prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

黒五輪(シナリオ)2/2

2021年06月15日 | 黒五輪

○ テレビ局
に戻っている。
高円がテレビに出演中。
背景にオリンピックに出た時の高円の写真が大きく引き伸ばされて飾られている。
小林「なんでも、高円少尉の実話が映画化されるとうかがったのですが」
高円「いや、そんなことはありえません。実話ではないのですから。私はアメリカ軍の投降の呼びかけなど聞いていないし、アメリカ軍内部でも聞いた兵隊はいないはずです」


○ メイクルーム
結婚式の身支度をしている進と知子。
あれよあれよという間に花婿が一丁あがり。
その場で記念写真。
だけでなく、ムービーカメラがまわされる。
× ×
型通りの結婚式場のCM
つまり、花婿=進はいるのかいないのかわからない。
× ×
進「ちょっと…」
と、もごもごと花婿演技を嫌がる。
知子「(急にぴしっと言う)ちょっと」
進「(戸惑う)」
知子「そんなに後ろに下がって。結婚する気あるの」
進「え」
知子「もっと前に出て」
進「あ…ああ」
戸惑いながら前に出る。
知子「一人で結婚するんじゃないんだから」
進「そうだけど、式なんて女のものだからね。男はつけたりで」
知子「なんですって」
進「彼はどうした」
知子「彼って誰」
進「大尉だ。高円大尉」
知子「ああ。あの軍人さんね」
進「ついていったんじゃないのか」
知子「なんで。大昔の、もう死んだ人になんでついていくの」
進「死んだって」
知子「そうでしょ」
進「だけど彼は金メダリストだし、背は高いし」
知子「そうね。それがどうかした」
進「そういう格好よくて、名誉も名声も、それから富もあって、死後も伝説になったような人だから、その方がいいんじゃないかと」
知子「あたしをバカにしているの。そんなのが目当てなら、あなたと結婚することに決めると思う?」
進、さらに戸惑う。
進「あれ、なんで結婚しようと思ったんだっけ」
いつの間にか、傍らに諫早がいる。
諫早「そういえば、お二人はどんななれそめでしたかな」
先ほどのやりとりの繰り返し。
進「言いませんでしたっけ」
諫早「聞いていません」
進「言った気がするけどな」
諫早「そもそも、どこで知り合われたのですかな」
進「職場結婚の一種ですよ」
諫早「ほほお。しかし、その一種というのは何ですか」
進「話せば長くなりますが」
諫早「はい」
進「大学を卒業して、入社した会社で」
言いかけて、その場がそのまま南の島の結婚式場になった島の風景
になっているのに気づく。
広告のイメージと現実とがごっちゃになっている。


○ テレビ局
小林「ご紹介しましょう。元ロサンゼルスオリンピック 馬上飛越競技の金メダリストで、本土上陸の防衛の英雄、アメリカ軍をして『死んではいけない、バロン・コーエン』と呼びかけられた高円武一少尉です」
高円、にこやかに手を振って現れる。
うってかわってテレビ慣れして自分のキャラクターを把握した感じ。
× ×
小林「やはり、スポーツは国境を超えた、国境を超えた友情、敬意こそがアメリカ軍をして投降を呼びかけさせたわけですね」
高円「おそらく、そういうことでしょう」
小林「ところで、少尉は近いうちに重大発表があるという噂ですが」
高円「噂です。新聞やテレビの無責任な噂に過ぎません」
小林「しかし、火のないところに煙は立たないといいますが」
高円「火のないところに煙をもうもうと立てて、後から火をつけるのがあなた方のやり口ではありませんかな」
小林「(笑って)これは、手厳しい」


○ 選挙用の政見放送番組
に出ている高円。
高円「(ならんだブラウン管に写っている)ですから、今の日本に必要なのは、愛国心、大切な人を守り抜こうという気持ちです」
進「(呟く)言ってること、前と変わってないか」
傍らでヒマそうにいなないているベン・ハー。
ぼとぼと糞を落としていく。
すっと番組が切り替わると、高円が選挙に当選してバラをつけたボードの前でダルマに目を入れ、支持者たちと万歳三唱している姿が写る。
傍らに長島が後援者然とにこにこしている。
国会議事堂のミニチュアが地面からせり上がってくるが、砂の抵抗もあってまっすぐ上がって来られないで、傾いてしまう。
傾くと、ミニチュアの下の部分がはりぼてであることがバレてしまう。
長島が、そのはりぼての隙間をくぐり抜けて(怪獣映画での怪獣より少し小さいくらいの縮尺)、中に入る。


○ 同・中
といっても、本物の国会の内部の再現である必要はない。
議会の写真を引き伸ばしたものや、ラフな手描きの絵でカリカチュアした背景の前。
議席の模型が置かれていて、陣笠をかぶった人形が並べられている。
まだ席はいくらも埋まっておらず、そのあたりに人形がぶちまけられたままになっている。
長島「これで、七議席アップ、と」
と、人形を議席に移動させる。
いつのまにか、


○ 南の島の結婚式場の前の砂浜
と、場がシームレスにつながっている。
また砂でできたミニチュアの前にいる。
それを見下ろしている進。
…ミニチュアの一戸建ての家にちょこちょこと出入している人影がある。
寄って見ると、良子であることがわかる。
義典の声「(家の中から)母さん、落ち着けよ」
良子「そんなこと言ったって、おまえ」
と、中に入る。


○ 佐伯家・中
仏壇にこの家の良子の夫で義典の父である孝志の遺影が飾られている。
手を合わせて線香をあげる良子。
ごくおざなりに同じように線香をあげる義典。
と、そこに当たり前のようにすうっといつのまにか長島と高円が入り込んできて線香をあげ、大仰に手を合わせて頭を下げる。
それからおもむろに二人に向かい、
長島「良子さまご主人、義典さまのご尊父である佐伯孝志さまは、お国のために立派に玉砕なさいました」
それからペラペラとおよそ中身のない言葉が並ぶ。
仏壇の中に据え置かれている骨壺。
やがて挨拶が終わり、良子が仏壇の前で手を合わせる。
それから義典も同じように手を合わせる。
それから長島が手を合わせた—
突然、骨壺が振動を始める。
ぎょっとする一同。
骨壺の蓋が弾け、中身のお骨が飛び散る。
仏壇の前はすでに砂地になっており(屋内・屋外は絶えずシームレスにつながる)、地面にお骨が落ちる。
突然、高円が異様な声をあげる。
人間のものとも思えないような。
撒かれたお骨から、芽が出るように人間の筋や骨が生えてくる。
それらが絡み合い、人間の姿に近づいていく。
あたりを見ると—
南の島の風景が広がっている。
生前の姿の面影を残したゾンビ、あるいは惨死した時の姿で、しかし動き回っている。
その中を他のゾンビと化した日本兵たちがふらりふらりとさまよっている。
互いの肉を食い合い、脳みそをすすり合う。
かと思うとまた骨になりかけては、また生前の姿に戻りかけたり、行き来する。
ふっと視界が広がると、風光明媚な丘に同じような遺影を飾った仏壇がいくつもぐるりと並んでいる。
その前にそれぞれ座って手を合わせている遺族たち。
中には仏壇なしで遺影だけしか持っていない者もいる。
絶叫し続けている高円。
長島「どうした、何をわめいている」
高円もゾンビになりかけ—
すんでのところでとどまる。
だが、すでに人外に堕ちているらしく、目の色がおかしい。
よく見ると、長島もだ。
いつのまにか、餓鬼道に堕ちている。


○ 武道館
を埋め尽くしている真新しいスーツ姿の青年たち。
諫早グループ各社の新入社員の入社式が行われているのだ。
その中に神妙な顔をした進の姿がある。
少し離れて、知子の姿もある。
壇上に傲然とした面持ちの男(川地)が登壇する。
背景には、「市民ケーン」のケーンよろしく、巨大な川地の顔が垂れ幕になっている。
傍らに「一九八九年 三光商品株式会社 新入社員入社式」の垂れ幕。
川地「新社会人の諸君!ようこそ我が三光グループへ。我が三光グループの人間は家族。いや、日本人全員が家族です。この入社式をともにした者は、今後どういう道に進もうと、一生三光グループ第四期生として生きる事になります」
× ×
司会者「では、ここで先日の大戦の英雄で、また五輪の悲劇の英雄でもあります高円武一先生にご挨拶いただきます」
そこにひょっこりと高円が現われる。
りゅうとしたスーツに身を包んだ偉丈夫然とした姿。
先ほどのゾンビとは同一人物とは思えない。
隣の男(砂川)が聞きもしないのにそうっと耳打ちする。
砂川「あの人、講演料一日百万だってさ」
進む「(小声で)あ、そう」
挨拶を続ける高円—
ふっとまた目の色がおかしくなる。


○ バス
四十人近くの新入社員がまとまって乗っている。
全員、スーツ姿。
進「ずいぶん大勢いるな」
砂川「歩留まりの問題だよ。どうせ大勢やめるから大勢とるんだ」
進「そういうこと、言うか」
砂川「言うよ」
ぶすっとした、まだ幼さが残るくらい若い男。


○ また別のバス
こちらは、女子社員だけ。
その中に知子の姿もある。


○ 宿泊施設(グリーンピア)
に吸い込まれていく新入社員たち。
佐智「(横から入ってきて、解説する)ちなみにこのグリーンピアは厚生省が年金受給者等のための保養施設として、年金福祉事業団を通して日本全国13ヵ所に作った施設だけれど、素人の役人が経営に失敗して、ムダに公的資金を注入したあげく、2005年にはすべて廃止、売却されました。作られた場所は歴代厚生大臣の地元が多かったところから、利権が指摘されてします。使用料が安価だったところから、長期の研修にも利用されました」
言うだけ言うと、ぱっと姿を消す。
と、もう一台のバスからまたぞろぞろと同じようなスーツ姿だが、着慣れた感じの男たちが降りてきて玄関に吸い込まれていく。
砂川「誰だい、あいつら。俺たちと大して歳違わないみたいだが」
進「さあ」


○ 同・グラウンド
今度は全員ジャージに着替えている。
研修責任者の大久保が檄をとばしている。
新入社員たちのチームと、若手社員のチームが向かい合っている。
大久保「新入社員たちに言っておく。目の前にいるのは、一年前、二年前に入社した若手社員たちだ。なぜ彼らも研修に参加させるのか。それは、先輩になったことを自覚させるとともに、初心を忘れさせないためだ。そして実際の仕事につけば、先輩後輩といっても一年二年くらいの違いは簡単に乗り越えられる。今から同期生はもちろん、先輩も、上司もライバルだ。営業成績が良ければ、上に行ける。蛙飛びに追い抜ける」
大久保「いいか、これからの研修期間、集合は十五分前。挨拶はどんな時も『お疲れ様です』だ。相手が目上でも外部の人間でも使える。時間帯がいつでも使える」
ソフトボールの試合をしている新入社員たち。
大久保「負けた方のチームはダッシュでグラウンドを三周っ」
走る若い社員たち。
× ×
大久保「これから毎日、注魂(ちゅうこん)を行う。魂を注ぐと書いて、注魂と読む。その時々の新しい目標を言葉にして全力で叫ぶ。手本を見せる」
応援団のように大きく胸をそらせて、腕を大きく広げながら
大久保「俺はーっ、三光商品のーっ、大久保だーっ、俺はーっ、日本一のーっ、営業マンにーっ、なるぞーっ」
こっ恥ずかしさを堪えている新入社員たち。
大久保「では、そっちから一人づつ、やっていけ」
仕方なしに前に出る端の社員。
社員1「俺はーっ」
社員2「三光商品のーっ」
進「(名前が省略される)だーっ」
一節ごとに社員の顔ぶれが変わる。
社員4「俺はーっ」
砂川「日本一のーっ」
大久保「人と同じこと言っていてはダメ」
砂川、何を言っていいのかわからなくなり、パニクる。
砂川「世界一のーっ」
大久保「同じこと」
砂川、おたおたして何も出て来ない。
大久保「はい、次」
ほっとしながら、傷ついた風の砂川。


○ 教室
勉強している新入社員たち
大久保「いいか、登録取引員の試験は五月。それまでみっちり四十日。学生の夏休みと同じくらいの期間がある。もうおまえたちは自分は社会人だと意識を組み替えろ。必ずこの試験には合格しろ。合格しないと営業してはいけないことになっているのだからな」
砂川「(ぼそっと呟く)表向きはね。実際は先輩の名前で営業電話かけまくっているっていうぜ」
大久保「講師は、去年入社した社員たちだ。ちゃんと勉強が身についているかどうかのテストにもなるからな」
顔つきがこわばっている入社二年目の社員たち。
× ×
三島(入社二年目の若手社員)「証拠金は現金だけでなく、有価証券でも代用できる。有価証券というのは、つまり株券のことね。商品取引をする人はたいてい株゛をやっているから、手持ちのお金がないと断られた時にはすかさず、いえ株券を現金代わりに証拠金にあてることができますからともちかけるんだ。現金を別に新しく用意する必要がないから、乗ってくることが多い」


○ 夜遅く・寝所
先輩たちと相対して正座している新入社員たち。
何事かもぐもぐ訓示している大久保。
やっと訓示が終わって、解放されるが足がしびれてひっくり返る新入社員たち。




○ グリーンピア・玄関
起き出してくる社員たち。
六時半過ぎ。


○ 海岸
出てくる社員たち。
進、ふと、少し離れた海岸にベン・ハーに跨がった高円がいるのに気づく。
砂川「どうした」
進「いや…」
また見ると、消えている。
進「なんでもない」
× ×
注魂をしている社員たち。
進「俺はーっ、三光商品のーっ、中井だーっ、今日はーっ、模試七百点以上をーっ、めざすぞーっ」
それなりに慣れている。
× ×
波打ち際をロードワーク。
息が上がっている社員たち。


○ グリーンピア・食堂
「(大久保に対し)おつかれさまですっ」
を思い切り連呼する三光商品の新入社員たち。
グリーンピアの職員がやってきて、
「もし、その大声でおつかれさまですって連呼するのやめていただけますか。他のお客さまから苦情が出ています」
大久保「あ、すみません。以後気をつけます」


○ わずかな隙間時間
砂川「(ぶつぶつ言っている)なんだよ、こっちは仕事で挨拶してるんだ」
進「だからって大声出していいことにはならないだろう」
砂川「おまえ、なんでこの会社選んだんだ」
進「よくわからない。電話がかかってきて、話を聞いているうちに会社訪問の約束をしていて、訪問したら適性検査っていうテストを受けて、その翌日には内定の電話があった」
砂川「冗談みたいな話だな(カメラに向かって)八十年代終わりのバブル期にはこれくらい就職戦線で売り手市場だったことは本当にあるんだぜ」
× ×
フラッシュバック。
進の部屋—会社案内で段ボール何個分にもなっている。
× ×
砂川「結局、全部数字だな」
進「あ?」
砂川「営業成績も、商品の値段も。おかしいと思わないか」
進「何が、あたりまえのことだろ」
砂川「だけどさ。商品取引といいながら、結局物を売り買いするわけじゃないだろ。最終的に全部清算されて、取引に参加したほとんど100%は実際の小豆(あずき)や大豆を売り渡すわけでも受け取るわけでもない。
進「それ、あずきじゃなくて、しょうずと読むんだろう」
砂川「(無視して)それもよくわからないんだよな。物があって数字があるんじゃなくて、数字があればそれが売買できるんだよな」
進「君、早稲田だったっけ」
砂川「(イヤな顔をして)そうだけど」
進「こういうとなんだが、なんでここに来たの」
砂川「受かったのが、ここだけなんだ」
進「そう。早稲田ならもっといいところありそうだけれど」
砂川「そうかな」
進「そうですよ。こういうとなんだけど(ちらっと周囲を見て声をひそめて)専門学校出と早稲田が一緒って変では」
砂川「そうかな」
進「それも沖縄の観光専門学校って」
砂川「学歴差別はよくないよ」
と言ったきり、むっとして黙ってしまう。
進「話を変えますけど、しかしなんでこんな体育会系の合宿みたいな真似やるのな」
砂川「上のいうことを下がよく聞くようにだろ」
高円が横からぬっと顔を出して、
「これが体育だと」
と呵々大笑する。
進がぎょっとした時には、もう姿を消している。
進があたりを見ると、


○ 女子の研修
並んできちんと制服を着て、「おはようございます」「お疲れ様です」を連呼する。
それを大久保がじろじろ見てまわって、
大久保「ベルトの線が高い。だから、お尻が出て見える」
と、知子のお尻をぱしっと平手で叩く。
平然とした顔で。
知子「(ショックを受けるが、できるだけ表に出さない)」
大久保「胸を張れ」
その通りにすると、その胸をじろじろと見る。
内心のむかむかを抑える知子。
ふっとその傍らにゾンビ化した高円が現れる。
また「おはようございます」「お疲れ様です」を連呼する女子社員。
次第に表情が虚ろになって、目の色がゾンビ化する。


○ 研修中・グリーンピア講堂
研修に参加している社員たちが地位の高低関係なく全員集まっている。
大久保「いいか、会長がお話されている間は、決して眠るな。鉛筆尖らせたのを太腿に刺してでも眠るなよ」
× ×
川地会長の訓示が続く。
川地「ものごとを成し遂げるには、背後の橋を焼くことが必要です。退路を断って、初めて死ぬ物狂いの力が産まれる。必死の力こそが本当の力です」
だが、やはりうとうとしてしまい、目を開けたまま寝ている社員が何人もいる。
二年生社員の中にもいる。
うとうとが過ぎてぐらっとなった拍子に腿に押当てた鉛筆がぶすっと刺さって、激痛に
「いてえっ」
と、思わず声が出してしまう。
それでも周囲はひたすら黙って拝聴している。


○ 教室
大久保「みんな、頑張ってるな。これから初任給を渡す。この一回は全員一律だが、このあと一回ごとに差がついていくぞ。いいな」
封筒を受け取っていく社員たち。
現金は入っておらず、明細だけが入っている。
進「十八万五千円…いろいろ差し引いて、手取り、十四万ちょっと、と」
と、空になった封筒を振る。


○ 講堂
「ロールプレイング」とホワイトボードに書かれている。
グループに分かれて、電話を持っている格好をしている二人の社員がペアになっている。
ヘアの中には、進と砂川もいる。
進「砂川さまのお宅でいらっしゃいますね。私、三光商品の大久保と申します。このたびは耳寄りな資産運用お話がありまして」
砂川「あ、そういうの、興味ありませんから」
進「中井さまは資産はお持ちでしょう」
砂川「資産って、預金だけですよ」
進「今は高度成長期ではありませんので、普通預金にしておいてもスズメの涙にもならない利息しかつきません。インフレが進めばみるみる目減りしてしまいます銀行任せでなく、資産を上手に運用するのが身を守るのに必須になります」
目の前にマニュアルが広げられてる。
砂川、聴き入る芝居。
× ×
大久保「だいたい良いが、マニュアル頼りでなく、その時その場で臨機応変に対応できるようにすること。とにかく何か喋り続けること。これを忘れるな」


○ 研修終了式
大久保「(新入社員たちの配属先を読み上げていく)赤沢秀光」
赤沢「はいっ」
大久保「甲府支店」
赤沢「はいっ」
大久保「石田勇」
石田「はいっ」
大久保「蛎殻町本店第一事業部」
江川「はいっ」
× ×
大久保「砂川敬介」
砂川「はいっ」
大久保「蛎殻町本店第一事業部」
砂川「はいっ」
× ×
大久保「中井進」
進「はいっ」
大久保「蛎殻町本店第二事業部」
× ×
大久保「(読み終えて)俺たちは一緒だ。三光商品第四期生だ。これは一生変わらない。一生の絆だ。今日は飲んでよし。あしたから、それぞれの配属先に直行だから、飲過ぎるなよ。それから、出社は九時じゃないぞ。市場が開くのが九時なので、八時には来い。おめでとうっ第四期生っ」
わーっと歓声が社員たちから上がる。


○ 海岸・夜
石田など、本気で感激して涙を流している。
石田「(言われもしていないのに、一人でまた注魂をしている)俺はーっ、三光商品四回生のーっ、石田だーっ」
その中で、ちょっとさめている進。
砂川「(いきなり話しかけてくる)おい、お別れだな」
泣いているので、進は意外な顔をする。
進「泣いてるのか」
砂川「感動してるんだ」
進「酔ってるんじゃないか。同じ本店だから、別れるわけじゃない」
石田「感動だよ、感動」
砂川「ああ、感動だ」
石田と砂川は抱き合って感動を分かち合っている。
仲間に入れず、浜辺に立ち尽くす進。
高円の声「おまえは感動しないのか」
見ると、高円が海から上がってきている。
時空がまた交錯する。
高円「みんな感動しているのに」
進「ずっと我慢し続けて、解放されたらほっとする。感動だってするさ」
高円「おまえ、苦労するぞ」
進「そうかな」
高円「感動は、クセになる」
進「そうかな」
高円「感動は、作れる」
進「あんたが言うのか」
高円の姿はなくなっている。


○ 三光商品・営業部
電話をかけまくるテレコールの最中の社員たち。
同じフロアで机が二つのブロックに分けられて並び、片方に第一事業部、もうひとつに第二事業部と札が下がっている。
第一に砂川が、第二に進が席についている。
その前に座っている大久保。
ロールプレイングではない、本番だ。
砂川「もしもし、私、三光商品の大久保と申します」
進「「もしもし、私、三光商品の大久保と申します」
その中、所在ない感じで座っている知子。
有線で商品先物相場の数字が読み上げられているのが流れている。
ときどき立ち上がって、相場の数字を黒板に書き込む。
× ×
大久保「新入社員だけ、ちょっとだけ手を止めて」
知子が受験票を配って回る。
進にも配るが、このときは特に意識も何もしていない。
大久保「登録外務員試験の受験票だ。絶対合格しろ。研修の間の模試でだいたい合格できるようにはなっているが、落ちたら罰金だぞ。いや、今のは冗談だが」
砂川や進の表情はそれが冗談ではないことを物語っている。
大久保「俺もいつまでも名前貸すわけにいかないからな。合格すれば堂々と自分の名前と名刺で仕事ができるんだ」


○ 登録外務員試験会場
テスト用紙が配られる。
会社にいる時と同じスーツ姿で取り組む進、砂川たち。


○ 本社・営業部
テレコール中。
砂川「こちら三光商品の大久保と申します」
進「 三光商品の大久保と申します」
すっとやってきて、合格証を進に配っていく知子。
砂川の方は素通りする。
大久保「(やってきて進に)中井、おめでとう。これで自分の名前でテレコールできるな」
進「はいっ」
大久保「がんばれ」
進「はいっ」
大久保、砂川の方に向かう。
大久保「おまえ、模試の成績悪くなかったはずだがな」
砂川「はい」
大久保「わざと合格しなかったのか」
砂川「…(無言)」
大久保「追試には合格しろよ、絶対だぞ。でないと」
砂川「クビですか」
大久保「なんだと」
砂川、目が座ってきている。
大久保「合格するまで、中井の名前を使え」
進。
大久保「まったく。合格した同期入社の名前使わなくてはいけないって、恥ずかしいったらないぞ」
砂川。
× ×
砂川「こちら、三光商品の中井と申します」
進「こちら、三光商品の中井と申します」
何度となく繰り返される。
相場を機械的にボードに書き込む知子。
その目がゾンビの鉛色の目になっている。
他の社員たち、上役も含めて全員鉛色の目になっている。
× ×
砂川「(声が上ずる)はいっ…、そうです。今、株はやっていらっしゃるでしょうか。株があれば、現金の代わりに証拠金にあてることができます…現金を作る。もちろん、その方が割引になりませんので、お得です」
断ち切られたように、鉛色だった目が輝く—、
ただし、いきいきとした目というよりは何か注射したようなギラギラした目つきだ。
大久保、ちらと砂川を見る。
砂川「はいっ、私、三光商品の中井と申します。よろしくお願いします」
と、電話を切る。
砂川「アポ、とれました。来週月曜の午後一、白金です」
大久保「ご苦労」
砂川「しかし、中井の名前でとってしまいましたが」
大久保「別に構わないだろう。おまえ一人で口説き落とせとは言わない。俺もついてく。俺がついてるから、せいぜい口説け。手に余るようなら、俺が出てく」
進「あの、自分は」
大久保「おまえが出て行くのはおかしいだろう。おまえがアポとったわけじゃないんだから」
進「だけど名前が」
大久保「砂川が合格してからつじつま合わせるよ」
進、釈然としない表情。
× ×
一条(一期先輩)「よし、行くぞ」
と、砂川を連れて出て行く。
× ×
相変わらずテレコールが続いている。
進、同じことを続けてかなり憔悴している。
そこに知子がやってくる。
知子「中井さん」
進「はい?」
知子「今日、誕生日ですよね。五月二十日」
進「はい」
知子「おめでとうございます。記念品です」
と、包みを渡す。
進「あ、どうも」
知子「それからこれも」
と、同じ包みを渡す。
知子「あたしも今日が誕生日なんです」
進「へえ。おめでとうございます」
知子、じっと進を見ている。
進「(はたと気づいて)あ、記念品です」
と、一つ余分に渡されていた包みを、改めて知子に渡す。
知子「ありがとうございます」
ふたりの視線が自然と混じり合う。
それから、知子は離れていき、進はその姿をちょっと目で追う。
その間に、大久保と砂川が帰ってきている。
大久保「(進の様子を見逃さず)うちでは割と社内結婚多いんだ。おまえ、杉山さんどうだい」
進「いえ…(曖昧な笑いを浮かべてやりすごす)」
大久保「(大声で)ちょっと、みんな」
一斉に市内の社員たちの注目を浴びる。
一条「見てやってくれ」
と、鞄を持った砂川を前に押しやる。
砂川、顔が青ざめている。
そしてうながされるままに、持っていた鞄をどんと机に置く。
開けると、一万円札の札束がざっくざく。
一斉に嘆声が漏れる。
「あるところには、あるもんだ」
誰かが呟いた。
大久保「(進に)おまえも早くアポとれ。外に出たいだろう」
進「はい」
と、鼻をうごめかせる。
大久保「酒臭いだろ。俺じゃないぞ。このカネの持ち主だ」
進「いいんですか」
大久保「いいんだよ。普段から呑んでるみたいなんだから」
× ×
淡々と相場の数字とグラフを壁のボードに書いていく知子。
急激に下落しているのがわかる。
× ×
砂川が電話で応対している。
「(脂汗を流しながら)申し訳ありません。いえ、そのようなことは決して。
一条、俺が代わるといった手つきで受話器を受け取る。
「お電話代わりました、一条と申します。…いえ、これ以上追加証拠金が遅れますと、最初の証拠金がまるまる損するだけでなく、それと同じくらいの損失が出ますので、はい。もうお急ぎいただかないと。正午までです。それ以上遅れたら、つぎこんだ証拠金の倍の損失がでますので」
電話の向こうから思い切りの大声で喚く客の声が聞こえてくる。
電話を切る一条。
砂川「大丈夫でしょうか」
一条「何が」
砂川「あれだけあった札束が消えて、それに加えて証拠金って」
一条「いいんだよ。こっちの手数料は増えるんだから」
砂川「でも」
一条「でももストもあるか。こちらの儲けのことだけ考えていればいいんだ」
× ×
知子が新入社員たちに新しい名刺の箱を配って歩く。
進、箱を開けて「中井進」という自分の名前を確認する。
砂川は、心ここにあらずという感じで箱の蓋も開けようとしない。
知子、ちょっとけげんそうに見ている。
× ×
テレコールを続けている社員たち。
時計が正午をつけている。
砂川、突然、注魂を始める。
自分の椅子を丸めた新聞で叩きながら、
「やる気ーっ、やる気ーっ、 やる気のーっ、ない奴はーっ、とっととーっ、出て行けー」
と、研修でやっていたのと同じように叫ぶ。
周囲はややけげんそうに引いて見ているが、特に何も言わない。
砂川、何かをゴミ箱に捨てて、そのままことこと出て行く。
他の社員も昼食を摂りに出て行く。
× ×
午後一時過ぎ。
またテレコールが始まっている。
突然、ドアが乱暴に開けられ、血相を変えた男が乱入してくる。
男「中井っ」
進、びっくりする。
男(菅原)「中井はどこだっ」
一条が腰を浮かせかけるところを、
進「私です」
菅原「おまえが、中井だと」
と、酔ったような目つきで迫ってくる。
菅原「電話してきたのは、おまえだな」
進「え」
菅原「おまえに騙されたせいで、俺は破産だ。どうしてくれる」
一条、割って入る。
一条「ええ、ここは上司である私がお話を伺いましょう」
菅原「」
大久保、進を菅原から引き離して連れて行く。
大久保「(小声ながら怒鳴るように)砂川はどこだ」
進「わかりません」
知子、ゴミ箱から小さな箱を拾う。
開けてみると、「砂川昇一」の名刺がびっしり。
進「(それが目に入って、顔つきが変わる)」
菅原がまた進に迫ってくる。
菅原「おまえが中井だな」
進「はい」
菅原「俺に電話をかけてきたのは、おまえだろう」
進「…いいえ」
菅原「他に中井って名前の奴がいるのか」
進「いいえ」
一条「(割って入る)声でわかりませんか。電話したのはこいつではないんです」
菅原「いや、こいつだ」
一条「私と一緒にお尋ねしたでしょう」
菅原「(じろじろと一条を見て)知らんぞ、おまえなど」
一条「私がご説明したじゃありませんか」
菅原「わかっているのは、中井という名前だけだ」
一条「なんでそれだけわかってるんです」
菅原「メモしたからな。メモしておかないと、みんな忘れる」
大久保「(舌うちして)アル中が」
進「だけれど、私は電話していません」
菅原「じゃあ、誰が電話したんだ」
進「私の同僚の砂川という男です」
菅原「なんでそいつがおまえの名前を騙ったんだ」
大久保「(進を突き飛ばすようにして)余計なこと言うな。砂川を探しに行け。(知子にも)おまえもだ」
出て行く進と知子。
まだ菅原がわめいている。


○ 蛎殻町
黙って並んで歩く進と知子。
知子「辞めるんでしょうね」
進「え」
知子「名刺、捨てていた」
進「そうみたい、ですね」
知子「もったいないな」
進「まったく。四十日も合宿したのに」
知子「私がもったいないと言ったのは、名刺がゴミになったことですよ」
進「え」
知子「頑張ったから価値があるってものじゃないでしょ」
進「そういえば、研修のときも女子は別のバスに乗っていたと思うけれど、何研修したんですか」
知子「何ってことないです。挨拶のしかた、電話の受け答え、朝一番に出かけたら全員の机の上を掃除して、お茶を入れる用意をする。そんなとこ」
進「ふーん」
知子「だから研修らしい研修なんてしてない」
進「まあ、上が堂々と言ってたものな。男と女とでは、役割が違うんだ。これは差別ではなく、区別だって」
知子「よく言う言い方ね」
二人、立ち止まる。
進「ああそうだ。中井進です、よろしく」
知子「杉山知子です。よろしく」
ちょっと迷ったようにしてから、握手する。
進「…(気がつく)」
知子が婚約指輪をしていることに。
進「その指輪は…」
気づくと、進も同じ指輪をしている。
かっかっという、馬の蹄の音が聞こえる。
見ると、ベン・ハーに乗った高円がやってきている。
その傍らに、砂川が従っている。
進「(あえて高円を無視して)砂川」
砂川、返事しない。
進「辞めるのか」
× ×
総務部で「砂川俊一」の名刺がシュレッダーにかけられる。
× ×
砂川「おまえはどうする」
× ×
業界紙の見出し「三光商品に業務改善命令」
× ×
さらに「中井進」の名刺もシュレッダーにかけられ、ばらばらになる。
× ×
進「結局、登録外務員資格を持っていない社員に勧誘させたという件で、通産省から業務改善命令が出たわけだが、大損させて追加証拠金をしこたま儲けたことにはおとがめなかった」
砂川「余計なことしやがって」
進「どちらにしても辞めていたんじゃないか」
砂川「俺がか。おまえがか」
進「両方だろう」
はっとなって、周囲を見渡す。
周囲は蛎殻町ではなく、


○ 南の島の砂地
になっている。
進「知子…知子っ」
知子、高円に向かっていく。
進「知子っ」
知子、振り返る。
知子の目がゾンビのそれになっている。
進「知子、よく見ろ。そいつは英雄じゃないぞ」
進の後ろからわさわさ迫ってくる者たちがいる。
振り返ると、三光商品の社員たちがゾンビになって迫ってきている。
また前を見ると、高円の背後から戦死者たちが迫ってきている。
高円、四四式騎兵銃(ボルトアクション式)を携えている。
知子、指輪を外して、高円に差し出す。
高円、受け取り、自分の指にはめる。
進。
× ×
知子、自分の「杉山知子」の名刺を持ってシュレッダーの前に立っている。
その名刺も、シュレッダーで粉々になる。
× ×
壁の相場表を大きなモーションで消す知子。
× ×
知子の目が元に戻っている。
傍らで、ベン・ハーが膝を折る。
地面に降り立つ高円。
そのまま横たわるベン・ハー。
高円、おやという顔をする。
息たえだえでいる馬。
進「愛馬の世話もしてなかったみたいだな」
知子、高円の銃を指輪の代わりに受け取って構える。
進、身構えて警戒する。
傍らから、進自身の声が聞こえてくる。
「俺はーっ、三光商品のーっ、中井だーっ」
傍らにゾンビになったもう一人の進自身がいて、注魂をしているのだ。
知子、じいっとを見ている。
銃をぶっ放す。
ゾンビの進の頭が吹っ飛ぶ。
本物の進の方は無事。
死にかけたベン・ハーの目が開く。
ぬうっと山のような巨体がせり上がるように立ち上がる。
高円「(圧倒され)ベン・ハー…」
ベン・ハーが後ろ足で、高円を蹴飛ばす。
高円の頭がスイカのように砕けて飛び散る。
ゾンビたちが解散していく。
ベン・ハーもどこへともなく消えていく。
高円の全身が霧のように薄れて、消え失せる。
指輪が宙に浮かび、地面に落ちる。


○ 地面
は、街のアスファルトでもなく、南の島の砂地でもない。
日本国内の小さな教会の床だ。
その床に落ちた指輪を拾い上げる正装した知子。
進も正装した姿で並んで立っている。
前にはしれっとした顔で諫早もいる。
諫早「では、指輪の交換を」
あとは親族だけのつつましい式。


○ 職業安定所(フラッシュバック)
係員A「商品取引業ですか。あそこは昔から小豆を赤いダイヤとかいった相場で大問題起こしたりするところでね。嫌悪職って言葉ご存知ですか」
進「いいえ」
係員A「嫌われるケンオですね」
進、憮然とする。
係員A「SEやってみるつもりありませんか」
進「エスイー?」
係員A「システムエンジニア。今だったら、適正検査に合格すれば確実に入社できますよ」
進「やってみます」


○ 指輪の交換


○ 職安
係員B「総合職ですか」
知子「ええ」
係員B「これまで一般職だったのでは」
知子「いけませんか」
係員「いえ、でも難しいと思うけど」
知子「とにかく」


○ 小さな教会
から出てくる知子と進。
目の前に広がっているのは、現代の日本の街。
【終】




黒五輪 (シナリオ) 1/2

2021年06月15日 | 黒五輪
【人物表】

高円武一   元陸軍軍人 オリンピック馬術メダリスト
            欧米の社交界の通称「バロン高円」(の亡霊)
       言わずもがなだが、このネーミングはサシャ・バロン・コーエ ンのもじり
中井進   27    南方の S 島で結婚する予定で来島
杉山知子   26   進の婚約者 霊感あり

諫早寛治    55  結婚式用チャペルの司祭  ホテル経営者でもある
          ありえないくらいさまざまな顔を持つ男


長島和彦    58 遺骨収集団団長 参議院議員
佐伯良子    65  遺骨収集団団員
佐伯義典    33  遺骨収集団団員 良子の息子

木田佐智    42  ジャーナリスト

川地  45 商品先物取引会社・三光商品の会長
大久保 30 三光商品の係長
一条  27  三光商品の主任

砂川俊一 進と知子と同期入社
石田敏男 進と知子と同期入社


○ ロウソクの炎
暗がりで輝いている。
次第に離れていくと、じいっとそれを見ている女の姿が視界に入ってくる。
肘をついて顔を横に倒し、物憂げな視線を炎に向けるともなく向けている。
その視線が炎に集中する。
炎が揺らめく。
視線が集中するにつれ、炎の揺らぎが大きくなり、ついにはふっと消えてしまう。
「どうしたの、明かりもつけないで」
男の声が響き、扉が明けられたらしく、さっと周辺が明るくなる。
ここが教会の中であることがわかる。
「なんでもない」
女が答えて、明るく笑ってみせて、男に寄っていって首に手をまわしてキスする。
女(杉山知子・26)「ここは暗いわ」
男(中井進・27)「やはり外でやった方がよさそうだ、おいで」
と、誘って外に出る。
いや、壁がすーっと動いて屋外になる。
まぶしいばかりの日光がさんさんと照り注ぐ南国の風景。
進「中より、絶対こっちがいいよ」
知子「ほんと」
結婚式場のパンフレットそのままの風景が目の前に広がっていた。
しばらく風景に見入っている二人。
青い空、青い海、白い砂浜、それから純白のチャペル。
それはCMかパンフレットのイメージそのままだった。
知子「きれい」
進「本当に」
ふたりが嘆声をあげた。
その声の調子も表情も、CMの幸せを記号的に表現した俳優の芝居をなぞったようだった。
もっとも二人は俳優ではないから、いくぶんぎこちなくはあったが。
もっと言うなら、いかにもこういう時は感心してみせなくてはいけないだろうという常識に従った嘆声だった。
いや、すうっとカメラが引くと、風景がそのままパンフレットの写真であることがわかり—
また元に戻る。
(全編にわたり、空間は絶えず外=内や実物=作り物の間を行き来する)
進「やはり身内だけというのはどうかな。後でいろいろ言われないか」
知子「それ言い出したらきりがないもの。いまここでふたりだけで挙式してしまってもいいんだし」
進「それはちょっと」
知子「ちょっと何よ」
進は言葉を濁した。
知子「世間体が悪い?」
進「そうじゃなくて」
知子「せっかくこの空と海とチャペルがあるんだから、それ以外何もいらないでしょう、ねえ、神父さん」
と、知子はいつのまにかそばに寄ってきていた神父に話をふった。
神父(諫早)「いえ、やはりご親族やお友達、仕事関係の方々もお招きした方がよろしいかと存じます」
にこやかに言う。
さっきからずうっとにこやかに浮かべている笑みが張り付いたようで動かない。
諫早「ホテルもご用意できますし。経営者と親しくしておりますので、お安くご案内もできます」
進「いいですね(上の空)」
諫早「リハーサルしてみませんか」
と、体を斜に構えて誘った。
真っ白な式台の前に緑の芝生が広がっている。
一目瞭然で人工芝であることがわかる、鮮明な緑色だ。
「式本番では、ここにやはり真っ白な椅子がずらりと並びます。緑に純白が映えて、それはもう綺麗ですよ」
うんうんと知子がうなずいている。
知子「雨降ったりしないでしょうね」
諫早「雨?(一笑に付して)この島くらい天気のいいところはありません。お二人の文字通りの晴れの門出にこれほどふさわしい所はないと存じますが」
相変わらず諫早がにこやかに言った。
進「台に乗っていいかな」
割って入った。
諫早「おひとりづつどうぞ。お二人揃うのは、本番までとっておくとしましょう」
と、まず進を促した。
一歩進んだ進は、台の上に立って式でそうするように横を向いた。
「こんな感じか」
諫早「では、新婦さまも」
言われるままに進と入れ違いに台に立つ知子。
進「指輪持ってきているけれど、はめてみるかな」
諫早「よろしければ」
進、ポケットから指輪のケースを出して諫早に渡す。
そして片方を知子にはめる。
それからもう一つの指輪を知子が進にはめようとすると、指輪に太陽の強い光が六方にきらめく(光り方には独特のクセがある)。
それが知子の目をくらませて、はめ損ねて取り落としてしまう。
知子「いけない」
と、あわててかがんで落とした指輪を探そうとするが、また目がくらむ。
どこから光が来るのか—
遠くの海からか。
進「おっちょこちょいだな」
と自分がかがむ。
人工芝から外れた砂地に指輪が転がっているのに手を伸ばす。
と、その手を避けるように指輪が砂地にひとりでに沈む。
進「あれれ」
と、手を砂地に突っ込む。
探すが、出て来ない。
進「ない」
知子「ないってことないでしょう」
と、突っ立ったまま遠くの光になぜか気を取られている。
進「(なおも探しながら)ないぞ」
知子「(真剣になり)冗談じゃないわよ」
と、かがんで一緒に探し出す。
知子「なくなるわけないんだから」
進「落としたのはそっちだろう」
知子「ちゃんと受け取らなかったのは、そっちでしょう」
諫早「まあまあ」
と、言うが、今度は知子の代わりに遠くの海の方に気をとられている。
知子は顔を地面に顔をすりつけるようにして探す。
進「(同じように探すが)ないな」
知子「そっち探した?」
進「意外なところに飛んでいったりするから」
砂地を見ていると、一部がへこむ。
おや、という調子で見ているとそのへこみが移動していく。
モグラか何かが移動しているように。
その動きに導かれるようにチャペルから離れていくふたり。
真っ青な空に、一瞬稲光が走った。

○ チャペルから少し離れると
人工芝が途切れ、乾いた砂地が続くようになる。
進が歩いていくと、砂地から妙なものが顔を出していた。
差し渡し、十メートルくらいだろうか、すっかり砂に覆われて全体の形はわからないが、上の方はかつて水平だったのが長い年月のうちに傾き、でこぼこになっている。
だが、損壊していても人工物であることはその形状からわかった。
知子「何、これ(さわってみる)」
と、何か電流でも流れたようにびびっと感じる。
しかし、進は探すのにかまけて気づかない。
彼方の海から誰かが近づいてくる。
いや、ふたりは気づかなかったが、だいぶ前から近づいてきていたのだ。
一人ではない、数ははっきりしない。というより、数人が固まって朦朧とした塊になっているので、はっきり分けて数えることができない。
その塊がまぶしい日射しの中、次第に進んで大きくなってくる。
進は地面と建築物にばかり気を取られていたので気づかなかったが、ふと知子が建築物の前で立ちすくんでいるのを見ている。
進む「どうした」
声をかけるが、答えはない。
ざっざっざっと塊が近づいてきた。近づくとともにその塊はひとりひとりの輪郭がはっきりして、日本人たちの集団であることがわかってくる。
やっと進が気づいて、集団に目を向けた。
日本人ばかりだ。
日の丸の旗を持っているのもちらほらいる。
青空がやや灰色っぽくなり、海が遠くからでも毛羽だっているのがわかる。
集団は散らばり、それぞれ手にしたシャベルやツルハシで周囲の地面を掘り返しはじめた。
諫早「いらっしゃいませ」
と、にこやかに迎える。
進「呼んだんですか、この人たちを」
諫早「ここは観光地でもありますから。それに、私はホテルも経営しておりまして、あるいはホテルの方のお客さまかな、とも。はい」
進「(いーっという顔)」
集団につられたように、知子は手を再び砂地に突っ込む。
指先に探していた指輪をつまんで引き出した—
しかし、砂の中から磁力のような力が働いて、指輪はまた砂地の中に吸い込まれる。
それを眉ひとつ動かした程度で、それほど驚かないでいる知子。
進は集団の行動に気をとられて、知子の様子には気づかない。
進「すみません、何をしていらっしゃるのですか」
進の問いに対して、集団の傍らに立っていて、自分は掘り返す作業に加わらない、ちょっと雰囲気の違うあか抜けた感じの女(木田佐智・42)が答えた。
佐智「遺骨収集です」
進「イコツ?(意味がわからない)」
佐智「戦争で亡くなった人の骨ですよ」
進「戦争?」
佐智「そうです。これは」
と、砂に覆われた建築物を示して、
佐智「トーチカです」
進「トーチカ?」
佐智と進のやりとりの間、奇妙に心ここにあらずといった風情になっている知子。
佐智「わからないかな、敵の攻撃を防ぐためにベトンで固めた前線の小型基地みたいなもの」
進「ベトン?」
三たびオウム返しに問い返した進に、
「セメントのこと」
意外なところから返事が返ってきた。
答えたのは、知子だ。
知子「セメントのことをフランス語でベトンっていうの」
進「なんでフランス語を使うんだ」
知子「なんでかしらね。トーチカという言葉はロシア語だけれど」 
進「なんでそんなこと知ってるんだ」
結婚寸前だというのに、突然それまで全然知らない面を見せてきた知子に進はひどく戸惑っている。
進「軍事のことになんか、興味あったっけ」
知子は先ほどはしゃいで見せていたのとは打って変わって妙に目が座っている。
進の顔には、戸惑いを通り越して怖れに近い色が出ている。
進「よりにもよって、こんな時に」
声がうわずった。
佐智「失礼ですが、あなた方は何の御用でここにいらしたのですか」
「それは、」
よりにもよって、結婚式を取り仕切る神父に言われるとは、という言葉を飲み込んで、
進「結婚式の下見です」
佐智「そこのお嬢さんと?」
進「ええ」
佐智「あそこで?」
と、チャペルを示す。
進「ええ」
と改めてチャペルを振り返って見る。
相変わらず真っ白な建物だったが、空が曇るとともにその白さもくすんで見える。
佐智「あなたは—」
進「はい?」
佐智「あのチャペルで結婚式を挙げると。なるほど、なるほど」
ひとりでうなずく。
進は少しいらついた。
進と佐智のやりとりの間、知子はまたしゃがんで砂地に手を突っ込む。
佐智「失礼しました。私、フリージャーナリストの佐智と申します」
進「はあ」
佐智「なんでチャペルと、このトーチカがこんなに近い場所にあると思います?」
進「(いきなり訊かれて、戸惑って)さあ、トーチカとは何かもよくわかっていないのに」
佐智「トーチカというのはですね」
知子「(話を引き取って)トーチカというのは、戦争の時に立てこもって相手の砲弾を防ぎながら立てこもって銃を撃つための施設」
すらすらと説明したのを、進は半ば呆然としたような顔で見ている。
何かに取り憑かれて、別人になっているのではないか。そうとしか思えない。
進「軍事オタクとは知らなかったなあ、あはははは」
間の抜けた、ひきつった笑い声が進の口から漏れた。
知子は進には一瞥もくれず、また地面を掘っている遺骨収集団を大股で避けながらトーチカの周囲をぐるぐる巡りだす。
ただ歩き回っているのではなく、何か地面の下に埋まっているのを嗅ぎ当てた犬のように鼻面をすりつけるようにして、探しまわっているようだ。
進は先ほどまでの空と海があまりに青いので自分の頭がどうかしてしまったのかと疑った。すこし頭を叩いてみたが、目の前で起ったことも聞こえた言葉も変わりはしない。
知子がトーチカから離れた。
すると、収集団の一同もそれにならうように散開した。
全員南国にふさわしい明るい軽装をしているにも関わらず、何かの儀式を執り行っているような物々しい動作と雰囲気だ。
風が鳴っている。
ここからは見えないが、海の波も荒れているようだ。
収集団がぐるぐるその場で回りはじめた。狼狽しているようにも、興奮していても立ってもいられないようでもある。
地面も鳴り始めた。
進「地震?」
思わず呟いた進に知子が返した。
「違う」
十振動は地面の底から伝わって来るのではなく、トーチカそのものが振動しているのだ。
振動しながら地面に埋もれかけていた巨大なコンクリートの塊が轟音と共にせり上がってきた。
特撮ものの映画で秘密基地が地下から姿を現すそのままの光景が目の前で繰り広がられているのを、進は呆然として見守っている。
知子は動じる気配なく見守っている。
いや、進がよく見ると、せり上がってくるのを導くような手つきをしている。
進「念力? アニメかよ」
やがて、トーチカの動きが止まった。
先ほどまでの傾きがせり上がってくる最中に修正され、まっすぐな上辺は本来の水平線を描いている。
巨大な石製の舞台のようだ。
三々五々、散らばっていた日本人たちが集まってくる。
進が気づくと、知子が意識を失って倒れている。
進「知子っ」
急いで駆け寄って助け起こすと、やがて意識を取り戻す。
知子「ここは?」
いぶかしげにあたりを見渡す顔には、先ほどまでの何かに取り憑かれたような様子はなくなっている。
進「気がついたか」
知子「何、これ」
目の前にたちふさがっているコンクリートの壁に気圧されたように知子は後ずさった。
進が肩を貸して立ち上がらせると、知子をトーチカから離した。
改めて巨大で無愛想なコンクリートの塊を見渡して、
知子「何これ」
進「知らないのか」
知子「知ってるわけないじゃない」
進「トーチカだ」
知子「何、トーチカって」
進「知らないの?」
知子「知ってるわけないじゃない。何それ、お菓子?」
進「戦場に作ってたてこもるコンクリート製の砦」
知子「センジョウ?」
進「戦争をやっている場所だよ」
知子「戦争?どこが?」
進「ここ、らしい」
知子「なんでそんなこと知ってるの」
進「君が教えてくれたんだよ」
知子「うそぉ」
嘘をついている顔ではない。
進「本当だって」
知子「あたしがそんなこと知っているわけないじゃない」
横から口を出してくる男がいた。
長島「お若いのに良くご存知で」
口を挟んできたのは、収集団のリーダー格らしき貫禄ありげな男性(長島和彦)だ。
長島「お見かけしたところ、あそこのチャペルでご結婚式を挙げたか、挙げるご予定かと存じますが」
知子「(不思議そうな顔をして)ええ、そうですけれど」
長島「なぜトーチカとチャペルがすぐ近くにあるか知ってますか」
佐智「(横から口を出す)共に見晴らしがいいからでしょう。戦争の時は敵を見つけやすいように、平和な時はこの素晴らしい風景を見下ろせるように。同じ場所でも時代が違うとなんとそのありようが違うものでしょう」
長島「よくご存知で」
佐智「これでもジャーナリストですから」
長島「へえ、なんでくっついてきたのかと思った」
肩をそびやかして、演説しだす。
長島「この島で昔あった戦争で死んだ日本兵たちの多くは、それきりここに放り出されたままで、骨も日本に帰ることができないでいる。その骨を探しに遺族たちがやってくる。遺骨にこだわるというのは、かなり日本に独特の習俗らしくて、外国人には不思議そうな目で見られることもあるというがね。ともかく、戦争が終わって50年近く経っても、まだ探しにくる人たちは絶えることはない。それをずっと支え続ける必要があると思うのだよ。日本人としても、政治家のはしくれとしても」
近くから声が聞こえた。
「あった」
進と知子と浜子は一斉に声のした方を見た。
収集団のひとりの年配の女性(佐伯良子)が小さな塊を捧げるように持っている。
良子「父ちゃん、寂しかったろう」
とその骨らしき物体を抱きしめるようにしてぼろぼろ泣き出した。
進「骨、なのかな。こんなに浅いところに埋まっていて、今まで見つからなかったというのもおかしな話だけど」
諫早「これがせり上がってきたからではないかな」
と、進はトーチカの腹を手のひらで叩いた。
進「これがせり上がってきたのに巻き込まれて下にあった物が一緒に上がってきた、とか」
良子「(突然、弾けるように怒る)ぺたぺた触るんじゃないっ。国のために戦って死んだ人の墓ですよ。亡くなった人を敬うということを知らないんですかっ」
知子「これ、墓なんですか」
知子が特に悪意がある調子でもなく返して、続けた。
知子「トーチカというんでは」
良子「な、な、な」
急激に血圧が上がってきたようだ。
良子「生意気な。これだから今の若い者は」
息が切れた。
改めて息を整えてからまくしたてる。
良子「どれだけの犠牲の上に日本の繁栄があると思ってるのっ。わたしたちは食べるものもないところから働きに働いて、戦後の日本の経済成長と繁栄を築いた。それも知らないでのほほんとすぐそばで眺めがいいチャペルで結婚式を挙げましょうですって?これでは日本の未来は暗いわ」
佐智「あの」
と、あまり怒ったようでもなく答えた。
佐智「戦争の犠牲と繁栄は別のことではないでしょうか。戦争がなかったらそのまま犠牲も出なくてスムースに繁栄できたのでは」
良子「なんですって」
また良子は怒鳴りかけるが、怒り過ぎて言葉が詰まって出て来ない。
突然、トーチカの方から鋭い音がした。
堅いものがぶつかり弾けたような短い音だ。
皆、何だ、という顔を一様にしている。
しゅっ、と風を切る音がまた進の耳元をかすめた。
何だろう、と思うより先に、トーチカのコンクリートの一部が破裂したように剥がれた。
弾痕だ。
びしっびしっびしっと、いくつもの弾痕がコンクリートの表面を走った。
さらに空気を切ってくる物がある—、
五メートルと離れていない場所で砲弾が炸裂し、進たちが一斉に吹っ飛んだ。
—と、思ったが、轟音と爆発に思わず身を縮め、とびすさったのだが、身体にダメージは受けていない。
戸惑いながら、自分の身体に傷はついていないのを確かめる。
進「爆発、だったよな」
誰に言うともなく、言った。
長島「弾が飛んできて、そこに当たった」
と、コンクリートの表面の傷を指した。
佐智「初めから、ついていた傷じゃない?」
またトーチカの銃眼の中からごそっという音がし、ぬっと重機関銃の太く長い銃身が突き出される。
まさか、とそこにいる人間たちが見守る中、機関銃はすぐそこにいる人間たちなどまったく目に入らない調子で轟然と火を吹く。
一瞬、至近距離で銃弾を受けて、進も知子もばらばらになった。
と思ったら何事もなかったよう。
あわてて引きちぎられた、と思えた身体の箇所をおのおの叩いて確かめた。
幽霊に銃弾が突き抜けたように。
あるいは、銃弾と銃の方が幻なのか。
白昼夢のように、同じ場所に平和な人間たちに戦争で交わされる銃弾と砲弾が二重写しになっては、また消え去る。
進「どうなっているんだ」
拡声器の声が風に乗って来る。
「死んではいけない、死んではいけない」
妙な訛りのある日本語だ。
拡声器の声「シんではいけない、バロン・コーエン」
それを聞いて、佐智が妙な顔をした。
佐智「バロン・コーエン?」
さらに拡声器の声は続く。
もう風に乗って流れてくるのではなく、かなり近くから聞こえるのだが、拡声器そのものもその声の主も姿は見えないのに、声だけは聞こえてくる。
拡声器の声「ワタシタチはアナタをソンケイしている。シんではいけない、バロン・コーエン」
そう言いながら、ぴしっとまたトーチカに着弾した。
進「死んではいけないって言いながら、撃ってくるなよ」
拡声器の声「トーチカから出てきてほしいと、われわれは心からお願いする」
それに答えるように、どん、という音がトーチカの中からした。
一同は黙り、音のした方を向く。
またどんという重い音が分厚いコンクリートの内側から響いた。
戦闘中は銃を突き出すであろう横に長い穴から、何かが中で蠢いているのがうっすらと見える。
それから、それに比べると軽い音が続けて聞こえた。何か堅いものでコンクリートを叩いているようなガツンガツンという耳につく高い音が連続して、そして収まった。
突然、分厚いコンクリートの壁が外に向かって爆ぜた。
爆弾や砲弾による破裂とは違う、巨大な掌で内側から突き破られたような飛び散り方だった。
周囲にいた人間たちは思わず跳びすさった。
飛び散った大ぶりのコンクリートの塊と砂煙に囲まれたトーチカの分厚いコンクリートの壁にぽっかりと穴が空いている。
おそるおそる一同が集まってきたところで、奇妙な音が穴の向こうから響いてきた。
括、かつ、というコンクリートを堅いものが叩いている、軽めの音だ。
それに混じって馬のいななきが聞こえた。
一同は思わず顔を見合わせた。
なんでこんなところに馬がいるのか、という顔だ。
かつかつという音は、馬の蹄がコンクリートの床をギャロップしている音か。
それを人間の掛け声が鋭く破った。
「はいっ」
やおら、いななきが高らかに響き、ひとりの軍服を着た男が跨がった巨大な馬が、穴から飛び出してきた。
馬に翼が生えているのかと思えるほどの風がその巨体に伴って轟っ、と吹きすさんだ。
象かと見紛うばかりの巨大な馬だった。
それに乗っている男も、座っているにも関わらず威風堂々とした偉丈夫であろうことが一目でわかった。
長い強力な脚、背筋の強さを容易に伺わせるまっすぐ伸びた背筋、細身だがよじり合わせたような強靭な筋肉を式典用であろう美々しい軍服が覆っている。
収集団が一斉に嘆声を放った。
一様な服装といい、声の合わせようといい、ギリシャ悲劇におけるコロス(コーラスの語源)のようだ。
男が、拍車を鳴らした。
馬が巨体に似合わぬ身軽さでだっ、だっ、だっとトロット(速歩)で駆け出した。
あれよあれよと見送る一同。
馬の歩調が速くなり、キャンター(駆歩)に切り替わった。
人馬一体となったふたりは、そのままスピードを早め、ギャロップ(襲歩)となって大きな円を描いて周辺をぐるぐる駆けていく。
いつの間にか、走っていく前方に障害物が設置されている。
ふたりは、軽々とその障害を飛び越えた。
障害物はひとつではない。
いくつもいくつも、とても跳べそうにない高さのものを含めて、ふたりの前に立ちふさがっている。
しかしどれもいとも軽々と跳んでしまう。
ともに翼を生やしているかのようだ。
気づくと—
あたりの様子が変わっている。
風光明媚な自然の風景にかぶって、巨大なスタジアムの姿が現れる。
オリンピックが開催されているスタジアムだ。
広大なフィールドのそこここで各種の競技が開催されている。
そのひとつ、馬術での障害物の飛越競技を演じている。
進がふと気づくと、知子がほとんど陶然となっている。知子だけではなく、そこにいる収集団の女性たち全員がそうだ。
佐智ですら、そうなっている。いや、女性に限らず進自身がいささか魅了されている。
佐智「(佐智が我知らず呟く)なるほど、バロンだ…」
進「バロンって?」
佐智「男爵。貴族よ。高円武一は本物の貴族だけど」
進「高円武一って誰」
佐智「ああ…」
佐智はため息をついた。
佐智「(一気にしゃべる)1932年のロサンゼルスオリンピックの金メダリスト。馬上飛越競技、つまり障害物競走だな。馬術はヨーロッパが本家で、日本はまったくのノーマークだった。そこに無名の東洋人が現れて日章旗を掲げたのだから世界が驚いた」
幻のスタジアムから、どよめきと拍手が轟いてくる。
それに聴き入る日本人たち。
その中では進だけ置いてけぼりをくったようにきょとんとしている。
ふと気づくと、進以外の皆が小さな日章旗を振っている。
諫早や知子も含めて。
佐智だけは日の丸の旗だ。
佐智「中途半端だな」
と、日の丸を投げ捨ててから、話を続けた。
佐智「彼の生い立ちから始めよう」
当時の日本と中国の地図が頭上の半球いっぱいに浮かび上がった。
佐智「彼の高円英作は父親は大物外交官で、日清戦争の時の清の日本大使だった」
物々しいフロックコートに、ピンとはねた口髭を生やした険しい顔の男。
佐智「初めての息子だったけれど、母親は昔の言葉でいう二号、お妾さんで。腹は借り物って時代のことだ、跡取りを産んだら用済みと手切れ金をやって追い出された。そういうわけで武一が小さい時は、父親は多忙で家に寄り付かない、母親はいないで、非常に孤独な少年時代を過ごした。その中で、まず凝るようになったのはラジオの組み立て。それからもっと大きくなると生涯の友と出会うことになる。つまり、馬ね」
闊歩している巨大な愛馬と、それに跨がった武一。
佐智「彼の愛馬になったベン・ハーはイタリア生まれの、あの通り巨大な馬で。彼以外が乗りこなすことはできなかった。彼は当時の日本人離れして背が高く脚が長く、しかもその脚の力が非常に強かった。あの巨大な馬は普通の日本人には跨がるのも難しいくらいだったけれど、彼だけは彼を乗りこなし、その強大な馬力を引き出し操ることができた」
「話が前後するけれど、彼が十二歳のときに父親が亡くなって、莫大な財産が遺された。それで自由に振る舞えるようになって、ずいぶん社交的にもなったけど、馬と一緒にいる時が一番だったみたい。それから恵まれた体格を買われて軍隊に入って騎兵になった。それからいくつかの馬を経てベン・ハーと出会う。互いにとって運命的な出会いだったといえるだろう。オリンピックで金メダルを獲得したのは、もう言ったでしょう」
進「ええ」
さらに佐智の長広舌は続く。
佐智「もともとオリンピックというのはヨーロッパの白人社会の上流階級の、あえていえばエリート主義の産物で、近代スポーツ自体が、19世紀イギリスが起源といっていいわけ。もとより、スポーツくらいできる人できない人の差の激しいものはないのだから、本質的にエリート主義的なものだけど。だから日本は世界の一等国として認められるために執拗にオリンピックにこだわり、日章旗を掲げることにこだわった。だから高円が金メダルを獲得した意義は大きかった。高円は軍人で、各国のライバルたちも軍人だったからなおさらその勝利は国の勝利と受け取られた。
それで、彼は国際的な名士になって、背か高くて格好が良かったこともあって、あちらの上流階級のパーティーに招待されて民間大使のような役割を果たすことも増えた。その意味では期せずして父親を超えたともいえる。
だけど、世界はどんどん戦争に傾斜していく。この次の1936年のベルリンオリンピックはナチスドイツのプロパガンダの舞台になった。映像とスポーツの組み合わせで国策を宣伝するのは、このオリンピックからだ。それはテレビ時代になっても続くことになる。いや、テレビというもっと大勢を相手にするメディアと結びつくことでもっと巨大化する。
話を戻すと、たとえば聖火ランナーという映画栄えのするイベントを始めたのはベルリンオリンピックで、のちになってナチスがポーランドなどを侵略するルートがこの聖火ルートになってたりする。ここは第三帝国の領土だとオリンピックと映画を通じて宣言していたわけね。そしてそのドイツのポーランド侵攻がつまり第二次大戦の始まり。
日本はそのドイツとあとイタリアと同盟を結びます。ヨーロッパで戦争していてもなかなかアメリカは参戦しないでいけれど、日本が真珠湾攻撃をかけたことで一転して参戦する。日本は初めは勝っていたけれどだんだん負けがこんできて追いつめられてくる。南方の島々を占領していたけれど、それも順々に奪われていく。
高円は大佐としてその島のひとつに駐屯し、アメリカ軍を迎え撃ったけれど、圧倒的な火力の前に追いつめられて、以後行方不明。戦死したと推測されている」
長島「(横から割って入る)その前に、アメリカ軍から死んではいけない、バロン高円、出てきて投降してほしいと呼びかけがあったという話がある。忘れてもらっては困る」
進「そういえば、さっき彼が」
と、先ほどトーチカから飛び出してきた馬と騎兵を振り返ろうとした。
しかし、いつのまにかその姿はどこかに消えている。
進「あれ、どこに行ったかな。とにかく彼が飛び出してくる前に妙な声が聞こえた。バロン高円、死んではいけない、バロン高円、我々はあなたを尊敬している。出てきて投降して欲しいと我々は心からお願いする、と。と。しかし、結局高円は姿を見せず、いつどう戦死したのか、あるいは自決したのかわからない。ちなみに、引退していた愛馬ベン・ハーはおそらく高円が戦死しただろうと推測される日の一週間後に、後を追うように息をひきとったわけで」
知子「ドラマみたいですね」
感動の色が浮かんでいる。
佐智「そうだけれど、噂ですよ。噂。伝説」
あっさりと佐智は否定した。
佐智「日本側にも、アメリカ側にもじかにそういう呼びかけを聞いた人はいません。それに、仮にそういう呼びかけがあったとしてバロンという言い方をしなかったでしょう。高円隊長たか、高円中佐といった言い方をしたはずです。軍人として対峙していたのだから。
ただ、どうしてそういう伝説ができたかはわからないでもありません。
戦争でボロ負けに負けてマジメに平和国家を目指していた頃の日本で、平和の象徴だったオリンピックでつちかった友情が戦場でも敵味方を超えて存在していた、という願いがこの神話を産んだわけでしょう」
一同がしんみりしているところに、いま話されている悲劇の主であるところの高円中佐がベン・ハーのたずなをとりながらかっ、かっとやってきた。
進、高円のたずなをとっている手に目がいく。
そこにはめられている指輪。
砂の中に引き込まれた自分の指輪だ。
高円が誰にともなく挙手すると、六方に独特の光り方をするので同じものだとわかる。
長島「高円武一中佐ですか」
高円「そうだが」
長島「あなたは戦死したのでは」
高円「戦死?なんのことだろう。それでは私は幽霊ということか。これ、こうして脚もある。この」
と、乗っている馬をぽんと叩いて、
高円「ベン・ハーも入れれば六本もな。ははははは」
屈託のない笑い声をたてた。
長島「しかし、アメリカ軍と激しく交戦していたのでしょう」
高円「そうだったかな。よく覚えていない」
馬から降りないものだから、自然と見下ろす格好で話している。
長島「アメリカ軍から投降するように呼びかけられたという話が残っていますが」
高円「そうかもしれない。それで従ったのかな」
長島「従った?」
高円「投降した。だから助かった。死んで花実が咲くものか、とな」
また明るく笑う。
長島「陣地を死守するよう命令されていたのでは」
高円「ああそうだ、思い出したぞ。確かにそう命令されていた」
長島「ではなぜ」
高円「投降するのは恥ではない。少なくとも、欧米ではな。私は多くの欧米の上流階級の人たちとも交流が持てたが、彼らは合理的だ。実をいうと、日本の戦国武将たちもだ。勝負は時の運、武運つたなく敗れることはある。そこでムダに死に急ぎ、戦力を損耗するのは軍人のやることではない。私は投降し、生き伸びた。はずだ」
突然、笑いが消える。
高円「いいや」
ぶるっとベン・ハーが首をふるった。
高円「そうだ、私は死んだのだ」
うって変わって顔色が幽鬼のように真っ青になっている。
はるか彼方に星条旗が翻っている。
それに向かって、白旗を振る高円。
高円「だからこうして甦った」
熱にうかされたような口調で言った。
長島「死ぬには惜しいか」
高円「むろんだ」
馬上から手招きすると、知子がすうっと空中に浮かぶ。
知子「何、ちょっと、降ろして」
知子は驚いて空中で暴れる。
進はあれよあれよと見上げるしかない
知子はいったん大きく上がってから下降し、ベン・ハーの背、高円の前に跨がる。
ちょうどタンデムになるかのように。
長島「生き返ったら、何をしたい?」
高円「何もかもだ」
ぴしっと高円が拍車を入れる。
走り出すベン・ハー。
進「おい、どうしたんだ」
狼狽する進を尻目に、高円と知子を乗せて颯爽と駆け出す。
進「おいっ」
血相を変えて追いかける。
進「人の婚約者をっ」
構わず走り回るベン・ハー。
その上に跨がり、何かに取り憑かれたような様子の知子。
進の目の前で島の風景がパノラマのようにぐるぐる回転しだす。
南の島の風景に、再び競技場の幻影が重なってくる。
しかしそれは高円が前に出場したロサンゼルス大会のそれではない。
スタジアムを埋め尽くすのは、日本人の観客たちだ。
しかしそれは明るすぎて蜻蛉のように白くはかなく現れては消える。
歓喜に満ちて知子と相乗り状態でトラックを走り回る高円。
巨大な競技場がいつの間にか広がっている。
完成した競技場の姿だけではない。
建設中の鉄骨が剥き出しになった姿。
できあがってから時を経て手入れもされずに荒廃し、半ば廃墟となった姿、それら前後した時の競技場の姿が交互に、順番を無視して現れる。
それらをカメラに収め続ける佐智。
時にはスチルカメラ、あるいはムービーカメラと、とっかえひっかえして。
空いっぱいに新聞記事や白黒のニュース映像がプラネタリウムのように映写される。
「すすめ一億火の玉だ」
「GNP10.5%増」
「迷はで働け 明日は日本晴」
「贅沢は素敵だ」の「素」がついたり消えたりする。
さまざまなスローガンや見出しが、戦前戦中戦後を分類せず、順不同でごっちゃになって現れる。
そのさまざまな様相を変える時の中を走り回るベン・ハー・高円・知子と、それをどたどたと追って走り回る進。
佐智「(水をかけるように)実際には、高円がオリンピックに参加したのはロサンゼルスだけで、以後は辞退した」
高円「なぜだ。なぜ辞退しなくちゃいけないんだ。また勝てた。何度でも勝てた」
諫早「これは命令だ」
いつのまにか軍服を着た諫早が言い放つ。
高円「戦いたい戦いをやめろと言って、戦わなくてもいい戦いを戦えという」
高円の顔が突然朱をさしたように赤くなる。
高円の顔がいつのまにか変貌し、悪鬼のそれになっている。
同時に知子が半狂乱になる。
ベン・ハーが竿立ちになり、知子が落馬しかけるが、高円はふわりと身体を宙に浮かせて知子を抱き寄せ、またベン・ハーに跨がって走りだす。
恐ろしい唸り声をあげて駆け回る。
ベン・ハーの目は火と燃え、口から炎が吹き上がる。
背景で小さくキノコ雲が上がる。
高円も同様。
むくむくと砂の下からミニチュアのビル群が次々と突き出てくる。
ミニチュアのスポーツ競技場も現れる。
怪獣映画の特撮シーンのよう。
いや、大小の関係が混乱して、ミニチュアのようでも本物の建物なのだ。
高円が駆るベン・ハーの蹄に蹂躙され粉々になる競技場。
諫早が土建屋の格好をしてビル建設を監督する。
それに従って作業をしているのは、佐伯や桃田といった収集団の面々だ。
ミニチュアのように見える小さい新しいビルが、駆け回るベン・ハーの蹄の下で蹂躙される。
怨霊、あるいはほとんど怪獣となったベン・ハー=高円が暴れ回る。
進はなんとかしようとするが、手につけようがない。
佐智「まるでゴジラだ」
ぼそっと佐智がひとごとのように呟いた。
進「なんだと」
腹が立って、進が佐智に詰め寄る。
佐智「荒ぶる神とでもいうか。日本では生前徳の高い人間が恨みを呑んで死ぬと、荒ぶる神になる。古くは菅原道真みたいに、学問の神、天神になるような人が一方で雷神になって雷を落としまくって人を殺したりするように」
進「わけのわからないことを言わないでくれ」
進は諫早を無視して知子たちを追うことにした。
進「ちくしょう、どうするつもりだ」
気がつくと、知子の片手には日章旗が握られている。
さらに高円の手には星条旗がある。
大日本帝国陸軍将校が星条旗を持って走っている。
ビル群はいつのまにか時代を遡り、木造の住宅地になっている。
無数の炎が宙を舞って落ち、次々と家が燃え上がる。
振り回される星条旗で燃え上がる家々が薙ぎ払われる。
進や諫早は伏せてやりすごすしかない。
外壁が破れた塹壕からわさわさと日本兵たちが湧くように現れ出てくる。
ざっざっざっと歩調を合わせて行進する。
遺骨収集団も合流する。
ベン・ハーがぐるぐる走りまわるトラックを行進する。
それを歓声を上げて応援する大観衆。
あるスタンドは昭和十年代の服装をしている者が埋め、またあるスタンドは昭和三十年代の服装をしている者が埋め、そしてまた2020年代の服装をしている者たちが埋めているスタンドもある。
行進しているのは、もはや兵隊たちだけではない。
スーツ姿の企業戦士たち、ランドセル姿の小学生たちも行進している。
戦争と平和(だろうか)が同じ場所で渦を巻いている。
無数の国旗がスタジアムに翻っている—
それを圧して、巨大な星条旗が天蓋全体を圧して翻る。
ふっとそれが消え去ると、花火が上がる。
その爆発はいつしか高射砲の炸裂に変わり、また花火になる。
「オリンピックだあっ」
高円は背を思い切りそらせ、恍惚の表情で愛馬を走らせながら叫ぶ。
何十発目かの花火あるいは高射砲が炸裂した後、空から何かが大量に降ってくる。
紙幣だ。
円、ドルとりまぜて。
ひとり、トラックを逆方向に走る進。
—人間たちは誰も気づかないが、ベン・ハーの息が上がってきている。
高円はベン・ハーを止めて、下馬する。
知子は自分から半ば転がり落ちるように馬から降りようとして、高円に抱きとめられる。
高円は知子をお姫さまだっこした格好で、大股に歩きだす。
知子「やめてよっ、何するの」
暴れるが、強い腕力で畳まれているようで力が入らない。
歩いていく先には、教会がある。
諫早がまた牧師になって、待っている。
進「ふざけるなっ」
全力で走り出す。
高円と知子が諫早の前で並んで結婚しそうな体勢になっている。
高射砲が炸裂する空に戦闘機が現れる—零戦、隼、紫電改。
それらが被弾したわけでもないのに、高度を下げ、地面に向かって急降下してくる。
スタジアム、東京タワー、それから

議事堂が次々と特攻攻撃を受けて爆発炎上する。
進が思わず叫んだ。
「なんで、味方を攻撃するんだ」
高円「味方なものか」
叫んだ。
知子を抱えていた腕が何か見えない力が働いたように広がり、知子が宙に弾き出される。
一段と大きな爆発が起き、進は地面に伏せる。
もうもうと上がった硝煙と土煙で何も見えなくなる。
煙が去り、進が立ち上がると、煙を向うから知子の姿が見えてくる。
進が駆け寄ろうとすると、少し離れて高円が立っているのも見えてくる。
高円の傍らには、爆発でできた大きなすり鉢状の穴が開いている。
高円、身を躍らせて穴に飛び込む。
進、知子の方に近づいていく。
知子、微妙な表情で進を見返す。
進「(異変に近づく)」
高円が飛び込んだ穴そのものが動いている。
穴の底に、アリジゴクよろしく高円がひそんでいる。
穴が知子の足元に達する。
進「危ないっ」
知子の足元が崩れて穴に転げ落ちる。
進が飛びつくが、間に合わない。
穴にはまった知子は、砂の斜面を滑り落ちていく。
底で待つ高円は、いち早く砂の中に姿を消す。
底まで滑り落ちる知子。
穴に飛び込む進。
知子も砂の底に姿を消す。
進も砂をかくようにしてそれを追って姿を消す。

○ 真っ暗

○ 天地逆
上に砂地があり、下に空がある。
その上の砂地から進が下方向に頭を突き出す。
進「なんだあ?」
諫早「これはこれは」
と、やはり逆さまになって寄ってくる。
佐智「見てないで、助けましょうや」
と、力を合わせて進を砂から抜き出す。
画面が百八十度回って、天地が正常に戻る。
進「知子は」
諫早「さあ」
進「あいつは。あの馬乗った奴は」
佐智「さあ」
進「さあって、ここから出て来なかったのか」
進、あたりを見渡す。
さきほどまでいた砂地と似ているが、どこか違う。
ふと気づくと、周囲に砂でできたビルのようなものがにょきにょき立っている。
長島の声「これはこれは」
と、頭の上から轟く。
ふと見上げると、巨大な長島が見下ろしてる。

○ 長島の視点から見ると
日本のさまざまな家や建物の砂製のミニチュアが眼下に並んでいる。
進がはっとすると、進も同じようにミニチュアを見下ろしている。
(ミニチュアと実物大のサイズの感覚を行き来する)
同じように見て下している進、佐智、良子、義典。
進「何これ」
と、大きくうなずいている。
進「何ですか」
長島「実はだな。自分のオフィスにこういうミニチュアを置いてある。街を開発する時のイメージをつかむためにだな」
佐智「見て」
と、ミニチュアを指さす。
ミニチュアかと思った建物から、人や車が出入している。
木造家屋の住居が立ち並んでいる。
それを見下ろす長島。
長島「ここに建っている家を四つ五つまとめて立ち退いてもらって土地をまとめれば、マンションが立てられる広さになる。床面積は何十倍にもなる。資産価値も何十倍にもなる」
見下ろされているミニチュアの古ぼけた安アパート—
注視する進。
そこに出入している人影は、近寄ってみると、進自身だ。
進「…!(驚愕する)」
(「シャイニング」でジャック・ニコルソンが迷路のミニチュアを見下ろしたら中で人影が動いていて、その迷路の中につながれるシーンの要領)
ちょこちょこと歩いていく自分自身を見下ろしている進。
その足取りは軽い。
長島「日本の未来の生活の展示でもある」
進「俺がいる」
長島「む、そうだろう。若者こそ未来そのものだ。実をいうと、企画中の国家的イベントはもう一つある。万国博覧会、バンパクだ。これはそのミニチュア、ひな形も兼ねているわけだな。気持ちいいぞ、街を、日本を一望のもとにおさめるのは」
ミニチュアの進が歩いていく先に、駅がある。
その前で待ち合わせているのは、知子だ。
長島「デートの待ち合わせかね」
進「だとすると、未来じゃない。ちょっと前だ」
長島「まあ、なんでもいいさ。過去と未来、伝統と希望が交錯する展示、だ」
進「(呟く)不思議の国の(アリスとはっきり口を動かすが声は出さない)、か」

○ 駅前(ミニチュア)
焦点深度が浅くなっていて、ちょっと離れた場所がボケている。
進「待った?」
知子「全然」
ぎこちない笑みを交わして、連れ立って歩き出す。

○ 砂地
諫早「そういえば、お二人はどんななれそめでしたかな」
進「言いませんでしたっけ」
諫早「聞いていません」
進「言った気がするけどな」
諫早「聞きたいですな」
進「今はそれどころじゃない、知子を探さないと」
長島「花嫁さんはどこにいるか知らないが、高円大尉はどこに行ったか知ってる」
進「どこ。どこです」
長島「それはもう。大戦中の帝国軍人が戦後の日本に忽然と現れたら、どれくらい珍しがられると思う」
進「…まあ、ね」
長島「どれくらい数字がとれると思う」
進「わかりません。わかるわけがない」
長島「代理店の人間の受け売りだけれどもね、四十パーはいくと。うまくいけば五十だ。日本人の半分は見ることになる。あさま山荘みたいにほとんど百パーセントとまではいかないだろうけれど」
にょきにょきと東京タワーのミニチュアが砂地から突き出てくる。
その下に付設されているテレビのスタジオ。

○ テレビカメラを通して見上げた進たち
ミニチュア世界からは巨大に見えるはずだが、凹レンズを通して見たように小さく遠くみえる。

○ スタジオ
こつこつと蹄を鳴らして歩き回っているベン・ハー。
それを迷惑そうにちらちら見ながら、しかし文句は言えずにいるスタッフたち。
テレビのトーク番組に出ている高円。
司会者(小林)が色々聞いてくる。
小林「あの戦争を戦ったお気持ちをお聞かせください」
高円「お気持ちって、軍人なのだから戦うのは当たり前です」
小林「馬術でロサンゼルスオリンピックに出られて、見事金メダルを獲得されたわけですよね。これは今に至るまで残念ながらこの種目の唯一のメダルなのですが」
高円「そうですか」
小林「その時のお気持ちをお聞かせ下さい」
高円「さあ、死んだ今となっては割とどうでもいいかな」
小林「やはり日本を代表して、日の丸を背負って出られたというお気持ちですか」
高円「日の丸を背負うなどと、思いもよりません」
そこに、かっかっと蹄を鳴らしてベン・ハーがスタジオに入ってくる。
小林「これはさすが。サムライの覚悟というものでしょうか
高円「なんですか、サムライって。自分は軍人であって、サムライではない」
小林「何処が違うのでしょう」
高円「何を期待しているのかよくわからない。自分は任務を果たしただけで、日本精神がどうとかいちいち考えているわけではない。自分の父は外交官として日本を代表していたけれど、家にはおよそおらず、私の産みの母も産んだらすぐヒマを出された。国のために働くという人間が家族にはおよそ冷淡だった。そういう人間がこの国を代表するのです。自分が信じるのは家でも国でもない。馬だけです」
と、ちらとベン・ハーを一瞥する。
それに答えて、一声いななくベン・ハー。
小林「馬?」
高円「そう、馬です。初めはラジオの組み立てに凝ってましたが。それから馬に愛情の対象が移った。馬は裏切らない。馬は人を見るけれど、人の肩書きを見ない。人の身分も見ない」
小林「それだけの馬を育てられたのも日本の力で」
高円「ベン・ハーはイタリア生まれです」
小林「(話の接ぎ穂がなくなった感じで)意外ですね」
高円「何が」
小林「もっとこう、愛国的な方かと」
高円「帝国軍人として闘って死んだ人間が愛国的でないと?」
小林「いえ、その。実際に戦死した方と話したことはありませんので」
高円「死人に口なしだものな。祖国に戻ってきて、ずいぶん人をダシにして勝手なことを言っているのが多いのに呆れましたよ」
小林「はあ」
高円「死んでから言うなのなんだけれど、死んだら終わりですものね、ははは」
小林「では、高円少尉の」
高円「大尉だ」
小林「は?」
高円「戦死してから二階級特進したはずだ」
小林「あ、大変失礼いたしました。高円大尉の最後の再現ドラマを見ていただきましょう」
スタジオに作られた洞窟のセット。
小林「大尉が死守を命じられた島は、ここをアメリカ軍に奪われたら日本本土に攻撃する足がかりを作ることになる、決して譲れない拠点でした」
高円「譲れないって、正直勝ち目がある戦いだとは思っていなかった」
小林「どんなお気持ちでした」
高円「どんなも何も、もう戦っているんだから全力で戦うしかない。ほかにどうしろというのか」
小林「(またハシゴを外されるが、懸命に取り繕って)火山島で立てこもった洞窟は猛烈な暑さに見舞われていました」
高円「それは硫黄島(いおうとう)のことだろう。私のモデルは確かに硫黄島で戦ったが、私が戦った島は違う設定だ。硫黄島は結婚式場があるような場所ではないからな」
小林「なんですか、その設定がどうこうというのは」
高円「(カメラ目線になり)この映画の設定…、(元に戻し)いやなんでもない」
小林「で、硫黄島(いおうじま)の」
高円「(遮って)いおうとうだ。その読み方は海軍の読み方だ。自分は陸軍軍人だから、いおうとうと言う」
小林「あ、失礼いたしました(よくわかっていないが、とりあえず謝った)いおうとうの」
高円「だからいおうとうではないと言っているだろう。私が戦ったのは、もっと風光明媚な南の島だ」
いつのまにか、進がスタジオにいる。
小林「その
進、つかつかと中継中?の高円に近づき、ぐっと顔を近づけて
「彼女はどこだ」
小林「ちょっとあなた、今は本番中です」
進「知るかそんなこと。そんなにテレビってのは偉いのか。こっちは婚約者を誘拐されたんだ」
小林「婚約者の誘拐?(さっそく興味を引かれる)。いつ、どこで、ですか」
進「誰に、を先に聞け。こいつ(高円をさして)にだ」
小林「婚約者はどんな方ですか。写真はお持ちで」
進「(無視して高円に迫る)どこに連れて行った」
高円「連れていったのではない。ついてきたんだ」
進「何だと。ふざけるな。彼女を返せ」
高円「ご婦人だったら、そこにいる」
と、傍らを示す。
進が見ると、そこにはカメラ、照明をはじめ、撮影隊と機材が揃って知子を囲んでいる。
鏡の前の知子は綺麗にウェディングドレスを着て、ヘアメイクのスタッフがまめまめしく手を加えている。
結婚式場のCM撮影現場。
ちょっと虚を突かれて、戸惑いながらも近づいていく進。
下にも置かない扱われように、機嫌がいい知子。
進「知子」
知子「やっ」
にこにこしながら片手を挙げる。
知子「どう、きれい?」
進「え、きれいだけどさ、何やってるの」
知子「何って、式の準備に決まっているじゃない」
進「いや、式場は決まったけれど、式次第の方はまだ」
知子「だから決めてるんじゃない」
するするとスタッフが寄ってくる。
「さ、花婿さんもご用意を」
進「え、ぼくは」
知子「花婿なしの結婚式ってありえないでしょ」
進「そういう問題じゃない。第一、君たち誰だ。頼んでないぞ」
抵抗するのもスタッフたちは笑顔であっさりかわし、進を席につかせて身支度をさせる。


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