prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

8月30日(木)のつぶやき

2018年08月31日 | Weblog

8月29日(水)のつぶやき

2018年08月30日 | Weblog

8月28日(火)のつぶやき

2018年08月29日 | Weblog

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2018年08月27日 | Weblog

8月25日(土)のつぶやき

2018年08月26日 | Weblog

「未来のミライ」

2018年08月25日 | 映画
何というか、他人の家の子供の成長を記録したホームビデオをアニメで見せられてるみたいで、どこを面白がればいいのかわからないで困った。

「未来のミライ」 公式ホームページ

「未来のミライ」 - 映画.com

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8月24日(金)のつぶやき

2018年08月25日 | Weblog

8月23日(木)のつぶやき

2018年08月24日 | Weblog

8月22日(水)のつぶやき その2

2018年08月23日 | Weblog

8月22日(水)のつぶやき その1

2018年08月23日 | Weblog

「荷車の歌」

2018年08月22日 | 映画
1959年、農協婦人部320万人の10円カンパによって出来た映画で、脚本の依田義賢が創作ノートで「なかには、産みたての卵をそれに代えてさしだした婦人もあったなどときいた」と書いている。

一日十里の道を荷車を引いて歩く重労働、意地悪な姑(そのまた姑も意地悪だったのがわかる)、生まれた子供が女の子だとあからさまに嫌な顔をして男の子ばかり欲しがる、夫の浮気、そして戦争とひたすら苦労が続く。
その割に生まれた女の子が大きくなると反抗すべき時はするのが痛快な一方で里子に出さざるをえなくなるなど、この国のかつての(と言い切れるかどうか)貧しさの丹念な描写の割りに愚痴っぽさ湿っぽさは薄い。

脚本の依田義賢のノートをさらに引用すると「正直にいって、巧みなシナリオといったものではない。そういう工夫を思わなかった。思わなかったというより思えなかった。鈍なシナリオである。ただ、しかし、誠実な、何のケレンもない、シナリオを書いたと思っている」
その通りの、主人公も作品も粘りと勤勉と我慢強さが身上といった感じ。

山本薩夫の演出はちまちましたところがなくシーンを大きく掴んでうねるように2時間半の長尺を時々眠くなりながらも感銘を持って見せきる。

望月優子の辛抱強さの塊みたいなはまり役。農村や山道の風景など今では再現不可能な見もの。

三國連太郎がいい男っぷりの一方でけっこう調子がよくマザコン気味で妻を釣った後には餌をやらない感、案の定浮気して晩年老いさばらえているあたり、見せ場多し。少し凝りすぎだと望月優子が監督に不満を漏らしたともいう。
五社協定をはみ出ていた三國ならではのキャスティングということになるだろう。

地主役で特別出演しているのが小沢栄太郎。この頃の日本映画の脇を新劇の名優が固めたことによる厚みは再現不可能な見もの。

「荷車の歌」 - 映画.com

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8月21日(火)のつぶやき その2

2018年08月22日 | Weblog

8月21日(火)のつぶやき その1

2018年08月22日 | Weblog

「葫蘆島大遣返 日本人難民105万人 引揚げの記録」

2018年08月21日 | 映画
当時の数少ない記録写真や中国の協力による現地調査や関係者の証言をもとに、満州(現・中国東北部)に居留していた在留邦人105万人の引揚港となった葫蘆島を描いた作品。 (102分)
平和祈念展示資料館にて。

製作・脚本・演出:国弘威雄 演出・編集:松井稔
写真:飯山達雄 監修:新藤兼人 ナレーター:久野綾希子
平成9(1997)年度作品 近代映画協会製作

製作・監督・脚本の国弘威雄(1931~2002)は先日亡くなった橋本忍の弟子筋にあたり「幕末残酷物語」などの時代劇が多い。
生まれも育ちも中国で夫人も中国生まれだから日本生まれで引き揚げた人とは感覚が違うみたい。
一緒に葫蘆島を再訪する日本人たちが数十人単位なので、この映画作られたのはいつかと思ったら1997年というからもう20年も前。かなりぎりぎりのタイミングだろう。

当時の中国が国府軍(国民党軍)と共産党軍とソ連軍に分割されている状態で勢力図が塗り換えられると昨日まで使えた軍票が一日にして使えなくなるといった調子だった。
葫蘆島まで来てもいつ帰還船に乗れるかわからず住んでいた住居に戻るがすでにソ連軍が占拠していたといったこともしばしばあった。

国弘氏が当時実際に乗っていた無蓋列車に乗り、あるいは線路を歩いて広大な中国で見て回る。
葫蘆島市(大陸の街で島ではない)の人口はこの映画の製作時で200万人だったが現在は280万人をこえている。
発展は著しいがこの映画にはまだ日本人が引き揚げた頃の風景、たとえばいったん足止めしてDDTを振りかけたあたりの建物などが残っている。今はどうなのだろうか。


葫蘆(コロ)島、というのはちばてつやの「屋根うらの絵本描き」で知った。


武運長久を祈る寄せ書き、千人針、上着など。






シベリア抑留で使われていた日用品。