prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「ゼブラーマン」

2004年02月27日 | 映画
昔の子供向けヒーローもの「ゼブラーマン」の脚本が実話をもとにしていて云々という因果づけは余計。因果関係を持ち込んだ分、逆に論理的矛盾が目立つ。そんな長い間宇宙人は何してたのか、とか、侵略を訴えるんだったら子供向けヒーローものなんかにするよりもっと効果的な手があるだろう、とかかえって気になってしまう。単にゼブラーマンの格好をしてたら、どういうわけか本当のヒーローになってしまいました、でいいじゃない。

ナンセンスが案外弾けない。1時間55分もあるもので弛んでるってこともあるし、普通の人が“ゼブラーマンごっこ”や宇宙人といった非常識なものを見て変に思うリアクションが入っていないからだ。中学生の娘が援助交際しているとか妻が不倫してるとか、足元の日常がぐらぐらしているせいもある。絵のゼブラーマンが動き出して、では昔のゼプラーマンの予告を見せようなんて喋りだしてから予告が始まるといった飛躍がもっと見たかった。

哀川翔の主演100本目記念作品だが、特にタイトルは出なかった。出さなくていいけど。 これも妙に画面から色を抜いている。何か、意味、あるの? 息子のクラスメートの名前で安藤忠信というのが出てくる。よくわからないお遊びだ。
(☆☆★★)


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「赤い月」

2004年02月25日 | 映画
ほとんど全編、色彩を抑えた半ばモノクロのような画面だが、タルコフスキー作品で見るような玄妙な感じはなく、何だかカラーテレビの“色の濃さ”を一番薄くしたみたいなフラットな 画調。ドキュメンタリー調でもなく、ノスタルジックなわけでもなく、狙いが良くわからない。木村大作が以前「鉄道員(ぽっぽや)」で試みていたデジタル処理による色抜きの延長かもしれないが、全編それで通すとなると、京劇や真っ赤な衣装をつけたヒロインまで色を殺しているわけで、中国の風土感や素材のスケールを削いでいる観が強い。
部分的に雄大な夕焼けや春の花畑などがくっきりとしたカラーで描かれるが、そのために他を全面的に抑えるほど効いていない。テレビで放映する時は調節するかもしれない。

上下ニ巻にわたる長大な原作をまとめたせいか(未読)、展開が駆け足的で各シーンにあまり膨らみがない。ほぼ全編ヒロインの視点でまとめてあるのに、恋仇のロシア人家庭教師の死に至る経緯の部分で視点が混乱していて、それにヒロインがどう関わっていたのかというのが説明的にしか描かれないのは困りもの。それがわかっていて見るのとわからないでいるのとでは、ヒロインのあり方が全然違ってくるのだから。

男たちがやたら死にたがって、ヒロインが決して生き抜くのをやめようとしないコントラストは(そうだよなあ)と思わせる。中国のおそらく大々的な協力のもとに作られたにしては、中国人の登場人物がとんと姿を見せない。

ソ連政府に迫害されてきたギリシャ正教徒の父親を持つソ連のスパイが死ぬ前に介錯人に十字架を渡すというのは、ソ連政府の雇い人ではなくロシア人として死ぬというのでなくては意味が通じないが、台詞はそうなっていない。

タイトルの人名が、おそらく各スタッフ・キャストの直筆というのはいい。一度中断してまた完成にまでこぎつけた、製作に注ぎ込まれたひとりひとりの体温が感じ取れる気がする。ただ、それが内容にまで至っていないのだから怖い。どういうわけかロシア人の名前が、姓が先で名前が後になっていた。
(☆☆)


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「この世の外へ クラブ進駐軍」

2004年02月22日 | 映画
俳優の演奏する手の動きは音楽に合ってはいるけど、ジャズのフィーリングがなくて、譜面通り弾いているみたい。エンドタイトルで本物のミュージシャンが出てくると、落差は歴然。

ドラマ自体がそうで、価値観が崩壊した世界のはずが割と公式的な道具立てや展開が多くて、自由に弾ける感じがしない。哀川翔のインチキ日系人の通訳のみ生き生きとしていた。

闇市などのセットは大がかりだが、人間たちが栄養のいい顔をしているのはどうしようもない。ベースキャンプで演奏していた連中には、後の芸能界の大物が多いので(中には、大手芸能プロの社長になった在日なんてのもいる)、いくらでも面白いネタありそうなものだが。

最初にカメラが前進して基地のクラブに入っていくところで、音楽が画面の右から聞こえてきたのがカメラがぐるっと180度回っても相変わらず右から聞こえる。ジュークボックスの音楽かと思って聞いていたが、そういうわけでもなくて、意味のよくわからない音楽処理。まだまだ日本映画は音楽を使いこなせないよう。
(☆☆)


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「タイムライン」

2004年02月17日 | 映画
タイムトラベルものって原因と結果の対応がややこしいから、かなり脚本と演出が整理されていないといけないと思うのだが、抜け道の洞窟が行き止まりになっていたのが外の火薬庫の爆発で穴が開くというくだりで肝腎のその穴が開く画がすっぽぬけているといった調子の演出で、その上、出演者のなじみがないものだから誰がどうなっているのかピンと来ない。予想がつく範囲の展開だから混乱はしないが、きちんと描写として成立していない観が強い。

水によって燃焼力が高まる「ギリシャ式火薬」なんていうのが出てくるけど、あれは7~9世紀にかけコンスタンティノープルをイスラム教徒から守ったものだから、映画の舞台の14世紀とはかなりずれている。
キャレブ・デシャネルの撮影は夜戦の炎の撮り方が魅力的。
(☆☆★★★)


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「ラスト・サムライ」

2004年02月14日 | 映画
これだけ堂々たるスケールで明治の日本を再現するのは、逆に日本ではムリだろう。アメリカより日本の方が好評(ファースト・ランの最終日でほぼ満席)なのは、「ブラックレイン」に似てそれ以上の現象と思える。

戦国時代みたいな鎧武者や忍者軍団といった定番(海外にはこれらを出さないと、納得しない客も多いのか)以外は、演技・衣装・装置どれも違和感なし。逆になんか物足りないくらい。クライマックスの戦闘シーンで、反乱軍は右、政府軍は左ときちんと整理した形で構成しているのは、黒澤の「影武者」「乱」あたりを参考にしたか。

終盤、明治天皇に拝謁するシーンのトム・クルーズの肩に“7”の文字がかたどられた肩飾りがついている。カスター将軍の第7騎兵隊を現わしたものだろう。カスターの先住民に対する傲慢さがトラウマになっていたのを、あえて背負って現れたということか。
(☆☆☆★★★)


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「ドラッグストア・ガール」

2004年02月10日 | 映画
不良中年どもが牽制しあってか、若くて可愛い女の子の前で小さくなっていて、ナマぐさい展開にならないのは今の松竹映画では当然でもあるけど、芸達者が揃っているせいか不自然な感じはしないが、やっと一点取れるかどうかがクライマックスになるという具合に、初めから思いきり目標を下げているので、達成してもあまりスカッとしない。

オープニングのヒロインじゃないけど、かなり行き当たりばったり的展開。あと、こういう映画で人が死んじゃまずいでしょ。

野郎どもが飲み明かして迎えた朝の部屋になぜか蜂蜜の瓶が転がっているので、なんだいあれはと思っていたら、後で“ジェロニモ”がちゅうちゅう吸っているのがちらっと出てきた。芸が細かいというか、細かすぎて笑いを取り損ねているというか。なお、“ジェロニモ”の本名がスギモトタカシというのは、杉本高文(明石屋さんまの本名)をもじったものだろう。
(☆☆★★)


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「ニューオーリンズ・トライアル」

2004年02月08日 | 映画
陪審コンサルタントなんて商売、実際はどの程度この通りなのか知らないが、いかにもありそう。陪審員工作で裁判に勝つやり口の問題点は「陪審員」でも扱っていたが、工作の徹底ぶりはその比ではない。

こういう裁判の中身以前の部分でやたら金がかかる(コンサルタントの設備とスタッフの人数からして、維持費だけで莫大だろう)ものだから、仇役の銃メーカーの幹部にさえイヤな顔をされている。まったく生産性のない金のかかり方だと思う。あまりに訴訟に費用がかかりすぎていることがアメリカ社会の足枷になってきていると、先日の「ニューズウィーク」で伝えていた。

判事役のブルース・マッギルは「インサイダー」の弁護士役で見て覚えた顔。その時は、こういうなじみのない顔の役者がいきなりうまい芝居を見せるのがアメリカ映画の強みだと思ったが、こっちが覚えていないだけで調べてみると出演作はかなり多い。陪審員の中にジェニファー・ビールスがいるが、タイトルでは3分の1の扱いだった。他、脇に印象的な顔、多し。

ハックマンとホフマンの直接の共演場面は一つしかなくて、こういう競演だと、正義派をやる方は不利だと思う。劇中では二人のスーツの値段が天地の開きという設定なのだが、エンド・タイトルを見ていたら同じブランドというのが、なんか可笑しい。ちなみに、suitには訴訟という意味もある。

ストーリー展開をスピードアップさせるためか、アクションの途中を飛ばしてつなぐ非常に細かいけれどうるさい感じがしない編集術。レイチェル・ワイズが襲われる場面を途中からフラッシュバックにしたり、ずいぶん凝っている。

それにしても、本場(?)アメリカではずいぶん疲弊しているような陪審員制度を、日本でも取り入れてうまくいくものだろうか。早い話、あたしは裁判員なんてやりたくないね。
(☆☆☆)


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「半落ち」

2004年02月05日 | 映画
前半、警察や検察、マスコミもさまざまな駆け引きや政治が絡んでいるところを描いているところは描写そのものは過不足ないのだが、最初に謎をかけられた「空白の二日間」に何があったのかという興味からすると、欠点とまでは言わないが、やや脱線ぎみ。原作は読んでいないが、もっと書き込んであるのではないか。

高島礼子といった知名度のある人が脇の本来なんでもない人の役をやると、どうも作り物くさくなっていけない。見たことある顔ばかり並ぶ、日本映画に共通の物足りなさ。演出はまことに端正で、マジメ人間揃いの登場人物を扱うのによく合っている。

劇中、「東洋新聞」という架空の新聞の紙面のアップから、画面が引いたサイズになると毎日新聞になっている。一面右上の「毎日新聞」の文字が青いからすぐわかる。それも一度ならず二度までも。製作委員会にTBSが加わっているから系列の毎日を出したのだろうが、こういう出し方はマズイでしょ。
そういえば、マスコミの群れの中にTBSの久保田智子アナが混ざっていた。そういう楽屋オチはいらないってのに。
三週目の平日で、ずいぶん混んでいた。
(☆☆☆★)


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