションを多用した音楽のもじり。

猿と人間の立場が逆転しているのが「意外性」としてではなく、人間が今みたいに自然に反する行為をしていれば必然的にそうなるという捉え方に移行している。

今さらだが、明らかに続きを想定した終わり方。
2時間25分もあるもので、後半トイレに立ったのであろう客がかなりいた。困ったものです。





「碁盤斬り」

2024年05月28日 | 映画
元の落語の「柳田格之進」には格之進に何かと絡んでくる根性曲がりの柴田兵庫(斎藤工)の話ってないのね。志ん朝版のYouTubeを聞いた限りでは、兵庫のキャラクター自体が登場しない。
これがないと碁の勝負ばかりで刀を抜いての立ち回りがなくなってしまうので、見せ場を作る関係上仇討ちの話に組み込んだか。

碁の勝敗というのは一見してわかりにくいので、クライマックスの兵庫との対戦は外野が譜面を写してああだこうだやりとりするシーンを組み込んで解説代わりにしているのが工夫。

碁の勝負を仕切る顔役の長兵衛(市村正親)の手下が刀を取り上げられた格之進の代わりに兵庫に次々とかかっていって切られるあたり、主人公が大勢に取り囲まれるというのはいやというほど見てきたが、かなり珍しい図式。

小泉今日子の吉原の女将が仏と鬼の二面を持った役で、女郎あがりの女将というのはこうもあろうかと思わせる貫禄がある。最近まで藝大美術館「大吉原展」が女郎を美化し過ぎと批判されていたのが記憶に新しいので、足抜けしようとした女郎が折檻されるのをそれほど生々しくはないが描いているのが期せずしてアンサーになった感。

格之進の娘の清原果耶といい感じになる男中川大志が五十両を着服したのかと勘違いしそうな描き方なので、五十両の行方がわかるところがちょっと拍子抜け気味になる。

草彅剛の顔の形って将棋の駒に似ているな。




「クイーン・オブ・ダイヤモンド」

2024年05月27日 | 映画
タイトルそのままのダイヤのクイーンのトランプがアップになるが、ちょっと煌めいてるような効果が加えられている。
そのキラキラした画とは裏腹に本編に入るとラスベガスのディーラーをしながら老人の介護を兼業でやっているざらっとした日常を過ごしている女の爪を延ばした手がアップになるが、何か掴むでもなくぶつっと次のカットに替わる。
なめらかにカットからカットに流れないで、ブロックを積むように繋いでいる印象。
木が燃える↓カットも、炎が収まりかけるまでまるまる据えっぱなしで撮っている。

象が列車から並んで姿を見せていたり、あからさまにシュールではないが現実離れした画面が随所に見える。

ルーレットの前に立っているヒロイン↑を手前に客を置かずに見せる画は
「マグダレーナ・ヴィラガ」の鏡の前に座って人を直接写さない画の作り方と共通している。
介護で老人を清拭(せいしき)するときに背中を向かせてタオルで拭くときも、顔は合わせない。

結婚式で、プレスリーの格好をしている新郎?というだけで大木を投げ出したような諷刺を通りこしたオブジェ感がある。







「ラブ・バッグ」

2024年05月26日 | 映画
1時間47分とディズニー作品としてはけっこう長い。レースシーンにたっぷり時間をとっているせいか。
アナログなトリック撮影は今見ると逆に貴重で、オイルを小便よろしく悪者にかけたり、擬人化ならぬ擬犬化してある。
動作が可愛いので、見てくれは普通のフォルクスワーゲン。

中国系の俳優のBenson Fongという人が出ているのに合わせたのか「湯武」とヘルメットに書いてあるが、どういう意味ですかね。
今だったらもっと政治的正当性に配慮するだろう。

「メリー・ポピンズ」の銀行勤めのパパ役のデヴィッド・トムリンソンが悪役で登場、口髭がマンガチックであまり憎々しくない。




「無名」

2024年05月25日 | 映画
日本軍人役が森博之という見慣れない(失礼)人で調べてみたら舞台俳優でつみきみほの夫だという。
舞台の人のせいか日本語のセリフのイントネーションがメリハリ効きすぎているのがかえって外人っぽかった(育ちはアメリカとカナダ)。

時制をいじくりまわしているものでどこで締めくくられるのかよくわからない。ここで終わるのかと思うと終わらない繰り返し。ひとつひとつの画面はスタイリッシュに決まってはいるのだが。

エンドタイトルで漢字の字幕は出るのだが日本語の字幕は出ないのはどんなものか。

相当ハードな肉弾戦をトニー・レオンとワン・イーボーが演じるのだが、決着がきっちりつかないのは未来を先に見せるのでわかってしまう。





「ハピネス」

2024年05月24日 | 映画
上映が終わってエレベーターから降りたらロリータファッションで待っていた女の子がいてびっくりした。

ふたりがバスに乗っていて蒔田彩珠が心臓発作を起こして窪塚愛流がバスを止めて降りるシーンがあるのだが、前に現実にバスに乗っていたら癲癇の発作を起こした人がいて運転手はバスを停め他の乗客(私を含む)を降ろして対応したのを実際に見聞したもので、ああいう場合運転手なり他の客なりが救急の連絡とるんじゃないかなあと思った。そう思わせないように運転手の姿を出さなかったのかもしれない。

のっけから蒔田彩珠がロリータファッションをするシーンから始まるのだけれど、初めふわふわした現実離れした調子なのが次第にシリアスになって、だからといって深刻になりすぎないように匙加減している感じ。

ホテルのバスタブにふたりが漬かったあと、掃除のおばさんにお礼の千円札を置いていくのが金額を含めて細かくてよろしい。









「不死身ラヴァーズ」

2024年05月23日 | 映画
原作マンガを読んでいないもので、主人公の女が見ている前で恋する相手の男が何度もいつの間にか消えてしまい、また別の姿で現れるという表現がどういう意味なのかわからず戸惑った。今でも腑に落ちていない。
推測だけれど、原作に傾倒しすぎたのではないか。

学校にせよ野山にせよ、がらんとした空間が主人公の熱さを冷ますような印象。

見上愛が一方的にわーっといかに相手が好きかまくし立てて空回りしているのだが気にしないといった表現はあまり見た覚えがない。












「人間の境界」

2024年05月22日 | 映画
希望をぶら下げておいて取り上げるというベラルーシの最低の所業を描いているのだが、ナチスが第二次大戦に先立ってキューバが上陸を拒否するのを見越してユダヤ人をキューバ行きの客船に乗せ立ち往生させてこれをユダヤ人嫌悪の広告として使った史実を思わせた(映画「さすらいの航海」で描かれている)。

同じ人間がなんでこういう具合に分けられていくのかと思う。
同じ人間だと思っていないからだろうが、正直、どこがどう違うのかわからない。違うわけがない。

終盤、ハラルかどうか気にするあたり、それが当たり前の習慣になっている者とそうでない単純なようでややこしい断絶を簡潔に見せる。

国境警備隊の非人間性がそれもまた分断の一部であることが暗示されている。





「PS1 黄金の河」

2024年05月21日 | 映画
三時間かけて話半分というのはどんなものでしょうね。
途中でインターミッションが入るはずだが日本ではスルーして続けて上映する。用を足したい人もいると思うのだが。

兄弟で王座を争うというのだったらわかりやすいのだが、兄は父に代わって王座に就きたがっているが(そのくせ父のそばには来ない)、弟は父である王にあくまで従順すぎるくらい従順(そのくせやたらと強い)なので話がこじれるというのは、どうもわかりにくい。

弟とバカに顔が似たキャラクターが出てきたと思ったら、これが身代わりになるというのは、見慣れていない者は混乱します。
悪いけど、女性キャラクターの顔が全部同じに見える。

戦闘シーンのスケールの大きさはインド映画らしい。ただし基本はリアリズムであまりぶっとんだ感じではない。

使用言語はタミル語。

世界的に映像ドラマがシリーズ化されてやたら長くなって時間をとられるのはあまりありがたくない。結末の付け方がだらしなくなる。
推測だが、長大な原作があるのが足をひっぱったのではないか。





「マグダレーナ・ヴィラガ」

2024年05月20日 | 映画
娼婦である主人公が客をとる場面が何度もあるが、これがおよそセクシーでもなんでもない。客の顔が写ることすらない。
監督二ナ・メンケスの妹のティンカ・メンケスが主演しているのだが、「見せる」要素というのがまるでないのだね。ひたすら我慢しているとしか思えない。

冒頭しばらく宗教画や彫刻がひんぱんに背後に配されてセリフもずいぶんと抽象的。16ミリなのだろうか、画面がずいぶんとざらっとしている。

酒場でヒロイン以外の客を全部鏡の中に押し込めて撮ったカットなど孤立を画に描いたよう。





「恋するプリテンダー」

2024年05月19日 | 映画
原題はANYONE BUT YOU。
わざわざプリテンダー pretender=なりすましなんて耳慣れない言葉に直すことあったのかな。

冒頭からシェイクスピアのエピグラフの文字が壁に描かれていたり絵に描かれたいたりするのだが、この自体がシェイクスピアの「空騒ぎ」ほかの喜劇のテイストを持つ。
さらっと同性婚が出てくるのだが、それがぐるっと巡ってシェイクスピアの時代は少年俳優を女優代わりに使っていたり、「十二夜」で女を男と間違えたりしていたなと思ったりした。

他愛ない間違いの喜劇と見せて古典が芯にあると見るべきか、古典自体が下ネタ含めて普遍的なものととるべきか。





「悪は存在しない」

2024年05月18日 | 映画
単純にエコロジー対開発業者の対立の構図かと思うと、村人も戦後の農地改革で移住してきたので、自然に特に近しいというわけではない。というか、農業というのは作物だけ選別して育てることに他ならないのであって、意外と(でもないが)不純な自然観の上に成り立っているのを承知の上で作っている感もある。

薪を割るところの長回しは何か薪に仕掛けをしてあるのかなと思ったら、単に
小坂竜士が本当に薪割の名人ということらしい。

芸能事務所にして開発業者の四人のメンバーの車内に仕掛けられたモニターに映っているのを含めた四人の捌き方が、技巧的でないようで技巧的。
子供が行方不明になるあたりのそれと知らせないようも技巧も同様。

石橋英子の音楽と濱口竜介の映像のコラボから始まった企画だというのだが、これとは別の音楽と映像の組み合わせがあるはずなのだが検索してもこれから見られる(聴ける)のは引っかからない。YouTubeなりDVDなり出てきそうなもの。というか、DVDどころかCDすら出ておらず、なんとLPが出ているだけ。





「鬼平犯科帳 血闘」

2024年05月17日 | 映画
松本幸四郎と市川染五郎の親子を同じ鬼平というキャラクターの壮年期と青年期で共演させるのが商業上のひとつの狙いだろうが、さらに本所の銕と二つ名をとった不良だった平蔵がどうやって鬼平になったか、というドラマを単純に「更生」したという観点からでなくメビウスの輪のように表裏がつながった延長上としてつなげて捉えている。

出だしで酔っている染五郎がそのまま殴り込みに行くくだりで、なんで殴り込みに行くのか、誰のところに行くのかは伏せておいて後になってそのワルだった頃の殴り込みが銕のちの鬼平の身に返ってくるという展開につなげている。

鬼平は多くの密偵(いぬ)を抱えているわけだが、自らに密偵になりたいという平蔵の昔馴染みの女の申し出をいったんは断るが、その命を救いまた救われるという流れで前半の女が殺されているのかどうか曖昧なまま誤解させるのは上手くないが後半の罠にかかるあたりはうまくできている。

柄本明が単独でつとめ(盗み)を働く泥棒で、鬼平の配下に実の息子の柄本時生がいるもので、これはシリーズの後の方(こちらは日本映画専門チャンネルほかで放映予定)で生かすつもりかなと思う。
張り出し屋根からすっと飛び降りるのをフルショットで撮ってそのままカメラに近寄ってアップになるシーンがあるので、何かのトリックでなければずいぶん身が軽いと思った。

タイトルの人名が日本語と英語が併記されているのだが、たとえば松本幸四郎がMATSUMOTO KOSHIROと英語表記でも姓=名の順に並んでいる。いつの間にかこういう表記増えていないか。