prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「先生、私の隣に座っていただけませんか?」

2021年09月30日 | 映画
マンガ描くのにスクリーントーンを貼ってそれをカッターナイフで削るところから始まるので、なんかマンガ考証というのか、今こういう風にマンガ描いてるのかなという疑問が涌いた。
最近のマンガ編集部の前に使わなくなったスクリーントーンが積んであってご自由にお持ちください状態になっていたという記事を見た覚えがある。
それだけ使うマンガ家が減っているということだろう。

デジタル作画台で描いていればスクリーントーンの効果はクリックひとつで出来るはずだし、アシスタントもリモートで仕事してもらえるし、という以前にアシスタントいないみたいだが、マンガ連載アシスタントなしでできるものだろうか、初め売れない夫がアシスタントしているのかと思った。
編集部とFAXでやりとりするのがネームというには描き込みすぎていてあとはペン入れだけという状態で、あれだと直すの大変すぎるしと、どうもいちいち気になって困った。
マンガ家夫婦の話ですからね。
今どきの小説家描くのに万年筆で書いて書き損じは原稿用紙丸めてポイみたいな話ではないか。

そういう細かい?ことを気にしないと、妻が描いているマンガの内容が夫が身に覚えのない(ことになっている)不倫しているかのようで、さらにその続きで妻の方が不倫しだすかのように妄想?がエスカレートするあたりは面白くはあります。マンガのキャラクターが実際の人物にかぶるのは、小説より自然。
ただし虚実皮膜の面白さというより単に表現が混乱しているように映るところもある。
面白くなりそうで詰めが甘いというか。

黒木華にあたるキャラクターがマンガだとありがちな最大公約数的に可愛いデザインになっているのが一種のコントラストになっていてコワい。
机の上に下書きをほったらかしにしているあたり、谷崎潤一郎の「鍵」の日記みたいに夫に見せるように仕向けているのではないかと思わせたりする。
柄本佑が無精髭を生やしっぱなしで(ずうっと同じ長さなのは映画のウソだけれど)しかしマンガのキャラクターとしてだけでなく、実写でも二枚目になる時はなるのが役者ですなあ。

自動車教習で妻が路上教習するのを不倫を疑った夫が車で追うあたりはあからさまにヒッチコックの「めまい」だと思ったら実際狙ったらしい。




「カラミティ」

2021年09月29日 | 映画
カラミティというタイトルからカラミティ·ジェーンを扱った映画なのはわかっていたので、始まって聞こえてきたのがフランス語なのはちょっと驚いた(フランス ベルギー合作)。
日本語吹替版もあったが、時間の関係で字幕版を見た。

輪郭線のない、面の塗り分けだけで表現された画が日本製のまず輪郭線ありきになりがちなアニメの画に慣れされた目には新鮮に写る。
色の塗分けだけで光の感じや空間の広さまで表現してしまうのだから、こういうことができるのかと驚いた。

カラミティ·ジェーンといっても名前は知っていても正直あまりイメージがなくて、西部劇ショーでワイルド·ビル·ヒコックと組んだ男装で馬を乗り回し銃を撃つ姿の印象しかなかったわけだが、それを今風のフェミニズムを通して語りなおした。
というか、もともとそういうイメージは自己宣伝とホラの産物みたいなものだったらしい。

それほど特別なことではなくて、女の子はスカートをはかないといけない、馬に乗っても馬車のたずなをとってもいけない、とにかく男を立てろといったバカげた開拓地ではジャマにしかならない決まりを破るのだが、銃に関しては抑え気味。
気が強くてばんばん自己主張するのが何よりのキャラクター。

同様にちょっと出てくる先住民たちもまったく口をきかないといった具合に扱いに慎重な様子。
西部劇のマッチョな勧善懲悪的な図式から離れようとしている。

監督のインタビューでも、はっきりした悪人は出さないようにした、ヒロインに厳しくあたる開拓団長にしても未開の厳しい自然の中で緩いことは言っていられないからだし、しきりと意地悪してくる男の子もよくある実はジェーンが好きな裏返しが混ざっているのがわかる。はっきり悪役だと思わせるキャラクターも出番自体を減らして締めくくりに工夫を凝らしている。

開拓団の男たちのリンカーンみたいというかアーミッシュみたいな髭と帽子の格好からコアなプロテスタントだとわかる。

しかしフランス語を話しているところからアメリカに渡ったフランス系の植民地を経営するような移民はどんな歴史をたどったのか、南部に痕跡を残しているだけに興味をそそられた。




「警部」

2021年09月28日 | 映画
オープニング、バカに凝ったマルチスクリーンを使うあたり目新しいけれど、その後ぱたっとその手のギミックが出てこないのがちょっと落ち着かない。
監督のジョルジュ・ロートネルとすると職人肌の手練としての腕を見せる一方でちょっと新しがりなところも欲張って見せた感じ。

ベルモンドが警部といっても、もちろんやたらとお洒落で相手をぶん殴るのも当たり前、警察仲間に当然のように追われてはみ出し刑事通り越してワルに近い。

谷に渡されたえらい簡単なロープウェイを手でつかまっただけで渡るスタントを当然のようにやってのける。カメラマンがまた一緒に渡ってベルモンドの顔をはっきりアップで撮っている。

マリー・ラフォレがこの時40歳だけれど綺麗。ヨーロッパらしい贅沢な生活が身に着いた感じ。






「狂武蔵」

2021年09月27日 | 映画
武蔵と吉岡一門との77分ワンカットの戦いが売りものなのだけれど、困ったことに同じことずっとやっていれば飽きるのだね。

演じる方撮る方は大変だったろうからあまり言いたくないけれど、演る方と見る方はどうしたって違うわけで、もうちょっと場所なり小道具なり変化つけるのに工夫した方がよくなかったか。

特に最初の方で、カメラが後ろから武蔵を追うので背後ががら空きで、周囲の敵がなんで後ろから斬りかからないのか気になって困った。

えんえんと斬り結んだ末に日が傾いてくるのは良かった。






「レミニセンス」

2021年09月26日 | 映画
ヒュー·ジャックマンのナレーションで話を運んでいくあたりで、「ブレードランナー」のようなSFガジェットをまとったハードボイルドであることがわかる。

水没しかけた世界というのはバラードの「沈んだ世界」のような温暖化による滅亡のイメージでもあり、「パラサイト 半地下の家族」で典型化したように貧富の差の絵解きでもあるのだろう。
人間の無意識を含んだ記憶を鮮明化するという点でちょっとソラリスの海もひっかかっているのかも。

ハードボイルドといったら謎めいた危険な美女がつきもので、これが「グレイテスト・ショーマン」でもヒューと共演していたレベッカ·ファーガソン。
監督(兼脚本)が女性のせいか時代のせいか男の目から見た蠱惑的な美女というにはちょっと撮り方が散文的に思えた。

普通に場面が進展していると思うと、ぱっと記憶潜入用の水槽で起き上がるところにとんで、それまでの場面は実は記憶の中の出来事でしたというつなぎが頻発する。記憶も、というか記憶こそ現実といった世界観が入っている。

ハードボイルドだから最終的にはセンチメンタリズムにまとまる。
現実にはいなくなった記憶の中の女を執拗に現実化しようとする話という点でヒッチコックの「めまい」っぽくもあるが(タンディ・ニューマンの立ち位置などバーバラ・ベル・ゲデスっぽい)、あれほど病んだ印象は良くも悪くも薄い。

宣伝ではジョナサン・クリストファーの弟・ノーランの名前を前面に出しているけれど、製作に噛んでいるだけで監督だけでなく脚本もリサ・ジョイ。夫婦だそうだけど。




「青い体験」

2021年09月25日 | 映画
原題はmaligia イタリア語で「悪意 意地悪 悪知恵」などの意味。 

きちんと通して見ないでなんとなくイメージでわかったつもりでいて実見したらイメージと違うということは、ままあるけれど、これもそう。
少年が年上の女性の手ほどきで筆おろしする話だと思っていたら、そうには違いないけれど色々微妙にそれとはズレている。

先に続編だけ先に見ていたせいも大きいだろう。こちらははっきり艶笑コメディだったと記憶する。

主人公の少年というかガキが相当に年上の女(女中さん)に対して意地悪なのだね。原題の意味はこちらにかかるのではないか。サルヴァトーレ・サンペリ監督はのちにフランコ・ネロ、リザ・ガストーニ主演の「スキャンダル」を撮っているが、こちらの方は男が大人になったせいかもっと悪意と性と政治性がはっきり出ていた。

父親に代表されるブルジョワたち、司祭などの俗物性に描き方は辛辣。スケベな本性をなんだかんだ言って隠蔽する。

クライマックスで明かりが断続的に点滅するのが身分の上下関係が断ち切られる象徴になるのも「スキャンダル」で繰り返していた。

父親と息子が同じ女性を分け合うという、これも一種の親子丼なのだからずいぶんアモラルといえばアモラルな話。パゾリーニの「テオレマ」をもう少しとっつきやすくしたような感じもする。
ラウラ・アントネッリがすこぶる魅力的なのは、今見てもそう。

ヴィットリオ・ストラーロの撮影がやたらと素晴らしい。舞台になるブルジョワ家庭の調度品のモダンな贅沢さといい「暗殺の森」みたいな画面。ブルジョワっぽさを出したいのでストラーロに頼んだような気さえする。





「シャン・チー テン・リングスの伝説」

2021年09月24日 | 映画
中国系のキャラクターをメインにしたアメコミヒーローもの。
個人的な感想だけれど、トニー·レオンやミシェール·ヨーみたいに台湾映画や香港映画で見慣れている俳優たちに比べて主役たちのシム·リウ、オークワフィナ、メンガー·チャンといった人たちが西洋での東洋人イメージに寄っていて今一つヒーロー、ヒロインとして様になるように撮れてない気がした。

クライマックスの村で大挙出演するヘンテコなクリーチャーのデザインもなんだか美的統一感がない。
前半のマカオのケバケバしいデザインは、らしくて良かったけれど。

中国で公開されるかどうか今のところ微妙だという。そういうのを当局が決めるのは論外なのだが、中国の中国人が見てどう見えるか。




「スイング・ステート」

2021年09月23日 | 映画
原題はirresistible(抵抗できない)。irresistible forceだと不可抗力。
ちょっとわかりにくいので、スイング·ステートというある程度知名度を持つようになった言葉を邦題にしたわけだろうけれど、アメリカ大統領選についてかなり日本でも伝えられるようになったからには違いない。

で、二大政党制のアメリカではほとんどの州ではどちらかの政党の候補者が選ばれるか決まっているわけだが、中にはどちらが勝つか微妙な州もいくつかある。
その一つのウィスコンシン州の小さな町の町長選が舞台になる。こんな小さな町の選挙でも二大政党の代理戦争になるというわけ。

ウィル·ファレルの民主党系の選挙参謀が乗り出してきて、元軍人という経歴からも風貌からもむしろ共和党向けの候補者ではないかと思わせるクリス·クーパーの陣営を組織する。

選挙に莫大なカネがかかること、極端に世論調査の技術が発達してやたらとか細かく階層に分けて戦術を決めること、などのモチーフが示されるわけだが、個々はそれほど目新しくはなく、細かいくすぐりを入れてきて笑わせるけれど、どうもしっくりこないなと思っていると、ラストでそれまで嵌まってこなかったピースがすべてぴしりと嵌まって全体像が見えてくる手際にびっくり。

選挙をこちらまで上からのコントロール目線で見ていたことに気づかされるというわけ。
製作にブラッド・ピットの製作会社プランBが参加していて、どの程度ブラピが内容まで噛んでいたのかは知らないが、プロデューサーとしての実績をまたひとつ加えた感。

ちゃんと皮肉や批判含めて政治を描いておいて爽快感を感じるように仕立てるというのは珍しいと思う。

ここでは民主党内部の思い上がりやエリート主義が皮肉られていて、共和党についてはほぼノータッチ。政敵の共和党系の現職の町長にしても一見してふつうのおっさんという描き方。

監督・脚本は16年間にわたり政治風刺コメディ番組「ザ・デイリー・ショー」の司会を務め、アカデミー賞でも2度司会を担当したジョン・スチュワート。

クーパーの娘役のマッケンジー·デイヴィスと共和党候補者の参謀役のローズ·バーンがなんだか似ていて混乱した。
ショートヘアとロングヘアの違いはあるけれど、バーンは他の映画ではブルネットにしているので、両方ブロンドにしなくてもよかったのでは。




「ディック・ロングはなぜ死んだのか?」

2021年09月22日 | 映画
バカに太った女性の警察署長とレズビアンの警官という組み合わせは「ファーゴ」みたいなオフビート感、死体を巡るドタバタは「ハリーの災難」、証拠になる車を池に沈めて隠滅しようとしたらそのまま止まってしまうあたりは「サイコ」のパロディという具合にヒッチコック調をブラックな笑いにアレンジしたようでもある。

邦題になっている「なぜ」という理由が思いきりヒドい。
笑えないコメディというか、英語のコメディは日本語の喜劇より意味が広いという話を思わせたりする。

それにしても、アメリカの田舎で信じられなくくらいバカな真似やらかす連中が割りとちょいちょい描かれるが、意外とリアルなのではないかと思ってしまう。




「Daughters(ドーターズ)」

2021年09月21日 | 映画
三吉彩花と阿部純子という綺麗どころ二人が並んで中目黒というおしゃれな街のルームシェア生活が描かれていくうちに、阿部が誰のかわからない子供を妊娠する展開になるわけだが、その相手の男が全然出てこないばかりか登場人物の誰もさほど気にしないのにはかなり驚いた。

「ガープの世界」のガープの母親とかスーザン·ソンタグみたいに男はいらないが子供は欲しいというのとはまた違って出来ちゃったけど産んでもいいかといったノリ。
いいんですか、それで。
途中で三吉にあんただけの命じゃないんだからと怒られるところがあるが、正論過ぎる分、今言うかなと首をひねる。
それが新しいのかもしれないが、なんだか画面の調子とともにふわふわしていて頼りない。

見ようによっては男がいなくてもパートナーが世話役にはなるみたいなのかと思ったが、それにしてもちょっと子供ひとり育てるのはどう考えても大変で、なんだか扱いが軽すぎる。

いくらなんでも女性監督ではないだろうと思ったらやはり違ってました。





 

「スパイラル ソウ オールリセット」

2021年09月20日 | 映画
ゴア描写とストーリー上の仕掛けというかケレンがこのシリーズの売りなわけだが、今回は後者がかなり物足りない。
警察内部の腐敗というモチーフにしても、平凡。

クリス·ロックとサミュエル·L·ジャクソンという知名度の高いキャスティングだと無名のキャスト並べて誰から殺されるかという趣向は使えないわけで、ゴア描写の工夫で見せることになる。こちらはまずまず。

しかしヤボ承知で言うけれど、毎度のことながらあんなに手のこんだ仕掛けを一人でできるものかな。




「白頭山(ペクトゥサン)大噴火」

2021年09月19日 | 映画
アメリカ映画もびっくり。
天変地異の描写のスケールと迫力もだが、それ以上に平気で核兵器を使う、北朝鮮の核とはいえああも無頓着に扱うのには驚いた。放射能に汚染された火山灰でも降ったらどうするのかとか気にしないみたい。
地下だから安全ってつもりなのかな。
それを言い出したら当然のように北朝鮮の核を描くのも彼岸の感覚の差を感じさせる。

前にチャン・ドンゴン主演の「タイフーン」でロシアで手に入れた放射性廃棄物を台風に合わせてまき散らすという凄いテロ計画が描かれたことがあるが、日本みたいに(良くも悪くも)核に対して腰が引けてはいないみたい。

腰が引けてないといえば、在韓米軍の支配に対する反感があからさまに描かれるし、中国の介入も取り込んでいる。本来それくらい描いて当然なのだが。
(「亡国のイージス」「空母いぶき」の映画化では相手が北朝鮮、中国だということすらボカしていた)

天災の描写は案外少なくて、被災に対してもある程度理性的に対応できるあたり、「ポセイドン・アドベンチャー」「タワーリング・インフェルノ」「大地震」などの1970年代のハリウッドのディザスター・ムービー(パニック映画)を思わせる。

イ・ビョンホンとハ・ジョンウの二大スター共演作なわけだが、両者の顔の立て方と硬軟の取り合わせ(後者は硬派もできるが今回はかなり軟派寄り)も上手い。

シーンの途中でぽんととぶようなつなぎ方を多用していて、テンポアップになっているのと雑なのと両方。




「テーラー 人生の仕立て屋」

2021年09月18日 | 映画
ギリシャの経済危機で銀行に差し押さえられて店を畳まざるを得なくなった紳士服専門の仕立て屋が出前でウェディングドレスなどを仕立ててまわるうちに、より市井の人たちと深くふれあう喜びを知っていくという人情もの。
それに昔気質の仕立て屋の父親にそんなみっともない真似をするなと怒られていたのが次第に理解されていくサブプロットがからむ。

仕立ての出前って、とんでもなく贅沢な話だと思うのだが、いったん経済的に破綻したあとでこそそういう贅沢が成り立つということか。
文字通りテイラーメイドのドレスの数々のデザインがお楽しみでもある。紳士服の方が格上という父親の認識の男性優位の考えから脱却するドラマでもあるだろう。
それらを着る花嫁たちがこちらの目から見るとずいぶんと大大としている。

今のギリシャでの1ユーロというのがどの程度の価値があるのかつかみにくくて困った。
ギリシャ・ドイツ・ベルギー合作。




「モンタナの目撃者」

2021年09月17日 | 映画
登場人物の数は少なく、大がかりな山火事の映像の割にそれ自体をスペクタクルとして見せる時間は短い。
極大と極小とのコントラストが著しい贅沢な作り。

アンジーが巨悪の秘密を知った少年を二人連れの殺し屋から守る図は往年の「グロリア」ばりのハードさと微妙にロマンチズムが混じる。

どうやって作ったのか、輻射熱で離れたところで発火するのをリアルな画にして見せている

あれだけの大火事に巻き込まれてこれで助かるのかと思わせるところはある。




「オールド」

2021年09月16日 | 映画
予告編で見ると時間の流れ全般が早くなるのかと思ったら、生物に限って成長老化が早くなるという設定でした。
光速に近い宇宙船に乗って旅して戻ってきたら元いた世界の人間は年取っていて自分だけ若いというのと逆の現象。

うるさいことを言うと色々気になって、食料に多少なりともついているだろう細菌の働きはどうなるのか、生物の活動が促進されるのなら腐敗が早くならないかとか思っていると、後で細菌絡みの展開があるからほら見たことかという気分になる。

監督のシャマランが毎度のことながら出演して、それもヒッチコックみたいなワンカットだけの特別出演ではなくちゃんとした役で、なんなら象徴的ですらある。
本編の前にビデオによる映画館へ帰還ようこそといった挨拶まで象徴のうちに映る。

これまた予告編で煽っていたビーチを囲む岩のオープンセットにもちゃんと意味があったりする。つまり岩そのものに役割があるということ。珊瑚にも意味があったりするが、このあたりの理屈は原作でも読んでみないと腑に落ちないのではないか。

撮り方が独特で、カメラが人物と関わりなく勝手に移動したりパンしたりして、そこに人物がフレームに入ってきたりカメラについて歩いたりいつの間にか出て行ったりといった、キャラクターがあってそこから世界を見ているのではなく、世界が先行して存在していて人間はそこにたまたま出入しているにすぎないといった世界観になっている。
ちょっとフェリーニの中期作品(「甘い生活」「8 1/2」など)を思わせたりも下。

ある場所から出られなくなったブルジョワたちの行動観察記としてはブニュエルの「皆殺しの天使」風でもある。
ただ、なぜ出られないのかという理由が一応説明されているのが違うのと、深海魚がいきなり浅い海に出ると破裂してしまうようにこの時間が圧縮された世界からいきなり外に出ると死ぬという理屈はわかったようで今ひとつわからない。

ただし終盤でその世界観をさらに俯瞰するようにどんどん外から見た視点に広がっていくあたりの独特の快感はシャマラン映画の独擅場。