prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー」

2023年03月31日 | 映画
全然 それらしくない 女の子2人が実は凄腕の殺し屋というギャップと、 本格的なアクションシーンとの同居が1作目の魅力だったわけだけれども 今回は だるい日常の ダラダラしたおしゃべりが ずいぶん 尺を占めている。 
タランティーノの長々としたおしゃべりタイムに倣ったのかもしれないけれども そのダルだった時間がバイオレンスに転じるメリハリと言ったものがあまりなくて、 何かタルい。

殺し屋に組合があって、やたらと細かい規約や罰則がうるさくてたまらないというのが笑いの種になっているのだけれど、いかんせんあまりにありえなくて上滑り気味。

人が本当に殺されているのか、実はそう見えただけなのかと言ったはぐらかしが交錯するのだが、ふざけているのかと思うと本当に殺すわけで、なんか微妙に後味が悪い。

アクションシーンはジョン・ウーみたいな接近した銃撃戦であったりジャッキー・チェンばりの小道具を生かしたコミカル アクションだったりいろいろ工夫を凝らしてるんだけれども、前作があった分、決定的な目新しさや魅力に欠ける。

拳銃を横にして撃つというのは命中率が悪くなるしジャミングの原因のなるらしいので気になったし、それに見栄え優先としても使われ過ぎて今となってはあまり恰好よくない。

「花束 みたいな恋をした」の話題が出てきて、実際にそれを見る場面があるのだけれど(映画そのものは 映らない)その映画を見るのが パソコンで テレビ受像機が全然出てこないというのは 今風。

舞台になるのが台東区と妙に具体的で、隅田川沿いの公園や、定食屋の風情など古ぶるしく、銀行でコードつきの固定電話の受話器を投げて相手にぶつけては引き戻したり、銀行の振込で窓口で待たされてイライラなどわざと古ぶるして設定にしていると思しい。

ぼうっと撮っているようで背後にいつの間にか敵がついてきているといった演出はちょっと面白い。





「ブレックファスト・クラブ」

2023年03月30日 | 映画
見ているつもりで見ていなかった一本。
ほぼ製作時から一世代以上の時間が経過し、監督脚本のジョン⋅ヒューズは亡くなっている。
エミリオ・エステベス、アリー・シーディ、モリー・リングウォルドなど大きなキャリアの転機になった人たちが輩出した映画でもある。

スクールカーストを最初に描いた映画という解説もあるが、とにかくさまざまな階層を反映させた映画としては早い方だろう。ただし有色人種が出ていないのはやはり時代を感じさせる。

かつて だったら 理由なき犯行のような不良少年たちの物語として描かれたかもしれないが、必ずしもアウトロー的なキャラクターではないがガリ勉含めて
性別、立場、性格 その他 様々な微妙にマイノリティとまではいかなくても疎外感を抱えたメンバーが 従わないという一点で集められ 懲罰的な補習を受けさせられる。
その内部で自然発生的に反抗が発生して、教師や主事(昔でいう用務員)もかつてそれと無縁でなかったこともわかる。
教育が(日本同様)体制への馴致システムに他ならないことも改めて教える。

アリー・シーディの黒づくめの不思議ちゃんキャラがメイクと服装変えたらひらひらの女の子ファッションになるのには笑った。




「ギレルモ・デル・トロのピノッキオ」

2023年03月29日 | 映画
最近でもイタリア製映画化「ほんとうのピノッキオ」とかロバート・ゼメキス版とか何度となく映像化されているピノッキオだが、今回はファシズムが吹き荒れるイタリアを舞台にしているのが異色。
というか、考えてみるとピノッキオの原作本は知ってるつもりで実は読んでいないのでした。読んでみないと。

つまり「パンズ・ラビリンス」や「シェイプ・オブ・ウォーター」の異形のキャラクターとしれを圧殺しようとするファシズムや軍国主義との対立が再生されることになる。

ピノッキオは木でできた人形に命を吹き込んたものなので人形アニメで表現するにはぴったりとも言えるし、

人形の時は魅力があっても人間の子供になるとつまらなくなるのだけれど、そのあたりをうまくかわしている。

人形だから何度も死ぬのだけれど、その命を失ってモノになるのがもともと命のないモノを動かしていたことによってあからさまになる。

ピノッキオに命を吹き込むのが朝は四本足、昼は二本足、夕に三本足は何?という有名な謎をかけるキャラクターのスフィンクスを思わせるデザインで、答えは人間なわけだが、その命がもともと始まりと終わりがあるものとして示される象徴にもなっている。

キャラクターが空中を跳んだりするのはどうやっていたのかと思ったら、メイキングを見るとなんのことはない、緑色に塗った棒で支えて後でその部分は合成で埋めたのだな。

最近はクライマックスに出てくる巨大な怪魚がクジラと特定されないようになってるみたい。
聖書のヨナにちなんでいると思ったのだが、特定の宗教の色をつくのを避ける意図でもあるか。




「長ぐつをはいたネコと9つの命」

2023年03月28日 | 映画
よくできた娯楽映画でした。 九つの命があるからと言って八つまで無駄遣いして後ひとつだけしか残ってない猫が、命はひとつあればよく、ひとつしかないから大事ということを学んで終わる図式が明確で、そこまでの持っていき方もやたらと多彩なキャラクターの絡ませ方も過不足ない。

賞金稼ぎかと思わせて何者も逃れられない死神に対する恐怖の克服の仕方が説得力がある。
キラキラ目の可愛さ攻撃というのが今風。

貪欲そのもので部下の命など平気で使い捨てる金持ちのキャラクターが使い捨てるられる側がさほど抵抗しないところを含めて現代的。貪欲そのものが自己目的化していて本当に何が欲しいのかとか何のために手に入れるのかといった意味付けがすっとんでいる。

クライマックスでセルジオ・レオーネ出してくるのにびっくり。





「イメージの本」

2023年03月27日 | 映画
ジャン=リュック・ゴダールの遺作、とはいってももとより自分で自分の作品歴を否定する、あるいははぐらかす人だから遺作だから特にどうという感じでもない。

大きなお世話か知らないが、これだけたくさんの既成映画を引用しておいて版権どうやってクリアしたのだろう。

それにしても少なくとも傍から見れば映画作家として別格の位置についた人が自殺幇助で死ぬというのは不思議でもある。自己否定を繰り返してきた人でもあるわけだが。





「シン・仮面ライダー」

2023年03月26日 | 映画
同じ「シン」でも、ゴジラやウルトラマンに比べると、仮面ライダーは実をいうと自分には元々かなり馴染みが薄い。
昔は子供向け番組は成長するにつれて「卒業」するもので、それほどテレビを見る環境になかったこともあって、ライダーもヤマトもガンダムもテレビでは横目で見て通り過ぎるくらいの接触しかなく、ほぼ後追いになった。
というわけで、小ネタが多いらしいのはわかるんだけれども 困ったことに こちらはそれがよくわからない。
(もっともそれ言い出したら、ゴジラやウルトラマンもそんなに詳しいわけではない)

川や海など水のそばのシーンが荒廃した屋上などといった無機的な建築とコントラストをなしていて、 一種の生命=再生の象徴 みたいな扱いになっていると思う。

PG12指定なのにあれと思ったが 実際冒頭の戦闘シーンで大量の血飛沫があがるのにちょっとびっくりした。 小学生は見られないわけで、元のライダーは完全に子供向けだったが、これは元子供向けということになる。

拙劣さのない自主映画 っていう感じ。何かかをなぞっている感じとか、世界観の突っ込んだところがすっぽり抜け落ちている感じとか。

アクションシーンで通常の格闘と違う誇張した繰り返しの多いカット割りで処理していて、元のライダーの精錬されたパロディみたいだが、アメコミヒーローものほど物量で誇張した表現で埋め尽くすというわけにもいかず、左右対称の構図が多いなど格好のいい画は続くのだけれどどうも軽い。

エンドタイトルで例によってとっかえひっかえ職能を変えて何度も庵野秀明の名前が出てくるのが可笑しかった。

次々と登場するキャラクターが、え?この人がと思うようなのまで割と簡単に消費されてどんどん文字通り水泡に帰して退場していく。
ずいぶん豪華な特別出演者たちも、誰だかわからなかったり声だけだったりすることが多くてこちらも消費感が強くて見ていてかなり微妙。あとでネットで反芻してね、ということなのだろうが。

浜辺美波がほぼ笑わないできりっとした顔で通していて、笑顔はラストの方にとっておいてあるのかなと思うとだいたい当たるが、かなり抑えぎみ。

ここではショッカーという組織が中央集権的でなく、どうやらP2P的な分散構造になっているらしいのが、たとえば今のテロ組織などにも ITネットワーク構造にも通じるというと大げさか。





「零落」

2023年03月25日 | 映画
冒頭「猫顔の女性は苦手」といった字幕が出て、猫顔そのまんまの玉城ティナの顔を後ろから撮ったり髪で隠したりとなかなかはっきり見せない撮り方をしているので何だろうこれはと思わせるが、主人公が苦手なのに合わせてまともに顔を見られない主観的表現ということになるか。

原作者浅野いにおの半自伝的内容と思しく、 斎藤工扮する主人公の漫画家が 長期連載を終えてぽかっとブランクのような状態になった時に あれこれと迷ったように妻や女性アシスタントなど様々な女たちの間をパチンコ玉のように弾かれながら行き来する「8 1/2」的展開を辿るが、その中に猫顔の風俗嬢の趣里も異物のように混ざっているという仕掛け。
女性出演者たちがちょっと出るだけの風俗嬢を含めてそれぞれ微妙に怖くて魅力的。

一度はヒット作を出した漫画家なので相当態度がでかい。というか、勘違いしているファンを含めて周囲が変な気の使い方をするくせに本当には「ヒット作」だけが欲しいので作者の人格になど興味がない構造がそうスポイルさせているわけでもある。

零落といっても本当に売れなくて金に困ってるわけではないのでわざとのような勝手さの方が目立つ。やってることのレベルは昔の無頼派文士なみ。
ラストの初めてアップになる玉城のセリフからして、作り手の方もこの男の異物性みたいなものに意識的だろうと思う。

女は猫に似ている、呼んでも来ないし、呼ばないと来ると言ったのは誰だったか、伊丹十三だったか。





「The Son 息子」

2023年03月24日 | 映画
劇作家フロリアン・ゼレールが、自作戯曲を初映画監督作として映画化した「ファーザー」に続く第二作。父に対する息子だから対になっている格好で、「ファーザー」でアカデミー賞を受賞したアンソニー・ホプキンスがここでもヒュー・ジャックマンの父親役で出ているけれど、傲慢でわがままな成功者というところは共通している。

今回は同じ戯曲原作でも舞台劇的な所はほとんど無く、場面は数か所に限られてるけども 自由 に映画的に行き来する。 
息子役のゼン・マクグラスが、ヒュー・ジャックマンとローラ・ダーンの間の子供にしては随分身体が小さい。それが委縮している精神を文字通り体現している。

 終盤の展開がわざとなのだろうけれども「ファーザー」同様どこから幻想になってるのか微妙に曖昧にしている。幻想だと思いたくなるような展開ということでもある。

ジャックマンが上院議員の選挙参謀の依頼を受けるなど勤め先ではごく外面が良い一方で、父親に言われたりやられたりしたことを息子に繰り返してしまう、という連鎖に気づく話なのだが、ありがちな虐待が連鎖するという単純な図式ではない。
前妻ダーンを結果として捨てて新しい若い妻バネッサ・カービーと再婚してまだ小さい息子もいる、というのは不実には違いないが、ともかくも息子に要求するのが社会人になるには乗り越えなくてはいけない常識的な範疇のハードルなのがまたキツい。父親自身もそこから逃げようがない桎梏なのだ。

ジャックマンがこれまでヒーロー役を多く演じてきたのからリアルな役柄を演じることろもできるところを見せる役者としての挑戦と共に、ヒーロー役としての正のイメージがこの役を必ずしも否定的に見せない効果も考えたのではないか。




「ナイブズ・アウト グラス・オニオン」

2023年03月23日 | 映画
ダニエル・クレイグ扮する名探偵ブノワシリーズ第二作。監督脚本も前作と同じライアン・ジョンソン 。

前作「ナイブズ・アウト 名探偵と刃の館の秘密」 がイギリスの豪邸が舞台だったのに対して、今回は風光明媚なギリシャの孤島。
金持ち連中にアフリカ系が混ざっているのが今風で、とはいえ限られた場所に同じように殺人の動機がある連中が集まるというアガサ・クリスティー式の趣向は一貫している。
ある意味よく今どきこれだけ本式の謎解きミステリを、それもオリジナル脚本でやるものだと思う。

出てくるのが性根が腐った金持ち連中ばかりで、一番腐ってるのがエドワード・ノートン扮するイーロン・マスクを思わせるアモラルな超弩級の大金持ち。
クリスティーの時代に比べて富の量が増えた分、腐り加減もひどくなって感じ。
イノベーションとかスクラップ・アンド・ビルドとか言いながら、本質的には一種の破壊願望(それを持てる者がむしろ募らせている)ではないのか、とクライマックスの情景に出している。

後半の謎解きに入ってからの構成が何気に凝っていて、それまで出てきていたキャラクターの正体や場面の裏をぶち抜いて一気につなげていく。
タイトルになっている glass onionっていうのは何層も謎が重なっているようだけれども ガラスのように中身まで透けて見えているという意味。




「きみの鳥はうたえる」

2023年03月22日 | 映画
柄本佑、石橋静河、染谷将太という男二人女一人の三角関係というより「冒険者たち」「明日に向って撃て!」式の三人でひとつのように一時的にせよ安定した関係になっているパターン。

原作の佐藤泰志の私小説伝統の貧乏くさい自分勝手な鬱屈したところと、北国の不思議な詩情をキャスティングの柄がはまってうまく映像に移した。

どうでもいいのだけれどこのところ日本映画に「彼女がその名を知らない鳥たち」「夜、鳥たちが啼く」と不思議と鳥がつくタイトル多い。




「0.5ミリ」

2023年03月21日 | 映画
安藤サクラの介護ヘルパーが坂田利夫、津川雅彦、草笛光子、柄本明といったそれぞれに訳ありの老人たちのところを点々としていく緩いオムニバスのような三時間を超す長編。

原作・脚本・監督安藤桃子、安藤サクラ主演の姉妹タッグで、姉が実際にやっていたヘルパーの経験をもとにしたという。
老人たちが盗癖があったり、傲慢だったり、癖の強いのが多いのはキャスティングを生かしたからでもあるだろうが、年寄り、特に男は事実癖が強くなりがちなのだろう。女の草笛光子は半ば子供みたいになっていた。

それに対するヘルパー側も善意一方であるよりしたたかに相手を利用するのが良くも悪くも逞しい。もともとなりたくてなったわけではない、という設定でもある。
余談だが、知人がヘルパーに宝石を盗まれたことがあって、善意ばかりは期待できないのは事実だろう。

製作は2014年と10年近く前だが、監督の安藤桃子はこの後短編が一本あるだけなのはどういう事情があってかは知らないが、妹が先日最優秀賞を受賞した日本アカデミー賞でスピーチしたように女性に、特に監督をやっていくには不利な状況が関係あるかもしれない。




「Winny」

2023年03月20日 | 映画
もっと IT業界寄りな話かと思ったら、むしろ警察・検察・裁判官といった日本の法組織の旧弊さ硬直性独善性を突く内容で、 「それでもボクはやってない」に連なるような正統的社会劇でした。

特にまるで人の時間を何年も奪っておいて恬として恥じない法組織のおぞましさはたった今も袴田事件で再現されている。
とにかく日本社会のさまざまな問題点がひしめき合っている状態で、作品の方がやや整理不足なきらいもあって、見ていてどこにポイントに置くのか困るくらい。

Winnyについては知らないことが多かったので、映画を見てさっそく 「国破れて著作権法あり ~誰がWinnyと日本の未来を葬ったのか」城所岩生を買って読んだ。

開発者の金子勇(東出昌大)が書き写す書類の「蔓延」という字を「満えん」と間違えているので(後で検察の作ったワープロ打ちの種類では正しく書かれている )、これは警官が 漢字を知らなくて間違えたのを金子が写したのかと思うとそういうわけではなくて、同書によるともともと金子が漢字を間違えていたのだった。

簡単に調書にサインしてしまったり裁判で主張すればいいと思ったと言ったり、金子は技術者としては天才でもはなはだ世間知に乏しい学者バカ的な人物で、弁護士のみならず見ているこっちが頭を抱えてしまうようなところがたびたびある。
逆に言うとそういう無知に警察検察がつけ込んだわけでもある。明らかにウソついて騙しても後でシラを切れば立証できないのをいいことに。

裁判劇とすると、元々著作権侵害を争う裁判では著作権者が侵害した者を訴えるものだが、この裁判は原告が警察になっていること自体がおかしいというセリフがあって、つまり警察が点数稼ぎに拡大解釈的にツールとその悪用者とを混同して逮捕したのが勇み足。
さらに「それでもボクはやってない」のセリフにあるように警察も検察も(さらに裁判所も)国家機関・国家権力としては大きく見ればお仲間であって、その間にはチェックやブレーキが働きにくいシステムであることを改めて教える。

著作権に引っかかりそうな可能性があっても悪意がなければ大目に見る場合、アメリカにはあるフェアユース の概念、つまり現著作権者の利益を侵害するかどうかとを判断する、各関係者の利害を調整する観点が抜けて グレーゾーンは頭から取り締まるという日本の悪弊が先に建ったことになる。

示唆されるYouTubeやブロックチェーン、仮想通貨とWinny とかどう結びつくのかというのは、映画だけだとわかりにくいところがある。このあたりは類書を読んで復習する必要があるだろう。

今後「映画泥棒」でしきりと著作権侵害を啓発しているのが何やら胡散臭く見えてきそう。

東出昌大が最初登場した時誰だかわからないぐらい 太ってあちこち吹き出物のようなものが出ている完全にイケメンぶりをかなぐり捨てた役作り。

金髪にヒゲヅラの男が2度にわたって傍聴席に見えるので裁判傍聴芸人こと阿曽山大噴火がまた出ていると思ったら、エンドタイトルに名前がちゃんと出ていた。

警察などから都合の悪い公的文書が流出したのでWinnyの使用を自粛するよう訴えた政治家というのが出てくるが、現実でそれをやったのが官房長官時代の安倍晋三。
のちに公文書を改竄、隠蔽、果ては初めから作成しない、などといった悪弊を持ち込んだのともつながるかもしれない。

またリークした内部通報者(ここでは吉村秀隆)をちゃんと守らないというのも日本の制度の大きな欠陥。
こちらのプロットと本筋とがあまりうまくつながっていなくて、内部告発の問題はまた別のドラマでがっちり取り上げるような大きなテーマだと思う。

一年半を裁判に費やしたことでウィニーの開発が遅れパッチを当てることができなかったために 不法アップロードやダウンロードを防げなかったのは失敗であり、そしてもちろんソフトウェアの開発大幅に遅らせてしまい日本のデジタル化を大きく遅らせた責任は大きいが、もちろん誰も責任など取らない。

画作りとすると、望遠レンズでびっちり人物を詰め込んだような画を多用していて、派手な動きがあるシーンは少ないのだけれど密度が高くて飽かせない。





「アテナ」

2023年03月19日 | 映画
現代劇の方の「レ・ミゼラブル」の続きみたいなフランスの展開だと思ってたら共同製作脚本のラジ・リはまさにその「レ・ミゼラブル」の監督脚本でした。

監督のロマン・ガブラスはコスタ⋅ガブラスの息子で、父親は ギリシャ出身ながらフランスで映画を撮り始め「 Z」「 告白」「 戒厳令」 三部作で 独裁体制 を激しく批判する社会派としての地位を固め、 アメリカに渡り英語作品の 「ミッシング」でカンヌのパルムドールを受賞、コスモポリタンな社会派映画 人としては先駆的な人だが、 その息子はむしろここでは現代の外国人労働者の問題を兄弟のギリシャ悲劇的なアレンジをしたと出自に回帰するような発言をしている。 極端な長回しの連続もそういう狙いらしい。父親が特に三部作でソリッドな短いカッティングの冴えを見せた逆を行ったみたい。花火を武器としても祝祭のようにも使った華々しい演出が目を奪う。
ただ、あまりに長回しにこだわったせいか、終盤になるとダレる感もある。

驚異的な長回しは、昔の「トゥモロー・ワールド」の合成も併用した長回しを思わせて、機動隊と団地の住人達との激突は馬が登場することもあり現代の 話であると同時にどこか中世の戦闘のように見せることを狙ったという。
白馬と言ったら「ミッシング」で戒厳令が敷かれた街を一頭の白馬が駆け抜けてくという悪夢のような強烈な表現を思い出した。




「オットーという男」

2023年03月18日 | 映画
宣伝だとトム・ハンクスが初めて嫌な奴の役をやるという触れ込みだったけれど、やはり気難しくても周囲がみんな許してしまうし、それが別に変ではないやはりトム・ハンクスな役でした。

気難しいといっても、その原因がどれも納得がいくのと、不動産屋と姿を見せない隣人の(日本に行っている)息子以外にネガティブなキャラクターはあまり出てこない。
その割にホームから線路に落ちた人をスマホで撮ってばかりな大衆というのが強調されているのがなんかちぐはぐ。

冒頭からハンクスが何度も自殺を試みるが、そのたびに失敗する。コリン・ヒギンズの自殺狂の少年とナチ収容所帰りの老婆のラブストーリー「ハロルドとモード」の主人公ふたりを一人にまとめたような感もある。

乗る車が断固としてアメ車というのは「グラン・トリノ」のコワルスキーみたい。





「丘の上の本屋さん」

2023年03月17日 | 映画
これ一体いつの時代の話だろうって気はかなりした。舞台が古本屋だし パソコンや携帯の類は全く出てこないし、周囲はあくまで美しいイタリアの風景が広がっている。
しかし古本屋に通う子供は明らかに移民の容姿をしている。

古本屋の店主がさまざまな名著古典を読ませるという内容。
かなり読んでいるのが多いので、うなずきながら見ることになる。

ただ名著の中に「アンクル⋅トムの小屋」があるというのはPC的にどうなのだろうか。
読んだことはないのだが、公民権運動からはアンクル⋅トムというと白人におべっかを使う黒人の意味になると聞いたことはある。
一種の毒として本、特にドストエフスキーみたいな文学を読み、この世の悪に備えておくのとは違うと思う。

ラストを飾る本というのがいかにもという感じ。